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アカデメイアが学校として有名だったことから、ヨーロッパでは[[ネオプラトニズム]]の隆盛と相まり、高度な研究ないし教育機関をこれに因んで[[アカデミー]] (academy)、アカデミカ (Accademica) などと名付けることが行われた。[[ルネサンス]]期の[[フィレンツェ]]における[[プラトン・アカデミー]]は[[メディチ家]]と人文主義者の私的サークルであったが「アカデミー」という言葉が用いられる端緒となり、制度化されたものとしては[[フランス]]の[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]治下における[[アカデミー・フランセーズ|フランス王立アカデミー]]などが著名である。 |
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== 脚注 == |
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2018年9月6日 (木) 00:46時点における版
アカデメイア(ギリシャ語: Ἀκαδημ(ε)ια、Akadēm(e)íā)は、古代ギリシアのアテナイ北西部郊外にあった、英雄アカデモスの聖林(森)に因む神域であり、リュケイオン、キュノサルゲス等と並ぶ、代表的なギュムナシオン(体育場)の所在地でもあった。
青年たちの教育に熱心だったソクラテスは、足繁くこのアカデメイアやリュケイオンのギュムナシオン(体育場)の青年たちを見て回っていたことが、プラトンの対話篇『リュシス』などにも描かれている。
プラトンの学園
紀元前387年、プラトンがここに学園を開設したため、この地名「アカデメイア」がそのまま学園名として継承された。(アリストテレスの「リュケイオン」も同様。)
学科
算術、幾何学、天文学等を学び一定の予備的訓練を経てから理想的な統治者が受けるべき哲学を教授した。特に、幾何学は、感覚ではなく、思惟によって知ることを訓練するために必須不可欠のものであるとの位置付けで、学校の入り口の門には「幾何学を知らぬ者、くぐるべからず」との額が掲げられていたという[1]。
これらの学科や、問答法(弁証術、ディアレクティケー)をもっぱら学ぶことの必要性、また、これらが「哲人王」「夜の会議」といった国制・法律を保全し、その目的(善・徳)を達成すべく国家を主導していく人々に必要な教育である理由は、『国家』や『法律』等で、詳しく説明されている。
継承
プラトンの死後、学頭の地位は甥(姉の子)スペウシッポスが継いだ。アカデメイアの学頭は、プラトン(前388-前348)、スペウシッポス(前348-前339)、クセノクラテス(前339-前314)、ポレモン(前314-前270)、クラテス(前270-前265)、アルケシラオス(前265-前241)、カルネアデス、シュリアノス、プロクロス、マリノス 、ダマスキオスである。
時期によって学説に相違があり、古アカデメイア派、中期アカデメイア派、新アカデメイア派等何期かに分かれる。スペウシッポスの時期には数学偏重の傾向が見られた。末期アカデメイア派は懐疑論が主流となってストア派と対立し、当時のアカデメイア派は懐疑論者と同義に使われた。
東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世の非キリスト教的学校の閉鎖政策によって、アカデメイアは529年にその歴史を閉じた。
後世への影響
アカデメイアが学校として有名だったことから、ヨーロッパではネオプラトニズムの隆盛と相まり、高度な研究ないし教育機関をこれに因んでアカデミー (academy)、アカデミカ (Accademica) などと名付けることが行われた。ルネサンス期のフィレンツェにおけるプラトン・アカデミーはメディチ家と人文主義者の私的サークルであったが「アカデミー」という言葉が用いられる端緒となり、制度化されたものとしてはフランスのルイ13世治下におけるフランス王立アカデミーなどが著名である。
開智未来高等学校でもアカデメイアという名前の教室がある。
脚注
参考文献
- 森毅『数学の歴史』講談社〈講談社学術文庫〉、1988年9月。ISBN 4-06-158844-3。