「上常吉」の版間の差分
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{{Infobox settlement |
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| name = 上常吉 |
| name = 上常吉 |
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| population_footnotes = <ref name="population">{{Cite web|url=https://www.city.kariya.lg.jp/shisei/tokei/jinkonoshiryo/chouchou.html|title=町丁別人口|publisher=刈谷市|language=日本語|date=2019-06-03|accessdate=2019-06-10}}</ref> |
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| population_total = 230 |
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}} |
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'''上常吉'''(かみつねよし)は、[[京都府]][[京丹後市]]にある[[地名]]。[[大字]]としての名称は'''[[大宮町 (京都府)|大宮町]]上常吉'''(おおみやちょうかみつねよし)。 |
'''上常吉'''(かみつねよし)は、[[京都府]][[京丹後市]]にある[[地名]]。[[大字]]としての名称は'''[[大宮町 (京都府)|大宮町]]上常吉'''(おおみやちょうかみつねよし)。常吉川のすぐ下流にある'''[[下常吉]]'''(しもつねよし)に対応する地名である<ref name="角川上1982p415">『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』p. 415</ref>。 |
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== 地理 == |
== 地理 == |
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[[File:Mt.isanago.jpg|thumb|磯妙山]] |
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[[中郡 (京都府)|中郡]]と[[与謝郡]]の群境には平治峠があり、網野街道が通っている<ref name="平凡社1981p770">平凡社、1981年、p. 770</ref>。 |
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かつての[[中郡 (京都府)|中郡]][[大宮町 (京都府)|大宮町]]の南西部に位置している<ref name="角川1982p658">『角川日本地名大辞典 26 京都府 下巻』p. 658</ref>。南側は[[与謝郡]][[与謝野町]]野田川地区(旧・与謝郡[[野田川町]])と、西側は京丹後市[[峰山町]](旧・中郡峰山町)と接している<ref name="角川1982p658"/>。 |
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西には標高661mの[[磯砂山]]があり、集落は四方を磯砂山の山並みに囲まれている<ref name="角川1982p658"/>。[[竹野川]]の支流である常吉川が流れており、常吉川の周囲に集落が形成されている<ref name="角川1982p658"/>。 |
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南北に[[京都府道76号野田川大宮線]](網野街道)が通っており、中郡と[[与謝郡]]の群境には平地峠(平治峠)がある<ref name="平凡社1981p770">『日本歴史地名体系 26 京都府の地名』p. 770</ref>。 |
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=== 自然 === |
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* [[磯砂山]](いさなごさん) - 標高661mの山。[[関西百名山|近畿百名山]]。[[羽衣伝説|羽衣天女伝説]]がある<ref name="京丹後ナビ磯砂山">[https://www.kyotango.gr.jp/sightseeing/745/ 磯砂山] 京丹後ナビ</ref>。常吉小学校の校歌には磯砂山が登場する<ref name="廃校記念誌"/>。 |
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* 女池(めいけ) - 磯砂山の山中にある池。『丹後旧事記』では「比治の真名井」として言及されている<ref name="廃校記念誌p280">常吉小学校廃校記念誌編集委員会(1980)、p. 280</ref><ref name="京丹後ナビ磯砂山"/>。 |
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* 常吉川 - [[竹野川]]水系の二級河川。常吉小学校の校歌には磯砂山が登場する<ref name="廃校記念誌"/>。 |
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<gallery> |
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File:Heijitoge (2).jpg|平地峠 |
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File:Kamitsuneyoshi,Kyotango 常吉川沿い.jpg|常吉川 |
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</gallery> |
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=== 小字 === |
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{{表4列| |
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* 神谷(かみだに) |
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* 若宮ノ谷(わかみやのたに) |
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* 猿ヶ屋敷(さるがやしき) |
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* 野引(のびき) |
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* カイ谷(かいたに) |
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* 安田(やすだ) |
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* 宮ノ下(みやのした) |
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* サガリ松(さがりまつ) |
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* ウキハシ(うきはし) |
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* 日光寺(にっこうじ) |
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* 大道(だいどう) |
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* 平地(へいじ) |
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* 平地猪ノ塚(へいじいのづか) |
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* 今井(いまい) |
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* 大門(だいもん) |
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* 大橋(おおばし) |
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* 丸山(まるやま) |
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* 猿尾(さるお) |
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* 婦ろふじ(ふろふじ) |
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* 宮谷口(みやだにぐち) |
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* 宮谷(みやだに) |
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* 平畑ケ(ひたはたけ) |
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* 車(くるま) |
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* 車エノ谷(くるまえのたに) |
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* 車イ子口(くるまいねぐち) |
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* 車丸山(くるままるやま) |
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* 車千原(くるまちはら) |
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* 車谷(くるまたに) |
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* 車ガニガ谷(くるまがにがだに) |
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* 車コムスボ(くるまこむすぼ) |
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* 車ヲムスボ(くるまをむすぼ) |
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* 車イナリ(くるまいなり) |
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* 車細谷(くるまほそたに) |
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* 車柳谷口(くるまやなぎたにぐち) |
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* 車柳谷(くるまやなぎたに) |
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* 車ホコノ谷(くるまほこのだに) |
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* 車亥ノ子谷(くるまいのこだに) |
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* 車胡麻畑(くるまごまばた) |
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* 車岩バナ(くるまいわばな) |
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* 車ツバイ谷(つるまつばいたに) |
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* 車正法寺(くるましょうほうじ) |
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* 車地蔵口(くるまじぞうぐち) |
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* 上司(じょうし) |
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* 河原(かわら) |
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* 辻<ref>辶の点は本来は1点のみ。</ref>(つじ) |
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* 奥掛(おくかけ) |
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* ヒロヲ谷(ひろをだに) |
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* 荒神切(こうじんのぎり) |
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* 五反田(ごたんだ) |
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* 畑(はた) |
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* 岡谷(おかや) |
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* 大倉(おおくら) |
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* 大岩ヶ谷(おおいわがたに) |
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* 子コゼ谷(ねこぜたに) |
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* 岡(おか) |
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* 中屋敷(なかやしき) |
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* 堅土(かたつち) |
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* 大坪(おおつぼ) |
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* 神子ヶ谷(かみこだに) |
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* 大河内(おごいち) |
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* 山ノ神(やまのかみ) |
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* 森ヶ成(もりがなる) |
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* 大河内ババ谷(おごいちばばだに) |
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* 大河内坂谷(おごいちさかだに) |
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* タニ川(たにがわ) |
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* 梅田(うめだ) |
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* 若屋(わかや) |
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* 本地(ほんち) |
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* 野ノ下(ののした) |
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* 光田(こうでん) |
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* 延木(のぶき) |
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* 上野々下(うえののした) |
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* 上野(うえの) |
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* 谷(たに) |
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* 谷口(たにぐち) |
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* 屋敷ノ谷(やしきのたに) |
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* 古館(ふるだち) |
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* 城山(しろやま) |
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* 阿し谷口(あしだにぐち) |
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* 穴門(あなもん) |
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* 八巻(はちまき) |
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* 平尾(ひらお) |
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* 芦谷(あしだに) |
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* セガイボ(せがいぼ) |
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* 芦谷セガイボ(あしだにせがいぼ) |
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* ナル(なる) |
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* 大谷(おおたに) |
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* 大谷古寺(おおたにふるでら) |
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* 深田(ふかた) |
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* ウヤ(うや) |
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* 中縄手(なかなわて) |
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* 入船谷(いりふねだに) |
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* 今江(いまえ) |
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* 車ユリ(くるまゆり) |
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* 谷川(たにがわ) |
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* 鳥ヶ奥(とりがおく) |
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* 本地(ほんじ) |
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* 流尾(ながれお) |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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上常吉地区には後期古墳が4基ある<ref name="平凡社1981p770"/>。 |
上常吉地区には後期古墳が4基ある<ref name="平凡社1981p770"/>。 |
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小字本地には近藤山城守の居城と伝えられる上常吉城跡がある<ref name="平凡社1981p770"/>。 |
小字本地には近藤山城守の居城と伝えられる上常吉城跡がある<ref name="平凡社1981p770"/><ref name="角川上1982p415"/>。 |
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[[室町時代]]の編纂と伝えられる『丹後国田数帳』に見える「恒吉保」に含まれていた<ref name="角川上1982p415"/>。[[鎌倉時代]]の前後に拓かれた[[保]]のひとつとみられ、「恒(常)に良い」を意味する吉祥句が地名の由来とみられる<ref name="京都地名語源辞典382-383p">{{Cite book|和書|author=吉田金彦、糸井通浩、網本逸雄 |title=京都地名語源辞典 |publisher=東京堂出版 |date=2013 |page=382-383 |isbn=}}</ref>。 |
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=== 近世 === |
=== 近世 === |
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| 特記事項 = |
| 特記事項 = |
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延宝3年(1675年)の郷村帳では上下の常吉村が区別され、上常吉村の石高は385.18石だった<ref name="平凡社1981p770"/>。天保5年(1834年)の『天保郷帳』による石高は655.949石だった<ref name="平凡社1981p909"> |
もとは恒吉村(常ではなく恒)の一部だったが、江戸時代初期に分村して上常吉村が独立した<ref name="角川上1982p415"/>。慶長郷村帳に「恒吉村」および「恒吉村之内下村」と併記されたものが初出の兆しであり<ref name="京都地名語源辞典382-383p"/>、その後の延宝3年(1675年)の郷村帳では上下の常吉村が区別され、上常吉村の石高は385.18石だった<ref name="平凡社1981p770"/>。天保5年(1834年)の『天保郷帳』による石高は655.949石だった<ref name="平凡社1981p909">『日本歴史地名体系 26 京都府の地名』p. 909</ref>。[[天保の大飢饉]]の際、天保8年(1837年)には上常吉村でも12人が餓死した<ref name="平凡社1981p909"/>。 |
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近世の上常吉村は網野街道に沿った街村であり、南の平地峠を越えると[[与謝郡]]だった<ref name="角川上1982p415"/>。近世初期には[[宮津藩]]領だったが、寛文6年(1667年)に[[幕府領]]となり、寛文9年(1670年)に宮津藩領、延宝8年(1680年)に幕府領、天和元年(1681年)に宮津藩領、文政11年(1828年)に幕府領、天保9年(1839年)に宮津藩領となった<ref name="角川上1982p415"/>。『宝永村々辻高帳』における石高は651石余、『宝暦郷村之覚』における石高は655石余・うち新田4石余であり、『天保郷帳』や『旧高旧領』でも『宝暦郷村之覚』と同じ石高だった<ref name="角川上1982p415"/>。 |
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=== 近代 === |
=== 近代 === |
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1871年(明治4年)には[[宮津県]]に所属したが、やがて[[豊岡県]]に所属し、1876年(明治9年)に[[京都府]]所属で落ち着いた<ref name="角川上1982p415"/>。1875年(明治8年) から1882年(明治15年)にかけて[[陸軍省]][[参謀本部 (日本)|参謀本部]]が編纂した『共武政表』によると、上常吉村の戸数は116戸・人口は474人だった<ref name="角川上1982p415"/>。 |
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[[町村制]]の施行により、1889年(明治22年)2月23日には上常吉村と下常吉村が合併して[[常吉村]]が発足した。 |
[[町村制]]の施行により、1889年(明治22年)2月23日には上常吉村と下常吉村が合併して[[常吉村]]が発足した。 |
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=== 現代 === |
=== 現代 === |
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1951年(昭和26年)4月1日、常吉村、口大野村、奥大野村、三重村、周枳村、河辺村が新設合併して[[大宮町 (京都府)|大宮町]]が発足した。大宮町の大字として上常吉が設置されている。 |
1951年(昭和26年)4月1日、常吉村、[[口大野村]]、[[奥大野村]]、[[三重村 (京都府)|三重村]]、[[周枳村]]、[[河辺村 (京都府)|河辺村]]が新設合併して[[大宮町 (京都府)|大宮町]]が発足した。大宮町の大字として上常吉が設置されている。1982年(昭和57年)時点の世帯数は89戸・人口は380人だった<ref name="角川1982p658"/>。同年には織物業の事業所が61あり、119人の従業者はすべて家族従業員だった<ref name="角川1982p658"/>。 |
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2004年(平成16年)4月1日、大宮町、中郡[[峰山町]]、[[竹野郡 (京都府)|竹野郡]][[網野町]]、[[丹後町]]、[[弥栄町]]、[[熊野郡]][[久美浜町]]が新設合併して[[京丹後市]]が発足した。大字として大宮町上常吉が設置されている。2014年(平成26年)3月31日時点の世帯数は84戸・人口は230人だった<ref name="ふるさとわがまち"/>。 |
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== 教育 == |
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{{Infobox 日本の学校 |
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|校名 = 大宮町立常吉小学校 |
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|画像 = [[File:Tsuneyoshi Elementary School site ac (1).jpg|250px]]<br>「常吉小学校跡」の石碑 |
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|過去校名 = 常吉学校、常吉尋常小学校、常吉国民学校、常吉村立常吉小学校 |
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|国公私立 = [[公立学校]] |
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|設置者 = [[大宮町 (京都府)|大宮町]] |
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|併合学校 = |
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|校訓 = |
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|設立年月日 = 1873年11月 |
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|閉校年月日 = 1980年3月31日 |
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|記念日名称 = |
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|創立記念日 = |
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|共学・別学 = [[男女共学]] |
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|学期 = |
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|小学校コード = |
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|郵便番号 = 629 |
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|所在地 = 京都府中郡大宮町上常吉 |
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|緯度度 =35 |緯度分 =33 |緯度秒 = 02.8 |
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|経度度 =135|経度分 =04 |経度秒 = 35.5 |
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|マップ表示 = No |
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|外部リンク = |
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1873年(明治6年)から1980年(昭和55年)まで、上常吉には大宮町立常吉小学校があった<ref name="廃校記念誌">常吉小学校廃校記念誌編集委員会(1980)</ref>。 |
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1873年(明治6年)11月に常吉学校として創立し、当初は舞台を校舎として用いたとされる<ref name="大宮町誌1982p423">『大宮町誌』pp. 423-426</ref>。1889年(明治22年)に常吉尋常小学校に改称し、1895年(明治28年)には上の屋敷<!--「上の屋敷」は原文ママ-->から上野に移すことを決定、1896年(明治29年)に校舎を新築して移転した<ref name="大宮町誌1982p423"/>。1915年(大正4年)頃には常吉村と[[奥大野村]]の小学校統合問題が起こったが、結局は進展せずに終わっている<ref name="大宮町誌1982p423"/>。1922年(大正11年)3月には5教室を増築し、[[学制]]発布50周年記念式典を挙行した。1923年(大正12年)4月1日には初めて[[尋常高等小学校|高等科]]を併設した<ref name="大宮町誌1982p423"/>。 |
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1927年(昭和2年)3月7日の[[北丹後地震]]では体育館(屋内運動場)が倒壊し、1人の児童が死亡した<ref name="大宮町誌1982p423"/>。1930年(昭和5年)3月31日には校舎が新築され、1935年(昭和10年)には運動場が拡張された<ref name="大宮町誌1982p423"/>。1941年(昭和16年)4月1日には[[国民学校令]]によって常吉国民学校に改称した<ref name="大宮町誌1982p423"/>。[[太平洋戦争]]の戦局が悪化した1945年(昭和20年)4月1日には[[京都市立凰徳小学校|京都市立凰徳国民学校]]の児童44人と付添教員3人を[[疎開|集団疎開]]で受け入れている<ref name="大宮町誌1982p423"/>。 |
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1947年(昭和22年)1月28日には常吉村役場で火災が発生し、隣接する常吉国民学校にも類焼した<ref name="大宮町誌1982p423"/>。職員室と2教室が全焼し、雨天体操場が半焼したこの火災で、記録の大半を焼失している<ref name="大宮町誌1982p423"/>。1947年(昭和22年)4月1日には常吉村立常吉小学校に改称し、1948年(昭和23年)12月28日には雨天体操場兼講堂と職員室などが竣工した<ref name="大宮町誌1982p423"/>。1955年(昭和30年)12月16日に制定された校歌の作詞は安見幸八、作曲は宮田和<ref name="大宮町誌1982p424">『大宮町誌』p. 424</ref>。校歌の一番には[[磯砂山]]が、二番には常吉川が登場する<ref name="大宮町誌1982p424"/>。1957年(昭和32年)5月6日には完全[[給食]]を開始した<ref name="大宮町誌1982p423"/>。 |
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1973年(昭和48年)10月22日には創立100周年記念運動会を開催した<ref name="大宮町誌1982p423"/>。1980年(昭和55年)3月24日には最後の卒業式と廃校記念式典を開催し、3月31日に廃校となった<ref name="大宮町誌1982p423"/>。常吉小学校、大宮町立倉垣小学校、大宮町立三重小学校(一部)が統合され、1980年(昭和55年)4月1日には[[京丹後市立大宮第二小学校|大宮町立大宮第二小学校]]が開校している。 |
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2004年(平成16年)4月1日、大宮町、中郡[[峰山町]]、[[竹野郡]][[網野町]]、[[丹後町]]、[[弥栄町]]、[[熊野郡]][[久美浜町]]が新設合併して[[京丹後市]]が発足した。大字として大宮町上常吉が設置されている。 |
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== 旧跡 == |
== 名所・旧跡 == |
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* 経典寺 - [[日蓮宗]]の寺院。山門は江戸時代後期の建造物<ref name="ふるさとわがまち"/>。 |
* [[経典寺]] - [[日蓮宗]]の寺院<ref name="角川1982p658"/>。山門は江戸時代後期の建造物<ref name="ふるさとわがまち"/>。 |
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* 地蔵院 - [[曹洞宗]]の寺院。境内には平地地蔵がある<ref name="ふるさとわがまち"/>。 |
* 地蔵院 - [[曹洞宗]]の寺院<ref name="角川1982p658"/>。境内には[[平地地蔵]]がある<ref name="ふるさとわがまち"/>。 |
||
* [[平地地蔵]] - 地蔵院境内にある石造地蔵菩薩立像。 |
** [[平地地蔵]] - 地蔵院境内にある石造地蔵菩薩立像。立像の石仏としては京都府最大級。 |
||
* [[冨持神社]] - 神社。大宮町でもっとも樹高の高いスギがある<ref name="ふるさとわがまち">[https://www.city.kyotango.lg.jp/material/files/group/13/o_tsuneyoshi2604_2.pdf ふるさとわがまち 大宮町 上常吉区・下常吉区] 京丹後市</ref>。 |
* [[冨持神社]] - 神社。大宮町でもっとも樹高の高いスギがある<ref name="ふるさとわがまち">[https://www.city.kyotango.lg.jp/material/files/group/13/o_tsuneyoshi2604_2.pdf ふるさとわがまち 大宮町 上常吉区・下常吉区] 京丹後市</ref>。 |
||
* [[白滝不動堂 (京丹後市)]] - 得円法師の荒行の跡と伝えられる。 |
* [[白滝不動堂 (京丹後市)|白滝不動堂]] - 常吉川の上流部にある仏堂。得円法師の荒行の跡と伝えられる。 |
||
* 地蔵堂 - 地区内に複数の地蔵を祀った[[道祖神]]の堂が数か所にあり、毎年の[[地蔵盆]]における信仰の対象となっている。 |
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<gallery> |
<gallery> |
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File:Kyotenji 経典寺 山門.jpg|経典寺 |
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File:Heijijizou (3).jpg|平地地蔵(通常期) |
File:Heijijizou (3).jpg|平地地蔵(通常期) |
||
File:Heichijizo.jpg|平地地蔵(冬季) |
File:Heichijizo.jpg|平地地蔵(冬季) |
||
File: |
File:Tomimochijinja (2).jpg|冨持神社 |
||
File:Shirataki Fudo Myo-o in Kyotango ac.jpg|白滝不動堂 |
|||
File:Tomimochijinja (2).jpg|富持神社 |
|||
File:Kamitsuneyoshi,Kyotango 道祖神,地区内の地蔵堂1.jpg|地区内の道祖神 |
|||
</gallery> |
</gallery> |
||
== |
== 施設 == |
||
=== 公共施設 === |
|||
* [[磯砂山]](いさなごさん) - 標高661mの山。近畿百名山。[[羽衣伝説|羽衣天女伝説]]がある<ref name="京丹後ナビ磯砂山">[https://www.kyotango.gr.jp/sightseeing/745/ 磯砂山] 京丹後ナビ</ref>。常吉小学校の校歌には磯砂山が登場する<ref name="廃校記念誌"/>。 |
|||
* |
* 大宮町立常吉小学校(廃校) - 1873年(明治6年)開校<ref name="廃校記念誌">常吉小学校廃校記念誌編集委員会(1980)</ref>。1980年(昭和55年)に廃校となり、統合されて大宮町立大宮第二小学校が開校した。 |
||
* 常吉保育所(廃園) - 1968年(昭和43年)開園<ref name="廃校記念誌"/>。1980年(昭和55年)新築<ref name="与謝野町公共施設白書">{{Cite web|和書|url=https://www.town.yosano.lg.jp/assets/0000017298.pdf|format=PDF|title=与謝野町公共施設白書 施設カテゴリー編 (17) 保育所・幼稚園|page=18|publisher=与謝野町|accessdate=2024-02-16}}</ref>。2007年(平成19年)以降「あけぼの荘」(下記)。 |
|||
* 常吉川 - [[竹野川]]水系の二級河川。常吉小学校の校歌には磯砂山が登場する<ref name="廃校記念誌"/>。 |
|||
* 上常吉公民館 - 常吉小学校跡に建設され、1984年(昭和59年)3月に竣工式が挙行された<ref>大宮町『大宮 みちゆくこまち』大宮町、2004年、p. 15</ref>。 |
|||
* 小規模多機能型居宅介護事業所「あけぼの荘」 - 2007年(平成19年)1月1日開設<ref name="与謝野町公共施設白書"/>。常吉保育所だった建物を利用。 |
|||
== |
=== 事業所・商店 === |
||
* 小塚製麺 - うどん。 |
|||
* 小塚食品 - 豆腐。 |
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* [[つねよし百貨店]] - 常吉村営百貨店(1997年-2012年)の志を継いで2012年(平成24年)に開店した商店<ref name="ソトコト62-63p">{{Cite book|和書|author= |title=「ソトコト」№203 |publisher=木楽舎 |year=2006 |page=62-63 |isbn=}}</ref><ref name="ターンズ109p">{{Cite book|和書|author= |title=TURNS vol.30 |publisher=第一プログレス |year=2018 |page=109 |isbn=}}</ref>。 |
* [[つねよし百貨店]] - 常吉村営百貨店(1997年-2012年)の志を継いで2012年(平成24年)に開店した商店<ref name="ソトコト62-63p">{{Cite book|和書|author= |title=「ソトコト」№203 |publisher=木楽舎 |year=2006 |page=62-63 |isbn=}}</ref><ref name="ターンズ109p">{{Cite book|和書|author= |title=TURNS vol.30 |publisher=第一プログレス |year=2018 |page=109 |isbn=}}</ref>。 |
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* 小塚製麺 - つねよしうどんなどを製造する製麺所。 |
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* 小塚食品 - 豆腐などを製造する事業所。 |
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* 八月の猫 - [[沖縄そば|ソーキそば]]などを提供するカフェ。古民家を改修して2019年(平成31年)2月に開店した。 |
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File:Kamitsuneyoshikoumminkan.jpg|上常吉公民館 |
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File:Tuneyoshiつねよし百貨店外観.jpg|つねよし百貨店 |
File:Tuneyoshiつねよし百貨店外観.jpg|つねよし百貨店 |
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* 大宮町立常吉小学校(廃校) - 1873年(明治6年)開校<ref name="廃校記念誌">常吉小学校廃校記念誌編集委員会『廃校記念誌 常吉の教育と歴史』常吉小学校廃校記念誌編集委員会、1980年</ref>。1896年(明治29年)に移転した。1927年(昭和2年)の[[北丹後地震]]では体育館などが倒壊した。1947年(昭和22年)1月には火災が発生し、職員室など校舎の大半が焼失した<ref name="廃校記念誌"/>。1980年(昭和55年)廃校。 |
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* 常吉保育所(廃園) - 1968年(昭和43年)開園<ref name="廃校記念誌"/>。 |
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* 上常吉公民館 - 常吉小学校跡に建設された。 |
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== 脚注 == |
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== 参考文献 == |
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* 『日本歴史地名体系 26 京都府の地名』平凡社、1981年 |
* 『日本歴史地名体系 26 京都府の地名』平凡社、1981年 |
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* 大宮町誌編纂委員会『大宮町誌』大宮町長 中西喜右衛門、1982年 |
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* 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年 |
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* 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 下巻』角川書店、1982年 |
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* 吉田金彦、糸井通浩、網本逸雄『京都地名語源辞典』東京堂出版、2013年 |
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* 常吉小学校廃校記念誌編集委員会『廃校記念誌 常吉の教育と歴史』常吉小学校廃校記念誌編集委員会、1980年 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* [https://www.city.kyotango.lg.jp/material/files/group/13/o_tsuneyoshi2604_2.pdf ふるさとわがまち 大宮町 上常吉区・下常吉区] 京丹後市 |
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[[Category:京丹後市の地理]] |
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2024年2月16日 (金) 05:58時点における最新版
上常吉 | |
---|---|
国 | 日本 |
都道府県 | 京都府 |
市町村 | 京丹後市 |
大字 | 大宮町上常吉 |
人口 (2014年3月) | |
• 合計 | 230人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
629-2533 |
上常吉(かみつねよし)は、京都府京丹後市にある地名。大字としての名称は大宮町上常吉(おおみやちょうかみつねよし)。常吉川のすぐ下流にある下常吉(しもつねよし)に対応する地名である[1]。
地理
[編集]かつての中郡大宮町の南西部に位置している[2]。南側は与謝郡与謝野町野田川地区(旧・与謝郡野田川町)と、西側は京丹後市峰山町(旧・中郡峰山町)と接している[2]。
西には標高661mの磯砂山があり、集落は四方を磯砂山の山並みに囲まれている[2]。竹野川の支流である常吉川が流れており、常吉川の周囲に集落が形成されている[2]。
南北に京都府道76号野田川大宮線(網野街道)が通っており、中郡と与謝郡の群境には平地峠(平治峠)がある[3]。
自然
[編集]- 磯砂山(いさなごさん) - 標高661mの山。近畿百名山。羽衣天女伝説がある[4]。常吉小学校の校歌には磯砂山が登場する[5]。
- 女池(めいけ) - 磯砂山の山中にある池。『丹後旧事記』では「比治の真名井」として言及されている[6][4]。
- 常吉川 - 竹野川水系の二級河川。常吉小学校の校歌には磯砂山が登場する[5]。
-
平地峠
-
常吉川
小字
[編集]- 神谷(かみだに)
- 若宮ノ谷(わかみやのたに)
- 猿ヶ屋敷(さるがやしき)
- 野引(のびき)
- カイ谷(かいたに)
- 安田(やすだ)
- 宮ノ下(みやのした)
- サガリ松(さがりまつ)
- ウキハシ(うきはし)
- 日光寺(にっこうじ)
- 大道(だいどう)
- 平地(へいじ)
- 平地猪ノ塚(へいじいのづか)
- 今井(いまい)
- 大門(だいもん)
- 大橋(おおばし)
- 丸山(まるやま)
- 猿尾(さるお)
- 婦ろふじ(ふろふじ)
- 宮谷口(みやだにぐち)
- 宮谷(みやだに)
- 平畑ケ(ひたはたけ)
- 車(くるま)
- 車エノ谷(くるまえのたに)
- 車イ子口(くるまいねぐち)
- 車丸山(くるままるやま)
- 車千原(くるまちはら)
- 車谷(くるまたに)
- 車ガニガ谷(くるまがにがだに)
- 車コムスボ(くるまこむすぼ)
- 車ヲムスボ(くるまをむすぼ)
- 車イナリ(くるまいなり)
- 車細谷(くるまほそたに)
- 車柳谷口(くるまやなぎたにぐち)
- 車柳谷(くるまやなぎたに)
- 車ホコノ谷(くるまほこのだに)
- 車亥ノ子谷(くるまいのこだに)
- 車胡麻畑(くるまごまばた)
- 車岩バナ(くるまいわばな)
- 車ツバイ谷(つるまつばいたに)
- 車正法寺(くるましょうほうじ)
- 車地蔵口(くるまじぞうぐち)
- 上司(じょうし)
- 河原(かわら)
- 辻[7](つじ)
- 奥掛(おくかけ)
- ヒロヲ谷(ひろをだに)
- 荒神切(こうじんのぎり)
- 五反田(ごたんだ)
- 畑(はた)
- 岡谷(おかや)
- 大倉(おおくら)
- 大岩ヶ谷(おおいわがたに)
- 子コゼ谷(ねこぜたに)
- 岡(おか)
- 中屋敷(なかやしき)
- 堅土(かたつち)
- 大坪(おおつぼ)
- 神子ヶ谷(かみこだに)
- 大河内(おごいち)
- 山ノ神(やまのかみ)
- 森ヶ成(もりがなる)
- 大河内ババ谷(おごいちばばだに)
- 大河内坂谷(おごいちさかだに)
- タニ川(たにがわ)
- 梅田(うめだ)
- 若屋(わかや)
- 本地(ほんち)
- 野ノ下(ののした)
- 光田(こうでん)
- 延木(のぶき)
- 上野々下(うえののした)
- 上野(うえの)
- 谷(たに)
- 谷口(たにぐち)
- 屋敷ノ谷(やしきのたに)
- 古館(ふるだち)
- 城山(しろやま)
- 阿し谷口(あしだにぐち)
- 穴門(あなもん)
- 八巻(はちまき)
- 平尾(ひらお)
- 芦谷(あしだに)
- セガイボ(せがいぼ)
- 芦谷セガイボ(あしだにせがいぼ)
- ナル(なる)
- 大谷(おおたに)
- 大谷古寺(おおたにふるでら)
- 深田(ふかた)
- ウヤ(うや)
- 中縄手(なかなわて)
- 入船谷(いりふねだに)
- 今江(いまえ)
- 車ユリ(くるまゆり)
- 谷川(たにがわ)
- 鳥ヶ奥(とりがおく)
- 本地(ほんじ)
- 流尾(ながれお)
歴史
[編集]古代・中世
[編集]上常吉地区には後期古墳が4基ある[3]。
小字本地には近藤山城守の居城と伝えられる上常吉城跡がある[3][1]。
室町時代の編纂と伝えられる『丹後国田数帳』に見える「恒吉保」に含まれていた[1]。鎌倉時代の前後に拓かれた保のひとつとみられ、「恒(常)に良い」を意味する吉祥句が地名の由来とみられる[8]。
近世
[編集]かみつねよしむら 上常吉村 | |
---|---|
廃止日 | 1889年 |
廃止理由 |
合併 上常吉村、下常吉村 → 常吉村 |
現在の自治体 | 京丹後市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 京都府 |
郡 | 中郡 |
上常吉村役場 | |
所在地 | 京都府中郡上常吉村 |
ウィキプロジェクト |
もとは恒吉村(常ではなく恒)の一部だったが、江戸時代初期に分村して上常吉村が独立した[1]。慶長郷村帳に「恒吉村」および「恒吉村之内下村」と併記されたものが初出の兆しであり[8]、その後の延宝3年(1675年)の郷村帳では上下の常吉村が区別され、上常吉村の石高は385.18石だった[3]。天保5年(1834年)の『天保郷帳』による石高は655.949石だった[9]。天保の大飢饉の際、天保8年(1837年)には上常吉村でも12人が餓死した[9]。
近世の上常吉村は網野街道に沿った街村であり、南の平地峠を越えると与謝郡だった[1]。近世初期には宮津藩領だったが、寛文6年(1667年)に幕府領となり、寛文9年(1670年)に宮津藩領、延宝8年(1680年)に幕府領、天和元年(1681年)に宮津藩領、文政11年(1828年)に幕府領、天保9年(1839年)に宮津藩領となった[1]。『宝永村々辻高帳』における石高は651石余、『宝暦郷村之覚』における石高は655石余・うち新田4石余であり、『天保郷帳』や『旧高旧領』でも『宝暦郷村之覚』と同じ石高だった[1]。
近代
[編集]1871年(明治4年)には宮津県に所属したが、やがて豊岡県に所属し、1876年(明治9年)に京都府所属で落ち着いた[1]。1875年(明治8年) から1882年(明治15年)にかけて陸軍省参謀本部が編纂した『共武政表』によると、上常吉村の戸数は116戸・人口は474人だった[1]。
町村制の施行により、1889年(明治22年)2月23日には上常吉村と下常吉村が合併して常吉村が発足した。
現代
[編集]1951年(昭和26年)4月1日、常吉村、口大野村、奥大野村、三重村、周枳村、河辺村が新設合併して大宮町が発足した。大宮町の大字として上常吉が設置されている。1982年(昭和57年)時点の世帯数は89戸・人口は380人だった[2]。同年には織物業の事業所が61あり、119人の従業者はすべて家族従業員だった[2]。
2004年(平成16年)4月1日、大宮町、中郡峰山町、竹野郡網野町、丹後町、弥栄町、熊野郡久美浜町が新設合併して京丹後市が発足した。大字として大宮町上常吉が設置されている。2014年(平成26年)3月31日時点の世帯数は84戸・人口は230人だった[10]。
教育
[編集]大宮町立常吉小学校 | |
---|---|
「常吉小学校跡」の石碑 | |
北緯35度33分02.8秒 東経135度04分35.5秒 / 北緯35.550778度 東経135.076528度座標: 北緯35度33分02.8秒 東経135度04分35.5秒 / 北緯35.550778度 東経135.076528度 | |
過去の名称 | 常吉学校、常吉尋常小学校、常吉国民学校、常吉村立常吉小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大宮町 |
設立年月日 | 1873年11月 |
閉校年月日 | 1980年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒629 |
京都府中郡大宮町上常吉 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
1873年(明治6年)から1980年(昭和55年)まで、上常吉には大宮町立常吉小学校があった[5]。
1873年(明治6年)11月に常吉学校として創立し、当初は舞台を校舎として用いたとされる[11]。1889年(明治22年)に常吉尋常小学校に改称し、1895年(明治28年)には上の屋敷から上野に移すことを決定、1896年(明治29年)に校舎を新築して移転した[11]。1915年(大正4年)頃には常吉村と奥大野村の小学校統合問題が起こったが、結局は進展せずに終わっている[11]。1922年(大正11年)3月には5教室を増築し、学制発布50周年記念式典を挙行した。1923年(大正12年)4月1日には初めて高等科を併設した[11]。
1927年(昭和2年)3月7日の北丹後地震では体育館(屋内運動場)が倒壊し、1人の児童が死亡した[11]。1930年(昭和5年)3月31日には校舎が新築され、1935年(昭和10年)には運動場が拡張された[11]。1941年(昭和16年)4月1日には国民学校令によって常吉国民学校に改称した[11]。太平洋戦争の戦局が悪化した1945年(昭和20年)4月1日には京都市立凰徳国民学校の児童44人と付添教員3人を集団疎開で受け入れている[11]。
1947年(昭和22年)1月28日には常吉村役場で火災が発生し、隣接する常吉国民学校にも類焼した[11]。職員室と2教室が全焼し、雨天体操場が半焼したこの火災で、記録の大半を焼失している[11]。1947年(昭和22年)4月1日には常吉村立常吉小学校に改称し、1948年(昭和23年)12月28日には雨天体操場兼講堂と職員室などが竣工した[11]。1955年(昭和30年)12月16日に制定された校歌の作詞は安見幸八、作曲は宮田和[12]。校歌の一番には磯砂山が、二番には常吉川が登場する[12]。1957年(昭和32年)5月6日には完全給食を開始した[11]。
1973年(昭和48年)10月22日には創立100周年記念運動会を開催した[11]。1980年(昭和55年)3月24日には最後の卒業式と廃校記念式典を開催し、3月31日に廃校となった[11]。常吉小学校、大宮町立倉垣小学校、大宮町立三重小学校(一部)が統合され、1980年(昭和55年)4月1日には大宮町立大宮第二小学校が開校している。
名所・旧跡
[編集]- 経典寺 - 日蓮宗の寺院[2]。山門は江戸時代後期の建造物[10]。
- 地蔵院 - 曹洞宗の寺院[2]。境内には平地地蔵がある[10]。
- 平地地蔵 - 地蔵院境内にある石造地蔵菩薩立像。立像の石仏としては京都府最大級。
- 冨持神社 - 神社。大宮町でもっとも樹高の高いスギがある[10]。
- 白滝不動堂 - 常吉川の上流部にある仏堂。得円法師の荒行の跡と伝えられる。
- 地蔵堂 - 地区内に複数の地蔵を祀った道祖神の堂が数か所にあり、毎年の地蔵盆における信仰の対象となっている。
-
経典寺
-
平地地蔵(通常期)
-
平地地蔵(冬季)
-
冨持神社
-
白滝不動堂
-
地区内の道祖神
施設
[編集]公共施設
[編集]- 大宮町立常吉小学校(廃校) - 1873年(明治6年)開校[5]。1980年(昭和55年)に廃校となり、統合されて大宮町立大宮第二小学校が開校した。
- 常吉保育所(廃園) - 1968年(昭和43年)開園[5]。1980年(昭和55年)新築[13]。2007年(平成19年)以降「あけぼの荘」(下記)。
- 上常吉公民館 - 常吉小学校跡に建設され、1984年(昭和59年)3月に竣工式が挙行された[14]。
- 小規模多機能型居宅介護事業所「あけぼの荘」 - 2007年(平成19年)1月1日開設[13]。常吉保育所だった建物を利用。
事業所・商店
[編集]- つねよし百貨店 - 常吉村営百貨店(1997年-2012年)の志を継いで2012年(平成24年)に開店した商店[15][16]。
- 小塚製麺 - つねよしうどんなどを製造する製麺所。
- 小塚食品 - 豆腐などを製造する事業所。
- 八月の猫 - ソーキそばなどを提供するカフェ。古民家を改修して2019年(平成31年)2月に開店した。
-
上常吉公民館
-
つねよし百貨店
-
小塚製麺
-
八月の猫
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』p. 415
- ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 26 京都府 下巻』p. 658
- ^ a b c d 『日本歴史地名体系 26 京都府の地名』p. 770
- ^ a b 磯砂山 京丹後ナビ
- ^ a b c d e 常吉小学校廃校記念誌編集委員会(1980)
- ^ 常吉小学校廃校記念誌編集委員会(1980)、p. 280
- ^ 辶の点は本来は1点のみ。
- ^ a b 吉田金彦、糸井通浩、網本逸雄『京都地名語源辞典』東京堂出版、2013年、382-383頁。
- ^ a b 『日本歴史地名体系 26 京都府の地名』p. 909
- ^ a b c d ふるさとわがまち 大宮町 上常吉区・下常吉区 京丹後市
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『大宮町誌』pp. 423-426
- ^ a b 『大宮町誌』p. 424
- ^ a b “与謝野町公共施設白書 施設カテゴリー編 (17) 保育所・幼稚園” (PDF). 与謝野町. p. 18. 2024年2月16日閲覧。
- ^ 大宮町『大宮 みちゆくこまち』大宮町、2004年、p. 15
- ^ 『「ソトコト」№203』木楽舎、2006年、62-63頁。
- ^ 『TURNS vol.30』第一プログレス、2018年、109頁。
参考文献
[編集]- 『日本歴史地名体系 26 京都府の地名』平凡社、1981年
- 大宮町誌編纂委員会『大宮町誌』大宮町長 中西喜右衛門、1982年
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 下巻』角川書店、1982年
- 吉田金彦、糸井通浩、網本逸雄『京都地名語源辞典』東京堂出版、2013年
- 常吉小学校廃校記念誌編集委員会『廃校記念誌 常吉の教育と歴史』常吉小学校廃校記念誌編集委員会、1980年