「ワールドトレードセンター (ニューヨーク)」の版間の差分
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{{基礎情報 超高層ビル |
{{基礎情報 超高層ビル |
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|ビルディング名称 = ワールドトレードセンター<br/>ツインタワー<ref |
|ビルディング名称 = ワールドトレードセンター<br/>ツインタワー<ref group="注">正式名称は「One World Trade Center (1 WTC)」と「Two World Trade Center (2 WTC)」。なお非公式な通称として、1 WTCは北タワー (North Tower)、2 WTCは南タワー (South Tower) と呼ばれることもあった。</ref><br />[[英語|英]]: {{lang|en|World Trade Center}} |
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|画像 = File:World_Trade_Center,_New_York_City_-_aerial_view_(March_2001).jpg |
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|画像 = [[ファイル:Y24-Wtc-september-5.jpg|200px|「ワールドトレードセンター]] |
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|着工 = {{unbulleted list |
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|建設期間 = [[1966年]] - [[1973年]] |
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|[[1966年]]8月5日(基礎工事の開始) |
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|状態 = 崩落 |
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|[[1968年]]8月(1 WTC) |
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|崩落 = [[2001年]][[9月11日]]([[アメリカ同時多発テロ事件|テロ事件による]]) |
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|[[1969年]]1月(2 WTC) |
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|使用目的 = オフィス<ref>ただし1WTCの106-107階にはレストランとバーおよび集会所、2WTC107階および屋上には展望台がはいっていた。</ref> |
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|竣工 = {{unbulleted list |
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|[[1972年]](1 WTC) |
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|[[1973年]](2 WTC) |
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|開業 = 1973年4月4日 |
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|建設期間 = 1966年 - [[1973年]] |
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|状態 = 崩壊 |
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|崩落 = [[2001年]][[9月11日]]([[アメリカ同時多発テロ事件|テロ事件]]での旅客機突入による崩壊) |
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|使用目的 = オフィス<ref group="注">ただし、1 WTCの106-107階はレストランとバー、2 WTCの107階と屋上は展望デッキとして使用されていた。</ref> |
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|設計 = [[ミノル・ヤマサキ]] |
|設計 = [[ミノル・ヤマサキ]] |
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|所在地 = {{USA}} [[ニューヨーク州]][[ニューヨーク|ニューヨーク市]] |
|所在地 = {{USA}} [[ニューヨーク州]][[ニューヨーク|ニューヨーク市]] |
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|座標 = {{coord|40|42|42|N|74|0|49|W|region:US|display=inline,title}} |
|座標 = {{coord|40|42|42|N|74|0|49|W|region:US|display=inline,title}} |
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|位置図種類 = United States#United States Lower Manhattan |
|位置図種類 = United States#United States Lower Manhattan |
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|アンテナ_尖塔 = 527m(1 WTC屋上のアンテナ){{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|page=xxxvi}} |
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|屋上 = |
|屋上 = 1 WTC - 417m<br/>2 WTC - 415m{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|page=xxxvi}} |
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|最上階 = 411m(110階) |
|最上階 = 411m(110階) |
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|階数 = 110階 |
|階数 = 110階 |
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|床面積 = 約800, |
|床面積ref = 約800,000 [[平方メートル|m<sup>2</sup>]]<br/>(両タワーのオフィススペースの合計) |
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|エレベーター数 = 198基<br/>(両タワーの合計数。貨物用エレベーターを含む)<ref name=MacKay>{{cite book |author=Donald A MacKay |year=2010 |title=The Building of Manhattan |publisher=Courier Corporation |page=61 |isbn=9780486473178}}</ref> |
|エレベーター数 = 198基<br/>(両タワーの合計数。貨物用エレベーターを含む)<ref name=MacKay>{{cite book |author=Donald A MacKay |year=2010 |title=The Building of Manhattan |publisher=Courier Corporation |page=61 |isbn=9780486473178}}</ref>{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|pages=8–9}} |
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|世界一 = 1970年 |
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'''ワールドトレードセンター'''({{lang-en|World Trade Center}}, '''WTC''')は、かつて[[アメリカ合衆国]]の[[ニューヨーク]]市[[マンハッタン区]]の[[ローワー・マンハッタン]](マンハッタンの南端)に位置していた商業施設である。[[ロックフェラー家|ロックフェラー一族]]が掲げる理想「World Peace through Trade」(貿易を通じての世界平和)から命名された。日本語での訳語は「'''世界貿易センター'''」、日本以外の漢字圏での訳語は「世界貿易中心」。建設および経営には[[ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社]]があたっていた。[[2001年]]の[[9月11日]]に発生した、[[アメリカ同時多発テロ事件]]の標的となったことで知られている。 |
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|世界一明け渡し = 1973年 |
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|先代世界一 = [[エンパイア・ステート・ビルディング]] |
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|次代世界一 = [[シアーズ・タワー]] |
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|地域一 = 1970年 |
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|地域一明け渡し = 1973年 |
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|地域一地域 = アメリカ合衆国 |
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|先代地域一 = エンパイア・ステート・ビルディング |
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|次代地域一 = シアーズ・タワー |
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'''ワールドトレードセンター'''、'''世界貿易センター'''({{lang-en|World Trade Center}}, '''WTC''')は、かつて[[アメリカ合衆国]]の[[ニューヨーク]]市[[マンハッタン区]]の[[ローワー・マンハッタン]]に位置していた[[高層ビル]]の集合体である。 |
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[[ツインタワー]]と呼ばれる2棟の110階建て[[オフィスビル]]を中核に、計7棟のビルで構成されていた。1973年4月4日にオープンし、2001年9月11日に破壊されるまで存在していた。ツインタワー(1 WTCおよび2 WTC)は完成時に[[世界一]]の高さを誇り、2棟の巨大な直方体が並び立つ姿はニューヨーク市や[[マンハッタン]]のシンボルとなっていた。建設および経営には[[ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社]]があたっていた。 |
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== 概要 == |
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かつてワールドトレードセンターは、「'''ワールドトレードセンター・コンプレックス'''」という5万人の勤務者と1日20万人の来館者のニューヨーク最大の[[オフィス]]/商業センターであった。 |
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[[2001年]][[9月11日]]に発生した[[アメリカ同時多発テロ事件]](9.11テロ事件)の標的の一つとなり、最終的にツインタワーが崩壊し、それに巻き込まれる形で残る5つのビルも半壊または全壊したことで壊滅状態に陥った。現在は跡地に[[ワン・ワールド・トレード・センター|1 ワールドトレードセンター]]をはじめとした6つの超高層ビルと9.11テロ事件の追悼施設などからなる新WTCが開業している。 |
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コンプレックスは1WTCから7WTCまでの7つのビルによって構成されたが、特にその中心であった[[ツインタワー]](1WTCおよび2WTC)は完成時に[[世界一]]の高さを誇り、2棟の巨大な直方体が並び立つ姿はニューヨーク市や[[マンハッタン]]のシンボルとなっていた。日本で単に'''ワールドトレードセンタービル'''といえばこのツインタワーのことを指した。 |
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== 起源 == |
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[[2001年]][[9月11日]]の[[アメリカ同時多発テロ事件|9/11テロ(アメリカ同時多発テロ事件)]]によって崩壊して以降は、「[[グラウンド・ゼロ]]」又は「ワールドトレードセンター・サイト(跡地)」という呼び名が定着している。 |
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[[ファイル:WTC-looking_north-orthogonal.jpg|thumb|280px|南側から見たWTCのツインタワー(2001年7月撮影)]] |
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ワールドトレードセンターの敷地には、1921年から1966年まで「{{仮リンク|ラジオ・ロウ|en|Radio Row}}」と呼ばれる電気部品街が存在していた。1921年にハリー・シュネック (Harry Schneck) が[[コートランド・ストリート]]に「シティ・ラジオ」という店をオープンしたのを皮切りに、最終的にこの地には数[[街区|ブロック]]にわたって広がる電気部品店の街が形成された。とあるビジネス記者によると、ラジオ・ロウは[[電子部品]]流通事業の起源であった<ref>{{cite book |title=Ruthless Execution: What Business Leaders Do When Their Companies Hit the Wall |first=Amir |last=Hartman |publisher=Financial Times Prentice Hall | publication-place=Upper Saddle River, NJ | year=2004 | isbn=978-0-13-101884-6 |page=167}}</ref>。 |
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[[1939年]]、[[ニューヨーク万国博覧会 (1939年)|ニューヨーク万国博覧会]]の中で、「World Peace through Trade(貿易を通じての世界平和)」をテーマに「ワールドトレードセンター」と名付けられた[[パビリオン]]が設置された<ref name="PAoNYaNJ"/><ref name=TobinNYT>{{cite web|url=https://www.nytimes.com/2003/11/16/books/higher-and-higher.html |publisher=The New York Times |title=Higher and Higher|date=2003-11-16 |accessdate=2019-08-29 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150527233345/https://www.nytimes.com/2003/11/16/books/higher-and-higher.html |archivedate=2015-05-27 |deadurl=no |df= }}</ref>。第二次世界大戦終結後の[[1946年]]、[[ローワー・マンハッタン]]に世界的な貿易センターを建設する提案が[[ニューヨーク州議会]]によって承認され、当時のニューヨーク州知事[[トマス・E・デューイ]]が建設計画の立案に乗り出したが<ref>{{cite news |url=https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1946/07/07/93133680.pdf |title=Dewey Picks Board for Trade Center |work=The New York Times |date=1946-07-06}}</ref>、1949年になるとこのプロジェクトは頓挫した<ref>{{cite news |url=https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1949/03/11/84200275.pdf |title=Lets Port Group Disband, State Senate for Dissolution of World Trade Corporation |work=The New York Times |date=1949-03-11}}</ref>。 |
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現在は、[[1 ワールドトレードセンター]]を中心とした新ワールドトレードセンターがある。 |
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1959年、[[ミッドタウン]]の繁栄の影で経済的に停滞していた[[ロウアー・マンハッタン]]地区の再興を望んでいた[[デイヴィッド・ロックフェラー]]は、「ダウンタウン・ロウアー・マンハッタン協会 (Downtown Lower Manhattan Association)」を設立し、いったんは頓挫した世界的な貿易センターの建設プロジェクトを復活させた<ref name="PAoNYaNJ"/><ref name=Osawa>{{cite book|和書|author=大澤 昭彦|title=高層建築物の世界史 |year=2015|publisher=講談社|series=講談社現代新書|isbn=978-4062883016|pages=256–265}}</ref>。この計画を実現するため、ロックフェラーは[[ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社|ニューヨーク港湾公社]]{{#tag:ref|1930年に設立されたニューヨーク・ニュージャージー両州にまたがる港湾地域の開発を目的とした公団、1972年に[[ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社]]と改称|group="注"}}に協力を要請した<ref name="PAoNYaNJ"/><ref name=Osawa/>。 |
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== 敷地 == |
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[[ファイル:WTC-looking_north-orthogonal.jpg|thumb|280px|南側から見たWTCのツインタワー]] |
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WTCの敷地には、1921年から1966年まで「{{ill2|ラジオ・ロウ|en|Radio Row}}」(ラジオ町)と呼ばれる電気部品街が存在していた。1921年にハリー・シュネック(Harry Schneck)が[[コートランド・ストリート]]に「シティ・ラジオ」という店をオープンしたのを皮切りに、最終的にこの地には数[[街区|ブロック]]にわたって広がる電気部品店の街が形成された。それらの店では、中古ラジオ、戦用余剰機器(ARC-5無線機など)、[[ジャンク品]]、その他の電気部品が通りにあふれ出すほど高く積まれていた。とあるビジネス記者によると、ラジオ・ロウは[[電子部品]]流通事業の起源でもあった<ref>{{cite book |title=Ruthless Execution: What Business Leaders Do When Their Companies Hit the Wall |first=Amir |last=Hartman |publisher=Financial Times Prentice Hall | publication-place=Upper Saddle River, NJ | year=2004 | isbn=978-0-13-101884-6 |page=167}}</ref>。 |
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ニューヨーク港湾公社の[[最高経営責任者|エグゼクティブ・ディレクター]]である{{仮リンク|オースティン・トービン|en|Austin J. Tobin}}はロックフェラーの計画を支持し、貿易センターの建設プロジェクトを強力に推進した<ref name=TobinNYT/>。トービンは、このプロジェクトで建設されるものは単なる「世界的な貿易センター (world trade center)」ではなく、「ザ・ワールドトレードセンター (the World Trade Center)」という唯一無二の存在であるべきだと述べた<ref>{{cite news |url=https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1960/05/05/119101623.pdf |title=Tobin Says Proposed Center Should Be World's Best |work=The New York Times |date=1960-05-05}}</ref>。1962年1月までに、トービンは[[ニューヨーク州]]・[[ニュージャージー州]]の両州政府から計画への支持を取りつけることに成功し、一帯を再開発して巨大なオフィスビルを複数作り、貿易関係の企業や公的機関を集積させるという「ワールドトレードセンター・コンプレックス」の建設が正式に認可された{{#tag:ref|ニュージャージー州政府からの支持を得ることと引き換えに、港湾公社はニュージャージー州が運営していた経営不振のハドソン&マンハッタン鉄道を買収し、港湾公社運営による新鉄道([[パストレイン]])とすることに合意した。|group="注"}}。 |
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[[ニューヨーク市]]に世界的な貿易センター(ワールドトレードセンター)を設置するというアイデアが最初に提案されたのは[[1943年]]のことだった。[[ニューヨーク州議会]]は、当時の州知事[[トマス・E・デューイ]]にプロジェクトの立案を認める法案を可決したが<ref>{{cite news |url=https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1946/07/07/93133680.pdf |title=Dewey Picks Board for Trade Center |work=The New York Times |date=July 6, 1946}}</ref>、1949年になるとWTCプロジェクトは凍結された<ref>{{cite news |url=https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1949/03/11/84200275.pdf |title=Lets Port Group Disband, State Senate for Dissolution of World Trade Corporation |work=The New York Times |date=March 11, 1949}}</ref>。 |
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1961年に公開された当初の案では、ワールドトレードセンターは[[イースト川]]沿いの敷地に建設されることとなっていたが{{sfn|Gillespie|1999|pages=34–35}}、最終的に[[パストレイン#歴史|ハドソン&マンハッタン鉄道]]のターミナルがあり、ニュージャージー州との交通が便利なハドソン川沿いのラジオ・ロウ地区が建設用地として選ばれた{{sfn|Glanz|Lipton|2003|p=56}}<ref name="nyt-1961dec29">{{cite news |url=https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1961/12/29/119434880.pdf |title=Port Unit Backs Linking of H&M and Other Lines |last=Grutzner |first=Charles |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |date=1961-12-29}}</ref>。ラジオ・ロウに存在する事業者への移転費用の[[補償]]として、港湾公社は各事業の存続期間や売り上げの程度にかかわらず、すべての事業者に一律に3,000ドルを支払った<ref>{{Cite book2 |last1=Glanz |first=James |first2=Eric |last2=Lipton |name-list-style=amp |title=City in the Sky |publisher=Times Books |year=2003 |isbn=978-0-8050-7691-2|page=68}}</ref>。1965年3月、敷地がWTCの建設用地として買収され<ref name=nyt19650329>{{Cite news |title=Port Agency Buys Downtown Tract |author=Ingraham, Joseph C. |date=1965-03-29 |work=The New York Times}}</ref>、翌1966年3月からラジオ・ロウの解体工事が開始された{{sfn|Gillespie|1999|page=61}}。1966年8月、起工式が執り行われ、WTCの建設工事が始まった<ref name=FEMA>{{Cite book|publisher=[[アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁]] |date=2002-09-01|title=World Trade Center Building Performance Study |chapter=Chapter 1 |url=https://www.fema.gov/media-library/assets/documents/3544}}</ref>。 |
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[[1940年代]]後半から[[1950年代]]にかけ、ニューヨーク市における経済成長はマンハッタンのミッドタウン地区に集中していた。停滞する[[ロウアー・マンハッタン]]の都市再生を促進することを目論んでいた[[デイヴィッド・ロックフェラー]]は、[[ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社|ニューヨーク港湾公社]]<ref>1930年に設立されたニューヨーク・ニュージャージー両州にまたがる港湾地域の開発を目的とした公団、1972年に[[ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社]]と改称</ref>に対し、ロウアー・マンハッタン地区に再度WTCを建設するよう働きかけた。 |
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== ツインタワーの設計と建設 == |
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[[第二次大戦]]中から港湾公社のエグゼクティブ・ディレクターを続ける{{仮リンク|オースティン・トービン|en|Austin J. Tobin}}は、WTC計画を強力に推進することを決定した。1961年に公開された当初の案では、WTCは[[イースト川]]沿いの敷地に建設されることとなっていたが<ref>{{Cite book | last=Gillespie | first=Angus K. | title=Twin Towers: The Life of New York City's World Trade Center | publisher=Rutgers University Press | year=1999 | isbn=978-0-8135-2742-0 | url=https://books.google.com/books?id=6iJUAAAAMAAJ | pages=34-35 }}</ref>、最終的にハドソン川横断鉄道があり、ニュージャージー州との交通も便利なハドソン川沿いのラジオ・ロウ地区が建設用地として選ばれた。老朽化した一帯を再開発で全て更地にし、巨大なオフィスビルを複数作って貿易関係の企業を集積させ、税関施設や港湾公社などの貿易ビジネスをサポートする機関も全て入居させるという「ワールドトレードセンター・コンプレックス」の建設が、こうして決定したのである。 |
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{{main|ワールドトレードセンターの建設}} |
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=== デザイン === |
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[[ファイル:World Trade Center Building Design with Floor and Elevator Arrangement m ja bg.png|thumb|300px|ツインタワーの典型的なオフィスフロアの平面図と、エレベーター運行概念図。チューブ構造が採用されており、外壁と中央のコア(水色の領域)の間のフロア(黄色の領域)には柱などの障害物が存在しないことがわかる。コアには99基のエレベーターと3本の非常階段が集中的に配置されていた{{sfn|FEMA-Ch2|2002|page=1}}。]] |
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1962年9月20日、港湾公社はワールドトレードセンターの主任建築士として[[日系アメリカ人]]の[[ミノル・ヤマサキ]]を選出したことを発表した<ref>{{Cite news |title=Architect Named for Trade Center |author=Esterow, Milton |date=1962-09-21 |work=The New York Times}}</ref>。WTCの中心施設を[[ツインタワー]]とするのはヤマサキのアイディアであり、彼のオリジナル案では2つのタワーはそれぞれ80階建のビルとなっていた<ref name="nyt-1964jan19a"/>{{#tag:ref|200階建てのビル1棟にしたり、複数の高層ビルで敷地を埋めず、2棟の超高層ビルとしたのは、ビルをヒューマンスケールを超える高さにしたり、大容積のビルが密集した公営住宅のようにはしたくなかったためだと言われる。|group="注"}}。しかし、80階建のタワーでは港湾公社が設定した10,000,000平方フィート(930,000m²)以上のオフィススペース確保という条件をクリアできなかったため、最終的にツインタワーはそれぞれ110階建のビルとして建設されることになった<ref name="huxtable">{{Cite news |title=Biggest Buildings Herald New Era |author=Huxtable, Ada Louise |date=1964-01-26 |work=The New York Times}}</ref>。 |
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1964年1月18日、ヤマサキによる建設計画案が一般公開され、ツインタワーが一辺208フィート(63.4m)の正方形底面をもつ直方体となることが明らかになった<ref name="nyt-1964jan19a">{{Cite news |url=https://www.nytimes.com/1964/01/19/archives/news-analysis-a-new-era-heralded-architectural-virtue-of-trade.html?searchResultPosition=1 |title=A New Era Heralded |last=Huxtable |first=Ada Louise |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |date=1964-01-19 |author-link=Ada Louise Huxtable}}</ref>{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|page=7}}。オフィスフロアの外窓はひとつにつき幅18インチ(46cm)と細長いものになっていたが、これはヤマサキ自身の[[高所恐怖症]]の反映であり、フロアにいる人間が高度による恐怖を感じることがないよう配慮した結果だった<ref name="pekala">{{Cite news |title=Profile of a lost landmark; World Trade Center |publisher=[[Journal of Property Management]] |date=2001-11-01 |last=Pekala |first=Nancy}}</ref>。ヤマサキによる設計はさらに、ツインタワーの外壁をアルミニウム合金で被覆することを求めていた<ref name="nyt-1966may29">{{Cite news |title=Who's Afraid of the Big Bad Buildings |last=Huxtable |first=Ada Louise |date=1966-05-29 |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331|url=https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1966/05/29/140000432.pdf }}</ref>。WTCのデザインはヤマサキによるゴシック・モダニズム建築の独創的な表現であったほか、[[ル・コルビュジエ]]の建築哲学が顕著に反映されていた{{sfn|Darton|1999|pp=32–34}}。さらにヤマサキは、ツインタワーのデザインに[[イスラーム建築]]の特徴を取り入れていた<ref name="Grudin2010">{{cite book |first=Robert |last=Grudin |title=Design And Truth |url=https://books.google.com/books?id=KHFoCxkdiUIC&pg=PA39 |date=2010-04-20 |publisher=[[Yale University Press]] |isbn=978-0-300-16203-5 |pages=39|accessdate=2019-04-18|archive-url=https://web.archive.org/web/20160527162624/https://books.google.com/books?id=KHFoCxkdiUIC&pg=PA39|archive-date=2016-05-27|url-status=live}}</ref><ref name="Kerr 2001">{{cite web |last=Kerr |first=Laurie |title=Bin Laden's special complaint with the World Trade Center. |website=[[Slate (magazine)|Slate Magazine]] |date=2001-12-28 |url=http://www.slate.com/articles/arts/culturebox/2001/12/the_mosque_to_commerce.html |accessdate=October 12, 2015 | archive-url=https://web.archive.org/web/20150919030203/http://www.slate.com/articles/arts/culturebox/2001/12/the_mosque_to_commerce.html | archive-date=2015-09-19 | url-status=live}}</ref>。 |
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ラジオ・ロウでビジネスを行う事業者への移転費用の[[補償]]として、港湾公社は各事業の存続期間や売り上げの程度にかかわらず、全ての事業者に一律に3000ドルを支払った<ref>{{Cite book |last1=Glanz |first=James |first2=Eric |last2=Lipton |lastauthoramp=yes |title=City in the Sky |publisher=Times Books |year=2003 |isbn=978-0-8050-7691-2|page=68}}</ref>。1965年3月、敷地がWTCの建設用地として買収され<ref name=nyt19650329>{{Cite news |title=Port Agency Buys Downtown Tract |author=Ingraham, Joseph C. |date=March 29, 1965 |work=The New York Times}}</ref>、翌1966年3月からラジオ・ロウの解体工事が開始された<ref name=nyt196603>{{Cite book | last=Gillespie | first=Angus K. | title=Twin Towers: The Life of New York City's World Trade Center | publisher=Rutgers University Press | year=1999 | isbn=978-0-8135-2742-0 | url=https://books.google.com/books?id=6iJUAAAAMAAJ | page=61 }}</ref>。1966年8月、起工式が執り行われ、WTCの建設工事が始まった<ref name=FEMA>{{Cite book|publisher=[[アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁]] |date=2002年9月1日|title=World Trade Center Building Performance Study |chapter=Chapter 1 |url=https://www.fema.gov/media-library/assets/documents/3544}}</ref>。 |
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各タワーの44階と78階にはエレベーターの乗り換え階「{{仮リンク|スカイロビー|en|sky lobby}}」が設けられ、急行エレベーターをスカイロビーに直行させ、ここからさらに各階行のローカルエレベーターに乗り換えさせるという方式になっていた。このシステムにより、効率的なエレベーターの運行が実現されるのと同時に、エレベーターシャフト数の削減により、フロアの使用可能面積が62%から75%に引き上げられた{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|pages=8–9}}。WTCのツインタワーは[[シカゴ]]の[[ジョン・ハンコック・センター]]に続き、スカイロビーを採用した2例目の[[超高層建築物|超高層ビル]]だった<ref>{{cite web|url=http://www.otis.com/otis150/section/1,2344,ARC3066_CLI1_RES1_SEC5,00.html |publisher=[[Otis Elevator Company]] |title=Otis History: The World Trade Center |accessdate=2006-12-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20061115072321/http://www.otis.com/otis150/section/1%2C2344%2CARC3066_CLI1_RES1_SEC5%2C00.html |archivedate=2006-11-15 |deadurl=yes |df= }}</ref>{{#tag:ref|スカイロビーのシステムは、各駅停車駅と急行停車駅が存在する[[ニューヨーク市地下鉄]]の運転系統に触発されたものだった{{sfn|Gillespie|1999|page=76}}。|group="注"}}。ツインタワーにはそれぞれ99基のエレベーターが設けられ、両タワーの合計では198基のエレベーターが存在した{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|pages=8–9}}<ref name=MacKay/>{{#tag:ref|1 WTCの106-107階のレストランに直行する専用エレベーター、2 WTC最上階の展望台に直行する専用エレベーター、および7基の貨物用エレベーターを含む{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|pages=8–9}}。41-42階、75-76階、108-109階は2棟とも機械設備の専用階になっており、一般人が立ち入ることは不可能であった。|group="注"}}。 |
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さらに、[[ハドソン川]]横断鉄道を港湾公社運営による新鉄道([[パストレイン]])にし、その駅も新築して敷地内を走る[[ニューヨーク市地下鉄]]との乗換駅とし、[[交通]]ターミナルを構築することにした。 |
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== 設計 |
=== 構造設計 === |
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[[ファイル:WTC-Perspektive.jpg|thumb|200px|ツインタワーの外壁支柱。ヤマサキのデザインに従い、[[アルミニウム]]板で鋼鉄の支柱が被覆されている{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|pages=8–9}}。この部分にはイスラム建築およびゴシック建築から尖頭アーチの要素が取り入れられている<ref name="Kerr 2001"/>。]] |
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{{main|ワールドトレードセンターの建設}} |
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ヤマサキによるデザインを実現しつつ十分な強度を得るため、[[構造エンジニア]]班は[[ファズラー・ラーマン・カーン]]が開発した{{仮リンク|チューブ構造|en|Tube (structure)}}を採用した{{sfn|NIST NCSTAR 1|2005|pages=5–6}}<ref>{{cite web|author=Alfred Swenson & Pao-Chi Chang|title=Building construction: High-rise construction since 1945|publisher=[[ブリタニカ百科事典]]|year=2008|url=https://www.britannica.com/technology/building-construction/High-rise-construction-since-1945|accessdate=2019-01-19|quote= The framed tube, which Khan developed for concrete structures, was applied to other tall steel buildings. }}</ref>。ツインタワーのチューブ構造は「フレームド・チューブ (framed-tube)」と呼ばれる設計であり、チューブ状に並べた外壁支柱とビル中心のコア支柱との間に床の梁を渡すことにより、柱や耐力壁のない広大なスペースを得ることができた{{sfn|NIST NCSTAR 1|2005|pages=5–6}}。ツインタワーの外壁は、各面59本、合計236本の鉄骨支柱をチューブ状に密に配置したもので、外壁の一辺の長さは約63mだった{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|pages=8–9}}{{sfn|NIST NCSTAR 1|2005|pages=5–6}}。外壁支柱は事実上すべての水平荷重(風荷重など)を負担し、さらに鉛直荷重をコア支柱と分担するよう設計されていた{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|page=9}}{{sfn|NIST NCSTAR 1|2005|pages=5–6}}。地上階には出入り口を設ける必要があり、支柱と支柱の間隔を広く取る必要があったため、外壁支柱は7階付近から1本のものがフォークのように3本に分かれ、そのまま最上階まで達する設計となっていた{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|page=10}}{{sfn|NIST NCSTAR 1|2005|page=6}}。各タワーの中心部(コア)には47本のコア支柱があり、すべてのエレベーター(各99基)および非常階段(各3本)もコアに集中的に設置されていた{{sfn|FEMA-Ch2|2002|page=1}}。 |
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=== 設計 === |
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[[ファイル:WTCnihongo.jpg|thumb|280px|ツインタワーの典型的なオフィスフロアの平面図と、エレベーター運行概念図]] |
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[[ファイル:WTC-Perspektive.jpg|thumb|200px|ツインタワーの外壁支柱。[[アルミニウム]]板で鋼鉄製の支柱が被覆されている<ref name=99elevators/>。]] |
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1962年9月20日、[[日系アメリカ人]]建築家の[[ミノル・ヤマサキ]]がWTCの主任建築士として選出されたことが、港湾公社から発表された<ref>{{Cite news |title=Architect Named for Trade Center |author=Esterow, Milton |date=September 21, 1962 |work=The New York Times}}</ref>。WTCをツインタワーとするのはヤマサキのアイディアであり、彼のオリジナル案では2つのタワーはそれぞれ80階建となっていた<ref name="nyt-1964jan19a">{{Cite news |title=A New Era Heralded |author=Huxtable, Ada Louise |work=The New York Times |date=January 19, 1964}}</ref>。しかし港湾公社は10,000,000平方フィート (930,000 m²) のオフィス用スペースの確保を要求したため、ツインタワーはそれぞれ110階建として建設されることになった<ref name="huxtable">{{Cite news |title=Biggest Buildings Herald New Era |author=Huxtable, Ada Louise |date=January 26, 1964 |work=The New York Times}}</ref>。[[1964年]]に二棟の直方体 (63.4m × 63.4m × 415m) の[[超高層ビル]]を建てるという建設計画案が発表された。 |
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耐火被覆材を吹きつけた外壁支柱・コア支柱でつくられるチューブ構造は、[[エンパイア・ステート・ビルディング|エンパイアステートビル]]のような(耐火被覆に石材を使用する)建築物よりも軽量かつ柔軟であるため、風に対しても横揺れしやすい性質をもっていた{{sfn|Glanz|Lipton|2003|p=138}}。[[ニューヨーク港]]に面したローワー・マンハッタンは風が強く、横揺れは深刻な問題として懸念された。ツインタワーの設計には[[風洞実験]]が用いられており{{sfn|NIST NCSTAR 1-1A|2005|page=65}}、タワー内部の人間が耐えられる横揺れのレベルも実験により評価された{{sfn|Glanz|Lipton|2003|pp=139–144}}。多くの被験者はネガティブな反応を示し、[[めまい]]などの体の不調を訴えた{{sfn|Glanz|Lipton|2003|pp=139–144}}。横揺れを低減するため、主任技術者{{仮リンク|レスリー・ロバートソン|en|Leslie Robertson}}は、[[アラン・ダヴェンポート]]とともに粘弾性[[ダンパー]] (viscoelastic damper) を開発した。約1万個の粘弾性ダンパーが、各タワーの外壁支柱と床の間に設置され、(いくつかの他の改良点とともに)横揺れを許容できるレベルに抑えることに成功した{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|page=10}}<ref>{{cite book |title=City in the Sky |author1=Glanz, James |author2=Eric Lipton |pages=160–167 |publisher=Times Books |year=2003 |isbn=0-8050-7428-7}}</ref>{{#tag:ref|チューブ構造の柔軟性はタワーの中心部(55階付近)を最大振幅させるため、暴風時でも最上階付近ではほとんど揺れを感じなかった。揺れを感じた中心部にはWTCを管理運営する[[ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社|港湾公社]]やニューヨーク・ニュージャージー両州の知事オフィスなど、非テナント機関が入居していた。最大振幅は各タワーとも55階付近で、風の強い日には実際に窓の外のもう一つのタワーが揺れるのを目視することができた。このためこの階で過ごす一人当たりの時間を極力少なくするよう、1 WTCの55階はWTCA (世界貿易センター連合) が運営するビジネススクールの講義室、2 WTCの55階は港湾公社の会議室などが入っていた。それでも荒天の日には「乗り物酔い」を訴えるスクール受講生が少なくなく、稀に授業をキャンセルする日もあった。|group="注"}}。 |
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ヤマサキによる設計を実現しつつ十分な強度を得るため、[[構造エンジニア]]のチームは[[ファズラー・ラーマン・カーン]]が開発した{{仮リンク|チューブ構造|en|Tube (structure)}}を採用した<ref name=framedtube/><ref>{{cite web|author=Alfred Swenson & Pao-Chi Chang|title=Building construction: High-rise construction since 1945|publisher=[[ブリタニカ百科事典]]|year=2008|url=https://www.britannica.com/technology/building-construction/High-rise-construction-since-1945|accessdate=2019-01-19|quote= The framed tube, which Khan developed for concrete structures, was applied to other tall steel buildings. }}</ref>。ツインタワーのチューブ構造は「フレームド・チューブ(framed-tube)」と呼ばれる設計であり、チューブ状の外壁と中央のコア支柱との間に床の梁を渡すことにより、柱や耐力壁の無い広大なスペースを得ることができた<ref name=framedtube>{{cite book |author=National Construction Safety Team |url=http://wtc.nist.gov/NISTNCSTAR1CollapseofTowers.pdf |format =PDF |title=Final Report on the Collapse of the World Trade Center Towers |publisher=[[アメリカ国立標準技術研究所]] |date=September 2005 |pages=5-6}}</ref>。タワーの外壁は、計236本の鉄骨支柱をチューブ状に密に配置したもので、タワーの各面には59本の外壁支柱がびっしりと並び、外壁の一辺は約63メートル(207フィート)だった<ref name=99elevators/><ref name=framedtube/>。外壁支柱は事実上すべての水平荷重(風荷重など)を負担し、さらに鉛直荷重をビル中央の47本のコア支柱と分担するよう設計されていた<ref name=framedtube/><ref>{{cite book |author=National Construction Safety Team |url=http://wtc.nist.gov/NISTNCSTAR1CollapseofTowers.pdf |format =PDF |title=Final Report on the Collapse of the World Trade Center Towers |publisher=[[アメリカ国立標準技術研究所]] |date=September 2005 |page=8}}</ref>。 |
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ツインタワーの107階から110階にかけては、「ハットトラス (hat trusses)」と呼ばれる構造が設けられていた。ハットトラスは、タワー屋上に設けられる予定の通信アンテナの荷重を支持するためのものだった{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|page=10}}。1978年、1 WTC(北タワー)の屋上に実際にアンテナが設置されたが、2 WTCにアンテナが設置されることはなかった<ref>{{cite web |url=https://www.pbs.org/wgbh/amex/newyork/sfeature/sf_building_pop_01_qt.html |title=New York: A Documentary Film – The Center of the World (Construction Footage) |publisher=Port Authority / PBS |accessdate=2007-05-16}}</ref>。 |
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これら外壁支柱はそれぞれ地下から立ち上がり、4階付近で三本に分かれ、そのまま最上階まで達するもので、その結果ほぼ同じ床面積が1階から最上階まで続くという非常に効率的なものだった。また[[ニューヨーク港]]に面したローワー・マンハッタンは風が強く、超高層ビルへの影響が懸念されたが、チューブ構造の柔軟性はタワーの中心部(55階付近)を最大振幅させるため、暴風時でも最上階付近ではほとんど揺れを感じないという優れた設計だった<ref>揺れを感じた中心部にはWTCを管理運営する[[ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社|港湾公社]]やニューヨーク・ニュージャージー両州の知事オフィスなど、非テナント機関が入居していた。最大振幅は各タワーとも55階付近で、風の強い日には実際に窓の外のもう一つのタワーが揺れるのを目視することができた。このためこの階で過ごす一人当たりの時間を極力少なくするよう、1WTCの55階はWTCA (世界貿易センター連合) が運営するビジネススクールの講義室、2WTCの55階は港湾公社の会議室などが入っていた。それでも荒天の日には「乗り物酔い」を訴えるスクール受講生が少なくなく、稀に授業をキャンセルする日もあった。</ref>。ビルの中央には全てのエレベーターおよび非常階段(3本)が集中的に設置されていた。 |
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=== 建設 === |
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さらに44階と78階にエレベーターの乗り換え階「{{仮リンク|スカイロビー|en|sky lobby}}」を設け、急行エレベーターをスカイロビーに直行させ、ここからさらに各階行の普通エレベーターに乗り換えさせるという方式にした。このシステムにより、効率的なエレベーターの運行が実現されるのと同時に、エレベーターシャフト数の削減により、フロアの使用可能面積が62パーセントから75パーセントに引き上げられた<ref name=99elevators>{{cite book |title=Design, Construction, and Maintenance of Structural and Life Safety Systems (NCSTAR 1-1) |publisher=[[アメリカ国立標準技術研究所]] |author1=Lew, H.S. |author2=Richard W. Bukowski |author3=Nicholas J. Carino |date=September 2005 |pages=8-9}}</ref>。ワールドトレードセンターは[[シカゴ]]の[[ジョン・ハンコック・センター]]に続き、スカイロビーを採用した2例目の[[超高層建築物|超高層ビル]]だった<ref>{{cite web|url=http://www.otis.com/otis150/section/1,2344,ARC3066_CLI1_RES1_SEC5,00.html |publisher=[[Otis Elevator Company]] |title=Otis History: The World Trade Center |accessdate=December 7, 2006 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20061115072321/http://www.otis.com/otis150/section/1%2C2344%2CARC3066_CLI1_RES1_SEC5%2C00.html |archivedate=November 15, 2006 |deadurl=yes |df= }}</ref>。(スカイロビーのシステムは、各駅停車駅と急行停車駅が存在する[[ニューヨーク市地下鉄]]の運転系統に触発されたものだった<ref name="gillespie-p76">{{cite book |author=Gillespie, Angus K. |year=1999 |title=Twin Towers: The Life of New York City's World Trade Center |publisher=Rutgers University Press |page=76 |isbn=0-7838-9785-5}}</ref>。) |
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[[File:Twin_Towers_under_construction.jpg|thumb|建設工事中のツインタワー(1969年撮影)]] |
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1965年3月、港湾公社はワールドトレードセンター建設用地にあたる土地(ラジオ・ロウ)の買収を開始した<ref name=nyt19650329/>。翌1966年3月21日には、13[[街区|ブロック]]にわたって広がるラジオ・ロウの低層ビル群を取り壊すための解体工事が始まった{{sfn|Gillespie|1999|page=61}}。ラジオ・ロウの解体が完了したあとの1966年8月5日、起工式が執り行われ、WTCの建設工事が始まった<ref name=FEMA/>。 |
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WTCの敷地は[[埋立地|埋め立て地]]であり、岩盤は地下20mに位置していた<ref>{{Cite news |url=http://www.newyorker.com/archive/1972/11/04/1972_11_04_130_TNY_CARDS_000308769 |title=The Biggest Foundation |author=Iglauer, Edith |date=1972-11-04 |work=The New Yorker |archiveurl=https://web.archive.org/web/20011218095545/http://www.newyorker.com/FROM_THE_ARCHIVE/ARCHIVES/?010917fr_archive06 |archivedate=2001-12-18}}</ref>。[[基礎工事]]を行うには、まず掘削時に[[ハドソン川]]から水が侵入するのを防ぐ必要があり、建設用地一帯に、[[バスタブ]]状の地下壁(通称{{仮リンク|ザ・バスタブ|en|The Bathtub}})を築かねばならなかった<ref>{{Cite news |title=Tall Towers will Sit on Deep Foundations |last=Kapp |first=Martin S |publisher=Engineering News Record |date=1964-07-09}}</ref>。この地下壁を施工するにあたり、港湾公社のチーフエンジニアは{{仮リンク|スラリー壁|en|Slurry wall}}工法を選択した。この工法は、掘削と同時に[[スラリー]]と呼ばれる[[ベントナイト]]混合物を溝に注ぎこみ、溝をスラリーで満たすことで地下水の流入を封じ、掘削の完了後に鋼鉄のケージを溝に沈め、続いてコンクリートを注入すると、スラリーは溝から押し出され、コンクリートの地下壁が完成するというものだった。地下壁の完成までには14か月を要したが、バスタブの建設は敷地内部で掘削を始めるために必須だった{{sfn|Gillespie|1999|page=68}}。 |
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ツインタワーにはそれぞれ99基のエレベーターが設けられ、両タワーの合計では198基のエレベーターが存在した。(1WTC106-107階のレストラン/バー/集会所に直行する急行エレベーター、2WTC最上階の展望台に直行する急行エレベーター、および7基の貨物用エレベーターを含む)<ref name=99elevators/><ref name=MacKay/>41-42階、75-76階、108-109階は2棟とも機械設備の専用階になっており、一般人が立ち入ることは不可能であった。ツインタワーの107階から110階にかけては、「ハットトラス(hat trusses)」と呼ばれる構造が設けられていた。ハットトラスは、タワー屋上に設けられる予定の通信アンテナの荷重を支持するためのものだった<ref>{{cite book |title=Design, Construction, and Maintenance of Structural and Life Safety Systems (NCSTAR 1-1) |publisher=[[アメリカ国立標準技術研究所]] |author1=Lew, H.S. |author2=Richard W. Bukowski |author3=Nicholas J. Carino |date=September 2005 |page=10}}</ref>。1978年、1WTC(北タワー)の屋上に実際にアンテナが設置されたが、2WTCにアンテナが設置されることはなかった<ref>{{cite web |url=https://www.pbs.org/wgbh/amex/newyork/sfeature/sf_building_pop_01_qt.html |title=New York: A Documentary Film – The Center of the World (Construction Footage) |publisher=Port Authority / PBS |accessdate=May 16, 2007}}</ref>。 |
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バスタブに囲われた敷地からは92万立方メートルもの大量の土砂が掘り出され、敷地西側に隣接するハドソン川の埋め立てに利用された。形成された埋立地は「[[バッテリー・パーク・シティ]]」と呼ばれ、[[1985年]]にはこの地に「[[ワールドフィナンシャルセンター]]」と呼ばれる高層オフィスビル群がオープンした{{sfn|Gillespie|1999|page=71}}<ref>{{Cite news |title=New York Gets $90 Million Worth of Land for Nothing |publisher=Engineering News Record |date=1968-04-18}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1985/10/18/nyregion/battery-project-reflects-changing-city-priorities.html|title=BATTERY PROJECT REFLECTS CHANGING CITY PRIORITIES|last=Gottlieb|first=Martin|date=1985-10-18|work=The New York Times|accessdate=2019-01-21|issn=0362-4331}}</ref>。 |
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ツインタワーは北棟・南棟ともに110階建てであり、北棟(1 WTC)の110階はテレビスタジオ、南棟(2 WTC)の108-110階は機械設備階となっていた。北棟の屋上には通信用アンテナの尖塔が設置されており、南棟の屋上は展望デッキとして使用されていた<ref name=framedtube/>。200階建てのビル一棟にしたり、複数の高層ビルで敷地を埋めず、110階建て二棟にしたのは、一棟だと退屈に見えがちな四角いビルも二棟並べばシンボリックになり、その分直方体のシンプルさが際立つことと、またビルをヒューマンスケールを超える高さにしたり、大容積のビルが密集した塊にはしたくなかったことだと言われる。 |
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[[File:WTC_bathtub_east.JPG|thumb|240px|建設工事の様子。右手に見えるコンクリートの壁が{{仮リンク|ザ・バスタブ|en|The Bathtub}}。[[パストレイン]]の鉄道トンネルが宙に浮かされ、建設中のタワーの内部を通っている(1969年撮影)]] |
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敷地中央には、WTCで働く人や観光客に安らぎをあたえるため、ヨーロッパの古い都市の大聖堂と家々に囲まれたプラザを模した5[[エーカー]]の広さの「プラザ」(1982年にオースティン・トービンにちなみ「トービン・プラザ」と命名された)が設けられた。プラザのデザインには、地面に描かれた巨大な四角形・泉(噴水)・中心から放射状に広がる模様など、[[マスジド・ハラーム|メッカの大モスク]]のモチーフが使われていた<ref>{{cite news |last=Laurie Kerr |title=The Mosque to Commerce: Bin Laden's special complaint with the World Trade Center |url=http://www.slate.com/id/2060207/ |work={{ill2|Slate|en|Slate (magazine)}} |date=December 28, 2001 |accessdate=2019-01-18 |quote=}}</ref>。ヤマサキによれば、このプラザは「[[ウォール街]]の通りや歩道の窮屈さから解放してくれる、人々にとっての[[メッカ]]」であった<ref>{{cite book|author=Robert Grudin|title=Design And Truth|url=https://books.google.com/books?id=KHFoCxkdiUIC&pg=PA39|date=20 April 2010|publisher=Yale University Press|isbn=978-0-300-16203-5|pages=39}}</ref>。 |
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建設用地の地下を通る[[パストレイン]]の[[ダウンタウン・ハドソン・チューブ|鉄道トンネル]]は、[[ワールド・トレード・センター駅 (パストレイン)|地下鉄の新駅]]が1971年にオープンするまでの間、建設工事中も運行を続けた<ref>{{Cite news |author=Carroll, Maurice |title=A Section of the Hudson Tubes is Turned into Elevated Tunnel |date=1968-12-30 |work=The New York Times}}</ref>。トンネルは支柱で宙に浮かされ、バスタブ内を渡されており、その中をパストレインが走った。敷地の地下には約2,000台の車を収容できる大駐車場や、[[ショッピングモール]]なども建設された。 |
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基礎工事が完了したあとの1968年8月、1 WTC(北タワー)の建設工事が開始された<ref name="pbstimeline">{{cite web |url=https://www.pbs.org/wgbh/amex/newyork/timeline/index.html |title=Timeline: World Trade Center chronology |publisher=PBS – [[American Experience]] |accessdate=2007-05-15 |archive-url=https://web.archive.org/web/20070502225357/http://www.pbs.org/wgbh/amex/newyork/timeline/index.html |archive-date=2007-05-02 |url-status=dead}}</ref>。翌1969年1月には2 WTC(南タワー)の建設も始まった<ref name="pbstimeline" />。ツインタワーの建設では[[プレハブ工法]]が大々的に用いられ、建設プロセスの高速化が果たされた{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|p=xxxvi}}<ref name="PAoNYaNJ">{{cite web |title=History of the Twin Towers |url=http://www.panynj.gov/wtcprogress/history-twin-towers.html |publisher=[[Port Authority of New York and New Jersey]] |date=2014-06-01 |accessdate=2015-08-17 |deadurl=no |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131228040848/http://www.panynj.gov/wtcprogress/history-twin-towers.html |archivedate=2013-12-28 |df=ja}}</ref>。1970年12月23日、北タワーの[[トッピング・アウト|上棟式(トッピング・アウト)]]が行われた<ref name="pbstimeline" />。翌1971年の7月19日には南タワーの上棟式が行われた<ref name="pbstimeline" />。北タワーの最初のテナントは1970年12月15日に入居し、1972年1月には南タワーにも最初のテナントが入った{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|p=xxxvi}}。 |
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[[ファイル:WTC Building Arrangement and Site Plan.svg|thumb|180px|WTC各建物配置図]] |
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足元のエントランスの部分は外壁支柱が地上付近でカーブを描いて一本から三本に分かれる形状のため、上層部で支柱を密集させつつ足元では建物への出入りのための十分な幅が確保できた上に、荘厳な[[ゴシック建築]]や[[イスラーム建築|イスラム建築]]を思わせるような趣をかもし出すことに成功した。全体のプロポーションも余計な装飾なくすっきりとまとまっており、洗練された[[モダニズム建築]]であることが分かる。 |
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1 WTCは[[1972年]]に、2 WTCは[[1973年]]に完成した<ref>{{cite web |title=BUILDING BIG: Databank: World Trade Center |publisher= [[PBS]] |url=www.pbs.org/wgbh/buildingbig/wonder/structure/world_trade.html |accessdate=2019-08-25 |deadurl=no |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111223064849/https://www.pbs.org/wgbh/buildingbig/wonder/structure/world_trade.html |archivedate=2011-12-23 |df=ja}}</ref>。ツインタワーが完成した時点で、港湾公社はワールドトレードセンターの建設に約9億ドルを費やしていた{{sfnp|Cudahy|2002|p=58}}。1973年4月4日、WTCのオープニング式典が挙行され、ツインタワーは正式に開業した{{sfn|Gillespie|1999|p=134}}。 |
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しかし実際に近くで見るツインタワーはかなり威圧感があり、当時の市民の評判も決して良いものではなかった。[[建築]][[評論家]]からも評判が悪く、モダニズムの悪い見本のように語られることもあった。しかし、門柱のように並ぶ直方体は、遠くから見たニューヨークのスカイラインに一目で分かる特徴を与え、すぐにニューヨークの新しいシンボルとなった。また1WTC106階の最高級レストラン「ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド」や、2WTC107階の展望台と屋上の展望デッキは新しい観光名所になった。2WTC107階の展望台には、大人は4ドル(日本円で約400円)で入場することができた。 |
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=== 批判 === |
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また、天候の良い日は107階からエスカレーターで最上階の通路まで上り、そこからまたエスカレーターを乗り継いで屋上の展望デッキに出ることもできた。 |
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ワールドトレードセンターの建設計画は多くの論争を呼んだ。WTCの建設予定地である「{{仮リンク|ラジオ・ロウ|en|Radio Row}}」地区には、何百もの商工業者と約100人の住民が存在しており、その多くは立ち退きを求められることに対して猛烈に反発した{{sfn|Gillespie|1999|pp=42–44}}。1962年6月、立ち退きの対象となった事業者らは結束して港湾公社の[[土地収用]]権に異議を申し立て、その[[差止請求権|差し止めを請求]]した<ref>{{Cite news |title=Injunction Asked on Trade Center |date=1962-06-27 |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |last=Clark |first=Alfred E.|url=https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1962/06/27/82049659.pdf }}</ref>。港湾公社との法的な争いは最終的に[[合衆国最高裁判所]]まで持ち込まれたが、最高裁判所は1963年に事業者側の訴えを棄却し、立ち退きの実施が確定した<ref name="nyt-1963nov13">{{Cite news |url=https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1963/11/13/89971855.pdf |title=High Court Plea is Lost by Foes of Trade Center |last=Arnold |first=Martin |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |date=1963-11-13}}</ref>。 |
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民間の[[デベロッパー (開発業者)|不動産デベロッパー]]や[[エンパイア・ステート・ビルディング|エンパイアステートビル]]の所有者{{仮リンク|ローレンス・ウィーン|en|Lawrence Wien}}らは、公的に助成されたWTCのオフィス物件が、(すでにオフィス物件の供給過剰状態にある)一般の市場に解き放たれ、民間セクターと競合することに対しての懸念を表明した{{sfn|Gillespie|1999|pp=49–50}}<ref>{{Cite news |url=https://www.nytimes.com/1964/02/14/new-fight-begun-on-trade-center.html |title=New Fight Begun on Trade Center |last=Knowles |first=Clayton |date=1964-02-14 |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331}}</ref>。計画の妥当性自体を疑問視する声もあり、WTCプロジェクトを「誤った社会的優先事項」と表現する見方もあった<ref>{{Cite news |url=https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1969/11/12/79436401.pdf |title=Kheel Urges Port Authority to Sell Trade Center |date=1969-11-12 |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331}}</ref>。 |
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=== 建設 === |
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[[ファイル:WTC-1971-under-construction.jpg|thumb|left|200px|工事中のツインタワー]] |
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1965年3月、港湾公社はワールドトレードセンター建設用地にあたる土地(ラジオ・ロウ)の買収を開始した<ref name=nyt19650329/>。翌1966年3月21日には、ラジオ・ロウにある13[[街区|ブロック]]の低層ビル群を取り壊すための解体工事が始まった<ref name=nyt196603/>。ラジオ・ロウが解体された後の1966年8月5日、WTC建設の起工式が執り行われた<ref name=FEMA/>。 |
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[[アメリカ建築家協会]]ほかの団体は、ツインタワーのデザインを美的観点から批判した<ref name="nyt-1966may29" /><ref>{{Cite news |url=https://www.nytimes.com/1964/03/12/archives/letters-to-the-times-marring-citys-skyline-trade-center-buildings.html?searchResultPosition=1 |title=Marring City's Skyline |last=Steese |first=Edward |date=1964-03-10 |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331}}</ref>。[[都市計画]]についての著作を多く持つ[[ルイス・マンフォード]]は1967年、WTCのような最新の超高層ビル群について、「金属とガラスでできた書類用キャビネットに過ぎない」と評した<ref>{{Cite news |url=https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1967/03/22/90299847.pdf |title=Mumford Finds City Strangled By Excess of Cars and People |last=Whitman |first=Alden |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |date=1967-03-22}}</ref>。ツインタワーのオフィスの窓は1つあたりの幅が46cmと狭く、眺望は常に窓枠(支柱)で遮られていたため非常に不評だった<ref name="pekala" />。社会学者・活動家の[[ジェイン・ジェイコブズ]]は、ニューヨークの[[ウォーターフロント]]は住民の憩いの場として保存されるべきだと主張した<ref>{{cite book |last=Alexiou |first=Alice |title=Jane Jacobs: Urban Visionary |publisher=[[Rutgers University Press]] | publication-place=New Brunswick, N.J |year=2006 |isbn=978-0-8135-3792-4 |page=78}}</ref>。 |
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WTCの敷地は[[埋め立て地]]であり、岩盤は地下20メートルに位置した<ref>{{Cite news |url=http://www.newyorker.com/archive/1972/11/04/1972_11_04_130_TNY_CARDS_000308769 |title=The Biggest Foundation |author=Iglauer, Edith |date=November 4, 1972 |work=The New Yorker |archiveurl=https://web.archive.org/web/20011218095545/http://www.newyorker.com/FROM_THE_ARCHIVE/ARCHIVES/?010917fr_archive06 |archivedate=December 18, 2001}}</ref>。[[基礎工事]]を行うには、まず掘削時に[[ハドソン川]]から水が侵入するのを防ぐ必要があり、建設用地一帯に、[[バスタブ]]状の地下壁(通称{{ill2|ザ・バスタブ|en|The Bathtub}})を築かねばならなかった<ref>{{Cite news |title=Tall Towers will Sit on Deep Foundations |last=Kapp |first=Martin S |publisher=Engineering News Record |date=July 9, 1964}}</ref>。この地下壁を施工するにあたり、港湾公社のチーフエンジニアであるジョン・M・カイル・ジュニアは{{ill2|スラリー壁|en|Slurry wall}}工法を選択した。この工法では、掘削すると同時に[[スラリー]]と呼ばれる[[ベントナイト]]混合物を溝に注ぎこみ、溝をスラリーで満たすことで地下水の流入を封じた。掘削が完了した後は鋼鉄のケージをスラリーで満ちた溝に挿入し、続いてコンクリートを注入すると、スラリーはコンクリートによって溝から押し出され、コンクリートの地下壁が完成した。地下壁の完成までには14カ月を要したが、バスタブの建設は敷地内部で掘削を始めるために必須だった<ref>{{Cite book | last=Gillespie | first=Angus K. | title=Twin Towers: The Life of New York City's World Trade Center | publisher=Rutgers University Press | year=1999 | isbn=978-0-8135-2742-0 | url=https://books.google.com/books?id=6iJUAAAAMAAJ | page=68 }}</ref>。 |
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==施設== |
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バスタブに囲われた敷地からは92万立方メートルもの大量の土砂が掘り出され、敷地西側に隣接するハドソン川の埋め立てに利用された。形成された埋立地は「[[バッテリー・パーク・シティ]]」と呼ばれ、[[1985年]]にはこの地に「[[ワールドフィナンシャルセンター]]」と呼ばれる高層オフィスビルの複合施設がオープンした。<ref>{{Cite book | last=Gillespie | first=Angus K. | title=Twin Towers: The Life of New York City's World Trade Center | publisher=Rutgers University Press | year=1999 | isbn=978-0-8135-2742-0 | url=https://books.google.com/books?id=6iJUAAAAMAAJ | page=71 }}</ref><ref>{{Cite news |title=New York Gets $90 Million Worth of Land for Nothing |publisher=Engineering News Record |date=April 18, 1968}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1985/10/18/nyregion/battery-project-reflects-changing-city-priorities.html|title=BATTERY PROJECT REFLECTS CHANGING CITY PRIORITIES|last=Gottlieb|first=Martin|date=October 18, 1985|work=The New York Times|accessdate=January 21, 2019|issn=0362-4331}}</ref> |
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[[ファイル:WTC Building Arrangement and Site Plan.svg|thumb|WTCコンプレックスの建物配置図]] |
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[[ファイル:World Trade Center lobby, 08-19-2000.png|thumb|right|1 WTC(北タワー)のロビー。左手にトービン・プラザがある(2000年8月撮影)]] |
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ワールドトレードセンターは、ツインタワーと呼ばれる2棟の110階建オフィスビル(1 WTC・2 WTC)、22階建の高級ホテル(3 WTC)、2棟の9階建オフィスビル(4 WTC・5 WTC)、8階建の合衆国税関ビル(6 WTC)、47階建オフィスビル(7 WTC)の7棟からなるビルの集合体だった<ref name=FEMA1993>{{cite web |url=https://www.usfa.fema.gov/downloads/pdf/publications/tr-076.pdf |author=FEMA |title=The World Trade Center Bombing: Report and Analysis; New York City, New York |publisher=[[アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁]] |year=1993 |page=17| format=PDF |accessdate=2019-08-30}}</ref>。ワールドトレードセンターのビル群には28か国から430のテナントが入居しており、銀行・金融会社・保険会社・貿易会社・政府機関など多種多様だった<ref name=edcnn>{{cite web|url=http://edition.cnn.com/SPECIALS/2001/trade.center/tenants1.html|title=List of World Trade Center tenants|website=cnn.com|publisher=CNN|access-date=2019-09-01|quote=|archive-url=https://web.archive.org/web/20171002025826/http://edition.cnn.com/SPECIALS/2001/trade.center/tenants1.html|archive-date=2017-10-02|url-status=dead|df=ja}}</ref>。ワールドトレードセンターでは5万人が働いており、それ以外に1日14万人の観光客らが訪れていた<ref name=edcnn/>。ビル群全体では13,400,000平方フィート(1,240,000 m²)のオフィススペースがあり<ref>{{Cite news |url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9F01E4D81030F935A35752C0A9649C8B63 |title=Commercial Property; In Office Market, a Time of Uncertainty |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |last=Holusha |first=John |date=2022-01-06 |accessdate=2008-11-21}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://findarticles.com/p/articles/mi_m3601/is_30_48/ai_83762552 |archive-url=https://archive.is/20120526191512/http://findarticles.com/p/articles/mi_m3601/is_30_48/ai_83762552 |url-status=dead |archive-date=2012-05-26 |title=Ford recounts details of Sept. 11 |work=[[Real Estate Weekly]] |date=2002-02-27 |publisher=BNET |accessdate=2009-01-03}}</ref>、あまりの広大さから独自の[[ZIP (郵便番号)|郵便番号]](10048)が与えられていた<ref>{{Cite news |title='Not Deliverable';Mail still says 'One World Trade Center' |publisher=[[Newsday (New York)]] |date=2003-02-04 |last=Olshan |first=Jeremy}}</ref>。 |
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=== ツインタワー(1 WTC・2 WTC) === |
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[[File:WTC_bathtub_east.JPG|thumb|240px|工事中の{{ill2|ザ・バスタブ|en|The Bathtub}}の写真。中央に[[パストレイン]](1962年までのハドソン川横断鉄道)のトンネルが通っている。]] |
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[[File:World_Trade_Center,_New_York_City_-_aerial_view_(March_2001).jpg|thumb|left|WTCのツインタワー。屋上に尖塔がある左側のタワーが1 WTC、展望デッキがある右側のタワーが2 WTC(2001年3月撮影)]] |
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建設用地の地下を通る[[パストレイン]]の[[ダウンタウン・ハドソン・チューブ|鉄道トンネル]]は、[[ワールド・トレード・センター駅 (パストレイン) |地下鉄の新駅]]が1971年にオープンするまでの間、建設工事中も運行を続けた<ref>{{Cite news |author=Carroll, Maurice |title=A Section of the Hudson Tubes is Turned into Elevated Tunnel |date=December 30, 1968 |work=The New York Times}}</ref>。トンネルは支柱で宙に浮かされ、バスタブ内を渡されており、その中をパストレインが走った。敷地の地下には2000台を収容する大駐車場や[[ショッピングモール]]なども建設された。 |
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ツインタワーと呼ばれた1 WTC(北タワー)と2 WTC(南タワー)は、建築家[[ミノル・ヤマサキ]]がデザインした{{仮リンク|チューブ構造|en|Tube (structure)}}の超高層ビルであり<ref>{{cite book |last=National Construction Safety Team |url=http://wtc.nist.gov/NISTNCSTAR1CollapseofTowers.pdf |title=Final Report on the Collapse of the World Trade Center Towers |publisher=NIST |format=PDF |date=2005-09 |chapter=Chapter 1 |pages=5–6 |accessdate=2015-03-110 |archive-url=https://web.archive.org/web/20080527193541/http://wtc.nist.gov/NISTNCSTAR1CollapseofTowers.pdf |archive-date=2008-05-27 |url-status=live |df=ja}}</ref><ref>{{cite journal |last=Taylor |first=R. E. |date=1966-12 |title=Computers and the Design of the World Trade Center |journal=[[American Society of Civil Engineers|ASCE]], Structural Division |volume=92 |issue=ST–6 |pages=75–91}}</ref>、ワールドトレードセンター・コンプレックスの中心的建築物であった<ref name="pbstimeline" />。1972年の完成時、北タワーは40年以上記録を維持していたエンパイアステートビルを追い抜き世界一高いビルとなった。北タワーは高さ417mで完成したが<ref name=WSO>{{cite web |url=http://w.skyscraper.org/TALLEST_TOWERS/t_wtc.htm |title=The World Trade Center: Statistics and History |publisher=|accessdate=2015-08-13|archive-url=https://web.archive.org/web/20150916031526/http://w.skyscraper.org/TALLEST_TOWERS/t_wtc.htm|archive-date=2015-09-16|url-status=dead |df=ja}}</ref>、1978年には高さ110mの通信アンテナが屋上に設けられ、最頂部は527mとなった<ref name="mcdowell">{{Cite news |url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9802EED7133CF932A25757C0A961958260 |title=At Trade Center Deck, Views Are Lofty, as Are the Prices |last=McDowell |first=Edwin |date=1997-04-11 |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |accessdate=2008-11-21 |archive-url=https://web.archive.org/web/20080410152849/http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9802EED7133CF932A25757C0A961958260 |archive-date=2008-04-10 |url-status=live}}</ref>。南タワーは1973年に高さ415mで完成し、北タワーに次いで当時世界で2番目に高いビルとなった。 |
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世界一高いビルの座は[[1974年]]に完成した[[シカゴ]]のシアーズ・タワー(現・[[ウィリス・タワー]])にすぐに奪われたものの、[[1975年]]以降に展望デッキや展望レストランが完成し、多くの観光客が訪れるようになった。ワールドトレードセンターのツインタワーは新たなニューヨークの象徴となり、数多くの映画やテレビドラマにも登場するようになった<ref name=BI>{{cite web |first=Aria| last=Bendix |title=Aerial images of the World Trade Center show the site's evolution from 1966 to now |url=https://www.businessinsider.com/world-trade-center-evolution-in-aerial-images-2018-8 |publisher=[[ビジネスインサイダー|Business Insider]] |date=2018-09-11|accessdate=2019-08-28}}</ref>。 |
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== 完成 == |
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[[ファイル:World Trade Center lobby, 08-19-2000.png|thumb|right|200px|WTC1(北タワー)のロビー。2000年8月撮影]] |
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[[ファイル:World_Trade_Center_South_Tower_lobby_interior,_1988.jpg|thumb|right|200px|WTC2(南タワー)のロビー。1988年10月撮影]] |
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ツインタワーは両棟ともに110階建てであり、北タワーの110階はテレビスタジオ、南タワーの108〜110階は機械設備階となっていた{{sfn|NIST NCSTAR 1|2005|pages=5–6}}。北タワーの屋上には通信用アンテナの尖塔が設置されており、南タワーの屋上は展望デッキとして使用されていた{{sfn|NIST NCSTAR 1|2005|pages=5–6}}。完成から崩壊するまでの間、ツインタワーは世界でもっともフロア数の多いビルであり続けた<ref name="mcdowell"/>。110階というフロア数の記録は2010年に[[ブルジュ・ハリファ]]が完成するまで追い抜かれることはなかった<ref name="burjdubai">{{cite news |url=http://gulfnews.com/business/property/uae/official-opening-of-iconic-burj-dubai-announced-1.523471 |title=Official Opening of Iconic Burj Dubai Announced |publisher=[[Gulf News]] |date=2009-11-04 |accessdate=2009-11-04 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091106052129/http://gulfnews.com/business/property/uae/official-opening-of-iconic-burj-dubai-announced-1.523471 |archivedate=2009-11-06}}</ref><ref>{{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/8439618.stm |title=World's tallest building opens in Dubai |date=2010-01-04 |publisher=[[BBC News]] |accessdate=2010-01-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20100105054239/http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/8439618.stm |archive-date=2021-01-05 |url-status=live}}</ref>。各タワーの総重量は約50万トンだった<ref>{{cite journal |last=Eagar |first=Thomas W. |last2=Musso |first2=Christopher |title=Why did the world trade center collapse? Science, engineering, and speculation |journal=JOM |publisher=[[Springer Nature]] |volume=53 |issue=12 |year=2001 |issn=1047-4838 |doi=10.1007/s11837-001-0003-1 |pages=8–11}}</ref>。 |
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こうして[[1972年]]に1WTC(ノースタワー)が、[[1973年]]に2WTC(サウスタワー)が完成し<ref name="officialname">正式名称は「One World Trade Center (1WTC)」と「Two World Trade Center (2WTC)」。なお1WTCのことをノースタワー、2WTCのことをサウスタワーと呼んだのは設計段階での仮称が建築界の間で通称化したもので、実際にはワールドトレードセンターにそうした表示は一切なかった。</ref>、[[1973年]][[4月4日]]にワールドトレードセンター落成式典が挙行された。世界一の座は[[1974年]]に完成した[[シカゴ]]のシアーズ・タワー(現[[ウィリス・タワー]])にすぐに奪われたものの、展望デッキや展望レストランが[[1975年]]以降完成してニューヨークの新しい観光名所となり、以後多くの映画やテレビドラマにツインタワーが登場するようになった。オフィス、ホテル、合衆国税関、先物取引場など六棟からなるワールドトレードセンター・コンプレックス全体は[[1977年]]に完成した(また[[1987年]]には隣接する敷地に7WTCが追加オープンしている)。当初、WTCの建設に反対していた団体もあったが「展望レストランだけは残してほしい」とその眺望を絶賛したこともあった。 |
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====トップ・オブ・ザ・ワールド==== |
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ところがいざオープンしてみると、当初想定していた貿易会社などの入居は少なく、国際貿易の拠点としてのワールドトレードセンター計画は当てが外れた。完成時のキーテナントは港湾公社ほか、市や州、連邦政府などの機関が多く、あたかも官庁舎のような状態であった。活況を呈してくるのは[[ウォール街]]が世界の金融の中心として活況に満ちた[[1980年代]]以降で、[[モルガン・スタンレー]]や[[ソロモン・ブラザーズ]]の本社を始め、世界の銀行・証券・金融会社の多くがウォール街に隣接するWTCにこぞって入居するようになってからだった。ある日通行量調査を行ったところ、一日の勤務者は5万人、来館者は20万人という数字が出た。あまりに規模が大きいので、ワールドトレードセンターだけで二つの[[ZIP (郵便番号)|郵便番号]] (10048と10049) が与えられたほどだった。 |
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[[File:Two World Trade Center Observation Deck.jpg|thumb|2 WTC(南タワー)屋上の展望デッキから[[ミッドタウン・マンハッタン]]の景色を眺める観光客(1984年撮影)]] |
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ツインタワーには一般の観光客に開放されたフロアがあり、南タワーの107階は「トップ・オブ・ザ・ワールド (Top of the World)」という名の屋内展望デッキとなっていた{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|page=158 <!--Similar to the Windows on the World facilities on the 106th and 107th floors of WTC 1, there was a public observation deck on the 107th floor of WTC 2 called Top of the World-->}}{{sfn|NIST NCSTAR 1|2005|page=58}}。来場者は入場料を払ったあと([[世界貿易センター爆破事件|1993年のテロ事件]]以降は[[セキュリティ・チェック]]が追加された<ref>{{Cite news |url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9804E1DE1E3EF937A15751C0A961958260 |title=Metal Detectors, Common at Other City Landmarks, Are Not Used |last=Onishi |first=Norimitsu |date=1997-02-24 |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |accessdate=2008-11-21}}</ref>)、専用エレベーターで地上から107階の展望デッキ(地上400m)まで直行することができた{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|page=158}}。107階には双眼鏡が多数設置されていたほか、さまざまな売店やニューヨークをヘリで飛行する映像を上映するシアターなどがあった{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|page=158}}。天候が許す日には、107階から2本のエスカレーターを乗り継いで屋上の展望デッキ(地上420m)に出ることもできた{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|page=158}}<ref>{{cite book |last=Adams |first=Arthur |title=The Hudson River Guidebook |publisher=[[Fordham University Press]] | publication-place=New York |year=1996 |isbn=978-0-8232-1680-2 |page=87}}</ref>。晴れた日には、屋上のデッキから50マイル(80km)先まで見渡すことができた<ref name="mcdowell" />。屋上のデッキは自殺防止用フェンスよりも高い位置に高台のように設置されており、エンパイアステートビル屋上の展望デッキとは異なり、何にも遮られない眺望を得ることができた{{sfnp|Darton|1999|p=152}}。 |
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====ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド==== |
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WTCは、公共建築や大型ビルを建てる際はその建設費の1%を[[パブリック・アート]]に使うという、現在では全米各地に広まっている条例を適用した先駆的なビル群だった。エントランスのロビーには[[ルイーズ・ネーベルソン]]、[[ジョアン・ミロ]]、[[ル・コルビュジエ]]らの大きな作品が、プラザの中心にはフリッツ・ケーニッヒ (Fritz Koenig) の「The Sphere」が、またその周辺には[[流政之]]の「雲の砦」、ジェームズ・ロザッティ (James Rosati) の「Ideogram」などが置かれていた。またWTC7建設後には[[アレクサンダー・カルダー]]の「スタビル」などが設置された。ビルの各[[テナント]]もおのおの美術[[コレクション]]を所有しており、たとえば1WTCの上層階にあって社員のほとんどが犠牲となった証券会社キャンター・フィッツジェラルドは[[オーギュスト・ロダン|ロダン]]の彫刻のコレクションで知られていた。このようにWTC全体には美術館ができるほどの数と質の美術品があったが、アメリカ同時多発テロ事件によってそのすべてが灰燼に帰した。プラザに毅然と君臨していたケーニッヒの「The Sphere」はずたずたの残骸になって発見された。再度組み立てられたのち、[[バッテリー・パーク]]に移設されて、現在では「テロの仮祈念碑」となっている。 |
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北タワーの106〜107階には「ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド (Windows on the World)」と呼ばれる展望レストランが存在しており、観光客も入店することができた。1976年4月に営業開始したこのレストランは、飲食店経営者{{仮リンク|ジョー・バウム|en|Joe Baum}}が1,700万ドル以上を投じて開業したものだった<ref name="zraly">{{cite book |last=Zraly |first=Kevin |title=Windows on the world complete wine course |publisher=[[Sterling Epicure]] | publication-place=New York |year=2006 |isbn=978-1-4549-2106-6 |page=260}}</ref>。106〜107階では「ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド」のほかにも、[[スモーブロー]]と寿司を提供する「Hors d'Oeuvrerie」と、ワイン専用のバー「Cellar in the Sky」という2つの系列店が営業していた<ref name="grimes">{{Cite news |url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C06E0D9153BF93AA2575AC0A9679C8B63&sec=travel&spon=&pagewanted=all |title=Windows That Rose So Close To the Sun |date=2001-09-19 |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |last=Grimes |first=William |accessdate=2017-09-18 |archive-url=https://web.archive.org/web/20081017071647/http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C06E0D9153BF93AA2575AC0A9679C8B63&sec=travel&spon=&pagewanted=all |archive-date=2008-10-17 |url-status=live}}</ref>。展望レストランは1993年の爆破事件のあとに一時閉店した<ref name="zraly" />。レストランは1996年に再オープンしたが、それに合わせ従来の系列店「Hors d'Oeuvrerie」と「Cellar in the Sky」は、それぞれ「Wild Blue」というレストランと「The Greatest Bar on Earth」という名のバーに置き換えられた<ref name="grimes" />。2000年度の「ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド」の売上高は3,700万ドルであり、アメリカでもっとも収入の多いレストランとなっていた<ref>{{Cite news |url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9D07E2DA103AF937A35755C0A9649C8B63 |title=Windows on the World Workers Say Their Boss Didn't Do Enough |last=Greenhouse |first=Steven |date=2002-06-04 |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331}}</ref>。北タワーの44階(スカイロビー階)でも系列店の「スカイ・ダイブ・レストラン (The Sky Dive Restaurant)」が営業していた<ref name="grimes" />。批評家による展望レストランへの評価は賛否両論があった。1996年12月、[[ニューヨークタイムズ]]のレストラン批評家{{仮リンク|ルース・ライル|en|Ruth Reichl}}は、「ウィンドウズ・オン・ザ・ワールドに純粋に食事をしにいく人は皆無だろうが、今ならばもっとも食事にうるさい部類の人でも満足させることができるだろう」と書き、このレストランの品質に "very good" という評価を与えた<ref>{{Cite news |url=https://www.nytimes.com/1997/12/31/dining/restaurants-food-that-s-nearly-worthy-of-the-view.html |title=Restaurants; Food That's Nearly Worthy of the View |last=Reichl |first=Ruth |date=1997-12-31 |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331|accessdate=2018-02-22|archive-url=https://web.archive.org/web/20180222165429/http://www.nytimes.com/1997/12/31/dining/restaurants-food-that-s-nearly-worthy-of-the-view.html|archive-date=2018-02-22|url-status=live |df=ja}}</ref>。別のレストラン批評家{{仮リンク|ウィリアム・グライムズ|en|William Grimes (journalist)}}は、2009年出版の著書 ''Appetite'' の中で、「ウィンドウズ・オン・ザ・ワールドでは、メインの料理はニューヨークの景色だった」と評した<ref>{{Cite book |url=https://books.google.com/books?id=w9pLESNSYb8C&pg=PA281 |title=Appetite City: A Culinary History of New York |last=Grimes |first=William |date=2009-10-13 |publisher=Farrar, Straus and Giroux |year= |isbn=978-1-42999-027-1 |pages=281 |language=en}}</ref>。 |
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===その他のビル(3–7 WTC)=== |
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==テロ== |
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ワールドトレードセンターの16エーカー(65,000m²)の敷地には、ツインタワーのほかに5棟のビルが存在していた{{sfn|Gillespie|1999|p=226}}。敷地の南西に建設された3 WTCは22階建のホテルであり、1981年に「ビスタ・ホテル (Vista Hotel) 」として開業し<ref>{{Cite news |url=https://www.nytimes.com/1981/04/02/nyregion/hotel-in-the-trade-center-greets-its-first-100-guests.html |title=Hotel In The Trade Center Greets Its First 100 Guests |date=1981-04-02 |accessdate=2018-05-23 |newspaper=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 }}</ref>、1995年には「{{仮リンク|マリオット・ワールドトレードセンター|en|Marriott World Trade Center}}」と改称された{{sfn|Gillespie|1999|p=226}}。4 WTC、5 WTC、6 WTCはいずれもオフィスビルであり、トービン・プラザを囲むように建設されていた{{sfn|World Trade Center Building Performance Study|2002|page=4.1}}。プラザの南東に位置する4 WTCビルと北東の5 WTCビルは9階建であり、4 WTCには合衆国商品取引所 (U.S. Commodities Exchange) が入居していた<ref name=Landesman/>{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|page=xxxvi}}。北西に位置する6 WTCビルは8階建であり、[[アメリカ合衆国税関・国境警備局|アメリカ合衆国税関]]が入居していた<ref name=Landesman>{{cite book |last1=Landesman |first1=Linda Y |first2=Isaac B. |last2=Weisfuse |title=Case Studies in Public Health Preparedness and Response to Disasters |publisher=Jones & Bartlett Publishers |year=2013 |isbn=9781449645205 |page=210}}</ref>{{sfn|NIST NCSTAR 1-1|2005|page=xxxvi}}。1987年には、WTCの敷地から道路を挟んだ北側に47階建オフィスビルの[[7 ワールドトレードセンター|7 WTC]]が完成した<ref>{{cite web |url=https://www.panynj.gov/wtcprogress/history-wtc.html |title=History of the World Trade Center |work=Port Authority of New York and New Jersey |accessdate=2015-05-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20150607110234/https://www.panynj.gov/wtcprogress/history-wtc.html |archive-date=2015-06-07 |url-status=dead}}</ref>。WTCコンプレックスの地下には{{仮リンク|ウェストフィールド・ワールドトレードセンター|en|Westfield World Trade Center|label=大型ショッピングモール}}が広がっており、[[ニューヨーク市地下鉄]]や[[パストレイン|PATHトレイン]]などの公共交通機関とも接続されていた{{sfnp|Glanz|Lipton|2003|p=114}}{{sfn|Gillespie|1999|p=217}}。 |
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ワールドトレードセンター・コンプレックスは2度[[テロ]]の標的となった。 |
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===プラザ=== |
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[[File:Austin_Tobin_Plaza_Marriott_World_Trade_Center_-_1995.jpg|thumb|1995年時点のトービン・プラザ。ツインタワーの間に見えるビルが3 WTC(マリオット・ワールドトレードセンター)]] |
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[[ファイル:WTC 1993 ATF Commons.jpg|thumb|right|200px|1993年の爆破事件が起こった地下駐車場]] |
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ワールドトレードセンターの敷地中央には、[[ヴェネツィア]]の[[サン・マルコ広場]]を意識した広場である「プラザ」が設けられていた<ref name=Osawa/>。プラザのデザインには、地面に描かれた巨大な四角形・泉(噴水)・中心から放射状に広がる模様など、[[マスジド・ハラーム|メッカの大モスク]]のモチーフも使われていた<ref>{{cite news |last=Laurie Kerr |title=The Mosque to Commerce: Bin Laden's special complaint with the World Trade Center |url=http://www.slate.com/id/2060207/ |work={{仮リンク|Slate|en|Slate (magazine)}} |date=2001-12-28 |accessdate=2019-01-18 |quote=}}</ref>。ヤマサキによれば、このプラザは「[[ウォール街]]の通りや歩道の窮屈さから解放してくれる、[[メッカ]]のような場所」であった<ref>{{cite book|author=Robert Grudin|title=Design And Truth|url=https://books.google.com/books?id=KHFoCxkdiUIC&pg=PA39|date=2010-04-20|publisher=Yale University Press|isbn=978-0-300-16203-5|page=39}}</ref>。プラザの中心には{{ill2|フリッツ・ケーニッヒ|en|Fritz Koenig}}の作品「[[ザ・スフィア]]」が置かれていた。1982年、プラザは1978年に亡くなった{{ill2|オースティン・トービン|en|Austin J. Tobin}}にちなみ、「オースティン・J・トービン・プラザ」と命名された{{sfn|Gillespie|1999|p=123}}。夏の間、プラザには仮設の野外ステージが設置され、さまざまなパフォーマンスや演奏が行われていた{{sfn|Gillespie|1999|p=214}}。長年にわたり、プラザは2棟のタワーの間で発生する[[ベンチュリ効果]]による突風の被害を受けており<ref>{{Cite news |title=At New Trade Center, Seeking Lively (but Secure) Streets |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |url=https://www.nytimes.com/2006/12/07/nyregion/07blocks.html?fta=y |date=2006-12-07 |last=Dunlap |first=David W. |accessdate=2017-02-23 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160415180330/http://www.nytimes.com/2006/12/07/nyregion/07blocks.html?fta=y |archive-date=2016-04-15 |url-status=live}}</ref>、歩行者は時にはロープにつかまって移動する必要があるほどだった<ref>{{Cite news |title=Girding Against Return of the Windy City in Manhattan |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |url=https://www.nytimes.com/2004/03/25/nyregion/25blocks.html |date=2004-03-25 |last=Dunlap |first=David W. |accessdate=2017-02-23 |archive-url=https://web.archive.org/web/20150828144027/http://www.nytimes.com/2004/03/25/nyregion/25blocks.html |archive-date=2015-08-28 |url-status=live}}</ref>。約1,200万ドルが費やされた改修工事を経て1999年にトービン・プラザは再オープンした。改修により従来の[[大理石]]舗装がグレーとピンクの[[花崗岩]]による舗装に変更されたほか、新しいレストランやキオスク、ベンチやプランターなどが追加された<ref>{{cite web |url=http://www.panynj.gov/pr/71-99.html |title=World Trade Center Plaza Reopens with Summer-long Performing Arts Festival |accessdate=2019-08-29 |publisher=[[Port Authority of New York and New Jersey]] |date=1999-06-09 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081228084900/http://www.panynj.gov/pr/71-99.html |archivedate=2008-12-28}}</ref>。 |
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{{main|世界貿易センター爆破事件}} |
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=== 美術品 === |
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[[1993年]][[2月26日]]の正午過ぎ、反米テロリストの仕掛けた爆破物を満載したバンがタワー直下の地下駐車場で爆発、地下に居合わせた6人が死亡した。駐車場の火災により発生した煙が両タワーのエレベーターシャフトを伝わって全階に広がり、WTCは全館全員緊急退去という騒然とした状況に包まれたが、幸い人的被害は最小限にとどまった。 |
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港湾公社はワールドトレードセンターの建設にあたり、総建設費用の1%を[[パブリック・アート]]に使っていた<ref name="Economist">{{cite news |date=2001-10-11 |title=A museum in the sky |url=http://www.economist.com/node/814452 |work=The Economist |accessdate=2019-09-01 |archive-url=https://web.archive.org/web/20171113010618/http://www.economist.com/node/814452 |archive-date=2017-11-13 |url-status=live |df=ja}}</ref>。エントランスのロビーには[[ルイーズ・ネーベルソン]]、[[ジョアン・ミロ]]、[[ル・コルビュジエ]]らの大きな作品が、トービン・プラザの中心にはフリッツ・ケーニッヒの「[[ザ・スフィア]]」が、またその周辺には[[流政之]]の「雲の砦」、ジェームズ・ロザッティ (James Rosati) の「Ideogram」などが置かれていた。またWTC7建設後には[[アレクサンダー・カルダー]]の「スタビル」などが設置された。ビルの各[[テナント]]もおのおの美術[[コレクション]]を所有しており、1 WTCの上層階にあった証券会社キャンター・フィッツジェラルド(9.11テロで大多数の社員が死亡した)は[[オーギュスト・ロダン|ロダン]]の彫刻のコレクションで知られていたほか、[[バンク・オブ・アメリカ]]のオフィスには100点以上の現代美術作品があった<ref name="Economist"/>。美術品の多くは同時多発テロ事件によって失われたが、プラザに置かれていた「ザ・スフィア」は原型を保った状態で発見され、再度組み立てられたのち、テロの記念碑として[[バッテリー・パーク]]に移設された<ref>{{cite web |title=Fritz Koenig, sculptor whose art withstood 9/11 attack, dies |work=[[Associated Press]] |date=2017-02-24 |url=https://www.apnews.com/64f6ee0c1a454adf8062e79c213e9adb |accessdate=2019-09-09}}</ref><ref>{{cite web |title=Battered and Scarred, 'Sphere' Returns to 9/11 Site |work=[[New York Times]] |first=Sharon |last=Otterman |date=2017-11-29 |url=https://www.nytimes.com/2017/11/29/nyregion/911-memorial-sphere-sculpture.html|accessdate=2019-09-09}}</ref>。テロで失われた美術品の当時の総額は、各テナントのプライベート・コレクションが1億ドル、パブリックアートが1,000万ドル、合計で1.1億ドルとされる<ref name="Economist"/>。 |
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==911テロ以前の事件== |
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事件後の調査で、爆発はタワーの構造強度に微塵のダメージも及ぼしてはいなかったことが判明、またここで得られた数値をもとにシミュレーションを行った結果、仮に爆発規模が数倍のものであったとしてもタワーの構造強度に深刻な影響は及ぼさなかったことがわかった。このため、事件後セキュリティー面を徹底的に強化したWTCは2ヵ月半後には「最も安全なオフィス環境」として再オープンした。 |
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=== 1975年2月の火災 === |
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1975年2月13日の夜、北タワーの11階で大規模な火災が発生した。火は電話線の絶縁体を伝わって9階と14階にも燃え広がった。火元から遠いエリアはすぐさま鎮火され、11階の火元も数時間以内に鎮火された。駆けつけた消防隊員が軽傷を負った以外に人的被害はなかった<ref name="nyt 19750214"/>。大きなダメージを被った11階では、書類用キャビネットとオフィス機械用のオイルが火の燃料となっていた。耐火被覆が機能し、タワーに構造的ダメージは見られなかった。火が広がった9階と14階以外に、消火活動に使われた水によってダメージを受けたフロアもあった。当時のワールドトレードセンターには[[スプリンクラー設備]]が存在していなかった<ref name="nyt 19750214">{{Cite news |url=https://www.nytimes.com/1975/02/14/nyregion/14WTC.html |title=Trade Center Hit by 6-Floor Fire |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |date=1975-02-14 |accessdate=2008-09-11 |archive-url=https://web.archive.org/web/20080512074050/http://www.nytimes.com/1975/02/14/nyregion/14WTC.html |archive-date=2008-05-12 |url-status=dead}}</ref>。 |
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=== 1993年2月のテロ事件 === |
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{{main|世界貿易センター爆破事件}} |
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[[ファイル:September 17 2001 Ground Zero 01.jpg|right|thumb|200px|崩壊直後のWTC]] |
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[[ファイル:WTC 1993 ATF Commons.jpg|thumb|right|1993年の[[世界貿易センター爆破事件|爆破事件]]が起こった1 WTCの地下駐車場]] |
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{{main|アメリカ同時多発テロ事件}} |
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1993年2月26日午後0時17分、テロリスト([[ラムジ・ユセフ]])によって設置された、1,500ポンド(680kg)の爆発物を満載したトラックが、北タワーの地下駐車場で爆発した<ref name="reeve p10">{{cite book |last=Reeve |first=Simon |title=The new jackals : Ramzi Yousef, Osama Bin Laden and the future of terrorism |publisher=[[Northeastern University Press]] | publication-place=Boston |year=2002 |isbn=978-1-55553-509-4 |page=10}}</ref>。爆発によって地下駐車場のB1およびB2フロアが甚大な被害を受け、B3フロアも深刻な構造的ダメージを被った<ref>{{Cite book |title=Design, Construction, and Maintenance of Structural and Life Safety Systems (NCSTAR 1-1) |publisher=[[National Institute of Standards and Technology]] |pages=xlv |last=Lew |first=H.S. |author2=Richard W. Bukowski |author3=Nicholas J. Carino |date=2005-09}}</ref>。このテロ攻撃の結果、6人が死亡し、1,042人が負傷した(煙の吸引による負傷を含む)<ref>{{Cite news |url=http://www.newsweek.com/id/111113 |title=A Shaken City's Towering Inferno |last=Mathews |first=Tom |date=1993-03-08 |work=[[Newsweek]] |accessdate=2008-10-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20081030073528/http://www.newsweek.com/id/111113 |archive-date=2008-10-30 |url-status=live}}</ref><ref name="barbanel">{{Cite news |url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9F0CE5DC103DF934A15751C0A965958260&sec=&spon=&pagewanted=all |title=Tougher Code May Not Have Helped |last=Barbanel |first=Josh |date=1993-02-27 |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |accessdate=2008-11-20}}</ref>。駐車場の火災により発生した煙が両タワーのエレベーターシャフトを伝わって全階に広がり、WTCは全館全員緊急退去という騒然とした状況に包まれた。のちに、ラムジ・ヨセフと{{仮リンク|イヤード・イスマイール|en|Eyad Ismoil}}がテロの実行犯として有罪判決を受けたほか<ref>{{Cite news |url=http://articles.cnn.com/1997-11-12/us/9711_12_world.trade.center_1_yousef-and-ismoil-bombing-plot-worst-terrorist-attack?_s=PM:US |title=Jury convicts 2 in Trade Center blast |publisher=CNN |date=1997-11-12 |accessdate=2008-11-20 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100916042827/http://articles.cnn.com/1997-11-12/us/9711_12_world.trade.center_1_yousef-and-ismoil-bombing-plot-worst-terrorist-attack?_s=PM:US |archivedate=2010-09-16 |df=ja}}</ref>、[[オマル・アブドッラフマーン]]ら5人の人物がテロに関与したとして有罪となった<ref name=":1">{{Cite news2 |url=http://community.seattletimes.nwsource.com/archive/?date=19940525&slug=1912247 |title=In Sentencing Bombers, Judge Takes Hard Line |author1=Hays, Tom |date=1994-05-25 |work=[[Seattle Times]] / AP |accessdate=2008-11-20 |author2=Larry Neumeister |name-list-style=amp|archive-url=https://web.archive.org/web/20110626031815/http://community.seattletimes.nwsource.com/archive/?date=19940525&slug=1912247|archive-date=2011-06-26|url-status=live}}</ref><ref name=":0">{{Cite news |url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9D0DE4DF1E39F93BA25752C0A960958260 |archive-url=https://archive.is/20120526191515/http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9D0DE4DF1E39F93BA25752C0A960958260 |url-status=dead |archive-date=2012-05-26 |title=Sheik Sentenced to Life in Prison in Bombing Plot |date=1996-01-18 |last=Fried |first=Joseph P. |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |accessdate=2008-11-20}}</ref>。裁判では、テロの計画者らの狙いは北タワーの安定性を損なうことで南タワーに向かって倒れこむように仕向け、ツインタワー両棟を破壊することであったとされた<ref>{{Cite news |url=http://www.cnn.com/US/9708/05/wtc.trial/index.html |title=Prosecutor: Yousef aimed to topple Trade Center towers |date=1997-08-05 |publisher=CNN |accessdate=2008-11-20 |archive-url=https://web.archive.org/web/20081012085254/http://www.cnn.com/US/9708/05/wtc.trial/index.html |archive-date=2008-10-12 |url-status=live}}</ref>。 |
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爆発で吹き飛ばされた地下駐車場の床は北タワーを構造的に支持していたため、修復を行ってその機能を回復する必要があった<ref>{{cite web |url=http://www.interfire.org/res_file/pdf/Tr-076.pdf |format=PDF |title=The World Trade Center Complex |last=Port Authority Risk Management Staff |publisher=[[United States Fire Administration]] |accessdate=2007-05-15 |archive-url=https://web.archive.org/web/20070928113151/http://www.interfire.org/res_file/pdf/Tr-076.pdf |archive-date=2007-09-28 |url-status=live}}</ref>。地下駐車場のB5フロアにはWTCコンプレックス全体の空調を担う冷却設備が存在していたが、この設備も爆発で大きなダメージを受けた<ref name="ennala">{{Cite journal2 |df=ja|doi=10.1061/(ASCE)0887-3828(1994)8:4(229) |author1=Ramabhushanam, Ennala |author2=Marjorie Lynch |name-list-style=amp |title=Structural Assessment of Bomb Damage for World Trade Center |journal=Journal of Performance of Constructed Facilities |volume=8 |pages=229–242 |issue=4 |year=1994}}</ref>。爆発は[[自動火災報知設備|火災報知システム]]の配線や信号装置も破壊しており、コンプレックス全体で装置を交換する必要が生じた<ref>{{Cite book |url=http://wtc.nist.gov/pubs/NISTNCSTAR1-4.pdf |format=PDF |title=Active Fire Protection Systems (NCSTAR 1–4) |publisher=National Institute of Standards and Technology |page=44 |last=Evans |first=David D. |author2=Richard D. Peacock |author3=Erica D. Kuligowski |author4=W. Stuart Dols |author5=William L. Grosshandler |date=2005-09 |accessdate=2015-03-11 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110728081730/http://wtc.nist.gov/pubs/NISTNCSTAR1-4.pdf |archive-date=July 28, 2011 |url-status=dead |df=ja}}</ref>。 |
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[[2001年]][[9月11日]]の午前、イスラム系国際[[テロリズム|テロ]]組織[[アルカーイダ|アルカイダ]]実行犯がハイジャックした民間航空機二機が両タワーに次々に自爆突撃をした。 |
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このテロ事件のあと、港湾公社は非常階段に避難誘導用の[[フォトルミネセンス]]表示を追加したほか<ref>{{Cite journal |url=http://www.fpemag.com/archives/enewsletter.asp?i=16 |title=Escape from New York – The Use of Photoluminescent Pathway-marking Systems in High-Rise |last=Amy |first=James D., Jr. |publisher=[[Society of Fire Protection Engineers]] |journal=Emerging trends |date=2006-12 |volume=Issue 8 |accessdate=2008-11-20 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080117010033/http://www.fpemag.com/archives/enewsletter.asp?i=16 |archivedate=2008-01-17}}</ref>、犠牲者の名を刻んだ追悼のメモリアルをトービン・プラザに設置した<ref>{{Cite news |url=http://www.nytimes.com/2002/02/26/nyregion/their-monument-now-destroyed-1993-victims-are-remembered.html |archive-url=https://web.archive.org/web/20120914025508/http://www.nytimes.com/2002/02/26/nyregion/their-monument-now-destroyed-1993-victims-are-remembered.html |url-status=live |archive-date=2012-09-14 |title=Their Monument Now Destroyed, 1993 Victims Are Remembered |last=Dwyer |first=Jim |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |date=2002-02-26 |accessdate=2008-11-20}}</ref>。このメモリアルは2001年の同時多発テロによって破壊され失われた。1993年の事件による犠牲者の名前は、2001年のテロによる犠牲者の名前とともに[[ナショナル・セプテンバー11メモリアル&ミュージアム]]に記載されている<ref>{{cite web |title=Family members of 1993 World Trade Center terror attack victims gather on anniversary of bombing |website=[[New York Daily News]] |date=2018-02-13 |url=http://www.nydailynews.com/new-york/manhattan/remembering-victims-1993-world-trade-center-bombing-article-1.2983339 | accessdate=2018-02-25 | archive-url=https://web.archive.org/web/20180226211614/http://www.nydailynews.com/new-york/manhattan/remembering-victims-1993-world-trade-center-bombing-article-1.2983339 | archive-date=2018-02-26 | url-status=live |df=ja}}</ref>。 |
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航空機の燃料により火災が発生し、高熱で強度の低下した階層の鉄骨が座屈を起こし、それによる荷重が次々と下層に座屈の連鎖を起こしたことで極めて短時間で2つのタワーは崩壊した。鉄骨造のメリットを最大限に活かした構造であったが、高熱に弱いという鉄骨造の欠点を露呈した事件でもあった。 |
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=== 1998年1月の強盗事件 === |
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これによりテロリスト含む乗員・乗客・テナント・消防・警察など、あわせて2749人もの死亡者を出す惨事となり、ワールドトレードセンター・ツインタワーは崩壊した。また巨大なツインタワー両棟の崩壊の荷重と衝撃により、コンプレックスを形成する3~7WTCビルも崩壊した。 |
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1998年1月14日、[[マフィア]]の構成員であるラルフ・グアリーノ (Ralph Guarino) は、3人の共犯者とともに{{仮リンク|Brink's|en|Brink's}}の北タワー11階の銀行への現金輸送を待ち伏せして襲い、200万ドルを越える額の現金(ドル以外の通貨を含む)を奪った([[:w:1998 Bank of America robbery]])<ref name="mafia 2007">{{cite book |last=Reppetto |first=Thomas |title=Bringing down the mob : the war against the American Mafia |publisher=Henry Holt Melia distributor | publication-place=New York Godalming |year=2007 |isbn=978-0-8050-8659-1 |page=279}}</ref>。しかしその後、4人とも逮捕され、主犯のグアリーノはFBIの証人となった。彼の情報提供により、ニュージャージー州の{{仮リンク|デカヴァルカンテ一家|en|DeCavalcante crime family}}の幹部が多数逮捕・起訴され、組織に大打撃を与えた<ref>[http://www.organized-crime.de/revsmi03DeCavalcanteFamily.htm Made Men: The True Rise-and-Fall-Story of a New Jersey Mob Family]</ref>。 |
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==911テロ事件による破壊== |
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WTC建造物への被害は以下のとおり: |
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{{Main|アメリカ同時多発テロ事件}} |
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*1WTC:ノースタワー(110階) → 95階に[[アメリカン航空]]11便([[ボーイング767|ボーイング767-200]] N334AA)が直撃、完全崩壊 |
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[[File:UA Flight 175 hits WTC south tower 9-11 edit.jpeg|thumb|200px|[[アメリカ同時多発テロ事件]]でユナイテッド航空175便が2 WTCの南1側外壁に突入した瞬間]] |
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*2WTC:サウスタワー(110階) → 81階に[[ユナイテッド航空]]175便(ボーイング767-200 N612UA)が直撃、完全崩壊 |
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2001年9月11日午前8時46分、イスラム過激派テロリストにハイジャックされた[[アメリカン航空11便テロ事件|アメリカン航空11便]]が1 WTC(北タワー)の北側外壁、93〜99階に突入した<ref name="Moghadam">{{cite book|title=The Globalization of Martyrdom: Al Qaeda, Salafi Jihad, and the Diffusion of Suicide Attacks|last=Moghadam|first=Assaf|publisher=Johns Hopkins University|year=2008|isbn=978-0-8018-9055-0|page=48}}</ref>。その17分後の午前9時3分、同じくハイジャックされた[[ユナイテッド航空175便テロ事件|ユナイテッド航空175便]]が2 WTC(南タワー)の南側外壁、77〜85階に突入した<ref name="911commission">{{cite web |title=The 9/11 Commission Report |url=http://govinfo.library.unt.edu/911/report/911Report.pdf#page=302 |publisher=[[9/11 Commission|National Commission on Terrorist Attacks Upon the United States]] |date=2004-07-27 |accessdate=2015-09-29 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110208154444/http://govinfo.library.unt.edu/911/report/911Report.pdf#page=302 |archive-date=2011-02-08 |page=302|url-status=live}}</ref>。北タワーでは11便の衝突によってすべての非常階段が破壊されたが、南タワーでは175便が中心から逸れて衝突したため、1本の非常階段が使用可能な状態で残されていた<ref name="102Mins">{{cite news |archiveurl=https://webcitation.org/5bTftBx4s?url=http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9F00E6DC153BF935A15756C0A9649C8B63&sec=&spon=&pagewanted=4 |archivedate=2008-10-11 |last=Dwyer |first=Jim |author2=Lipton, Eric |title=102 Minutes: Last Words at the Trade Center; Fighting to Live as the Towers Die |url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9F00E6DC153BF935A15756C0A9649C8B63&sec=&spon=&pagewanted=4 |date=2002-05-26 |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |accessdate=2008-05-23 |display-authors=etal |deadurl=no |df=}}</ref><ref>{{cite book |last=National Commission on Terrorist Attacks |title=The 9/11 Commission Report (first edition) |publisher=W. W. Norton & Company |date=2004-07-22J |url=http://govinfo.library.unt.edu/911/report/911Report_Ch9.pdf |page=294 |isbn=978-0-393-32671-0 |accessdate=2014-01-24}}</ref>。 |
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*3WTC:マリオットホテル(22階) → 2WTC崩壊により半壊、1WTC崩壊でほぼ全壊 |
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[[File:World Trade Center 3 After 9-11 Attacks With Original Building Locations.jpg|thumb|200px|2001年9月17日撮影のWTC跡地]] |
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*4WTC:オフィスビル(9階) → 2WTC崩壊によりほぼ全壊 |
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午前9時59分、南タワーは約56分間炎上したあとに崩壊した{{sfnp|NIST NCSTAR 1|2005|pp=34, 45–46}}。航空機の衝突による構造的ダメージに加え、ジェット燃料が引き起こした火災の熱が構造部材の強度を著しく低下させたことが崩壊につながった{{sfnp|NIST NCSTAR 1|2005|pp=34, 45–46}}。10時28分、南タワーに続き、北タワーが約102分間炎上したあとに崩壊した{{sfnp|NIST NCSTAR 1|2005|pp=34, 45–46}}。17時21分、7 WTCビルが火災による構造ダメージによって崩壊した<ref name="ch5">{{cite web |url=http://www.fema.gov/pdf/library/fema403_ch5.pdf |title=FEMA 403 -World Trade Center Building Performance Study, Chapter. 5, section 5.5.4 |format=PDF |accessdate=2011-01-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20080305201707/http://www.fema.gov/pdf/library/fema403_ch5.pdf |archive-date=2008-03-05 |url-status=live}}</ref><ref>{{cite web |url=http://wtc.nist.gov/media/NIST_NCSTAR_1A_for_public_comment.pdf |title=Final Report on the Collapse of World Trade Center Building 7 – Draft for Public Comment |publisher=NIST |pages=xxxii |date=2008-08 |accessdate=2019-08-29 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080928013317/http://wtc.nist.gov/media/NIST_NCSTAR_1A_for_public_comment.pdf |archivedate=2008-09-28 |df=ja}}</ref>。3 WTCビル(マリオット・ワールドトレードセンター)はツインタワーの崩落に巻き込まれ崩壊した。プラザ周辺の3つのビル(4-6 WTC)はツインタワーからのデブリによって甚大な被害を受け、事件後に解体された<ref name="wtcstudy">{{cite web |url=http://www.fema.gov/rebuild/mat/wtcstudy.shtm |title=World Trade Center Building Performance Study |date=2002-05 |publisher=[[Federal Emergency Management Agency|FEMA]] |accessdate=2001-06-09 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110430200952/http://www.fema.gov/rebuild/mat/wtcstudy.shtm |archivedate=2011-04-30}}</ref>。ワールドトレードセンター跡地での救出作業や回収作業、がれきの除去が完了するまでには8か月を要した<ref>{{cite news |title=The Last Steel Column |url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9F02E4D71E3BF933A05756C0A9649C8B63 |archive-url=https://archive.is/20130130073734/http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9F02E4D71E3BF933A05756C0A9649C8B63 |url-status=dead |archive-date=2013-01-30 |newspaper=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |date=2022-05-30 |accessdate=2010-07-31}}</ref>。 |
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*5WTC:オフィスビル(9階) → 9階から3階まで両タワー崩壊によりほぼ全壊 |
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*6WTC:合衆国関税局/先物取引場(7階) → 両タワー崩壊によりほぼ全壊 |
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*7WTC:オフィスビル(47階) → テロ発生8時間後、12階部分の火災と両タワーの瓦礫により、12階の79番目の支柱が損壊したことにより、完全崩壊 |
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[[アメリカ国立標準技術研究所]](NIST)の推定によれば、テロ発生時のツインタワーには約17,400人が存在していた<ref>{{Cite book |last=Averill |first=Jason D. |url=http://wtc.nist.gov/NISTNCSTAR1-7.pdf |chapter=Occupant Behavior, Egress, and Emergency Communications |title=Final Reports of the Federal Building and Fire Investigation of the World Trade Center Disaster |publisher=National Institute of Standards and Technology (NIST) |year=2005|display-authors=etal|accessdate=2016-01-07|archive-url=https://web.archive.org/web/20090714130213/http://wtc.nist.gov/NISTNCSTAR1-7.pdf|archive-date=2009-07-14|url-status=dead |df=ja}}</ref>。ワールドトレードセンターとその周辺での民間人死者は2,192人(突入した旅客機の乗員乗客を除く)であり、中でも{{仮リンク|キャンター・フィッツジェラルド|en|Cantor Fitzgerald}}(北タワーの101〜105階に入居)と[[マーシュ・アンド・マクレナン]](北タワーの93〜101階に入居)、[[エーオン]](南タワーの92・98〜105階に入居)などの企業は多数の死者を出した<ref>{{Cite news |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/5282060.stm |title=Cantor rebuilds after 9/11 losses |work=BBC News |location=London |date=2006-09-04 |accessdate=2008-05-20 |archive-url=https://web.archive.org/web/20080407091157/http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/5282060.stm |archive-date=2008-04-07 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.investmentnews.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20070911/REG/70911011 |title=Industry honors fallen on 9/11 anniversary |work=InvestmentNews |last=Siegel |first=Aaron |date=2007-09-11 |accessdate=2008-05-20 |archive-url=https://web.archive.org/web/20070915130042/http://www.investmentnews.com/apps/pbcs.dll/article?AID=%2F20070911%2FREG%2F70911011 |archive-date=2007-09-15 |url-status=dead}}</ref>。南タワーに旅客機が衝突したポイントは北タワーに比べて低層であり、より多くフロアが影響を受けたにもかかわらず、南タワーにおける民間人死者は624人と(1,466人の民間人死者を出した北タワーに比べて)少なかった<ref name="NYTFatal">{{Cite news |last=Lipton |first=Eric |url=https://www.nytimes.com/2004/07/22/nyregion/study-maps-the-location-of-deaths-in-the-twin-towers.html |title=Study Maps the Location of Deaths in the Twin Towers |date=2004-07-22 |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |accessdate=2015-08-12 |archive-url=https://web.archive.org/web/20150528044535/http://www.nytimes.com/2004/07/22/nyregion/study-maps-the-location-of-deaths-in-the-twin-towers.html |archive-date=2015-05-28 |url-status=live}}</ref>。民間人死者のほかにも、現場に駆けつけたニューヨーク市消防局の消防士343人と、ニューヨーク市警察・港湾公社警察などの警察官71人がワールドトレードセンターで死亡した<ref>{{Cite news |first1=Denise |last1=Grady |first2=Andrew C. |last2=Revkin |title=Lung Ailments May Force 500 Firefighters Off Job |url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C05E1DC1631F933A2575AC0A9649C8B63 |date=2002-09-10 |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |accessdate=2008-05-23}}</ref><ref>{{Cite news |title=Post-9/11 report recommends police, fire response changes |url=https://www.usatoday.com/news/nation/2002-08-19-nypd-nyfd-report_x.htm |date=2002-08-19 |agency=Associated Press |newspaper=[[USA Today]] |location=Washington DC |accessdate=2008-05-23 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110820043759/http://www.usatoday.com/news/nation/2002-08-19-nypd-nyfd-report_x.htm |archive-date=2011-08-20 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite news |title=Police back on day-to-day beat after 9/11 nightmare |url=http://archives.cnn.com/2002/US/07/20/wtc.police/index.html |date=2002-07-21 |publisher=CNN |accessdate=2008-05-23 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080517155430/http://archives.cnn.com/2002/US/07/20/wtc.police/index.html |archivedate=2008-05-17}}</ref>。各タワーの崩壊時、内部には多数の民間人や消防士が存在していたが、生存してがれきから救出されたのは20人のみだった<ref>{{Cite news |url=http://m.rockymountainnews.com/news/2006/aug/04/terror-in-close-up/ |title=Terror in close-up |last=Denerstein |first=Robert |location=Denver, CO |date=2006-08-04 |newspaper=[[Rocky Mountain News]] |accessdate=2008-11-19 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130730120308/http://m.rockymountainnews.com/news/2006/aug/04/terror-in-close-up/ |archivedate=2013-07-30 |df=ja}}</ref>。 |
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==再建== |
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[[ファイル:SteelFrameCross.jpg|thumb|200px|鉄骨の十字架とWTC跡地]] |
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[[ファイル:May 28 2002 Ground Zero Cleanup 09.jpg|thumb|200px|right|行方不明者の捜索終了の式典([[2002年]][[5月28日]])]] |
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[[ファイル:WTC Building Arrangement in preliminary site plan.svg|thumb|right|200px|新ワールド・トレード・センターのビル配置図]] |
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跡地は[[2001年]]の暮れに公開され、残骸撤去と行方不明者と遺体の捜索が続く中、周囲は祈りの場となった。跡地から見つけられた十字架状の鉄骨は崩壊跡地にたてられており、「鉄骨の十字架」と呼ばれている。 |
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== 新ワールドトレードセンターの建設 == |
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9/11で膨大な床面積のオフィス物件を失い、市内からの企業流出を恐れるニューヨーク市などはローワー・マンハッタン再開発会社を設立、ここにWTCを再建する計画がスタートした。しかし再開発にあたっては遺族感情もあるため、誰もが慎重にならざるを得なかった。当初案はオフィス再建一辺倒だったため遺族の反発を買い、世界の建築家を招いた[[建築設計競技|コンペ]]を経て、[[ダニエル・リベスキンド]]の「メモリー・ファウンデーション」と題する案が1等となり採用された。ポーランド生まれドイツ在住のリベスキンドは[[ベルリン・ユダヤ博物館]]に代表される祈念モニュメントの設計に実績があり、今回も尖塔までの高さ1776フィート(541m、アメリカ独立の[[1776年]]にちなむ、ただし建物部分は70階建)の自由の女神を模した[[1 ワールドトレードセンター|フリーダム・タワー]]がそのデザインの中核を占めていた。またツインタワーのあった場所は慰霊の場とし、その周囲を[[ストーンヘンジ]]のように囲む5つの高層ビル群は、毎年9月11日の朝の旅客機衝突時刻からビル崩壊時刻までの間、タワー跡地には影を落とさないように配置されていた。 |
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[[ファイル:One_World_Trade_Center_May_2015.jpg|thumb|right|200px|新WTCの中心的施設である[[ワン・ワールド・トレード・センター]](2015年5月)]] |
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[[ファイル:WTC Building Arrangement in preliminary site plan.svg|thumb|right|200px|新WTCのビル配置図]] |
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ワールドトレードセンターの再建についての議論はテロによる破壊の直後から始まった。2001年11月には再建プロセスの監督を目的とする「{{ill2|ロウアー・マンハッタン開発公社|en|Lower Manhattan Development Corporation}}(LMDC)」が設立された<ref>{{cite news |last=Pérez-Peña |first=Richard |title=A Nation Challenged; Downtown; State Plans Rebuilding Agency, Perhaps Led by Giuliani |url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=950DEFD81639F930A35752C1A9679C8B63 |newspaper=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |date=2001-11-03 |accessdate=2010-07-31}}</ref>。LMDCは[[敷地計画|用地計画]]や建築デザインを選定するのための[[コンペティション|コンペ]]を実施し<ref>{{cite news |title=Up From The Ashes |publisher=Newsweek |date=2001-11-12 |last=McGuigan |first=Cathleen}}</ref>、その結果[[ダニエル・リベスキンド]]による「{{ill2|メモリー・ファウンデーション|en|Memory Foundations}}」と題する設計案がマスタープラン(基本計画)として採用された<ref>{{cite web |url=http://www.renewnyc.com/plan_des_dev/wtc_site/new_design_plans/Sept_2003_refined_design.asp |title=Refined Master Site Plan for the World Trade Center Site |work=[[Lower Manhattan Development Corporation]] |accessdate=2014-05-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140416100733/http://www.renewnyc.com/plan_des_dev/wtc_site/new_design_plans/Sept_2003_refined_design.asp |archivedate=2014-04-16 |url-status=dead}}</ref>。リベスキンドは[[ベルリン・ユダヤ博物館]]に代表される祈念モニュメントの設計に実績があり、今回も尖塔までの高さ1,776フィート(541m、アメリカ独立の[[1776年]]にちなむ、ただし建物部分は70階建)の自由の女神を模した[[1 ワールドトレードセンター|フリーダム・タワー]]がそのデザインの中核を占めていた。またツインタワーのあった場所は慰霊の場とし、その周囲を[[ストーンヘンジ]]のように囲む5つの高層ビル群は、毎年9月11日の朝の旅客機衝突時刻からビル崩壊時刻までの間、タワー跡地には影を落とさないように配置されていた。しかし最終的に、リベスキンドの案には大幅な変更が加えられることとなった<ref>{{cite news |url=http://cityroom.blogs.nytimes.com/2012/06/12/1-world-trade-center-is-a-growing-presence-and-a-changed-one/ |title=1 World Trade Center Is a Growing Presence, and a Changed One |first=David W. |last=Dunlap |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |date=2012-06-12 |accessdate=2012-12-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151027062933/http://cityroom.blogs.nytimes.com/2012/06/12/1-world-trade-center-is-a-growing-presence-and-a-changed-one/ |archivedate=2015-10-27 |url-status=dead}}</ref>。 |
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港湾公社は9.11テロ直前の[[2001年]]7月、ニューヨークの不動産開発業者[[ラリー・シルバースタイン]]にWTCを長期リースする契約を交わしており、その結果シルバースタインが事実上の再建施工主となったため、事態は複雑な様相を呈するに至った。商業価値を優先するシルバースタインはモニュメントとしての性格が強いリベスキンド案を嫌い、[[スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル|SOM]]のデイヴィッド・チャイルズを参加させて設計に大幅な変更を加えたため、リベスキンドとの間で訴訟沙汰となった<ref>シルバースタインはテロ被害による[[保険]]金支払額をめぐっても、テロを1回と数えるか、飛行機の衝突回数から2回と数えるかで訴訟を起こし勝訴している。</ref>。 両者は和解し、新たにリベスキンド・チャイルズ折衷案が公表されたものの、今度は警察当局や米国本土安全保障省などから保安上の設計変更が求められ、さらに港湾公社やこれを管轄するニューヨーク・ニュージャージー両州議会などの意向も加わり、設計変更が繰り返され、フリーダム・タワーも自由の女神のデザインは特に取り入れないこととなった。 |
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[[2002年]]5月いっぱいで残骸は |
[[2002年]]5月いっぱいで残骸はすべて撤去され、遺体の捜索も合わせて打ち切られた。以後、新ワールドトレードセンターや地下鉄の再建が始まり、その第一歩として、新7WTCが[[2006年]]に竣工、WTC全体の再建事業完成は当初は[[2010年代]]前半となる予定であったが、[[リーマンショック]]などの経済的な諸事情により大幅に遅れている。なお再建後の名称は従来どおり「ワールドトレードセンター」とされた。 |
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新ワールドトレードセンターの構成は以下のとおり。{{仮リンク|6 ワールドトレードセンター|label=6 ワールドトレードセンター|en|Six_World_Trade_Center}}にあたる建物は計画されておらず、欠番となっている。 |
新ワールドトレードセンターの構成は以下のとおり。{{仮リンク|6 ワールドトレードセンター|label=6 ワールドトレードセンター|en|Six_World_Trade_Center}}にあたる建物は計画されておらず、欠番となっている。 |
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*[[ |
*[[ワン・ワールド・トレード・センター]](WTCタワー1): 高さ541.3m、[[スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル|SOM]]の{{仮リンク|デイヴィッド・チャイルズ (建築家)|en|David Childs|label=デイヴィッド・チャイルズ}}設計([[2014年]][[11月3日]]竣工) |
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*[[2 ワールドトレードセンター]](WTCタワー2): 高さ411m、[[ノーマン・フォスター]]設計 |
*[[2 ワールドトレードセンター]](WTCタワー2): 高さ411m、[[ノーマン・フォスター]]設計(未定) |
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*[[3 ワールドトレードセンター]](WTCタワー3): 高さ378m、[[リチャード・ロジャース (建築家)|リチャード・ロジャース]]設計([[2018年]][[6月11日]]竣工) |
*[[3 ワールドトレードセンター]](WTCタワー3): 高さ378m、[[リチャード・ロジャース (建築家)|リチャード・ロジャース]]設計([[2018年]][[6月11日]]竣工) |
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*[[4 ワールドトレードセンター]](WTCタワー4): 高さ297m、[[槇文彦]]設計([[2013年]][[11月13日]]竣工) |
*[[4 ワールドトレードセンター]](WTCタワー4): 高さ297m、[[槇文彦]]設計([[2013年]][[11月13日]]竣工) |
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*[[5 ワールドトレードセンター]](WTCタワー5): 高さ226m、[[コーン・ペダーセン・フォックス]]設計 |
*[[5 ワールドトレードセンター]](WTCタワー5): 高さ226m、[[コーン・ペダーセン・フォックス]]設計(2029年完成予定) |
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*[[7 ワールドトレードセンター]](WTCタワー7): 高さ226m、[[スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル|SOM]]の{{仮リンク|デイヴィッド・チャイルズ (建築家)|en|David Childs|label=デイヴィッド・チャイルズ}}設計([[2006年]][[5月23日]]竣工) |
*[[7 ワールドトレードセンター]](WTCタワー7): 高さ226m、[[スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル|SOM]]の{{仮リンク|デイヴィッド・チャイルズ (建築家)|en|David Childs|label=デイヴィッド・チャイルズ}}設計([[2006年]][[5月23日]]竣工) |
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*[[ワールド・トレード・センター駅 (パストレイン)#ワールド・トレード・センター・トランスポーテーション・ハブ|トランスポーテーション・ハブ]]([[パストレイン|PATH]]新ターミナル |
*[[ワールド・トレード・センター駅 (パストレイン)#ワールド・トレード・センター・トランスポーテーション・ハブ|トランスポーテーション・ハブ]]([[パストレイン|PATH]]新ターミナル): [[サンティアゴ・カラトラヴァ]]設計([[2016年]]オープン) |
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*{{仮リンク|ウエストフィールド・ワールド・トレード・センター|label=ウエストフィールド・ワールド・トレード・センター|en|Westfield World Trade Center}}:([[2016年]][[8月16日]]オープン) |
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*[[国立9.11記念碑・博物館]] ([[:en:National September 11 Memorial & Museum|en]]) :[[2011年]][[9月11日]]博物館オープン、[[9月12日]]記念碑オープン。博物館は[[2014年]][[5月21日]]オープン。 |
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*[[国立9.11記念碑・博物館]] :[[2011年]][[9月11日]]博物館オープン(第1期)、[[9月12日]]記念碑オープン。博物館は[[2014年]][[5月21日]]オープン(第2期) |
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**リフレクティング・アブセンス (Reflecting Absence、不在の反映): ツインタワーが立っていた部分に創られる祈念施設(上述の記念碑)。 |
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*{{仮リンク|リバティ・パーク|label=リバティ・パーク|en|Liberty Park (Manhattan)}}:[[2016年]][[6月29日]]開園 |
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*{{仮リンク|パフォーミング・アーツ・センター|label=芸術交流センター|en|Performing Arts Center (Manhattan)}}:[[ |
*{{仮リンク|パフォーミング・アーツ・センター|label=芸術交流センター|en|Performing Arts Center (Manhattan)}}:[[2023年]][[9月13日]]オープン) |
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*[[聖ニコラス聖堂 (マンハッタン)|聖ニコラス聖堂]]([[2022年]][[12月6日]]オープン) |
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*[[インターナショナル・フリーダム・センター]] ([[:en:International freedom center|en]]) |
*[[インターナショナル・フリーダム・センター]] ([[:en:International freedom center|en]]) |
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:文化施設。9/11テロの記録のほか、[[インディアン]]を始めとする[[アメリカ先住民]]への圧迫やアフリカ[[黒人]]に対する[[奴隷貿易]]など |
:文化施設。9/11テロの記録のほか、[[インディアン]]を始めとする[[アメリカ先住民]]への圧迫やアフリカ[[黒人]]に対する[[奴隷貿易]]などの歴史を併せて展示する計画となっていたが、この施設を9/11テロ犠牲者への祈念モニュメントとしたい遺族などからは根強い批判の声が上がり計画は事実上頓挫した。 |
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== 文化的影響 == |
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[[2001年]]の9.11テロの発生以前、ワールドトレードセンターのツインタワーはニューヨーク市のシンボルであり<ref name=BI/>、映画やテレビドラマの中ではニューヨーク自体を示す「[[エスタブリッシング・ショット]]」として使われていた{{sfnp|Langmead|2009|p=353}}。2006年の推定では、ワールドトレードセンターが何らかの形で登場する映画は472本にのぼるとされた{{sfnp|Langmead|2009|p=353}}。映画以外にも、数多くのテレビ番組、テレビゲーム、ミュージックビデオなどにワールドトレードセンターが登場していた{{sfnp|Langmead|2009|p=354}}。とある記者は1999年、「ニューヨークのガイドブックはほぼ間違いなく、ツインタワーを観光名所のトップ10に挙げている」と述べた{{sfn|Gillespie|1999|p=162}}。 |
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[[File:Kasparov-10.jpg|thumb|2 WTCの107階で開催された1995年[[プロチェス協会|PCA]]世界チェス選手権で対戦する[[ガルリ・カスパロフ|カスパロフ]]と[[ヴィスワナータン・アーナンド|アーナンド]]]] |
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ワールドトレードセンターは世間の耳目を集める出来事の舞台ともなった。特にフランスの大道芸人[[フィリップ・プティ]]が1974年にツインタワーの屋上に登り、2つのタワーの間で綱渡りを行ったことは有名となり{{sfnp|Glanz|Lipton|2003|p=219}}、この出来事を題材にした絵本『[[綱渡りの男 (絵本)|綱渡りの男]]』が2003年に<ref>{{Cite web |title=綱渡りの男 (For you絵本コレクション「Y.A.」) {{!}} NDLサーチ {{!}} 国立国会図書館 |url=https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007890531 |website=国立国会図書館サーチ(NDLサーチ) |access-date=2024-09-20 |language=ja}}</ref>、ドキュメンタリー映画『[[マン・オン・ワイヤー]]』が2008年に<ref>{{cite news |title=Wire-walk film omits 9/11 tragedy |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/7498364.stm |publisher=BBC News |date=2008-08-02|accessdate=2018-02-28|archive-url=https://web.archive.org/web/20180721193041/http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/7498364.stm|archive-date=2018-07-21|url-status=live}}</ref>、伝記映画『[[ザ・ウォーク]]』が2015年に公開された<ref>{{cite news |last=McNarry |first=Dave |title=Joseph Gordon-Levitt's 'The Walk' Running Early at Imax Locations |url=https://variety.com/2015/film/news/joseph-gordon-levitt-the-walk-imax-1201528806/ |magazine=[[Variety (magazine)|Variety]] |publisher=([[Penske Media Corporation]]) |date=2015-06-25 |accessdate=2015-06-26|archive-url=https://web.archive.org/web/20150626193820/http://variety.com/2015/film/news/joseph-gordon-levitt-the-walk-imax-1201528806/|archive-date=2015-06-26|url-status=live}}</ref>。プティは2つのタワーの間に張られた鋼鉄製ケーブルの上を、8度にわたって横断することに成功した<ref>{{cite news |url=http://www.thedailybeast.com/newsweek/2008/07/18/he-had-new-york-at-his-feet.html |title=He Had New York At His Feet |accessdate=2015-03-11 |url-status=dead |work=The Daily Beast |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130901032007/http://www.thedailybeast.com/newsweek/2008/07/18/he-had-new-york-at-his-feet.html |archivedate=2013-09-01}}</ref>{{sfnp|Glanz|Lipton|2003|p=219}}。1975年7月、[[オーウェン・クイン]]が警備をかいくぐって北タワーの屋上にたどり着き、飛び降りて600フィート(180m)自由落下したあと、パラシュートを開いてプラザに無事着地した{{sfn|Gillespie|1999|pages=142–143}}。1977年5月、アマチュア登山家の{{仮リンク|ジョージ・ウィリッグ|en|George Willig}}が突如として南タワーの外壁を登り始め、登頂を成功させた{{sfn|Gillespie|1999|p=149}}{{sfnp|Glanz|Lipton|2003|p=218}}。1995年には、南タワーの107階で[[プロチェス協会|PCA]]世界チェス選手権が開催され、[[ガルリ・カスパロフ]]と[[ヴィスワナータン・アーナンド]]が対戦した<ref>{{Cite news |url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=990CE3DA1230F93AA2575AC0A963958260 |last=Byrne |first=Robert |title=Kasparov Gets Pressure, but No Victory |work=The New York Times |language=en-US |issn=0362-4331 |accessdate=2008-11-21 |date=1995-09-19}}</ref>。 |
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9.11テロの発生を受けて、一部の映画やテレビ番組はワールドトレードセンターを舞台とするシーンやエピソードを作品から削除した<ref name="EW.com 2013">{{cite news |last=Bahr |first=Lindsay |title=Television's uneasy relationship with the World Trade Center |url=http://ew.com/article/2013/01/21/televisions-uneasy-relationship-with-the-world-trade-center/ |magazine=[[Entertainment Weekly]] |date=2013-01-21|accessdate=2018-02-23|archive-url=https://web.archive.org/web/20180226153248/http://ew.com/article/2013/01/21/televisions-uneasy-relationship-with-the-world-trade-center/|archive-date=2018-02-26|url-status=live}}</ref><ref>{{cite news |last=Lemire |first=Christy |title=Twin towers erased from some films after 9/11 |url=http://www.today.com/id/44206574/ns/today-today_entertainment/t/twin-towers-erased-some-films-after/ |publisher=[[NBC News]] |website=Today.com |date=2011-09-13|accessdate=2018-11-09 |language=en|archive-url=https://web.archive.org/web/20181109133908/http://www.today.com/id/44206574/ns/today-today_entertainment/t/twin-towers-erased-some-films-after/|archive-date=2018-11-09|url-status=dead}}</ref>{{sfnp|Dixon|2004|p=4}}。9.11テロの満1年を迎えた時点で、60本以上の「追悼映画 (memorial films) 」が制作されていた{{sfnp|Dixon|2004|p=5}}。[[オリバー・ストーン]]の監督による、テロ攻撃にさらされたワールドトレードセンターを舞台にした初の映画『[[ワールド・トレード・センター (映画)|ワールド・トレード・センター]]』は2006年に公開された{{sfnp|Langmead|2009|p=355}}。 |
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== ギャラリー == |
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ファイル:WTC antes9-11.jpg|ワールドトレードセンター・ツインタワー |
ファイル:WTC antes9-11.jpg|ワールドトレードセンター・ツインタワー |
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ファイル:USS McFaul (DDG-74) New York Harbor.jpg|[[ニューヨーク港|NY港]]から見たツインタワー |
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ファイル:NYC Skyline.jpg|ハドソン川から見たツインタワー |
ファイル:NYC Skyline.jpg|ハドソン川から見たツインタワー |
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ファイル:Wtc-2004-memorial.jpg|光のツインタワー |
ファイル:Wtc-2004-memorial.jpg|光のツインタワー |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
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* {{Citation2 |language=en |last=Cudahy |first=Brian J. |date=2002 |edition=2nd |title=Rails Under the Mighty Hudson |location=New York |publisher={{仮リンク|フォーダム大学出版局|en|Fordham University Press|label=Fordham University Press}} |isbn=978-0-82890-257-1 |oclc=911046235}} |
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* {{Cite book |last=Darton |first=Eric |title=Divided we stand : a biography of New York's World Trade Center |publisher=[[Basic Books]] |publication-place=New York |year=1999 |isbn=978-0-465-01727-0 |ref=harv|和書}} |
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* {{cite book |last=Dixon |first=W.W. |title=Film and Television After 9/11 |publisher=[[Southern Illinois University Press]] |year=2004 |isbn=978-0-8093-2556-6 |url=https://books.google.com/books?id=fglL9l5knt8C |ref=harv|和書}} |
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* {{Cite book |last=Gillespie |first=Angus K. |title=Twin Towers: The Life of New York City's World Trade Center |publisher=[[Rutgers University Press]] |year=1999 |isbn=978-0-8135-2742-0 |url=https://books.google.com/books?id=6iJUAAAAMAAJ |ref=harv|和書}} |
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* {{Cite book2 |last1=Glanz |first=James |first2=Eric |last2=Lipton |name-list-style=amp |title=City in the Sky |publisher=[[Times Books]] |year=2003 |isbn=978-0-8050-7691-2 }} |
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* {{cite book |last=Goldberger |first=Paul |title=Up from Zero: Politics, Architecture, and the Rebuilding of New York |publisher=Random House Publishing Group |year=2004 |isbn=978-1-58836-422-7 |url=https://books.google.com/books?id=neNnbSyo76UC |ref=harv|和書}} |
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* {{cite book |last=Langmead |first=Donald |title=Icons of American Architecture: From the Alamo to the World Trade Center |publisher=[[Greenwood Publishing Group|Greenwood]] |series=Greenwood icons |year=2009 |isbn=978-0-313-34207-3 |url=https://books.google.com/books?id=OTh8b2cyGBcC&pg=PA553 |accessdate=2018-03-01 |ref=harv|和書}} |
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* {{cite book |author1=William Baker |author2=Johnathan Barnett |author3=Christopher Marrion |author4=Ronald Hamburger |author5=James Milke |author6=Harold Nelson |chapter=Chapter 2. WTC 1 and WTC 2 |publisher=[[アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁]] |format=PDF |date=2002-03 |title=World Trade Center Building Performance Study |url=https://www.fema.gov/media-library-data/20130726-1512-20490-9168/403_ch2.pdf |ref={{harvid|FEMA-Ch2|2002}}|和書}} |
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* {{Cite book |last=Fanella |first=David A. |first2=Arnaldo T. |last2=Derecho |first3=S.K. |last3=Ghosh |url=http://wtc.nist.gov/pubs/NISTNCSTAR1-1A.pdf |title=Design and Construction of Structural Systems (NIST NCSTAR 1-1A) |publisher=[[アメリカ国立標準技術研究所]] (NIST) |series=Federal Building and Fire Safety Investigation of the World Trade Center |date=2005-09 |format=PDF |ref={{harvid|NIST NCSTAR 1-1A|2005}}|和書}} |
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* {{Cite book |last=Lew |first=Hai S. |first2=Richard W. |last2=Bukowski |first3=Nicholas J. |last3=Carino |url=http://wtc.nist.gov/pubs/NISTNCSTAR1-1.pdf |title=Design, Construction, and Maintenance of Structural and Life Safety Systems (NIST NCSTAR 1-1) |series=Federal Building and Fire Safety Investigation of the World Trade Center Disaster |publisher=アメリカ国立標準技術研究所 (NIST) |format=PDF |date=2005-09 |ref={{harvid|NIST NCSTAR 1-1|2005}}|和書}} |
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* {{Cite book |last1=Gross |first1=John L. |last2=McAllister |first2=Therese P. |url=http://wtc.nist.gov/NCSTAR1/PDF/NCSTAR%201-6.pdf |format=PDF |title=Structural Fire Response and Probable Collapse Sequence of the World Trade Center Towers (NIST NCSTAR 1–6) |series=Federal Building and Fire Safety Investigation of the World Trade Center Disaster |publisher=アメリカ国立標準技術研究所 (NIST) |date=2005-09 |ref={{harvid|NIST NCSTAR 1-6|2005}}|和書}} |
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* {{Cite book |author1=Sivaraj Shyam-Sunder |author2=Richard G. Gann |author3=William L. Grosshandler |author4=Hai S. Lew |author5=Richard W. Bukowski |author6=Fahim Sadek |author7=Frank W. Gayle |author8=John L. Gross |author9=Therese P. McAllister |author10=Jason D. Averill |author11=James R. Lawson |author12=Harold E. Nelson |author13=Stephen A. Cauffman |title=Final Report of the National Construction Safety Team on the Collapses of the World Trade Center Tower (NIST NCSTAR 1) |url=http://ws680.nist.gov/publication/get_pdf.cfm?pub_id=909017 |series=Federal Building and Fire Safety Investigation of the World Trade Center Disaster |publisher=アメリカ国立標準技術研究所 (NIST) |format=PDF |date=2005-09 |ref={{harvid|NIST NCSTAR 1|2005}}|和書}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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{{関連項目過剰|date=2018年7月}} |
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{{Commons|World Trade Center|ワールドトレードセンター}} |
{{Commons|World Trade Center|ワールドトレードセンター}} |
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* [[アメリカ同時多発テロ事件]] |
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* [[世界貿易センター爆破事件|1993年世界貿易センター爆破事件]] |
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* [[1 ワールドトレードセンター]] |
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* [[ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社]] |
* [[ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社]] |
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* [[ワールド・トレード・センター (映画)]] |
* [[ワールド・トレード・センター (映画)]] |
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* [[フィリップ・プティ]] - [[綱渡り]]の[[大道芸人]]、[[1974年]][[8月7日]]にワールドトレードセンターを綱渡りをしてニューヨークの市民を驚かせた。 |
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* [[東武ワールドスクウェア]] - 開業時よりアメリカの街並みを再現した「アメリカ・ゾーン」にてWTCの模型が置かれている。 |
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* [[ブラックビスケッツ]] - 「[[Timing (曲)|Timing]]」のPV撮影がツインタワー南側の屋上展望台で行われた。 |
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* [[キングコング (1976年の映画)]] |
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* [[トヨタ・ウィンダム]] (MCV30) - カタログにもWTCの写真と写っているものがあったが同時多発テロにより、モデルチェンジしてから1ヶ月で差し替えられた。 |
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* [[ニューヨーク1997]](1987年の映画) - 主人公の[[スネーク・プリスキン]]がグライダーで屋上部分に着陸する。 |
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* [[アルマゲドン (映画) ]](1998年のアメリカ映画) - [[隕石]]により一方のビルの上部が破壊されるシーンがある。 |
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== 脚注 == |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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*[https://web.archive.org/web/20010413023920/http://www.panynj.gov/wtc/wtcfram.HTM 公式ウェブサイト(2001年4月)] |
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*[https://web.archive.org/web/20010616154948/http://www.wtc-top.com/experience.html WTCホームページ(2001年6月)] |
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*[http://www.greatbuildings.com/cgi-bin/gbi.cgi/World_Trade_Center_Images.html/cid_wtc_mya_WTC_groundbrea.gbi 基礎工事中のバスタブの中で宙に浮いたパストレインのトンネル] |
*[http://www.greatbuildings.com/cgi-bin/gbi.cgi/World_Trade_Center_Images.html/cid_wtc_mya_WTC_groundbrea.gbi 基礎工事中のバスタブの中で宙に浮いたパストレインのトンネル] |
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*[http://www.greatbuildings.com/cgi-bin/gbi.cgi/World_Trade_Center_Images.html/cid_wtc_mya_WTC_const.1.gbi センターコラムの四隅に取りつけられた「カンガルー・クレーン」] |
*[http://www.greatbuildings.com/cgi-bin/gbi.cgi/World_Trade_Center_Images.html/cid_wtc_mya_WTC_const.1.gbi センターコラムの四隅に取りつけられた「カンガルー・クレーン」] |
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*[http://www.greatbuildings.com/cgi-bin/gbi.cgi/World_Trade_Center_Images.html/cid_wtc_mya_WTC_const.2.gbi 外壁支柱に囲まれたセンターコラム。チューブ構造がよく分かる。] |
*[http://www.greatbuildings.com/cgi-bin/gbi.cgi/World_Trade_Center_Images.html/cid_wtc_mya_WTC_const.2.gbi 外壁支柱に囲まれたセンターコラム。チューブ構造がよく分かる。] |
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*[http://www.pbs.org/wgbh/amex/newyork/sfeature/sf_gallery_01.html 建設中のツインタワー] |
*[http://www.pbs.org/wgbh/amex/newyork/sfeature/sf_gallery_01.html 建設中のツインタワー]{{リンク切れ|date=2022年3月}} |
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*[https://web.archive.org/web/20060901084026/http://www.coolcinematrash.com/movies/kingKong.htm ツインタワーのお披露目ともなったパラマウント映画『キングコング (1976)』] {{en icon}} |
*[https://web.archive.org/web/20060901084026/http://www.coolcinematrash.com/movies/kingKong.htm ツインタワーのお披露目ともなったパラマウント映画『キングコング (1976)』] {{en icon}} |
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*[http://www.pbs.org/wgbh/amex/newyork/index.html WTCについてのドキュメンタリー] {{en icon}} |
*[https://web.archive.org/web/20161129184500/http://www.pbs.org/wgbh/amex/newyork/index.html WTCについてのドキュメンタリー] {{en icon}} |
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*yahoo - http://www.wmasr.com/ |
*yahoo - http://www.wmasr.com/{{リンク切れ|date=2022年3月}} |
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*[http://www.panynj.gov ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社] {{en icon}} |
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*[http://www.renewnyc.com ローワー・マンハッタン開発公社] {{en icon}} |
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2024年11月20日 (水) 19:32時点における最新版
ワールドトレードセンター ツインタワー[注 1] 英: World Trade Center | |
---|---|
施設情報 | |
所在地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市 |
座標 | 北緯40度42分42秒 西経74度0分49秒 / 北緯40.71167度 西経74.01361度座標: 北緯40度42分42秒 西経74度0分49秒 / 北緯40.71167度 西経74.01361度 |
状態 | 崩壊 |
着工 | |
建設期間 | 1966年 - 1973年 |
竣工 | |
開業 | 1973年4月4日 |
崩落 | 2001年9月11日(テロ事件での旅客機突入による崩壊) |
用途 | オフィス[注 2] |
地上高 | |
最頂部 | 527m(1 WTC屋上のアンテナ)[1] |
屋上 |
1 WTC - 417m 2 WTC - 415m[1] |
最上階 | 411m(110階) |
各種諸元 | |
階数 | 110階 |
エレベーター数 |
198基 (両タワーの合計数。貨物用エレベーターを含む)[2][3] |
関連企業 | |
設計 | ミノル・ヤマサキ |
高さに関する記録 | |
1970年から1973年まで世界で最も高い建築物 | |
先代 | エンパイア・ステート・ビルディング |
次代 | シアーズ・タワー |
1970年から1973年までアメリカ合衆国で最も高い建築物 | |
先代 | エンパイア・ステート・ビルディング |
次代 | シアーズ・タワー |
ワールドトレードセンター、世界貿易センター(英語: World Trade Center, WTC)は、かつてアメリカ合衆国のニューヨーク市マンハッタン区のローワー・マンハッタンに位置していた高層ビルの集合体である。
ツインタワーと呼ばれる2棟の110階建てオフィスビルを中核に、計7棟のビルで構成されていた。1973年4月4日にオープンし、2001年9月11日に破壊されるまで存在していた。ツインタワー(1 WTCおよび2 WTC)は完成時に世界一の高さを誇り、2棟の巨大な直方体が並び立つ姿はニューヨーク市やマンハッタンのシンボルとなっていた。建設および経営にはニューヨーク・ニュージャージー港湾公社があたっていた。
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件(9.11テロ事件)の標的の一つとなり、最終的にツインタワーが崩壊し、それに巻き込まれる形で残る5つのビルも半壊または全壊したことで壊滅状態に陥った。現在は跡地に1 ワールドトレードセンターをはじめとした6つの超高層ビルと9.11テロ事件の追悼施設などからなる新WTCが開業している。
起源
[編集]ワールドトレードセンターの敷地には、1921年から1966年まで「ラジオ・ロウ」と呼ばれる電気部品街が存在していた。1921年にハリー・シュネック (Harry Schneck) がコートランド・ストリートに「シティ・ラジオ」という店をオープンしたのを皮切りに、最終的にこの地には数ブロックにわたって広がる電気部品店の街が形成された。とあるビジネス記者によると、ラジオ・ロウは電子部品流通事業の起源であった[4]。
1939年、ニューヨーク万国博覧会の中で、「World Peace through Trade(貿易を通じての世界平和)」をテーマに「ワールドトレードセンター」と名付けられたパビリオンが設置された[5][6]。第二次世界大戦終結後の1946年、ローワー・マンハッタンに世界的な貿易センターを建設する提案がニューヨーク州議会によって承認され、当時のニューヨーク州知事トマス・E・デューイが建設計画の立案に乗り出したが[7]、1949年になるとこのプロジェクトは頓挫した[8]。
1959年、ミッドタウンの繁栄の影で経済的に停滞していたロウアー・マンハッタン地区の再興を望んでいたデイヴィッド・ロックフェラーは、「ダウンタウン・ロウアー・マンハッタン協会 (Downtown Lower Manhattan Association)」を設立し、いったんは頓挫した世界的な貿易センターの建設プロジェクトを復活させた[5][9]。この計画を実現するため、ロックフェラーはニューヨーク港湾公社[注 3]に協力を要請した[5][9]。
ニューヨーク港湾公社のエグゼクティブ・ディレクターであるオースティン・トービンはロックフェラーの計画を支持し、貿易センターの建設プロジェクトを強力に推進した[6]。トービンは、このプロジェクトで建設されるものは単なる「世界的な貿易センター (world trade center)」ではなく、「ザ・ワールドトレードセンター (the World Trade Center)」という唯一無二の存在であるべきだと述べた[10]。1962年1月までに、トービンはニューヨーク州・ニュージャージー州の両州政府から計画への支持を取りつけることに成功し、一帯を再開発して巨大なオフィスビルを複数作り、貿易関係の企業や公的機関を集積させるという「ワールドトレードセンター・コンプレックス」の建設が正式に認可された[注 4]。
1961年に公開された当初の案では、ワールドトレードセンターはイースト川沿いの敷地に建設されることとなっていたが[11]、最終的にハドソン&マンハッタン鉄道のターミナルがあり、ニュージャージー州との交通が便利なハドソン川沿いのラジオ・ロウ地区が建設用地として選ばれた[12][13]。ラジオ・ロウに存在する事業者への移転費用の補償として、港湾公社は各事業の存続期間や売り上げの程度にかかわらず、すべての事業者に一律に3,000ドルを支払った[14]。1965年3月、敷地がWTCの建設用地として買収され[15]、翌1966年3月からラジオ・ロウの解体工事が開始された[16]。1966年8月、起工式が執り行われ、WTCの建設工事が始まった[17]。
ツインタワーの設計と建設
[編集]デザイン
[編集]1962年9月20日、港湾公社はワールドトレードセンターの主任建築士として日系アメリカ人のミノル・ヤマサキを選出したことを発表した[19]。WTCの中心施設をツインタワーとするのはヤマサキのアイディアであり、彼のオリジナル案では2つのタワーはそれぞれ80階建のビルとなっていた[20][注 5]。しかし、80階建のタワーでは港湾公社が設定した10,000,000平方フィート(930,000m²)以上のオフィススペース確保という条件をクリアできなかったため、最終的にツインタワーはそれぞれ110階建のビルとして建設されることになった[21]。
1964年1月18日、ヤマサキによる建設計画案が一般公開され、ツインタワーが一辺208フィート(63.4m)の正方形底面をもつ直方体となることが明らかになった[20][22]。オフィスフロアの外窓はひとつにつき幅18インチ(46cm)と細長いものになっていたが、これはヤマサキ自身の高所恐怖症の反映であり、フロアにいる人間が高度による恐怖を感じることがないよう配慮した結果だった[23]。ヤマサキによる設計はさらに、ツインタワーの外壁をアルミニウム合金で被覆することを求めていた[24]。WTCのデザインはヤマサキによるゴシック・モダニズム建築の独創的な表現であったほか、ル・コルビュジエの建築哲学が顕著に反映されていた[25]。さらにヤマサキは、ツインタワーのデザインにイスラーム建築の特徴を取り入れていた[26][27]。
各タワーの44階と78階にはエレベーターの乗り換え階「スカイロビー」が設けられ、急行エレベーターをスカイロビーに直行させ、ここからさらに各階行のローカルエレベーターに乗り換えさせるという方式になっていた。このシステムにより、効率的なエレベーターの運行が実現されるのと同時に、エレベーターシャフト数の削減により、フロアの使用可能面積が62%から75%に引き上げられた[3]。WTCのツインタワーはシカゴのジョン・ハンコック・センターに続き、スカイロビーを採用した2例目の超高層ビルだった[28][注 6]。ツインタワーにはそれぞれ99基のエレベーターが設けられ、両タワーの合計では198基のエレベーターが存在した[3][2][注 7]。
構造設計
[編集]ヤマサキによるデザインを実現しつつ十分な強度を得るため、構造エンジニア班はファズラー・ラーマン・カーンが開発したチューブ構造を採用した[30][31]。ツインタワーのチューブ構造は「フレームド・チューブ (framed-tube)」と呼ばれる設計であり、チューブ状に並べた外壁支柱とビル中心のコア支柱との間に床の梁を渡すことにより、柱や耐力壁のない広大なスペースを得ることができた[30]。ツインタワーの外壁は、各面59本、合計236本の鉄骨支柱をチューブ状に密に配置したもので、外壁の一辺の長さは約63mだった[3][30]。外壁支柱は事実上すべての水平荷重(風荷重など)を負担し、さらに鉛直荷重をコア支柱と分担するよう設計されていた[32][30]。地上階には出入り口を設ける必要があり、支柱と支柱の間隔を広く取る必要があったため、外壁支柱は7階付近から1本のものがフォークのように3本に分かれ、そのまま最上階まで達する設計となっていた[33][34]。各タワーの中心部(コア)には47本のコア支柱があり、すべてのエレベーター(各99基)および非常階段(各3本)もコアに集中的に設置されていた[18]。
耐火被覆材を吹きつけた外壁支柱・コア支柱でつくられるチューブ構造は、エンパイアステートビルのような(耐火被覆に石材を使用する)建築物よりも軽量かつ柔軟であるため、風に対しても横揺れしやすい性質をもっていた[35]。ニューヨーク港に面したローワー・マンハッタンは風が強く、横揺れは深刻な問題として懸念された。ツインタワーの設計には風洞実験が用いられており[36]、タワー内部の人間が耐えられる横揺れのレベルも実験により評価された[37]。多くの被験者はネガティブな反応を示し、めまいなどの体の不調を訴えた[37]。横揺れを低減するため、主任技術者レスリー・ロバートソンは、アラン・ダヴェンポートとともに粘弾性ダンパー (viscoelastic damper) を開発した。約1万個の粘弾性ダンパーが、各タワーの外壁支柱と床の間に設置され、(いくつかの他の改良点とともに)横揺れを許容できるレベルに抑えることに成功した[33][38][注 8]。
ツインタワーの107階から110階にかけては、「ハットトラス (hat trusses)」と呼ばれる構造が設けられていた。ハットトラスは、タワー屋上に設けられる予定の通信アンテナの荷重を支持するためのものだった[33]。1978年、1 WTC(北タワー)の屋上に実際にアンテナが設置されたが、2 WTCにアンテナが設置されることはなかった[39]。
建設
[編集]1965年3月、港湾公社はワールドトレードセンター建設用地にあたる土地(ラジオ・ロウ)の買収を開始した[15]。翌1966年3月21日には、13ブロックにわたって広がるラジオ・ロウの低層ビル群を取り壊すための解体工事が始まった[16]。ラジオ・ロウの解体が完了したあとの1966年8月5日、起工式が執り行われ、WTCの建設工事が始まった[17]。
WTCの敷地は埋め立て地であり、岩盤は地下20mに位置していた[40]。基礎工事を行うには、まず掘削時にハドソン川から水が侵入するのを防ぐ必要があり、建設用地一帯に、バスタブ状の地下壁(通称ザ・バスタブ)を築かねばならなかった[41]。この地下壁を施工するにあたり、港湾公社のチーフエンジニアはスラリー壁工法を選択した。この工法は、掘削と同時にスラリーと呼ばれるベントナイト混合物を溝に注ぎこみ、溝をスラリーで満たすことで地下水の流入を封じ、掘削の完了後に鋼鉄のケージを溝に沈め、続いてコンクリートを注入すると、スラリーは溝から押し出され、コンクリートの地下壁が完成するというものだった。地下壁の完成までには14か月を要したが、バスタブの建設は敷地内部で掘削を始めるために必須だった[42]。
バスタブに囲われた敷地からは92万立方メートルもの大量の土砂が掘り出され、敷地西側に隣接するハドソン川の埋め立てに利用された。形成された埋立地は「バッテリー・パーク・シティ」と呼ばれ、1985年にはこの地に「ワールドフィナンシャルセンター」と呼ばれる高層オフィスビル群がオープンした[43][44][45]。
建設用地の地下を通るパストレインの鉄道トンネルは、地下鉄の新駅が1971年にオープンするまでの間、建設工事中も運行を続けた[46]。トンネルは支柱で宙に浮かされ、バスタブ内を渡されており、その中をパストレインが走った。敷地の地下には約2,000台の車を収容できる大駐車場や、ショッピングモールなども建設された。
基礎工事が完了したあとの1968年8月、1 WTC(北タワー)の建設工事が開始された[47]。翌1969年1月には2 WTC(南タワー)の建設も始まった[47]。ツインタワーの建設ではプレハブ工法が大々的に用いられ、建設プロセスの高速化が果たされた[1][5]。1970年12月23日、北タワーの上棟式(トッピング・アウト)が行われた[47]。翌1971年の7月19日には南タワーの上棟式が行われた[47]。北タワーの最初のテナントは1970年12月15日に入居し、1972年1月には南タワーにも最初のテナントが入った[1]。
1 WTCは1972年に、2 WTCは1973年に完成した[48]。ツインタワーが完成した時点で、港湾公社はワールドトレードセンターの建設に約9億ドルを費やしていた[49]。1973年4月4日、WTCのオープニング式典が挙行され、ツインタワーは正式に開業した[50]。
批判
[編集]ワールドトレードセンターの建設計画は多くの論争を呼んだ。WTCの建設予定地である「ラジオ・ロウ」地区には、何百もの商工業者と約100人の住民が存在しており、その多くは立ち退きを求められることに対して猛烈に反発した[51]。1962年6月、立ち退きの対象となった事業者らは結束して港湾公社の土地収用権に異議を申し立て、その差し止めを請求した[52]。港湾公社との法的な争いは最終的に合衆国最高裁判所まで持ち込まれたが、最高裁判所は1963年に事業者側の訴えを棄却し、立ち退きの実施が確定した[53]。
民間の不動産デベロッパーやエンパイアステートビルの所有者ローレンス・ウィーンらは、公的に助成されたWTCのオフィス物件が、(すでにオフィス物件の供給過剰状態にある)一般の市場に解き放たれ、民間セクターと競合することに対しての懸念を表明した[54][55]。計画の妥当性自体を疑問視する声もあり、WTCプロジェクトを「誤った社会的優先事項」と表現する見方もあった[56]。
アメリカ建築家協会ほかの団体は、ツインタワーのデザインを美的観点から批判した[24][57]。都市計画についての著作を多く持つルイス・マンフォードは1967年、WTCのような最新の超高層ビル群について、「金属とガラスでできた書類用キャビネットに過ぎない」と評した[58]。ツインタワーのオフィスの窓は1つあたりの幅が46cmと狭く、眺望は常に窓枠(支柱)で遮られていたため非常に不評だった[23]。社会学者・活動家のジェイン・ジェイコブズは、ニューヨークのウォーターフロントは住民の憩いの場として保存されるべきだと主張した[59]。
施設
[編集]ワールドトレードセンターは、ツインタワーと呼ばれる2棟の110階建オフィスビル(1 WTC・2 WTC)、22階建の高級ホテル(3 WTC)、2棟の9階建オフィスビル(4 WTC・5 WTC)、8階建の合衆国税関ビル(6 WTC)、47階建オフィスビル(7 WTC)の7棟からなるビルの集合体だった[60]。ワールドトレードセンターのビル群には28か国から430のテナントが入居しており、銀行・金融会社・保険会社・貿易会社・政府機関など多種多様だった[61]。ワールドトレードセンターでは5万人が働いており、それ以外に1日14万人の観光客らが訪れていた[61]。ビル群全体では13,400,000平方フィート(1,240,000 m²)のオフィススペースがあり[62][63]、あまりの広大さから独自の郵便番号(10048)が与えられていた[64]。
ツインタワー(1 WTC・2 WTC)
[編集]ツインタワーと呼ばれた1 WTC(北タワー)と2 WTC(南タワー)は、建築家ミノル・ヤマサキがデザインしたチューブ構造の超高層ビルであり[65][66]、ワールドトレードセンター・コンプレックスの中心的建築物であった[47]。1972年の完成時、北タワーは40年以上記録を維持していたエンパイアステートビルを追い抜き世界一高いビルとなった。北タワーは高さ417mで完成したが[67]、1978年には高さ110mの通信アンテナが屋上に設けられ、最頂部は527mとなった[68]。南タワーは1973年に高さ415mで完成し、北タワーに次いで当時世界で2番目に高いビルとなった。
世界一高いビルの座は1974年に完成したシカゴのシアーズ・タワー(現・ウィリス・タワー)にすぐに奪われたものの、1975年以降に展望デッキや展望レストランが完成し、多くの観光客が訪れるようになった。ワールドトレードセンターのツインタワーは新たなニューヨークの象徴となり、数多くの映画やテレビドラマにも登場するようになった[69]。
ツインタワーは両棟ともに110階建てであり、北タワーの110階はテレビスタジオ、南タワーの108〜110階は機械設備階となっていた[30]。北タワーの屋上には通信用アンテナの尖塔が設置されており、南タワーの屋上は展望デッキとして使用されていた[30]。完成から崩壊するまでの間、ツインタワーは世界でもっともフロア数の多いビルであり続けた[68]。110階というフロア数の記録は2010年にブルジュ・ハリファが完成するまで追い抜かれることはなかった[70][71]。各タワーの総重量は約50万トンだった[72]。
トップ・オブ・ザ・ワールド
[編集]ツインタワーには一般の観光客に開放されたフロアがあり、南タワーの107階は「トップ・オブ・ザ・ワールド (Top of the World)」という名の屋内展望デッキとなっていた[73][74]。来場者は入場料を払ったあと(1993年のテロ事件以降はセキュリティ・チェックが追加された[75])、専用エレベーターで地上から107階の展望デッキ(地上400m)まで直行することができた[73]。107階には双眼鏡が多数設置されていたほか、さまざまな売店やニューヨークをヘリで飛行する映像を上映するシアターなどがあった[73]。天候が許す日には、107階から2本のエスカレーターを乗り継いで屋上の展望デッキ(地上420m)に出ることもできた[73][76]。晴れた日には、屋上のデッキから50マイル(80km)先まで見渡すことができた[68]。屋上のデッキは自殺防止用フェンスよりも高い位置に高台のように設置されており、エンパイアステートビル屋上の展望デッキとは異なり、何にも遮られない眺望を得ることができた[77]。
ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド
[編集]北タワーの106〜107階には「ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド (Windows on the World)」と呼ばれる展望レストランが存在しており、観光客も入店することができた。1976年4月に営業開始したこのレストランは、飲食店経営者ジョー・バウムが1,700万ドル以上を投じて開業したものだった[78]。106〜107階では「ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド」のほかにも、スモーブローと寿司を提供する「Hors d'Oeuvrerie」と、ワイン専用のバー「Cellar in the Sky」という2つの系列店が営業していた[79]。展望レストランは1993年の爆破事件のあとに一時閉店した[78]。レストランは1996年に再オープンしたが、それに合わせ従来の系列店「Hors d'Oeuvrerie」と「Cellar in the Sky」は、それぞれ「Wild Blue」というレストランと「The Greatest Bar on Earth」という名のバーに置き換えられた[79]。2000年度の「ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド」の売上高は3,700万ドルであり、アメリカでもっとも収入の多いレストランとなっていた[80]。北タワーの44階(スカイロビー階)でも系列店の「スカイ・ダイブ・レストラン (The Sky Dive Restaurant)」が営業していた[79]。批評家による展望レストランへの評価は賛否両論があった。1996年12月、ニューヨークタイムズのレストラン批評家ルース・ライルは、「ウィンドウズ・オン・ザ・ワールドに純粋に食事をしにいく人は皆無だろうが、今ならばもっとも食事にうるさい部類の人でも満足させることができるだろう」と書き、このレストランの品質に "very good" という評価を与えた[81]。別のレストラン批評家ウィリアム・グライムズは、2009年出版の著書 Appetite の中で、「ウィンドウズ・オン・ザ・ワールドでは、メインの料理はニューヨークの景色だった」と評した[82]。
その他のビル(3–7 WTC)
[編集]ワールドトレードセンターの16エーカー(65,000m²)の敷地には、ツインタワーのほかに5棟のビルが存在していた[83]。敷地の南西に建設された3 WTCは22階建のホテルであり、1981年に「ビスタ・ホテル (Vista Hotel) 」として開業し[84]、1995年には「マリオット・ワールドトレードセンター」と改称された[83]。4 WTC、5 WTC、6 WTCはいずれもオフィスビルであり、トービン・プラザを囲むように建設されていた[85]。プラザの南東に位置する4 WTCビルと北東の5 WTCビルは9階建であり、4 WTCには合衆国商品取引所 (U.S. Commodities Exchange) が入居していた[86][1]。北西に位置する6 WTCビルは8階建であり、アメリカ合衆国税関が入居していた[86][1]。1987年には、WTCの敷地から道路を挟んだ北側に47階建オフィスビルの7 WTCが完成した[87]。WTCコンプレックスの地下には大型ショッピングモールが広がっており、ニューヨーク市地下鉄やPATHトレインなどの公共交通機関とも接続されていた[88][89]。
プラザ
[編集]ワールドトレードセンターの敷地中央には、ヴェネツィアのサン・マルコ広場を意識した広場である「プラザ」が設けられていた[9]。プラザのデザインには、地面に描かれた巨大な四角形・泉(噴水)・中心から放射状に広がる模様など、メッカの大モスクのモチーフも使われていた[90]。ヤマサキによれば、このプラザは「ウォール街の通りや歩道の窮屈さから解放してくれる、メッカのような場所」であった[91]。プラザの中心にはフリッツ・ケーニッヒの作品「ザ・スフィア」が置かれていた。1982年、プラザは1978年に亡くなったオースティン・トービンにちなみ、「オースティン・J・トービン・プラザ」と命名された[92]。夏の間、プラザには仮設の野外ステージが設置され、さまざまなパフォーマンスや演奏が行われていた[93]。長年にわたり、プラザは2棟のタワーの間で発生するベンチュリ効果による突風の被害を受けており[94]、歩行者は時にはロープにつかまって移動する必要があるほどだった[95]。約1,200万ドルが費やされた改修工事を経て1999年にトービン・プラザは再オープンした。改修により従来の大理石舗装がグレーとピンクの花崗岩による舗装に変更されたほか、新しいレストランやキオスク、ベンチやプランターなどが追加された[96]。
美術品
[編集]港湾公社はワールドトレードセンターの建設にあたり、総建設費用の1%をパブリック・アートに使っていた[97]。エントランスのロビーにはルイーズ・ネーベルソン、ジョアン・ミロ、ル・コルビュジエらの大きな作品が、トービン・プラザの中心にはフリッツ・ケーニッヒの「ザ・スフィア」が、またその周辺には流政之の「雲の砦」、ジェームズ・ロザッティ (James Rosati) の「Ideogram」などが置かれていた。またWTC7建設後にはアレクサンダー・カルダーの「スタビル」などが設置された。ビルの各テナントもおのおの美術コレクションを所有しており、1 WTCの上層階にあった証券会社キャンター・フィッツジェラルド(9.11テロで大多数の社員が死亡した)はロダンの彫刻のコレクションで知られていたほか、バンク・オブ・アメリカのオフィスには100点以上の現代美術作品があった[97]。美術品の多くは同時多発テロ事件によって失われたが、プラザに置かれていた「ザ・スフィア」は原型を保った状態で発見され、再度組み立てられたのち、テロの記念碑としてバッテリー・パークに移設された[98][99]。テロで失われた美術品の当時の総額は、各テナントのプライベート・コレクションが1億ドル、パブリックアートが1,000万ドル、合計で1.1億ドルとされる[97]。
911テロ以前の事件
[編集]1975年2月の火災
[編集]1975年2月13日の夜、北タワーの11階で大規模な火災が発生した。火は電話線の絶縁体を伝わって9階と14階にも燃え広がった。火元から遠いエリアはすぐさま鎮火され、11階の火元も数時間以内に鎮火された。駆けつけた消防隊員が軽傷を負った以外に人的被害はなかった[100]。大きなダメージを被った11階では、書類用キャビネットとオフィス機械用のオイルが火の燃料となっていた。耐火被覆が機能し、タワーに構造的ダメージは見られなかった。火が広がった9階と14階以外に、消火活動に使われた水によってダメージを受けたフロアもあった。当時のワールドトレードセンターにはスプリンクラー設備が存在していなかった[100]。
1993年2月のテロ事件
[編集]1993年2月26日午後0時17分、テロリスト(ラムジ・ユセフ)によって設置された、1,500ポンド(680kg)の爆発物を満載したトラックが、北タワーの地下駐車場で爆発した[101]。爆発によって地下駐車場のB1およびB2フロアが甚大な被害を受け、B3フロアも深刻な構造的ダメージを被った[102]。このテロ攻撃の結果、6人が死亡し、1,042人が負傷した(煙の吸引による負傷を含む)[103][104]。駐車場の火災により発生した煙が両タワーのエレベーターシャフトを伝わって全階に広がり、WTCは全館全員緊急退去という騒然とした状況に包まれた。のちに、ラムジ・ヨセフとイヤード・イスマイールがテロの実行犯として有罪判決を受けたほか[105]、オマル・アブドッラフマーンら5人の人物がテロに関与したとして有罪となった[106][107]。裁判では、テロの計画者らの狙いは北タワーの安定性を損なうことで南タワーに向かって倒れこむように仕向け、ツインタワー両棟を破壊することであったとされた[108]。
爆発で吹き飛ばされた地下駐車場の床は北タワーを構造的に支持していたため、修復を行ってその機能を回復する必要があった[109]。地下駐車場のB5フロアにはWTCコンプレックス全体の空調を担う冷却設備が存在していたが、この設備も爆発で大きなダメージを受けた[110]。爆発は火災報知システムの配線や信号装置も破壊しており、コンプレックス全体で装置を交換する必要が生じた[111]。
このテロ事件のあと、港湾公社は非常階段に避難誘導用のフォトルミネセンス表示を追加したほか[112]、犠牲者の名を刻んだ追悼のメモリアルをトービン・プラザに設置した[113]。このメモリアルは2001年の同時多発テロによって破壊され失われた。1993年の事件による犠牲者の名前は、2001年のテロによる犠牲者の名前とともにナショナル・セプテンバー11メモリアル&ミュージアムに記載されている[114]。
1998年1月の強盗事件
[編集]1998年1月14日、マフィアの構成員であるラルフ・グアリーノ (Ralph Guarino) は、3人の共犯者とともにBrink'sの北タワー11階の銀行への現金輸送を待ち伏せして襲い、200万ドルを越える額の現金(ドル以外の通貨を含む)を奪った(w:1998 Bank of America robbery)[115]。しかしその後、4人とも逮捕され、主犯のグアリーノはFBIの証人となった。彼の情報提供により、ニュージャージー州のデカヴァルカンテ一家の幹部が多数逮捕・起訴され、組織に大打撃を与えた[116]。
911テロ事件による破壊
[編集]2001年9月11日午前8時46分、イスラム過激派テロリストにハイジャックされたアメリカン航空11便が1 WTC(北タワー)の北側外壁、93〜99階に突入した[117]。その17分後の午前9時3分、同じくハイジャックされたユナイテッド航空175便が2 WTC(南タワー)の南側外壁、77〜85階に突入した[118]。北タワーでは11便の衝突によってすべての非常階段が破壊されたが、南タワーでは175便が中心から逸れて衝突したため、1本の非常階段が使用可能な状態で残されていた[119][120]。
午前9時59分、南タワーは約56分間炎上したあとに崩壊した[121]。航空機の衝突による構造的ダメージに加え、ジェット燃料が引き起こした火災の熱が構造部材の強度を著しく低下させたことが崩壊につながった[121]。10時28分、南タワーに続き、北タワーが約102分間炎上したあとに崩壊した[121]。17時21分、7 WTCビルが火災による構造ダメージによって崩壊した[122][123]。3 WTCビル(マリオット・ワールドトレードセンター)はツインタワーの崩落に巻き込まれ崩壊した。プラザ周辺の3つのビル(4-6 WTC)はツインタワーからのデブリによって甚大な被害を受け、事件後に解体された[124]。ワールドトレードセンター跡地での救出作業や回収作業、がれきの除去が完了するまでには8か月を要した[125]。
アメリカ国立標準技術研究所(NIST)の推定によれば、テロ発生時のツインタワーには約17,400人が存在していた[126]。ワールドトレードセンターとその周辺での民間人死者は2,192人(突入した旅客機の乗員乗客を除く)であり、中でもキャンター・フィッツジェラルド(北タワーの101〜105階に入居)とマーシュ・アンド・マクレナン(北タワーの93〜101階に入居)、エーオン(南タワーの92・98〜105階に入居)などの企業は多数の死者を出した[127][128]。南タワーに旅客機が衝突したポイントは北タワーに比べて低層であり、より多くフロアが影響を受けたにもかかわらず、南タワーにおける民間人死者は624人と(1,466人の民間人死者を出した北タワーに比べて)少なかった[129]。民間人死者のほかにも、現場に駆けつけたニューヨーク市消防局の消防士343人と、ニューヨーク市警察・港湾公社警察などの警察官71人がワールドトレードセンターで死亡した[130][131][132]。各タワーの崩壊時、内部には多数の民間人や消防士が存在していたが、生存してがれきから救出されたのは20人のみだった[133]。
新ワールドトレードセンターの建設
[編集]ワールドトレードセンターの再建についての議論はテロによる破壊の直後から始まった。2001年11月には再建プロセスの監督を目的とする「ロウアー・マンハッタン開発公社(LMDC)」が設立された[134]。LMDCは用地計画や建築デザインを選定するのためのコンペを実施し[135]、その結果ダニエル・リベスキンドによる「メモリー・ファウンデーション」と題する設計案がマスタープラン(基本計画)として採用された[136]。リベスキンドはベルリン・ユダヤ博物館に代表される祈念モニュメントの設計に実績があり、今回も尖塔までの高さ1,776フィート(541m、アメリカ独立の1776年にちなむ、ただし建物部分は70階建)の自由の女神を模したフリーダム・タワーがそのデザインの中核を占めていた。またツインタワーのあった場所は慰霊の場とし、その周囲をストーンヘンジのように囲む5つの高層ビル群は、毎年9月11日の朝の旅客機衝突時刻からビル崩壊時刻までの間、タワー跡地には影を落とさないように配置されていた。しかし最終的に、リベスキンドの案には大幅な変更が加えられることとなった[137]。
港湾公社は9.11テロ直前の2001年7月、ニューヨークの不動産開発業者ラリー・シルバースタインにWTCを長期リースする契約を交わしており、その結果シルバースタインが事実上の再建施工主となったため、事態は複雑な様相を呈するに至った。商業価値を優先するシルバースタインはモニュメントとしての性格が強いリベスキンド案を嫌い、SOMのデイヴィッド・チャイルズを参加させて設計に大幅な変更を加えたため、リベスキンドとの間で訴訟沙汰となった[138]。 両者は和解し、新たにリベスキンド・チャイルズ折衷案が公表されたものの、今度は警察当局や米国本土安全保障省などから保安上の設計変更が求められ、さらに港湾公社やこれを管轄するニューヨーク・ニュージャージー両州議会などの意向も加わり、設計変更が繰り返され、フリーダム・タワーも自由の女神のデザインは特に取り入れないこととなった。
2002年5月いっぱいで残骸はすべて撤去され、遺体の捜索も合わせて打ち切られた。以後、新ワールドトレードセンターや地下鉄の再建が始まり、その第一歩として、新7WTCが2006年に竣工、WTC全体の再建事業完成は当初は2010年代前半となる予定であったが、リーマンショックなどの経済的な諸事情により大幅に遅れている。なお再建後の名称は従来どおり「ワールドトレードセンター」とされた。
新ワールドトレードセンターの構成は以下のとおり。6 ワールドトレードセンターにあたる建物は計画されておらず、欠番となっている。
- ワン・ワールド・トレード・センター(WTCタワー1): 高さ541.3m、SOMのデイヴィッド・チャイルズ設計(2014年11月3日竣工)
- 2 ワールドトレードセンター(WTCタワー2): 高さ411m、ノーマン・フォスター設計(未定)
- 3 ワールドトレードセンター(WTCタワー3): 高さ378m、リチャード・ロジャース設計(2018年6月11日竣工)
- 4 ワールドトレードセンター(WTCタワー4): 高さ297m、槇文彦設計(2013年11月13日竣工)
- 5 ワールドトレードセンター(WTCタワー5): 高さ226m、コーン・ペダーセン・フォックス設計(2029年完成予定)
- 7 ワールドトレードセンター(WTCタワー7): 高さ226m、SOMのデイヴィッド・チャイルズ設計(2006年5月23日竣工)
- トランスポーテーション・ハブ(PATH新ターミナル): サンティアゴ・カラトラヴァ設計(2016年オープン)
- ウエストフィールド・ワールド・トレード・センター:(2016年8月16日オープン)
- 国立9.11記念碑・博物館 :2011年9月11日博物館オープン(第1期)、9月12日記念碑オープン。博物館は2014年5月21日オープン(第2期)
- リバティ・パーク:2016年6月29日開園
- 芸術交流センター:2023年9月13日オープン)
- 聖ニコラス聖堂(2022年12月6日オープン)
文化的影響
[編集]2001年の9.11テロの発生以前、ワールドトレードセンターのツインタワーはニューヨーク市のシンボルであり[69]、映画やテレビドラマの中ではニューヨーク自体を示す「エスタブリッシング・ショット」として使われていた[139]。2006年の推定では、ワールドトレードセンターが何らかの形で登場する映画は472本にのぼるとされた[139]。映画以外にも、数多くのテレビ番組、テレビゲーム、ミュージックビデオなどにワールドトレードセンターが登場していた[140]。とある記者は1999年、「ニューヨークのガイドブックはほぼ間違いなく、ツインタワーを観光名所のトップ10に挙げている」と述べた[141]。
ワールドトレードセンターは世間の耳目を集める出来事の舞台ともなった。特にフランスの大道芸人フィリップ・プティが1974年にツインタワーの屋上に登り、2つのタワーの間で綱渡りを行ったことは有名となり[142]、この出来事を題材にした絵本『綱渡りの男』が2003年に[143]、ドキュメンタリー映画『マン・オン・ワイヤー』が2008年に[144]、伝記映画『ザ・ウォーク』が2015年に公開された[145]。プティは2つのタワーの間に張られた鋼鉄製ケーブルの上を、8度にわたって横断することに成功した[146][142]。1975年7月、オーウェン・クインが警備をかいくぐって北タワーの屋上にたどり着き、飛び降りて600フィート(180m)自由落下したあと、パラシュートを開いてプラザに無事着地した[147]。1977年5月、アマチュア登山家のジョージ・ウィリッグが突如として南タワーの外壁を登り始め、登頂を成功させた[148][149]。1995年には、南タワーの107階でPCA世界チェス選手権が開催され、ガルリ・カスパロフとヴィスワナータン・アーナンドが対戦した[150]。
9.11テロの発生を受けて、一部の映画やテレビ番組はワールドトレードセンターを舞台とするシーンやエピソードを作品から削除した[151][152][153]。9.11テロの満1年を迎えた時点で、60本以上の「追悼映画 (memorial films) 」が制作されていた[154]。オリバー・ストーンの監督による、テロ攻撃にさらされたワールドトレードセンターを舞台にした初の映画『ワールド・トレード・センター』は2006年に公開された[155]。
ギャラリー
[編集]-
ワールドトレードセンター・ツインタワー
-
完成直後のツインタワー
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NY港から見たツインタワー
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ハドソン川から見たツインタワー
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サウスタワーのエントランス
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サウスタワーから見たノースタワー屋上
-
サウスタワー107階の展望台
-
ツインタワーのある夜景
-
夜のツインタワー(2001年7月)
-
ブルックリン橋とツインタワー
-
ツインタワー両棟崩壊後の残骸
-
光のツインタワー
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 正式名称は「One World Trade Center (1 WTC)」と「Two World Trade Center (2 WTC)」。なお非公式な通称として、1 WTCは北タワー (North Tower)、2 WTCは南タワー (South Tower) と呼ばれることもあった。
- ^ ただし、1 WTCの106-107階はレストランとバー、2 WTCの107階と屋上は展望デッキとして使用されていた。
- ^ 1930年に設立されたニューヨーク・ニュージャージー両州にまたがる港湾地域の開発を目的とした公団、1972年にニューヨーク・ニュージャージー港湾公社と改称
- ^ ニュージャージー州政府からの支持を得ることと引き換えに、港湾公社はニュージャージー州が運営していた経営不振のハドソン&マンハッタン鉄道を買収し、港湾公社運営による新鉄道(パストレイン)とすることに合意した。
- ^ 200階建てのビル1棟にしたり、複数の高層ビルで敷地を埋めず、2棟の超高層ビルとしたのは、ビルをヒューマンスケールを超える高さにしたり、大容積のビルが密集した公営住宅のようにはしたくなかったためだと言われる。
- ^ スカイロビーのシステムは、各駅停車駅と急行停車駅が存在するニューヨーク市地下鉄の運転系統に触発されたものだった[29]。
- ^ 1 WTCの106-107階のレストランに直行する専用エレベーター、2 WTC最上階の展望台に直行する専用エレベーター、および7基の貨物用エレベーターを含む[3]。41-42階、75-76階、108-109階は2棟とも機械設備の専用階になっており、一般人が立ち入ることは不可能であった。
- ^ チューブ構造の柔軟性はタワーの中心部(55階付近)を最大振幅させるため、暴風時でも最上階付近ではほとんど揺れを感じなかった。揺れを感じた中心部にはWTCを管理運営する港湾公社やニューヨーク・ニュージャージー両州の知事オフィスなど、非テナント機関が入居していた。最大振幅は各タワーとも55階付近で、風の強い日には実際に窓の外のもう一つのタワーが揺れるのを目視することができた。このためこの階で過ごす一人当たりの時間を極力少なくするよう、1 WTCの55階はWTCA (世界貿易センター連合) が運営するビジネススクールの講義室、2 WTCの55階は港湾公社の会議室などが入っていた。それでも荒天の日には「乗り物酔い」を訴えるスクール受講生が少なくなく、稀に授業をキャンセルする日もあった。
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- ^ Bahr, Lindsay (2013年1月21日). “Television's uneasy relationship with the World Trade Center”. Entertainment Weekly. オリジナルの2018年2月26日時点におけるアーカイブ。 2018年2月23日閲覧。
- ^ Lemire, Christy (2011年9月13日). “Twin towers erased from some films after 9/11” (英語). NBC News. オリジナルの2018年11月9日時点におけるアーカイブ。 2018年11月9日閲覧。
- ^ Dixon (2004), p. 4.
- ^ Dixon (2004), p. 5.
- ^ Langmead (2009), p. 355.
参考文献
[編集]- Cudahy, Brian J. (2002), Rails Under the Mighty Hudson (英語) (2nd ed.), New York: Fordham University Press, ISBN 978-0-82890-257-1, OCLC 911046235。
- Darton, Eric『Divided we stand : a biography of New York's World Trade Center』Basic Books、New York、1999年。ISBN 978-0-465-01727-0。
- Dixon, W.W.『Film and Television After 9/11』Southern Illinois University Press、2004年。ISBN 978-0-8093-2556-6 。
- Gillespie, Angus K.『Twin Towers: The Life of New York City's World Trade Center』Rutgers University Press、1999年。ISBN 978-0-8135-2742-0 。
- Glanz, James & Lipton, Eric (2003). City in the Sky. Times Books. ISBN 978-0-8050-7691-2。
- Goldberger, Paul『Up from Zero: Politics, Architecture, and the Rebuilding of New York』Random House Publishing Group、2004年。ISBN 978-1-58836-422-7 。
- Langmead, Donald『Icons of American Architecture: From the Alamo to the World Trade Center』Greenwood〈Greenwood icons〉、2009年。ISBN 978-0-313-34207-3 。2018年3月1日閲覧。
- William Baker、Johnathan Barnett、Christopher Marrion、Ronald Hamburger、James Milke、Harold Nelson「Chapter 2. WTC 1 and WTC 2」『World Trade Center Building Performance Study』(PDF)アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁、2002年3月 。
- Fanella, David A.、Derecho, Arnaldo T.、Ghosh, S.K.『Design and Construction of Structural Systems (NIST NCSTAR 1-1A)』(PDF)アメリカ国立標準技術研究所 (NIST)〈Federal Building and Fire Safety Investigation of the World Trade Center〉、2005年9月 。
- Lew, Hai S.、Bukowski, Richard W.、Carino, Nicholas J.『Design, Construction, and Maintenance of Structural and Life Safety Systems (NIST NCSTAR 1-1)』(PDF)アメリカ国立標準技術研究所 (NIST)〈Federal Building and Fire Safety Investigation of the World Trade Center Disaster〉、2005年9月 。
- Gross, John L.、McAllister, Therese P.『Structural Fire Response and Probable Collapse Sequence of the World Trade Center Towers (NIST NCSTAR 1–6)』(PDF)アメリカ国立標準技術研究所 (NIST)〈Federal Building and Fire Safety Investigation of the World Trade Center Disaster〉、2005年9月 。
- Sivaraj Shyam-Sunder、Richard G. Gann、William L. Grosshandler、Hai S. Lew、Richard W. Bukowski、Fahim Sadek、Frank W. Gayle、John L. Gross ほか『Final Report of the National Construction Safety Team on the Collapses of the World Trade Center Tower (NIST NCSTAR 1)』(PDF)アメリカ国立標準技術研究所 (NIST)〈Federal Building and Fire Safety Investigation of the World Trade Center Disaster〉、2005年9月 。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト(2001年4月)
- WTCホームページ(2001年6月)
- 基礎工事中のバスタブの中で宙に浮いたパストレインのトンネル
- センターコラムの四隅に取りつけられた「カンガルー・クレーン」
- 外壁支柱に囲まれたセンターコラム。チューブ構造がよく分かる。
- 建設中のツインタワー[リンク切れ]
- ツインタワーのお披露目ともなったパラマウント映画『キングコング (1976)』
- WTCについてのドキュメンタリー
- yahoo - http://www.wmasr.com/[リンク切れ]
- ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社
- ローワー・マンハッタン開発公社
- WTC再建プロジェクトの最新情報、跡地のリアルタイム映像など
- 復元の限定的なプロジェクト / Definitive project of reconstruction
- WTC跡地からのライブ映像
記録 | ||
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先代 エンパイア・ステート・ビルディング |
世界一高いビル 1972年 - 1974年 |
次代 ウィリス・タワー |
アメリカ一高いビル 1972年 - 1974年 | ||
世界一階数が多いビル 1972年 - 2001年 | ||
先代 - |
世界一高いツインタワー 1972年 - 1998年 |
次代 ペトロナスツインタワー |