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* [[長野県長野商業高等学校]]
* [[長野県長野商業高等学校]]
* [[トヨタ自動車硬式野球部|トヨタ自動車]]
* [[トヨタ自動車硬式野球部|トヨタ自動車]]
* [[オリックス・バファローズ]] (2005 - 2018)<!--NPBの入団公示まで所属を追加しないで下さい。ニュース報道はソースとなりません-->
* [[オリックス・バファローズ]] (2005 - 2018)
*[[北海道日本ハムファイターズ]](2019 -)
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2018年12月4日 (火) 07:12時点における版

金子 千尋
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 新潟県三条市
生年月日 (1983-11-08) 1983年11月8日(41歳)
身長
体重
180 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 2004年 自由獲得枠
初出場 2006年4月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

金子 千尋(かねこ ちひろ、1983年11月8日 - )は、新潟県三条市出身[1]プロ野球選手投手)。右投左打。2018年シーズンまでオリックス・バファローズに所属し、現在は自由契約選手である[2]

経歴

プロ入り前

新潟県三条市に生まれ、小学4年時に長野市へ転居。小学校は長野市立朝陽小学校 石渡育成会少年野球倶楽部にて投手を務める。長野商業高校では、2年春の第72回選抜高等学校野球大会に出場し、2回戦で近澤昌志平野佳寿らを擁する鳥羽高校に敗れた。夏は長野大会準優勝。3年夏には2回戦で7回参考ながらノーヒットノーランを記録したが、準決勝で12奪三振を記録しながら塚原青雲高校に敗れた。高校卒業後は社会人野球トヨタ自動車に入社して3年目に抑えとして頭角を現し、都市対抗野球大会でも好投した。

2004年のNPBドラフト会議において、自由獲得枠オリックス・バファローズに入団。大阪近鉄バファローズオリックス・ブルーウェーブの合併によって誕生したオリックス・バファローズの1期生になった。この会議は、前述の合併および東北楽天ゴールデンイーグルスの新規参入によるプロ野球再編問題の渦中に開かれたため、オリックス・バファローズは直前まで参加を危ぶまれていた。しかし、スカウトの熊野輝光がトヨタ自動車野球部の練習を視察した際に、金子が投じた「キャッチャーがいなければ果てしなく伸びるようなストレート」に魅了。球団首脳部に「(今は肘を故障しているが)治れば、来年のドラフト会議で複数球団から確実に上位で指名されるほど大活躍します。今なら(オリックス・バファローズが単独で)獲れます」と力説した結果、自由枠での指名に漕ぎ着けた。

なお、自由枠での入団がほぼ決まった後には、右肘の故障が判明。そのため、一時は「オリックスが獲得の方針を撤回する」と報じられた。金子によれば、この報道でプロ野球の厳しさを肌で感じたことが、入団後の役に立っているという。

プロ入り後

2005年には、前述した故障の影響で、医師や理学療法士を交えたリハビリを優先。その影響で、一軍公式戦での登板機会はなかった。故障が癒えた後には、二軍(サーパス神戸)の一員として、ウエスタン・リーグ公式戦12試合に登板。勝敗は付かなかったが、防御率0.69という好成績を残した。

2006年には、中継ぎを中心に、一軍公式戦21試合に登板。4月12日の対西武ライオンズ戦(スカイマークスタジアム)に救援で一軍公式戦初勝利を挙げると、7月1日の同カード(インボイスSEIBUドーム)で一軍初先発。救援では、9試合連続無失点も記録した。

2007年には、一軍の中継ぎ要員として公式戦の開幕を迎えた。開幕当初は不振だったが、右肘の故障でプロ入り後に実戦での投球を控えていたカットボールを、セ・パ交流戦の期間中から再び投げ始めたことを機に復調。8月には、再び先発に転向した18日の対西武戦で先発初勝利を挙げると、26日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(京セラドーム大阪)で一軍初完封を記録した。結局、一軍公式戦では、先発転向後6連勝でシーズンを終了。この結果に、一軍監督のテリー・コリンズは、シーズン終了後に「もう少し早く先発で使うべきだった。(今季)高得点をあげることができる数少ない選手の1人」と絶賛した。なお、この年には、高校の同級生と結婚している。

2008年には、「1月に第1子(長男)が誕生。公式戦では、自身初の開幕投手に指名されると、7回1失点10奪三振で勝利投手になった。以降は、平野佳寿トム・デイビーが故障で離脱したことを背景に、先発ローテーションの軸に定着。しかし、4月下旬からセ・パ交流戦の序盤まで精彩を欠いたため、交流戦の途中から救援要員に回った。リーグ戦の再開後に先発に復帰すると、7月には4戦4勝でパシフィック・リーグの投手部門月間MVPを受賞。9月7日の対西武戦で自身初のシーズン10勝目に到達すると、4点近い防御率ながら、チーム9年振りのAクラス入り・クライマックスシリーズ初進出に貢献した。一軍公式戦では、小松聖に次ぐチーム2位の投球回数で、自身初の規定投球回に到達。リーグ8位の奪三振数を記録する一方で、被安打数被本塁打数がリーグ2位に達したほか、好不調の波が激しかった。

2009年には、一軍公式戦で2年連続の開幕投手を逃したものの、開幕から先発陣の一角を担った。開幕直後はやや不調だったが、5月5日の対福岡ソフトバンクホークス戦では、自身2年振りの完投勝利を記録。チーム全体で4勝しか挙げられなかった6月には、1人で3勝を稼いだ。オールスターゲームには、パシフィック・リーグの監督推薦選手として初出場。第2戦では、3回を無失点に抑えたことで、ベストピッチャー賞を受賞した。8月22日の対楽天戦では、2試合連続完封勝利を挙げるとともに、星野伸之以来球団史上12年振りの2年連続2ケタ勝利を達成した。その一方で、9月からは、不調の加藤大輔に代わってクローザーに転向。9月12日の対西武戦では、シーズン初セーブを挙げるとともに、チームの連敗を6で止めた。一軍公式戦全体では、11勝8敗4セーブ、防御率2.57と165奪三振(いずれもリーグ5位)を記録。また、前年から被安打数と被本塁打数を減らした。

2010年には、楽天との開幕戦(京セラドーム大阪)で自身2年振りの開幕投手を務めると、被安打4で無四球完封勝利を挙げた。しかし、5月21日の対阪神タイガース戦で8点リードの5回表に一挙5点を失って降板するなど、6月までは試合中盤に突如大量失点を喫することが相次いだ。しかし7月には、1日の対楽天戦・8日の対西武戦・14日の対千葉ロッテマリーンズ戦で、米田哲也以来球団史上45年振りの3試合連続完封を記録した。同月から2カ月連続での登板5試合全勝と月間MVP選出を経て、9月20日の対日本ハム戦まで13連勝を達成。自己最多にして、球団では1993年の野田浩司以来の17勝でシーズンを終えるともに、最多勝利のタイトルを和田毅(ソフトバンク)と分け合った。また、自身初の200投球回数へ到達するとともに、自己最多の190奪三振、7完投6完封を記録。3完封をあげた楽天戦、2完封をあげた西武戦はいずれも5勝ずつ、防御率1点台という好成績を残した一方で、ロッテ戦では2勝5敗、防御率6.18と苦しんだ。シーズン終了後には、推定年俸1億5,000万円で契約を更改。チームの投手では唯一、年俸が1億円を超えた。

2011年には、春季キャンプ中に右肘の違和感を訴えたことから、2月9日に右肘遊離軟骨除去手術を受けた[3]5月5日に阪神とのウエスタン・リーグ公式戦で実戦復帰を果たす[4]と、一軍に復帰した6月5日の同カードでは、6回3失点でシーズン初勝利を記録。その一方で、8月23日の対西武戦では、プロ入りワーストの8失点で敗戦投手となった。9月には、4戦3勝で防御率0.25(自責点1)、リーグトップの2完封を含む3完投勝利で自身4度目の月間MVPに選出。レギュラーシーズン最終戦であった10月18日の対ソフトバンク戦で、チームのクライマックスシリーズ進出を賭けて先発を託されたが、6回4失点で敗戦投手になった。しかし、レギュラーシーズンでは、開幕に出遅れながらも規定投球回数に到達。自己最高の防御率2.43・WHIP1.06を記録するとともに、10勝4敗という成績で4年連続のシーズン2ケタ勝利を達成した。

2012年には、春季キャンプ中とオープン戦中に右上腕部の張りを訴えたうえに、オープン戦中に腰痛も発症した[5]ことから、当初予定していた開幕戦での登板を回避。本拠地・京セラドーム大阪での初戦(4月6日の対楽天戦)でシーズン初登板を果たした後に、二軍での調整を経て、5月8日の対ソフトバンク戦でシーズン初勝利を挙げた。しかし、6月22日の練習中に右肘の張りを訴えたため、翌23日に予定していた対西武戦の先発を回避。その後の検査で右肘内側部の炎症と診断されたため、出場選手登録を再び抹消された[6]。レギュラーシーズン終了間際の10月5日に、対ソフトバンク戦で一軍復帰を果たすと、7回無失点の好投でシーズン4勝目を挙げた。前述した故障の影響で、一軍公式戦への登板は9試合しかなく、連続2桁勝利も4シーズンで止まった。

2013年には、右前腕部回内筋の炎症で春季キャンプを途中で離脱。その影響でオープン戦に登板しなかった[7]ものの、自身2年振り・3度目の開幕投手を務めた。レギュラーシーズンでは、戦線を離れることなく、一軍公式戦で2010年以来2度目の200投球イニングに到達。投球回数(223.1)・完投数(10)・完封数(3)・奪三振(200)の項目でリーグトップ、防御率(2.01)とWHIP(1.00)で自身最高(リーグ2位)の好成績を残したため、2011年のダルビッシュ有田中将大以来2年振りに沢村賞の選考全項目を満たした。しかし、得点援護率がリーグワーストの3.18に終わった影響で、勝利数はリーグ2位タイの15勝にとどまった。結局、完投数8で選考基準(10)を下回りながら、NPB公式戦史上初のシーズン無敗で最多勝(24勝)を挙げた田中が沢村賞を受賞した。以上の項目で沢村賞を選考するようになった1982年以降で、全項目を満たした投手が受賞できなかった事例は、同年の江川卓、2008年・2011年のダルビッシュに続いて、この時の金子が4例目である。シーズン終了後の秋季キャンプ最終日(11月16日)には、一軍監督の森脇浩司が、金子に翌2014年の開幕投手を通達[8]。12月20日の契約更改では、球団からの複数年契約の提示を固辞しながらも、推定年俸2億円・1年契約で残留を決めた[9]

2014年には、3月上旬にインフルエンザへの感染で一時チームから離れたものの[10]、前年末の任命通りに日本ハムとの開幕戦(3月28日・札幌ドーム)で先発。4月には、4日の対西武戦(西武ドーム)に自己最多の14奪三振による完封でシーズン初勝利を挙げる[11]と、26日の対楽天戦(京セラドーム大阪)では14奪三振・1被安打の完封勝利を記録した[12]メジャーリーグ(MLB)4球団のスカウトが視察した5月24日の対広島戦(ほっともっとフィールド神戸[13]では、7回裏の打席に前田健太からの二塁打で一軍初打点を記録すると、8回無失点の内容で前田との投げ合いにも勝利[14]。5月31日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(京セラドーム大阪)では、先発で9回を4与四球1失策の無安打無得点に抑えた。しかし、0対0で迎えた9回裏2死満塁で迎えた自身の打席で、代打に駿太を送られたため交代。さらに、駿太の凡退によって試合が延長戦に突入したため、単独でのノーヒットノーラン達成を逃した(詳細後述)。9回まで無安打無得点ながらノーヒットノーラン達成を逃した投手はNPB史上11人目、9回以上を無安打無得点で降板した投手は2人目であった[注釈 1]。レギュラーシーズン全体では、16勝で最多勝利、防御率1.98で最優秀防御率のタイトルを獲得。前年に逃した沢村賞を、チーム史上初めて受賞した[15]ほか、チームがリーグ優勝を逃したにもかかわらず最優秀選手に選ばれた。オリックスの選手が最優秀選手に選ばれた事例は、チームが日本シリーズを制した1996年イチロー以来であった。

シーズン終了後には、11月に日本で開かれた日米野球2014で、日本代表の一員[16]として第2戦で先発[17]。また、「アメリカの球場の雰囲気に昔から憧れていた」として、MLBへ挑戦する意向があることを明言した[18]。シーズン中に国内FA権の取得要件を満たしたことから、国内FA権を行使したうえでオリックスへ残留した後に、MLB球団への移籍に向けて球団にポスティングシステムの行使を容認する可能性が一時は報じられた[19]。しかし、11月29日に右肘骨棘こつきょくの除去手術を受けた[20]ことから、MLB球団への移籍をひとまず断念[21]。12月24日には、4年契約・推定年俸総額20億円に出来高分を加えた条件で残留することを表明した[22]

2015年には、前年末に右肘を手術したことや、オープン戦期間中に患部のリハビリで戦線を離脱したこと[23]から、一軍公式戦では開幕戦の登板を回避。5月23日の対ロッテ戦に先発で実戦復帰を果たしたが、清田育宏に満塁本塁打を浴びるなど6点を失った末に、プロ入り後最短タイ記録の3回でKO[24]。7月には、5日の対ソフトバンク戦(ほっともっとフィールド神戸)で、自己ワーストタイ記録の8失点を喫して降板[25]。球団通算1万試合目の公式戦であった同月13日の対ロッテ戦(京セラドーム大阪)では、9回3分の2を3失点という好投で、チームに勝利をもたらした[26]。しかし、先発で登板した9月2日の対楽天戦(楽天koboスタジアム宮城)4回裏に、右肩の違和感を訴えて緊急降板[27]谷佳知の引退試合であった10月3日のシーズン最終戦(京セラドーム大阪のソフトバンク戦)に自身5年振りの救援登板で実戦復帰を果たした[28]が、シーズン通算では規定投球回に達せず、7勝に終わった。

11月に開催の第1回WBSCプレミア12では、シーズン中に日本代表候補へ選出[29][30]。しかし、右肩の不調などから、実際には出場していない。その一方で、12月14日には、推定年俸5億円に出来高の条件を加えて契約を更改[31]。基本年俸分では、この時点でNPBの現役選手最高額に達した(同月17日に広島の黒田博樹が推定年俸6億円で更改)[32]

2016年には、3月25日に、西武との開幕戦(埼玉プリンスドーム)に先発。自身2年振りの開幕投手で、勝敗は付かなかったものの、7回裏の途中で交代するまでにプロ入り後自己最多の7与四球を記録した[33]。4月30日の対楽天戦でシーズン初勝利を自身2年振り・通算20回目の完封で挙げる[34]と、5月20日の対ロッテ戦(いずれも京セラドーム)で一軍公式戦通算100勝を達成。NPB通算133人目の100勝に、球団史上最少タイ記録の敗戦数(通算56敗)で到達した[35]。その一方で、前年と同様の右肩痛に見舞われたため、6月10日に出場選手登録を抹消[36]。後に一軍へ復帰すると、2年振りにパ・リーグの最終規定投球回へ到達した。一軍公式戦全体では、前年を上回る24試合に登板。通算防御率は3.83で、与四球数が自己ワーストの59個に達したほか、自身初の負け越し(7勝9敗)を喫した。その一方で、12月12日には、前年と同じ条件で契約を更改。黒田がこの年限りで現役を引退したことから、基本年俸分(推定5億円)でNPBの現役選手最高額に達した[37]

2017年には、3月31日の対楽天戦(京セラドーム)で2年連続6度目の開幕投手を務めたが、前年に続いて勝敗は付かなかった。4月14日の対ソフトバンク戦(福岡ヤフオクドーム)では、5回裏まで1人も走者を出さなかった末に、被安打2の無四球完封勝利を自己最少の92球で達成。一軍公式戦での完封勝利は通算21回目で、NPB現役投手での最多達成者である杉内俊哉の記録に並んだ[38][39]。同年の全投手でソフトバンク相手に挙げた唯一の完封勝利でもあった。さらに、4月26日の対西武戦でも、3失点を喫しながら完投勝利を記録。4月には先発で登板した4試合で全勝した[40]ことから、チームメイトのT-岡田と揃ってパ・リーグ3・4月度の月間MVPを受賞した[41]。5月23日の対楽天戦では一軍公式戦自己ワーストタイ記録の8失点[42]、6月6日の対阪神戦(いずれも京セラドーム)では自己ワーストの9失点で黒星を喫した[43]が、8月30日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)での2失点完投勝利によって自身3年振りの一軍公式戦シーズン2桁勝利を達成した[44]。一軍公式戦全体では、27試合の登板(リーグ最多の27先発登板)で、12勝8敗や防御率3.47をマーク。シーズン終了後には、推定年俸6億円(前年より1億円増でNPBの現役選手最高額)という条件で契約を更改した[45]

2018年には、レギュラーシーズンの開幕投手を西勇輝へ初めて任せたチーム事情[46]を背景に、4月3日の対ロッテ戦で公式戦初登板。しかし、この試合から5月3日の対西武戦(いずれも京セラドーム)まで自己ワーストの開幕4連敗を喫する[47]ほど不調で、公式戦での初勝利は5月23日の対楽天戦(楽天生命パーク)にまで持ち越された[48]。一軍公式戦全体でも、17試合の登板で、4勝7敗、防御率3・87と不振。首から背中にかけて強い張りを抱えていたこともあって、8月14日に出場選手登録を抹消されてからは、実戦へ登板せずにシーズンを終えた[49]。2015年シーズンからの4年契約がこの年で満了したことや、契約期間中の一軍公式戦での成績が4シーズン通算で30勝30敗にとどまったことなどを背景に、シーズン終了後の契約交渉では球団からNPB野球協約の減額制限(年俸1億円超の選手に対しては40%を上限に設定)を大幅に超える減俸を提示[50]。この提示に対して、金子は11月28日に、自身を自由契約選手として扱う旨を球団に申し入れた。球団側も、金子の申し入れを受諾。金子との再契約の余地を残しながらも、金子を契約保留者名簿からいったん除外したうえで、自由契約選手としての公示をNPBへ申請する方針を金子に伝えた[50][51]

選手としての特徴

スリークォーターから平均球速約144km/h[52]、最速154km/hのストレート、先発転向後精度が向上した縦のカーブスライダーカットボールツーシーム[53][54]チェンジアップスプリット[54]パワーシンカー[55]、まれにワンシーム[56]を投げ分ける。

四球が少なく、与四球率は通算で2.09と優秀な数値をマークしており、特に2008年からは3年連続で1個台をマークしている(2008年1.85、2009年1.78、2010年1.94)。

先頭打者への投球前には「両手を帽子のこめかみに当てるポーズ」を取るが、これは精神統一の際に「自分に言い聞かせていることをカメラに撮られたくない」為に顔と口元を隠す意味で始めたという[57]

汗をかくことを嫌っているため、グラブを持つ左の掌が布地に隠れるほど左袖が長い特注品のアンダーシャツを愛用している[58]。このシャツを着て登板する試合では、距離や角度によって、投球の合間にボールをもむ動作が左袖の布地に触れる格好でボールをこねているように見えることがあるという。2014年には、その動作をめぐって、オープン戦(3月21日・阪神戦)と公式戦(5月2日・札幌ドームの対日本ハム戦)の登板中に審判団から注意を受けた[59]。オリックス球団では、「ボールがアンダーシャツに直接触れないようにすれば(ボールをグラブ・身体・着衣で摩擦することを投手の禁止事項に定めている)公認野球規則に抵触しないことを、日本野球機構の審判部に確認済み」として、金子が注意を受けた後も上記のシャツの着用を容認[60]。金子自身も、ボールをもむ際に左手の指を立てるように工夫しながら、着用を続けている[58]

人物

愛称は「ネコ」「ちーちゃん」など。

2006年の宮古島キャンプではトレーニングを兼ねて訪れていたイチローと紅白戦で対戦し、リードした前田大輔にも責任はあるものの初球にカーブを投げ、チームメイト(当時)の清原和博に「真っ直ぐ(ストレート)で勝負せなアカンやろ」と怒られた[61]。これについては後に自分の一番良い球で抑えてアピールしないといけないという持論を語っている。もっとも、自身の著書で明かしたところによると、その後変化球で打ち取られたイチローには、すれ違った際に「最後の球はスライダー?ナイスボール」と声をかけられ「プロに入ってからずっと自信を持てなかった僕に、前を向く勇気を与えてくれました」と振り返っている。

2009年には母校である長野市立朝陽小学校の校庭を芝生化するために試合で一勝する度に10万を寄付し、最終的には合計110万の寄付を行った[62][63]

2010年4月29日にソフトバンクから金子圭輔トレード移籍してきたことに伴い、報道やスコアボードでの表記名が「金子千」となった。ただしバランスが悪いからという理由で、5月8日の対ロッテ戦から電光掲示板の表示をフルネームの「金子千尋」に変更している[64]。2012年1月17日に金子圭輔がソフトバンクに復帰したことで金子姓は一人となったが、2012年以降もスコアボード上の表記は「金子千尋」のままであり[65]、公式記録で他の選手が名字のみになっている箇所でも常にフルネームでの表示になっている[66]

先発で9回表終了まで無安打に抑えながら、その裏の代打で交代を余儀なくされた2014年5月31日の対巨人戦(前述)では、延長戦に入ってからも救援陣が継投で記録を継続。11回表に佐藤達也片岡治大にチーム初安打、12回表に馬原孝浩亀井義行に決勝本塁打を許すなど、延長12回までもつれ込んだ末にチームは0対1で敗れた[67]。金子は、この結果について、試合終了後に淡々とした姿勢で「(巨人打線が)ノーヒットだったのは知っていたが、9回まで0-0(というスコア)でいっていたので、ノーヒットを意識することなく最後まで投げられた。9回裏にサヨナラ(で勝っていた)なら、ノーヒットノーランとして記録に残るので嬉しいけど、自分の使命はチームに勝ちを付けること。それができなかったので、ノーヒット(ノーランを達成できなかったこと)へのコメントはできない」と振り返っていた[68]。なお、先発投手からの継投で無安打投球を続けた末に、延長で初安打を許したチームは日本プロ野球公式戦2例目(NPBの公式戦では初めての事例[注釈 2])であった[69]

2011年10月には、オリジナル写真集サイトの「PHOちょ+」から、自身の監修による初の公式写真集が販売された(現在は終了)。

「ファンとの交流の場を設けたい」という自身の希望から、2011年と2015年のシーズン終了後には、有料定員制の「ファンミーティング」を大阪市内のホテルで開いている[70]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2006 オリックス 21 1 0 0 0 1 1 0 1 .500 120 28.0 20 4 18 1 2 22 3 1 13 11 3.54 1.36
2007 36 7 2 2 0 6 2 1 2 .750 343 84.0 75 4 20 2 1 68 1 0 31 26 2.79 1.13
2008 29 25 0 0 0 10 9 0 0 .526 717 165.0 185 19 34 0 8 126 3 0 78 73 3.98 1.33
2009 32 21 5 2 1 11 8 4 0 .579 683 171.2 149 15 34 0 4 165 2 0 54 49 2.57 1.07
2010 30 29 7 6 2 17 8 0 1 .680 831 204.1 184 17 44 1 3 190 5 2 85 75 3.30 1.12
2011 20 20 5 2 3 10 4 0 0 .714 613 155.1 126 9 38 2 2 123 3 0 45 42 2.43 1.06
2012 9 9 2 1 1 4 3 0 0 .571 265 63.2 65 2 15 0 1 56 3 0 19 17 2.40 1.26
2013 29 29 10 3 1 15 8 0 0 .652 881 223.1 166 10 58 0 3 200 6 1 55 50 2.01 1.00
2014 26 26 4 3 1 16 5 0 0 .762 763 191.0 157 7 42 0 3 199 6 0 48 42 1.98 1.04
2015 16 15 0 0 0 7 6 0 1 .538 379 93.0 85 8 18 0 0 79 1 0 34 33 3.19 1.11
2016 24 23 2 1 1 7 9 0 0 .438 676 162.0 143 13 59 0 2 125 7 0 71 69 3.83 1.25
2017 27 27 6 1 2 12 8 0 0 .600 754 184.1 160 21 56 0 2 141 1 0 80 71 3.47 1.17
2018 17 17 0 0 0 4 7 0 0 .364 430 100.0 97 11 35 0 3 72 3 0 47 43 3.87 1.32
NPB:13年 316 249 43 21 12 120 78 5 5 .606 7455 1825.2 1612 140 471 6 34 1566 44 4 660 601 2.96 1.14
  • 2018年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

投手記録
打撃記録
節目の記録
  • 1000投球回:2013年7月24日、対北海道日本ハムファイターズ12回戦(京セラドーム大阪)、3回表1死目にマイカ・ホフパワーから見逃し三振で達成 ※史上335人目
  • 1000奪三振:2014年4月25日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(京セラドーム大阪)、5回表に枡田慎太郎から見逃し三振で達成 ※史上136人目
  • 100勝:2016年5月20日、対千葉ロッテマリーンズ9回戦(京セラドーム大阪)、7回2失点 ※史上133人目
  • 1500投球回:2016年8月19日、対東北楽天ゴールデンイーグルス15回戦(京セラドーム大阪)、7回表3死目にジャフェット・アマダーから空振り三振で達成 ※史上173人目
  • 1500奪三振:2018年4月10日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(京セラドーム大阪)、1回表にカルロス・ペゲーロから空振り三振で達成 ※史上53人目
その他の記録
  • 9回まで無安打無得点:2014年5月31日、対読売ジャイアンツ戦(京セラドーム大阪)、9回を無安打4与四球1失策無失点。チームは延長12回0対1で敗戦
  • オールスターゲーム出場:3回(2009年、2014年、2017年)

背番号

  • 19 (2005年 - )

登場曲

  • 「HIGH G.K. LOW」GReeeeN(2008年 初回投球練習時)
  • 「ALWAYS」FUNKY MONKEY BABYS(2008年 5回表投球練習時)
  • 「超!」DJ OZMA (2009年)
  • 「海賊船」遊助(2010 - 2011年)
  • ミッキーマウス・マーチ(ユーロビートバージョン)」Domino(2012年)
  • 「with you」ゆず(2013年)
  • 「ピタカゲ (CROOKED) -JPN-」G-Dragon(2014年)
  • 「Good Boy」G-Dragon & Taeyang (from BIGBANG)(2015年)
  • 「BANG BANG BANG -KR Ver.-」BIGBANG(2015年)
  • 「Dumb & Dumber -KR Ver.-」iKON(2016年)
  • 「Just Another Boy -KR ver.-」iKON(2017年)
  • 「B-DAY -KR Ver.-」iKON(2017年)
  • 「SINOSIJAK -JP ver.-」iKON(2018年)

代表歴

関連情報

著書

  • 『どんな球を投げたら打たれないか』PHP研究所、2014年11月。ISBN 978-4569821351 
  • 『金子千尋の変化球バイブル ハンディ版』ベースボール・マガジン社、2015年8月。ISBN 978-4583108995 

脚注

注釈

  1. ^ 2006年の八木智哉につぐ。
  2. ^ 2リーグ分立前年の1949年に一宮球場で催された中日ドラゴンズ東急フライヤーズ戦で、中日の先発・杉下茂が試合開始から無安打投球を続けていたものの、8回表に浜田義雄が放った打球で利き手(右手)の指を痛めたためこの回限りで降板。降板した時点で許した走者は、自身の与四球による2人と、味方野手の失策による1人だけであった。9回表から急遽服部受弘がマウンドに立ったが、0-0のスコアで迎えた10回表に、先頭打者の大下弘によるソロ本塁打でこの試合チーム初の被安打と失点を記録。結局、中日は投手陣が9回終了まで東急打線をノーヒットノーランに抑えながら、延長10回まで戦った末に敗れている。

出典

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関連項目

外部リンク