「安蘇の川原」の版間の差分
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2020年4月25日 (土) 09:59時点における版
安蘇の川原(あそのかわら)は奈良・平安期の地名[1]であり、下野国の歌枕[2]。慈覚大師ゆかりの川原でもある。
概要
万葉集に見える、《しもつけぬあそのかわらよ》の東歌以降、「安蘇の川原」は歌枕として和歌に用いられて来た[3]。
安蘇の川原の所在地は、下野国安蘇郡安蘇郷を流れ、越名付近で沼へ合流していた[要出典]現在の栃木県佐野市内の秋山川の川原に存在したとする見解がある[1][2][3][4][5]。
平安時代に詠まれた川颪の語句から、 風上付近に山のない北西から南東方向に流れる川の川原とされる。[要出典]
一方で安蘇の川原とは、この地域を流れる主要な河川のいずれかの川原であり、安蘇郷を意味するものではないとされているという理解を示す見解や[6]、その所在地は明らかでないとする見解[7][8]、秋山川ではなく渡良瀬川[5]や利根川本流[9]だとする見解もある。
また、栃木県佐野市内の秋山川沿いにある、旧田沼高校付近にある唐沢橋や惣宗寺付近には安蘇の川原を詠んだ歌碑が現存している[4][5]。
安蘇の川原を詠んだ歌
出典
- ^ a b c 『古代地名大辞典 本編』60ページ
- ^ a b 『和歌の歌枕・地名大辞典』75ページ
- ^ a b c 『角川日本地名大辞典 9 栃木県』81ページ
- ^ a b c “栃木県内にも「万葉集」ゆかりの地 佐野の各所に歌碑アピール活用検討”. 産経新聞. (2019年4月12日) 2020年4月10日閲覧。
- ^ a b c d “【「万葉集」ふるさと紀行】秋山川(佐野) 本心迫る恋心 情熱的な「相聞」”. 産経新聞. (2019年5月4日) 2020年4月10日閲覧。
- ^ 『栃木県の地名』60ページ
- ^ 『帝国地名辞典 上巻』49ページ
- ^ 『安蘇郡勢概要』66ページ
- ^ 『東歌大伴集読本』100ページ
- ^ a b 『安蘇郡誌』78ページ
- ^ a b 『大日本地名辞書 下巻 二版』3409ページ