コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「余華」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 鄧小平への記事名変更に伴う変更 - log
81行目: 81行目:
6歳の時に文化革命が始まり、文化大革命を通して大人たちの武力戦争を目の当たりにした。こうした体験は明らかに、後の創作に影響を与えている<ref>{{Cite book|和書|author=飯塚容|title=作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?|publisher=中央公論新社|isbn=9784120050930|page=110}}</ref>。
6歳の時に文化革命が始まり、文化大革命を通して大人たちの武力戦争を目の当たりにした。こうした体験は明らかに、後の創作に影響を与えている<ref>{{Cite book|和書|author=飯塚容|title=作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?|publisher=中央公論新社|isbn=9784120050930|page=110}}</ref>。


1963年本格的に毛沢東の思想学習運動が盛んになり、ほぼ全国にわたって"毛沢東思想"を絶対化した毛沢東個人の権威を強化した政治、思想運動。これにより知識人、文学、芸術界の周楊らが批判された。その後紅衛兵運動が爆発的に広がり、1966年に[[文化大革命]]開始し、劉少奇が主席となる。1967年[[劉少奇]]、[[トウ小平|鄧小平]]は失脚<ref>{{Cite book|和書|author=飯塚容|title=作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?|publisher=中央公論新社|isbn=9784120050930|page=101}}</ref>。
1963年本格的に毛沢東の思想学習運動が盛んになり、ほぼ全国にわたって"毛沢東思想"を絶対化した毛沢東個人の権威を強化した政治、思想運動。これにより知識人、文学、芸術界の周楊らが批判された。その後紅衛兵運動が爆発的に広がり、1966年に[[文化大革命]]開始し、劉少奇が主席となる。1967年[[劉少奇]]、[[鄧小平]]は失脚<ref>{{Cite book|和書|author=飯塚容|title=作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?|publisher=中央公論新社|isbn=9784120050930|page=101}}</ref>。


1969年  [[林彪事件]](林彪党副主席がクーデターに失敗し逃亡中に墜落死)
1969年  [[林彪事件]](林彪党副主席がクーデターに失敗し逃亡中に墜落死)

2020年6月17日 (水) 21:34時点における版

余華
2005年にシンガポールで行われた作家の集会にて。
誕生 (1960-04-03) 1960年4月3日(64歳)
中華人民共和国の旗 中国浙江省杭州市[1]
言語 中国語
国籍 中華人民共和国の旗 中国
ジャンル 小説エッセイ
代表作 『活きる』
『兄弟』
主な受賞歴 グリンザーネ・カヴール賞1998年
芸術文化勲章フランス2004年
第1回中華図書特殊貢献賞(2005年
テンプレートを表示
余華
職業: 作家
各種表記
繁体字 余華
簡体字 余华
拼音 Yú Huá
テンプレートを表示

余華(ユイ・ホア、Yu Hua、1960年4月3日- )は中華人民共和国の作家である。

経歴

1960年、浙江省杭州市に生まれる。父親は浙江省防疫ステーションの医師、母親は浙江医院の看護師だった[2]

父親が外科医として同じ浙江の小さな町・海塩の病院に赴任したため、1962年に母親、兄とともに海塩に移り住む。幼いころからホルマリンとアルコールの匂いに親しみ、血まみれになって手術室から出てくる父親の姿を目にして育った[3]

夏は涼しい病院の霊安室を遊び場にしていた。幼少期に社会の文化革命の変動を経験する[4]

6歳の時に文化革命が始まり、文化大革命を通して大人たちの武力戦争を目の当たりにした。こうした体験は明らかに、後の創作に影響を与えている[5]

1963年本格的に毛沢東の思想学習運動が盛んになり、ほぼ全国にわたって"毛沢東思想"を絶対化した毛沢東個人の権威を強化した政治、思想運動。これにより知識人、文学、芸術界の周楊らが批判された。その後紅衛兵運動が爆発的に広がり、1966年に文化大革命開始し、劉少奇が主席となる。1967年劉少奇鄧小平は失脚[6]

1969年  林彪事件(林彪党副主席がクーデターに失敗し逃亡中に墜落死)

1976年1月 周恩来死去。

1976年6月 天安門事件。 中国,北京の天安門前広場で,故周恩来総理に供えられた花輪の撤去をめぐって民衆と当局側が衝突した事件。1976年1月8日に病死した周恩来を追悼する民衆が,清明節にあたる4月5日天安門前広場に多数の花輪を捧げたのに対して、当局側がこれを撤去しようとして衝突が起こり、死傷者と逮捕者が出た。

1976年9月 毛沢東死去。 「四人組」(江青・毛沢東夫人を中心に王洪文党副主席,張春橋党政治局常務委員兼副首相,姚文元政治局委員)がこの事件を政治的に利用し,鄧小平の失脚をはかったとされた[7]

1977年海塩中学卒業後。大学入試に失敗した余華は、1年間の研修を経て、町の診療所の歯科医となった[8]

しかし、この仕事は性に合わず、1983年に海塩県文化館に職を得て、文学創作を始める。文学雑誌『西湖』の1983年に掲載された『第一宿舎』が処女作である[9]

いくつかの短篇を発表したのち、『北京大学』1987年一期に掲載された『十八歳の旅立ち』(原題『十八歳出門遠行』)が出世作となった。この作品は、理不尽な世の中を初めて知った少年の姿を象徴的に描いている。この作品の転換には、フランツ・カフカの影響があった。その後は、中編小説を続々と発表した[10]

夢と現実、常識と非常識、正気と狂気、さらには生と死の境界を超越して、人の世の不確実性を描くところに余華の持ち味が出ていた[11]

余華は従来のリアリズムを基調とする中国文学に反抗し、実験的な構成と文体による小説を書き始めた。手法的には外国文学の影響を受けて、伝統的なリアリズムの枠組みを打ち壊した新しさと実験性があったので、同時的に登場した他の若手作家、蘇童格非 らとともに「先鋒派」と呼ばれた[12]

1991年に発表した初の長編『雨に呼ぶ声』は、少年の断片をつなげた合わせた構成で、「先鋒派」時代の集大成とも言うべき幻想的な作品だった[13]

1988年から1991年にかけて、北京師範大学と魯迅学院が共通した創作研究生班で文学を学んだ。在学中にはいくつかの中短編集を出す。在学中、若い作家を対象とするこの講習会で、莫言ら仲間との交流があった。また、ここで知り合った陳虹(空軍政治部文芸工作団所属)と1992年に結婚し、北京に定住するようになった[14]

1989年から浙江省嘉興市文聯(文学芸術界聯合会)の所属となっていたが、1993年にはその職も辞任し、創作に専念することになる。この間の主要な作品は、二冊の中短編小説集『十八歳の旅立ち』(作家出版、1989年)、『アクシデント』(原題『偶然事件』、花城出版社、1991年)なまとめられている。また、「先鋒派」時代をしめくくる作品として、長編『雨に呼ぶ声』(原題『在細雨中呼換』、『収穫』1991年六期)がある[15]

作家を志した理由は、小学・中学生期に毛沢東選集と魯迅文集を読んだことだと述べている[16]

1991年、『雨に呼ぶ声』で長編デビュー。1992年に『活きる』がベストセラーとなり、その次に姉妹編と言うべき小説となる『血を売る男』が発表された。その後、余華は寡作になり、散々、隋筆、評論を中心に活動する時期が続いた[17]

2005年、約10年ぶりに発表されたのが「『兄弟』だった。悲惨な生活を描きながらも、作品の基調な決して暗くないため、庶民の圧倒的な支持を受け、この作品も上下巻合わせて100万部を超える売れ行きとなった[18]

チャン・イーモウ監督で映画化もされ話題となった。2005年には文化大革命から開放経済まで描いた『兄弟』が再びベストセラーとなり、2008年に来日した[19]

エッセイ集『ほんとうの中国人の話をしよう。』では、この本の邦訳刊行によって余華は日本において、小説家としてだけでなく、時事問題だとについて積極的に発現する作家として認識されるようになった[20]

長編小説『死者たちの七日間』は、そのエッセイ集が言及していた現代の中国社会の諸問題を反映している。1971年に日本で出版された「中国では書けない中国の話』は、『ほんとうの中国の話をしよう』の続編と言える。全世界に先駆けての出版となった[21]

国作家協力第九年度全国委員会委員を務める[22]

著書

  1. 『活きる』 - 1992年出版。2002年に飯塚容訳で角川書店から出版、のち2018年に中公文庫。一庶民の苛酷な運命を書きつつも、叙述は淡々として読みやすい。主人公は国共内戦、土地改革、大躍進、文革の時代を生き抜く。
  2. 『兄弟』 - 2005年出版。2008年に泉京鹿訳で文藝春秋から出版、のち文庫。親の再婚によって義理の兄弟になった2人の男が進んだ対照的な人生を描く。前半と後半の2部作であり、前半はこの兄弟の少年時代の話で、文化大革命機を背景にしていることから、邦訳では「文革編」と名付けられた。地無し出身という理由で父親は身柄を拘束され、母親は病気で入院してし、二人は飢えに苦しみながら生き延びる。結局、父親はリンチを受けて殺され、母親も夫を埋葬した後で息絶えて、兄弟は身寄りを失ってしまう。
  3. 『ほんとうの中国の話をしよう』 - 2012年に飯塚容訳で河出書房新社にて出版されたエッセイ集。のち文庫。なお六四天安門事件に言及している為、中国本土では未刊行。10個のキーワードを通して、半世紀にわたる中学の歩みと社会問題、中国人の国民性を語ったもの[23]
  4. 『血を売る男』 - 2013年に飯塚容訳で河出書房新社にて出版。『活きる』の姉妹編と言うべき小説。製糸工場の労働者が人生の節目ごとに血を売って金を稼ぎます、結婚し子供を育てていく。
  5. 『死者たちの七日間』 - 2014年に飯塚容訳で河出書房新社にて出版。不慮の死に見舞われた主人公は、この世とあの世の間をさまよいながら、自身の生活の秘密、養父との深い絆、妻との出会いと別れを思い起こす。生死の境を超越した作品。
  6. 「中国では書けない中国の話し』 - 2017年に飯塚容訳で河出書房新社にて出版。海外メディアのために書いたエッセイ集で、世界に先駆けて、中国語版よりも早く、日本で刊行された。全28篇のうち、半作以上を占める17篇は「ニューヨーク・タイムズ」に掲載されている。いずれも短文ながら、中国問題の現状分析は的確である。話題は、政治・経済・社会制度など、多方面に及ぶ[24]

受賞

脚注

  1. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、2018年6月25日、89頁。ISBN 9784120050930 
  2. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、89頁。ISBN 9784120050930 
  3. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、89頁。ISBN 9784120050930 
  4. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、92頁。ISBN 9784120050930 
  5. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、110頁。ISBN 9784120050930 
  6. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、101頁。ISBN 9784120050930 
  7. ^ 森岡優紀『歴史の周緑から先鋒派作家格非・蘇童・余華の小説論』(初版)株式会社東方書店、2016年11月10日、160-164頁。ISBN 9784497216113 
  8. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、104頁。ISBN 9784120050930 
  9. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、145頁。ISBN 9784120050930 
  10. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、150頁。ISBN 9784120050930 
  11. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、151頁。ISBN 9784120050930 
  12. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、2018年6月25日、151頁。 
  13. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、2018年6月25日、152頁。ISBN 9784120050930 
  14. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、2018年6月25日、153頁。ISBN 9784120050930 
  15. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、2018年6月25日、162頁。ISBN 9784120050930 
  16. ^ 余华做客暨大:80后压力空前 我对你们充满尊敬
  17. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、162頁。ISBN 9784120050930 
  18. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、163頁。ISBN 9784120050930 
  19. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、165頁。ISBN 9784120050930 
  20. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、165頁。ISBN 9784120050930 
  21. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、170頁。ISBN 9784120050930 
  22. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社、89-93頁。ISBN 9784120050930 
  23. ^ 書評:ほんとうの中国の話をしよう[著]余華
  24. ^ 飯塚容『作家たちの愚かしくも愛すべき中国―なぜ、彼らは世界に発信するのか?』中央公論新社。ISBN 9784120050930 

外部リンク