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「古都 (小説)」の版間の差分

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『古都』は全9章からなり、「春の花」「尼寺と格子」「きものの町」は'''春'''、「北山杉」「祇園祭」は'''夏'''、「秋の色」「松のみどり」「秋深い姉妹」は'''秋'''、「冬の花」は'''冬'''、といったように[[京都]]の[[四季]]を背景に物語が進行する。小説に描かれたのは、[[1961年]](昭和36年)の春から冬にかけての京都であり、実際の年中行事や出来事が盛り込まれている。
『古都』は全9章からなり、「春の花」「尼寺と格子」「きものの町」は'''春'''、「北山杉」「祇園祭」は'''夏'''、「秋の色」「松のみどり」「秋深い姉妹」は'''秋'''、「冬の花」は'''冬'''、といったように[[京都]]の[[四季]]を背景に物語が進行する。小説に描かれたのは、[[1961年]](昭和36年)の春から冬にかけての京都であり、実際の年中行事や出来事が盛り込まれている。


川端はこの物語を執筆するために、[[京都市]][[左京区]][[下鴨]]泉川町25番地の武市龍雄の邸宅を借りていた<ref name="nozue">[[野末明]]「『古都』成立考」(『康成・[[森外|鴎外]]―研究と新資料―』審美社、1997年11月)。{{Harvnb|森本・下|2014|p=346,366-367}}</ref><ref name="ibuki">{{Harvnb|伊吹|1997}}</ref>。作品冒頭には[[すみれ]]の花が描かれているが、川端が「[[京言葉]]」を取材するために訪れた[[下京区]][[油小路通|油小路]][[佛光寺]]下ルの[[町屋 (商家)|町家]]の秦家([[漢方薬]]を製造販売した老舗の薬種商)の庭には、作中にも登場する[[キリシタン]]灯籠があり、川端が[[蹲]]の石の間に咲いていたすみれの花に興味をひかれていたという<ref name="noguchi">{{Harvnb|野口|2009}}</ref>。モデルとなった家の庭は他に、京都市[[中京区]][[車屋町通|車屋町]][[三条通|三条]]下[[仁王門通|仁王門]]突抜307-1の漢方薬店([[無二膏]]販売)[[雨森氏|雨森敬太郎薬房]]もあるという<ref name="nozue"/>。
川端はこの物語を執筆するために、[[京都市]][[左京区]][[下鴨]]泉川町25番地の武市龍雄の邸宅を借りていた<ref name="nozue">[[野末明]]「『古都』成立考」(『康成・[[森外|鴎外]]―研究と新資料―』審美社、1997年11月)。{{Harvnb|森本・下|2014|p=346,366-367}}</ref><ref name="ibuki">{{Harvnb|伊吹|1997}}</ref>。作品冒頭には[[すみれ]]の花が描かれているが、川端が「[[京言葉]]」を取材するために訪れた[[下京区]][[油小路通|油小路]][[佛光寺]]下ルの[[町屋 (商家)|町家]]の秦家([[漢方薬]]を製造販売した老舗の薬種商)の庭には、作中にも登場する[[キリシタン]]灯籠があり、川端が[[蹲]]の石の間に咲いていたすみれの花に興味をひかれていたという<ref name="noguchi">{{Harvnb|野口|2009}}</ref>。モデルとなった家の庭は他に、京都市[[中京区]][[車屋町通|車屋町]][[三条通|三条]]下[[仁王門通|仁王門]]突抜307-1の漢方薬店([[無二膏]]販売)[[雨森氏|雨森敬太郎薬房]]もあるという<ref name="nozue"/>。


川端は『古都』の連載にあたり、「『古都』とは、もちろん、京都です。ここしばらく私は日本の〈ふるさと〉をたづねるやうな小説を書いてみたいと思つてゐます」と語っている<ref>「『古都』作者の言葉」([[朝日新聞]] 1961年10月4日号)。{{Harvnb|評論5|1982|p=175}}に所収</ref>。主人公・千重子が[[平安神宮]]で[[桜]]を見る場面では、[[谷崎潤一郎]]の『[[細雪]]』からの、「まことに、ここの花をおいて、京洛の春を代表するものはないと言ってよい」という一節が[[オマージュ]]として引用され、[[北山杉]]の村の場面では、同じ[[鎌倉文士]]で懇意だった[[大佛次郎|大仏次郎]]の随筆『京都の誘惑』の一節が引かれ、花や樹木の自然の瑞々しさを綴る描写が多い。
川端は『古都』の連載にあたり、「『古都』とは、もちろん、京都です。ここしばらく私は日本の〈ふるさと〉をたづねるやうな小説を書いてみたいと思つてゐます」と語っている<ref>「『古都』作者の言葉」([[朝日新聞]] 1961年10月4日号)。{{Harvnb|評論5|1982|p=175}}に所収</ref>。主人公・千重子が[[平安神宮]]で[[桜]]を見る場面では、[[谷崎潤一郎]]の『[[細雪]]』からの、「まことに、ここの花をおいて、京洛の春を代表するものはないと言ってよい」という一節が[[オマージュ]]として引用され、[[北山杉]]の村の場面では、同じ[[鎌倉文士]]で懇意だった[[大佛次郎|大仏次郎]]の随筆『京都の誘惑』の一節が引かれ、花や樹木の自然の瑞々しさを綴る描写が多い。

2020年6月18日 (木) 10:50時点における版

古都
The Old Capital
作者 川端康成
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 長編小説
発表形態 新聞掲載
初出情報
初出朝日新聞1961年10月8日号-1962年1月23日号(全107回)
挿絵:小磯良平
刊本情報
刊行 新潮社 1962年6月25日
装幀:石井敦子。口絵:東山魁夷「冬の花」
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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古都』(こと)は、川端康成長編小説古都京都を舞台に、生き別れになった双子の姉妹の数奇な運命を描いた川端の代表作の一つ。京都各地の名所史蹟年中行事が盛り込まれた人気作品であるが[1]、国内より海外での評価の方が高くノーベル文学賞の授賞対象作にもなった[2][3]老舗呉服商の一人娘として育った捨て子の娘が、北山杉の村で見かけた自分の分身のような村娘と祇園祭の夜に偶然出逢う物語。互いに心を通わせながらも同じ屋根の下で暮らせない双子の娘の健気な姿が、四季折々の美しい風景や京都の伝統を背景に、切なく可憐に描かれている。

川口松太郎脚色で新派で舞台化され、これまで2度映画化されている。

発表経過

朝日新聞』に1961年(昭和36年)10月8日から翌1962年(昭和37年)1月23日まで、107回にわたって連載された(1月2日は休刊)。挿絵は小磯良平が担当[4]。ちなみに、作品連載中の11月3日に川端は文化勲章を授与された[4][5]

その後、会話部分の京都弁を井尻茂子の協力により訂正するなど加筆補正がなされ、「あとがき」を付して同年6月25日に新潮社より単行本刊行された[4]

なお、初出が新聞紙上のため、現代仮名遣いと、漢字新字体の表記に合わせて連載され、単行本の際もそれが踏襲されたが[4]、その後、1970年(昭和45年)5月10日刊行の『川端康成全集第12巻』(全19巻本)に収録の際には、全文、歴史的仮名遣い正字体に戻され、新聞用表記での送り仮名(送り過ぎ)も是正された[4]

翻訳版はドイツ(独題:Kyoto oder Die jungen Liebenden in der alten Kaiserstadt, 1965)やJ・マーティン・ホルマン訳(英題:“The Old Capital”, 1987)をはじめ、イタリア(伊題:Koto, 1968)、フランス(法題:Kyōto, 1971)、中国(中題:古都, 1969 [台北])など世界各国で行われている[6]

あらすじ

京都中京の由緒ある呉服問屋の一人娘の佐田千重子は、両親に愛されて育ったが悩みがあった。それは自分が捨て子ではないのかということだった。両親はその噂を否定し、20年前に祇園さんの夜の下に置かれていたあまりにも可愛い赤ちゃんをさらって逃げてきたんだと千重子には説明していた。

5月のある日、千重子は友達の真砂子と北山杉を見にいった。真砂子は北山丸太の加工の仕事をしている村娘の中に千重子とそっくりな娘を見つけ、千重子に指し示した。

夏、祇園祭の夜、千重子は八坂神社御旅所で熱心に七度まいりをしている見覚えのある娘を見つめた。その娘も千重子に気づくと食い入るように見つめ、「あんた、姉さんや、神さまのお引き合せどす」と涙を流した。娘はあの北山杉の村娘で、名は苗子だった。

2人はお互いの身の上を短く語り合い、とりあえずその場は別れた。苗子は身分の違いを自覚し、千重子を「お嬢さん」と呼んだ。四条大橋のたもとで、西陣織屋の息子で職人の秀男が、苗子を千重子と間違えて声をかけた。千重子が好きな秀男は、自分の考案の柄で をおらしてくれと言って去った。

後日、千重子の家に図案を持ってきた秀男に、千重子は自分に双子の姉妹がいることを告げ、苗子の分も「赤松の山」の帯を織って、届けてくれるように頼んだ。それをきっかけに秀男は苗子に惹かれ始め時代祭に誘った。

一方、千重子の家と同じ問屋の息子で、幼馴染の水木真一の兄・竜助が、経営が傾きかけている千重子の店にやって来て、番頭の裏帳簿を正すためにいろいろと店を手伝ってくれるようになった。竜助の父親は、息子を佐田家に婿養子に出してもいいと申し出て、千重子の父も喜んだ。

苗子は秀男に結婚を申し込まれ、それを千重子に告げた。千重子は賛成するが、苗子は、秀男が千重子の幻を愛していることを知っており、それに自分の存在が公になれば、千重子の家に迷惑がかかると考え、プロポーズを断るつもりだった。千重子は、父も母も苗子を家に引き取ってもいいと言っていることを苗子に告げると、苗子は涙を流して感謝した。そして一泊だけ千重子の家に行くことにした。

冬の夜、千重子と苗子は一緒の床に寝て、幸福な姉妹の時を過ごした。千重子はずっと側にいてくれと言ったが、苗子は今では身分教養も違う2人の身を思い、少しでもお嬢さんの幸せに支障があってはならないと考え、これをたった一度の訪問にして、雪の朝早く、山の村へ帰っていった。

登場人物

佐田千重子
20歳。京都中京にある由緒ある室町通呉服問屋の美しい一人娘。実は店の前に捨てられていた捨て子。やわらかいきれいな手。
佐田太吉郎
50代半ば。千重子の育ての父。呉服問屋を経営。自分でも図案を書く。名人気質で人嫌い。若い頃、才能のなさに悩み麻薬の魔力で、友禅の怪しい抽象絵を描いたこともあるが、今は地味なものしか描けない。商売気がなく、店は番頭に任せているが、商売が傾き気味である。
佐田しげ
50歳。千重子の育ての母。色白で品のいい顔。捨て子ではなく、可愛い赤ん坊の千重子をさらって逃げてきたと娘に嘘を言って、捨子の娘が傷つかないようにしている。
水木真一
20歳。大学生。名刀のような顔だと人に言われる。千重子の幼馴染で高校まで同じだった。千重子を愛する。数えで7歳の時、祇園祭の長刀鉾に稚児姿で乗ったことがある。兄がいる。今でも兄から、「お稚児さん」とからかい半分に呼ばれる。
水木竜助
真一の兄。大学院にいる。英語が堪能。室町の大問屋の長男。近所の問屋の妙な噂を知り、千重子に番頭を調べるように助言する。男っぽい風情。千重子を愛する。
真砂子
千重子の友人。茶道の友達。千重子のことを、「きれいやなあ」とよく言う。恋人がいる。
苗子
20歳。千重子の双子の姉妹。北区中川北山町(北山丸太村)で、伐られた北山杉の加工の仕事をしている貧しい山娘。皮の厚い荒れた手。生まれたての赤ん坊の時に、父親が北山杉の枝打ち中に転落死。母親も早世。今は「村瀬」という家に奉公している。村瀬家は杉山持ち。
大友宗助
50歳くらい。西陣織屋。佐田太吉郎の友人。妻と三人の息子がいる。家族だけで手織をしている。太吉郎を恩人と思っている。
大友あさ子
大友宗助の妻。帯糸を巻く仕事で、年よりも老けている。
大友秀男
大友宗助とあさ子の長男。西陣織のを織っている。親より優れた技術がある。無愛想な職人。濃い眉。千重子を愛する。千重子の父が娘のために描いた図案の帯を織る。秀男自身も千重子のために図案を描いて帯を織るが、その時、千重子から苗子の分も頼まれる。
おかみ
上七軒お茶屋のおかみ。佐田太吉郎の昔の知り合い。お茶屋に20歳の芸者がいる。
ちいちゃん
中学一年。或るお茶屋の娘。おかっぱの毛が美しく黒光りしている。将来の舞妓として期待されている。姉が2人いる。上の姉は来春、中学卒業。先斗町に住む伯母がいる。
芸者
20歳。おかみの茶屋の芸者。いきなりキスをしてきた酔客の舌を噛み拒んだこともあったことを、佐田太吉郎に話すが、その後、太吉郎と再会すると平気で戯れに舌を含み、太吉郎から「あんた、堕落したな」と言われる。
植村
千重子の家(呉服問屋)の番頭。帳簿をごまかしている。
水木
水木竜助と真一の父。室町の大問屋。傾きかけている千重子の店に長男の竜助を婿養子に出して助けようとする。
その他の人々
千重子の家に来る白川女(花売り娘)。千重子がよく買物をする湯葉半(総菜屋)の女。竜村(下河原町の織物屋[7])の店員。バスの中にいた手錠をかけられた若い男。

作品背景

京都滞在

『古都』は全9章からなり、「春の花」「尼寺と格子」「きものの町」は、「北山杉」「祇園祭」は、「秋の色」「松のみどり」「秋深い姉妹」は、「冬の花」は、といったように京都四季を背景に物語が進行する。小説に描かれたのは、1961年(昭和36年)の春から冬にかけての京都であり、実際の年中行事や出来事が盛り込まれている。

川端はこの物語を執筆するために、京都市左京区下鴨泉川町25番地の武市龍雄の邸宅を借りていた[8][9]。作品冒頭にはすみれの花が描かれているが、川端が「京言葉」を取材するために訪れた下京区油小路佛光寺下ルの町家の秦家(漢方薬を製造販売した老舗の薬種商)の庭には、作中にも登場するキリシタン灯籠があり、川端がの石の間に咲いていたすみれの花に興味をひかれていたという[10]。モデルとなった家の庭は他に、京都市中京区車屋町三条仁王門突抜307-1の漢方薬店(無二膏販売)雨森敬太郎薬房もあるという[8]

川端は『古都』の連載にあたり、「『古都』とは、もちろん、京都です。ここしばらく私は日本の〈ふるさと〉をたづねるやうな小説を書いてみたいと思つてゐます」と語っている[11]。主人公・千重子が平安神宮を見る場面では、谷崎潤一郎の『細雪』からの、「まことに、ここの花をおいて、京洛の春を代表するものはないと言ってよい」という一節がオマージュとして引用され、北山杉の村の場面では、同じ鎌倉文士で懇意だった大仏次郎の随筆『京都の誘惑』の一節が引かれ、花や樹木の自然の瑞々しさを綴る描写が多い。

連載中、文化勲章受賞を受けて記者会見した時に、京都を舞台にした動機を川端は以下のように語っていた[12]

古い都の中でも次第になくなってゆくもの、それを書いておきたいのです。京都はよく来ますが、名所旧蹟を外からなでていくだけ。内部の生活は何も知らなかったようなものです — 川端康成「文化勲章の記者会見にて」[12]

なお、川端は洛中に現存する唯一の蔵元佐々木酒造の日本酒に「この酒の風味こそ京都の味」と、作品名『古都』を揮毫した。川端は京大名誉教授桑原武夫に、「古都という酒を知っているか」と尋ね、知らないと答えた桑原にこれを飲ませようと、寒い夜にも関わらず徒歩30分かけて買いに行ったと言われている[13]

睡眠薬

初版刊行本の口絵には、終章と同じ題名の「冬の花」と題する東山魁夷北山杉の図(京洛四季シリーズ)が掲げてあるが、これは東山が、川端の文化勲章受章祝いとして描いたものである[5]。川端は『古都』連載終了を機に長年常用していた睡眠薬を止めようとして、1962年(昭和37年)2月から禁断症状で東大冲中内科に入院していたが、この川端の病室へ東山は「冬の花』を直接持参した[5]。川端は、〈病室で日毎ながめてゐると、近づく春の光りが明るくなるとともに、この絵の杉のみどり色も明るくなつて来た〉と述べている[5]

入院中、10日ほど意識不明であったという川端は、『古都』執筆中のことを以下のように語っている[5]

『古都』執筆期間のいろんなことの記憶は多く失はれてゐて、不気味なほどであつた。『古都』になにを書いたかもよくはおぼえてゐなくて、たしかには思ひ出せなかつた。私は毎日『古都』を書き出す前にも、書いてゐるあひだにも、眠り薬を用いた。眠り薬に酔つて、うつつないありさまで書いた。眠り薬が書かせたやうなものであつたらうか。『古都』を「私の異常な所産」と言ふわけである。 — 川端康成「あとがき」[5]

そして、定まった構想もなく書き始められた作品だったが、〈小さく愛すべき恋物語を書くつもりだつたのが、まつたく意外にも、ふた子の娘の話になつてしまつた〉としている[14]

作品評価・研究

『古都』は、京都という古き伝統が残る地を舞台とし、各地の名所や年中行事絵巻を楽しめる作品でもあり、映画化やドラマ化も多くなされ知名度はあるが、他の代表的川端作品の『雪国』や『山の音』などに比べると、文学的にはあまり本格的論及の対象とはなっていない傾向がある[2]。失われてゆく日本の美をとどめておきたいという、川端自身の創作意図の観点から論じられることが多く、構造的な読みは他の川端作品よりは少ない[2]

三谷憲正は、「すみれ」の可憐さをもつ女性として登場した千重子が、〈北山杉〉の素直さをも同時に合わせ持つイメージとして物語が進行してゆくが、千重子が〈北山杉〉の林の中で、苗子と胎内の双生児のように抱き合った後には、次第に〈〉の力強さを身につけてゆくと解説している[15]

また『古都』は『竹取物語』との類縁を指摘されることもしばしばあり、三谷はそれに関し、千重子の養父「太吉郎」(takitiro)の名は「竹取翁」(taketori okina)のアナグラムであるという学会発表の会場からの指摘を記している[15]。さらに高橋真理は、このアナグラムを敷衍し、「竹取翁」(taketori okina)から、「太吉郎」(takitiro)をマイナスすると、イコール「苗子」(naeko)であることを指摘し、「この二人の人物にまたがるようにtieko(「千重子」)の名はある」と考察している[16]

田村充正は、姉と生き別れ、両親を失った苗子の姿には、幼い頃に両親を失い、おぼろげな姉の記憶しかない川端自身の境遇が投影され、苗子が思慕する会ったことのない姉とは、川端の姉・芳子への「秘められた思慕」であり、姉に会いたかったという苗子の「心情のほとばしり」は、そのまま川端の「心情の真実」であろうと考察し、それが『古都』を「既成のモチーフの借用だけで作られたのではない、川端にとって創作の必然を秘めた作品」にしていると解説している[17]

川端は、『古都』刊行後に執筆した随筆で、〈山が見えない、山が見えない。近ごろ、私は京都の町を歩きながら、声なくさうつぶやいてゐることがある〉[18]、〈山の木はなくなり、山は削りくづされて分譲地になつてしまはないか。自然の美の尊びも、町づくりの美も踏みやぶつてゆく、今の日本人はすさまじい勢ひ、おそろしい力である〉と記して、都市景観の破壊的変化を危惧し[18]、後に東山魁夷『京洛四季』に寄せた序文でも同様のことを述べ、〈京都は今描いといていただかないとなくなります〉と東山にしきりに勧め[19]、〈みにくい安洋館」が建ちはじめて、〈町通りから山が見えなくなつたのである。山の見えない町なんて、私には京都ではない〉という歎きを記している[19]

野口祐子はこういった川端の危機感を踏まえて、川端が『古都』を四季で構成したのは、安易な方法ではなく、時代への批判精神であり、そこで試みたのは、高度経済成長期の日本に対する「ささやかな抵抗」であるとし[10]、川端が東山へ送った言葉を自ら行なった創作が『古都』であったと解説しながら[10]、「『古都』の、時代から遊離したかのごとく感じられる古風な京都イメージと登場人物、そして円環的時間間隔と物語性の欠落は、川端の京都を古都として描き残そうとする使命感のなせるわざだったと言えるだろう」と論じている[10]

呉悦は、『古都』の書かれた当時の急速な近代化の日本社会を鑑み、川端がその流れに反して、主人公の少女たちを「単純」「純潔」に表現し、「少女特有の恥じらい」を溢れさせているとし[20]、他の登場人物も古い土地で代々伝わる家業を守り暮らしている設定であり、その主題の中には、徐々に失われてゆく伝統風景や自然の生命、人間社会への厭世と裏腹の人間愛、近代化の波による過去に対する懐かしさなどが入り混じっていると解説している[20]。そして戦後、世の中の価値観の変動を目の当たりにした川端が述べていた以下の随筆の言葉を引きながら、川端が〈現実を信じない〉結果、「日本の伝統的故郷に対する愛を徹底的に」描き出すことに情熱を傾けたのが『古都』だと論じている[20]

戦争中、殊に敗戦後、日本人には真の悲劇も不幸も感じる力がないといふ、私の前からの思ひは強くなつた。感じる力がないといふことは、感じられる本体がないといふことであらう。敗戦後の私は日本古来の悲しみのなかに帰つてゆくばかりである。私は戦後の世相なるもの、風俗なるものを信じない。現実なるものをあるひは信じない。 — 川端康成「哀愁」[21]

そして呉悦は、川端が『古都』において、「懸命に理想的世界を作り、純粋な人物を登場させているにも関わらず、人物は悲哀に富んだ人生を辿ることから、川端の現実社会に対する失望、不信感が窺える」とし[20]、作中に漂う哀愁や、〈運命〉という言葉の繰り返しは、「変えられない運命に左右される時の作者の感嘆」であり、その後幻想的な世界観の『片腕』を描き、現実からかけ離れた道を辿っていったのは、西欧近代化の波と伝統との葛藤が強まった川端の、「日本の伝統を必死に守ろうにも守りきれなかったという現実に対する無力感の現れ」ではないかと考察しながら[20]新感覚派の旗手として西欧思想を取り入れ欧米に学んだ後に日本伝統回帰を経て、不思議な作品を創出し、最後は自殺してしまった川端自身の運命について言及している[20]

山田吉郎は、川端が巨木を愛していたことから北山杉との関連などに触れつつ、『古都』の物語の深層に「霊界との交信」を看取し[22]、川端の主治医だった栗原雅直が『古都』の双子について、「やはりナルシシスムとは言うものの、見ぬへの空想的な愛情要求の変形としてとることができ、見る自分と見られる自分というの世界、二重身の問題との関連をもつもの」と論じたことに示唆を受けつつ[23]、以下のように心霊的、霊界通信的な要素と絡めて姉妹2人を考察している[22]

本質的なことは、川端が『古都』という作品において、知らず知らずのうちに霊界との交感をおこなっていたということである。北山杉の村には現世と隔絶した霊界の磁場が張られ、その内奥に〈未生〉および〈死後〉の世界がひそんでいた。その霊界からあらわれたかのような苗子は、主人公千重子を北山杉の村へといざない、千重子に〈未生の時〉をかいま見せるのである。こうした現世と霊界との交感を、川端は眠り薬に侵されたうつつない薄明の世界で、何ものかに促されるように書いていったのである。 — 山田吉郎「『古都』の精神構造」[22]

また山田は、作中に見られる〈魔界〉の要素として、北山杉の村に向うバスの中で、手錠をかけられている若い男が千重子に声をかける場面などを指摘している[22]

舞台化

映画化

テレビドラマ化

おもな刊行本

  • 『古都』(新潮社、1962年6月25日) NCID BN04763724
  • 文庫版『古都』(新潮文庫、1968年8月27日。改版2010年1月15日)
  • 豪華限定版『古都』(牧羊社、1973年5月25日)
    • 菊倍判変形枡形本。紅葉装700部限定。松山装350部限定。
    • 装幀・挿画:東山魁夷。付録:東山魁夷「限定本『古都』の造本、装画について」
    • 収録作品:「古都」「あとがき(初版と同じ)」
  • 特装本『古都』(牧羊社、1973年) 限定30部
    • 装幀・木版口絵:東山魁夷。題字:川端康成。自筆表紙絵「光悦垣」
  • 英文版『The Old Capital』(訳:J・マーティン・ホルマン)(Tuttle、1987年)

全集収録

  • 『川端康成全集第12巻 古都・片腕・落花流水』(新潮社、1970年5月10日)
    • カバー題字:松井如流菊判変形。函入。口絵写真2葉:著者小影、木米急須
    • 収録作品:「古都」「片腕」「掌の小説(秋の雨、手紙、隣人、木の上、乗馬服、かささぎ、不死、月下美人、地、白馬、雪)」「落花流水(行燈、伊豆行、枕の草子、秋風高原)」「美智子妃殿下」「岸惠子さんの婚礼」「自慢十話」「『浅草紅団』について」「『雪国』の旅」「週刊日記」「宿駅」「パリ郷愁」「パリ安息」「ブラジルペン大会」「字のことなど」「美しい地図」
  • 『川端康成全集第18巻 小説18』(新潮社、1980年3月20日)

脚注

  1. ^ 山本健吉「解説」(古都文庫 2010, pp. 271–278)
  2. ^ a b c 上田渡「古都」(事典 1998, pp. 153–155)
  3. ^ 「第9章 抱擁する『魔界』――たんぽぽ」(富岡 2015, pp. 199–224)
  4. ^ a b c d e 「解題――古都」(小説18 1980, pp. 588–589)
  5. ^ a b c d e f 川端康成「あとがき」(『古都』新潮社、1962年6月)。古都12巻 1970古都文庫 2010, pp. 267–270再録。評論5 1982, pp. 660–662に所収
  6. ^ 「翻訳書目録」(雑纂2 1983, pp. 649–680)
  7. ^ 現:京都市中京区の株式会社龍村美術織物
  8. ^ a b 野末明「『古都』成立考」(『康成・鴎外―研究と新資料―』審美社、1997年11月)。森本・下 2014, p. 346,366-367
  9. ^ 伊吹 1997
  10. ^ a b c d 野口 2009
  11. ^ 「『古都』作者の言葉」(朝日新聞 1961年10月4日号)。評論5 1982, p. 175に所収
  12. ^ a b 塚田満江「『古都』うらおもて」(作品研究 1969, pp. 308–323)
  13. ^ 桑原武夫「川端康成氏との一夕」(文藝春秋 1972年6月号)
  14. ^ 「『古都』を書き終えて」(朝日新聞 1962年1月29日-31日号)。古都12巻 1970評論5 1982, pp. 180–086に所収
  15. ^ a b 三谷 1995
  16. ^ 高橋 2001
  17. ^ 田村充正「川端文学、美の反響――『古都』秘められた亡き姉への思慕」(太陽 2009, pp. 132–133)
  18. ^ a b 「自慢十話・町づくり」(毎日新聞 1962年8月7日号)。古都12巻 1970随筆3 1982, pp. 158–179に所収
  19. ^ a b 「都のすがた――とどめおかまし」(東山魁夷『京洛四季』序文)(1969年)。随筆3 1982, pp. 508–533、一草一花 1991, pp. 229–238に所収
  20. ^ a b c d e f 呉悦 2011
  21. ^ 「哀愁」(社会 1947年10月号)。『哀愁』(細川書店、1949年12月)、随筆2 1982, pp. 388–396、随筆集 2013に所収
  22. ^ a b c d 山田吉郎「『古都』の精神構造」(『川端康成研究叢書8』教育出版センター、1980年11月)。森本・下 2014, pp. 368–369, 566
  23. ^ 栗原雅直『川端康成―精神医学者による作品分析―』(中央公論社、1982年4月。中公文庫、1986年5月)。森本・下 2014, p. 369
  24. ^ “松雪泰子が橋本愛と成海璃子の母親演じる「古都」、川端康成の小説を現代にアレンジ”. 映画ナタリー. (2016年6月15日). http://natalie.mu/eiga/news/190894 2016年6月15日閲覧。 
  25. ^ 松雪泰子が橋本愛と成海璃子の母親演じる「古都」、川端康成の小説を現代にアレンジ(2016年6月15日)、映画ナタリー、2016年10月7日閲覧。
  26. ^ “松雪泰子主演「古都」、文部科学省特別選定作品に決定!”. 映画.com (株式会社エイガ・ドット・コム). (2016年8月26日). https://eiga.com/news/20160826/5/ 2018年10月30日閲覧。 

参考文献

関連項目

外部リンク