「武帝 (南朝斉)」の版間の差分
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2019年10月29日 (火) 00:08時点における版
武帝 蕭賾 | |
---|---|
斉 | |
第2代皇帝 | |
王朝 | 斉 |
在位期間 | 482年4月11日 - 493年8月27日 |
姓・諱 | 蕭賾 |
字 | 宣遠 |
諡号 | 武皇帝 |
廟号 | 世祖 |
生年 | 元嘉17年(440年) |
没年 |
永明11年7月30日 (493年8月27日) |
父 | 高帝 |
母 | 劉皇后 |
后妃 | ない |
陵墓 | 景安陵 |
年号 | 永明 : 483年 - 493年 |
※幼名は龍児 |
武帝(ぶてい)は、南朝斉(南斉)の第2代皇帝。姓は蕭、諱は賾(さく)。高帝蕭道成の長男。
生涯
父の高帝の死により即位する。即位後は国力増強に力を注ぎ、大規模な検地を実施した。あまりに厳しい検地であったため、逆に農民の反発を招くこととなってしまったこともあったが、反乱自体は微弱なものに過ぎず、検地は結果的に大成功したという。
また戸籍を整理したり、貴族の利権を削減して皇帝権力の強化に務めるなどの政治手腕を見せた。このため、武帝は南朝における名君の一人として讃えられている。
なお、武帝の子孫は後に従弟の蕭鸞(明帝)が即位すると皆殺しにされている。
妻子
后妃
- 武穆皇后裴恵昭(即位前に没した。皇后を追贈された)
- 范貴妃
- 羊貴嬪
- 張淑妃
- 荀昭華
- 周淑儀
- 王淑儀
- 江淑儀
- 阮淑媛
- 蔡婕妤
- 顔婕妤
- 楽容華
- 傅充華
- 何充華
- 謝昭儀
- 庾昭容
- 謝宮人
男子
- 文恵太子 蕭長懋(雲喬)- 母は太子妃裴恵昭
- 竟陵文宣王 蕭子良(雲英)- 母は太子妃裴恵昭
- 廬陵王 蕭子卿(雲長)- 母は張淑妃
- 巴東王 蕭子響(雲音)- 母は張淑妃
- 安陸王 蕭子敬(雲端)- 母は周淑儀
- (六男、早逝)
- 晋安王 蕭子懋(雲昌)- 母は阮淑媛
- 隨郡王 蕭子隆(雲興)- 母は王淑儀
- 建安王 蕭子真(雲仙)- 母は周淑儀
- 西陽王 蕭子明(雲光)- 母は蔡婕妤
- 南海王 蕭子罕(雲華)- 母は楽容華
- (十二男、早逝)
- 巴陵王 蕭子倫(雲宗)- 母は傅充華
- 邵陵王 蕭子貞(雲松)- 母は謝昭儀
- (十五男、早逝)
- 臨賀王 蕭子岳(雲嶠)- 母は江淑儀
- 西陽王 蕭子文(雲儒)- 母は庾昭容
- 衡陽王 蕭子峻(雲嵩)- 母は阮淑媛
- 南康王 蕭子琳(雲璋)- 母は荀昭華
- 永陽王 蕭子珉(雲璵)- 母は顔婕妤
- 湘東王 蕭子建(雲立)- 母は謝宮人
- (二十二男、早逝)
- 南郡王 蕭子夏(雲広)- 母は何充華
女子
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