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2019年8月29日 (木) 00:04時点における版

吉田 照哉(よしだ てるや、1947年11月12日 - )は競走馬の生産者。社台ファーム代表及び社台スタリオンステーション代表取締役。日本競走馬協会副会長、日本軽種馬協会理事。

来歴

社台グループ創始者吉田善哉の長男。慶應義塾高等学校慶應義塾大学経済学部卒業。高校大学ともに馬術部に所属[1]竹田恒和は馬術部の同期である。1972年、フォンテンブローファーム場長として渡米。中央競馬においては父の勝負服(黄、黒縦縞、赤袖)の服飾を受け継いでいる。

弟にノーザンファーム代表及び社台スタリオンステーション代表取締役吉田勝己追分ファーム代表及び社台スタリオンステーション専務取締役吉田晴哉がいる。さらに母の吉田和子、妻の吉田千津馬主、息子の吉田哲哉社台レースホース代表[2]という競馬一家である。

主な所有馬

照哉の勝負服柄(欧州)
GI競走優勝馬(所有時、GI級のものも含む)
その他

エピソード

  • 2002年ジャパンカップにおいて、フジテレビの「スーパー競馬」に解説者として出演したが、このときにあまり人気になっていなかったファルブラヴを注目馬と推し、そのファルブラヴが優勝するという、見事な相馬眼を見せている。
  • 2005年優駿において、最強馬について聞かれた時、サラブレッドは進化するものでありかつての名馬を神格化しすぎるのを嫌い秋古馬三冠を達成したばかりのゼンノロブロイを推薦している。
  • もちろん前述の相馬眼は本業の競走馬生産にも生かされており、サラブレッドとしては非常に体が小さかったノーザンテーストを購入した事について「あの時のセリに出ていた馬の中では、骨格・筋肉の付き方など馬体は最高のものを持っていた」と後に述懐している[4]
  • 近年の日本における競走馬生産について「どの種牡馬をどの牝馬と交配させるなんて難しく考える必要はない。いい馬にはいい馬を付けるだけ」という見解を公言している[5]。吉田の弁によれば「ノーザンテーストは見ての通り体が小さいし、サンデーサイレンス飛節が曲がっている。ブライアンズタイムなんて、あの丸太のような脚を実際見たら普通はつける(配合する)気にはならない。しかし産駒はみんな良く走る。理論や常識にそぐわないとしても良い馬はやはり良い馬を出す」との事。なおサンデーサイレンスの飛節の件に関しては、野平祐二も「みんなあの脚であれだけ走るのだけは解からない」と語るほど多くの産駒に受け継がれていた有名な特徴である。
  • 趣味は学生時代からやっていたギター演奏で、時にパーティなどでその腕を披露することもある。
  • 社台ファーム入社後からアメリカやイギリスの生産現場での研修などで海外生活が長かった事から英語が堪能であり、2008年デイリー杯クイーンカップのテレビ向け優勝騎手インタビューではクリストフ・ルメールへの通訳を自ら買って出たこともあった。

著書

  • 「強い馬づくり最前線―吉田照哉競馬対談集 社台ファームの馬は何故強いか」(ミデアム出版社
  • 「馬づくり馬そだての戦略」(ミデアム出版社)

脚注

  1. ^ 二十歳のころ 吉田照哉氏(1)】
  2. ^ 社台G3代目のお値打ち良血馬戦略グノシー、2015年11月24日閲覧
  3. ^ 地方馬初の砂女王! 大井のララベルが叩き合いを制す!/JBCレディスクラシックnetkeiba.com、2017年11月3日閲覧
  4. ^ 後藤正俊 「吉田照哉氏独占インタビュー『種馬というのは失敗するのが当たり前なんですよ』」 『別冊宝島340 競馬種牡馬読本2』、宝島社、1997年、27頁。
  5. ^ 後藤正俊、1997年、29頁。