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2019年10月29日 (火) 00:28時点における版
王皇后 | |
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東晋の皇后 | |
在位 | 375年10月1日 - 380年10月24日 |
全名 | 王法慧 |
別称 | 孝武定皇后 |
出生 |
升平4年(360年) |
死去 |
太元5年9月10日 (380年10月24日) |
配偶者 | 孝武帝 |
父親 | 王蘊 |
母親 | 劉氏 |
兄弟 | 王華、王恭、王爽 |
王 法慧(おう ほうけい、360年 - 380年10月24日)は、中国東晋の孝武帝の皇后。哀帝の皇后王穆之の姪。本貫は太原郡晋陽県。
生涯
父は王蘊(王穆之の兄弟)。母は正妻の劉氏。
若くして美貌をもって知られ、寧康3年(375年)8月、桓沖らの上奏を採った孝武帝によって皇后に立てられた。しかし法慧は酒に溺れ、暴飲の上に無礼を働き、孝武帝の不興を買った。
太元5年(380年)9月、崩じた。定と諡された。
伝記資料
- 『晋書』列伝 后妃下