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== 来歴 ==
== 来歴 ==
入門前から相撲で頭角を現しており、バスケとバレーボールも他に経験していた。元[[関脇]]・[[富士櫻栄守|富士櫻]]に稽古見学に勧誘された際に入門を躊躇した様子を見られて「角界は厳しい」と忠告されたが、却って負けん気に火がついて決意が固まった。[[1991年]]3月場所に[[初土俵]]。部屋のホープとして早くから将来を嘱望された。その期待に応え順調に番付を上げ、[[1995年]]11月場所に十両に昇進した。十両に定着し、同じ高砂一門の[[千代大海龍二|千代大海]]とは下位の頃からライバル関係にあった。[[幕内]]を狙える地位まで番付を上げたが、怪我もあり[[1997年]]11月場所を最後に[[幕下]]に陥落。幕下5枚目以内で勝ち越し、十両に復帰できそうな場所も何度も有ったが番付運に泣かされ続けた。晩年は右肘や首のヘルニアといった怪我も多く全盛期の相撲が取れなくなり、一時は[[三段目]]まで陥落。そこから這い上がり、[[2004年]]1月場所には西幕下3枚目まで番付を巻き返したが十両に返り咲くことは出来ず、さらに心臓にも欠陥が見つかったため、[[2005年]]1月場所を最後に現役を引退した。
入門前から相撲で頭角を現しており、バスケとバレーボールも他に経験していた。元[[関脇]]・[[富士櫻栄守|富士櫻]]に稽古見学に勧誘された際に入門を躊躇した様子を見られて「角界は厳しい」と忠告されたが、却って負けん気に火がついて決意が固まった。[[1991年]]3月場所に[[初土俵]]。同期には[[千代天山大八郎|千代天山]]、[[金開山龍|金開山]]、[[壽山勝昭|壽山]]、[[春日錦孝嘉|春日錦]]がいた。
部屋のホープとして早くから将来を嘱望された。その期待に応え順調に番付を上げ、[[1995年]]11月場所に十両に昇進した。十両に定着し、同じ高砂一門の[[千代大海龍二|千代大海]]とは下位の頃からライバル関係にあった。[[幕内]]を狙える地位まで番付を上げたが、怪我もあり[[1997年]]11月場所を最後に[[幕下]]に陥落。幕下5枚目以内で勝ち越し、十両に復帰できそうな場所も何度も有ったが番付運に泣かされ続けた。晩年は右肘や首のヘルニアといった怪我も多く全盛期の相撲が取れなくなり、一時は[[三段目]]まで陥落。そこから這い上がり、[[2004年]]1月場所には西幕下3枚目まで番付を巻き返したが十両に返り咲くことは出来ず、さらに心臓にも欠陥が見つかったため、[[2005年]]1月場所を最後に現役を引退した。


引退後は実家の工務店に勤めた後に、墨ホーム企画(株)を起業し独立。一般[[建築]]・[[リフォーム]]をはじめ飲食店舗企画運営、イベント企画運営などを手がけていた。さいたま相撲クラブ(清宮修心相撲道場)の顧問として少年相撲の指導に携わり<ref>{{Cite web|title=saitama-sumo-club|url=https://saitamasumoclub.wixsite.com/saitama-sumo-club|website=saitama-sumo-club|accessdate=2019-04-11|language=ja}}</ref>、大相撲さいたま巡業の勧進元も務めていた。2014年頃から[[変形性股関節症]]のため歩行困難となり両手に杖をつかないと歩けない状態となったが<ref>{{Cite web|url=https://www.tbs.co.jp/birth-day/onair/20170218.html|title=バース・デイ #559 2017.2.18 O.A. 元力士たちの第2の人生 元十両・彩豪/元小結・三杉里|accessdate=2019-03-11|publisher=TBS}}</ref>、2018年2月に[[人工関節|人工股関節]]両側同時置換術を受けた。その後の[[リハビリテーション|リハビリ]]の結果、晩年は杖無しで歩行し、土俵上で勧進元挨拶も行っていた<ref>{{Citation|title=変形性股関節症からの復活【人工股関節両側同時置換術】|url=https://www.youtube.com/watch?v=Y7n-cjxVBuY&feature=youtu.be|date=2019-03-01|accessdate=2019-03-10|last=彩豪ちゃんねるsumo channel}}</ref>。
引退後は実家の工務店に勤めた後に、墨ホーム企画(株)を起業し独立。一般[[建築]]・[[リフォーム]]をはじめ飲食店舗企画運営、イベント企画運営などを手がけていた。さいたま相撲クラブ(清宮修心相撲道場)の顧問として少年相撲の指導に携わり<ref>{{Cite web|title=saitama-sumo-club|url=https://saitamasumoclub.wixsite.com/saitama-sumo-club|website=saitama-sumo-club|accessdate=2019-04-11|language=ja}}</ref>、大相撲さいたま巡業の勧進元も務めていた。2014年頃から[[変形性股関節症]]のため歩行困難となり両手に杖をつかないと歩けない状態となったが<ref>{{Cite web|url=https://www.tbs.co.jp/birth-day/onair/20170218.html|title=バース・デイ #559 2017.2.18 O.A. 元力士たちの第2の人生 元十両・彩豪/元小結・三杉里|accessdate=2019-03-11|publisher=TBS}}</ref>、2018年2月に[[人工関節|人工股関節]]両側同時置換術を受けた。その後の[[リハビリテーション|リハビリ]]の結果、晩年は杖無しで歩行し、土俵上で勧進元挨拶も行っていた<ref>{{Citation|title=変形性股関節症からの復活【人工股関節両側同時置換術】|url=https://www.youtube.com/watch?v=Y7n-cjxVBuY&feature=youtu.be|date=2019-03-01|accessdate=2019-03-10|last=彩豪ちゃんねるsumo channel}}</ref>。


2019年4月6日午前、[[東京都]][[台東区]]の会社事務所で倒れ、救急車で運ばれた先の病院で死去。{{没年齢|1975|9|7|2019|4|6}}。不整脈からくる心臓発作があったとみられている。現役時代の師匠であった元富士櫻の中沢栄男は部屋の関取第1号の訃報に「びっくりした」と述べ、引退後も精力的に活動していた彩豪の死を残念がった<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201904070001066.html 元十両の彩豪・墨谷一義さん死去 不整脈で発作か] - 日刊スポーツ2019年4月7日閲覧。</ref>。
2019年4月6日午前、[[東京都]][[台東区]]の会社事務所で倒れ、救急車で運ばれた先の病院で死去。{{没年齢|1975|9|7|2019|4|6}}。不整脈からくる心臓発作があったとみられている。現役時代の師匠であった元富士櫻の中沢栄男は部屋の関取第1号の訃報に「びっくりした」と述べ、引退後も精力的に活動していた彩豪の死を残念がった<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201904070001066.html 元十両の彩豪・墨谷一義さん死去 不整脈で発作か] - 日刊スポーツ2019年4月7日閲覧。</ref>。人柄を偲ぶように、通夜には[[高砂一門]]の関係者を始めとして、一門外からも同期生の[[金開山龍|16代高崎]]などの親方衆が参列した。[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高校]]の運営に協力した縁もあり、堺川部屋からも現役関取や[[力士養成員|取的]]が参列した。16代高崎は「(3月31日に春巡業が行われた)伊勢神宮で会ったばかりなのに…」と、彩豪の死を悼んだ<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201904140001101.html 元十両彩豪の墨谷一義さん通夜、同期高崎親方ら参列] 日刊スポーツ 2019年4月14日20時34分(日刊スポーツ新聞社、2019年4月15日閲覧)</ref>。


== 主な戦績 ==
== 主な戦績 ==

2019年4月15日 (月) 05:43時点における版

彩豪 一義(さいごう かずよし、1975年9月7日 - 2019年4月6日)は、埼玉県大宮市(現:さいたま市西区)出身の元大相撲力士中村部屋所属。本名は墨谷 一義(すみや かずよし)。身長184cm、体重172kg、血液型はO型。得意技は突き、押し。趣味は手品サイクリングダーツ。最高位は西十両5枚目(1996年5月場所)。

来歴

入門前から相撲で頭角を現しており、バスケとバレーボールも他に経験していた。元関脇富士櫻に稽古見学に勧誘された際に入門を躊躇した様子を見られて「角界は厳しい」と忠告されたが、却って負けん気に火がついて決意が固まった。1991年3月場所に初土俵。同期には千代天山金開山壽山春日錦がいた。

部屋のホープとして早くから将来を嘱望された。その期待に応え順調に番付を上げ、1995年11月場所に十両に昇進した。十両に定着し、同じ高砂一門の千代大海とは下位の頃からライバル関係にあった。幕内を狙える地位まで番付を上げたが、怪我もあり1997年11月場所を最後に幕下に陥落。幕下5枚目以内で勝ち越し、十両に復帰できそうな場所も何度も有ったが番付運に泣かされ続けた。晩年は右肘や首のヘルニアといった怪我も多く全盛期の相撲が取れなくなり、一時は三段目まで陥落。そこから這い上がり、2004年1月場所には西幕下3枚目まで番付を巻き返したが十両に返り咲くことは出来ず、さらに心臓にも欠陥が見つかったため、2005年1月場所を最後に現役を引退した。

引退後は実家の工務店に勤めた後に、墨ホーム企画(株)を起業し独立。一般建築リフォームをはじめ飲食店舗企画運営、イベント企画運営などを手がけていた。さいたま相撲クラブ(清宮修心相撲道場)の顧問として少年相撲の指導に携わり[1]、大相撲さいたま巡業の勧進元も務めていた。2014年頃から変形性股関節症のため歩行困難となり両手に杖をつかないと歩けない状態となったが[2]、2018年2月に人工股関節両側同時置換術を受けた。その後のリハビリの結果、晩年は杖無しで歩行し、土俵上で勧進元挨拶も行っていた[3]

2019年4月6日午前、東京都台東区の会社事務所で倒れ、救急車で運ばれた先の病院で死去。43歳没。不整脈からくる心臓発作があったとみられている。現役時代の師匠であった元富士櫻の中沢栄男は部屋の関取第1号の訃報に「びっくりした」と述べ、引退後も精力的に活動していた彩豪の死を残念がった[4]。人柄を偲ぶように、通夜には高砂一門の関係者を始めとして、一門外からも同期生の16代高崎などの親方衆が参列した。埼玉栄高校の運営に協力した縁もあり、堺川部屋からも現役関取や取的が参列した。16代高崎は「(3月31日に春巡業が行われた)伊勢神宮で会ったばかりなのに…」と、彩豪の死を悼んだ[5]

主な戦績

  • 生涯成績:345勝317敗7休(84場所) 勝率.521
  • 十両成績:75勝90敗(11場所) 勝率.455
  • 各段優勝:幕下1回(1999年11月場所)

場所別成績

彩豪 一義
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1991年
(平成3年)
x (前相撲) 西序ノ口15枚目
6–1 
東序二段75枚目
3–4 
東序二段100枚目
3–4 
西序二段113枚目
6–1 
1992年
(平成4年)
東序二段37枚目
4–3 
西序二段12枚目
4–3 
西三段目88枚目
6–1 
西三段目32枚目
3–4 
東三段目51枚目
3–4 
東三段目70枚目
6–1 
1993年
(平成5年)
東三段目20枚目
2–5 
西三段目46枚目
4–3 
東三段目30枚目
5–2 
東三段目4枚目
4–3 
東幕下51枚目
5–2 
東幕下32枚目
3–4 
1994年
(平成6年)
西幕下41枚目
5–2 
西幕下27枚目
5–2 
西幕下15枚目
2–5 
東幕下33枚目
5–2 
西幕下19枚目
4–3 
西幕下15枚目
3–4 
1995年
(平成7年)
東幕下23枚目
3–4 
東幕下33枚目
4–3 
西幕下24枚目
4–3 
東幕下20枚目
6–1 
西幕下6枚目
6–1 
東十両13枚目
6–9 
1996年
(平成8年)
西幕下2枚目
5–2 
西十両13枚目
11–4 
西十両5枚目
7–8 
西十両7枚目
6–9 
西十両10枚目
7–8 
東十両12枚目
8–7 
1997年
(平成9年)
東十両7枚目
5–10 
東十両12枚目
6–9 
東幕下2枚目
4–3 
東十両13枚目
9–6 
東十両7枚目
5–10 
東十両11枚目
5–10 
1998年
(平成10年)
東幕下4枚目
2–5 
西幕下15枚目
2–5 
西幕下29枚目
5–2 
西幕下19枚目
2–5 
東幕下34枚目
3–4 
西幕下43枚目
3–4 
1999年
(平成11年)
西幕下56枚目
5–2 
東幕下38枚目
4–3 
東幕下29枚目
5–2 
東幕下16枚目
2–5 
西幕下28枚目
優勝
6–1
西幕下11枚目
5–2 
2000年
(平成12年)
西幕下4枚目
2–5 
西幕下13枚目
5–2 
西幕下5枚目
2–5 
西幕下15枚目
3–4 
東幕下22枚目
2–5 
東幕下37枚目
5–2 
2001年
(平成13年)
東幕下24枚目
5–2 
西幕下15枚目
6–1 
西幕下3枚目
4–3 
東幕下2枚目
0–7 
東幕下37枚目
3–4 
東幕下49枚目
5–2 
2002年
(平成14年)
西幕下28枚目
5–2 
東幕下18枚目
2–5 
西幕下33枚目
3–4 
西幕下39枚目
5–2 
東幕下25枚目
4–3 
東幕下18枚目
1–6 
2003年
(平成15年)
西幕下45枚目
4–3 
東幕下37枚目
1–6 
東三段目7枚目
6–1 
西幕下31枚目
4–3 
西幕下24枚目
4–3 
西幕下19枚目
6–1 
2004年
(平成16年)
西幕下3枚目
3–4 
西幕下7枚目
3–4 
東幕下11枚目
3–4 
西幕下14枚目
3–4 
西幕下18枚目
3–4 
西幕下22枚目
1–6 
2005年
(平成17年)
東幕下41枚目
引退
0–0–7
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

  • 墨谷 一義(すみや かずよし)1991年3月場所 - 1995年9月場所
  • 彩豪 一義(さいごう-)1995年11月場所 - 2003年3月場所
  • 墨谷 一義(すみや-)2003年5月場所 - 2005年1月場所

脚注

  1. ^ saitama-sumo-club”. saitama-sumo-club. 2019年4月11日閲覧。
  2. ^ バース・デイ #559 2017.2.18 O.A. 元力士たちの第2の人生 元十両・彩豪/元小結・三杉里”. TBS. 2019年3月11日閲覧。
  3. ^ 彩豪ちゃんねるsumo channel (2019-03-01), 変形性股関節症からの復活【人工股関節両側同時置換術】, https://www.youtube.com/watch?v=Y7n-cjxVBuY&feature=youtu.be 2019年3月10日閲覧。 
  4. ^ 元十両の彩豪・墨谷一義さん死去 不整脈で発作か - 日刊スポーツ2019年4月7日閲覧。
  5. ^ 元十両彩豪の墨谷一義さん通夜、同期高崎親方ら参列 日刊スポーツ 2019年4月14日20時34分(日刊スポーツ新聞社、2019年4月15日閲覧)

関連項目

外部リンク