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「Wikipedia‐ノート:独立記事作成の目安」の版間の差分

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削除された内容 追加された内容
どの程度で単独記事を立てるべきか?: Yosizuyaさんのコメントへのコメント
桃月 初 (会話) による ID:100765738 の版を取り消し
タグ: 取り消し
 
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''このページには削除された版があります。削除に関する議論は[[Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:特筆性]]をご覧ください。''
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== 「有意な言及」は誤訳なのか? ==
== カテゴリー変更の提案 ==


削除依頼にて「『有意な言及』というのは誤訳で、英語版ではもっと基準が緩い」という意見をちらほら目にします。直近でも、[[利用者:open-box]]さんが[[特別:差分/96241362|このように]]復帰依頼で発言しています。そのため、ここでは「本当に誤訳なのか?」「誤訳(あるいはそこまでいかなくとも紛らわしい表現)だとしたらどういう文に変えたらいいか」を話し合おうと思います。
現在、この文書は[[:Category:記事の内容についてのガイドライン]]に分類されています。しかし、文書の内容は、ある記述内容を、独立の記事にするのが適切なのか他の記事の中に記述するのが適切なのかというもので、どのような形で構成するのが適切なのかというものであり、記事の中に記載する内容についてのものではありません。そこで、カテゴリーを[[Wikipedia:ページの分割と統合]]と同様に[[:Category:記事の編集についてのガイドライン]]に変更することを提案します。[[特別:投稿記録/118.21.146.95|118.21.146.95]] 2017年10月22日 (日) 01:13 (UTC)
*わざわざ会話ページまでご案内ありがとうございます。結論から言うと、私としてはどちらのカテゴリでもいいと思います。[[特別:差分/66014501|Template:Wikipediaの方針とガイドラインで差し戻し]]したのは本ページのカテゴライズと違う形になってしまったので戻しただけなので、本ページのカテゴライズ変更を先に行っていただければ何も言うことはありません。特筆性は記事内の記述とは無関係であるという原則の存在を考慮すると「記事の内容についてのガイドライン」じゃないような気もするし、「記事の内容」が記事主題そのものも含めて指すのならば「記事の内容についてのガイドライン」でもいいような気もしますし、私としてはどちらでもいいと思います。--[[利用者:Yapparina|Yapparina]]([[利用者‐会話:Yapparina|会話]]) 2017年10月22日 (日) 13:39 (UTC)
** {{返信|[[利用者:Yapparina|Yapparinaさん]]}} コメントいただきありがとうございます。とりあえず、Yapparinaさんはカテゴリーの変更に反対ではないと受け取らせていただきます。別段急ぐことでもないので、他に反対の方がおられるかどうかもうしばらくお待ちしたいと思います。[[特別:投稿記録/118.21.146.95|118.21.146.95]] 2017年10月29日 (日) 17:29 (UTC)


なお、提案者である私は英語が上手なわけではないため英語のできる方のご協力を頂けたら感謝この上ないです。
== 各分野において汎用的な「有効ではない一般的基準」 ==


<del>また、この件についての私の見解ですが現在の英語版でも「単なる言及止まりではいけない」となっているため少なくとも誤訳ではないのではと思います。</del>--[[利用者:鼓天|鼓天]]([[利用者‐会話:鼓天|会話]]) 2023年8月20日 (日) 08:48 (UTC)→単なる言及というより「取るに足りないものではダメ」という方が正しいようなので取り敢えず打ち消し。--[[利用者:鼓天|鼓天]]([[利用者‐会話:鼓天|会話]]) 2023年8月20日 (日) 22:22 (UTC)
以下は[[WP:PERSON]](人物)だけに掲げられている基準ですが、他のあらゆる分野(音楽、組織、人物など)の特筆性サブガイドラインについても該当しうる話だと考えます。特にパソコン通信やインターネットが普及する以前に流行した事象は(メジャー歌手など一部の分野を除き)、現在のインターネットには情報として記述されにくい傾向があるからです。[[WP:NTEMP]]は、過去の時点で特筆性を満たしていれば現在において単独立項可能な事を示唆しています。ただ、これをトップのガイドライン([[WP:N]])に記載するのはバランスを欠くので、参考情報としてここに報告しておきます。--[[利用者:Kyuri1449|Kyuri1449]]([[利用者‐会話:Kyuri1449|会話]]) 2018年9月28日 (金) 13:42 (UTC)


:仮に誤訳だとしても、この文書が日本語版ウィキペディアでガイドライン化された2015年から定着しており、英語版を根拠に修正する必要は無いと思います。同じ理由で、英語版の取り扱いがどうあれ日本語版で合意があればこの習慣を廃止あるいは緩和することが可能と思います。なお、英語版では立項の自由度が高い反面、レビュアーが独立記事の基準に満たないと判断したらドラフト(素案)として別空間に移動され、初版立項者に通知された上で、内容が改善されなければ削除されているようです。この方が、いきなり削除依頼に出されるよりは、初版投稿者に受け入れられやすいように思います。--[[利用者:Freetrashbox|Freetrashbox]]([[利用者‐会話:Freetrashbox|会話]]) 2023年8月20日 (日) 09:24 (UTC)
有効ではない一般的基準
:(鼓天さんへ)誤訳に基づく特有の問題点、運用の問題点、そもそも元の文章がおかしいことによる問題点があります。
:誤訳に基づく特有の問題点は、冒頭にある「有意に言及」という元の文章に存在しない規定の存在です。本来、「Information on Wikipedia must be verifiable; if no reliable, independent sources can be found on a topic, then it should not have a separate article. Wikipedia's concept of notability applies this basic standard to avoid indiscriminate inclusion of topics. Article and list topics must be notable, or "worthy of notice".」であり、要するに検証可能性を満たしたうえで「worthy of notice」=「記載価値が認められるもの」と「notable」=「注目に値するもの」でしかないんですが、これをひっくるめて「有意に言及」とやってしまったのが問題の元(そもそも検証可能性をここに書くなって原文の問題は別として)。しかも「有意な言及」という言葉を後段で別の意味でも使用しているので、文章としてはトラブルの元がさらに増えています。
検索エンジンの検索件数(グーグルで検索できることやAlexaのランキングといったこと)に基づく基準や、オンラインで公開されている写真の枚数を数えることは避けるべきです。たとえば、ランキングに影響を及ぼすために検索エンジンスパムが利用されているかもしれません。
:これは日本語版が英語版から導入した時点{{oldid|24341195}}では「英語版と同様に並列」の内容です。今にして思えば、orがいつのまにか=に化けたところで{{oldid|24367296}}、慎重に扱うべきだったよねと。
:英語版から引っ張ってきている「"Significant coverage"」→「有意な言及」は英語版に起因する問題です。実はここは英語版よりは「マシ」な単語です。「Significant」って強すぎる表記ですし、実際には英語版でもこんな運用はできていません。むしろここで大切なのは、「more than a trivial mention」(「取るに足らないようなもの」以上)です。
::「単なる言及止まりではいけない」とするのは誤訳です(Googleがやらかします)。「単なる」だと重要な記載であっても書き方次第で「俺認めない」ができるのでまずいんですね。実際、今の文書でも「取るに足らない」となっています。
:そして、「散文」限定として悪用される原因は「言及」という単語にあります。「直接的かつ詳細に述べていることを意味します」という前段と「「取るに足らないようなもの以上」という後段の食い合わせが悪い上に、「coverage」に「言及」の意味はありませんが(例えば新聞に大相撲の本場所の星取表が結構大きなサイズで載ります。これは「coverage」ですが「言及」ではないのは容易に想定できると考えます)、「言及」と「述べている」はどうしても「文章」を想起させてしまいます。
::「取り扱い」ぐらいに表現を緩和して「散文」限定を排除する応急処置は可能と思われます。
:2009年の文章につぎはぎやらかした結果ではあるのですが、2014年の改定時には「元の文章がおかしい」可能性は考えられていなかったのかもしれません。
:運用の問題点は、「文書を超越した削除」にあります。よくあるのは「例示」を「限定列挙」に置き換えようとするパターン。「一時的なものではない」を何とかして全く逆の意味で運用しようとするケースも多いですね。一部の下位文書にあるようにガイドラインに矛盾した内容を盛り込んでまで削除を可能にしようとするのはどうかとは思いますが、まだその無理のある根拠が文章としてまとまっている=上位文書で修正できるだけましでしょう。
:Freetrashboxさんの主張には一つ欠陥があります。要は「定着しており」が間違っているんです。実際には現に「散文」に限定しない運用が行われている(散文限定であれば、科学でもマイナーな分野、人物ならスポーツ、芸術、政治家などは危ないですね)、特に翻訳は日本語版の特殊な規定がないので当然これには縛られませんが、それにもかかわらず削除依頼の便利な口実として「散文」限定として悪用されているのです。この現状を追認しようとしていること自体が変更になります。
:改定するなら取り急ぎ、
#冒頭部の修正(3つまとまっているのをばらす)
#「散文」限定と誤解される内容を修正する
:この2点は急務と思われます。
:ドラフトは悪用が容易なので(例:いつまでも記事化を認めない、勝手にドラフトに差し戻す、ドラフトとして宣伝的な内容を置く)、その点の歯止め作らないと目的通りには機能しないと思われます。ドラフト空間への移動は管理者・削除者限定、ドラフト空間からの移動は原則自由にするとか? 削除依頼経由のドラフト移動からの即時復帰抑止には移動保護使えますし。--[[利用者:Open-box|Open-box]]([[利用者‐会話:Open-box|会話]]) 2023年8月20日 (日) 16:37 (UTC)
::とりあえず「悪用」という言い方だけは避けて頂けませんか。上のコメントは不特定多数に対するものですが、特定個人に対して「悪用している」と決めつけるのは好ましくありません。--[[利用者:フューチャー|フューチャー]]([[利用者‐会話:フューチャー|会話]]) 2023年8月20日 (日) 22:17 (UTC)
::{{ping|open-box}} コメントありがとうございます。ルールと実情が乖離しているなら、それを一致させるのが良いと思います。私の経験では、ルールを実情に合わせた方が、ルールを厳守させようとするよりも議論がまとまりやすいです。ただしOpen-boxさんの話によれば、「有意な言及」を重視する人も多いようなので、そこは折り合いをつけるべきだと思います。できるだけ多くの人が参加した削除議論をいくつか例に挙げて、「有意な言及」はコミュニティが要求する必須条件ではないことを証明するのがよさそうに思います。なお、英語版のレビューは[[:en:Wikipedia:New pages patrol/Reviewers|新規ページレビュワー]]という権限がある人が行います。私が見ている範囲では比較的妥当な判断がされているように思います。新規記事をドラフト送りにするのはレビュワーの役割で、ドラフトからの再提案は原則立項者という流れのようです。ドラフト送りの判断のためのフローチャートも準備されています。--[[利用者:Freetrashbox|Freetrashbox]]([[利用者‐会話:Freetrashbox|会話]]) 2023年8月22日 (火) 04:15 (UTC)


*{{コメント}} 「有意な言及 ("Significant coverage")」という言葉は英語版の「一般的な目安」節にあり、これは誤訳ではありません。ただし、Open-boxさんがご指摘のように、英語版の冒頭文にはこの言葉はありませんでした。
=== 特筆性の基準の変更は過去に遡及する ===
:9年前、日本語版のこの文書が検証可能性の方針に引きずられすぎていて、「出典が付いていないから削除」など出典の有無だけで記事主題そのものを無価値とみなしたり貶めたりといった考え方を誘発しているのではないかという危惧から、当時の英語版の文書を確認したくて仮翻訳したものが私の[[利用者:みっち/翻訳もの|サブページ]]にありますのでご参照いただければと。当時からかなり経っているため変わっているかもしれないのと、私自身の英語能力がほぼ中学生並みであり、忠実性を重視して意訳を極力避けたために読みにくさはあるでしょうが、YassieさんやWhymさんにも手を入れていただいているものなので、内容的な齟齬はないだろうと思います。これをたたき台にして日本語版を見直したかったのですが、一部([[WP:FAILN]])を除いては実現しませんでした。--[[利用者:みっち|みっち]]([[利用者‐会話:みっち|会話]]) 2023年8月21日 (月) 10:53 (UTC)
上記に関連し、事例として、音楽分野のサブガイドライン([[WP:NM]])において「音楽家・音楽グループ」の「その国の特筆すべきラジオ放送でヘヴィー・ローテーションされた。」という基準が、該ガイドラインのノートの議論を経て、削除されました。これは、'''基準の変更'''です。よって、過去の削除依頼議論を含めて「その国の特筆すべきラジオ放送でヘヴィー・ローテーションされた。」事実'''だけ'''をもって特筆性有りと判断された項目は、該基準の変更後は特筆性無しと判断される可能性があります。この事は、[[WP:NTEMP]]に一言書く必要があるかも知れません。(ここでは提案に留めておきます)-[[利用者:Kyuri1449|Kyuri1449]]([[利用者‐会話:Kyuri1449|会話]]) 2018年9月29日 (土) 09:27 (UTC)


*皆さんご意見ありがとうございます。冒頭部はかなり長いのでどうしたらいいものか悩んでいます([[利用者:鼓天/特筆性ガイドライン改善案]]とかを作ってそこで草案を練ります)が、ひとまず「有意な言及」の節について、現時点での改善案を以下に書いてみます。
== 文章追加の提案です ==
<blockquote> '''取るに足る扱い''' 取るに足る扱いとは、対象の話題について直接的に扱われていることを意味します。元となる情報源において、「特集記事」(もっぱらその話題について述べている記述)とまではいかなくても、少なくとも「取るに足らないようなもの」(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上の言及が必要です。ただし、文章によるものに限りません(例えば大相撲などのプロスポーツの戦績表も含まれます)。 </blockquote>
:とりあえずこのような感じでしょうか。--[[利用者:鼓天|鼓天]]([[利用者‐会話:鼓天|会話]]) 2023年8月27日 (日) 01:00 (UTC)
::改善案もとりあえず作っておきました。--[[利用者:鼓天|鼓天]]([[利用者‐会話:鼓天|会話]]) 2023年8月27日 (日) 01:17 (UTC)


: {{コメント}} ザッと読んだのですが、私にはOpen-box氏の主張がよくわかりません(逆に他の方々は肯定するにせよ否定するにせよ、理解できている前提なのが不思議に思います)。
冒頭部の最後に次の文章を追加することを提案します。
: 率直に、かつ具体的に言えば、「有意な言及」という訳語のせいで、『「散文」限定』と誤解されているという、Open-box氏の根本の主張のところからしてまったく意味がわかりません。まさか韻文を出典にしたいという話ではないでしょうから(笑)、これは比喩表現としての散文、より適切な語句を考えるなら「フォーマルな文章」を意味していると推測いたします(比喩表現だと反対にインフォーマルな文章を指すこともあるけれども)。ただ、そうだとしても、本ガイドラインの「有意な言及」の単語を根拠にして「フォーマルな文章」しか認めないというような運用が横行しているかのごとき、主張には首をかしげます。今回の元になった復帰依頼の議論を見ても、例えば、Ogiyoshisan氏が本ガイドラインの「有意な言及」の文言を根拠にして、「この場合認められる信頼できる情報源はフォーマルな文章の形式に限る」というような主張をされているなら、わかるのですが、そんなことはなく、唐突にOpen-box氏が「WP:GNGを改変した」「散文に限定されてません」と、(何度も言いますが)意味不明な主張を始めたようにしか思えません。
他の言語版で特筆性があるとされる事物は日本語版でも特筆性があるものとします。
: ただ、誤解無きように補足すると「元がフォーマルな文章の形式の情報源でないと信頼できる情報源と認めない」という層はいるでしょう。これは逆に、内容や媒体を見れば信頼できない情報源であることは明白にも関わらず、フォーマルな文章だから信頼できる情報源だと思いこんでいるパターンも見受けられます。もっともこれはウィキペディアに限らない話であって、内容ではなく文章形式で、信頼性・妥当性の有無を判断してしまうという一種の権威主義、例えば、カジュアルな文章よりも、硬い文章の方が説得力が増したように見えるというよくある話です。
この提案は日本語ではないある言語が使われる地域では知られているが、日本語が使われる主な地域である日本ではあまり知られておらず、新聞などで取り上げることも少ない事物を想定しています。
: 以上をまとめると「フォーマルな文章でないと信頼できる情報源とみなせない」と主張する方がいるのは事実だが、そうした人たちが本ガイドラインの「有意な言及」を根拠にしているというのは意味がわかりませんし、また、それゆえに、そこを変えたところで「フォーマルな文章」を絶対視する人もなくならないでしょう。だって関係ないんだから。
: もし、そうした懸念材料を修正するとしても、[[Wikipedia:信頼できる情報源]]の方が妥当ではないですか。--[[利用者:EULE|EULE]]([[利用者‐会話:EULE|会話]]) 2023年8月27日 (日) 03:06 (UTC)
::{{コ}}弁解するようなことではないのかもしれませんが、不思議に思われたようなので一応。私もOpen-boxさんの主張がよくわからないので、部分的に理解できるところだけ触れて、自分の知っている範囲で参考になりそうなことを紹介しました。「有意な言及」を変える必要性はないと思っています。変えるならそこじゃなくてもっといろいろあるだろうと。--[[利用者:みっち|みっち]]([[利用者‐会話:みっち|会話]]) 2023年8月27日 (日) 04:13 (UTC)
::私も、同じ感想を持ちました。Open-boxさんの主張される現状のJAWP内部の運用についてのご認識に関しては、正直具体的な例もない事には分からないな、と感じます(具体例があってもそれがどれほどの割合で頻発しているのかまでは分かるのか、と問われればまた別の話かもしれませんが)。--[[利用者:Miraburu|Miraburu]]<small>([[利用者‐会話:Miraburu|会話]] / [[特別:投稿記録/Miraburu|投稿記録]])</small> 2023年8月27日 (日) 04:27 (UTC)
::一応私の解釈としましては、「相撲の戦績表みたいなものは(散)文じゃないけど、特筆性を示す証拠にはなりうる。でも今の文書のままだと認められないように読めるから直しておこう」という意味とみて改善案を出しました(「いや、もし特筆性があるならその前に文章記事で取り上げられてるだろうし別に文限定でもいいのでは」とも思ったのですが、おそらくOpen-boxさん的にはこの現状こそ「誤訳を見て文限定と誤解した人が、誤った解釈の『有意な言及』をふりかざして何でもかんでも削除している」ということなのでしょう)。そのため改善案とは言ったものの自分としてはそこまで強く思ってはいないです(とはいえ、EULEさんの言う通り文書を変えるだけで運用が変わるわけでもないなら、逆に今後文うんぬんの話でトラブルが起こるのを防止するために変えてしまうのもありかもしれない)。
::また、誤訳に関する主張は「記事冒頭の『有意な言及』は誤訳で、 『掲載するだけの価値があり注目さに値する状態であること』のほうが正しいよね」といったニュアンスだと解釈しました。
::あと冒頭部分は単純に長くて少々読みづらいので、改訳するしないに関わらず節を分けたいな、というスタンスです。--[[利用者:鼓天|鼓天]]([[利用者‐会話:鼓天|会話]]) 2023年8月27日 (日) 11:49 (UTC)
:::一応実際に[[ノート:弥生時代#日本列島における水稲の広まりの項目について|韻文を出典にしようとしている利用者の例]]はあります(さすがにレアケースですが)。--[[利用者:鼓天|鼓天]]([[利用者‐会話:鼓天|会話]]) 2023年8月27日 (日) 11:53 (UTC)
: {{コメント}}(EULEさんへ)まずこの文章に限っては「有意に言及」と「有意な言及」は異なる語となります。前者は根拠のない記載であり、後者はなんとか意訳しようとした結果、想定外の問題が生じているものです。「有意に言及」についてはまとめる前の段階でも無断でまとめられているので二重に意味が変わっている・後段と被る表現でさらに誤解の元になる問題なので、こちらは単に解消するところから始まります。「有意な言及」を取り上げますと、そもそも「Coverage」が「言及」の時点で問題があるのです。「Coverage」はあくまで「扱われている範囲」を示す語であり、そこに文章でなければならないとする限定はありません。みっちさん、Miraburuさんへの回答を兼ねますが、データ出典が独立記事作成の目安の源泉となるのはスポーツ選手やメディア関係はごく一般的な扱いですし、音楽に至っては「データ出典(チャートXX位)」が肝要だったりします。でもこれらは「言及」だと取りこぼされる、平たい話気分一つで削除依頼できる状態になっています。特に分野別での例示が乏しいメディア関係者(主に俳優)は、しばしば依頼されています。これは「散文限定」を引きずっているが故のミスなのです(スタッフだと外から見えないので難しいのですが、俳優ぐらいは調べれば判るでしょうに)。[[Wikipedia:信頼できる情報源]]はカバーする範囲が異なっております。そちらですと[[Wikipedia:信頼できる情報源]]であっても[[Wikipedia:独立記事作成の目安]]に合致しないこと、逆に[[Wikipedia:独立記事作成の目安]]に合致しないが出典にはなることの双方を理解されていないケースがありますね。ただこれは解説を付け加えれば事足りるとも考えます。
:(鼓天さんへ)記事冒頭はandではなくorでなければならないんです。andにしますと「一般的な掲載価値はあるけど知名度等足りない」/「知名度等あっても一般的な掲載価値がない」となりますので、今よりも削除範囲は拡大します。
:「質量共に最高の」という目的に反するので、「厳選はWikipediaの目的とするところではない」というのは容易に導けるのですが、実はそのものズバリの文書がないのでどこかに書いておく必要はありそうではあります。明白なWikipediaの弱点の一つは、「専門分野/一般社会では取り上げられていても、こんなレベルの事象がWikipediaで扱われているのは嫌だ、消せ」という主張に対抗する根拠が乏しいところにあります。--[[利用者:Open-box|Open-box]]([[利用者‐会話:Open-box|会話]]) 2023年9月2日 (土) 15:27 (UTC)


:: {{返信|Open-box氏}} それで、その差異が具体的に現状のウィキペディア日本語版でどのような看過できない問題を引き起こしているのですか? 元の議論と合わせてよくわからないと言ってるのはそういうことですよ。[[WP:BURO|ウィキペディアは規則主義ではありません]]や、官僚主義ではありませんがあるように、言葉の一語一句にこだわるだけの議論ははっきり言って時間の無駄です。「トップリーグの指導者には特筆性がある」という議論が、なぜ今のような話になってるのがまったく理解できないです。まさか、成績表(データ表)でチームの特筆性がある→だから指導者にも特筆性がある(成績表でトップリーグの指導者の特筆性の根拠になる)、と言いたいのですか?--[[利用者:EULE|EULE]]([[利用者‐会話:EULE|会話]]) 2023年9月2日 (土) 23:07 (UTC)
日本で知られていない例を挙げるのは難しいので、逆に日本以外でほとんど知られていないだろう例として[[森脇和成]]を挙げておきます。(2018年11月14日 (水) 11:48 (UTC)現在、日本語版以外には記事がありません)それ誰と言われる方が少なくないでしょうが、記事を読めば「あー、あの人ね」と思われるでしょう。
:::トップリーグの指導者関係の話よりも前にOpen-box氏が「誤訳」と主張されているのを見たことがあるので、さすがに「チームの特筆性は指導者の特筆性だ」ってことではないかと(ただ、前々から誤訳だと思っていたのならもっと早くOpen-box氏自身が話題提起すればよかったのではという気がします)。--[[利用者:鼓天|鼓天]]([[利用者‐会話:鼓天|会話]]) 2023年9月4日 (月) 00:06 (UTC)
:::(EULEさんへ)正しくその反応が看過できない問題です。あなたの反応は、判らない理解できないではなく、理解したくない削除の障害だでしかありません。官僚主義を言い訳に使っていますが「言葉の一語一句にこだわるだけの議論ははっきり言って時間の無駄です」は、そのまま「言葉の一語一句にこだわって今の自由に削除できる環境を維持したい」という要望でしかありません。誤訳によって表現に問題があり、実際に悪用している利用者がいる以上、直ちに変更しなければなりません。そして悪質な工作を行っていますね。あなたの主張であればこうなってしまいます「地域リーグレベルでも専門誌には成績表載るんだから(なおこのレベルでも記事はありますので、それこそCoverage)、当然各個人にも掲載価値がある」。これをトップリーグの個人の特筆性とすり替えているのですから、ごまかしと指摘することすら甘い。チームの特筆性は個人のそれより圧倒的に緩くなっていますので、前提が破綻していますね。
:::(鼓天さんへ)あなたも間違っています。本質は基準不整合の問題です。つまり同じ枠内の事象(個別の競技関連人物)を特筆性で削除するために一部分だけ引き上げる(選手は3部、指導者は対応させるなら3部だが明文がないから悪用して代表クラス)のは、論理的ではないという問題です。今の特筆性は、「それは全部ダメだ」という主張が可能なので無限に引き上げることが出来ますが、基準不整合の放置は必ず削除範囲拡大の材料となります。「アレが削除できたんだからコレも削除」が日本語版の運用です。一つでも削除に成功すれば自動的に削除ができる、削除の根拠は嘘でも前例、存続はどれだけあっても削除一つに勝てないという日本語版の欠陥は常に狙われています。馬鹿げた依頼でも一つ突破すればドミノ倒しが発生するのですから。なお誤訳の話は2021年には[[Wikipedia:井戸端/subj/記事の特筆性について]]でけりが付いていたのにまた削除に不都合だという動きになったのが今年。私が提案すると熱狂的に反対する人が出るのは読めていたので出さなかったんですけどね。--[[利用者:Open-box|Open-box]]([[利用者‐会話:Open-box|会話]]) 2023年9月7日 (木) 01:35 (UTC)
::::指導者に対する掲載基準がないならまずスポーツ関連のプロジェクトで議論すればいい話で、それをすっとばしてこの方針の改定の話と絡めるから話が複雑になっていると思うのですが(こういうややこしいことが起きることを考慮するとやっぱり方針は変えたほうがいいかもなぁと思います)。--[[利用者:鼓天|鼓天]]([[利用者‐会話:鼓天|会話]]) 2023年9月7日 (木) 12:41 (UTC)
:::::スポーツは指導者に対する基準はあるんです(特筆すべき実績)。ないのは、「特筆すべき」の範囲の明文基準。旧称の特筆性の問題の一つであった「特筆大書」の問題でもありますね。--[[利用者:Open-box|Open-box]]([[利用者‐会話:Open-box|会話]]) 2023年9月7日 (木) 13:36 (UTC)


* そもそもここは日本語版ですから英語版と違うこと自体は問題ではありません。Open-boxさんがすべきことは、誤訳だから問題、悪用している人がいる、などと根拠なく主張することや、EULEさんがやっていない行為をやっていると決めつけることではなく、現在の文章がどんな問題を引き起こしているかを具体的に説明することです。--[[利用者:フューチャー|フューチャー]]([[利用者‐会話:フューチャー|会話]]) 2023年9月7日 (木) 18:26 (UTC)
日本でほとんど知られていない事物の記事を一から作ることは少ないでしょうが、他言語版内のリンクで記事を発見して翻訳する可能性は少なくありません。
* {{返信|Open-box氏へ}} 私だけが理解不明だと言っているなら、その指摘でもいいでしょう。でも、私以外の誰もあなたの主張を理解できてないのです。一番理解を示している鼓天氏すら「違う」のでしょう。じゃあ、もう誰もあなた以外にはわからない。こういう場合は、2つしかないです。「あなたの主張が間違っている」か「あなたの説明の仕方が間違っているか」です。別にそこで私はあなたが間違っていると決めつけるつもりはありません。だって今は正しいのか間違っているのかすらわからないんだから。<br>「悪質な工作を行っていますね」もまったく酷い揚げ足取りで、「こういうことをあなたは言いたいわけじゃないよね」と確認している文言じゃないですか。それを「あなたの主張であればこうなってしまいます」とか、意味不明な反論をしないで欲しい。私はそれはありえないという前提で言ってるんですよ。<br>前に[[Wikipedia:投稿ブロック依頼/小出-小坂井]]で言ったことですが、なまじ賢いと、自分が正しいが何か陰謀が働いているために認められない、あるいは社会や集団に根本的な問題があって自分の正しさが受け入れられないのだ、という発想に陥りやすい。まさにOpen-box氏は今、そういう状況に陥っているように見えます。--[[利用者:EULE|EULE]]([[利用者‐会話:EULE|会話]]) 2023年9月9日 (土) 04:34 (UTC)
::(EULEさんへ)間違いの原因は、EULEさんにしろ鼓天さんにしろ個別の事案(今回はスポーツ)で理解しようとしているからです(フューチャーさんには読んでから書いてとしか回答のしようがない……テンポがずれているように感じるんです。)。それではいい加減な理解を行って特例を設けることにしかなりません。
:::スポーツだけなら、「特筆すべき」とは「特筆大書を意味しない」「特筆性を都合良く変更しない」という原則の徹底だけで終わりますから、こちらを改訂しなくても対応できるのです。
::議論の余地がない(悪意ある誤訳として即時改稿レベルになるほど意味が変わっている)ほどの致命的な誤訳に対しては、本来対話の余地なんてありません。ですから、ここに反対する合理的な理由はあるのですか? となるんです。「言葉の一語一句にこだわるだけの議論ははっきり言って時間の無駄です」とありますが、それこそ散文出典がないと主張して行われる日本語版の誤訳を利用した削除依頼こそがそちらになるのではとも考えられます。つまり、その主張をするなら改訂に反対する理由がありません。実例を過去の依頼から探してみました。
:::[[Wikipedia:削除依頼/浅井隼人]]なんかはいい例なんですが、このケースは探せば絶対に文献出てくるからちょっと違うかなと。
:::[[Wikipedia:削除依頼/北川祐]]はスポーツの特筆性が自動的に当てはまるのでこれもちょっと違うかな?
:::[[Wikipedia:削除依頼/伊東潤]]はごり押しも可能な依頼でしたが依頼がひどすぎてすぐに終わったケースです。実は今でも実績以外に理由がないから一番近いかな?
::この手の依頼を減らせるだけでも意味はあります。
::おまけ:「まさか、・・・と言いたいのですか?」ってそれを確認に使うなら、最後に「そんなことではないと思いますが」みたいに反語的表現置かないと煽りになりますよ。--[[利用者:Open-box|Open-box]]([[利用者‐会話:Open-box|会話]]) 2023年9月16日 (土) 11:07 (UTC)
:::また「悪意ある誤訳」という決めつけを行っていますね。そもそもなぜ英語版と同じでなければならないのかの説明が足りません。--[[利用者:フューチャー|フューチャー]]([[利用者‐会話:フューチャー|会話]]) 2023年9月19日 (火) 22:22 (UTC)
:::{{返信|Open-boxさん}}挙げられた削除依頼案件を拝見しました。
:::*[[Wikipedia:削除依頼/浅井隼人]]:対象は政治家。依頼者が「独立記事作成の目安」をろくに読んでいないという論外な依頼であり、「有意な言及」についての解釈や散文かどうかといった話はどこにもありません。訳語の問題に結びつく要素はないでしょう。
:::*[[Wikipedia:削除依頼/北川祐]]:対象はスポーツ選手。「他者の言及」という言葉が依頼内容にありますが、それよりも調査の不十分さを指摘されており、[[WP:FAILN]]の理解不足が明らかな点で、上の依頼とほぼ同様。
:::*[[Wikipedia:削除依頼/伊東潤]]:対象は作家。依頼理由が「まったく出典がない記事」であり、依頼者本人がこの「目安」をまったく読んでいないのではないかと思われます。こちらも訳語や散文かどうかという話ではなく、訳語の問題にはほど遠い案件です。ただし、依頼者がウィキペディアの記事内の出典と外部の「有意な言及」を同一視している点は、先に私が挙げたように、日本語版の本目安が「検証可能性」に引きずられすぎていることの結果と受け止めています。
:::以上、どの案件も「有意な言及」の訳語に起因する問題とするには飛躍があると考えます。残念ながら訳語に関するOpen-boxさんの問題意識は私を含めて共有されていませんから、これ以上の進展は望めないでしょう。
:::そもそも削除依頼の依頼者の傾向として、自分で記事を育てる意識が薄く、「特筆性」を削除の手軽な手段として利用しようとする方が多いと考えられます。仮に「有意な言及」を別な言葉に置き換えたとしても、それくらいでは、このような風潮はなにも変わらないのではないかと思います。--[[利用者:みっち|みっち]]([[利用者‐会話:みっち|会話]]) 2023年9月20日 (水) 11:23 (UTC)
::::考え方が結果から読み解いてしまってますね。「「独立記事作成の目安」をろくに読んでいない」・([[WP:FAILN]]の理解不足以前に無視してるんじゃないかってのは別として)「[[WP:FAILN]]の理解不足」と言ってしまうのは簡単なのですが、なぜそのような発想をしてしまうのかが問題なのです。実はこの3例、通り一遍の調査で(すらやってない気はしますが)「実績の出典は十分に掛かるが、散文出典はなかなか掛からない」という共通点があります。「有意な言及」を置き換えるだけでこのようなケースは出す必要がなくなりますし、こんなにわかりやすくない案件でも簡単に終わるんですよ。
::::「特筆性」を削除の手軽な手段というのも正しいですが、本命は「「特筆性」で削除できたら同格も自動的に削除・復活はSD使えるので議論すら拒絶できる」という面の方ではないかと考えます。多用される方の中には執筆も十分すぎるほどできる方もおられますので、「自分で記事を育てる意識が薄く」ではなく、「削除自体」あるいは「削除による好みに合わせた統制」が目的化しているケースがあると考えた方が妥当でしょう。--[[利用者:Open-box|Open-box]]([[利用者‐会話:Open-box|会話]]) 2023年10月2日 (月) 15:21 (UTC)
:::::せっかくレスポンスいただきましたが、やはり訳語を変える必要を感じません。これ以上は平行線かもしれませんが、この間[[Wikipedia‐ノート:削除依頼/李球 (蜀漢)]]でのやりとりをふまえて思うところがありましたので、以下を最後のコメントとします。
:::::当該案件の依頼者は、削除について比較的ニュートラルな立場という印象を受けていたのですが、それでも「特筆性なしを理由とした削除は統合・リダイレクト化の検討を経た上での最後の手段」という[[WP:FAILN]]に基づく指摘に対して怒り出すという現象が見られました。[[Wikipedia:削除依頼#STEP.0 依頼の前に]]には、「ケースEの「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」を理由にした依頼をする場合には、(中略)削除以外の方法で問題を解決出来ないか検討してください。」と推奨されているにもかかわらず、これをすっ飛ばして削除依頼にかけていいと考える傾向は、Open-boxさんが挙げられた事例にも共通しています。つまりというかやはりというか、[[WP:FAILN]]が軽視あるいは無視されている。
:::::この目安の中で、前段の日本語の文章については私も不満がありますが、少なくとも[[WP:FAILN]]は英語版との齟齬がない部分ですし、この手続きを徹底することが当面の安易な削除依頼を防ぐ手立てになるでしょう。具体的には、[[Wikipedia:削除依頼#STEP.0 依頼の前に]]の表現を直接的にし、かつ推奨を義務とする、さらには[[Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事]]でも特筆性なしを理由とした削除依頼はその前提として統合・リダイレクト化の検討を必須とする、ことが考えられます。これでダメなら、残念ですがFreetrashboxさんが言われるように、むしろ実情に追随する形で目安を改訂する方がいいかもしれません。--[[利用者:みっち|みっち]]([[利用者‐会話:みっち|会話]]) 2023年10月11日 (水) 11:49 (UTC)
::::::ニュートラルかなぁ……個人的見解に固執しているだけなような。根拠が提示できないのは感覚なのでいいのですが、「Freetrashboxさんが言われるように、むしろ実情に追随する形で目安を改訂」ですと言及外すことになりますよ。なおみっちさんの提案ですが、リダイレクト先複数あって一意に定まらないから削除という意見は散見されますので、先にリダイレクトに空いている大きな穴を潰さないと逆効果になります。--[[利用者:Open-box|Open-box]]([[利用者‐会話:Open-box|会話]]) 2023年10月12日 (木) 01:56 (UTC)


== 2次資料がなぜ最も信頼できるのか疑問です ==
全体として多言語版の百科事典を構成するというWikipediaの性格からいって、そのような事物の日本語版記事を作ることは有用であり、そのときに特筆性でもめることを避けたいという趣旨の提案です。よろしくご検討ください。--[[特別:投稿記録/59.129.118.125|59.129.118.125]] 2018年11月14日 (水) 11:48 (UTC)
* {{問}} 「他の言語版で特筆性がある」かどうかは、どうやって判断するのでしょうか?ひょっとして特筆性を議論するためには全ての言語版の特筆性の基準を熟知する必要があるとしたいという提案でしょうか?--[[利用者:Aki42006|aki42006]]([[利用者‐会話:Aki42006|会話]]) 2018年11月14日 (水) 12:22 (UTC)


なぜ2次資料がなぜ最も信頼できるのかわからないので教えてほしいです
ますは、上に挙げた[[森脇和成]]のように1つの言語の記事だけが存在している場合です。この場合は、元の記事に特筆性テンプレートが貼られているかどうかで判断すればよいと思います。例えば日本のローカル地下アイドルの記事が作られたとして、それが全くの宣伝目的なのか、一定の特筆性があるのかを一番適切に判断できるのは日本語話者でしょう。それと同じ考え方です。複数の言語に記事がある場合、どれか特筆性テンプレートの貼られていない記事があれば、たぶんそれが本国(本言語?)の記事なので、そのことで特筆性があると考えてよいと思います。ご存知かと思いますが、特筆性のガイドラインそのものが存在しない言語版もかなりあります。(実は日本語版も音楽についてのガイドラインは2008年1月から存在したものの、全般的なガイドラインは 長い間作成中の状態が続き、2015年1月までガイドラインとしては存在しませんでした。)特筆性のガイドラインが存在しない言語版では、そもそも特筆性の問題が発生していないと考えられ、最初から特筆性が問題になるような記事はないと考えてよいと思います。--[[特別:投稿記録/14.101.55.164|14.101.55.164]] 2018年11月14日 (水) 16:19 (UTC)


またなぜ2次資料がなぜ最も信頼できるのか記事で記載したほうがいいと思います--[[利用者:タイムアウトの猛者|タイムアウトの猛者]]([[利用者‐会話:タイムアウトの猛者|会話]]) 2023年9月2日 (土) 20:13 (UTC)
ps.直接今回の提案に関係する話ではありませんが、以前とある伝統芸能の[[人間国宝]]の記事に特筆性テンプレートを貼ってあるのを見かけたことがあります。確認したら今も貼ってあります。歌舞伎などと違ってあまり話題にならない分野の方ではあります。しかし、記事の中に人間国宝と書いてあることが信用できなかったのかな。人間国宝かどうかはすぐに確認できるはずなのですが。あるいは、テンプレートを貼った方は人間国宝という言葉の意味を知らなかったのかもしれません。どうも自分が知らないと「特筆性がない」と思う人がいるようです。今回の提案もその辺の状況を踏まえての提案です。--[[特別:投稿記録/14.101.55.164|14.101.55.164]] 2018年11月14日 (水) 16:19 (UTC)


: {{コメント}}その説明は[[Wikipedia:信頼できる情報源]]や[[Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料]]を御覧ください。一応、全般的にWikipedia:信頼できる情報源に誘導され、その中で説明されているものになります。ただ、たしかに2次資料は唐突かもしれませんので、当該節に「Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料」へのリンクはあった方がいいかもしれませんね。他の人の意見も見て特に異論がなければ、リンクを載せたいと思います。--[[利用者:EULE|EULE]]([[利用者‐会話:EULE|会話]]) 2023年9月2日 (土) 23:11 (UTC)
先ほど書き忘れたので書いておきます。IPが変わっています。投稿ついでに歌舞伎の人間国宝について少し書くと[[坂田藤十郎 (4代目)|四代目坂田藤十郎]]をはじめとして(生きている人では)7人おられるようです。詳しくは[http://www.kabuki.ne.jp/prize/list02.html こちら]をご覧ください。さすがにこの人達の記事に特筆性テンプレートを貼る人はいないでしょう(と信じたい)。--[[特別:投稿記録/14.101.55.164|14.101.55.164]] 2018年11月14日 (水) 16:32 (UTC)
::ありがとうございます--[[利用者:タイムアウトの猛者|タイムアウトの猛者]]([[利用者‐会話:タイムアウトの猛者|会話]]) 2023年9月3日 (日) 13:19 (UTC)
:{{コメント}} 本ガイドラインで二次資料について説明されているのは[[WP:GNG/S]]("情報源"節)になりますが、[[WP:PSTS]](Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)へのリンクはすでに存在します。方針に書かれていることをガイドライン側で改めて説明する必要はないものと思います。{{Tl|See also}}などを表示するべきとの提案でしょうか。--[[利用者:Amayus|Amayus]]([[利用者‐会話:Amayus|会話]]) 2023年9月10日 (日) 04:00 (UTC)
::記事の内容に関しては、Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか、Wikipedia:存命人物の伝記、Wikipedia:過剰な内容の整理などをご覧ください。のとこのある記事を今回の件やその他の要素の関連で分けるなど例としては
::==ニュース報道等==
::ウェキペディアはなにでないか
::ウィキペディアはニュース速報の場ではありません
::情報源
::Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せない
::とゆうような載せ方はどうでしょうか--[[利用者:タイムアウトの猛者|タイムアウトの猛者]]([[利用者‐会話:タイムアウトの猛者|会話]]) 2023年9月12日 (火) 11:51 (UTC)
:::{{返信}} 申し訳ございませんが、おっしゃっている内容が理解できかねております。ガイドライン中のどこかの記載順を変更したいといったご提案でしょうか。冒頭部の記事の内容についての文書への案内の羅列は少し圧倒されるので、{{Tl|Navibox 編集案内}}の「記事内容について」の箇所を案内するか、[[:Category:記事の内容についての方針]]などへのリンクとしてもよいのではないかとは考えますが、そのような話でしょうか。--[[利用者:Amayus|Amayus]]([[利用者‐会話:Amayus|会話]]) 2023年9月13日 (水) 09:13 (UTC)
::::申し訳ございません。言いたいことを整理しました。
::::わたし的には2次資料がなぜ最も信頼できる理由がわかる道標があったほうがいいんじゃないかなと思います。--[[利用者:タイムアウトの猛者|タイムアウトの猛者]]([[利用者‐会話:タイムアウトの猛者|会話]]) 2023年9月14日 (木) 12:50 (UTC)
:::::追記
:::::今回何がしたくて、どうすればいいのかとゆう、中のどうすればいいのかだけを書いてしまったので意味がわからないものになってしまいました。申し訳ございません--[[利用者:タイムアウトの猛者|タイムアウトの猛者]]([[利用者‐会話:タイムアウトの猛者|会話]]) 2023年9月14日 (木) 12:55 (UTC)
::::::{{返信|タイムアウトの猛者さん}} 本ガイドラインで示されている記事の出典に二次資料を用いる理由は、「特筆性のもっとも客観的な証拠を提供するのは二次資料だから」という部分です。それ以上の説明についてはやはり方針である[[WP:PSTS]]を参照頂く形になります。"情報源"節の位置を移動されたいようにも感じますが、こちらは"[[WP:GNG|一般的な目安]]"節の冒頭で定義した文の解説であるため、動かすことは適切ではありません。記事の内容に関する方針やガイドラインへのリンクを複数個所に記載することも、本ガイドラインでは記事の内容自体については扱わないと冒頭部で宣言したうえで別の方針等へのリンクを案内しているので、不要ではないかと考えます。
:::::: 難しい言葉で説明してしまっているかもしれませんが、ここでは「信頼できる二次資料」を用いることが求められるのであって、「二次資料ならば信頼できる」わけではありません。この点がひっかかっている部分でしょうか。何をもって信頼できるとするのかは、[[Wikipedia:信頼できる情報源]]をご確認ください。内容が間違っていることがより少ないであろう情報源を選ぶことが求められます。--[[利用者:Amayus|Amayus]]([[利用者‐会話:Amayus|会話]]) 2023年9月15日 (金) 11:01 (UTC)
:::::::つまり二次資料を使う理由は「特筆性のもっとも客観的な証拠を提供するのは二次資料だから」それ以上の説明は別の記事に書かれてるからそっちを見てほしい。"情報源"節はルールで決まってるから動かせない。リンクを他に貼るにしても最初に記事の内容は触れないと最初に行った上でリンクを貼ってるから大丈夫。確かに信用できる二次資料を使ってほしいといったがそれは二次資料が信頼できるとはならない。とゆう解釈で大丈夫でしょうか?
:::::::だとしたら信頼できる二次資料と二次資料をはき違えた私の落ち度です。申し訳ございません。--[[利用者:タイムアウトの猛者|タイムアウトの猛者]]([[利用者‐会話:タイムアウトの猛者|会話]]) 2023年9月15日 (金) 13:48 (UTC)


== 無出典の存命人物記事に対する特筆性について ==
{{反対}} 自律的に特筆性を証明すべきです。[[WP:CIRCULAR]]の精神にもそぐわない。[[Wikipedia:説明責任]]もご案内します。--[[利用者:㭍月例祭|柒月例祭]]([[利用者‐会話:㭍月例祭|会話]]) 2018年11月14日 (水) 17:13 (UTC)


[[Wikipedia‐ノート:存命人物の伝記#無出典の存命人物記事に対する特筆性について]]に議論を立ち上げました。標記の記事に対し、特筆性がないものと推定することを方針に加える提案ですので、ご意見をいただければと思います。 --[[利用者:Tamago915|Tamago915]]([[利用者‐会話:Tamago915|会話]]) 2023年12月9日 (土) 10:11 (UTC)
{{反対}} 付記するメリットはなく、大きなデメリットがあると判断します。<br/>まず、メリットがない話。ある言語版で(日本語版でいうところの)「特筆性」を有する記事が作成されているとき、それを立証するための「情報源」が記載されているはずです。仮に日本語版で記事作成を行う場合でも、その「情報源」を用いることで「特筆性」を立証できることになります。故に他言語版の記事の有無によって影響される必要性はまったくありません。<br/>次に大きなデメリットの話。他言語版の記事が「特筆性」に十分注意を払って作成されているのかは誰も立証できません。そのため、『ある言語版で記事が作成されていること』によって『その対象に「特筆性」があること』は証明できません。日本語版の事例を出すとカテゴリ「[[:Category:ソフトウェア]]」やそのサブカテゴリが付与されている記事のうち{{Tl|特筆性}}などによって「特筆性」に疑問が'''提示されていない'''記事'''全て'''がガイドライン「[[Wikipedia:独立記事作成の目安]]」を十全に満たしているのかといえばそんなことはありません。--[[利用者:Iwai.masaharu|iwaim]]([[利用者‐会話:Iwai.masaharu|会話]]) 2018年11月15日 (木) 18:33 (UTC)

{{反対}} まず質問に回答していただき、ありがとうございます。どうやら「特筆性テンプレートが貼られてない記事は、その言語版で特筆性がある」と思い込んでいらっしゃる様ですが、その前提条件は誤りです。日本語版でも{{Tl|特筆性}}も貼られずに放置されている記事が大量にあります。--[[利用者:Aki42006|aki42006]]([[利用者‐会話:Aki42006|会話]]) 2018年11月15日 (木) 23:40 (UTC)

{{返信}}コメントを頂いた皆様へ。ご意見をご表明頂きありがとうございます。

お返事が遅くなってすみません。

以下に「特筆性」全般及び今回の提案について私が考えていることを書きます。[[利用者:Aki42006]]さん、[[利用者:Iwai.masaharu]]さん、[[利用者:㭍月例祭]]さんのご意見を読むと、皆さんは[[Wikipedia:独立記事作成の目安]]を重要なルールと考えておられるのだと思います。しかし、私は、「特筆性」について活用されているのは[[Template:特筆性]]と[[Wikipedia:特筆性 (音楽)]]であり、その他のルールなどは断片的に引用されるだけというのが実情だと考えています。このことは、「特筆性」のルール群で草案の段階で議論が止まっているものがいくつもあること、[[Template:特筆性]]が貼られた状態のままで改善されていない記事が多数ある事、Aki42006さんが指摘された特筆性の問題があるにもかかわらずテンプレートすら貼られていない記事がたくさんある事に現れています。このような事態になったのは、「音楽」以外に特筆性の必要性が認識されていない時点で英語版にあるからと言って導入をしようとしたこと、ルールの方のガイドライン化ができていないのにテンプレートを作ってしまったこと、「特筆性」という言葉があまりによくできた造語であったために「流行語」になってしまったことが原因だと考えています。たしかに、[[Wikipedia:独立記事作成の目安]]はなかなかしっかりした文書ですが、文書がしっかりしているということとその文書が活用されていることは別物です。

今回の提案ですが、改めて書くまでもなく当たりまえのことを確認しているに過ぎません。それはウィキペディアが'''多言語'''の百科事典を目指すプロジェクトだからです。したがって、ウィクショナリーのように何語版であっても基本的に同じ内容であるというのが理想です。(あくまで、理想です。)細かい運用やルールについては、各言語版に任されているわけですが、多言語版としての全体の形と大きく食い違うのはよいことではありません。

つまり、今回の提案が認められようが、拒否されようがルールとしてはほとんど変化はないということです。ならば、なぜこのような提案をしたかというと、影響の少ない変更を加えていくことで、現在の「特筆性」についての膠着状態を解決していく手掛かりになるのではないか、微力ながらウィキペディアの発展に寄与できるのではないかと考えたものです。

おそらく、上に書いた「特筆性」全般についての私の認識も含め反対の方が少なくないと思います。ざらにご意見をお書きいただけば幸いです。--[[特別:投稿記録/118.156.88.29|118.156.88.29]] 2018年11月22日 (木) 19:44 (UTC)

{{反対}} 提案者様の実情についての認識には根拠が何もございません。また各記事の特筆性について他言語版と擦り合わせをしたいのであれば、それはまずメタウィキなどのグローバルなプロジェクトでの協力を呼び掛けるべきでしょう。日本語版がローカルでの検討を行うことなく他の言語版の判断に従ってしまうことは、即ちグローバルスタンダードに対する日本語版の意思表明の放棄へとなってしまうことでしょう。--[[利用者:Miraburu|Miraburu]]<small>([[利用者‐会話:Miraburu|会話]] / [[特別:投稿記録/Miraburu|投稿記録]])</small> 2018年11月26日 (月) 12:35 (UTC)

{{コメント}}'''終了提案''' 特筆性周辺文書への執着は[[LTA:SUZU]]の典型行動ですね。「'''議論が長引くことを好む'''」のも特徴です。SNOWとして終了でよいでしょう。--[[利用者:㭍月例祭|柒月例祭]]([[利用者‐会話:㭍月例祭|会話]]) 2018年11月27日 (火) 14:59 (UTC)
*終了提案に{{賛成}} 既に[[WP:AN/S]]で報告されていると思いますが提案IPは[[LTA:SUZU]]または模倣かと思います(<nowiki>[[利用者:○○]]さん</nowiki>と記述するのもLTA:SUZUの特徴と思います)。変更として合意形成の見通しも立ちませんし、終了で良いのではないでしょうか。そもそも、jawpで特筆性を立証するための信頼できる第三者言及は日本語で記述されているものに限定されていないかと思います(仮に日本語の限定があったら翻訳も気楽に行えなくなるでしょうし、[[LTA:MIKI]]による削除依頼提出荒らしで悪用されそうにも思えます)。出典提示としては他言語での記述よりは日本語のほうがよいのでしょうが、(少なくともjawpと他言語版で特筆性基準が同じ場合は)他言語版をきちんと翻訳すればその時点で特筆性は立証されるはずでしょうし、追加する意味もありません。--[[利用者:郊外生活|郊外生活]]([[利用者‐会話:郊外生活|会話]]) 2018年11月28日 (水) 04:27 (UTC)

{{コメント}} 提案者です。(最近アカウントを取得しました。)ここまでの議論を見ていると、他言語版で特筆性が認められている対象に対して日本語版でも特筆性を認めることを全面的に否定しておられるわけではないようなので、議論の終結に同意します。ところで、直接議論に関係することではないのですが、[[利用者:郊外生活]]さんが「<nowiki>[[利用者:郊外生活]]さん</nowiki>」という書き方を[[LTA:SUZU]]の特徴と書いておられるのは、雑に過ぎるように思います。(この文章でも使っています。)この辺の書き方は「<nowiki>[[利用者:郊外生活]]さん</nowiki>」の他に「<nowiki>[[利用者:郊外生活|郊外生活]]さん</nowiki>」、「<nowiki>[[user:郊外生活]]さん</nowiki>」、「<nowiki>[[user:郊外生活|郊外生活]]さん</nowiki>」、「<nowiki>[[利用者:郊外生活|郊外生活さん]]</nowiki>」、「<nowiki>[[user:郊外生活|郊外生活さん]]</nowiki>」など何通りか考えられます。しかし、ある程度妥当性のある書き方は限られるでしょう。(リンクをつけないなら「郊外生活さん」で十分ですね。)郊外生活さん自身のお好みの書き方と違うからと言って[[Wikipedia:進行中の荒らし行為]]である根拠とされるのはいかがなものでしょうか。「LTAまたは'''模倣'''」という表現があるのでそう書いておられるのでしょうが、'''模倣'''の範囲がどんどん広がっているように思います。--[[特別:投稿記録/KD059129118125|KD059129118125]] 2018年12月2日 (日) 00:55 (UTC)

{{コメント}} LTA「模倣」はむしろ適用が難しくて困っているぐらいですが、これは置いておきます。また、この疑問はLTAとは無関係に発生しうるでしょうし、ここまでの議論で看過できない問題があります。ですから、私はこの一度だけ提案者がLTAであるかどうかは考慮せずに記載します。
:この提案の問題点は、「他の言語版で特筆性があるとされる事物」の判定にあります。そもそも「日本語版」の「独立記事作成の目安」に合致するのであれば、既に記事中で示されており「他の言語版で特筆性があるとされる事物は日本語版でも特筆性があるものとします」という雑な判定を行う必要はありません。加えて、{{tl|特筆性}}等のタグが付いている/いないことには本質的に意味がありません。悪用を別としても検証を経ていない個人の判断にすぎませんし、この点では単にタグが付いていないこともまた同等なのであり、タグが付いていないから「独立記事作成の目安」に合致する/付いているから「独立記事作成の目安」に合致しない、とはできず、目安に合致するかを検証することが必要なのです。
::もちろん、他言語版で記事が存在するものでも、日本での知名度が低いどころかなきに等しいために削除依頼が提出されることは多々あります。しかし、これは本質的には依頼者の問題であって、方針で手当をするなら「日本語は必須ではない、なくてもよい」事を重ねて強調する程度で対処可能です。もう少し進めるなら、残存する「特筆性」という用語の変更でしょうか。この語に問題があることは認識されていましたが、テンプレート等で多数使用されており、改訂が放置されていたことは事実です。乱用・誤用を避けるなら、変更すべきでしょう。
:そして、この提案はその裏である、「他の言語版で特筆性がないとされる事物は日本語版でも特筆性がないものとします」という形で深刻な問題を生起します。技術的に「他の言語版で特筆性がないとされる」判定を信頼することは難しいのです。削除されずタグのみの場合については、有無が根拠にならないのは「特筆性がある」で述べたとおりです。そして、他言語版で削除されている記事に対してその妥当性を判断することは困難です。これは、権限の関係で他言語版の削除された版を確認することが事実上不可能であることによるもので、近い将来に解決することはできないでしょう。まして、他言語版でも虚偽の申告や方針の誤読等による削除は発生しうるものですから日本語版でも個別に審議が求められるのですが、この改訂案ではその過程をスキップして削除につながるでしょう。
:一方、「他の言語版で特筆性があるとされる」記事が「日本語版」の「独立記事作成の目安」に合致しないケースについては、3つのパターンが考えられます。まず、方針文書間の食い違いによる場合があります。日本語版のこの文書もかなり古く、Wikipediaの実情や現実の世界に合っていなかったり、見落としがあったり、導入時に誤訳があったりする可能性は否定できませんし、他言語版が改訂されていることも考えられます。この場合は、方針文書の改訂を考慮すべきです。ついで、日本語版特有の事情が関与する場合です。日本語版を含む各言語版にはそれぞれの事情があり、日本語版では特別に排除されていたり、他言語版で特別に記事が存在している可能性があります(比較的理解しやすいのは地方議員。国によって差が大きいので一様な判定ができません)。これは、「日本語版特有の事情」が適用できないものであれば、その旨一言残して作れば問題ないでしょう。最後に、過去にこの方針を理由に削除されている場合です。これは少なからず発生しますが、基本的には出典で対処するべきです。多々見られるケースは「時期尚早だった」、「削除理由はケースB/Gで特筆性を判定していない」、「出典を欠くスタブ状態で誤ってケースE判定された」ですから、出典で対処する余地は大きいのです。
最後に、人間国宝のケースをあげられていますが、明白に問題行為の一環として悪用されているタグであれば容赦なく除去し、添付者を荒らし(タグボンバー)として粛々と報告するのみです。これは方針文書の改訂が不要な対処であって、誰にでもできることなのですから。--[[利用者:Open-box|Open-box]]([[利用者‐会話:Open-box|会話]]) 2018年12月6日 (木) 13:07 (UTC)

== 人間国宝の文章追加提案 ==

[[Wikipedia‐ノート:特筆性 (人間国宝)]]において{{User|Amanokongou}}さんが文章の追加を提案しております。--[[利用者:切干大根|切干大根]]([[利用者‐会話:切干大根|会話]]) 2019年2月15日 (金) 12:17 (UTC)

== どの程度で単独記事を立てるべきか? ==

よく論争になりやすいグループ内(色々ありますが)のメンバーや支店などに関しての記事ですが、分かりやすい目安があった方がいいのではないかと思いました。ぜひ意見をお聞かせください。</br>
またリダイレクト化のルールを提案したいと思います。(削除と違い、独断で可能なのが問題と思うので)</br>
*即時削除に該当する場合、重複記事の場合はリダイレクト化にできる。
*それ以外の場合は編集した人の合意をとるのが望ましい。(なくてもリダイレクトをしてもいいが、リダイレクトが解除されるならやめたほうがいい)
*もしリダイレクトの解除合戦になり、かつリダイレクトが必要だと思うなら削除依頼へ(ケースEとし、リダイレクトに反対しないことを明記)。</br>
いかかでしょう?--[[利用者:Yosizuya|Yosizuya]]([[利用者‐会話:Yosizuya|会話]]) 2019年10月23日 (水) 22:34 (UTC)
*{{コメント}} 少なくとも、「リダイレクトの解除合戦」の状態でケースE削除依頼というのは不適切だと考えます。単独記事としての特筆性が認められる場合、そうではない場合(リダイレクト化対応の場合)でも、他の問題(履歴不継承など)が絡まない限り削除対象にはならないため、削除依頼は関係しないためです。仮に出しても[[Wikipedia:削除依頼/特筆性が無いとされているSKE48関連記事]]のようなことになると思いますし、現状即時存続案件だとしても削除依頼をクローズできるのは削除権限者だけで、そのような人の負荷を増やします。論争になるのが問題だとするなら(統合提案に準じた形で)「リダイレクト化提案」(ノート提案、1週間合意形成)みたいなのを行うのも一手かもしれませんが、単独記事としての特筆性に明らかに問題があるといった状態でもその手続きを踏むことにはなりますので、その負担増を受け入れてもこのような論争を回避することが優先と合意形成できるかだと思います。--[[利用者:郊外生活|郊外生活]]([[利用者‐会話:郊外生活|会話]]) 2019年10月24日 (木) 00:53 (UTC)
*{{返信}}リダイレクト化提案はいい考えだと思います。明らかに問題がある場合は別として、主にリダイレクト化と解除のやりあいになった場合を想定しています。(リダイレクト化は削除に比べハードルが低すぎる)正直、私はSKE48の3記事([[江籠裕奈]]、[[小畑優奈]]、[[二村春香]])は特筆性があると思って立てたのですが、ある利用者によってリダイレクト化されちゃいました。正直、ある程度大目に見てやった方が論争を回避出来るとは思いますが。目安もあれば、より的確に判断できると思います。(例えば、地上波番組のレギュラーだったとか、単独で有名な雑誌に載ったとか)--[[利用者:Yosizuya|Yosizuya]]([[利用者‐会話:Yosizuya|会話]]) 2019年10月24日 (木) 10:11 (UTC)
** {{返信|[[利用者:Yosizuya|Yosizuya]]さん}} 返信が遅れ申し訳ありません。「リダイレクト化と解除のやりあいになった場合」というのは既に編集合戦状態ですので、先日話題にしたリダイレクト化提案の是非に関係なく、ノートページでの議論・合意形成ステップを踏むことになることは現行の方針・ガイドラインから解釈可能ですし、そうすべきです。確かにリダイレクト化は削除権限がなくても誰でもできますのでハードルが低いのはそうです。仮にトピックに特筆性があったとしても、加筆者がきちんと特筆性がある根拠を示さないことで特筆性なしとみなされてリダイレクト化される可能性自体もあります。しかし、ノートでの議論を無視してリダイレクト化・リダイレクト起こしを行う利用者は否応なく問題利用者と判断されるでしょう。<br>さて、特筆性の目安としては、草案ですが[[Wikipedia:特筆性 (人物)]]というのがあります。もしご存知なければ目を通してみるのも良いのかもしれません。ただ、この目安は万能ではありません(ウィキペディアでの特筆性判定は信頼できる有意な第三者言及の有無なので、本人の実績の多寡とは必ずしも関係ありません。[[Wikipedia:特筆性 (人物)]]を満たさなくても[[Wikipedia:独立記事作成の目安]]を満たす事例も時々あります)。このため、個々のトピックについて検討していく必要があります。Yosizuyaさんが提示されている「地上波番組のレギュラーだったとか、単独で有名な雑誌に載ったとか」という状態であれば基本的には特筆性がある方だと思います。ただ、個々に事情が異なると思いますので、必要に応じてそれぞれの記事のノートでコメントしていきたいと思います。--[[利用者:郊外生活|郊外生活]]([[利用者‐会話:郊外生活|会話]]) 2019年11月14日 (木) 16:35 (UTC)

2024年6月18日 (火) 09:08時点における最新版

「有意な言及」は誤訳なのか?

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削除依頼にて「『有意な言及』というのは誤訳で、英語版ではもっと基準が緩い」という意見をちらほら目にします。直近でも、利用者:open-boxさんがこのように復帰依頼で発言しています。そのため、ここでは「本当に誤訳なのか?」「誤訳(あるいはそこまでいかなくとも紛らわしい表現)だとしたらどういう文に変えたらいいか」を話し合おうと思います。

なお、提案者である私は英語が上手なわけではないため英語のできる方のご協力を頂けたら感謝この上ないです。

また、この件についての私の見解ですが現在の英語版でも「単なる言及止まりではいけない」となっているため少なくとも誤訳ではないのではと思います。--鼓天会話) 2023年8月20日 (日) 08:48 (UTC)→単なる言及というより「取るに足りないものではダメ」という方が正しいようなので取り敢えず打ち消し。--鼓天会話2023年8月20日 (日) 22:22 (UTC)[返信]

仮に誤訳だとしても、この文書が日本語版ウィキペディアでガイドライン化された2015年から定着しており、英語版を根拠に修正する必要は無いと思います。同じ理由で、英語版の取り扱いがどうあれ日本語版で合意があればこの習慣を廃止あるいは緩和することが可能と思います。なお、英語版では立項の自由度が高い反面、レビュアーが独立記事の基準に満たないと判断したらドラフト(素案)として別空間に移動され、初版立項者に通知された上で、内容が改善されなければ削除されているようです。この方が、いきなり削除依頼に出されるよりは、初版投稿者に受け入れられやすいように思います。--Freetrashbox会話2023年8月20日 (日) 09:24 (UTC)[返信]
(鼓天さんへ)誤訳に基づく特有の問題点、運用の問題点、そもそも元の文章がおかしいことによる問題点があります。
誤訳に基づく特有の問題点は、冒頭にある「有意に言及」という元の文章に存在しない規定の存在です。本来、「Information on Wikipedia must be verifiable; if no reliable, independent sources can be found on a topic, then it should not have a separate article. Wikipedia's concept of notability applies this basic standard to avoid indiscriminate inclusion of topics. Article and list topics must be notable, or "worthy of notice".」であり、要するに検証可能性を満たしたうえで「worthy of notice」=「記載価値が認められるもの」と「notable」=「注目に値するもの」でしかないんですが、これをひっくるめて「有意に言及」とやってしまったのが問題の元(そもそも検証可能性をここに書くなって原文の問題は別として)。しかも「有意な言及」という言葉を後段で別の意味でも使用しているので、文章としてはトラブルの元がさらに増えています。
これは日本語版が英語版から導入した時点版番24341195では「英語版と同様に並列」の内容です。今にして思えば、orがいつのまにか=に化けたところで版番24367296、慎重に扱うべきだったよねと。
英語版から引っ張ってきている「"Significant coverage"」→「有意な言及」は英語版に起因する問題です。実はここは英語版よりは「マシ」な単語です。「Significant」って強すぎる表記ですし、実際には英語版でもこんな運用はできていません。むしろここで大切なのは、「more than a trivial mention」(「取るに足らないようなもの」以上)です。
「単なる言及止まりではいけない」とするのは誤訳です(Googleがやらかします)。「単なる」だと重要な記載であっても書き方次第で「俺認めない」ができるのでまずいんですね。実際、今の文書でも「取るに足らない」となっています。
そして、「散文」限定として悪用される原因は「言及」という単語にあります。「直接的かつ詳細に述べていることを意味します」という前段と「「取るに足らないようなもの以上」という後段の食い合わせが悪い上に、「coverage」に「言及」の意味はありませんが(例えば新聞に大相撲の本場所の星取表が結構大きなサイズで載ります。これは「coverage」ですが「言及」ではないのは容易に想定できると考えます)、「言及」と「述べている」はどうしても「文章」を想起させてしまいます。
「取り扱い」ぐらいに表現を緩和して「散文」限定を排除する応急処置は可能と思われます。
2009年の文章につぎはぎやらかした結果ではあるのですが、2014年の改定時には「元の文章がおかしい」可能性は考えられていなかったのかもしれません。
運用の問題点は、「文書を超越した削除」にあります。よくあるのは「例示」を「限定列挙」に置き換えようとするパターン。「一時的なものではない」を何とかして全く逆の意味で運用しようとするケースも多いですね。一部の下位文書にあるようにガイドラインに矛盾した内容を盛り込んでまで削除を可能にしようとするのはどうかとは思いますが、まだその無理のある根拠が文章としてまとまっている=上位文書で修正できるだけましでしょう。
Freetrashboxさんの主張には一つ欠陥があります。要は「定着しており」が間違っているんです。実際には現に「散文」に限定しない運用が行われている(散文限定であれば、科学でもマイナーな分野、人物ならスポーツ、芸術、政治家などは危ないですね)、特に翻訳は日本語版の特殊な規定がないので当然これには縛られませんが、それにもかかわらず削除依頼の便利な口実として「散文」限定として悪用されているのです。この現状を追認しようとしていること自体が変更になります。
改定するなら取り急ぎ、
  1. 冒頭部の修正(3つまとまっているのをばらす)
  2. 「散文」限定と誤解される内容を修正する
この2点は急務と思われます。
ドラフトは悪用が容易なので(例:いつまでも記事化を認めない、勝手にドラフトに差し戻す、ドラフトとして宣伝的な内容を置く)、その点の歯止め作らないと目的通りには機能しないと思われます。ドラフト空間への移動は管理者・削除者限定、ドラフト空間からの移動は原則自由にするとか? 削除依頼経由のドラフト移動からの即時復帰抑止には移動保護使えますし。--Open-box会話2023年8月20日 (日) 16:37 (UTC)[返信]
とりあえず「悪用」という言い方だけは避けて頂けませんか。上のコメントは不特定多数に対するものですが、特定個人に対して「悪用している」と決めつけるのは好ましくありません。--フューチャー会話2023年8月20日 (日) 22:17 (UTC)[返信]
@Open-box: コメントありがとうございます。ルールと実情が乖離しているなら、それを一致させるのが良いと思います。私の経験では、ルールを実情に合わせた方が、ルールを厳守させようとするよりも議論がまとまりやすいです。ただしOpen-boxさんの話によれば、「有意な言及」を重視する人も多いようなので、そこは折り合いをつけるべきだと思います。できるだけ多くの人が参加した削除議論をいくつか例に挙げて、「有意な言及」はコミュニティが要求する必須条件ではないことを証明するのがよさそうに思います。なお、英語版のレビューは新規ページレビュワーという権限がある人が行います。私が見ている範囲では比較的妥当な判断がされているように思います。新規記事をドラフト送りにするのはレビュワーの役割で、ドラフトからの再提案は原則立項者という流れのようです。ドラフト送りの判断のためのフローチャートも準備されています。--Freetrashbox会話2023年8月22日 (火) 04:15 (UTC)[返信]
  • コメント 「有意な言及 ("Significant coverage")」という言葉は英語版の「一般的な目安」節にあり、これは誤訳ではありません。ただし、Open-boxさんがご指摘のように、英語版の冒頭文にはこの言葉はありませんでした。
9年前、日本語版のこの文書が検証可能性の方針に引きずられすぎていて、「出典が付いていないから削除」など出典の有無だけで記事主題そのものを無価値とみなしたり貶めたりといった考え方を誘発しているのではないかという危惧から、当時の英語版の文書を確認したくて仮翻訳したものが私のサブページにありますのでご参照いただければと。当時からかなり経っているため変わっているかもしれないのと、私自身の英語能力がほぼ中学生並みであり、忠実性を重視して意訳を極力避けたために読みにくさはあるでしょうが、YassieさんやWhymさんにも手を入れていただいているものなので、内容的な齟齬はないだろうと思います。これをたたき台にして日本語版を見直したかったのですが、一部(WP:FAILN)を除いては実現しませんでした。--みっち会話2023年8月21日 (月) 10:53 (UTC)[返信]
  • 皆さんご意見ありがとうございます。冒頭部はかなり長いのでどうしたらいいものか悩んでいます(利用者:鼓天/特筆性ガイドライン改善案とかを作ってそこで草案を練ります)が、ひとまず「有意な言及」の節について、現時点での改善案を以下に書いてみます。

取るに足る扱い 取るに足る扱いとは、対象の話題について直接的に扱われていることを意味します。元となる情報源において、「特集記事」(もっぱらその話題について述べている記述)とまではいかなくても、少なくとも「取るに足らないようなもの」(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上の言及が必要です。ただし、文章によるものに限りません(例えば大相撲などのプロスポーツの戦績表も含まれます)。

とりあえずこのような感じでしょうか。--鼓天会話2023年8月27日 (日) 01:00 (UTC)[返信]
改善案もとりあえず作っておきました。--鼓天会話2023年8月27日 (日) 01:17 (UTC)[返信]
コメント ザッと読んだのですが、私にはOpen-box氏の主張がよくわかりません(逆に他の方々は肯定するにせよ否定するにせよ、理解できている前提なのが不思議に思います)。
率直に、かつ具体的に言えば、「有意な言及」という訳語のせいで、『「散文」限定』と誤解されているという、Open-box氏の根本の主張のところからしてまったく意味がわかりません。まさか韻文を出典にしたいという話ではないでしょうから(笑)、これは比喩表現としての散文、より適切な語句を考えるなら「フォーマルな文章」を意味していると推測いたします(比喩表現だと反対にインフォーマルな文章を指すこともあるけれども)。ただ、そうだとしても、本ガイドラインの「有意な言及」の単語を根拠にして「フォーマルな文章」しか認めないというような運用が横行しているかのごとき、主張には首をかしげます。今回の元になった復帰依頼の議論を見ても、例えば、Ogiyoshisan氏が本ガイドラインの「有意な言及」の文言を根拠にして、「この場合認められる信頼できる情報源はフォーマルな文章の形式に限る」というような主張をされているなら、わかるのですが、そんなことはなく、唐突にOpen-box氏が「WP:GNGを改変した」「散文に限定されてません」と、(何度も言いますが)意味不明な主張を始めたようにしか思えません。
ただ、誤解無きように補足すると「元がフォーマルな文章の形式の情報源でないと信頼できる情報源と認めない」という層はいるでしょう。これは逆に、内容や媒体を見れば信頼できない情報源であることは明白にも関わらず、フォーマルな文章だから信頼できる情報源だと思いこんでいるパターンも見受けられます。もっともこれはウィキペディアに限らない話であって、内容ではなく文章形式で、信頼性・妥当性の有無を判断してしまうという一種の権威主義、例えば、カジュアルな文章よりも、硬い文章の方が説得力が増したように見えるというよくある話です。
以上をまとめると「フォーマルな文章でないと信頼できる情報源とみなせない」と主張する方がいるのは事実だが、そうした人たちが本ガイドラインの「有意な言及」を根拠にしているというのは意味がわかりませんし、また、それゆえに、そこを変えたところで「フォーマルな文章」を絶対視する人もなくならないでしょう。だって関係ないんだから。
もし、そうした懸念材料を修正するとしても、Wikipedia:信頼できる情報源の方が妥当ではないですか。--EULE会話2023年8月27日 (日) 03:06 (UTC)[返信]
コメント 弁解するようなことではないのかもしれませんが、不思議に思われたようなので一応。私もOpen-boxさんの主張がよくわからないので、部分的に理解できるところだけ触れて、自分の知っている範囲で参考になりそうなことを紹介しました。「有意な言及」を変える必要性はないと思っています。変えるならそこじゃなくてもっといろいろあるだろうと。--みっち会話2023年8月27日 (日) 04:13 (UTC)[返信]
私も、同じ感想を持ちました。Open-boxさんの主張される現状のJAWP内部の運用についてのご認識に関しては、正直具体的な例もない事には分からないな、と感じます(具体例があってもそれがどれほどの割合で頻発しているのかまでは分かるのか、と問われればまた別の話かもしれませんが)。--Miraburu会話 / 投稿記録 2023年8月27日 (日) 04:27 (UTC)[返信]
一応私の解釈としましては、「相撲の戦績表みたいなものは(散)文じゃないけど、特筆性を示す証拠にはなりうる。でも今の文書のままだと認められないように読めるから直しておこう」という意味とみて改善案を出しました(「いや、もし特筆性があるならその前に文章記事で取り上げられてるだろうし別に文限定でもいいのでは」とも思ったのですが、おそらくOpen-boxさん的にはこの現状こそ「誤訳を見て文限定と誤解した人が、誤った解釈の『有意な言及』をふりかざして何でもかんでも削除している」ということなのでしょう)。そのため改善案とは言ったものの自分としてはそこまで強く思ってはいないです(とはいえ、EULEさんの言う通り文書を変えるだけで運用が変わるわけでもないなら、逆に今後文うんぬんの話でトラブルが起こるのを防止するために変えてしまうのもありかもしれない)。
また、誤訳に関する主張は「記事冒頭の『有意な言及』は誤訳で、 『掲載するだけの価値があり注目さに値する状態であること』のほうが正しいよね」といったニュアンスだと解釈しました。
あと冒頭部分は単純に長くて少々読みづらいので、改訳するしないに関わらず節を分けたいな、というスタンスです。--鼓天会話2023年8月27日 (日) 11:49 (UTC)[返信]
一応実際に韻文を出典にしようとしている利用者の例はあります(さすがにレアケースですが)。--鼓天会話2023年8月27日 (日) 11:53 (UTC)[返信]
コメント(EULEさんへ)まずこの文章に限っては「有意に言及」と「有意な言及」は異なる語となります。前者は根拠のない記載であり、後者はなんとか意訳しようとした結果、想定外の問題が生じているものです。「有意に言及」についてはまとめる前の段階でも無断でまとめられているので二重に意味が変わっている・後段と被る表現でさらに誤解の元になる問題なので、こちらは単に解消するところから始まります。「有意な言及」を取り上げますと、そもそも「Coverage」が「言及」の時点で問題があるのです。「Coverage」はあくまで「扱われている範囲」を示す語であり、そこに文章でなければならないとする限定はありません。みっちさん、Miraburuさんへの回答を兼ねますが、データ出典が独立記事作成の目安の源泉となるのはスポーツ選手やメディア関係はごく一般的な扱いですし、音楽に至っては「データ出典(チャートXX位)」が肝要だったりします。でもこれらは「言及」だと取りこぼされる、平たい話気分一つで削除依頼できる状態になっています。特に分野別での例示が乏しいメディア関係者(主に俳優)は、しばしば依頼されています。これは「散文限定」を引きずっているが故のミスなのです(スタッフだと外から見えないので難しいのですが、俳優ぐらいは調べれば判るでしょうに)。Wikipedia:信頼できる情報源はカバーする範囲が異なっております。そちらですとWikipedia:信頼できる情報源であってもWikipedia:独立記事作成の目安に合致しないこと、逆にWikipedia:独立記事作成の目安に合致しないが出典にはなることの双方を理解されていないケースがありますね。ただこれは解説を付け加えれば事足りるとも考えます。
(鼓天さんへ)記事冒頭はandではなくorでなければならないんです。andにしますと「一般的な掲載価値はあるけど知名度等足りない」/「知名度等あっても一般的な掲載価値がない」となりますので、今よりも削除範囲は拡大します。
「質量共に最高の」という目的に反するので、「厳選はWikipediaの目的とするところではない」というのは容易に導けるのですが、実はそのものズバリの文書がないのでどこかに書いておく必要はありそうではあります。明白なWikipediaの弱点の一つは、「専門分野/一般社会では取り上げられていても、こんなレベルの事象がWikipediaで扱われているのは嫌だ、消せ」という主張に対抗する根拠が乏しいところにあります。--Open-box会話2023年9月2日 (土) 15:27 (UTC)[返信]
返信 (Open-box氏宛) それで、その差異が具体的に現状のウィキペディア日本語版でどのような看過できない問題を引き起こしているのですか? 元の議論と合わせてよくわからないと言ってるのはそういうことですよ。ウィキペディアは規則主義ではありませんや、官僚主義ではありませんがあるように、言葉の一語一句にこだわるだけの議論ははっきり言って時間の無駄です。「トップリーグの指導者には特筆性がある」という議論が、なぜ今のような話になってるのがまったく理解できないです。まさか、成績表(データ表)でチームの特筆性がある→だから指導者にも特筆性がある(成績表でトップリーグの指導者の特筆性の根拠になる)、と言いたいのですか?--EULE会話2023年9月2日 (土) 23:07 (UTC)[返信]
トップリーグの指導者関係の話よりも前にOpen-box氏が「誤訳」と主張されているのを見たことがあるので、さすがに「チームの特筆性は指導者の特筆性だ」ってことではないかと(ただ、前々から誤訳だと思っていたのならもっと早くOpen-box氏自身が話題提起すればよかったのではという気がします)。--鼓天会話2023年9月4日 (月) 00:06 (UTC)[返信]
(EULEさんへ)正しくその反応が看過できない問題です。あなたの反応は、判らない理解できないではなく、理解したくない削除の障害だでしかありません。官僚主義を言い訳に使っていますが「言葉の一語一句にこだわるだけの議論ははっきり言って時間の無駄です」は、そのまま「言葉の一語一句にこだわって今の自由に削除できる環境を維持したい」という要望でしかありません。誤訳によって表現に問題があり、実際に悪用している利用者がいる以上、直ちに変更しなければなりません。そして悪質な工作を行っていますね。あなたの主張であればこうなってしまいます「地域リーグレベルでも専門誌には成績表載るんだから(なおこのレベルでも記事はありますので、それこそCoverage)、当然各個人にも掲載価値がある」。これをトップリーグの個人の特筆性とすり替えているのですから、ごまかしと指摘することすら甘い。チームの特筆性は個人のそれより圧倒的に緩くなっていますので、前提が破綻していますね。
(鼓天さんへ)あなたも間違っています。本質は基準不整合の問題です。つまり同じ枠内の事象(個別の競技関連人物)を特筆性で削除するために一部分だけ引き上げる(選手は3部、指導者は対応させるなら3部だが明文がないから悪用して代表クラス)のは、論理的ではないという問題です。今の特筆性は、「それは全部ダメだ」という主張が可能なので無限に引き上げることが出来ますが、基準不整合の放置は必ず削除範囲拡大の材料となります。「アレが削除できたんだからコレも削除」が日本語版の運用です。一つでも削除に成功すれば自動的に削除ができる、削除の根拠は嘘でも前例、存続はどれだけあっても削除一つに勝てないという日本語版の欠陥は常に狙われています。馬鹿げた依頼でも一つ突破すればドミノ倒しが発生するのですから。なお誤訳の話は2021年にはWikipedia:井戸端/subj/記事の特筆性についてでけりが付いていたのにまた削除に不都合だという動きになったのが今年。私が提案すると熱狂的に反対する人が出るのは読めていたので出さなかったんですけどね。--Open-box会話2023年9月7日 (木) 01:35 (UTC)[返信]
指導者に対する掲載基準がないならまずスポーツ関連のプロジェクトで議論すればいい話で、それをすっとばしてこの方針の改定の話と絡めるから話が複雑になっていると思うのですが(こういうややこしいことが起きることを考慮するとやっぱり方針は変えたほうがいいかもなぁと思います)。--鼓天会話2023年9月7日 (木) 12:41 (UTC)[返信]
スポーツは指導者に対する基準はあるんです(特筆すべき実績)。ないのは、「特筆すべき」の範囲の明文基準。旧称の特筆性の問題の一つであった「特筆大書」の問題でもありますね。--Open-box会話2023年9月7日 (木) 13:36 (UTC)[返信]
  • そもそもここは日本語版ですから英語版と違うこと自体は問題ではありません。Open-boxさんがすべきことは、誤訳だから問題、悪用している人がいる、などと根拠なく主張することや、EULEさんがやっていない行為をやっていると決めつけることではなく、現在の文章がどんな問題を引き起こしているかを具体的に説明することです。--フューチャー会話2023年9月7日 (木) 18:26 (UTC)[返信]
  • 返信 (Open-box氏へ宛) 私だけが理解不明だと言っているなら、その指摘でもいいでしょう。でも、私以外の誰もあなたの主張を理解できてないのです。一番理解を示している鼓天氏すら「違う」のでしょう。じゃあ、もう誰もあなた以外にはわからない。こういう場合は、2つしかないです。「あなたの主張が間違っている」か「あなたの説明の仕方が間違っているか」です。別にそこで私はあなたが間違っていると決めつけるつもりはありません。だって今は正しいのか間違っているのかすらわからないんだから。
    「悪質な工作を行っていますね」もまったく酷い揚げ足取りで、「こういうことをあなたは言いたいわけじゃないよね」と確認している文言じゃないですか。それを「あなたの主張であればこうなってしまいます」とか、意味不明な反論をしないで欲しい。私はそれはありえないという前提で言ってるんですよ。
    前にWikipedia:投稿ブロック依頼/小出-小坂井で言ったことですが、なまじ賢いと、自分が正しいが何か陰謀が働いているために認められない、あるいは社会や集団に根本的な問題があって自分の正しさが受け入れられないのだ、という発想に陥りやすい。まさにOpen-box氏は今、そういう状況に陥っているように見えます。--EULE会話2023年9月9日 (土) 04:34 (UTC)[返信]
(EULEさんへ)間違いの原因は、EULEさんにしろ鼓天さんにしろ個別の事案(今回はスポーツ)で理解しようとしているからです(フューチャーさんには読んでから書いてとしか回答のしようがない……テンポがずれているように感じるんです。)。それではいい加減な理解を行って特例を設けることにしかなりません。
スポーツだけなら、「特筆すべき」とは「特筆大書を意味しない」「特筆性を都合良く変更しない」という原則の徹底だけで終わりますから、こちらを改訂しなくても対応できるのです。
議論の余地がない(悪意ある誤訳として即時改稿レベルになるほど意味が変わっている)ほどの致命的な誤訳に対しては、本来対話の余地なんてありません。ですから、ここに反対する合理的な理由はあるのですか? となるんです。「言葉の一語一句にこだわるだけの議論ははっきり言って時間の無駄です」とありますが、それこそ散文出典がないと主張して行われる日本語版の誤訳を利用した削除依頼こそがそちらになるのではとも考えられます。つまり、その主張をするなら改訂に反対する理由がありません。実例を過去の依頼から探してみました。
Wikipedia:削除依頼/浅井隼人なんかはいい例なんですが、このケースは探せば絶対に文献出てくるからちょっと違うかなと。
Wikipedia:削除依頼/北川祐はスポーツの特筆性が自動的に当てはまるのでこれもちょっと違うかな?
Wikipedia:削除依頼/伊東潤はごり押しも可能な依頼でしたが依頼がひどすぎてすぐに終わったケースです。実は今でも実績以外に理由がないから一番近いかな?
この手の依頼を減らせるだけでも意味はあります。
おまけ:「まさか、・・・と言いたいのですか?」ってそれを確認に使うなら、最後に「そんなことではないと思いますが」みたいに反語的表現置かないと煽りになりますよ。--Open-box会話2023年9月16日 (土) 11:07 (UTC)[返信]
また「悪意ある誤訳」という決めつけを行っていますね。そもそもなぜ英語版と同じでなければならないのかの説明が足りません。--フューチャー会話2023年9月19日 (火) 22:22 (UTC)[返信]
返信 (Open-boxさん宛) 挙げられた削除依頼案件を拝見しました。
  • Wikipedia:削除依頼/浅井隼人:対象は政治家。依頼者が「独立記事作成の目安」をろくに読んでいないという論外な依頼であり、「有意な言及」についての解釈や散文かどうかといった話はどこにもありません。訳語の問題に結びつく要素はないでしょう。
  • Wikipedia:削除依頼/北川祐:対象はスポーツ選手。「他者の言及」という言葉が依頼内容にありますが、それよりも調査の不十分さを指摘されており、WP:FAILNの理解不足が明らかな点で、上の依頼とほぼ同様。
  • Wikipedia:削除依頼/伊東潤:対象は作家。依頼理由が「まったく出典がない記事」であり、依頼者本人がこの「目安」をまったく読んでいないのではないかと思われます。こちらも訳語や散文かどうかという話ではなく、訳語の問題にはほど遠い案件です。ただし、依頼者がウィキペディアの記事内の出典と外部の「有意な言及」を同一視している点は、先に私が挙げたように、日本語版の本目安が「検証可能性」に引きずられすぎていることの結果と受け止めています。
以上、どの案件も「有意な言及」の訳語に起因する問題とするには飛躍があると考えます。残念ながら訳語に関するOpen-boxさんの問題意識は私を含めて共有されていませんから、これ以上の進展は望めないでしょう。
そもそも削除依頼の依頼者の傾向として、自分で記事を育てる意識が薄く、「特筆性」を削除の手軽な手段として利用しようとする方が多いと考えられます。仮に「有意な言及」を別な言葉に置き換えたとしても、それくらいでは、このような風潮はなにも変わらないのではないかと思います。--みっち会話2023年9月20日 (水) 11:23 (UTC)[返信]
考え方が結果から読み解いてしまってますね。「「独立記事作成の目安」をろくに読んでいない」・(WP:FAILNの理解不足以前に無視してるんじゃないかってのは別として)「WP:FAILNの理解不足」と言ってしまうのは簡単なのですが、なぜそのような発想をしてしまうのかが問題なのです。実はこの3例、通り一遍の調査で(すらやってない気はしますが)「実績の出典は十分に掛かるが、散文出典はなかなか掛からない」という共通点があります。「有意な言及」を置き換えるだけでこのようなケースは出す必要がなくなりますし、こんなにわかりやすくない案件でも簡単に終わるんですよ。
「特筆性」を削除の手軽な手段というのも正しいですが、本命は「「特筆性」で削除できたら同格も自動的に削除・復活はSD使えるので議論すら拒絶できる」という面の方ではないかと考えます。多用される方の中には執筆も十分すぎるほどできる方もおられますので、「自分で記事を育てる意識が薄く」ではなく、「削除自体」あるいは「削除による好みに合わせた統制」が目的化しているケースがあると考えた方が妥当でしょう。--Open-box会話2023年10月2日 (月) 15:21 (UTC)[返信]
せっかくレスポンスいただきましたが、やはり訳語を変える必要を感じません。これ以上は平行線かもしれませんが、この間Wikipedia‐ノート:削除依頼/李球 (蜀漢)でのやりとりをふまえて思うところがありましたので、以下を最後のコメントとします。
当該案件の依頼者は、削除について比較的ニュートラルな立場という印象を受けていたのですが、それでも「特筆性なしを理由とした削除は統合・リダイレクト化の検討を経た上での最後の手段」というWP:FAILNに基づく指摘に対して怒り出すという現象が見られました。Wikipedia:削除依頼#STEP.0 依頼の前にには、「ケースEの「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」を理由にした依頼をする場合には、(中略)削除以外の方法で問題を解決出来ないか検討してください。」と推奨されているにもかかわらず、これをすっ飛ばして削除依頼にかけていいと考える傾向は、Open-boxさんが挙げられた事例にも共通しています。つまりというかやはりというか、WP:FAILNが軽視あるいは無視されている。
この目安の中で、前段の日本語の文章については私も不満がありますが、少なくともWP:FAILNは英語版との齟齬がない部分ですし、この手続きを徹底することが当面の安易な削除依頼を防ぐ手立てになるでしょう。具体的には、Wikipedia:削除依頼#STEP.0 依頼の前にの表現を直接的にし、かつ推奨を義務とする、さらにはWikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事でも特筆性なしを理由とした削除依頼はその前提として統合・リダイレクト化の検討を必須とする、ことが考えられます。これでダメなら、残念ですがFreetrashboxさんが言われるように、むしろ実情に追随する形で目安を改訂する方がいいかもしれません。--みっち会話2023年10月11日 (水) 11:49 (UTC)[返信]
ニュートラルかなぁ……個人的見解に固執しているだけなような。根拠が提示できないのは感覚なのでいいのですが、「Freetrashboxさんが言われるように、むしろ実情に追随する形で目安を改訂」ですと言及外すことになりますよ。なおみっちさんの提案ですが、リダイレクト先複数あって一意に定まらないから削除という意見は散見されますので、先にリダイレクトに空いている大きな穴を潰さないと逆効果になります。--Open-box会話2023年10月12日 (木) 01:56 (UTC)[返信]

2次資料がなぜ最も信頼できるのか疑問です

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なぜ2次資料がなぜ最も信頼できるのかわからないので教えてほしいです

またなぜ2次資料がなぜ最も信頼できるのか記事で記載したほうがいいと思います--タイムアウトの猛者会話2023年9月2日 (土) 20:13 (UTC)[返信]

コメントその説明はWikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料を御覧ください。一応、全般的にWikipedia:信頼できる情報源に誘導され、その中で説明されているものになります。ただ、たしかに2次資料は唐突かもしれませんので、当該節に「Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料」へのリンクはあった方がいいかもしれませんね。他の人の意見も見て特に異論がなければ、リンクを載せたいと思います。--EULE会話2023年9月2日 (土) 23:11 (UTC)[返信]
ありがとうございます--タイムアウトの猛者会話2023年9月3日 (日) 13:19 (UTC)[返信]
コメント 本ガイドラインで二次資料について説明されているのはWP:GNG/S("情報源"節)になりますが、WP:PSTS(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)へのリンクはすでに存在します。方針に書かれていることをガイドライン側で改めて説明する必要はないものと思います。{{See also}}などを表示するべきとの提案でしょうか。--Amayus会話2023年9月10日 (日) 04:00 (UTC)[返信]
記事の内容に関しては、Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか、Wikipedia:存命人物の伝記、Wikipedia:過剰な内容の整理などをご覧ください。のとこのある記事を今回の件やその他の要素の関連で分けるなど例としては
==ニュース報道等==
ウェキペディアはなにでないか
ウィキペディアはニュース速報の場ではありません
情報源
Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せない
とゆうような載せ方はどうでしょうか--タイムアウトの猛者会話2023年9月12日 (火) 11:51 (UTC)[返信]
返信 申し訳ございませんが、おっしゃっている内容が理解できかねております。ガイドライン中のどこかの記載順を変更したいといったご提案でしょうか。冒頭部の記事の内容についての文書への案内の羅列は少し圧倒されるので、{{Navibox 編集案内}}の「記事内容について」の箇所を案内するか、Category:記事の内容についての方針などへのリンクとしてもよいのではないかとは考えますが、そのような話でしょうか。--Amayus会話2023年9月13日 (水) 09:13 (UTC)[返信]
申し訳ございません。言いたいことを整理しました。
わたし的には2次資料がなぜ最も信頼できる理由がわかる道標があったほうがいいんじゃないかなと思います。--タイムアウトの猛者会話2023年9月14日 (木) 12:50 (UTC)[返信]
追記
今回何がしたくて、どうすればいいのかとゆう、中のどうすればいいのかだけを書いてしまったので意味がわからないものになってしまいました。申し訳ございません--タイムアウトの猛者会話2023年9月14日 (木) 12:55 (UTC)[返信]
返信 (タイムアウトの猛者さん宛) 本ガイドラインで示されている記事の出典に二次資料を用いる理由は、「特筆性のもっとも客観的な証拠を提供するのは二次資料だから」という部分です。それ以上の説明についてはやはり方針であるWP:PSTSを参照頂く形になります。"情報源"節の位置を移動されたいようにも感じますが、こちらは"一般的な目安"節の冒頭で定義した文の解説であるため、動かすことは適切ではありません。記事の内容に関する方針やガイドラインへのリンクを複数個所に記載することも、本ガイドラインでは記事の内容自体については扱わないと冒頭部で宣言したうえで別の方針等へのリンクを案内しているので、不要ではないかと考えます。
 難しい言葉で説明してしまっているかもしれませんが、ここでは「信頼できる二次資料」を用いることが求められるのであって、「二次資料ならば信頼できる」わけではありません。この点がひっかかっている部分でしょうか。何をもって信頼できるとするのかは、Wikipedia:信頼できる情報源をご確認ください。内容が間違っていることがより少ないであろう情報源を選ぶことが求められます。--Amayus会話2023年9月15日 (金) 11:01 (UTC)[返信]
つまり二次資料を使う理由は「特筆性のもっとも客観的な証拠を提供するのは二次資料だから」それ以上の説明は別の記事に書かれてるからそっちを見てほしい。"情報源"節はルールで決まってるから動かせない。リンクを他に貼るにしても最初に記事の内容は触れないと最初に行った上でリンクを貼ってるから大丈夫。確かに信用できる二次資料を使ってほしいといったがそれは二次資料が信頼できるとはならない。とゆう解釈で大丈夫でしょうか?
だとしたら信頼できる二次資料と二次資料をはき違えた私の落ち度です。申し訳ございません。--タイムアウトの猛者会話2023年9月15日 (金) 13:48 (UTC)[返信]

無出典の存命人物記事に対する特筆性について

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Wikipedia‐ノート:存命人物の伝記#無出典の存命人物記事に対する特筆性についてに議論を立ち上げました。標記の記事に対し、特筆性がないものと推定することを方針に加える提案ですので、ご意見をいただければと思います。 --Tamago915会話2023年12月9日 (土) 10:11 (UTC)[返信]