「歴史修正主義」の版間の差分
m →概要: 改行調整 |
→概要: 同一人物による見解は1か所に集約、「議論」の節を独立 |
||
11行目: | 11行目: | ||
また第二次世界大戦後にはアメリカで行われた、アメリカの[[自由]]・[[人権]]への貢献を強調する[[歴史学#歴史観|歴史観]]を再検討し、アメリカにおける[[マイノリティ]]集団の歴史的意義に注目する動きが歴史修正主義と呼ばれていた<ref>歴史学研究会編,2000年『歴史における「修正主義」』青木書店、ISBN 4250200213。{{要ページ番号|date=2017-10}}</ref>。 |
また第二次世界大戦後にはアメリカで行われた、アメリカの[[自由]]・[[人権]]への貢献を強調する[[歴史学#歴史観|歴史観]]を再検討し、アメリカにおける[[マイノリティ]]集団の歴史的意義に注目する動きが歴史修正主義と呼ばれていた<ref>歴史学研究会編,2000年『歴史における「修正主義」』青木書店、ISBN 4250200213。{{要ページ番号|date=2017-10}}</ref>。 |
||
== 議論 == |
|||
[[岩崎稔]]/[[シュテフィ・リヒター]]によれば、「『[[修正主義]]』は、もともとかつての[[社会主義]]運動のなかで、正統的な教義や見解を逸脱した一派に貼りつける[[レッテル]]として用いられたものだった。それが、社会主義の教義ではなく、歴史の解釈をめぐって用いられるようになったのは、厳密に言えば、[[ナチスドイツ]]の行った行為をヨーロッパ現代史のなかでとのように理解するのかという点で、[[A・J・P・テイラー|テイラー]]や[[フリッツ・フィッシャー (歴史学者)|フィッシャー]]が1960年代に引き起こした論争的な議論に端緒を発している。」という<ref>[[岩崎稔]]/[[シュテフィ・リヒター]]「歴史修正主義-一九九〇年以降の位相」『岩波講座 アジア・太平洋戦争 1 なぜ、いまアジア太平洋戦争か』[[岩波書店]]、2005年11月8日 第1刷発行、ISBN 4-00-010503-5、359頁。</ref>。 |
[[岩崎稔]]/[[シュテフィ・リヒター]]によれば、「『[[修正主義]]』は、もともとかつての[[社会主義]]運動のなかで、正統的な教義や見解を逸脱した一派に貼りつける[[レッテル]]として用いられたものだった。それが、社会主義の教義ではなく、歴史の解釈をめぐって用いられるようになったのは、厳密に言えば、[[ナチスドイツ]]の行った行為をヨーロッパ現代史のなかでとのように理解するのかという点で、[[A・J・P・テイラー|テイラー]]や[[フリッツ・フィッシャー (歴史学者)|フィッシャー]]が1960年代に引き起こした論争的な議論に端緒を発している。」という<ref>[[岩崎稔]]/[[シュテフィ・リヒター]]「歴史修正主義-一九九〇年以降の位相」『岩波講座 アジア・太平洋戦争 1 なぜ、いまアジア太平洋戦争か』[[岩波書店]]、2005年11月8日 第1刷発行、ISBN 4-00-010503-5、359頁。</ref>。 |
||
⚫ | [[高橋哲哉]]によれば、「見直し=修正を拒否する歴史は、[[イデオロギー]]的に絶対化された歴史であるため、修正主義はかつては必ずしも悪い意味ではなかったが、近年ではネガティヴな意味で使われ、批判の対象に付けられるべき名前となった。[[ホロコースト否定論]]者たちが、みずから歴史修正主義者を名乗って活動していることが大きい。」という<ref name="高橋2001-iii">[[高橋哲哉]]『歴史/修正主義 <small>思考のフロンティア</small>』岩波書店、2001年1月26日 第1刷発行、ISBN 4-00-026434-6、iii |
||
[[渡辺惣樹]]は、アメリカにおける歴史修正主義とは、第二次世界大戦前の米英両国の外交に過ちはなかったか、あったとすれば何が問題だったのか、それを真摯に探ろうとする歴史観だが、「歴史修正主義者」と見做された学者は学会主流から排斥され、著書の出版を妨害されたり個人の評判を貶められたとしている。その後、次第に歴史修正主義に立つ歴史観が優勢になり、レッテル貼りの効果は急激に低下していると述べている<ref>[[渡辺惣樹]]『戦争を始めるのは誰か』 {{要ページ番号|date=2018年12月31日}}</ref>。 |
[[渡辺惣樹]]は、アメリカにおける歴史修正主義とは、第二次世界大戦前の米英両国の外交に過ちはなかったか、あったとすれば何が問題だったのか、それを真摯に探ろうとする歴史観だが、「歴史修正主義者」と見做された学者は学会主流から排斥され、著書の出版を妨害されたり個人の評判を貶められたとしている。その後、次第に歴史修正主義に立つ歴史観が優勢になり、レッテル貼りの効果は急激に低下していると述べている<ref>[[渡辺惣樹]]『戦争を始めるのは誰か』 {{要ページ番号|date=2018年12月31日}}</ref>。 |
||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
[[加地伸行]]によれば、「歴史上の事で確定していることを改新しようとしているとして非難するときに「歴史修正主義」というレッテルを貼っている。保守派が左筋の歴史観を自虐史観として批判しているが、それを歴史修正主義と称して左筋は非難しているわけである。」という<ref>[[加地伸行]]「「歴史修正主義」のレッテルは権力闘争の道具」『マスコミ偽善者列伝 建て前を言いつのる人々』飛鳥新社、2018年8月21日 第1刷発行、ISBN 978-4-86410-597-2、112~115頁。</ref>。 |
[[加地伸行]]によれば、「歴史上の事で確定していることを改新しようとしているとして非難するときに「歴史修正主義」というレッテルを貼っている。保守派が左筋の歴史観を自虐史観として批判しているが、それを歴史修正主義と称して左筋は非難しているわけである。」という<ref>[[加地伸行]]「「歴史修正主義」のレッテルは権力闘争の道具」『マスコミ偽善者列伝 建て前を言いつのる人々』飛鳥新社、2018年8月21日 第1刷発行、ISBN 978-4-86410-597-2、112~115頁。</ref>。 |
||
⚫ | [[佐藤学 (教育学者)|佐藤学]]によれば、「歴史修正主義は[[左翼]]の[[転向#共産主義などからの転向|転向者]]の語りという性格を持っている。」という。また「1990年代後半に「[[自虐史観]]」批判を掲げて登場し、「[[日本の慰安婦問題|日本軍〈慰安婦〉問題]]は国内外の[[反日]]勢力の陰謀」「[[南京事件|南京大虐殺]]はなかった」とまで叫ぶに至った勢力が「日本版歴史修正主義」と呼ばれるようになった。」という<ref>[[佐藤学 (教育学者)|佐藤学]]「虚妄の歴史へのあくなき欲望」『歴史教科書大論争 別冊歴史読本87 第26巻第26号』[[新人物往来社]]、2001年10月25日 発行、137頁。</ref>。 |
||
⚫ | |||
== 主な例 == |
== 主な例 == |
2020年3月10日 (火) 07:28時点における版
歴史修正主義(れきししゅうせいしゅぎ、英: Historical revisionism)とは、本来は歴史的な定説や通説を再検討して新たな解釈をしめすことだが、特に歴史学の成果により確定した事実を自分のイデオロギーで都合よく解釈して、誇張・捏造した「事実」を主張する立場(例:ホロコースト否認など)を、批判的に呼ぶ用語として使用されている[1]。
当記事では主に後者の意味で記載する。単に修正主義(リビジョニズム)とも呼ばれる。
概要
「修正主義」という用語は、当初は社会主義運動、特にマルクス主義の解釈をめぐってレッテル貼りの批判用語として使用された(修正主義・教条主義論争)。
その後、第一次世界大戦におけるドイツの戦争責任の再検討などが挙げられ、ドイツが敗戦によって失った旧領を回復させようとする運動、ポーランドが「歴史的な領土」回復を唱え、東ガリツィアに侵攻し、領有を認めさせたことなどが挙げられる[2]。
また第二次世界大戦後にはアメリカで行われた、アメリカの自由・人権への貢献を強調する歴史観を再検討し、アメリカにおけるマイノリティ集団の歴史的意義に注目する動きが歴史修正主義と呼ばれていた[3]。
議論
岩崎稔/シュテフィ・リヒターによれば、「『修正主義』は、もともとかつての社会主義運動のなかで、正統的な教義や見解を逸脱した一派に貼りつけるレッテルとして用いられたものだった。それが、社会主義の教義ではなく、歴史の解釈をめぐって用いられるようになったのは、厳密に言えば、ナチスドイツの行った行為をヨーロッパ現代史のなかでとのように理解するのかという点で、テイラーやフィッシャーが1960年代に引き起こした論争的な議論に端緒を発している。」という[4]。
渡辺惣樹は、アメリカにおける歴史修正主義とは、第二次世界大戦前の米英両国の外交に過ちはなかったか、あったとすれば何が問題だったのか、それを真摯に探ろうとする歴史観だが、「歴史修正主義者」と見做された学者は学会主流から排斥され、著書の出版を妨害されたり個人の評判を貶められたとしている。その後、次第に歴史修正主義に立つ歴史観が優勢になり、レッテル貼りの効果は急激に低下していると述べている[5]。
高橋哲哉によれば、「見直し=修正を拒否する歴史は、イデオロギー的に絶対化された歴史であるため、修正主義はかつては必ずしも悪い意味ではなかったが、近年ではネガティヴな意味で使われ、批判の対象に付けられるべき名前となった。ホロコースト否定論者たちが、みずから歴史修正主義者を名乗って活動していることが大きい。」という[6]。
加地伸行によれば、「歴史上の事で確定していることを改新しようとしているとして非難するときに「歴史修正主義」というレッテルを貼っている。保守派が左筋の歴史観を自虐史観として批判しているが、それを歴史修正主義と称して左筋は非難しているわけである。」という[7]。
佐藤学によれば、「歴史修正主義は左翼の転向者の語りという性格を持っている。」という。また「1990年代後半に「自虐史観」批判を掲げて登場し、「日本軍〈慰安婦〉問題は国内外の反日勢力の陰謀」「南京大虐殺はなかった」とまで叫ぶに至った勢力が「日本版歴史修正主義」と呼ばれるようになった。」という[8]。
小浜逸郎によれば、「サヨクの用いたレッテルのうち、「軍国主義者」「ナショナリスト」「ショーヴィニスト」「ネトウヨ」などの次にきたのが「歴史修正主義者」であり、新しい研究や発掘や考察に基づいて歴史を修正する (見直す) なら、悪いことではないが、実際には、専らサヨクが悪意をもって保守派に投げつけるネガティヴなレッテルとして使われた。」という[9]。
主な例
世界大戦をめぐる論争
1926年発表のハリー・エルマー・バーンズ"The Genesis of the World War"(『世界大戦の起源』)は、第一次世界大戦の原因をドイツ帝国を中心とした中央同盟国では無く、露仏同盟側であるとした。
1961年発表のF・フィッシャー『世界強国への道: ドイツの挑戦, 1914-1918年 (Griff nach der Weltmacht: Die Kriegzielpolitik des kaiserlichen Deutschland 1914–1918)』は逆に、ドイツは世界強国となるべく自発的に戦争を起こしたと主張した(フィッシャー論争)。
1961年にはA・J・P・テイラーが『第二次世界大戦の起源』で、第二次世界大戦の原因をアドルフ・ヒトラー個人にではなく、欧米諸国の外交の失敗に求めた。これらの主張は激しい賛否両論を巻き起こし、彼らを批判する用法としての「歴史修正主義者」が生まれた(テイラー論争)。
1978年設立された、歴史修正研究所(歴史見直し研究所)は、学術的用法による歴史修正団体と自らを定義している[10]。同団体はホロコーストの事実そのものを疑問とし、ユダヤ人虐殺のガス室の実在を証明したら、5万ドルを支払うと主張した。
1985年、ピエール・ヴィダル=ナケは「ナチス・ドイツがユダヤ人とジプシーに対して実践した大虐殺は存在しなくて、神話、作り話、詐欺に属することであるとする教説を、私はここで《レヴィジオニスム》と呼ぶことにする。」と宣言した[11]。ヴィダル=ナケによると、歴史修正を説く論者は、(1)「ジェノサイドというものはなかったし、それを象徴する道具、すなわち、毒ガス室は決して存在しなかった」、(2)「「最終解決」とは東欧方面へのユダヤ人の「追放」である」、(3)「ユダヤ人犠牲者の数字はそう言われてきたのよりも実際にはずっと低い数字である」、(4)「第二次世界大戦の重大な責任はヒトラーのドイツにはない」、(5)「30年代ならびに40年代における人類の重大な敵はナチス・ドイツでなくスターリンのソ連である」、(5)「ジェノサイドは連合軍の、主にユダヤ人の、それもとりわけシオニズムのプロパガンダによってでっちあげられたものである」と主張するなどの共通点があるという[12]。
その他
1986年の西ドイツの「歴史家論争」で、エルンスト・ノルテは、ソビエト連邦の大粛清や強制収容所、クメール・ルージュのキリング・フィールド、オスマン帝国のアルメニア人虐殺などと比較可能な事件として扱うべきと主張した[13]。これに対し、ユルゲン・ハーバーマスは、ノルテをアンドレアス・ヒルグルーバー、ミヒャエル・シュテュルマーとまとめて、ナチス・ドイツの犯罪の唯一無比性を否定し、ヘルムート・コール政権の進める国家主義的歴史政策と連動していると非難した[14]。コール政権は、ドイツ歴史博物館の建設を推進しており、ハーバーマスは、この博物館も「修正主義」の産物と主張した(展示方針の関係者として非難されたヒルグルーバー、シュテュルマーは、いずれも関与を否定した)。ハーバーマスにとっては、ホロコースト否定論はもちろんのこと、ナチス・ドイツの犯罪を他の事件と比較可能な物として扱うことは、「修正主義」による都合のいい歴史像に他ならなかった。[要出典]
1950年6月25日未明に発生した朝鮮戦争で支援を受けた韓国を『韓国が北朝鮮を侵略した。』、『韓国が戦争を誘発した。』、『朝鮮戦争はアメリカの代理戦争だった。』などブルース・カミングスなど反米又は北朝鮮支持・好意的な学者・研究者・マスコミ・小説家が主張していたが、90年代のソ連崩壊後の機密文書で『金日成がスターリンと毛沢東の許可を得て、韓国を侵略した』ことが判明した。そのため、北朝鮮擁護又は韓国批判のための典型的なイデオロギーによる歴史修正であったことが確定している。朝鮮日報は、朝鮮戦争について北朝鮮ではなく韓国やアメリカを未だに非難する者を批判している[15][16][17]。
1995年1月に日本で「ホロコーストは作り話だった。ナチ・ガス室はなかった」と主張する論説を掲載した文藝春秋社の月刊誌『マルコポーロ』がアメリカのユダヤ人団体から指摘・批判を受けて廃刊になった(マルコポーロ事件)。
脚注
注釈
出典
- ^ デジタル大辞泉、マイペディア 歴史修正主義 - コトバンク
- ^ 木村靖二・岸本美緒・小松久男,2017年『詳説世界史研究(2017年版)』山川出版社、443頁、ISBN 978-4-634-03088-6
- ^ 歴史学研究会編,2000年『歴史における「修正主義」』青木書店、ISBN 4250200213。[要ページ番号]
- ^ 岩崎稔/シュテフィ・リヒター「歴史修正主義-一九九〇年以降の位相」『岩波講座 アジア・太平洋戦争 1 なぜ、いまアジア太平洋戦争か』岩波書店、2005年11月8日 第1刷発行、ISBN 4-00-010503-5、359頁。
- ^ 渡辺惣樹『戦争を始めるのは誰か』 [要ページ番号]
- ^ 高橋哲哉『歴史/修正主義 思考のフロンティア』岩波書店、2001年1月26日 第1刷発行、ISBN 4-00-026434-6、iii頁。
- ^ 加地伸行「「歴史修正主義」のレッテルは権力闘争の道具」『マスコミ偽善者列伝 建て前を言いつのる人々』飛鳥新社、2018年8月21日 第1刷発行、ISBN 978-4-86410-597-2、112~115頁。
- ^ 佐藤学「虚妄の歴史へのあくなき欲望」『歴史教科書大論争 別冊歴史読本87 第26巻第26号』新人物往来社、2001年10月25日 発行、137頁。
- ^ 小浜逸郎『デタラメが世界を動かしている』PHP研究所、2016年5月6日 第1版第1刷発行、ISBN 978-4-569-83040-7、333頁。
- ^ ABOUT THE IHR - The Institute for Historical Review
- ^ ピエール・ヴィダル=ナケ著・石田靖夫訳「歴史修正主義に関するテーゼ (一九八五年)」『記憶の暗殺者たち』人文書院、一九九五年七月五日 初版第一刷発行、ISBN 4-409-51034-7、136頁。
- ^ ヴィダル=ナケ (1995)、40~41頁。
- ^ ハーバーマス,J.(ユルゲン)・ノルテ,E.他著 三島憲一 他訳『過ぎ去ろうとしない過去 ナチズムとドイツ歴史家論争』人文書院、1995年1月1日初版、ISBN 9784409510353、ノルテ「過ぎ去ろうとしない過去」39-49頁
- ^ Eine Art Schadensabwicklung 11. Juli 1986, 8:00 Uhr Die apologetischen Tendenzen in der deutschen Zeitgeschichtsschreibung - 『ディー・ツァイト』 Von Jürgen Habermas
- ^ [1]【コラム】「代理戦争」、韓江氏の筆は誤り-Chosun online 朝鮮日報、
- ^ [2]NAVERニュース
- ^ (朝鮮日報日本語版) 【社説】北の「南侵」「世襲」「人権」を教科書で教えたくない韓国政府
関連文献
- 高橋哲哉『歴史/修正主義』岩波書店、2001、[3] ISBN 4000264346
- 鹿島徹『可能性としての歴史 ―越境する物語り理論―』岩波書店、2006、ISBN 4000224654
- 松浦寛「ロベール・フォリソンと不快な仲間たち ―歴史修正主義の論理と病理―」上智大学仏語・仏文学論集2000年3月。[4]
- 熊谷伸一郎「歴史修正主義との闘い ―検証 南京事件・「百人斬り」訴訟--問われる戦後責任・報道責任」世界2005年11月。[5]
- 野家啓一『歴史を哲学する ―七日間の集中講義―』岩波現代文庫、2016、ISBN 4006003420
- 坂井康夫「歴史を偽造・捏造する「つくる会」―歴史修正主義の汚い手口(従軍慰安婦問題を中心に)〔特集・偽りの歴史――「つくる会」批判〕」プロメテウス 2001年11月。[6]
- 俵義文「右派歴史修正主義の最近の動き ―国民の考え方を戦争に導く策動― 〔特集・歴史は誰のものか――日本の侵略と戦争犯罪を問う〕」社会評論 1999年7月。[7]
- ティル・バスティアン著、石田勇治・星乃治彦・芝野由和編著『アウシュヴィッツと<アウシュヴィッツの嘘>』(白水社1995年、白水Uブックス2005年)
- 川口茂雄『表象とアルシーヴの解釈学 リクールと『記憶、歴史、忘却』』京都大学学術出版会、2012、ISBN 4876982384
- 山田朗『歴史修正主義の克服』高文研、2001
- 小田中直樹「歴史理論(回顧と展望―二〇〇四年の歴史学界)」(『史学雑誌』114-5、2005年)
- 倉橋耕平「歴史修正主義とサブカルチャー ―90年代保守言説のメディア文化―」青弓社 2018年2月 ISBN 978-4787234322
- ユルゲン・ハーバーマス『近代 未完のプロジェクト』岩波現代文庫
関連項目
外部リンク
- 捏造される杉原千畝像 ―歴史修正主義者による戦争犯罪のゼロサム・ゲーム―(松浦寛、『世界』2000年9月号より)[リンク切れ]
- 歴史的修正主義研究会(加藤一郎主宰)