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「軍医総監」の版間の差分

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2020年6月18日 (木) 10:36時点における版

軍医総監は、大日本帝国陸軍大日本帝国海軍における階級の一つで、軍医官の最高位。のちに軍医中将と改称された。

また、アメリカ合衆国の陸軍・海軍・空軍における役職であるSurgeon Generalの訳語としても「軍医総監」が用いられる。

本記事では、階級としての軍医総監(軍医中将)について主に述べ、あわせて役職であるSurgeon Generalの訳語としての軍医総監についても述べる。

階級としての軍医総監

概説

帝国陸軍・帝国海軍のいずれにおいても、創設以来、軍医官の最高階級は軍医総監であった。当初の軍医総監が少将相当官(高等官二等)であり、明治30年代に中将相当官の軍医総監(高等官一等)と少将相当官の軍医監(高等官二等)に分かれたのも同じである。軍医総監(高等官一等)は、帝国陸軍においては1937年(昭和12年)に、帝国海軍においては1921年(大正10年)にそれぞれ軍医中将に改称され、1945年(昭和20年)の敗戦に至った。

陸海軍いずれにおいても、最先任の軍医総監(軍医中将)が、陸軍省海軍省)医務局長に補されるのが原則であった。

陸軍軍医総監

石黒忠悳が「陸軍軍医総監(中将相当)」に任命された際の辞令書 (明治30年4月8日)

当初、陸軍軍医総監は少将相当官とされていたが、1897年(明治30年)3月19日に従来の軍医総監(少将相当官)は軍医監(少将相当官)とされ、新たに軍医総監(中将相当官)が設けられた(明治30年勅令第35号)。

帝国陸軍において、将校の呼称は兵科のみに適用されており、各部(経理部・衛生部・獣医部など)は「将校相当官」と称され、階級名も将校と将校相当官で異なっていた[1]。軍医部について上から記すと、将官相当官が軍医総監・軍医監、上長官(佐官)が一等軍医正・二等軍医正・三等軍医正、士官(尉官)が一等軍医・二等軍医・三等軍医であった[1]

1937年(昭和12年)2月15日付の「勅令第十二号 陸軍武官官等表別表の通定む」、同日付の「軍令 朕陸軍武官の官等、陸軍兵の等級等に関する件を制定し之が施行を命ず」により、「将校相当官」は「各部将校」に改められ、階級名も将校と同じ形式のものに改訂された。これにより、陸軍軍医総監は陸軍軍医中将に改称された。

軍医総監任官者

氏名 任官日 主な補職 備考
陸軍軍医総監(少将相当)
松本良順 明治6年5月20日 陸軍軍医本部長 男爵
林紀 明治12年10月15日 陸軍軍医本部長
石黒忠悳 明治23年10月7日 陸軍省医務局長 男爵
石阪惟寛 明治27年8月30日 陸軍省医務局長
佐藤進 明治28年2月22日 広島予備病院長 男爵。順天堂医院院長。
土岐頼徳 明治28年4月21日 第2軍軍医部長
足立寛 明治28年7月23日 陸軍省医務局長心得
陸軍軍医総監(中将相当)
石黒忠悳 明治30年4月8日 子爵。明治30年4月新設の総監に進級
橋本綱常 明治38年2月6日 陸軍省医務局長 医学博士男爵
小池正直 明治38年6月5日 陸軍省医務局長 医学博士男爵、東大で森鴎外と同期生
佐藤進 明治38年6月5日 広島予備病院長 医学博士男爵。順天堂医院院長。
菊池常三郎 明治40年3月2日 第4師団軍医部長 医学博士
森林太郎 明治40年11月13日 陸軍省医務局長 医学博士、文学博士、作家名は森鷗外
藤田嗣章(つぐあきら) 大正元年9月28日 朝鮮総督府医院長 画家藤田嗣治の父
中館長三郎 大正3年8月8日 第4師団軍医部長
平井政遒 大正4年1月25日 赤十字病院長
芳賀栄次郎 大正4年2月15日 京城医学専門学校長 医学博士
大西亀次郎 大正4年12月23日 第3師団軍医部長
鶴田禎次郎 大正5年4月13日 陸軍省医務局長
佐藤恒丸 大正11年5月10日 朝鮮駐剳軍軍医部長 医学博士
山田弘倫 大正11年5月10日 陸軍省医務局長 医学博士
岩田一 大正12年8月6日 陸軍軍医学校長 医学博士
牧田太 大正12年8月6日 朝鮮軍軍医部長
飯島茂 大正13年12月15日 陸軍軍医学校長
秋山錬造 大正13年12月15日 陸軍軍医学校長
中村緑野 大正14年5月1日 関東軍軍医部長
鳥居百三 昭和3年3月8日 朝鮮軍軍医部長
西沢行蔵 昭和3年3月8日 陸軍軍医学校部員 医学博士
岩崎小四郎 昭和3年12月21日 関東軍軍医部長 医学博士
合田平 昭和4年8月1日 陸軍省医務局長
石川清人 昭和5年8月1日 朝鮮軍軍医部長
岡本隆一 昭和5年8月1日 第6師団軍医部長
一木儀一 昭和6年8月1日 陸軍軍医学校長
宮崎弘隣 昭和6年8月1日 関東軍軍医部長
小山憲佐 昭和7年8月1日 陸軍軍医学校長 医学博士
伊藤賢三 昭和8年3月18日 関東軍軍医部長
弘岡道明 昭和8年8月1日 朝鮮軍軍医部長
小泉親彦 昭和9年3月5日 厚生大臣 昭和12年中将に
藤波正 昭和9年3月5日 日本赤十字社附属病院副院長 昭和9年3月5日予備役
小池正晁 昭和10年8月1日 朝鮮軍軍医部長 陸軍軍医総監、医学博士、男爵小池正直の長男
出井淳三 昭和11年3月7日 関東軍軍医部長
梶井貞吉 昭和10年8月1日 第5方面軍軍医部長 昭和19年6月中将
藤懸広 昭和11年8月1日 第14師団軍医部長 昭和11年8月28日予備役
石黒大介 昭和11年8月1日 関東軍軍医部長 昭和11年8月28日予備役
法貴六郎 昭和11年8月1日 第4師団軍医部長 昭和11年8月28日予備役
寺師義信 昭和11年12月1日 陸軍軍医学校長
陸軍軍医中将
小泉親彦 昭和12年2月15日 厚生大臣
三木良英 昭和12年3月1日 陸軍軍医学校長 医学博士
高木小三郎 昭和12年11月1日 第1師団軍医部長
田辺文四郎 昭和12年11月1日 第1師団軍医部長 医学博士
越川彰 昭和13年3月1日 東京第1衛戍病院長
笹井秀恕 昭和13年7月15日 第3師団軍医部長
斉藤干城 昭和14年3月9日 関東軍軍医部長
山本順市 昭和14年8月1日 朝鮮軍軍医部長 医学博士
桃井直幹 昭和15年3月9日 支那派遣軍軍医部長
松浦光清 昭和15年3月9日 支那派遣軍軍医部長 医学博士
名和克巳 昭和15年8月1日 臨時東京第1陸軍病院長
梶塚隆二 昭和15年8月1日 関東軍軍医部長 医学博士
押火権太郎 昭和16年8月25日 香港陸軍病院長
安藤快平 昭和16年8月25日 ハルピン第1陸軍病院長
小宮山友則 昭和16年8月25日 第4軍軍医部長 医学博士
青木九一郎 昭和16年10月15日 南方軍軍医部長
神林浩 昭和16年11月6日 陸軍省医務局長 医学博士
梛野巌 昭和17年4月1日 南方軍軍医部長 医学博士
井深健次 昭和17年4月1日 陸軍軍医学校長 医学博士
原田豊 昭和17年12月1日 臨時東京第1陸軍病院長 医学博士
田中巌 昭和19年3月1日 第2総軍軍医部長 医学博士
中嶌晴彦 昭和19年3月1日 第14方面軍軍医部長
伊吹月雄 昭和19年6月27日 第1総軍軍医部長
梶井貞吉 昭和19年6月27日 第5方面軍軍医部長 予備役
村上徳治 昭和19年6月27日 新京第1陸軍病院長 医学博士
細見憲 昭和19年6月27日 第7方面軍軍医部長 医学博士
上原慶 昭和19年6月27日 第8方面軍軍医部長 医学博士
後藤鐐枝 昭和19年10月26日 南京第1陸軍病院長
進藤升 昭和19年10月26日 朝鮮軍管区軍医部長 兼 第17方面軍軍医部長
石井四郎 昭和20年3月1日 関東軍防疫給水部長 医学博士
渡辺甲一 昭和20年3月1日 陸軍省医務局長(代理) 兼 陸軍軍医学校長(代理) 医学博士
嘉悦三毅夫 昭和20年4月30日 ハルピン第1陸軍病院
植林昌四郎 昭和20年4月30日 第5方面軍軍医部長兼北部軍管区軍医部長 医学博士
北野政次 昭和20年4月30日 第13軍軍医部長 医学博士
菊池信雄 昭和20年4月30日 北支那方面軍軍医部長
堀内清真 昭和20年4月30日 西部軍管区軍医部長 兼 第16方面軍軍医部長 医学博士

海軍軍医総監

1919年(大正8年)9月22日、海軍軍医総監は海軍軍医中将に改称された(大正8年勅令第427号)。

軍医総監任官者

氏名 任官日 主な補職 備考
海軍軍医総監(少将相当)
戸塚文海 明治9年12月18日 海軍省医務局長
高木兼寛 明治18年12月28日 海軍衛生部長 医学博士男爵
実吉安純 明治25年8月6日 海軍省医務局長 医学博士子爵
加賀美光賢 明治26年5月26日 海軍軍医学校長
河村豊洲 明治30年12月28日 呉病院長
豊住秀堅 明治33年1月4日 海軍軍医学校長
吉田貞準 明治34年7月4日 呉病院長
三田村忠国 明治34年9月15日 呉鎮守府医務部長
戸塚環海 明治35年5月27日 佐世保病院長
山本景行 明治37年9月1日 呉病院長
鶴田鹿吉 明治38年11月2日 呉病院長
芳村晋 明治38年11月2日 佐世保病院長
石黒宇宙治 明治39年7月6日 舞鶴病院長
本多忠夫 明治39年11月24日 海軍省医務局長 医学博士
太田弥太郎 明治41年8月28日 佐世保病院長
戸祭文造 明治43年4月1日 横須賀病院長
斎藤有記 明治43年12月1日 佐世保病院長
桑原荘吉 明治44年6月5日 呉病院長
石原純固 明治45年4月20日 舞鶴病院長
武田正守 大正元年12月1日 旅順病院長
臼井宏 大正2年12月1日 呉病院長
中尾太一郎 大正3年12月1日 海軍軍医学校教頭
海軍軍医総監(中将相当)
実吉安純 明治32年2月21日 海軍省医務局長 医学博士 大正8年9月23日軍医中将
河村豊洲 明治35年5月27日 呉病院長 大正8年9月23日軍医中将
鈴木孝之助 明治40年2月14日 旅順口病院長 医学博士 大正8年9月23日軍医中将
木村壮介 明治44年6月5日 海軍省医務局長 大正8年9月23日軍医中将
鶴田鹿吉 明治44年12月1日 呉病院長
鈴木重道 明治45年2月3日 横須賀病院長 大正8年9月23日軍医中将
本多忠夫 大正2年12月1日 海軍省医務局長 医学博士 大正8年9月23日軍医中将
戸祭文造 大正4年12月13日 横須賀病院長 大正8年9月23日軍医中将
矢部辰三郎 大正6年12月1日 横須賀病院長 大正8年9月23日軍医中将
海軍軍医中将
鈴木裕三 大正10年12月1日 海軍省医務局長
大石繁吉 大正10年12月1日 横須賀病院長
西勇雄 大正11年6月1日 海軍軍医学校長
吉河為久蔵 大正12年12月1日 呉病院長
平野勇 大正12年12月1日 海軍省医務局長
鈴木寛之助 大正14年4月22日 横須賀病院長 医学博士
雨宮量七郎 大正14年12月1日 海軍省医務局長 医学博士
大貫安三 昭和2年12月1日 海軍省医務局長
小川龍 昭和3年12月10日 海軍省医務局長
国府田 中 昭和7年12月1日 海軍省医務局長
高杉新一郎 昭和8年11月15日 海軍省医務局長 医学博士
福島久之 昭和9年11月15日 横須賀病院長
伏島忠雄 昭和10年11月15日 横須賀病院長
田中朝三 昭和12年12月1日 海軍軍医学校長 医学博士
向山美弘 昭和12年12月1日 海軍軍医学校長
長田勝芳 昭和13年11月15日 横須賀病院長 医学博士
菅原佐平 昭和13年11月15日 呉病院長 医学博士
中野太郎 昭和14年11月15日 海軍省医務局長
田中肥後太郎 昭和14年11月15日 海軍省医務局長 医学博士
保利信明 昭和16年10月15日 海軍省医務局長
高城喬 昭和17年11月1日 横須賀病院長
若生良穂 昭和17年11月1日 横須賀病院長 医学博士
田川資造 昭和17年11月1日 呉病院長 医学博士
高田六郎 昭和18年4月18日 連合艦隊軍医長 医学博士 戦死
神林美治 昭和18年11月1日 海軍軍医学校長 医学博士
竹雅進平 昭和18年11月1日 戸塚病院長
福井信立 昭和18年11月1日 呉病院長 医学博士
菅田直樹 昭和19年5月1日 舞鶴病院長
石黒芳雄 昭和19年5月1日 佐世保病院長 医学博士
松本暢 昭和19年5月1日 佐世保病院長 医学博士
須藤巌 昭和19年12月28日 第101病院長 医学博士 戦死
田辺優 昭和20年5月1日 賀茂衛生学校長
大須賀都美次 昭和20年5月1日 横須賀工廠医務部長 医学博士
杉本豊松 昭和20年5月1日 呉工廠医務部長
鏑木喜平 昭和20年5月1日 別府病院長 医学博士
今田以武生 昭和20年5月1日 佐世保工廠医務部長

役職としての軍医総監

アメリカ合衆国の陸海空軍にはSurgeon Generalという役職があり「軍医総監」と和訳される。陸軍は陸軍軍医総監(Surgeon General of the United States Army)、海軍に海軍軍医総監(Surgeon General of the United States Navy)、空軍に空軍軍医総監(Surgeon General of the United States Air Force)である。

日本の陸海空自衛隊には、アメリカ合衆国の陸海空軍のSurgeon Generalと同様の役職として、陸上幕僚監部に衛生部長、海上幕僚監部及び航空幕僚監部にそれぞれ首席衛生官が置かれている。

その他

アメリカ合衆国の保健福祉省公衆衛生局の実務上の長は Surgeon General of the United States であり[2]アメリカ公衆衛生局士官部隊中将(Vice Admiral)の階級を持つ[注釈 1]。この役職はアメリカの公衆衛生行政で中心的な役割を果たしており、「医務総監」と和訳される[2]。2017年に日本の厚生労働省に新設された医務技監[3]、これに範をとったものである[2]

脚注

注釈

  1. ^ 長は保健福祉省保健担当次官補(en:Assistant Secretary for Health)で、大将(Admiral)の階級を持つことがある。

出典

  1. ^ a b 秦 2005, pp. 710–711, 第5部 陸海軍用語の解説-か-階級(陸軍)
  2. ^ a b c 厚労省が次官級「医務総監」ポスト創設へ 保健医療の司令塔として国際展開や危機管理で閣僚らをサポート”. 産経新聞. 2019年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月18日閲覧。
  3. ^ 省庁の幹部人事決定 厚生次官に蒲原氏”. 日本経済新聞 (2017年7月4日). 2019年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月18日閲覧。

参考文献