「ポンピドゥー・センター」の版間の差分
編集の要約なし |
m 外部リンクの修正 (tech.nikkeibp.co.jp) (Botによる編集) |
||
(20人の利用者による、間の45版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{Otheruses|総合文化施設|ポンピドゥー・センター内「国立近代美術館」(ポンピドゥー・コレクション)|国立近代美術館 (フランス)}} |
|||
[[画像:CentrePompidou.jpg|thumb|300px|ポンピドゥー・センター]] |
|||
{{博物館 |
|||
{{Maplink2|frame=yes|zoom=13|frame-width=300|type=point}} |
|||
|名称=ポンピドゥー・センター<br />Centre Pompidou |
|||
'''ポンピドゥー・センター'''({{lang-en-short|Pompidou Centre}}<ref group="†">{{IPA-en|ˈpɒmpɪduː ˈsentə(r)}} '''パ'''ンピドゥー・'''セ'''ンタ(ー)</ref>)は、[[フランス]]・[[パリ]][[4区 (パリ)|4区]]([[セーヌ川]]右岸)にある総合文化施設。[[フランス語]]での正式名称は {{lang|fr|Centre national d'art et de culture Georges-Pompidou|}}<ref group="†">{{IPA-fr|sɑ̃ːtʁ nasjɔnal dɑːʁ e də kyltyːʁ ʒɔʁʒ pɔ̃pidu}} サーントル・ナスィヨナル・ダール・エ・ドゥ・キュルテュール・ジョルジュ・ポンピドゥー</ref>([[日本語]]訳の例:ジョルジュ・ポンピドゥー国立美術文化センター)であるが、一般に ''Centre Georges-Pompidou'' や ''Centre Pompidou''、あるいは ''Centre Beaubourg''<ref group="†">{{IPA-fr|sɑ̃ːtʁ bobuːʁ}} サーントル・ボブール</ref>という。名前は、[[フランス第五共和政]]の第2代大統領で、現代芸術の擁護者でもありこの施設を発案した'''[[ジョルジュ・ポンピドゥー]]'''にちなんでいる。様々な形態の同時代の芸術([[現代美術]]や[[現代音楽]]、[[ダンス]]、[[映画]]など)のための拠点をパリ中心部に設けようとの意図から計画され、[[レンゾ・ピアノ]]と[[リチャード・ロジャース (建築家)|リチャード・ロジャース]]が設計し<ref name=Fuse>{{Cite book|和書 |author = [[布施英利]] |year = 2015 |title = パリの美術館で美を学ぶ ルーブルから南仏まで |publisher = [[光文社]] |page = 90 |isbn = 978-4-334-03837-3}}</ref>、[[1977年]]開館。 |
|||
|画像=File:Walk around Beaubourg (35573464715).jpg |
|||
|imagesize=300 |
|||
|画像説明=ポンピドゥー・センター{{Maplink2|frame=yes|zoom=14|frame-align=center|frame-width=280|type=shape|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|frame-latitude=48.857|frame-longitude=2.352|text=ポンピドゥー・センターの位置}} |
|||
|正式名称=ジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター |
|||
|pushpin_map = France Paris#4th arrondissement of Paris |
|||
|来館者数=約3,300,000人 (美術館・図書館のみ; 2016年) |
|||
|館長=セルジュ・ラヴィーニュ |
|||
|建物設計=[[レンゾ・ピアノ]]<br />[[リチャード・ロジャース (建築家)|リチャード・ロジャース]]<br />ジャンフランコ・フランキーニ |
|||
|延床面積=103,305 m<sup>2</sup> |
|||
|開館=[[1977年]] |
|||
|所在地=Place Georges Pompidou, 75004 Paris<br />[[パリ4区]], [[イル=ド=フランス地域圏]]<br />{{FRA}} |
|||
|アクセス=[[パリメトロ11号線]] [[ランビュトー駅]] |
|||
|公式サイト=[https://www.centrepompidou.fr/ www.centrepompidou.fr] |
|||
}} |
|||
'''ジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター''' (ジョルジュ・ポンピドゥーこくりつげいじゅつぶんかセンター、Centre national d’art et de culture Georges Pompidou (CNAC-GP); 通称「'''ポンピドゥー・センター''' (Centre Pompidou)」) は、[[4区 (パリ)|パリ4区]]のサン=メリ地区にある総合文化施設である。[[1969年]]に、近代芸術の愛好家でもあった[[ジョルジュ・ポンピドゥー]]大統領 (1969-1974) が、首都[[パリ]]の中心部に[[造形芸術]]のほか、[[デザイン]]、[[音楽]]、[[映画]]関連の施設および[[図書館]]を含む[[近代美術と現代美術|近現代芸術]]拠点を設ける構想を発表。[[1977年]]に[[ヴァレリー・ジスカール・デスタン]]大統領により落成式が行われた。設計を手がけたのは建築家[[レンゾ・ピアノ]]、[[リチャード・ロジャース (建築家)|リチャード・ロジャース]]および{{仮リンク|チャンフランコ・フランキーニ|fr|Gianfranco Franchini}}である<ref>{{Cite web|url=https://www.centrepompidou.fr/fr/Le-Centre-Pompidou/L-histoire|title=L'histoire – Centre Pompidou|accessdate=2018-08-24|website=www.centrepompidou.fr|language=fr}}</ref>。当初は、デザインが斬新すぎて歴史ある建物が立ち並ぶパリの美観を損ねるなどの批判があったが、レンゾ・ピアノは「いかめしい文化施設のイメージを破壊したかった。これは芸術と人間のこの上なく自由な関係の夢であり、同時にまた、街の息吹が感じられる場である」と語った<ref name=":4" />。 |
|||
== 組織 == |
|||
ポンピドゥー・センターには[[国立近代美術館 (フランス)|国立近代美術館]]、「{{仮リンク|産業創造センター|fr|Centre de création industrielle}}(CCI)」、音響音楽研究所[[IRCAM]]、公共図書館が入っている(IRCAMは組織としてはポンピドゥー・センターが管轄するが、建物はポンピドゥー・センターの中ではなく、その南隣にあるストラヴィンスキー池の地下に存在する)。 |
|||
ポンピドゥー・センターは、主に[[公共情報図書館]](仏式1階から3階)、[[国立近代美術館 (フランス)|国立近代美術館]]・{{仮リンク|産業創造センター|fr|Centre de création industrielle}}(4階から6階)、[[映画館]]、[[多目的ホール]]、[[会議室]]、アトリエ・ブランクーシ、カンディンスキー図書館および国立音響音楽研究所 ([[IRCAM]]) により構成される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.centrepompidou.fr/fr/Infos/node_84919|title=ポンピドゥー・センター日本語インフォメーション|accessdate=2018-08-24|publisher=この「日本語インフォメーション」にある構造図は構造全体の半分程度で、一般に公開されているスペースのみである}}</ref>。 |
|||
[[2010年]]、フランス北東部の都市[[メス (フランス)|メス(Metz)]]に分館として'''ポンピドゥー・センター・メス'''が開館。コンペにより、日本人建築家[[坂茂]]とフランス人建築家ジャン・ドゥ・ガスティーヌ、イギリスの建築家フィリップ・グムチジャンの共同案が採用された<ref>日経アーキテクチュア編『坂茂ーNA建築家シリーズ7』日経BP社 2013年</ref><ref>ポンピドゥー・センター・メス公式サイト[http://www.centrepompidou-metz.fr/les-architectes Le Centre Pompidou-MetzL'architecture]では Philip Gumuchdjian Architects も設計協力者として紹介されている。</ref> |
|||
国立近代美術館は、[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]、[[ワシリー・カンディンスキー|カンディンスキー]]、[[アンリ・マティス|マティス]]、[[マルク・シャガール|シャガール]]、[[フェルナン・レジェ|レジェ]]、[[ジョアン・ミロ|ミロ]]、[[サルバドール・ダリ|ダリ]]、[[ジャン・デュビュッフェ|デュビュッフェ]]、[[アンディ・ウォーホル|ウォーホル]]、[[ピエト・モンドリアン|モンドリアン]]、[[ニキ・ド・サンファル]]などの作品をはじめとする100,000点以上の作品を所蔵し<ref>{{Cite web|url=https://www.centrepompidou.fr/fr/Collections/L-histoire-des-collections|title=L'histoire des collections – Centre Pompidou|accessdate=2018-08-24|website=www.centrepompidou.fr|language=fr}}</ref>、近現代美術のコレクションとしては欧州最大、世界的にも[[ニューヨーク近代美術館]] (MoMA) に次いで第二の規模である<ref>{{Cite news|title=Après Bruxelles, le Centre Pompidou vise Shanghai en 2019|last=JDD|first=Le|url=https://www.lejdd.fr/culture/beaux-arts/apres-bruxelles-le-centre-pompidou-vise-shanghai-en-2019-3645734|accessdate=2018-08-24|language=fr-FR|work=lejdd.fr}}</ref>。 |
|||
== 計画 == |
|||
この計画は、[[アンドレ・マルロー]]が文化大臣の時に提唱した「空想の美術館」などに起源を持つ。[[1960年代]]前半、[[ル・コルビュジエ]]の設計による[[20世紀美術]]のための'''[[美術館]]'''をパリ都心に建設するという計画があったが、この計画はコルビュジエの死で流れてしまった。しかし[[パレ・ド・トーキョー]]にあった当時のパリ近代美術館は年間の集客が20万人に届かないなど多くの問題を抱えており、1960年代後半に再び近現代美術館計画が浮上することになる。これと同時に、[[フランス国立図書館]]の機能を緩和するための新しい公共'''[[図書館]]'''をパリ都心に造るという計画もあった。ポンピドゥー・センターは、美術館計画と図書館計画の二つが合体したものである。 |
|||
[[2016年]]のポンピドゥー・センターの来館者数は、美術館と図書館だけでも330万人以上に達した。 |
|||
[[シャルル・ド・ゴール]]政権で首相を務めたポンピドゥーはこれらの計画にかかわったが、[[1969年]]の大統領就任後、パリ都心に大型建築を建てる適地がボーブール(ボブール、{{lang-fr-short|Beaubourg}})地区の大きな屋外駐車場(旧市場、第一次世界大戦の後に空き地となっていた)にしかないことから、[[1970年]]に同地区にひとつの大きな建物を建て、その中に近代美術館と公共図書館を同居させる事を決定した。 |
|||
[[2010年]]、ポンピドゥー・センターの分館として{{仮リンク|ポンピドゥー・センター・メス|fr|Centre Pompidou-Metz}}が開館した。設計は、日本人建築家[[坂茂]]、フランス人建築家{{仮リンク|ジャン・ド・ガスティーヌ|fr|Jean de Gastines}}、英国人建築家{{仮リンク|フィリップ・グムチジャン|fr|Philip Gumuchdjian}}が共同で手がけた。 |
|||
これ以外にもセンターを巡っては多様な思惑があった。たとえば当時衰退傾向にあったパリの芸術界を刺激し、第二次世界大戦後に[[ニューヨーク]]に移ってしまった芸術の中心地の地位をパリに取り戻すこと、新しい芸術をフランス政府が支援していることを内外に知らしめること、同時代の難解と思われがちな芸術に大衆を向かわせる役割を政府が果たすこと、20世紀に入って以降、時代の最先端の建築があまり建てられなくなってしまったパリに、20世紀後半を代表する建築を追加したいという欲望、などである。 |
|||
== 概要(構造・組織) == |
|||
しかし、当時の芸術を巡る諸問題、たとえばエリート芸術対大衆文化の対立、芸術の脱中心化に逆行するような中心施設建設、権力と芸術の関係などを巡り議論が多発した。 |
|||
[[File:Paris Montmartre Blick aufs Centre Georges-Pompidou.jpg|thumb|350px|ポンピドゥー・センターの外観]] |
|||
=== 構造 === |
|||
7階建て(+地下3階)のポンピドゥー・センター(延床面積103,305 m²)は、'''[[公共情報図書館]]'''(BPI; 10,400 m²; 1階から3階まで)、'''国立近代美術館'''(MNAM; 常設展12,210 m², 企画展5,900 m²; 4階から6階まで)、レストラン、カフェを含む'''屋上'''、2つの'''映画館'''(それぞれ315席、144席)、'''多目的ホール'''(384席)、'''会議室'''(158席)により構成され、さらに附属施設として敷地内に'''国立音響音楽研究所 ([[IRCAM]])''' がある。 |
|||
階段・エスカレーターの踊り場は展望スペース「パリの眺め (VUE DE PARIS)」<ref>{{Cite web|url=http://mediation.centrepompidou.fr/education/ressources/ENS-architecture-Centre-Pompidou/monument_dans_ville/p3.htm|title=Découvrir l'Architecture du Centre Pompidou - Un monument dans la ville - Le panorama|accessdate=2018-08-25|website=mediation.centrepompidou.fr|language=fr}}</ref>に通じ、「子供のアトリエ」<ref>{{Cite web|url=https://www.centrepompidou.fr/fr/Visite/Decouvrir-en-famille|title=Découvrir en famille – Centre Pompidou|accessdate=2018-08-25|website=www.centrepompidou.fr|language=fr}}</ref>などもある。 |
|||
== 建築 == |
|||
[[1971年]]、[[建築設計競技|国際設計競技]]の結果、[[レンゾ・ピアノ]]と[[リチャード・ロジャース (建築家)|リチャード・ロジャース]]の案が選出された。[[ジャンフランコ・フランキーニ]]や[[ピーター・ライス]]なども協力して設計された建物は、重さを支える柱などの構造や、建物の共用部分である電気・水道・空調などの配管、階段・エスカレーターも外部にむき出しにさせている。内部は柱やパイプスペースなどがなくなった分、広々とした空間が広がり、様々な展覧会に対応できるフレキシブルな可動壁を備えていた。 |
|||
[[1992年]]に、[[インダストリアルデザイン|インダストリアル・デザイン]]に関するフランス文化機関「'''{{仮リンク|産業創造センター|fr|Centre de création industrielle}}(CCI)'''」が国立近代美術館に統合され、[[1997年]]には、彫刻家[[コンスタンティン・ブランクーシ]]により寄贈されたアトリエ (600 m²) が[[レンゾ・ピアノ]]によりポンピドゥー・センター広場内に再建された('''アトリエ・ブランクーシ''')<ref>{{Cite web|url=https://www.centrepompidou.fr/media/panorama/atelier_brancusi.html|title=Espaces Pompidou|accessdate=2018-08-24|website=www.centrepompidou.fr|publisher=アトリエ・ブランクーシの360度パノラマ写真}}</ref>。 |
|||
彩色されたむき出しの[[パイプ]]と[[ガラス]]面で構成された外観は現代的を通り越して[[前衛]]的であり、建物自体がひとつの[[芸術]]作品であるといえる。だがパリは伝統的な[[建築物]]が多い都市なので、開館当時はパリ市民の間では賛否両論があり、一部の人からは「いつ完成するのですか?」との質問もあったという(むき出しの鉄骨を見て「建築中の建物」と勘違いした)。現在では多くの観客を集めているほか、最上階はパリ展望スポットとして人気がある。 |
|||
また、[[2002年]]には[[視覚芸術]]を中心とする20~21世紀の芸術専門の「'''カンディンスキー図書館''' (2,600 m²)」が完成した<ref name=":0">{{Cite web|url=https://www.centrepompidou.fr/fr/Le-Centre-Pompidou/Le-batiment|title=Le bâtiment – Centre Pompidou|accessdate=2018-08-24|website=www.centrepompidou.fr|language=fr}}</ref>。 |
|||
=== 映画 === |
|||
* カリム・アイノズ監督「ポンピドゥー・センター」2014年 - 6人の監督による6つの建築についてのオムニバスのドキュメンタリー3D映画『[[もしも建物が話せたら]]』の一話。 |
|||
なお、ポンピドゥー・センターと{{仮リンク|サン=メリ教会|fr|Église Saint-Merri}}に挟まれ、国立音響音楽研究所の入口がある'''{{仮リンク|ストラヴィンスキー広場|fr|Place Igor-Stravinsky}}'''の池には、「{{仮リンク|ストラヴィンスキーの噴水|fr|Fontaine Stravinsky}}」または「自動人形の噴水」と題する[[ジャン・ティンゲリー]]と[[ニキ・ド・サンファル]]の作品がある<ref>{{Cite web|url=https://www.centrepompidou.fr/media/panorama/fontaine_stravinsky_1.html|title=Espaces Pompidou|accessdate=2018-08-24|website=www.centrepompidou.fr|publisher=「ストラヴィンスキーの噴水」の360度パノラマ写真}}</ref>。 |
|||
== その他 == |
|||
[[1986年]]、[[チック・コリア|チック・コリア・エレクトリック・バンド]]の曲 "Elektric City" の[[ミュージック・ビデオ|ビデオ・クリップ]]の撮影がここで行なわれている。 |
|||
'''0階'''には、チケット売り場、クロークのほか、フォーラム、書店「フラマリオン」、子供のアトリエなどがある。 |
|||
[[1997年]]9月20日~12月14日にかけて、日本でも[[東京都現代美術館]]でポンピドー・コレクション展が開催され、[[アンリ・マティス|マティス]]や[[ワシリー・カンディンスキー|カンディンスキー]]などの絵画や彫刻が紹介された。 |
|||
'''公共情報図書館''' |
|||
[[2004年]]、慶應大学環境情報学部教授の建築家・[[坂茂]]、同学部の学生らとフランスの建築系大学学生らによる'''紙の仮設スタジオ建設'''を目的としたワークショップも行われた。 |
|||
建物1階の3分の1、中二階、2階、3階を占める。入口はセンター背面のボーブール通りにある。閲覧室、自習室、視聴覚室を備え、蔵書は36万冊。視聴覚材<ref>{{Cite web|url=http://www.bpi.fr/informations-pratiques/handicap-et-accessibilite/les-loges|title=Les loges|accessdate=2018-08-26|website=www.bpi.fr|language=fr}}</ref>も充実している<ref>{{Cite web|url=http://www.bpi.fr/sites/SiteInstitutionnel/home.html|title=Accueil site de la Bibliothèque publique d'information (Bpi)|accessdate=2018-08-26|website=www.bpi.fr|language=fr}}</ref><ref name=":3">{{Cite web|和書|url=http://www.mmm-ginza.org/museum/special/backnumber/0705/special05-02.html|title=MMM|ジョルジュ・ポンピドー 国立芸術文化センター|accessdate=2018-08-26|website=www.mmm-ginza.org}}</ref>。現代美術研究者のためのカンディンスキー図書館を含む。 |
|||
== アクセス == |
|||
* [[画像:Metro-M.svg|16px]] [[メトロ (パリ)|メトロ]]11号線 [[ランビュトー駅]] |
|||
'''国立近代美術館・産業創造センター''' |
|||
== 脚注 == |
|||
{{脚注ヘルプ}} |
|||
<!-- |
|||
=== 注釈 === |
|||
--> |
|||
{{Reflist|group="†"|}} |
|||
<!-- |
|||
=== 出典 === |
|||
{{Reflist}} |
|||
1750年に設立された[[リュクサンブール美術館]]の所蔵品の一部を受け継ぎ、1937年の[[パリ万国博覧会 (1937年)|パリ万国博覧会]]の際に[[パレ・ド・トーキョー]]に[[パリ市立近代美術館]]と併設。1947年、正式に開館。1977年にポンピドゥー・センターに移動。所蔵作品10万点以上<ref>{{Cite web|url=https://www.centrepompidou.fr/fr/Collections/Les-oeuvres|title=Les œuvres – Centre Pompidou|accessdate=2018-08-26|website=www.centrepompidou.fr|language=fr}}</ref>。通常、常設展は4階および5階だが、企画展の規模・内容により変更される場合がある。 |
|||
=== 参考文献 === |
|||
--> |
|||
== 関連項目 == |
|||
* [[松方コレクション]] (第二次太平洋戦争当時にフランスに接収され、未返還のままの日本人の個人資産である松方コレクションの一部を、ポンピドゥ・センター国立近代美術館が保有している) |
|||
* [[リサとガスパール]] - 主人公のリサがポンピドゥー・センターのパイプ内に住んでいるという設定。 |
|||
なお、散逸した[[松方コレクション]]のうち、第二次世界大戦フランスに留め置かれた作品の一部をポンピドゥー・センター国立近代美術館が所蔵している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2016/06/20160629180401.html|title=松方コレクション展―松方幸次郎 夢の軌跡―|accessdate=2018-08-24 |url-status=dead |url-status-date=2024-10-07}}</ref>。 |
|||
* [[ナイキ エアマックス]] - ナイキのランニングシューズ。最大の特徴であるビジブルエアは、ポンピドゥー・センターから着想を得たもの。 |
|||
'''企画展''' |
|||
通常、6階および中二階の一部に展示。以下の「主な企画展」を参照のこと。 |
|||
'''映画館・多目的ホール''' |
|||
[[実験映画]]を中心に一般の映画館ではめったに上映されない映画、監督ごとの特集映画(たとえば、2018年8月現在は[[河瀬直美]]*、イサキ・ラクエスタ)、ビデオなどを上映<ref>{{Cite web|url=https://www.centrepompidou.fr/fr/lib/Cinema-et-video|title=Cinéma et vidéo – Centre Pompidou|accessdate=2018-08-26|website=www.centrepompidou.fr|language=fr}}</ref><ref name=":3" />。 |
|||
'''国立音響音楽研究所''' |
|||
音楽および音響に関する制作部門、研究部門、教育部門から成る研究所。 |
|||
{{Main|IRCAM}} |
|||
=== 建築物 === |
|||
{| class="wikitable" |
|||
! colspan="4" |建築物全体の寸法・土木/建築資材<ref>{{Cite web|url=https://web.archive.org/web/20081220151314/http://www.centrepompidou.fr:80/pompidou/Communication.nsf/0/B90DF3E7C7F18CAEC1256D970053FA6D?OpenDocument&sessionM=3.1.12&L=1|title=Centre Pompidou - ARCHITECTURE DU BÂTIMENT- Art culture musée expositions cinémas conférences débats spectacles concerts|accessdate=2018-08-24|date=2008-12-20}}</ref> |
|||
|- |
|||
|敷地面積 |
|||
|2 ha |
|||
| colspan="2" |― '''資材''' ― |
|||
|- |
|||
|地上階 |
|||
|7階建て |
|||
|土木工事 |
|||
|300,000 m³ |
|||
|- |
|||
|延床面積 |
|||
|103,305 m² |
|||
|鉄筋コンクリート |
|||
|50,000 m³ |
|||
|- |
|||
|高さ |
|||
|42 m (ボーブール通り側), 45.5 m (広場側) |
|||
|鉄骨の枠組み |
|||
|15,000 t |
|||
|- |
|||
|幅 |
|||
|166 m |
|||
|ファサード ガラス |
|||
|11,000 m² |
|||
|- |
|||
|奥行き |
|||
|60 m |
|||
|ファサード その他 |
|||
|7,000 m² |
|||
|- |
|||
|地階 |
|||
|3階(高さ18 m; 幅180 m; 奥行き110 m) |
|||
| colspan="2" | |
|||
|} |
|||
=== 組織運営 === |
|||
ポンピドゥー・センターは、各省庁が所管する高等教育機関などと同様に「行政的性格を有する公施設法人(EPA)」<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.niad.ac.jp/n_kokusai/info/france/overview_fr2_j.pdf|title=諸外国の高等教育分野における質保証システムの概要 ― フランス|accessdate=2018-08-24|publisher=行政的性格を有する公施設法人 (EPA): 様々な省庁が所管する高等教育機関など「行政的性格を有する公施設法人 (EPA)」も、EPSCP 同様、法令によって設置される。EPA は、法令上は教育機関として特別な地位にあるわけではなく、他の公施設法人と同等の地位を有して いる。高等教育機関のみならず、全行政セクターに渡って様々な組織がある。}}</ref>――国家により当該施設に関する公共政策の策定と実施を全面的または部分的に委託された法人――であり、したがって、国の補助金と独自の財源(入場料、提携、[[メセナ]]等)により運営されている。理事会は、国の代表、国会議員、パリ市長、専門家らにより構成される<ref name=":1">{{Cite web|url=https://www.centrepompidou.fr/fr/Le-Centre-Pompidou/L-organisation|title=L’organisation – Centre Pompidou|accessdate=2018-08-24|website=www.centrepompidou.fr|language=fr}}</ref>。 |
|||
ポンピドゥー・センターの会長(任期5年)は、文化相が推薦し、共和国大統領が任命する。現在の会長はセルジュ・ラヴィーニュである<ref>{{Cite web|url=https://www.centrepompidou.fr/fr/lib/Biographie-du-president-du-Centre-Pompidou|title=Biographie du président du Centre Pompidou – Centre Pompidou|accessdate=2018-08-24|website=www.centrepompidou.fr|language=fr}}</ref>。 |
|||
[[ファイル:Institut de recherche et coordination acoustique-musique, Paris 9 August 2010.jpg|サムネイル|国立音響音楽研究所 ([[IRCAM]])]] |
|||
ポンピドゥー・センターは国立近代美術館・産業創造センター (MNAM-CCI) 部門、文化推進部門 (DDC) および各管理部門により構成され、国立近代美術館・産業創造センター部門には、近代芸術、現代芸術、[[グラフィック・アート]]、[[写真]]、[[実験映画]]、[[ニューメディア]]、作品収集、作品修復などの分野がある<ref name=":1" />。 |
|||
== 歴史 == |
|||
=== 国立近代美術館 === |
|||
国立近代美術館の起源は、[[1750年]]に[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]がフランス最初の美術館として設立した[[リュクサンブール美術館]]に遡る。[[1818年]]にリュクサンブール美術館の所蔵品のうち没後10年を経た画家の作品を[[ルーヴル美術館|ルーブル美術館]]に移動し、さらに、[[1922年]]には外国人画家の作品を[[ジュ・ド・ポーム国立美術館]]に移動して特別室を設置した<ref>{{Cite web|url=https://museeduluxembourg.fr/histoire|title=Histoire {{!}} Musee du Luxembourg|accessdate=2018-08-24|website=museeduluxembourg.fr|language=fr}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.musee-orsay.fr/fr/collections/histoire-des-collections/peinture.html#c755|title=Musée d'Orsay: Peinture|accessdate=2018-08-24|website=www.musee-orsay.fr|language=fr}}</ref>。また、1886年にはリュクサンブール美術館の別館も建てられたが<ref>{{Cite web|url=http://www.senat.fr/basile/visio.do?id=a/evenement/archives/D14/musee4.html&idtable=a/presidence/discours/2014_06_26_exposition_vietnam.html%7Ca/evenement/archives/D14/musee4.html%7Ca/presse/cp20140515.html%7Ca/evenement/archives/D14/musee5.html%7Ca/visite/jardin/patrimoine_architectural.html%7Ca/evenement/expo_automne/2014.html%7Ca/evenement/ete_du_senat/2014/index.html%7Ca/evenement/archives/D38/def.html&_c=orangerie&rch=gs&de=20130901&au=20140901&dp=1+an&radio=dp&aff=sep&tri=p&off=0&afd=ppr&afd=ppl&afd=pjl&afd=cvn|title=Les musées du Luxembourg - Sénat|accessdate=2018-08-24|website=www.senat.fr}}</ref>、いずれの美術館も手狭になり、新たに近代美術館を設立する必要があった。このとき、リュクサンブール美術館の学芸員であった美術史家の{{仮リンク|ルイ・オートクール|fr|Louis Hautecœur}}が新しい[[パリ市立近代美術館]]の設立を提案し、一方で、フランス政府も、王室の絨毯を製造していたサヴォヌリー工場の跡地に国立近代美術館を建てる計画を発表したため、結局、[[1937年]]の[[パリ万国博覧会 (1937年)|パリ万国博覧会]]に合わせて建設する建物にパリ市立近代美術館と国立近代美術館を併設することになった。この建物が現在の[[パレ・ド・トーキョー]]である<ref>{{Cite web|url=http://archivesetdocumentation.centrepompidou.fr/ead2-fragment.xsp?id=FRCNACGP00ARCHIVES_000000003&c=FRCNACGP00ARCHIVES_000000003_e0000013&ishtml=true|title=Musée national d'art moderne-Service des manifestations.|accessdate=2018-08-24|website=archivesetdocumentation.centrepompidou.fr}}</ref>。ただし、[[第二次世界大戦]]中は所蔵品を地方に移動して保管していたため、国立近代美術館が正式に開館したのは[[1947年]]6月9日であった。 |
|||
=== ジョルジュ・ポンピドゥーの構想 === |
|||
[[ファイル:Georges Pompidou (cropped).jpg|サムネイル|189x189ピクセル|ジョルジュ・ポンピドゥー大統領 (1969)]] |
|||
最初に「20世紀の美術館」という構想を打ち出したのは、「空想美術館」<ref>{{Cite web|和書|url=http://artscape.jp/artword/index.php/%E7%A9%BA%E6%83%B3%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8|title=空想美術館|accessdate=2018-08-24|publisher=フランスの作家であり、ド・ゴール政権下で文化担当国務大臣を務めた政治家でもあったアンドレ・マルローが、1947年に出版した芸術論『東西美術論(原題:芸術の心理)』の第1巻で提示した概念のこと。「空想美術館」とは、あらゆる芸術作品の図版を並べることで、空想上の美術館であるように見立てたことに由来する。印刷や写真などの複製技術の発達により世界中の芸術作品を図版によって鑑賞することが可能となった。それによって、作品を比較できるようになり、美術史上の新発見がより頻繁になされる。そして、作品を巡る学術上の記述が変化し、評価基準が変わる可能性を帯びることとなる。空想美術館という発想は、ある作品とその着想及び制作過程においてインスピレーションを与えた作品とを比較し、視覚的にそれらの相互関係を把握する必要性をマルローが感じたことによるとされている。空想美術館は、現実の美術館の代用ではなく、美術館において実現不可能な芸術作品の配列を、複製物を通して可能にし、それによって生まれる知的作業を通して、芸術作品の新たな解釈を促すものなのである。[著者: 小野寛子]}}</ref>という概念を提唱し、[[シャルル・ド・ゴール|ド・ゴール]]政権下で文化担当国務大臣を務めた[[アンドレ・マルロー]]であった。実際、マルロー文化相 (1960-1969) は建築家[[ル・コルビュジエ]] (1887-1965) にこのプロジェクトを一任し、ル・コルビュジエは螺旋状の建物を設計していたが、[[1965年]]の急死により、結局、このプロジェクトは実現を見なかった<ref>{{Cite news|title=Centre Pompidou : les 40 ans d’un lieu qui a failli ne jamais naître|date=2017-01-30|last=Baldacchino|first=Julien|url=https://www.franceinter.fr/culture/centre-pompidou-les-40-ans-d-un-lieu-qui-a-failli-ne-jamais-naitre|accessdate=2018-08-24|language=fr-FR|work=France Inter}}</ref>。 |
|||
[[1969年]]、大統領に就任した[[ジョルジュ・ポンピドゥー]]が、首都パリの中心部に造形芸術のほか、デザイン、音楽、映画関連の施設を含む近現代芸術拠点を設ける構想を発表した。目的は、1) 特に[[1960年代]]に世界の芸術の中心地がパリから[[ニューヨーク]]に移ったため、こうした衰退に歯止めをかけ、現代芸術の中心地としてのパリの地位を取り戻すこと、2) 世界に開かれた芸術創造の場を提供し、分野横断的な新たな芸術表現を可能にすること、3) 国が最新の芸術動向と一般大衆をつなぐ仲介役となること、4) パリに20世紀後半の建築を代表する[[モニュメント]]を建てることなどであった<ref>{{Cite news|title=L'héritage des années Pompidou|date=2011-04-03|url=http://www.lefigaro.fr/culture/2011/04/03/03004-20110403ARTFIG00268-l-heritage-des-annees-pompidou.php|accessdate=2018-08-24|language=fr-FR|work=FIGARO}}</ref>。ポンピドゥー大統領のこの構想は、高級芸術(ハイアート)と大衆芸術(ロウアート)<ref>{{Cite web|和書|url=http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%8F%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88|title=ハイ・アート/ロウ・アート|accessdate=2018-08-24|publisher=高級芸術とポピュラー(大衆)芸術の意。現代美術の文脈においては、1939年にC・グリーンバーグが(多分にH・ブロッホの影響を受け)行なったアヴァンギャルド(前衛)/キッチュ(後衛)の区分がひとつの開始点となりうる。彼は、アヴァンギャルドを「イデオロギーの混乱と暴力のさなかで文化を推進し得る道を探す」ものと位置づけ、キッチュ=大衆芸術を「現代生活における見せかけにすぎぬもの全ての縮図」と断じた。グリーンバーグが挙げた対比例のひとつは、ブラックの絵画と『サタデー・イヴニング・ポスト』の表紙絵であるが、後者の作家N・ロックウェルはいまや美術館で展覧会が開催される=「高級芸術」の画家と捉えることも可能である。つまり、それがハイ/ロウの区分に伴う歴史的な限界として指摘される点であり、さらには「真正の芸術」をそれ以外のものから区別したT・W・アドルノらも標的とされ、彼らの「二元論」「近代主義」、および「エリート主義」に多くの批判が集まった。特にP・ブルデューが高級芸術を「文化資本」を持つ階層の「卓越化(ディスタンクシオン)」と論じたことは社会学的側面からのアプローチとしては特筆に値する。また、それを踏まえた議論が、主に90年代のアメリカ合衆国において社会学者や分析哲学者の間で盛んに交わされた。そこで傾向として見られたのは、ラップ音楽などのポピュラー芸術に正統性を与えることにより社会的に構築された抑圧機能としてのハイ/ロウ区分を無効にするような議論である。しかし、美学的考察が十分とはいえない場合もあり、芸術それ自体に寄り添い社会との関係を思考しようと試みたグリーンバーグやアドルノの論を説得的に塗り替ええたかについては疑問が残るところであろう。[著者: 長チノリ]}}</ref>、文化の中央集権化と地方分散化などの観点から論争を巻き起こした。同じくポンピドゥー大統領の意思により、1972年に[[グラン・パレ]]で「芸術の力」と題するフランス現代美術の大規模な企画展が開催されたときにも同様の論争が起こり、多くの芸術家が国家権力による芸術活動への介入を批判した<ref>{{Cite news|title=On s'est battu pour l'art : l'Expo 72 au Grand Palais|url=https://www.franceculture.fr/emissions/la-fabrique-de-lhistoire/sest-battu-pour-lart-lexpo-72-au-grand-palais|accessdate=2018-08-24|language=fr-FR|work=France Culture}}</ref>。 |
|||
=== 国立図書館 === |
|||
一方、[[フランス国立図書館]](現リシュリュー館; 新館のフランソワ・ミッテラン館は[[1994年]]に完成)も手狭になり、1966年に新しい国立図書館を建てる計画が発表された。候補地はレ・アルのパリ中央市場の跡地であった<ref>{{Cite news|title=La BPI a 30 ans, le projet|date=2007-01-27|url=https://www.franceculture.fr/la-bpi-30-ans-le-projet|accessdate=2018-08-24|language=fr-FR|work=France Culture}}</ref>。この市場は、[[1866年]]に[[ナポレオン3世]]時代のパリ市長であった[[ジョルジュ・オスマン|ジョルジュ=ウジェーヌ・オスマン]]の都市改造計画の一環として、[[ヴィクトール・バルタール]]の設計により建てられたが、[[1959年]]に中央市場の移転計画が発表され、[[1969年]]にパリ市南部、[[パリ=オルリー空港|オルリー空港]]近くの[[ランジス]]の町に移転した後、[[1971年]]に旧市場が解体された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.conso.jp/pdf/techno/archives/a0007.pdf|title=レ・アール ― パリ中央市場 (清水健次)|accessdate=2018-08-24}}</ref>。だが、最終的には、[[1968年]]に[[パリ議会]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.clair.or.jp/j/forum/series/pdf/j30.pdf|title=フランスの地方自治 (自治体国際化協会)|accessdate=2018-08-24|publisher=パリ議会 (Conseil de Paris) は、「パリ市長を議長とする163名(地方公共団体一般法典第L2512-3条)の全く同一の議員構成によって、コミューン議会と県議会の役割を兼ねており、一般の 地方公共団体関係法の定める両議会と同様の権限を有する。議席は全20区 (arrondissement) に各区単位で分割されている」}}</ref>が、パリ市が管轄するボーブール地区に国立図書館を建てることを承諾した<ref>{{Cite web|url=https://www.siv.archives-nationales.culture.gouv.fr/siv/rechercheconsultation/consultation/ir/consultationIR.action?irId=FRAN_IR_023788|title=FRAN_IR_023788 - Salle des inventaires virtuelle|accessdate=2018-08-24|website=www.siv.archives-nationales.culture.gouv.fr|language=fr}}</ref>。 |
|||
=== 最終計画 === |
|||
こうした経緯から、翌1969年にポンピドゥー大統領が近現代芸術拠点を設ける構想を発表したときにはボーブール地区を候補地に挙げていたが、同地区は国立図書館の建設予定地であったため、翌[[1970年]]にあらためて美術館を含む総合文化施設に国立図書館を併設する計画を発表し、これにより「図書館を利用する何千人もの人々が、同時に芸術に接することができる」と説明した<ref>{{Cite news|title=Bruno zelvi voir l'archi autrement - Comptes Rendus - 3367 Mots|url=https://www.etudier.com/dissertations/Bruno-Zelvi-Voir-l'Archi-Autrement/404684.html|accessdate=2018-08-24|language=fr|work=Etudier}}</ref>。 |
|||
当初、この総合文化施設には国立近代美術館、国立図書館および{{仮リンク|パリ装飾芸術美術館|fr|Musée des arts décoratifs de Paris}}の{{仮リンク|フランソワ・マテイ|fr|François Mathey}}館長が創設した産業創造センターを含める予定であったが、ポンピドゥー大統領は[[1971年]]にこれに音楽創造センターを加えると発表し、作曲家の[[ピエール・ブーレーズ]]をこのプロジェクトの責任者に任命した。これが現在の国立音響音楽研究所 (IRCAM) である。なお、当初の計画になかったこの研究所を建設するために、サン・メリ教会に隣接するサン・メリ小学校をルナール通りに移転しなければならなかった<ref>{{Cite web|url=http://mediation.centrepompidou.fr/education/ressources/ENS-la_place/ENS-la_place.html|title=Faire place à la place|accessdate=2018-08-24|website=mediation.centrepompidou.fr}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.leparisien.fr/paris-75004/paris-l-ecole-saint-merri-batiment-mal-aime-a-decouvrir-ce-samedi-19-05-2017-6965676.php|title=Paris : l’école Saint-Merri, bâtiment mal aimé à découvrir ce samedi|accessdate=2018年8月24日|publisher=}}</ref>。 |
|||
この計画はこの後もさらに練り直しが必要であった。国立近代美術館は文化省、国立図書館は国家教育省の管轄であり、音楽家の間でも国の政策について意見の対立があったからである<ref>{{Cite news|title=Pierre Boulez à tout prix : La naissance de l'Ircam|url=https://www.franceculture.fr/emissions/les-nuits-de-france-culture/pierre-boulez-tout-prix-la-naissance-de-lircam|accessdate=2018-08-24|language=fr-FR|work=France Culture}}</ref>。併せて、この事業は、1968年の五月革命の影響を受けて、国の文化政策を問い直す新たな挑戦であった<ref>{{Cite news|title=Mai 68 - Assemblée Générale {{!}} Centre Pompidou|url=https://www.centrepompidou.fr/cpv/resource/caEAo9G/rqEdEe5|accessdate=2018-08-24|language=fr}}</ref>。 |
|||
=== 国際建築設計コンペティション・経営委員会 === |
|||
[[1970年]]8月26日、[[閣議]]により[[国務院 (フランス)|国務院]]評定官のロベール・ボルダスが「ボーブール地区センター実現のための代表」に任命され、国際[[建築設計競技|建築設計コンペティション]]を開催し、ボーブール地区センターの建設を管理するための委員会を立ち上げた。設計コンペの審査委員長を務めたのは建築家の[[ジャン・プルーヴェ]] (1901-1984) であった。[[1971年]]7月15日、応募作品数681点から[[レンゾ・ピアノ]]、[[リチャード・ロジャース (建築家)|リチャード・ロジャース]]およびジャンフランコ・フランキーニのプロジェクトが選出された。[[ピーター・ライス]]がディレクターを務める[[アラップ]]社のパートナーであった3人は、早速、ボルダス委員会事務局が入った建物内に事務所を構えた<ref name=":2">{{Cite web|url=http://archivesetdocumentation.centrepompidou.fr/ead2-fragment.xsp?id=FRCNACGP00ARCHIVES_000000002&c=FRCNACGP00ARCHIVES_000000002_e0000013&ishtml=true|title=Construction et aménagement du Centre national d'art et de culture Georges Pompidou, de l'établissement public du Centre Beaubourg au Cnac-Gp (versé aux Archives Nationales).|accessdate=2018-08-24|website=archivesetdocumentation.centrepompidou.fr}}</ref>。 |
|||
[[1972年]]1月、ロベール・ボルダスが「ボーブール・センター公施設法人」の代表に任命され、後に同センターの文化活動を担うことになった人材(=実現者)を集めて「実現者委員会」を設置した。この「実現者委員会」はセンター完成後に「経営委員会」に移行した<ref name=":2" />。 |
|||
{{仮リンク|ポントゥス・フルテン|fr|Pontus Hulten}}が3年契約により国立近代美術館の館長に任命された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kanazawa21.jp/tmpImages/videoFiles/file-52-5-file-4.pdf|title=基調講演「21世紀の市民社会と美術館の役割」/アン=ソフィ・ノーリング|accessdate=2018-08-24}}</ref>。{{仮リンク|ジェルマン・ヴィアット|fr|Germain Viatte}}はフルテンの補佐として、現代的かつ国際的な新美術館構想を担当した。公共情報図書館の初代館長{{仮リンク|ジャン=ピエール・セガン|fr|Jean-Pierre Seguin}}は既に1967年から本プロジェクトの実施責任者であった。フランソワ・マテイは1968年に創設した産業創造センターの会長として参加した。 |
|||
[[1973年]]3月20日、閣議により数年にわたる事業計画と予算案が承認され、これにより、文化省の経常予算のほか、特別基金が設定された<ref name=":2" />。 |
|||
さらに、「'''ジョルジュ・ポンピドゥー国立文化芸術センター'''の設立に関する[[1975年]]1月3日付法律第75-1号」<ref>{{Citation|title=Loi n° 75-1 du 3 janvier 1975 portant création du centre national d'art et de culture Georges Pompidou|url=https://www.legifrance.gouv.fr/affichTexte.do?cidTexte=JORFTEXT000000888779|accessdate=2018-08-24}}</ref>により、正式名称が決定した。 |
|||
=== 落成 === |
|||
[[1977年]]4月2日、[[ヴァレリー・ジスカール・デスタン]]大統領によりジョルジュ・ポンピドゥー国立文化芸術センターの落成式が行われ、ポンピドゥー元大統領夫人{{仮リンク|クロード・ポンピドゥー|fr|Claude Pompidou}}(ポンピドゥー元大統領は完成を見ることなく[[1974年]]4月2日に死去した)、[[レイモン・バール]]首相ら多くの著名人が出席した<ref>{{Cite web|url=http://www.ina.fr/video/CAA77013973|title=Inauguration centre Georges Pompidou|accessdate=2018年8月24日|publisher=ポンピドゥー・センター落成式の動画}}</ref>。 |
|||
== 評価 == |
|||
=== 建設時の批判 === |
|||
[[ファイル:Renzo Piano cropped.jpg|サムネイル|190x190ピクセル|建築家[[レンゾ・ピアノ]]]] |
|||
建設当時、パリでは歴史街区の保存が課題になっており、ポンピドゥ・センターの過激なデザインは一部のパリ市民から非難を浴びた<ref name="kanazawa" />。 |
|||
建物外側に工事現場の足場のように鉄骨を組み立て、ここに電気、水道、空調の配管設備、階段、エスカレーターなどを配した斬新なデザインは物議を醸し、「パリの'''美観を損なう前衛芸術'''」、「'''配管設備のノートルダム'''」、「'''芸術の倉庫'''」、「'''ガス工場'''」、「'''石油精製工場'''」「'''文化のがらくた置き場'''」、または[[アクアリウム]]、[[プラネタリウム]]をもじって「'''ポンピドリウム'''」などと批判された<ref>{{Cite web|url=https://cdn.reseau-canope.fr/archivage/valid/N-2083-12765.pdf|title=CENTRE GEORGES POMPIDOU: DOSSIER PÉDAGOGIQUE|accessdate=2018年8月24日|publisher=}}</ref>。[[ジャン・ボードリヤール]]は『ボーブール効果』のなかで「'''文化の[[ハイパーマーケット]]'''」と形容した<ref>{{Cite web|和書|url=http://artscape.jp/dictionary/modern/1198379_1637.html|title=ポンピドゥー・センター:現代美術用語辞典|美術館・アート情報 artscape|accessdate=2018-08-24|website=artscape.jp|language=ja}}</ref>。 |
|||
[[ファイル:P1000954 Paris IV Rue Beaubourg reductwk.JPG|サムネイル|256x256ピクセル|ボーブール通り]] |
|||
これらの設備はカラーコードで示され、青は'''空気の流れ'''(空調)、緑は'''水の流れ'''(水道)、黄色は'''電気の流れ'''、そして赤は'''人の流れ'''(階段、エスカレーター)を表わしている<ref name=":0" />。 |
|||
レンゾ・ピアノは「'''いかめしい文化施設(建築物)のイメージを破壊したかった。これは芸術と人間のこの上なく自由な関係の夢であり、同時にまた、街の息吹が感じられる場である'''」と語った<ref name=":4">{{Cite news|title=Le Centre Pompidou fête ses 40 ans ce week-end|date=2017-02-01|url=http://www.lefigaro.fr/sortir-paris/2017/02/01/30004-20170201ARTFIG00050-centre-pompidou-40-ans-a-ciel-ouvert.php|accessdate=2018-08-24|language=fr-FR|work=FIGARO}}</ref>。 |
|||
=== 完成後 === |
|||
ポンピドゥー・センター開館後、この地区には画廊、商店、レストランなどが進出してファッショナブルな街並みとなった<ref name="kanazawa">[https://www4.city.kanazawa.lg.jp/data/open/cnt/3/12482/1/1C.pdf 市民研究機構報告書 アートからのまちづくり(C6)] [[金沢市]]、2021年1月26日閲覧。</ref>。 |
|||
当初は1日5千人の来館者を予定していたが、実際にはこの4倍の2万人に達し、開館8年後の[[1985年]]には所蔵品が2倍に増えたため、イタリア人建築家[[ガエ・アウレンティ]]により美術館全体が改装され、現代芸術の展示面積が3倍になった。 |
|||
[[1992年]]には、「産業創造センター」が国立近代美術館に統合され、同センターのインダストリアル・デザイン関連の作品が美術館に収蔵された。 |
|||
ポンピドゥー・センターの入館者数は2000年代には年間数百万人となり、[[エッフェル塔]]や[[ヴェルサイユ宮殿]]を追い抜いてヨーロッパで最も人を集める施設となっている<ref name="kanazawa" />。 |
|||
== 規模の拡張と改修 == |
|||
=== 1990年代 === |
|||
開館20周年の[[1997年]]にいったん閉館し、事務所を移転した後に美術館と図書館の面積を広げ、配管設備を移設するなど、建築家レンゾ・ピアノと{{仮リンク|ジャン=フランソワ・ボダン|fr|Jean-François Bodin}}を中心に27か月にわたる工事が行われた。[[2000年]]1月1日に再開した後も、さらに展示面積を広げ、[[2003年]]に1階南側に面積315 m²の展示室「エスパス315」<ref>{{Cite web|url=https://www.centrepompidou.fr/fr/Media/Plan-du-batiment/(niv)/1|title=Plan du bâtiment – Centre Pompidou|accessdate=2018-08-24|website=www.centrepompidou.fr|language=fr}}</ref>を設置した。[[マルセル・デュシャン]]賞<ref>{{Cite news|title=Prix Marcel Duchamp 2017 {{!}} Centre Pompidou|url=https://www.centrepompidou.fr/cpv/resource/c8rXB7X/rLGbkMp|accessdate=2018-08-24|language=fr}}</ref>の受賞作品はこの「エスパス315」に展示される<ref>{{Cite web|url=http://mediation.centrepompidou.fr/education/ressources/ENS-architecture-Centre-Pompidou/comment_ca_vit/p2.htm|title=Découvrir l'Architecture du Centre Pompidou - Comment ça vit ? Une machine à produire de lespace - Des espaces vivants|accessdate=2018-08-24|website=mediation.centrepompidou.fr|language=fr}}</ref>。 |
|||
=== 2020年代 === |
|||
ポンピドゥー・センターは2023年末から27年まで全面改修工事のため一時閉鎖となる<ref name="kyodo20210126">[https://web.archive.org/web/20210126063516/https://this.kiji.is/726590824726593536 仏ポンピドー、3年以上閉鎖へ] [[共同通信]]、2021年1月26日閲覧。</ref>。この改修工事で改装のほか、アスベスト(石綿)の完全除去、建物のエネルギー効率化やバリアフリー化が行われる<ref name="kyodo20210126" />。予算は約2億ユーロである<ref name="kyodo20210126" />。 |
|||
== 主な企画展 == |
|||
ポンピドゥー・センターに移転するまでの国立近代美術館、産業創造センターにおける企画展を含むすべての企画展 (2003年まで) については、[http://archivesetdocumentation.centrepompidou.fr/ead.html?id=FRM5050-X0031_0000074&c=FRM5050-X0031_0000074_FRM5050-X003191376#!{%22content%22:[%22FRM5050-X0031_0000074_FRM5050-X003191369%22,false,%22%22]} EXPOSITIONS DU CENTRE POMPIDOU : REPORTAGES EN ARGENTIQUE (1953-2003)] に記載されている。 |
|||
* パリ - ニューヨーク 1908-1968 (1977) |
|||
* パリ - ベルリン 関係と対照 (1978) |
|||
* [[アンリ・ミショー]] (1978) |
|||
* [[サルバドール・ダリ]] (1979) |
|||
* パリ - モスクワ 1900-1930 (1979) |
|||
* パリ - パリ フランスにおける創造 1937-1957 (1981) |
|||
* [[ジョルジュ・ブラック]] ― [[パピエ・コレ]] (1982) |
|||
* [[ジャクソン・ポロック]] (1982) |
|||
* [[ピエール・ボナール]] (1984) |
|||
* [[ワシリー・カンディンスキー]] (1984) |
|||
* 紙に描かれた作品 [[マルク・シャガール]]展 (1984) |
|||
* [[パウル・クレー]]と音楽 (1985) |
|||
* ウィーン ― 世紀の始まり (1986) |
|||
* [[サイ・トゥオンブリー]] (1988) |
|||
*[[フランク・ステラ]] (1988) |
|||
* 大地の魔術師たち ([[アフリカ美術|アフリカ芸術]]やアジア芸術などの非西洋美術と西洋の現代美術を並列した展覧会<ref>[https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8C%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E3%81%AE%E9%AD%94%E8%A1%93%E5%B8%AB%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%80%8D%E5%B1%95 「大地の魔術師たち」展] | 現代美術用語辞典ver.2.0 - artscape</ref>; 1989) |
|||
* [[アンディ・ウォーホル]] (1990) |
|||
* [[マックス・エルンスト]] (1991) |
|||
* マニフェスト ― 創造の30年を一望する1960-1990 (1992) |
|||
* [[アンリ・マティス]] (1993) |
|||
* [[ヨーゼフ・ボイス]] (1994) |
|||
* [[クルト・シュヴィッタース]] (1994) |
|||
* [[コンスタンティン・ブランクーシ]] (1995) |
|||
* [[ロバート・モリス (芸術家)|ロバート・モリス]] (1995) |
|||
* [[フランシス・ベーコン (芸術家)|フランシス・ベーコン]] (1996) |
|||
* [[アルテ・ポーヴェラ]] (1996) |
|||
* [[フェルナン・レジェ]] (1997) |
|||
* メイド・イン・フランス (1997) |
|||
* [[デイヴィッド・ホックニー]] (1998) |
|||
* {{仮リンク|フィリップ・ガストン|en|Philip Guston}}(2000) |
|||
* 彫刻家[[パブロ・ピカソ|ピカソ]] (2000) |
|||
* [[ジャン・デュビュッフェ]] (2001) |
|||
* [[シュルレアリスム|シュルレアリズム]]革命 (2002) |
|||
* [[ロラン・バルト]] (2002) |
|||
* [[マックス・ベックマン]] (2002) |
|||
* [[ニコラ・ド・スタール]] (2003) |
|||
* {{仮リンク|ソフィー・カル|fr|Sophie Calle}}(2003) |
|||
* [[ジャン・コクトー]] (2003) |
|||
* [[ジョアン・ミロ]] (2004) |
|||
* [[ダダイスム|ダダイズム]] (2005) |
|||
* [[シャルロット・ペリアン]] (2005) |
|||
* [[ロバート・ラウシェンバーグ]] (2006) |
|||
* [[ジャン=リュック・ゴダール]] (2006) |
|||
* [[イヴ・クライン]] (2006) |
|||
* [[エルジェ]] (2006) |
|||
* [[アネット・メサジェ]] (2007) |
|||
* [[リチャード・ロジャース (建築家)|リチャード・ロジャース]] (2007) |
|||
* [[サミュエル・ベケット]] (2007) |
|||
* [[フリオ・ゴンサレス (彫刻家)|フリオ・ゴンサレス]] (2007) |
|||
* [[アルベルト・ジャコメッティ]] (2007) |
|||
* [[ルイーズ・ブルジョワ]] (2008) |
|||
* {{仮リンク|タチアナ・トゥルーヴェ|fr|Tatiana Trouvé}}(2008) |
|||
* [[ドミニク・ペロー]] (2008) |
|||
* パリの[[未来派]] (2008-2009) |
|||
* elles@centrepompidou (女性アーティストの特集; 2009-2011) |
|||
* [[アレクサンダー・カルダー]] (2009) |
|||
* [[ワシリー・カンディンスキー]] (2009) |
|||
* [[ピエール・スーラージュ]] (2009) |
|||
* {{仮リンク|グドムンドゥル・エロ|fr|Erró}} |
|||
* ドリームランド (2010) |
|||
* [[エドヴァルド・ムンク]] (2011) |
|||
* パリ - デリー - ムンバイ... (2011) |
|||
* 生の舞踏 ― 1900年以降の芸術と舞踏 (2011-2012) |
|||
* [[アンリ・マティス]] (2012) |
|||
* [[ロイ・リキテンスタイン]] (2013) |
|||
* {{仮リンク|ピエール・ユイグ|fr|Pierre Huyghe}} (2013-2014) |
|||
* [[アンリ・カルティエ=ブレッソン]] (2014) |
|||
* [[マルセル・デュシャン]] (2014) |
|||
* [[パウル・クレー]] (2016) |
|||
* [[ビート・ジェネレーション]] (2016) |
|||
* [[ウォーカー・エバンス]] (2017) |
|||
* [[アンドレ・ドラン]] (2017) |
|||
* [[池田亮司]] (2018)* |
|||
*[[安藤忠雄]] (2018)* |
|||
<nowiki>*</nowiki> 日本とフランスの両国が連携し、「芸術の都フランス・パリを中心に《世界にまだ知られていない日本文化の魅力》を紹介する大規模な複合型文化芸術イベント『'''ジャポニスム 2018:響きあう魂'''』」<ref>{{Cite web|和書|url=https://japonismes.org/about|title=概要 {{!}} ジャポニスム2018|accessdate=2018-09-04|website=ジャポニスム2018|language=ja}}</ref>の一貫として、ポンピドゥー・センターでは「[https://japonismes.org/fr/officialprograms/%E3%80%8C%E6%B1%A0%E7%94%B0%E4%BA%AE%E5%8F%B8%E3%80%8D%E5%B1%95 池田亮司 | continuum]」展 (2018年6月15日 - 8月27日)、「[https://japonismes.org/officialprograms/%E3%80%8C%E5%AE%89%E8%97%A4%E5%BF%A0%E9%9B%84%E3%80%8D%E5%B1%95 安藤忠雄 挑戦]」展 (2018年10月10日 - 12月31日)、上記の「[https://japonismes.org/officialprograms/%E6%B2%B3%E7%80%A8%E7%9B%B4%E7%BE%8E%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E7%89%B9%E9%9B%86-%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%B1%95%E3%83%BB%E7%89%B9%E9%9B%86%E4%B8%8A%E6%98%A0 河瀨直美監督特集 特別展・特集上映] (2018年11月23日 - 2019年1月6日) のほか、「[https://japonismes.org/officialprograms/%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8E%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88 ジャポニスム2018 テクノ・イベント テクノ・コンサート] (2018年9月28日)」、「[https://japonismes.org/officialprograms/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%BC%94%E5%8A%87%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E2%80%95%E5%B2%A1%E7%94%B0%E5%88%A9%E8%A6%8F%E6%BC%94%E5%87%BA-%E3%80%8E%E4%B8%89%E6%9C%88%E3%81%AE5%E6%97%A5%E9%96%93%E3%80%8F 現代演劇シリーズ―岡田利規演出 『三月の5日間』リクリエーション、『プラータナー:憑依のポートレート』](2018年10月17日 - 20日; 2018年12月13日 - 16日)」、「[https://japonismes.org/officialprograms/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%BC%94%E5%8A%87%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E2%80%95%E6%9C%A8%E4%B8%8B%E8%A3%95%E4%B8%80%E7%9B%A3%E4%BF%AE%E3%83%BB%E8%A3%9C%E7%B6%B4%e3%80%80%E6%9D%89%E5%8E%9F%E9%82%A6 現代演劇シリーズ――木ノ下裕一監修・補綴 杉原邦生演出・美術 木ノ下歌舞伎『勧進帳』](2018年11月1日 - 3日)」を開催。 |
|||
== ポンピドゥー・センターの国内外の展開 == |
|||
[[2010年]]、ポンピドゥー・センターの分館としてフランス北東部の[[メス (フランス)|メス市]]に'''{{仮リンク|ポンピドゥー・センター・メス|en|Centre Pompidou-Metz}}'''が開館した。設計は、日本人建築家[[坂茂]]、フランス人建築家ジャン・ド・ガスティーヌ、英国人建築家フィリップ・グムチジャンが共同で手がけた<ref>日経アーキテクチュア編『坂茂ーNA建築家シリーズ7』日経BP社 2013年</ref>。なお、ポンピドー・センター・メスを設計するために、ポンピドー・センターのテラスに「紙の仮設スタジオ」を設置。日仏の学生が協力して建設した<ref>{{Cite news|title=紙の仮設スタジオ。ポンピドー・センター・メスを設計する場所として、ポンピドー・センターのテラスに、日仏の学生が協力して建設した(写真:Didier Boy de la Tour)|last=xTECH(クロステック)|first=日経|url=https://xtech.nikkei.com/kn/article/building/news/20140324/656349/?SS=imgview&FD=1536367729|accessdate=2018-08-24|language=ja-JP|work=日経 xTECH(クロステック)}}</ref>。 |
|||
[[2011年]]から[[2013年]]にかけて、フランス各地――[[ショーモン (オート=マルヌ県)|ショーモン]]、[[カンブレー]]、[[ブローニュ=シュル=メール]]、[[リブルヌ]]、[[ル・アーヴル]]、[[オーバーニュ]]――でそれぞれ4か月程度、国立近代美術館の所蔵作品を紹介する企画展「移動ポンピドゥー・センター」が開催された<ref>{{Cite news|title=Centre Pompidou mobile {{!}} Centre Pompidou|url=https://www.centrepompidou.fr/cpv/ressource.action?param.id=FR_R-3afed846-2aec-4381-92de-b3c87d7058bf¶m.idSource=FR_OR-a2f94ff78dfbe29fca9ca87b63cfee|accessdate=2018-08-24|language=fr}}</ref>。 |
|||
[[スペイン]]の[[マラガ]]に「{{仮リンク|マラガ・ポンピドゥー・センター|es|Centro Pompidou de Málaga}}」が設立され、2015年3月28日に[[マリアーノ・ラホイ・ブレイ|マリアーノ・ラホイ]]首相とフランスの[[フルール・ペルラン]]文化相により開館式が行われた。これは更新可能な5年間契約による最初の「臨時ポンピドゥー・センター」であり、面積6,300 m²の美術館に約70点の作品が展示されている<ref>{{Cite news|title=El Cubo del puerto de Málaga será subsede del Pompidou desde 2015|url=http://www.elmundo.es/andalucia/2013/11/29/529864a40ab740690f8b4597.html|accessdate=2018-08-24|language=es|work=ELMUNDO}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.spain.info/descarga-folletos/folletos/Malaga_A4_FINAL_Japones_web.pdf|title=マラガ(産業観光商務省)|accessdate=2018-08-24|publisher=(日本語) |url-status=dead |url-status-date=2024-10-07}}</ref>。 |
|||
[[2016年]]9月29日、ポンピドゥー・センターと[[ブリュッセル首都圏地域]]は[[2020年]]にブリュッセルに設立される近現代芸術・建築美術館に関する契約を締結した。[[1930年代]]以降、[[シトロエン]]車庫・修理工場であった30,000 m²の[[アール・デコ]]様式の建物をブリュッセル首都圏地域が買い取り、開館後はここに[[国立近代美術館 (フランス)|国立近代美術館]]の所蔵作品の一部を展示する予定である<ref>{{Cite web|url=https://www.diplomatie.gouv.fr/fr/politique-etrangere-de-la-france/diplomatie-culturelle/les-actualites-et-evenements-de-la-diplomatie-culturelle-en-2016/autres-actualites-et-evenements-de-la-diplomatie-culturelle-en-2016/article/culture-signature-d-un-protocole-d-accord-entre-le-centre-pompidou-et-la-region|title=Culture - Signature d'un protocole d'accord entre le Centre Pompidou et la région de Bruxelles (29.09.16)|accessdate=2018-08-24|last=international|first=Ministère des Affaires étrangères et du Développement|website=France Diplomatie : : Ministère de l'Europe et des Affaires étrangères|language=fr-FR}}</ref><ref>{{Cite news|title=Le Centre Pompidou va ouvrir un musée d'art moderne à Bruxelles|url=https://m.culturebox.francetvinfo.fr/arts/expos/le-centre-pompidou-va-ouvrir-un-musee-d-art-moderne-a-bruxelles-246661#xtref=https://www.google.com/|accessdate=2018-08-24|language=fr|work=Culturebox}}</ref>。 |
|||
日本では、[[1997年]]9月20日から12月14日まで[[東京都現代美術館]]で「ポンピドー・コレクション展」が開催され<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/82.html|title=ポンピドー・コレクション展|accessdate=2018-08-25|website=東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO|language=ja-JP}}</ref>、[[2007年]]2月7日から5月7日まで同年1月に開館した[[国立新美術館]]で「異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900-2005」が開催された<ref>{{Cite news|title=異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900-2005 {{!}} 国立新美術館|last=Office.|first=Internet Museum|url=https://www.museum.or.jp/modules/im_event/?controller=event_dtl&input%5Bid%5D=36960|accessdate=2018-08-25|language=ja|work=インターネットミュージアム}}</ref>。 |
|||
== その他の作品でのポンピドゥー・センター == |
|||
[[ファイル:Centre Georges Pompidou from the Tour Montparnasse 2007.jpg|サムネイル|[[トゥール・モンパルナス]]から見たポンピドゥー・センター周辺の風景]] |
|||
* [[1986年]]、[[チック・コリア|チック・コリア・エレクトリック・バンド]]の曲 "Elektric City" の[[ミュージック・ビデオ|ビデオ・クリップ]]の撮影がここで行なわれている<ref>{{Citation|title=Chick Corea Elektric Band - Elektric City|last=ChickCoreaVEVO|date=2009-06-16|url=https://www.youtube.com/watch?v=sSJYlfHjrTE|accessdate=2018-08-24}}</ref>。 |
|||
* 6人の監督による6つの建築についてのオムニバスのドキュメンタリー3D映画『[[もしも建物が話せたら]]』の一話としてカリム・アイノズ監督が『ポンピドゥー・センター』を制作した<ref>{{Cite news|title=監督について - 映画『もしも建物が話せたら』公式サイト|url=http://www.uplink.co.jp/tatemono/director.php|accessdate=2018-08-24|language=ja-JP}}</ref>。 |
|||
* [[フランス]]の[[絵本]]作品『[[リサとガスパール]]』では、主人公のリサがポンピドゥー・センターのパイプ内に住んでいるという設定である。 |
|||
* [[ナイキ エアマックス]]の衝撃吸収システム「ビジブルエア」(エアが「見える」) はポンピドゥー・センターに着想を得たものである<ref>{{Cite news|title=NIKE iDから、藤原ヒロシらによる「HTM」限定カラーの「エア マックス」3型が登場 - エキサイトニュース|url=https://www.excite.co.jp/news/article/Fashion_headline_13989/|accessdate=2018-08-24|language=ja}}</ref>。 |
|||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
||
{{reflist}} |
{{reflist}} |
||
== 関連項目 == |
|||
* [[ジョルジュ・ポンピドゥー]] |
|||
* [[国立近代美術館 (フランス)]] |
|||
* [[公共情報図書館]] |
|||
* 国立音響音楽研究所 ([[IRCAM]]) |
|||
* [[ウィキメディア・フランス]] |
|||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
{{Commonscat|Centre Georges-Pompidou}} |
{{Commonscat|Centre Georges-Pompidou}} |
||
*[https://www.centrepompidou.fr/ 公式ウェブサイト] |
|||
* [http://jp.france.fr/ja/discover/34969 フランス観光開発機構 ポンピドゥー・センター] |
|||
*{{Twitter}} |
|||
* [https://www.centrepompidou.fr/ Centre Pompidou] {{fr icon}}(言語選択で日本語に対応。) |
|||
*{{Facebook}} |
|||
* [http://artscape.jp/dictionary/modern/1198379_1637.html 現代美術用語集 ポンピドゥー・センター] |
|||
{{Coord|48.860653|N|2.352411|E|type:landmark_region:FR|format=dms|display=title}} |
{{Coord|48.860653|N|2.352411|E|type:landmark_region:FR|format=dms|display=title}} |
||
67行目: | 294行目: | ||
[[Category:パリ4区]] |
[[Category:パリ4区]] |
||
[[Category:パリの美術館]] |
[[Category:パリの美術館]] |
||
[[Category:フランスの美術館]] |
|||
[[Category:現代美術館]] |
[[Category:現代美術館]] |
||
[[Category:フランスの国立博物館]] |
[[Category:フランスの国立博物館]] |
||
[[Category:レンゾ・ピアノ]] |
[[Category:レンゾ・ピアノ]] |
||
[[Category:1977年竣工の建築物]] |
[[Category:1977年竣工の建築物]] |
||
[[Category:1977年開設の博物館]] |
|||
[[Category:人名を冠した建築物]] |
2024年12月8日 (日) 21:04時点における最新版
ポンピドゥー・センター Centre Pompidou | |
---|---|
施設情報 | |
正式名称 | ジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター |
来館者数 | 約3,300,000人 (美術館・図書館のみ; 2016年) |
館長 | セルジュ・ラヴィーニュ |
建物設計 |
レンゾ・ピアノ リチャード・ロジャース ジャンフランコ・フランキーニ |
延床面積 | 103,305 m2 |
開館 | 1977年 |
所在地 |
Place Georges Pompidou, 75004 Paris パリ4区, イル=ド=フランス地域圏 フランス |
アクセス | パリメトロ11号線 ランビュトー駅 |
外部リンク | www.centrepompidou.fr |
プロジェクト:GLAM |
ジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター (ジョルジュ・ポンピドゥーこくりつげいじゅつぶんかセンター、Centre national d’art et de culture Georges Pompidou (CNAC-GP); 通称「ポンピドゥー・センター (Centre Pompidou)」) は、パリ4区のサン=メリ地区にある総合文化施設である。1969年に、近代芸術の愛好家でもあったジョルジュ・ポンピドゥー大統領 (1969-1974) が、首都パリの中心部に造形芸術のほか、デザイン、音楽、映画関連の施設および図書館を含む近現代芸術拠点を設ける構想を発表。1977年にヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領により落成式が行われた。設計を手がけたのは建築家レンゾ・ピアノ、リチャード・ロジャースおよびチャンフランコ・フランキーニである[1]。当初は、デザインが斬新すぎて歴史ある建物が立ち並ぶパリの美観を損ねるなどの批判があったが、レンゾ・ピアノは「いかめしい文化施設のイメージを破壊したかった。これは芸術と人間のこの上なく自由な関係の夢であり、同時にまた、街の息吹が感じられる場である」と語った[2]。
ポンピドゥー・センターは、主に公共情報図書館(仏式1階から3階)、国立近代美術館・産業創造センター(4階から6階)、映画館、多目的ホール、会議室、アトリエ・ブランクーシ、カンディンスキー図書館および国立音響音楽研究所 (IRCAM) により構成される[3]。
国立近代美術館は、ピカソ、カンディンスキー、マティス、シャガール、レジェ、ミロ、ダリ、デュビュッフェ、ウォーホル、モンドリアン、ニキ・ド・サンファルなどの作品をはじめとする100,000点以上の作品を所蔵し[4]、近現代美術のコレクションとしては欧州最大、世界的にもニューヨーク近代美術館 (MoMA) に次いで第二の規模である[5]。
2016年のポンピドゥー・センターの来館者数は、美術館と図書館だけでも330万人以上に達した。
2010年、ポンピドゥー・センターの分館としてポンピドゥー・センター・メスが開館した。設計は、日本人建築家坂茂、フランス人建築家ジャン・ド・ガスティーヌ、英国人建築家フィリップ・グムチジャンが共同で手がけた。
概要(構造・組織)
[編集]構造
[編集]7階建て(+地下3階)のポンピドゥー・センター(延床面積103,305 m²)は、公共情報図書館(BPI; 10,400 m²; 1階から3階まで)、国立近代美術館(MNAM; 常設展12,210 m², 企画展5,900 m²; 4階から6階まで)、レストラン、カフェを含む屋上、2つの映画館(それぞれ315席、144席)、多目的ホール(384席)、会議室(158席)により構成され、さらに附属施設として敷地内に国立音響音楽研究所 (IRCAM) がある。
階段・エスカレーターの踊り場は展望スペース「パリの眺め (VUE DE PARIS)」[6]に通じ、「子供のアトリエ」[7]などもある。
1992年に、インダストリアル・デザインに関するフランス文化機関「産業創造センター(CCI)」が国立近代美術館に統合され、1997年には、彫刻家コンスタンティン・ブランクーシにより寄贈されたアトリエ (600 m²) がレンゾ・ピアノによりポンピドゥー・センター広場内に再建された(アトリエ・ブランクーシ)[8]。
また、2002年には視覚芸術を中心とする20~21世紀の芸術専門の「カンディンスキー図書館 (2,600 m²)」が完成した[9]。
なお、ポンピドゥー・センターとサン=メリ教会に挟まれ、国立音響音楽研究所の入口があるストラヴィンスキー広場の池には、「ストラヴィンスキーの噴水」または「自動人形の噴水」と題するジャン・ティンゲリーとニキ・ド・サンファルの作品がある[10]。
0階には、チケット売り場、クロークのほか、フォーラム、書店「フラマリオン」、子供のアトリエなどがある。
公共情報図書館
建物1階の3分の1、中二階、2階、3階を占める。入口はセンター背面のボーブール通りにある。閲覧室、自習室、視聴覚室を備え、蔵書は36万冊。視聴覚材[11]も充実している[12][13]。現代美術研究者のためのカンディンスキー図書館を含む。
国立近代美術館・産業創造センター
1750年に設立されたリュクサンブール美術館の所蔵品の一部を受け継ぎ、1937年のパリ万国博覧会の際にパレ・ド・トーキョーにパリ市立近代美術館と併設。1947年、正式に開館。1977年にポンピドゥー・センターに移動。所蔵作品10万点以上[14]。通常、常設展は4階および5階だが、企画展の規模・内容により変更される場合がある。
なお、散逸した松方コレクションのうち、第二次世界大戦フランスに留め置かれた作品の一部をポンピドゥー・センター国立近代美術館が所蔵している[15]。
企画展
通常、6階および中二階の一部に展示。以下の「主な企画展」を参照のこと。
映画館・多目的ホール
実験映画を中心に一般の映画館ではめったに上映されない映画、監督ごとの特集映画(たとえば、2018年8月現在は河瀬直美*、イサキ・ラクエスタ)、ビデオなどを上映[16][13]。
国立音響音楽研究所
音楽および音響に関する制作部門、研究部門、教育部門から成る研究所。
建築物
[編集]建築物全体の寸法・土木/建築資材[17] | |||
---|---|---|---|
敷地面積 | 2 ha | ― 資材 ― | |
地上階 | 7階建て | 土木工事 | 300,000 m³ |
延床面積 | 103,305 m² | 鉄筋コンクリート | 50,000 m³ |
高さ | 42 m (ボーブール通り側), 45.5 m (広場側) | 鉄骨の枠組み | 15,000 t |
幅 | 166 m | ファサード ガラス | 11,000 m² |
奥行き | 60 m | ファサード その他 | 7,000 m² |
地階 | 3階(高さ18 m; 幅180 m; 奥行き110 m) |
組織運営
[編集]ポンピドゥー・センターは、各省庁が所管する高等教育機関などと同様に「行政的性格を有する公施設法人(EPA)」[18]――国家により当該施設に関する公共政策の策定と実施を全面的または部分的に委託された法人――であり、したがって、国の補助金と独自の財源(入場料、提携、メセナ等)により運営されている。理事会は、国の代表、国会議員、パリ市長、専門家らにより構成される[19]。
ポンピドゥー・センターの会長(任期5年)は、文化相が推薦し、共和国大統領が任命する。現在の会長はセルジュ・ラヴィーニュである[20]。
ポンピドゥー・センターは国立近代美術館・産業創造センター (MNAM-CCI) 部門、文化推進部門 (DDC) および各管理部門により構成され、国立近代美術館・産業創造センター部門には、近代芸術、現代芸術、グラフィック・アート、写真、実験映画、ニューメディア、作品収集、作品修復などの分野がある[19]。
歴史
[編集]国立近代美術館
[編集]国立近代美術館の起源は、1750年にルイ15世がフランス最初の美術館として設立したリュクサンブール美術館に遡る。1818年にリュクサンブール美術館の所蔵品のうち没後10年を経た画家の作品をルーブル美術館に移動し、さらに、1922年には外国人画家の作品をジュ・ド・ポーム国立美術館に移動して特別室を設置した[21][22]。また、1886年にはリュクサンブール美術館の別館も建てられたが[23]、いずれの美術館も手狭になり、新たに近代美術館を設立する必要があった。このとき、リュクサンブール美術館の学芸員であった美術史家のルイ・オートクールが新しいパリ市立近代美術館の設立を提案し、一方で、フランス政府も、王室の絨毯を製造していたサヴォヌリー工場の跡地に国立近代美術館を建てる計画を発表したため、結局、1937年のパリ万国博覧会に合わせて建設する建物にパリ市立近代美術館と国立近代美術館を併設することになった。この建物が現在のパレ・ド・トーキョーである[24]。ただし、第二次世界大戦中は所蔵品を地方に移動して保管していたため、国立近代美術館が正式に開館したのは1947年6月9日であった。
ジョルジュ・ポンピドゥーの構想
[編集]最初に「20世紀の美術館」という構想を打ち出したのは、「空想美術館」[25]という概念を提唱し、ド・ゴール政権下で文化担当国務大臣を務めたアンドレ・マルローであった。実際、マルロー文化相 (1960-1969) は建築家ル・コルビュジエ (1887-1965) にこのプロジェクトを一任し、ル・コルビュジエは螺旋状の建物を設計していたが、1965年の急死により、結局、このプロジェクトは実現を見なかった[26]。
1969年、大統領に就任したジョルジュ・ポンピドゥーが、首都パリの中心部に造形芸術のほか、デザイン、音楽、映画関連の施設を含む近現代芸術拠点を設ける構想を発表した。目的は、1) 特に1960年代に世界の芸術の中心地がパリからニューヨークに移ったため、こうした衰退に歯止めをかけ、現代芸術の中心地としてのパリの地位を取り戻すこと、2) 世界に開かれた芸術創造の場を提供し、分野横断的な新たな芸術表現を可能にすること、3) 国が最新の芸術動向と一般大衆をつなぐ仲介役となること、4) パリに20世紀後半の建築を代表するモニュメントを建てることなどであった[27]。ポンピドゥー大統領のこの構想は、高級芸術(ハイアート)と大衆芸術(ロウアート)[28]、文化の中央集権化と地方分散化などの観点から論争を巻き起こした。同じくポンピドゥー大統領の意思により、1972年にグラン・パレで「芸術の力」と題するフランス現代美術の大規模な企画展が開催されたときにも同様の論争が起こり、多くの芸術家が国家権力による芸術活動への介入を批判した[29]。
国立図書館
[編集]一方、フランス国立図書館(現リシュリュー館; 新館のフランソワ・ミッテラン館は1994年に完成)も手狭になり、1966年に新しい国立図書館を建てる計画が発表された。候補地はレ・アルのパリ中央市場の跡地であった[30]。この市場は、1866年にナポレオン3世時代のパリ市長であったジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンの都市改造計画の一環として、ヴィクトール・バルタールの設計により建てられたが、1959年に中央市場の移転計画が発表され、1969年にパリ市南部、オルリー空港近くのランジスの町に移転した後、1971年に旧市場が解体された[31]。だが、最終的には、1968年にパリ議会[32]が、パリ市が管轄するボーブール地区に国立図書館を建てることを承諾した[33]。
最終計画
[編集]こうした経緯から、翌1969年にポンピドゥー大統領が近現代芸術拠点を設ける構想を発表したときにはボーブール地区を候補地に挙げていたが、同地区は国立図書館の建設予定地であったため、翌1970年にあらためて美術館を含む総合文化施設に国立図書館を併設する計画を発表し、これにより「図書館を利用する何千人もの人々が、同時に芸術に接することができる」と説明した[34]。
当初、この総合文化施設には国立近代美術館、国立図書館およびパリ装飾芸術美術館のフランソワ・マテイ館長が創設した産業創造センターを含める予定であったが、ポンピドゥー大統領は1971年にこれに音楽創造センターを加えると発表し、作曲家のピエール・ブーレーズをこのプロジェクトの責任者に任命した。これが現在の国立音響音楽研究所 (IRCAM) である。なお、当初の計画になかったこの研究所を建設するために、サン・メリ教会に隣接するサン・メリ小学校をルナール通りに移転しなければならなかった[35][36]。
この計画はこの後もさらに練り直しが必要であった。国立近代美術館は文化省、国立図書館は国家教育省の管轄であり、音楽家の間でも国の政策について意見の対立があったからである[37]。併せて、この事業は、1968年の五月革命の影響を受けて、国の文化政策を問い直す新たな挑戦であった[38]。
国際建築設計コンペティション・経営委員会
[編集]1970年8月26日、閣議により国務院評定官のロベール・ボルダスが「ボーブール地区センター実現のための代表」に任命され、国際建築設計コンペティションを開催し、ボーブール地区センターの建設を管理するための委員会を立ち上げた。設計コンペの審査委員長を務めたのは建築家のジャン・プルーヴェ (1901-1984) であった。1971年7月15日、応募作品数681点からレンゾ・ピアノ、リチャード・ロジャースおよびジャンフランコ・フランキーニのプロジェクトが選出された。ピーター・ライスがディレクターを務めるアラップ社のパートナーであった3人は、早速、ボルダス委員会事務局が入った建物内に事務所を構えた[39]。
1972年1月、ロベール・ボルダスが「ボーブール・センター公施設法人」の代表に任命され、後に同センターの文化活動を担うことになった人材(=実現者)を集めて「実現者委員会」を設置した。この「実現者委員会」はセンター完成後に「経営委員会」に移行した[39]。
ポントゥス・フルテンが3年契約により国立近代美術館の館長に任命された[40]。ジェルマン・ヴィアットはフルテンの補佐として、現代的かつ国際的な新美術館構想を担当した。公共情報図書館の初代館長ジャン=ピエール・セガンは既に1967年から本プロジェクトの実施責任者であった。フランソワ・マテイは1968年に創設した産業創造センターの会長として参加した。
1973年3月20日、閣議により数年にわたる事業計画と予算案が承認され、これにより、文化省の経常予算のほか、特別基金が設定された[39]。
さらに、「ジョルジュ・ポンピドゥー国立文化芸術センターの設立に関する1975年1月3日付法律第75-1号」[41]により、正式名称が決定した。
落成
[編集]1977年4月2日、ヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領によりジョルジュ・ポンピドゥー国立文化芸術センターの落成式が行われ、ポンピドゥー元大統領夫人クロード・ポンピドゥー(ポンピドゥー元大統領は完成を見ることなく1974年4月2日に死去した)、レイモン・バール首相ら多くの著名人が出席した[42]。
評価
[編集]建設時の批判
[編集]建設当時、パリでは歴史街区の保存が課題になっており、ポンピドゥ・センターの過激なデザインは一部のパリ市民から非難を浴びた[43]。
建物外側に工事現場の足場のように鉄骨を組み立て、ここに電気、水道、空調の配管設備、階段、エスカレーターなどを配した斬新なデザインは物議を醸し、「パリの美観を損なう前衛芸術」、「配管設備のノートルダム」、「芸術の倉庫」、「ガス工場」、「石油精製工場」「文化のがらくた置き場」、またはアクアリウム、プラネタリウムをもじって「ポンピドリウム」などと批判された[44]。ジャン・ボードリヤールは『ボーブール効果』のなかで「文化のハイパーマーケット」と形容した[45]。
これらの設備はカラーコードで示され、青は空気の流れ(空調)、緑は水の流れ(水道)、黄色は電気の流れ、そして赤は人の流れ(階段、エスカレーター)を表わしている[9]。
レンゾ・ピアノは「いかめしい文化施設(建築物)のイメージを破壊したかった。これは芸術と人間のこの上なく自由な関係の夢であり、同時にまた、街の息吹が感じられる場である」と語った[2]。
完成後
[編集]ポンピドゥー・センター開館後、この地区には画廊、商店、レストランなどが進出してファッショナブルな街並みとなった[43]。
当初は1日5千人の来館者を予定していたが、実際にはこの4倍の2万人に達し、開館8年後の1985年には所蔵品が2倍に増えたため、イタリア人建築家ガエ・アウレンティにより美術館全体が改装され、現代芸術の展示面積が3倍になった。
1992年には、「産業創造センター」が国立近代美術館に統合され、同センターのインダストリアル・デザイン関連の作品が美術館に収蔵された。
ポンピドゥー・センターの入館者数は2000年代には年間数百万人となり、エッフェル塔やヴェルサイユ宮殿を追い抜いてヨーロッパで最も人を集める施設となっている[43]。
規模の拡張と改修
[編集]1990年代
[編集]開館20周年の1997年にいったん閉館し、事務所を移転した後に美術館と図書館の面積を広げ、配管設備を移設するなど、建築家レンゾ・ピアノとジャン=フランソワ・ボダンを中心に27か月にわたる工事が行われた。2000年1月1日に再開した後も、さらに展示面積を広げ、2003年に1階南側に面積315 m²の展示室「エスパス315」[46]を設置した。マルセル・デュシャン賞[47]の受賞作品はこの「エスパス315」に展示される[48]。
2020年代
[編集]ポンピドゥー・センターは2023年末から27年まで全面改修工事のため一時閉鎖となる[49]。この改修工事で改装のほか、アスベスト(石綿)の完全除去、建物のエネルギー効率化やバリアフリー化が行われる[49]。予算は約2億ユーロである[49]。
主な企画展
[編集]ポンピドゥー・センターに移転するまでの国立近代美術館、産業創造センターにおける企画展を含むすべての企画展 (2003年まで) については、EXPOSITIONS DU CENTRE POMPIDOU : REPORTAGES EN ARGENTIQUE (1953-2003) に記載されている。
- パリ - ニューヨーク 1908-1968 (1977)
- パリ - ベルリン 関係と対照 (1978)
- アンリ・ミショー (1978)
- サルバドール・ダリ (1979)
- パリ - モスクワ 1900-1930 (1979)
- パリ - パリ フランスにおける創造 1937-1957 (1981)
- ジョルジュ・ブラック ― パピエ・コレ (1982)
- ジャクソン・ポロック (1982)
- ピエール・ボナール (1984)
- ワシリー・カンディンスキー (1984)
- 紙に描かれた作品 マルク・シャガール展 (1984)
- パウル・クレーと音楽 (1985)
- ウィーン ― 世紀の始まり (1986)
- サイ・トゥオンブリー (1988)
- フランク・ステラ (1988)
- 大地の魔術師たち (アフリカ芸術やアジア芸術などの非西洋美術と西洋の現代美術を並列した展覧会[50]; 1989)
- アンディ・ウォーホル (1990)
- マックス・エルンスト (1991)
- マニフェスト ― 創造の30年を一望する1960-1990 (1992)
- アンリ・マティス (1993)
- ヨーゼフ・ボイス (1994)
- クルト・シュヴィッタース (1994)
- コンスタンティン・ブランクーシ (1995)
- ロバート・モリス (1995)
- フランシス・ベーコン (1996)
- アルテ・ポーヴェラ (1996)
- フェルナン・レジェ (1997)
- メイド・イン・フランス (1997)
- デイヴィッド・ホックニー (1998)
- フィリップ・ガストン(2000)
- 彫刻家ピカソ (2000)
- ジャン・デュビュッフェ (2001)
- シュルレアリズム革命 (2002)
- ロラン・バルト (2002)
- マックス・ベックマン (2002)
- ニコラ・ド・スタール (2003)
- ソフィー・カル(2003)
- ジャン・コクトー (2003)
- ジョアン・ミロ (2004)
- ダダイズム (2005)
- シャルロット・ペリアン (2005)
- ロバート・ラウシェンバーグ (2006)
- ジャン=リュック・ゴダール (2006)
- イヴ・クライン (2006)
- エルジェ (2006)
- アネット・メサジェ (2007)
- リチャード・ロジャース (2007)
- サミュエル・ベケット (2007)
- フリオ・ゴンサレス (2007)
- アルベルト・ジャコメッティ (2007)
- ルイーズ・ブルジョワ (2008)
- タチアナ・トゥルーヴェ(2008)
- ドミニク・ペロー (2008)
- パリの未来派 (2008-2009)
- elles@centrepompidou (女性アーティストの特集; 2009-2011)
- アレクサンダー・カルダー (2009)
- ワシリー・カンディンスキー (2009)
- ピエール・スーラージュ (2009)
- グドムンドゥル・エロ
- ドリームランド (2010)
- エドヴァルド・ムンク (2011)
- パリ - デリー - ムンバイ... (2011)
- 生の舞踏 ― 1900年以降の芸術と舞踏 (2011-2012)
- アンリ・マティス (2012)
- ロイ・リキテンスタイン (2013)
- ピエール・ユイグ (2013-2014)
- アンリ・カルティエ=ブレッソン (2014)
- マルセル・デュシャン (2014)
- パウル・クレー (2016)
- ビート・ジェネレーション (2016)
- ウォーカー・エバンス (2017)
- アンドレ・ドラン (2017)
- 池田亮司 (2018)*
- 安藤忠雄 (2018)*
* 日本とフランスの両国が連携し、「芸術の都フランス・パリを中心に《世界にまだ知られていない日本文化の魅力》を紹介する大規模な複合型文化芸術イベント『ジャポニスム 2018:響きあう魂』」[51]の一貫として、ポンピドゥー・センターでは「池田亮司 | continuum」展 (2018年6月15日 - 8月27日)、「安藤忠雄 挑戦」展 (2018年10月10日 - 12月31日)、上記の「河瀨直美監督特集 特別展・特集上映 (2018年11月23日 - 2019年1月6日) のほか、「ジャポニスム2018 テクノ・イベント テクノ・コンサート (2018年9月28日)」、「現代演劇シリーズ―岡田利規演出 『三月の5日間』リクリエーション、『プラータナー:憑依のポートレート』(2018年10月17日 - 20日; 2018年12月13日 - 16日)」、「現代演劇シリーズ――木ノ下裕一監修・補綴 杉原邦生演出・美術 木ノ下歌舞伎『勧進帳』(2018年11月1日 - 3日)」を開催。
ポンピドゥー・センターの国内外の展開
[編集]2010年、ポンピドゥー・センターの分館としてフランス北東部のメス市にポンピドゥー・センター・メスが開館した。設計は、日本人建築家坂茂、フランス人建築家ジャン・ド・ガスティーヌ、英国人建築家フィリップ・グムチジャンが共同で手がけた[52]。なお、ポンピドー・センター・メスを設計するために、ポンピドー・センターのテラスに「紙の仮設スタジオ」を設置。日仏の学生が協力して建設した[53]。
2011年から2013年にかけて、フランス各地――ショーモン、カンブレー、ブローニュ=シュル=メール、リブルヌ、ル・アーヴル、オーバーニュ――でそれぞれ4か月程度、国立近代美術館の所蔵作品を紹介する企画展「移動ポンピドゥー・センター」が開催された[54]。
スペインのマラガに「マラガ・ポンピドゥー・センター」が設立され、2015年3月28日にマリアーノ・ラホイ首相とフランスのフルール・ペルラン文化相により開館式が行われた。これは更新可能な5年間契約による最初の「臨時ポンピドゥー・センター」であり、面積6,300 m²の美術館に約70点の作品が展示されている[55][56]。
2016年9月29日、ポンピドゥー・センターとブリュッセル首都圏地域は2020年にブリュッセルに設立される近現代芸術・建築美術館に関する契約を締結した。1930年代以降、シトロエン車庫・修理工場であった30,000 m²のアール・デコ様式の建物をブリュッセル首都圏地域が買い取り、開館後はここに国立近代美術館の所蔵作品の一部を展示する予定である[57][58]。
日本では、1997年9月20日から12月14日まで東京都現代美術館で「ポンピドー・コレクション展」が開催され[59]、2007年2月7日から5月7日まで同年1月に開館した国立新美術館で「異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900-2005」が開催された[60]。
その他の作品でのポンピドゥー・センター
[編集]- 1986年、チック・コリア・エレクトリック・バンドの曲 "Elektric City" のビデオ・クリップの撮影がここで行なわれている[61]。
- 6人の監督による6つの建築についてのオムニバスのドキュメンタリー3D映画『もしも建物が話せたら』の一話としてカリム・アイノズ監督が『ポンピドゥー・センター』を制作した[62]。
- フランスの絵本作品『リサとガスパール』では、主人公のリサがポンピドゥー・センターのパイプ内に住んでいるという設定である。
- ナイキ エアマックスの衝撃吸収システム「ビジブルエア」(エアが「見える」) はポンピドゥー・センターに着想を得たものである[63]。
脚注
[編集]- ^ “L'histoire – Centre Pompidou” (フランス語). www.centrepompidou.fr. 2018年8月24日閲覧。
- ^ a b “Le Centre Pompidou fête ses 40 ans ce week-end” (フランス語). FIGARO. (2017年2月1日) 2018年8月24日閲覧。
- ^ “ポンピドゥー・センター日本語インフォメーション”. この「日本語インフォメーション」にある構造図は構造全体の半分程度で、一般に公開されているスペースのみである. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “L'histoire des collections – Centre Pompidou” (フランス語). www.centrepompidou.fr. 2018年8月24日閲覧。
- ^ JDD, Le. “Après Bruxelles, le Centre Pompidou vise Shanghai en 2019” (フランス語). lejdd.fr 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Découvrir l'Architecture du Centre Pompidou - Un monument dans la ville - Le panorama” (フランス語). mediation.centrepompidou.fr. 2018年8月25日閲覧。
- ^ “Découvrir en famille – Centre Pompidou” (フランス語). www.centrepompidou.fr. 2018年8月25日閲覧。
- ^ “Espaces Pompidou”. www.centrepompidou.fr. アトリエ・ブランクーシの360度パノラマ写真. 2018年8月24日閲覧。
- ^ a b “Le bâtiment – Centre Pompidou” (フランス語). www.centrepompidou.fr. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Espaces Pompidou”. www.centrepompidou.fr. 「ストラヴィンスキーの噴水」の360度パノラマ写真. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Les loges” (フランス語). www.bpi.fr. 2018年8月26日閲覧。
- ^ “Accueil site de la Bibliothèque publique d'information (Bpi)” (フランス語). www.bpi.fr. 2018年8月26日閲覧。
- ^ a b “MMM|ジョルジュ・ポンピドー 国立芸術文化センター”. www.mmm-ginza.org. 2018年8月26日閲覧。
- ^ “Les œuvres – Centre Pompidou” (フランス語). www.centrepompidou.fr. 2018年8月26日閲覧。
- ^ “松方コレクション展―松方幸次郎 夢の軌跡―”. 2018年8月24日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “Cinéma et vidéo – Centre Pompidou” (フランス語). www.centrepompidou.fr. 2018年8月26日閲覧。
- ^ “Centre Pompidou - ARCHITECTURE DU BÂTIMENT- Art culture musée expositions cinémas conférences débats spectacles concerts” (2008年12月20日). 2018年8月24日閲覧。
- ^ “諸外国の高等教育分野における質保証システムの概要 ― フランス”. 行政的性格を有する公施設法人 (EPA): 様々な省庁が所管する高等教育機関など「行政的性格を有する公施設法人 (EPA)」も、EPSCP 同様、法令によって設置される。EPA は、法令上は教育機関として特別な地位にあるわけではなく、他の公施設法人と同等の地位を有して いる。高等教育機関のみならず、全行政セクターに渡って様々な組織がある。. 2018年8月24日閲覧。
- ^ a b “L’organisation – Centre Pompidou” (フランス語). www.centrepompidou.fr. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Biographie du président du Centre Pompidou – Centre Pompidou” (フランス語). www.centrepompidou.fr. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Histoire | Musee du Luxembourg” (フランス語). museeduluxembourg.fr. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Musée d'Orsay: Peinture” (フランス語). www.musee-orsay.fr. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Les musées du Luxembourg - Sénat”. www.senat.fr. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Musée national d'art moderne-Service des manifestations.”. archivesetdocumentation.centrepompidou.fr. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “空想美術館”. フランスの作家であり、ド・ゴール政権下で文化担当国務大臣を務めた政治家でもあったアンドレ・マルローが、1947年に出版した芸術論『東西美術論(原題:芸術の心理)』の第1巻で提示した概念のこと。「空想美術館」とは、あらゆる芸術作品の図版を並べることで、空想上の美術館であるように見立てたことに由来する。印刷や写真などの複製技術の発達により世界中の芸術作品を図版によって鑑賞することが可能となった。それによって、作品を比較できるようになり、美術史上の新発見がより頻繁になされる。そして、作品を巡る学術上の記述が変化し、評価基準が変わる可能性を帯びることとなる。空想美術館という発想は、ある作品とその着想及び制作過程においてインスピレーションを与えた作品とを比較し、視覚的にそれらの相互関係を把握する必要性をマルローが感じたことによるとされている。空想美術館は、現実の美術館の代用ではなく、美術館において実現不可能な芸術作品の配列を、複製物を通して可能にし、それによって生まれる知的作業を通して、芸術作品の新たな解釈を促すものなのである。[著者: 小野寛子]. 2018年8月24日閲覧。
- ^ Baldacchino, Julien (2017年1月30日). “Centre Pompidou : les 40 ans d’un lieu qui a failli ne jamais naître” (フランス語). France Inter 2018年8月24日閲覧。
- ^ “L'héritage des années Pompidou” (フランス語). FIGARO. (2011年4月3日) 2018年8月24日閲覧。
- ^ “ハイ・アート/ロウ・アート”. 高級芸術とポピュラー(大衆)芸術の意。現代美術の文脈においては、1939年にC・グリーンバーグが(多分にH・ブロッホの影響を受け)行なったアヴァンギャルド(前衛)/キッチュ(後衛)の区分がひとつの開始点となりうる。彼は、アヴァンギャルドを「イデオロギーの混乱と暴力のさなかで文化を推進し得る道を探す」ものと位置づけ、キッチュ=大衆芸術を「現代生活における見せかけにすぎぬもの全ての縮図」と断じた。グリーンバーグが挙げた対比例のひとつは、ブラックの絵画と『サタデー・イヴニング・ポスト』の表紙絵であるが、後者の作家N・ロックウェルはいまや美術館で展覧会が開催される=「高級芸術」の画家と捉えることも可能である。つまり、それがハイ/ロウの区分に伴う歴史的な限界として指摘される点であり、さらには「真正の芸術」をそれ以外のものから区別したT・W・アドルノらも標的とされ、彼らの「二元論」「近代主義」、および「エリート主義」に多くの批判が集まった。特にP・ブルデューが高級芸術を「文化資本」を持つ階層の「卓越化(ディスタンクシオン)」と論じたことは社会学的側面からのアプローチとしては特筆に値する。また、それを踏まえた議論が、主に90年代のアメリカ合衆国において社会学者や分析哲学者の間で盛んに交わされた。そこで傾向として見られたのは、ラップ音楽などのポピュラー芸術に正統性を与えることにより社会的に構築された抑圧機能としてのハイ/ロウ区分を無効にするような議論である。しかし、美学的考察が十分とはいえない場合もあり、芸術それ自体に寄り添い社会との関係を思考しようと試みたグリーンバーグやアドルノの論を説得的に塗り替ええたかについては疑問が残るところであろう。[著者: 長チノリ]. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “On s'est battu pour l'art : l'Expo 72 au Grand Palais” (フランス語). France Culture 2018年8月24日閲覧。
- ^ “La BPI a 30 ans, le projet” (フランス語). France Culture. (2007年1月27日) 2018年8月24日閲覧。
- ^ “レ・アール ― パリ中央市場 (清水健次)”. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “フランスの地方自治 (自治体国際化協会)”. パリ議会 (Conseil de Paris) は、「パリ市長を議長とする163名(地方公共団体一般法典第L2512-3条)の全く同一の議員構成によって、コミューン議会と県議会の役割を兼ねており、一般の 地方公共団体関係法の定める両議会と同様の権限を有する。議席は全20区 (arrondissement) に各区単位で分割されている」. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “FRAN_IR_023788 - Salle des inventaires virtuelle” (フランス語). www.siv.archives-nationales.culture.gouv.fr. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Bruno zelvi voir l'archi autrement - Comptes Rendus - 3367 Mots” (フランス語). Etudier 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Faire place à la place”. mediation.centrepompidou.fr. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Paris : l’école Saint-Merri, bâtiment mal aimé à découvrir ce samedi”. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Pierre Boulez à tout prix : La naissance de l'Ircam” (フランス語). France Culture 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Mai 68 - Assemblée Générale | Centre Pompidou” (フランス語) 2018年8月24日閲覧。
- ^ a b c “Construction et aménagement du Centre national d'art et de culture Georges Pompidou, de l'établissement public du Centre Beaubourg au Cnac-Gp (versé aux Archives Nationales).”. archivesetdocumentation.centrepompidou.fr. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “基調講演「21世紀の市民社会と美術館の役割」/アン=ソフィ・ノーリング”. 2018年8月24日閲覧。
- ^ Loi n° 75-1 du 3 janvier 1975 portant création du centre national d'art et de culture Georges Pompidou 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Inauguration centre Georges Pompidou”. ポンピドゥー・センター落成式の動画. 2018年8月24日閲覧。
- ^ a b c 市民研究機構報告書 アートからのまちづくり(C6) 金沢市、2021年1月26日閲覧。
- ^ “CENTRE GEORGES POMPIDOU: DOSSIER PÉDAGOGIQUE”. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “ポンピドゥー・センター:現代美術用語辞典|美術館・アート情報 artscape”. artscape.jp. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Plan du bâtiment – Centre Pompidou” (フランス語). www.centrepompidou.fr. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Prix Marcel Duchamp 2017 | Centre Pompidou” (フランス語) 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Découvrir l'Architecture du Centre Pompidou - Comment ça vit ? Une machine à produire de lespace - Des espaces vivants” (フランス語). mediation.centrepompidou.fr. 2018年8月24日閲覧。
- ^ a b c 仏ポンピドー、3年以上閉鎖へ 共同通信、2021年1月26日閲覧。
- ^ 「大地の魔術師たち」展 | 現代美術用語辞典ver.2.0 - artscape
- ^ “概要 | ジャポニスム2018”. ジャポニスム2018. 2018年9月4日閲覧。
- ^ 日経アーキテクチュア編『坂茂ーNA建築家シリーズ7』日経BP社 2013年
- ^ xTECH(クロステック), 日経. “紙の仮設スタジオ。ポンピドー・センター・メスを設計する場所として、ポンピドー・センターのテラスに、日仏の学生が協力して建設した(写真:Didier Boy de la Tour)” (日本語). 日経 xTECH(クロステック) 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Centre Pompidou mobile | Centre Pompidou” (フランス語) 2018年8月24日閲覧。
- ^ “El Cubo del puerto de Málaga será subsede del Pompidou desde 2015” (スペイン語). ELMUNDO 2018年8月24日閲覧。
- ^ “マラガ(産業観光商務省)”. (日本語). 2018年8月24日閲覧。[リンク切れ]
- ^ international, Ministère des Affaires étrangères et du Développement. “Culture - Signature d'un protocole d'accord entre le Centre Pompidou et la région de Bruxelles (29.09.16)” (フランス語). France Diplomatie : : Ministère de l'Europe et des Affaires étrangères. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Le Centre Pompidou va ouvrir un musée d'art moderne à Bruxelles” (フランス語). Culturebox 2018年8月24日閲覧。
- ^ “ポンピドー・コレクション展”. 東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO. 2018年8月25日閲覧。
- ^ Office., Internet Museum「異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900-2005 | 国立新美術館」『インターネットミュージアム』。2018年8月25日閲覧。
- ^ ChickCoreaVEVO (2009-06-16), Chick Corea Elektric Band - Elektric City 2018年8月24日閲覧。
- ^ “監督について - 映画『もしも建物が話せたら』公式サイト” (日本語) 2018年8月24日閲覧。
- ^ 「NIKE iDから、藤原ヒロシらによる「HTM」限定カラーの「エア マックス」3型が登場 - エキサイトニュース」『』。2018年8月24日閲覧。
関連項目
[編集]- ジョルジュ・ポンピドゥー
- 国立近代美術館 (フランス)
- 公共情報図書館
- 国立音響音楽研究所 (IRCAM)
- ウィキメディア・フランス
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- ポンピドゥー・センター (@CentrePompidou) - X(旧Twitter)
- ポンピドゥー・センター (centrepompidou.fr) - Facebook