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'''伊勢市女性記者行方不明事件'''(いせしじょせいきしゃゆくえふめいじけん)は、[[1998年 |
'''伊勢市女性記者行方不明事件'''(いせしじょせいきしゃゆくえふめいじけん)は、[[1998年の日本|1998年]]に[[三重県]][[伊勢市]]で発生した[[失踪事件]]である。 |
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1998年11月24日深夜、伊勢市の出版社「[[伊勢文化舎]]」に勤務する編集者兼記者の辻出紀子が消息を絶った。[[三重県警]]は辻出に最後に接触したとみられる取材相手の男性Xに容疑を向け、[[逮捕・監禁罪|逮捕監禁]]容疑による[[別件逮捕]]も駆使してXを追及した。しかし、逮捕監禁事件については[[津地裁]]でXの[[一審]][[無罪]]が[[確定判決|確定]]し、反対にその[[公判]]で提出された取調べの録画テープにより、[[津警察署|津署]]が偽計や威圧を駆使した違法な取調べを行っていたことが判明した。 |
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== 事件の概要 == |
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1998年11月24日深夜、伊勢市で記者をしていた女性(当時24歳)は、午後11時ごろ勤務先から退社してから行方不明になった<ref name="asahi20161125">{{Cite news|和書|title=どんな形でも見つけ、抱きしめてあげたい **さん不明18年 捜し続ける両親|newspaper=朝日新聞|date=2016-11-25|page=29|edition=朝刊 三重}}</ref>。翌日、[[被害者]]の[[乗用車]]が伊勢市内の[[駐車場]]で見つかった<ref name="asahi20161125" />。乗用車は施錠されており、荒らされた形跡はなかったが、バッグや[[携帯電話]]が紛失していた。その後の[[三重県警察]]の[[捜査]]により、退社後に取材先の男性に会っていたことが判明したが、その後の消息については不明。 |
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無罪判決後、Xは[[日本弁護士連合会]]に対して人権救済を申立て、その結果として日弁連人権擁護委員会も、三重県警[[警察本部長|本部長]]および[[津地検]][[検事正]]には[[人権侵害]]行為を伴う取調べについて強い警告を発する事態に至った。しかし、Xはその後提起していた複数の賠償請求訴訟を自ら取り下げ、また「無罪が確定すればすべてを話す」と辻出家に述べていたにもかかわらず、辻出家に対して沈黙を貫き続けた。 |
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なお、この失踪については事件性が指摘されている<ref name="yomiuri20060907" />。 |
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以上の経緯から、Xは未だ辻出の失踪に関係しているとではと疑問視されてはいるが、[[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮による拉致説]]など、信頼性に欠ける多くの巷説も流布され続けており、辻出の失踪は未解決のままである。 |
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== 捜査 == |
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残された車両には、女性が喫煙をしないのに[[タバコ]]が残されているなど、不自然な点があった。先述の男性が最初に捜査線上に浮上したものの、失踪とは関係ないと主張。その後、男性は別の[[監禁]]容疑で[[逮捕]]されるものの、本件については[[無罪]][[判決]]が下り、男性は逆に国を[[提訴]]した。しかし、その後男性は訴えを取り下げるなど不可解な展開を見せる。 |
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== 失踪 == |
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現在、この男性は捜査線上から外れている。[[特定失踪者問題調査会]]が被害者の両親と情報を交換するなど、[[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮による拉致]]の可能性も排除できないとの見方もあるが、真相は未だ分かっていない<ref>{{Cite news |url=http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008090801000729.html |title=女性記者、拉致否定できぬリストに 三重の失踪事件 |newspaper=47NEWS |agency=共同通信 |publisher=全国新聞ネット |date=2008-09-08 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080911090032/http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008090801000729.html |archivedate=2008-09-11}}</ref>。 |
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[[1998年の日本|1998年]]11月24日23時頃、当時24歳の編集者、'''辻出紀子'''(つじで のりこ)は、勤務先である[[三重県]][[伊勢市]]の出版社、[[伊勢文化舎]]を出たのを最後に、信頼に足る情報が得られないまま消息不明となった<ref>[[#加藤|加藤 (2017)]] 222頁、226頁</ref>。辻出は同日の日中、カメラ屋に写真の現像を頼んだままであり、また深夜に会社を出た際も、寒気のなか[[ダウンジャケット]]を会社に置いたままであった<ref name="加藤2256">[[#加藤|加藤 (2017)]] 225-226頁</ref>。そして、辻出は同日の昼間に、過去の取材から接点のあった男性'''X'''から幾度か電話を受けており、また会社を出る直前にも、このXから電話を受けていた<ref name="加藤2256"/>。 |
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翌25日になっても辻出は出社しなかったが、同僚は昨夜の残業もあって不審には思わなかった<ref name="加藤2256"/>。辻出は同月23日に旅行から帰ったたばかりであったため、休暇中に仕事が溜まっていたのであろうと判断した家族も、彼女が帰宅しなかったことを心配しなかった<ref name="加藤2256"/>。辻出の失踪を家族と会社が知ったのは、市内の保険会社駐車場に放置されていた彼女の自動車を動かすよう、[[伊勢警察署]]が辻出家に連絡してからであった<ref name="加藤2267">[[#加藤|加藤 (2017)]] 226-227頁</ref>。 |
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なお、読売新聞は1999年12月の記事にて、三重県警察による公開手配の遅れを指摘している<ref>{{Cite news|和書|title=ファイルみえ99 (10) 伊勢の女性記者行方不明|newspaper=読売新聞|date=1999-12-27|edition=中部朝刊 三重|page=20}}</ref>。 |
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== 初動捜査 == |
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伊勢文化舎から数百メートル離れた駐車場で発見された辻出の車は、彼女の几帳面な性格に反して、駐車場の白線を無視して斜めに停められていた<ref>[[#大衆|「週刊大衆」編集部 (2017)]] 68頁、75頁</ref>。ドアはロックされた状態で車内に荒らされた形跡はなかったが<ref name="水谷52">[[#水谷|水谷 (2019)]] 52頁</ref>、財布や手帳、携帯電話などが入った[[ショルダーバッグ]]はなくなっていた<ref name="大衆68">[[#大衆|「週刊大衆」編集部 (2017)]] 68頁</ref>。また、辻出は非喫煙者であったにもかかわらず、車内からはタバコの吸殻が1本発見されている<ref name="大衆68"/>。運転席の座席も普段より下げられた位置にあり、普段はエンジンをかけると流れる[[カーステレオ]]も切られた状態にあった<ref name="水谷52"/>。その一方で、辻出の銀行口座から預金が下ろされた形跡はなかった<ref name="大衆68"/>。 |
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{{Reflist}} |
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これらの異状にもかかわらず、[[生活安全課]]は家族に車を移動させた後も辻出を「[[家出人]]」として扱い、捜査を求める両親の言葉にも応じなかった<ref name="加藤2267"/>。辻出の父は伝手を頼って副署長にも面会したが、副署長も笑って宥めるのみであった<ref name="加藤2267"/>。1か月後に<ref>[[#八木澤|八木澤 (2016)]] 131頁</ref>非公開での捜査が始まってからも、伊勢署は家族と同僚の[[事情聴取]]を別々に行い、また辻出の家庭問題を疑ったため、会社側の情報を家族には伝えようとしなかった<ref name="加藤2267"/>。 |
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== 被疑者X == |
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=== 辻出との関係 === |
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辻出に最後に接触したとされるXは、そもそも[[尾鷲市]]役所が彼女に引き合わせた男性であった<ref name="加藤229">[[#加藤|加藤 (2017)]] 229-230頁</ref>。当時の三重県では「[[東紀州]]体験プロジェクト」などの大型イベントによる振興が図られており、『伊勢志摩』誌の編集者兼記者であった辻出は、東紀州に顔が広い取材協力者を探していた<ref name="加藤229"/>。そこで尾鷲市役所が辻出に紹介したのが、隣接する[[海山町]]で熱帯魚販売店を営み、地元の[[日本青年会議所|青年会議所]]で副理事長も務めていたXであった<ref name="加藤229"/>。 |
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子供向け自然ふれあいイベントで講師を務めたり、女性に紳士的に接したりするXに対し、辻出は信頼を寄せるようになり、Xの顔写真を同僚に見せて「かっこええやろ」と言ったりもしていた<ref name="西牟田2">{{cite news|title= 【未解決事件の闇2】女性編集者失踪事件の容疑者逮捕...しかし一転無罪へ|author= [[西牟田靖]]|date= 2014-08-29|publisher= {{lang|en|[[Rakuten]] [[Infoseek]] News}}|agency= [[TABLO]]|accessdate= 2020-02-17|url= https://news.infoseek.co.jp/article/knuckles_1650/}}</ref>。Xを取材・特集した号の『伊勢志摩』編集後記には、「{{Interp|X|和文=1}}さんの、自然の中での表情ときたら。実に嬉しそうなのだ。自然は人を笑顔にさせる力があると思う」とも書いている<ref name="加藤229"/>。 |
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=== 私生活 === |
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一方で、下記の[[#別件逮捕|逮捕監禁容疑]]でXと離婚することになるXの最初の妻や、その関係者からは、Xが「[[東京]]に行って帰ってくると薬物の匂いが体からぷんぷんしたり、全然寝ない日があったりした」「包丁を持って部屋に閉じこもり『死んだる』とわめき散らしてみたり、すぐカッとなって物を投げつけたり、食卓をひっくり返したりした。性的にも普通ではなく、医学本に載っている女性の陰部をなめ回すほどに見たり、椅子の下に[[コンドーム]]を敷き詰めたり、[[自慰行為]]を狂ったようにし続けたりし」た、との証言も得られていた<ref name="西牟田18">{{cite news|title= 【未解決事件の闇18】女性編集者失踪・容疑者Xと元配偶者の離婚|author= 西牟田靖|date= 2015-08-17|publisher= {{lang|en|Rakuten Infoseek News}}|agency= TABLO|accessdate= 2020-02-17|url= https://news.infoseek.co.jp/article/knuckles_2036/}}</ref>。希少動物の輸入による[[ワシントン条約]]違反によって、40万円の[[罰金刑]]に処せられたこともあったという<ref name="西牟田18"/>。 |
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===「任意」取調べ === |
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このXを辻出の失踪に関与していると見た伊勢署は、翌[[1999年の日本|1999年]]1月26日にXを[[任意同行]]させ、2月3日まで取調べた<ref name="室木100">[[#室木|室木 (2000)]] 100頁</ref>。聴取は朝8時頃にパトカーがX宅まで赴き、そのまま署で23時から深夜0時頃まで取調べ、1時から2時頃に帰宅させるという、任意という名目からはかけ離れたものであった<ref name="室木100"/>。 |
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警察はXに対し、辻出を[[殺人罪 (日本)|殺害]]して遺体をどこに[[死体損壊・遺棄罪|遺棄]]したのかと[[自白]]を迫った<ref name="室木100"/>。Xは当初の調べに対しては「辻出とは夏以来会っていない」と話していたが<ref name="文春58">[[#文春|『週刊文春』第42巻第17号]] 58頁</ref>、供述を変転させた末、11月24日23時頃に辻出と会ったことは認めた<ref name="加藤229"/>。また、Xは辻出失踪の直後に、[[刑法]]・[[刑事訴訟法]]関連の専門書を数冊購入していた<ref name="文春58"/>。 |
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しかし、警察はXの周辺人物に聞き込みを行い、[[家宅捜索]]も実施したが、Xが辻出の失踪に関与しているとの確たる[[証拠]]は挙がらなかった<ref name="室木100"/>。Xは女性の使用済み[[生理用品]]を所持しており、その[[ABO式血液型|血液型]]は辻出のものと同じB型であった<ref name="加藤233">[[#加藤|加藤 (2017)]] 233頁</ref>。しかしXの交際相手の血液型もまたB型であり、さらに生理用品はその後Xに返却されたため、[[DNA型鑑定]]による再鑑定は不可能となっている<ref name="加藤233"/>。 |
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=== 別件逮捕 === |
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辻出の失踪には無関係であると主張し続けるXに対し、警察はXを翌2月10日に[[逮捕・監禁罪|逮捕監禁]]容疑で[[逮捕 (日本法)|逮捕]]し、身柄を[[津警察署|津署]]へと移送した<ref name="室木100"/>。その詳細は、[[1997年の日本|1997年]]12月16日13時頃から翌17日17時頃まで、Xが上京するたびに会っていた馴染みの[[ホテトル嬢]]'''A'''を、その手を縛って彼女の自宅マンションに閉じ込めた、というものであった<ref name="西牟田2"/><ref name="室木100"/>。しかし、この逮捕監禁事件で[[被害届]]が出されたのは発生から1年以上が経過した1999年2月5日のことであり、これは辻出失踪事件を本命とする明らかな[[別件逮捕]]であった<ref name="室木100"/>。 |
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翌3月4日にXは逮捕監禁事件で[[津地裁]]へと[[起訴]]されたものの、その身柄は[[三重刑務所]]に移監される7月22日まで<ref name="日弁連8827"/>、[[代用監獄]]たる津署へ留め置かれた<ref name="室木100"/>。Xはこの4か月半以上の間も、辻出失踪事件について追及を受け続けたが、2月11日に[[弁護人]]に選任された'''[[室木徹亮]]'''は、彼に対し完全[[黙秘権|黙秘]]を指示した<ref name="室木100"/>。 |
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==== 裁判 ==== |
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===== 証言 ===== |
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東京での逮捕監禁事件についてはその後、[[被害者]]とされるAの[[証言]]も[[公判]]に提出された<ref name="日弁連8901">[[#日弁連|日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005)]] 890-891頁</ref>。しかしその内容は、「Xに退去を求めたところ暴行・[[強姦]]されたが、にもかかわらずその後自ら[[トリアゾラム|ハルシオン]]や[[精神安定剤]]を服用して眠ってしまったので、詳細はよく覚えていない」という不可解なものであった([[津地検]]はこれに対し、Aの証言は明確・詳細かつ変遷がなく、またその内容の一部はAの友人やXの元妻の供述からも裏付けられている、と反論している)<ref>[[#日弁連|日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005)]] 890頁、907頁</ref>。 |
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===== 写真 ===== |
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さらには弁護側の[[物証]]として、犯行があったとされる時間帯にXがAの部屋を撮影した写真や、Aとの会話を録音した[[カセットテープ]]も提出されていた<ref name="日弁連8901"/>。写真が撮影された時間帯は、それに写り込んだテレビの画面から明らかであったが、それらの写真にはAの姿も彼女のハンドバッグなどもなく、携帯電話の充電器にAの携帯は差し込まれておらず、玄関にもAの靴は写っていなかった<ref name="日弁連8901"/>。 |
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これらの写真は、逮捕監禁事件があったとされる1997年12月17日朝3時から10時2分まで、Aは現場にいなかったことを強く疑わせるものであった<ref name="日弁連8901"/>。また、Xは自身が写っているものを含めたこれら写真の入った[[使い捨てカメラ]]を、現像もせず逮捕時まで手許に置き続けていたのであって、捏造の可能性も考え難かった(津地検はこれに対し、写真は撮影の状況・目的がまったく不明であり証拠価値は低い、と反論している)<ref>[[#日弁連|日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005)]] 891頁、907頁</ref>。 |
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===== 録音テープ ===== |
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テープに録音されたXとAの会話は、AがXに対し「やだぁー、ここで話して」「仕事だったら、余り好きでないやつでも[[性行為|エッチ]]してもいい。{{Interp|X|和文=1}}君とは仕事じゃない。だから……」などと甘えた様子で話しているものであった<ref name="日弁連8901"/>。さらに、A宅にXがいることやXにAの交際相手の電話番号を教えたことを秘密にして欲しい、とAがXに頼んだり、AがXからの求めもなしに自由に交際相手に電話を掛けている状況も録音されていた(津地検はこれに対し、テープの録音状態は極めて不鮮明であり、録音のタイミングもXが縛っていたAの手をほどいた後の、緊張が弛緩した状況であったと反論している)<ref>[[#日弁連|日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005)]] 891頁、907-908頁</ref>。 |
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===== Aの手帳 ===== |
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これに加えて、Aが仕事の売上を記録していた手帳には、1997年12月16日夜から翌17日朝、すなわち逮捕監禁事件があったとされる時間には働きに出ていたことを推定させる記述がある<ref name="日弁連8923">[[#日弁連|日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005)]] 892-893頁</ref>。にもかかわらず、検察側にはこの手帳の正確性やAの勤務状況について、何ら裏付け捜査を行った形跡が見られない(津地検はこれについて、Aは普段売上記録を手帳に数日分まとめ書きしており、そもそも犯行日の特定はAがXに借金を返済した際の[[領収書]]の日付によるため、手帳に証拠価値はない、と反論している)<ref>[[#日弁連|日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005)]] 892頁、908頁</ref>。 |
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さらに、検察側はXの[[無実]]を推定させるこれらのカセットテープおよび手帳を入手していたにもかかわらず、その存在は弁護側が独自に調査するまで秘匿されたままであった<ref name="日弁連8923"/>。 |
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==== 判決 ==== |
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結局、津地裁はこれら弁護側提出の証拠に基づいてAの証言の信用性を否定し、1999年10月5日、Xに対し[[無罪]][[判決 (日本法)|判決]]を言い渡した<ref name="室木101">[[#室木|室木 (2000)]] 101頁</ref>。検察側もこの判決に対して[[控訴]]せず、逮捕監禁事件に関するXの無罪は[[確定判決|確定]]した<ref name="室木101"/>。 |
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==== ポリグラフ検査の強要 ==== |
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他方、別件逮捕後も辻出失踪事件に関する追及は続き、津署は1999年4月29日にXを[[ポリグラフ]]検査にかけようとした<ref name="室木101"/>。しかし、[[刑事]]が検査機器をXに装着させようとした際に、Xの両腕を強く握って揺さぶったため、Xは右肘内側に[[表皮]]剥離の障害を受けたという<ref name="室木101"/>。翌30日に室木が[[接見]]室でこの傷を写真撮影し、その後逮捕監禁事件での[[公判]]で、別件逮捕の違法性と刑事による暴行を訴えた<ref name="室木101"/>。 |
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すると検察側はこれに対し、ポリグラフ検査の際に刑事の暴行があったことを否定するため、津署でのポリグラフ検査の状況を撮影したビデオテープを提出した<ref name="室木101"/>。ところがそのビデオには、後にXから人権救済申立てを受けた<ref name="文春58"/>[[日本弁護士連合会]]が強く問題視するほどの、多数の問題行為が含まれていた<ref>[[#日弁連|日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005)]] 897頁</ref>。その取調べ内容とは、 |
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* Xに対する暴行として、 |
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** 検査を実施しようとした際の、Xの右太腿内側への右平手での殴打1回 |
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** Xの組んだ脚の左側を、大声で「{{Interp|X|和文=1}}、なんでや、お前。おぉ。ちゃんとはずせ、足ちゃんとせい」と言いながらの左手での払い<ref name="ポリ114">[[#ポリ|「ポリグラフ検査ビデオ再現」(2000)]] 114頁</ref> |
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** 両手でXの両腕を掴み、「なにが拒否じゃぁ! [[令状]]出てるんやないか、こらぁ!{{Interp|中略|和文=1}}拒否もクソもあるかぁ! 能書きたれとんなよ、お前、いつまでも<ref name="ポリ114"/>」などと怒鳴りながら、幾度もXの身体を揺する |
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* 弁護人との接見妨害として、 |
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** ポリグラフ検査を拒否できるか室木に確認したいと求めるXに対し、「{{Interp|X|和文=1}}、お前、弁護士っちゅうのはな。関係ないわ」「後で聞きゃ、えぇやないか」「弁護士はオールマイティーと違うんやで」「法的にはできないんだよ。もう」との発言 |
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* 黙秘権に関する虚偽の説明について、 |
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** 「黙秘っちゅうのは、私が犯人ですと認めてるわけやぞ。{{Interp|中略|和文=1}}都合の悪いことだけは黙秘してもよろしいよっちゅう規定やぞ。それを黙秘しますっちゅうことは、都合の悪いことだらけですっちゅうことやぞ」「自分がしゃべりたないことしゃべらんて、そんな黙秘権はないわさ」<ref name="ポリ108">[[#ポリ|「ポリグラフ検査ビデオ再現」(2000)]] 108頁</ref>などとの、黙秘権の行使によってXが犯人であると認定されるかのような偽計を伴う威圧 |
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* ポリグラフ検査に関する虚偽の説明について、 |
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** 「今ここに、白か黒かはっきりしてもらえる機械与えてもろとんやないか。それを、拒否するちゅうんは黒としかないやねんからな」「お前は自分で蹴ったんやぞ。最後の道を。だから今から、白っちゅうよな言葉使うなよ、お前。の。証拠はないけれども、真っ黒んなったんや、今の時点から。よう覚えとけよ。俺自身のも。の。わかった。真っ黒なんやで。前よりいっそう黒なったんやで。もう限りなく黒に近い黒や」<ref>[[#ポリ|「ポリグラフ検査ビデオ再現」(2000)]] 111頁、119頁</ref>などとの、ポリグラフ検査によってXの犯人性が確定するわけでも、検査を拒否したとしても犯人と見做されるわけでもないのに、それが事実であるかのような偽計を伴う威圧 |
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* その他の虚偽の説明について、 |
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** 「君は、義務があるやないか。逮捕されとんのやで」「逮捕された被疑者はどんなことがあっても取り調べ拒否できひんやないか。弁護士にそのぐらい聞いとるやろが、え。応じる義務があるて、書いてあるやろが」「被せられてる容疑が殺人やねんから」との、Xが辻出失踪事件で逮捕されているかのような偽計を伴う威圧 |
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** 「どって証明するん。どこで証明するんにゃ。伊勢の事件をどって無実証明するんや。え。どって証明するんにゃ。アホみたいなことばっか言うなよ。どこで証明するの<ref>[[#ポリ|「ポリグラフ検査ビデオ再現」(2000)]] 110頁</ref>」との、Xの側に無罪の立証責任があるかのような偽計を伴う威圧 |
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** 「一〇年勝負してって、警察と一〇年勝負して負けんのお前に決まっとるやネいか、ほんなもん。勝った奴おらへんぞ、ほなもん。ヤクザでも尻尾巻いて逃げて行くんやないか、警察と勝負して。一〇年つきまとわれて見ろ。どんなにヤなもんか、お前、わからへんやないか<ref>[[#ポリ|「ポリグラフ検査ビデオ再現」(2000)]] 111頁</ref>」などとの威圧 |
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** 「令状出とんのやで何してもええんやで、鑑定処分やて。必要があったら切り刻んでもええんやで。[[陰茎|チンチン]]の中へ棒突っ込むこともできるんやないか。え」との、鑑定処分が無制限に行えるかのような偽計を伴う威圧 |
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というものであった<ref name="日弁連8827">[[#日弁連|日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005)]] 883-885頁</ref>(室木は、検察側が「適正な取調べが行われた証拠」としてこのビデオテープを提出してきたことに恐怖を覚えた、と述べている<ref name="室木101"/>)。 |
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また、日弁連人権擁護委員会は4月29日のビデオテープ内容のみならず、 |
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* 2月17日の調べにおける、「弁護士が余り黙秘権を使えと被疑者に言うと、{{Interp|中略|和文=1}}[[弁護士会]]から追放になる」などとの、偽計を伴う威圧 |
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* 翌18日の調べにおける、Xが室木から説明された黙秘権の意味について「弁護士が黙秘権についてそんなことを言うと、弁護士も大変なことになる」などとの、偽計を伴う威圧 |
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* 同18日の調べにおける、捜査過程で入手したXの裸の写真を提示しての、「この写真を証拠に出せば、裁判官はお前が変態だという[[心証]]を持つぞ」との威圧 |
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という捜査手法も問題視している(しかし三重県警本部はこれらについて、取調べ内容はいずれも通常の説得行為、または事実の告知の範疇にある、として違法性を否認している)<ref>[[#日弁連|日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005)]] 886-887頁、899-906頁</ref>。 |
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=== 日弁連による警告 === |
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以上の事実を踏まえ、最終的な調査結果として日弁連人権擁護委員会は、[[2001年の日本|2001年]]2月7日に[[三重県警]][[警察本部長|本部長]]・[[警察庁長官]]・[[三重県公安委員会|三重県公安委員長]]・津地検[[検事正]]へ宛てて、それぞれ警告と要望を発している<ref>[[#日弁連|日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005)]] 882頁、888頁</ref>。 |
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三重県警本部長宛ての警告について人権擁護委員会は、津署がXに対して行った行為は「[[違憲]]違法な[[人権侵害]]行為である。今後、[[被疑者]]の取調べに当たっては違法な捜査を厳に慎み、被疑者の黙秘権や弁護人との接見交通権などの権利を最大限に尊重されるように警告する」とした<ref>[[#日弁連|日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005)]] 882頁</ref>。そして警察庁長官及び三重県公安委員長に対し、所轄する警察署において今後同様の人権侵害が発生しないよう、指導・監督を強化するよう要望を発した<ref>[[#日弁連|日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005)]] 888頁</ref>。 |
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また津地検検事正宛ての警告について同委員会は、当時得られていた証拠を考慮すれば逮捕監禁事件については、少なくとも「[[嫌疑不十分]]」の判断を行うのが正当であったのは明らかであり、「{{Interp|X|原文では「申立人」|和文=1}}は本件起訴後も四ヶ月半にわたり代用監獄に勾留され、その間{{Interp|辻出|原文では「B」|和文=1}}失踪事件についての執拗な取調を受け続けたこと等の起訴前後の事情を考慮すると、貴庁は、{{Interp|辻出|原文では「B」|和文=1}}失踪事件についての取調べ機会を確保する目的で恣意的に起訴相当の判断を行ったとの疑いを払拭できない」と述べた<ref name="日弁連8923"/>(これについては起訴担当[[検事]]自身も後に、辻出失踪事件の調べを続けるための、無理筋の起訴であったと認めている<ref>{{cite news|title= 【未解決事件の闇13】女性編集者失踪・なぜ容疑者Xは無罪になったのか|author= 西牟田靖|date= 2015-01-29|publisher= {{lang|en|Rakuten Infoseek News}}|agency= TABLO|accessdate= 2020-02-17|url= https://news.infoseek.co.jp/article/knuckles_1880/}}</ref>)。 |
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そして、「当然に[[不起訴]]とすべきであるのに敢えて起訴したこと及び無罪の重要な根拠となるべき証拠(カセットテープと手帳)の存在を明らかにしようとしなかった対応は、検察の職責に悖るものであるとともに被疑者・[[被告人]]の権利を侵害する違法な人権侵害行為であると評価せざるを得ない」と警告している<ref>[[#日弁連|日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005)]] 889頁</ref>。 |
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=== 無罪判決後のX === |
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勾留中にXは辻出家に対し、「逮捕監禁事件で無罪を勝ち取った暁にはすべてを話す」という内容の書面を、室木の署名入りで提出していた<ref name="水谷53">[[#水谷|水谷 (2019)]] 53頁</ref>。 |
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しかし、無罪判決後の釈放翌日に辻出の両親が面会を求めると、Xは義兄を通して「私たちは[[マスコミ]]報道に我慢がならない」「やるだけ無駄だという結論になった」「いくら灰色といわれても放っておく。もちろん、人権を侵害するような報道には法的な処置をとる」「伊勢文化舎の代表が怪しい」などと述べて面会を断った<ref name="加藤2301">[[#加藤|加藤 (2017)]] 230-231頁</ref>。そして、「今後もし話をする気になったら、内容をマスコミに漏らさない、回答をあげつらうような質問をしない、などの条件付きの上で、弁護士を通じてあなた方に連絡する。それまであなた方からの連絡は拒否する」との旨を一方的に宣告した<ref name="加藤2301"/>。 |
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さらにXは、日弁連への人権救済申立てに加え、逮捕監禁事件でのAおよび2人の[[証人]]に対して連帯で3000万円を求める[[損害賠償]]請求訴訟を<ref name="文春58"/>、国と三重県に対して同じく3000万円を求める[[国家賠償]]請求訴訟を提起した<ref name="加藤2301"/>。結果的にXは賠償請求訴訟を取り下げたが、マスコミに対しても同様の訴訟を起こす構えも見せていたため、その後は警察もメディアもXを追及することに及び腰になった<ref name="加藤2301"/>(三重県警の元捜査員によれば、無罪判決の後、今後一切Xには手出しをしないように、との通達があったという<ref>{{cite news|title= 【未解決事件の闇14】女性編集者失踪・Xの反撃と八方ふさがりの捜査|author= 西牟田靖|date= 2015-02-09|publisher= {{lang|en|Rakuten Infoseek News}}|agency= TABLO|accessdate= 2020-02-17|url= https://news.infoseek.co.jp/article/knuckles_1793/}}</ref>)。 |
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その後も沈黙を守り続けるXに対し、業を煮やした辻出の父は室木のもとを訪ねたこともあったが、その際に室木から半笑いで「あなた方、人の揚げ足取るようなことばかり言って、何にもならなかったな」と言われたという<ref name="加藤2345">[[#加藤|加藤 (2017)]] 234-235頁</ref>。 |
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== その後の捜査・支援活動 == |
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辻出失踪直後の1999年1月には、辻出の学生時代の友人たちや、[[有田芳生]]、[[鳥越俊太郎]](室木の友人であり、室木の依頼でXの[[冤罪]]を訴える番組を構想していたが、その後断念)、[[村尾信尚]](元[[三重県庁]]行政改革担当部長)などの報道関係者により、「辻出紀子写真展」が開催されている<ref>[[#加藤|加藤 (2017)]] 228頁、230頁、235頁</ref>。同様の写真展は、2001年11月に東京と伊勢市でも開催されている<ref>{{cite web|title= 開催スケジュール|url= http://www.tsujidenoriko.jp/schedule.html|website= 辻出紀子写真展 -旅のあしあと-|publisher= 辻出紀子写真展実行委員会|accessdate= 2020-02-17}}</ref>。 |
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三重県警は、辻出の失踪から10か月が経過した1999年9月から情報提供を求める公開捜査に踏み切り、[[2019年の日本|2019年]]までに、捜査には約3万1900人が投入された<ref name="水谷52"/>。情報提供者への謝礼金上限額は300万円に設定され、寄せられた情報は88件に上ったが、有力な手掛かりは得られなかった<ref name="水谷52"/>。 |
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事件以来、辻出の両親は毎年11月24日に情報提供を求めるビラを配り続け、警察に重機で怪しい場所を掘り起こしてもらったこともあった<ref name="水谷53"/>。[[四国八十八箇所]]もすべて巡り、テレビ番組の[[超能力捜査官]]や[[ダウジング]]専門家にまで頼ったが、何ら成果は得られなかった<ref name="水谷53"/>。両親は辻出の生存をほぼ諦めているが、それでもなお情報提供を呼び掛け続けている<ref name="水谷52"/>。 |
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=== 北朝鮮による拉致説 === |
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[[2008年の日本|2008年]]9月、[[産経新聞]]は「[[北朝鮮]]事情に詳しい中朝関係筋から」の情報として、「{{Interp|日本側は|和文=1}}辻出さんの『つ』の字も出さなかったのに、先方から辻出さんの名前をフルネームで言った」と報じた<ref name="上">{{cite web|title= 辻出紀子さん失踪を「よど号グループ」に質した(上)|author= [[伊藤孝司]]|date= 2015-01-10|accessdate= 2020-02-17|url= http://kodawarijournalist.blog.fc2.com/blog-entry-25.html|publisher= 平壌日記 {{lang|en|PYONGYANG DIARY}} フォトジャーナリスト・伊藤孝司の朝鮮最新情報}}</ref>。[[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致問題]]を調査している日本の大学教員が、辻出を知っている[[脱北者]]と[[韓国]]で出会った、とも報じられた<ref name="水谷53"/>。 |
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[[特定失踪者問題調査会]]はこの報道当日、辻出の両親とともに記者会見を行い、辻出が同調査会の「不明者リスト」に追加されていると述べた<ref name="上"/>。また同調査会の一関係者は、失踪前の辻出が[[メーリングリスト]]に「北朝鮮に行って[[よど号グループ]]にインタビューしたい」と書き込んでいたことを根拠に、「辻出が自ら海路で北朝鮮に入り、よど号グループへのインタビューに成功した後で消息を絶った」と断言している<ref name="西牟田4">{{cite news|title= 【未解決事件の闇4】北朝鮮へ自ら渡航説!? 失踪した女性編集者の気になる行動|author= 西牟田靖|date= 2014-09-16|publisher= {{lang|en|Rakuten Infoseek News}}|agency= TABLO|accessdate= 2020-02-17|url= https://news.infoseek.co.jp/article/knuckles_1680/}}</ref>。さらに[[2014年の日本|2014年]]3月には三重県警が辻出家に申し入れたことにより、辻出の名が警察庁による「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない失踪者」リストに加えられている<ref name="上"/>。 |
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しかし、辻出が自ら北へ入った根拠とされるメーリングリストには具体的な内容は一切なく<ref name="下"/>、辻出を知る脱北者と会ったと主張していた大学教員も、数年後には「人違いだった」と発言を撤回している<ref name="水谷53"/>。また、2014年9月によど号グループのリーダー[[小西隆裕]]に直接インタビューしたジャーナリストの[[伊藤孝司]]によれば、辻出に会ったこともなければ名前も知らない、と小西は驚いたように回答したという<ref name="下">{{cite web|title= 辻出紀子さん失踪を「よど号グループ」に質した(下)|author= 伊藤孝司|date= 2015-01-17|accessdate= 2020-02-17|url= http://kodawarijournalist.blog.fc2.com/blog-entry-26.html|publisher= 平壌日記 {{lang|en|PYONGYANG DIARY}} フォトジャーナリスト・伊藤孝司の朝鮮最新情報}}</ref>。 |
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同年7月に[[日本経済新聞]]が「北朝鮮で存命の日本人リスト」についてスクープした際には、辻出家にも取材陣が詰めかけたが、辻出の母は「拉致の可能性はないんでね、記者の皆さんにはお帰りいただいたんです」と取材を拒否するなど、家族ももはや北朝鮮による拉致説には信を置かなくなっている<ref name="西牟田4"/>。 |
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=== その他の説 === |
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辻出はかつて[[性産業]]で栄え、「売春島」とも俗称された[[志摩市]]の[[渡鹿野島]]について取材を試み、何らかのトラブルに巻き込まれ失踪した、との噂がネット上では流布している<ref name="水谷53"/>。しかし、辻出の周辺人物は彼女が渡鹿野島の性産業に関心を抱いていたことを一様に否定している<ref name="水谷53"/>。また、渡鹿野島は極めて小さいうえ常時対岸に渡し船が出ており、事件の存在を隠し通せる可能性は極めて低い<ref>{{cite news|title= 【未解決事件の闇9】女性編集者失踪・売春島にいる説を検証〜2ちゃんねる情報から|author= 西牟田靖|date= 2014-10-24|publisher= {{lang|en|Rakuten Infoseek News}}|agency= TABLO|accessdate= 2020-02-17|url= https://news.infoseek.co.jp/article/knuckles_1735/}}</ref>。 |
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別の説として、辻出は1998年11月19日から失踪前日の23日まで、[[タイ王国|タイ]][[ターク県]][[メーソート]]近郊の[[難民キャンプ]]を取材していた<ref name="西牟田10">{{cite news|title= 【未解決事件の闇10】女性編集者失踪・ミャンマー逃亡説の検証で難民キャンプを訪問|author= 西牟田靖|date= 2014-11-20|publisher= {{lang|en|Rakuten Infoseek News}}|agency= TABLO|accessdate= 2020-02-17|url= https://news.infoseek.co.jp/article/knuckles_1736/}}</ref>。取材に同行していた友人によれば、辻出はキャンプで難民の男性に「私と結婚したらここから出られるのにね」と冗談半分で励ましたところ、男性はそれを本気にしてしまったという<ref name="西牟田10"/>。辻出はその難民の求婚を断り切れず、彼とともに逃避行に出たとの噂もあるが<ref name="西牟田10"/>、辻出のパスポートには事件当日の出国記録は存在しない<ref>{{cite news|title= 【未解決事件の闇】伊勢女性編集者失踪事件のこれまでを総括する|author= 西牟田靖|date= 2014-12-04|publisher= {{lang|en|Rakuten Infoseek News}}|agency= TABLO|accessdate= 2020-02-17|url= https://news.infoseek.co.jp/article/knuckles_1814/}}</ref>。 |
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その他にも、辻出は東紀州の[[アワビ]]密漁者とのトラブルに巻き込まれたという説もあるが<ref name="加藤229"/>、いずれにせよ辻出の両親はその後も、Xに対する疑念を捨ててはいない<ref name="水谷53"/><ref name="西牟田4"/>。 |
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== 脚注 == |
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{{Reflist|2}} |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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=== 書籍 === |
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{{ページ番号|date=2015年2月}} |
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* {{Cite book|和書|author= 加藤宗一郎|others= [[平山夢明|スタジオダラ]]ほか執筆・取材・編集協力|title= 〈実録〉平成の未解決・未解明事件の謎 殺しの手帖|pages= 222-237|year= 2017|publisher= [[洋泉社]]|series= 洋泉社MOOK|isbn= 978-4800313089|chapter= 辻出紀子さんのご両親が告白する『19年の苦悩』伊勢女性記者行方不明事件――重要人物『X』の変心|ref= 加藤}} |
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* 別冊宝島 日本の「未解決事件」100(宝島社) ISBN 978-4-7966-8083-7 |
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* {{Cite book|和書|author= 「[[週刊大衆]]」編集部|others= [[北芝健]]監修、[[谷口雅彦]]写真|title= 迷宮探訪 - 時効なき未解決事件のプロファイリング|year= 2017|publisher= [[双葉社]]|isbn= 978-4575313185|ref= 大衆}} |
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* {{Cite book|和書|author= [[八木澤高明]]|editor= [[別冊宝島]]編集部編|title= 昭和・平成「未解決事件」100 - 衝撃の新説はこれだ!|year= 2016|publisher= [[宝島社]]|isbn= 978-4800256522|pages= 130-131|chapter= 三重・女性記者失踪事件 1998・11・24 誰に連れ去られたのか 突然消えた〝女性記者〟|ref= 八木澤}} |
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* {{Cite book|和書|editor= [[日本弁護士連合会]]人権擁護委員会編|title= 日弁連 人権侵犯申立事件 警告・勧告・要望例集|year= 2005|publisher= [[明石書店]]|isbn= 978-4750322209|volume= 4 1988〜2004年度 行政・制度、捜査機関、裁判所、刑務所・拘置所による侵害|ref= 日弁連}} |
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== |
=== 雑誌 === |
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* {{Cite journal|和書|author= [[水谷竹秀]]|date = 2019-12|title = '98年11月 伊勢女性記者失踪事件 辻出紀子さん(当時24)美人女性記者が失踪する直前に会っていた最後の男とは――|journal = [[女性自身]]|volume = 62|issue = 第45号(通巻第2894号)|pages = 52-53|publisher = [[光文社]]|ref = 水谷}} |
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* [[未解決事件]] |
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* {{Cite journal|和書|author = [[室木徹亮]]|date = 2000-07|title = 警察はそこまでやるか - ポリグラフ検査強要事件|journal = [[季刊・刑事弁護]]|issue = 第23号(秋季号)|pages = 100-101|publisher = [[現代人文社]]|isbn = 978-4877980146|ref= 室木}} |
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* [[失踪事件]] |
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* {{Cite journal|和書|date = 2000-05|title = 伊勢雑誌記者失踪 辻出紀子さんの謎は『完全黙秘』男が知る|journal = [[週刊文春]]|volume = 42|issue = 第17号(通巻第2077号)|pages = 57-58|publisher = [[文藝春秋]]|naid = 40001711090}} |
|||
* {{Cite journal|和書|date = 2000-07|title = ポリグラフ検査ビデオ再現 -【一九九九年四月二九日 津警察署にて】|journal = 季刊・刑事弁護|issue = 第23号(秋季号)|pages = 106-119|publisher = 現代人文社|isbn = 978-4877980146|naid= 40005089956|ref= ポリ}} |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* [https://www.police.pref.mie.jp/sp/provide_info/detail.php?no=20150305213029 紀子さんを捜しています] - 三重県警察 |
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*{{Wayback |url=http://www.police.pref.mie.jp/cooperation/%e7%b4%80%e5%ad%90%e3%81%95%e3%82%93%e3%82%92%e6%8d%9c%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%be%e3%81%99/ |title=三重県警察 |date=20130325035946}} |
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* [https://www.chosa-kai.jp/archives/missing/%E8%BE%BB%E5%87%BA-%E7%B4%80%E5%AD%90 辻出 紀子] - 特定失踪者問題調査会 |
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*{{Wayback |url=http://mainichi.jp/select/jiken/coldcase/etc/cases/11.html |title=毎日新聞 三重県伊勢市の女性記者不明事件(98年11月) |date=20090117081030}} |
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* [http://203.138.26.154/sub19.htm/siho104/104.htm 辻出紀子さんを想うコンサート] - くまの天女座 |
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*[https://tablo.jp/?s=%E6%9C%AA%E8%A7%A3%E6%B1%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E9%97%87 女性編集者失踪事件] - TABLO |
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2020年2月24日 (月) 04:40時点における版
伊勢市女性記者行方不明事件(いせしじょせいきしゃゆくえふめいじけん)は、1998年に三重県伊勢市で発生した失踪事件である。
1998年11月24日深夜、伊勢市の出版社「伊勢文化舎」に勤務する編集者兼記者の辻出紀子が消息を絶った。三重県警は辻出に最後に接触したとみられる取材相手の男性Xに容疑を向け、逮捕監禁容疑による別件逮捕も駆使してXを追及した。しかし、逮捕監禁事件については津地裁でXの一審無罪が確定し、反対にその公判で提出された取調べの録画テープにより、津署が偽計や威圧を駆使した違法な取調べを行っていたことが判明した。
無罪判決後、Xは日本弁護士連合会に対して人権救済を申立て、その結果として日弁連人権擁護委員会も、三重県警本部長および津地検検事正には人権侵害行為を伴う取調べについて強い警告を発する事態に至った。しかし、Xはその後提起していた複数の賠償請求訴訟を自ら取り下げ、また「無罪が確定すればすべてを話す」と辻出家に述べていたにもかかわらず、辻出家に対して沈黙を貫き続けた。
以上の経緯から、Xは未だ辻出の失踪に関係しているとではと疑問視されてはいるが、北朝鮮による拉致説など、信頼性に欠ける多くの巷説も流布され続けており、辻出の失踪は未解決のままである。
失踪
1998年11月24日23時頃、当時24歳の編集者、辻出紀子(つじで のりこ)は、勤務先である三重県伊勢市の出版社、伊勢文化舎を出たのを最後に、信頼に足る情報が得られないまま消息不明となった[1]。辻出は同日の日中、カメラ屋に写真の現像を頼んだままであり、また深夜に会社を出た際も、寒気のなかダウンジャケットを会社に置いたままであった[2]。そして、辻出は同日の昼間に、過去の取材から接点のあった男性Xから幾度か電話を受けており、また会社を出る直前にも、このXから電話を受けていた[2]。
翌25日になっても辻出は出社しなかったが、同僚は昨夜の残業もあって不審には思わなかった[2]。辻出は同月23日に旅行から帰ったたばかりであったため、休暇中に仕事が溜まっていたのであろうと判断した家族も、彼女が帰宅しなかったことを心配しなかった[2]。辻出の失踪を家族と会社が知ったのは、市内の保険会社駐車場に放置されていた彼女の自動車を動かすよう、伊勢警察署が辻出家に連絡してからであった[3]。
初動捜査
伊勢文化舎から数百メートル離れた駐車場で発見された辻出の車は、彼女の几帳面な性格に反して、駐車場の白線を無視して斜めに停められていた[4]。ドアはロックされた状態で車内に荒らされた形跡はなかったが[5]、財布や手帳、携帯電話などが入ったショルダーバッグはなくなっていた[6]。また、辻出は非喫煙者であったにもかかわらず、車内からはタバコの吸殻が1本発見されている[6]。運転席の座席も普段より下げられた位置にあり、普段はエンジンをかけると流れるカーステレオも切られた状態にあった[5]。その一方で、辻出の銀行口座から預金が下ろされた形跡はなかった[6]。
これらの異状にもかかわらず、生活安全課は家族に車を移動させた後も辻出を「家出人」として扱い、捜査を求める両親の言葉にも応じなかった[3]。辻出の父は伝手を頼って副署長にも面会したが、副署長も笑って宥めるのみであった[3]。1か月後に[7]非公開での捜査が始まってからも、伊勢署は家族と同僚の事情聴取を別々に行い、また辻出の家庭問題を疑ったため、会社側の情報を家族には伝えようとしなかった[3]。
被疑者X
辻出との関係
辻出に最後に接触したとされるXは、そもそも尾鷲市役所が彼女に引き合わせた男性であった[8]。当時の三重県では「東紀州体験プロジェクト」などの大型イベントによる振興が図られており、『伊勢志摩』誌の編集者兼記者であった辻出は、東紀州に顔が広い取材協力者を探していた[8]。そこで尾鷲市役所が辻出に紹介したのが、隣接する海山町で熱帯魚販売店を営み、地元の青年会議所で副理事長も務めていたXであった[8]。
子供向け自然ふれあいイベントで講師を務めたり、女性に紳士的に接したりするXに対し、辻出は信頼を寄せるようになり、Xの顔写真を同僚に見せて「かっこええやろ」と言ったりもしていた[9]。Xを取材・特集した号の『伊勢志摩』編集後記には、「〔X〕さんの、自然の中での表情ときたら。実に嬉しそうなのだ。自然は人を笑顔にさせる力があると思う」とも書いている[8]。
私生活
一方で、下記の逮捕監禁容疑でXと離婚することになるXの最初の妻や、その関係者からは、Xが「東京に行って帰ってくると薬物の匂いが体からぷんぷんしたり、全然寝ない日があったりした」「包丁を持って部屋に閉じこもり『死んだる』とわめき散らしてみたり、すぐカッとなって物を投げつけたり、食卓をひっくり返したりした。性的にも普通ではなく、医学本に載っている女性の陰部をなめ回すほどに見たり、椅子の下にコンドームを敷き詰めたり、自慰行為を狂ったようにし続けたりし」た、との証言も得られていた[10]。希少動物の輸入によるワシントン条約違反によって、40万円の罰金刑に処せられたこともあったという[10]。
「任意」取調べ
このXを辻出の失踪に関与していると見た伊勢署は、翌1999年1月26日にXを任意同行させ、2月3日まで取調べた[11]。聴取は朝8時頃にパトカーがX宅まで赴き、そのまま署で23時から深夜0時頃まで取調べ、1時から2時頃に帰宅させるという、任意という名目からはかけ離れたものであった[11]。
警察はXに対し、辻出を殺害して遺体をどこに遺棄したのかと自白を迫った[11]。Xは当初の調べに対しては「辻出とは夏以来会っていない」と話していたが[12]、供述を変転させた末、11月24日23時頃に辻出と会ったことは認めた[8]。また、Xは辻出失踪の直後に、刑法・刑事訴訟法関連の専門書を数冊購入していた[12]。
しかし、警察はXの周辺人物に聞き込みを行い、家宅捜索も実施したが、Xが辻出の失踪に関与しているとの確たる証拠は挙がらなかった[11]。Xは女性の使用済み生理用品を所持しており、その血液型は辻出のものと同じB型であった[13]。しかしXの交際相手の血液型もまたB型であり、さらに生理用品はその後Xに返却されたため、DNA型鑑定による再鑑定は不可能となっている[13]。
別件逮捕
辻出の失踪には無関係であると主張し続けるXに対し、警察はXを翌2月10日に逮捕監禁容疑で逮捕し、身柄を津署へと移送した[11]。その詳細は、1997年12月16日13時頃から翌17日17時頃まで、Xが上京するたびに会っていた馴染みのホテトル嬢Aを、その手を縛って彼女の自宅マンションに閉じ込めた、というものであった[9][11]。しかし、この逮捕監禁事件で被害届が出されたのは発生から1年以上が経過した1999年2月5日のことであり、これは辻出失踪事件を本命とする明らかな別件逮捕であった[11]。
翌3月4日にXは逮捕監禁事件で津地裁へと起訴されたものの、その身柄は三重刑務所に移監される7月22日まで[14]、代用監獄たる津署へ留め置かれた[11]。Xはこの4か月半以上の間も、辻出失踪事件について追及を受け続けたが、2月11日に弁護人に選任された室木徹亮は、彼に対し完全黙秘を指示した[11]。
裁判
証言
東京での逮捕監禁事件についてはその後、被害者とされるAの証言も公判に提出された[15]。しかしその内容は、「Xに退去を求めたところ暴行・強姦されたが、にもかかわらずその後自らハルシオンや精神安定剤を服用して眠ってしまったので、詳細はよく覚えていない」という不可解なものであった(津地検はこれに対し、Aの証言は明確・詳細かつ変遷がなく、またその内容の一部はAの友人やXの元妻の供述からも裏付けられている、と反論している)[16]。
写真
さらには弁護側の物証として、犯行があったとされる時間帯にXがAの部屋を撮影した写真や、Aとの会話を録音したカセットテープも提出されていた[15]。写真が撮影された時間帯は、それに写り込んだテレビの画面から明らかであったが、それらの写真にはAの姿も彼女のハンドバッグなどもなく、携帯電話の充電器にAの携帯は差し込まれておらず、玄関にもAの靴は写っていなかった[15]。
これらの写真は、逮捕監禁事件があったとされる1997年12月17日朝3時から10時2分まで、Aは現場にいなかったことを強く疑わせるものであった[15]。また、Xは自身が写っているものを含めたこれら写真の入った使い捨てカメラを、現像もせず逮捕時まで手許に置き続けていたのであって、捏造の可能性も考え難かった(津地検はこれに対し、写真は撮影の状況・目的がまったく不明であり証拠価値は低い、と反論している)[17]。
録音テープ
テープに録音されたXとAの会話は、AがXに対し「やだぁー、ここで話して」「仕事だったら、余り好きでないやつでもエッチしてもいい。〔X〕君とは仕事じゃない。だから……」などと甘えた様子で話しているものであった[15]。さらに、A宅にXがいることやXにAの交際相手の電話番号を教えたことを秘密にして欲しい、とAがXに頼んだり、AがXからの求めもなしに自由に交際相手に電話を掛けている状況も録音されていた(津地検はこれに対し、テープの録音状態は極めて不鮮明であり、録音のタイミングもXが縛っていたAの手をほどいた後の、緊張が弛緩した状況であったと反論している)[18]。
Aの手帳
これに加えて、Aが仕事の売上を記録していた手帳には、1997年12月16日夜から翌17日朝、すなわち逮捕監禁事件があったとされる時間には働きに出ていたことを推定させる記述がある[19]。にもかかわらず、検察側にはこの手帳の正確性やAの勤務状況について、何ら裏付け捜査を行った形跡が見られない(津地検はこれについて、Aは普段売上記録を手帳に数日分まとめ書きしており、そもそも犯行日の特定はAがXに借金を返済した際の領収書の日付によるため、手帳に証拠価値はない、と反論している)[20]。
さらに、検察側はXの無実を推定させるこれらのカセットテープおよび手帳を入手していたにもかかわらず、その存在は弁護側が独自に調査するまで秘匿されたままであった[19]。
判決
結局、津地裁はこれら弁護側提出の証拠に基づいてAの証言の信用性を否定し、1999年10月5日、Xに対し無罪判決を言い渡した[21]。検察側もこの判決に対して控訴せず、逮捕監禁事件に関するXの無罪は確定した[21]。
ポリグラフ検査の強要
他方、別件逮捕後も辻出失踪事件に関する追及は続き、津署は1999年4月29日にXをポリグラフ検査にかけようとした[21]。しかし、刑事が検査機器をXに装着させようとした際に、Xの両腕を強く握って揺さぶったため、Xは右肘内側に表皮剥離の障害を受けたという[21]。翌30日に室木が接見室でこの傷を写真撮影し、その後逮捕監禁事件での公判で、別件逮捕の違法性と刑事による暴行を訴えた[21]。
すると検察側はこれに対し、ポリグラフ検査の際に刑事の暴行があったことを否定するため、津署でのポリグラフ検査の状況を撮影したビデオテープを提出した[21]。ところがそのビデオには、後にXから人権救済申立てを受けた[12]日本弁護士連合会が強く問題視するほどの、多数の問題行為が含まれていた[22]。その取調べ内容とは、
- Xに対する暴行として、
- 弁護人との接見妨害として、
- ポリグラフ検査を拒否できるか室木に確認したいと求めるXに対し、「〔X〕、お前、弁護士っちゅうのはな。関係ないわ」「後で聞きゃ、えぇやないか」「弁護士はオールマイティーと違うんやで」「法的にはできないんだよ。もう」との発言
- 黙秘権に関する虚偽の説明について、
- 「黙秘っちゅうのは、私が犯人ですと認めてるわけやぞ。〔中略〕都合の悪いことだけは黙秘してもよろしいよっちゅう規定やぞ。それを黙秘しますっちゅうことは、都合の悪いことだらけですっちゅうことやぞ」「自分がしゃべりたないことしゃべらんて、そんな黙秘権はないわさ」[24]などとの、黙秘権の行使によってXが犯人であると認定されるかのような偽計を伴う威圧
- ポリグラフ検査に関する虚偽の説明について、
- 「今ここに、白か黒かはっきりしてもらえる機械与えてもろとんやないか。それを、拒否するちゅうんは黒としかないやねんからな」「お前は自分で蹴ったんやぞ。最後の道を。だから今から、白っちゅうよな言葉使うなよ、お前。の。証拠はないけれども、真っ黒んなったんや、今の時点から。よう覚えとけよ。俺自身のも。の。わかった。真っ黒なんやで。前よりいっそう黒なったんやで。もう限りなく黒に近い黒や」[25]などとの、ポリグラフ検査によってXの犯人性が確定するわけでも、検査を拒否したとしても犯人と見做されるわけでもないのに、それが事実であるかのような偽計を伴う威圧
- その他の虚偽の説明について、
- 「君は、義務があるやないか。逮捕されとんのやで」「逮捕された被疑者はどんなことがあっても取り調べ拒否できひんやないか。弁護士にそのぐらい聞いとるやろが、え。応じる義務があるて、書いてあるやろが」「被せられてる容疑が殺人やねんから」との、Xが辻出失踪事件で逮捕されているかのような偽計を伴う威圧
- 「どって証明するん。どこで証明するんにゃ。伊勢の事件をどって無実証明するんや。え。どって証明するんにゃ。アホみたいなことばっか言うなよ。どこで証明するの[26]」との、Xの側に無罪の立証責任があるかのような偽計を伴う威圧
- 「一〇年勝負してって、警察と一〇年勝負して負けんのお前に決まっとるやネいか、ほんなもん。勝った奴おらへんぞ、ほなもん。ヤクザでも尻尾巻いて逃げて行くんやないか、警察と勝負して。一〇年つきまとわれて見ろ。どんなにヤなもんか、お前、わからへんやないか[27]」などとの威圧
- 「令状出とんのやで何してもええんやで、鑑定処分やて。必要があったら切り刻んでもええんやで。チンチンの中へ棒突っ込むこともできるんやないか。え」との、鑑定処分が無制限に行えるかのような偽計を伴う威圧
というものであった[14](室木は、検察側が「適正な取調べが行われた証拠」としてこのビデオテープを提出してきたことに恐怖を覚えた、と述べている[21])。
また、日弁連人権擁護委員会は4月29日のビデオテープ内容のみならず、
- 2月17日の調べにおける、「弁護士が余り黙秘権を使えと被疑者に言うと、〔中略〕弁護士会から追放になる」などとの、偽計を伴う威圧
- 翌18日の調べにおける、Xが室木から説明された黙秘権の意味について「弁護士が黙秘権についてそんなことを言うと、弁護士も大変なことになる」などとの、偽計を伴う威圧
- 同18日の調べにおける、捜査過程で入手したXの裸の写真を提示しての、「この写真を証拠に出せば、裁判官はお前が変態だという心証を持つぞ」との威圧
という捜査手法も問題視している(しかし三重県警本部はこれらについて、取調べ内容はいずれも通常の説得行為、または事実の告知の範疇にある、として違法性を否認している)[28]。
日弁連による警告
以上の事実を踏まえ、最終的な調査結果として日弁連人権擁護委員会は、2001年2月7日に三重県警本部長・警察庁長官・三重県公安委員長・津地検検事正へ宛てて、それぞれ警告と要望を発している[29]。
三重県警本部長宛ての警告について人権擁護委員会は、津署がXに対して行った行為は「違憲違法な人権侵害行為である。今後、被疑者の取調べに当たっては違法な捜査を厳に慎み、被疑者の黙秘権や弁護人との接見交通権などの権利を最大限に尊重されるように警告する」とした[30]。そして警察庁長官及び三重県公安委員長に対し、所轄する警察署において今後同様の人権侵害が発生しないよう、指導・監督を強化するよう要望を発した[31]。
また津地検検事正宛ての警告について同委員会は、当時得られていた証拠を考慮すれば逮捕監禁事件については、少なくとも「嫌疑不十分」の判断を行うのが正当であったのは明らかであり、「〔X〕は本件起訴後も四ヶ月半にわたり代用監獄に勾留され、その間〔辻出〕失踪事件についての執拗な取調を受け続けたこと等の起訴前後の事情を考慮すると、貴庁は、〔辻出〕失踪事件についての取調べ機会を確保する目的で恣意的に起訴相当の判断を行ったとの疑いを払拭できない」と述べた[19](これについては起訴担当検事自身も後に、辻出失踪事件の調べを続けるための、無理筋の起訴であったと認めている[32])。
そして、「当然に不起訴とすべきであるのに敢えて起訴したこと及び無罪の重要な根拠となるべき証拠(カセットテープと手帳)の存在を明らかにしようとしなかった対応は、検察の職責に悖るものであるとともに被疑者・被告人の権利を侵害する違法な人権侵害行為であると評価せざるを得ない」と警告している[33]。
無罪判決後のX
勾留中にXは辻出家に対し、「逮捕監禁事件で無罪を勝ち取った暁にはすべてを話す」という内容の書面を、室木の署名入りで提出していた[34]。
しかし、無罪判決後の釈放翌日に辻出の両親が面会を求めると、Xは義兄を通して「私たちはマスコミ報道に我慢がならない」「やるだけ無駄だという結論になった」「いくら灰色といわれても放っておく。もちろん、人権を侵害するような報道には法的な処置をとる」「伊勢文化舎の代表が怪しい」などと述べて面会を断った[35]。そして、「今後もし話をする気になったら、内容をマスコミに漏らさない、回答をあげつらうような質問をしない、などの条件付きの上で、弁護士を通じてあなた方に連絡する。それまであなた方からの連絡は拒否する」との旨を一方的に宣告した[35]。
さらにXは、日弁連への人権救済申立てに加え、逮捕監禁事件でのAおよび2人の証人に対して連帯で3000万円を求める損害賠償請求訴訟を[12]、国と三重県に対して同じく3000万円を求める国家賠償請求訴訟を提起した[35]。結果的にXは賠償請求訴訟を取り下げたが、マスコミに対しても同様の訴訟を起こす構えも見せていたため、その後は警察もメディアもXを追及することに及び腰になった[35](三重県警の元捜査員によれば、無罪判決の後、今後一切Xには手出しをしないように、との通達があったという[36])。
その後も沈黙を守り続けるXに対し、業を煮やした辻出の父は室木のもとを訪ねたこともあったが、その際に室木から半笑いで「あなた方、人の揚げ足取るようなことばかり言って、何にもならなかったな」と言われたという[37]。
その後の捜査・支援活動
辻出失踪直後の1999年1月には、辻出の学生時代の友人たちや、有田芳生、鳥越俊太郎(室木の友人であり、室木の依頼でXの冤罪を訴える番組を構想していたが、その後断念)、村尾信尚(元三重県庁行政改革担当部長)などの報道関係者により、「辻出紀子写真展」が開催されている[38]。同様の写真展は、2001年11月に東京と伊勢市でも開催されている[39]。
三重県警は、辻出の失踪から10か月が経過した1999年9月から情報提供を求める公開捜査に踏み切り、2019年までに、捜査には約3万1900人が投入された[5]。情報提供者への謝礼金上限額は300万円に設定され、寄せられた情報は88件に上ったが、有力な手掛かりは得られなかった[5]。
事件以来、辻出の両親は毎年11月24日に情報提供を求めるビラを配り続け、警察に重機で怪しい場所を掘り起こしてもらったこともあった[34]。四国八十八箇所もすべて巡り、テレビ番組の超能力捜査官やダウジング専門家にまで頼ったが、何ら成果は得られなかった[34]。両親は辻出の生存をほぼ諦めているが、それでもなお情報提供を呼び掛け続けている[5]。
北朝鮮による拉致説
2008年9月、産経新聞は「北朝鮮事情に詳しい中朝関係筋から」の情報として、「〔日本側は〕辻出さんの『つ』の字も出さなかったのに、先方から辻出さんの名前をフルネームで言った」と報じた[40]。拉致問題を調査している日本の大学教員が、辻出を知っている脱北者と韓国で出会った、とも報じられた[34]。
特定失踪者問題調査会はこの報道当日、辻出の両親とともに記者会見を行い、辻出が同調査会の「不明者リスト」に追加されていると述べた[40]。また同調査会の一関係者は、失踪前の辻出がメーリングリストに「北朝鮮に行ってよど号グループにインタビューしたい」と書き込んでいたことを根拠に、「辻出が自ら海路で北朝鮮に入り、よど号グループへのインタビューに成功した後で消息を絶った」と断言している[41]。さらに2014年3月には三重県警が辻出家に申し入れたことにより、辻出の名が警察庁による「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない失踪者」リストに加えられている[40]。
しかし、辻出が自ら北へ入った根拠とされるメーリングリストには具体的な内容は一切なく[42]、辻出を知る脱北者と会ったと主張していた大学教員も、数年後には「人違いだった」と発言を撤回している[34]。また、2014年9月によど号グループのリーダー小西隆裕に直接インタビューしたジャーナリストの伊藤孝司によれば、辻出に会ったこともなければ名前も知らない、と小西は驚いたように回答したという[42]。
同年7月に日本経済新聞が「北朝鮮で存命の日本人リスト」についてスクープした際には、辻出家にも取材陣が詰めかけたが、辻出の母は「拉致の可能性はないんでね、記者の皆さんにはお帰りいただいたんです」と取材を拒否するなど、家族ももはや北朝鮮による拉致説には信を置かなくなっている[41]。
その他の説
辻出はかつて性産業で栄え、「売春島」とも俗称された志摩市の渡鹿野島について取材を試み、何らかのトラブルに巻き込まれ失踪した、との噂がネット上では流布している[34]。しかし、辻出の周辺人物は彼女が渡鹿野島の性産業に関心を抱いていたことを一様に否定している[34]。また、渡鹿野島は極めて小さいうえ常時対岸に渡し船が出ており、事件の存在を隠し通せる可能性は極めて低い[43]。
別の説として、辻出は1998年11月19日から失踪前日の23日まで、タイターク県メーソート近郊の難民キャンプを取材していた[44]。取材に同行していた友人によれば、辻出はキャンプで難民の男性に「私と結婚したらここから出られるのにね」と冗談半分で励ましたところ、男性はそれを本気にしてしまったという[44]。辻出はその難民の求婚を断り切れず、彼とともに逃避行に出たとの噂もあるが[44]、辻出のパスポートには事件当日の出国記録は存在しない[45]。
その他にも、辻出は東紀州のアワビ密漁者とのトラブルに巻き込まれたという説もあるが[8]、いずれにせよ辻出の両親はその後も、Xに対する疑念を捨ててはいない[34][41]。
脚注
- ^ 加藤 (2017) 222頁、226頁
- ^ a b c d 加藤 (2017) 225-226頁
- ^ a b c d 加藤 (2017) 226-227頁
- ^ 「週刊大衆」編集部 (2017) 68頁、75頁
- ^ a b c d e 水谷 (2019) 52頁
- ^ a b c 「週刊大衆」編集部 (2017) 68頁
- ^ 八木澤 (2016) 131頁
- ^ a b c d e f 加藤 (2017) 229-230頁
- ^ a b 西牟田靖 (2014年8月29日). “【未解決事件の闇2】女性編集者失踪事件の容疑者逮捕...しかし一転無罪へ”. TABLO. Rakuten Infoseek News 2020年2月17日閲覧。
- ^ a b 西牟田靖 (2015年8月17日). “【未解決事件の闇18】女性編集者失踪・容疑者Xと元配偶者の離婚”. TABLO. Rakuten Infoseek News 2020年2月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 室木 (2000) 100頁
- ^ a b c d 『週刊文春』第42巻第17号 58頁
- ^ a b 加藤 (2017) 233頁
- ^ a b 日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005) 883-885頁
- ^ a b c d e 日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005) 890-891頁
- ^ 日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005) 890頁、907頁
- ^ 日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005) 891頁、907頁
- ^ 日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005) 891頁、907-908頁
- ^ a b c 日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005) 892-893頁
- ^ 日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005) 892頁、908頁
- ^ a b c d e f g 室木 (2000) 101頁
- ^ 日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005) 897頁
- ^ a b 「ポリグラフ検査ビデオ再現」(2000) 114頁
- ^ 「ポリグラフ検査ビデオ再現」(2000) 108頁
- ^ 「ポリグラフ検査ビデオ再現」(2000) 111頁、119頁
- ^ 「ポリグラフ検査ビデオ再現」(2000) 110頁
- ^ 「ポリグラフ検査ビデオ再現」(2000) 111頁
- ^ 日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005) 886-887頁、899-906頁
- ^ 日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005) 882頁、888頁
- ^ 日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005) 882頁
- ^ 日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005) 888頁
- ^ 西牟田靖 (2015年1月29日). “【未解決事件の闇13】女性編集者失踪・なぜ容疑者Xは無罪になったのか”. TABLO. Rakuten Infoseek News 2020年2月17日閲覧。
- ^ 日本弁護士連合会人権擁護委員会 (2005) 889頁
- ^ a b c d e f g h 水谷 (2019) 53頁
- ^ a b c d 加藤 (2017) 230-231頁
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- ^ 加藤 (2017) 234-235頁
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- ^ a b 伊藤孝司 (2015年1月17日). “辻出紀子さん失踪を「よど号グループ」に質した(下)”. 平壌日記 PYONGYANG DIARY フォトジャーナリスト・伊藤孝司の朝鮮最新情報. 2020年2月17日閲覧。
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参考文献
書籍
- 加藤宗一郎「辻出紀子さんのご両親が告白する『19年の苦悩』伊勢女性記者行方不明事件――重要人物『X』の変心」『〈実録〉平成の未解決・未解明事件の謎 殺しの手帖』スタジオダラほか執筆・取材・編集協力、洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2017年、222-237頁。ISBN 978-4800313089。
- 「週刊大衆」編集部『迷宮探訪 - 時効なき未解決事件のプロファイリング』北芝健監修、谷口雅彦写真、双葉社、2017年。ISBN 978-4575313185。
- 八木澤高明 著「三重・女性記者失踪事件 1998・11・24 誰に連れ去られたのか 突然消えた〝女性記者〟」、別冊宝島編集部編 編『昭和・平成「未解決事件」100 - 衝撃の新説はこれだ!』宝島社、2016年、130-131頁。ISBN 978-4800256522。
- 日本弁護士連合会人権擁護委員会編 編『日弁連 人権侵犯申立事件 警告・勧告・要望例集』 4 1988〜2004年度 行政・制度、捜査機関、裁判所、刑務所・拘置所による侵害、明石書店、2005年。ISBN 978-4750322209。
雑誌
- 水谷竹秀「'98年11月 伊勢女性記者失踪事件 辻出紀子さん(当時24)美人女性記者が失踪する直前に会っていた最後の男とは――」『女性自身』第62巻第45号(通巻第2894号)、光文社、2019年12月、52-53頁。
- 室木徹亮「警察はそこまでやるか - ポリグラフ検査強要事件」『季刊・刑事弁護』第23号(秋季号)、現代人文社、2000年7月、100-101頁、ISBN 978-4877980146。
- 「伊勢雑誌記者失踪 辻出紀子さんの謎は『完全黙秘』男が知る」『週刊文春』第42巻第17号(通巻第2077号)、文藝春秋、2000年5月、57-58頁、NAID 40001711090。
- 「ポリグラフ検査ビデオ再現 -【一九九九年四月二九日 津警察署にて】」『季刊・刑事弁護』第23号(秋季号)、現代人文社、2000年7月、106-119頁、ISBN 978-4877980146、NAID 40005089956。
外部リンク
- 紀子さんを捜しています - 三重県警察
- 辻出 紀子 - 特定失踪者問題調査会
- 辻出紀子さんを想うコンサート - くまの天女座