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「ウガヤフキアエズ」の版間の差分

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{{基礎情報 日本の神
{{Infobox 人物
|名 = 彦波瀲武鸕鶿草葺不合
| 名 = 鵜葺草葺不合命<br/>鸕鶿草葺不合
| 画像 = Ugaya otokowa.png
|ふりがな = ひこなぎさたけうがやふきあえず
|画像 =
| 画像サイズ = 250px
| 画像説明 = 音川安親編 万物雛形画譜 四
|画像サイズ =
| 世代名 = [[地神五代]] 第五代<br/>[[日向三代]] 第三代
|画像説明 =
|墓地 = [[#陵|吾平上陵]]
| 先代 = [[ホオリ|彦火火出見尊(幸彦)]]
| 次代 = [[神武天皇|彦火火出見尊(神武天皇)]]
|別名 =
| 神祇 = <!-- 天神、地祇、天津神、国津神など -->[[天津神]]
|民族 = [[天孫族]]
| 全名 = 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命<br/>彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊
|職業 = [[治天]]
| 別名 =
|時代 = [[神代]]
| 別称 =
|活動拠点 = [[#宮|西洲の宮]]
| 神階 =
|配偶者 = '''[[タマヨリビメ (日向神話)|玉依姫]]'''
| 神格 = <!-- 太陽、月、山、海など司るもの -->
|子供 = [[彦五瀬]]、[[稲飯]]、[[三毛入野]]、'''[[磐余彦]]'''(神武天皇)
| 陵所 = [[#陵|吾平山上陵]]
|親 = 父:[[火折]]、母:[[豊玉姫]]
| 父 = [[ホオリ|彦火火出見尊(山幸彦)]]
|補足 =
| 母 = [[豊玉姫]]
| 親 = <!-- まぐあいによって生まれない場合 -->
| 配偶者 = [[タマヨリビメ (日向神話)|玉依姫]]
| 子 = [[彦五瀬命]]、[[稲飯命]]、[[三毛入野命]]、'''[[神武天皇|彦火火出見尊]](神武天皇)'''
| 宮 = [[#宮|西州之宮]]
| 神社 = [[鵜戸神宮]]など
}}
}}
'''ウガヤフキアエズ'''('''ウガヤフキアワセズ'''、'''鸕鶿草葺不合'''、『[[古事記]]』では鵜葺草葺不合)は、[[日本神話]]に登場する[[治天]]<ref>『[[本朝皇胤紹運録]]』。</ref>。[[地神五代]]および[[日向三代]]の一人。[[神武天皇]](初代[[天皇]])の父として知られる。


'''鸕鶿草葺不合尊'''(うがやふきあわせずのみこと<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2533573 古事記]</ref><ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544341?tocOpened=1 日本書紀]</ref>、うがやふきあえずのみこと)は、[[日本神話]]の[[神 (神道)|神]]。[[地神五代]]の5代目、[[日向三代]]の3代目。[[神武天皇]]の父。
全名は'''彦波瀲武&#x9e15;&#x9dbf;草葺不合'''(ひこ なぎさ たけ うがやふきあえず、『古事記』では天津日高日子波限建鵜葺草葺不合(あまつひだか ひこ なぎさ たけ-))。


== 名称 ==
== 概要 ==
[[ホオリ|彦火火出見尊]](火折尊、山幸彦)の子。母は[[豊玉姫]]。『[[先代旧事本紀]]』によれば異母弟に[[武位起命]]がいる。叔母の[[タマヨリビメ (日向神話)|玉依姫]]との間に[[彦五瀬命]]・[[稲飯命]]・[[三毛入野命]]・'''[[神武天皇|彦火火出見尊(神武天皇)]]'''を得た。父と末子は同名の'''彦火火出見尊'''である。久しくして崩じ[[吾平山上陵]]に葬られた。
『[[日本書紀]]』によれば、鸕鶿草葺不合が誕生した産屋は全て'''[[鸕鶿]]'''(う)の羽を'''草'''(かや)としてふいたが、屋根の頂上部分をいまだ'''ふき合わせない'''うちに生まれ、'''草'''(かや)につつまれ'''波瀲'''(なぎさ)にすてられた。これにより、母親の[[豊玉姫]]が「彦波瀲武鸕鶿草葺不合(ひこ'''なぎさ'''たけ'''うがやふきあわせず''')」と名付けたという。


なお、[[鵜戸神宮]]([[宮崎県]][[日南市]])はこの時の産屋の跡と伝えられる<ref>[http://www.udojingu.com/goyuisyo/ ご由緒] - 鵜戸神宮(2018年7月27日午後6時35分([[日本標準時|JST]])閲覧)</ref>。
なお、[[鵜戸神宮]]([[宮崎県]][[日南市]])はウガヤフキアエズ生誕時の産屋の跡と伝えられる<ref>[http://www.udojingu.com/goyuisyo/ ご由緒] - 鵜戸神宮(2018年7月27日午後6時35分([[日本標準時|JST]])閲覧)</ref>。


== 系譜 ==
== ==
* 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと) - 『日本書紀』
『[[日本書紀]]』によれば、父は[[火折]]、母は[[豊玉姫]]。『[[先代旧事本紀]]』によれば、異母弟に[[武位起]]がいる。
* 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと) - 『古事記』

* 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと) - 『[[先代旧事本紀]]』
* 妃:'''[[タマヨリビメ (日向神話)|玉依姫]]'''(たまよりびめ)
* 彦瀲尊(ひこなぎさ の みこと) - 『[[古語拾遺]]』
*: [[海童]]の娘で、鸕鶿草葺不合から見れば叔母にあたる。
** 第1子:[[彦五瀬]](ひこいつせ)
**: [[神武東征]]の際に賊の矢にあたって薨じた。
** 第2子:[[稲飯]](いない)
**: 神武東征の際に[[鋤持神]]となった。
** 第3子:[[三毛入野]](みけいりぬ)
**: 神武東征の際に[[常世郷]]へ行った。
** 第4子:'''[[神日本磐余彦]]'''(かむやまといわれびこ)
**: のちの神武天皇(初代天皇)。


== 神話での記述 ==
以上は『[[日本書紀]]』本文によった系譜であるが、生まれた子については諸書で異同がある。以下の通り。
『[[日本書紀]]』によれば、鸕鶿草葺不合尊が誕生した産屋は全て'''[[鸕鶿]]'''(う)の羽を'''草'''(かや)としてふいたが、屋根の頂上部分をいまだ'''ふき合わせない'''うちに生まれ、'''草'''(かや)につつまれ'''波瀲'''(なぎさ)にすてられた。これにより、母親の[[豊玉姫]]が「彦波瀲武鸕鶿草葺不合(ひこ'''なぎさ'''たけ'''うかやふきあえず''')」と名付けたという。


事績は『日本書紀』『古事記』ともになく、系譜上のみの存在である([[#系譜|後述]])。
{| class="wikitable"
!colspan=2|史料!!第1子!!第2子!!第3子!!第4子
|-
|rowspan=5|『[[日本書紀]]』||(本文)||彦五瀬||稲飯||三毛入野||神日本磐余彦
|-
|第1の一書||彦五瀬||稲飯||三毛入野||<ruby><rb>狭</rb><rp>(</rp><rt>さ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>野</rb><rp>(</rp><rt>ぬ</rt><rp>)</rp></ruby><ref group="注">「狭野と称すは、是年少時の号なり。」と記される。</ref><br />神日本磐余彦<ref group="注">「後に天の下を撥い平らげて八洲を奄有す。故復号を加えて神日本磐余彦尊と曰す。」と記される。</ref>
|-
|第2の一書||彦五瀬||<ruby><rb>三</rb><rp>(</rp><rt>み</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>毛</rb><rp>(</rp><rt>け</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>野</rb><rp>(</rp><rt>ぬ</rt><rp>)</rp></ruby>||稲飯||<ruby><rb>磐</rb><rp>(</rp><rt>いわ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>余</rb><rp>(</rp><rt>れ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>彦</rb><rp>(</rp><rt>びこ</rt><rp>)</rp></ruby><br />神日本磐余彦<ruby><rb>火</rb><rp>(</rp><rt>ほ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>火</rb><rp>(</rp><rt>ほ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>出</rb><rp>(</rp><rt>で</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>見</rb><rp>(</rp><rt>み</rt><rp>)</rp></ruby>
|-
|第3の一書||彦五瀬||稲飯||神日本磐余彦火々出見||<ruby><rb>稚</rb><rp>(</rp><rt>わか</rt><rp>)</rp></ruby>三毛野
|-
|第4の一書||彦五瀬||磐余彦火々出見||<ruby><rb>彦</rb><rp>(</rp><rt>ひこ</rt><rp>)</rp></ruby>稲飯||三毛入野
|-
|colspan=2|『[[先代旧事本紀]]』||彦五瀬||稲飯||三毛野||磐余彦
|-
|colspan=2|『[[古事記]]』||<ruby><rb>五</rb><rp>(</rp><rt>いつ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>瀬</rb><rp>(</rp><rt>せ</rt><rp>)</rp></ruby>||<ruby><rb>稲</rb><rp>(</rp><rt>いな</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>氷</rb><rp>(</rp><rt>い</rt><rp>)</rp></ruby>||<ruby><rb>御</rb><rp>(</rp><rt>み</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>毛</rb><rp>(</rp><rt>け</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>沼</rb><rp>(</rp><rt>ぬ</rt><rp>)</rp></ruby>||<ruby><rb>若</rb><rp>(</rp><rt>わか</rt><rp>)</rp></ruby>御毛野<br /><ruby><rb>豊</rb><rp>(</rp><rt>とよ</rt><rp>)</rp></ruby>御毛沼<br /><ruby><rb>神</rb><rp>(</rp><rt>かむ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>倭</rb><rp>(</rp><rt>やまと</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>伊</rb><rp>(</rp><rt>い</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>波</rb><rp>(</rp><rt>わ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>礼</rb><rp>(</rp><rt>れ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>毘</rb><rp>(</rp><rt>び</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>古</rb><rp>(</rp><rt>こ</rt><rp>)</rp></ruby>
|}


== 系譜 ==
=== 系図 ===
=== 系図 ===
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* {{Bgcolor|#F2CEE0|赤背景}}は女性。
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{{皇室黎明期}}


{{皇室地神五代}}
== 記録 ==

『[[日本書紀]]』『[[古事記]]』『[[先代旧事本紀]]』のいずれにも、鸕鶿草葺不合の事績に関する記載はない。
== 妻子 ==
* 妃:'''[[タマヨリビメ (日向神話)|玉依姫]]'''(たまよりびめ、玉依毘売命)
*: [[海童]]の娘で[[豊玉姫]]の妹。鸕鶿草葺不合尊から見れば叔母にあたる
** [[彦五瀬命]](ひこいつせ の みこと)
**: 第一子。[[神武東征]]の際に賊の矢にあたって薨じた
** [[稲飯命]](いない の みこと)
**: 第二子。『日本書紀』第二・第四の一書では第三子。神武東征の際に[[鋤持神]]となった
** [[三毛入野命]](みけいりぬ の みこと、別名:御毛沼命、稚三毛野命)
**: 第三子。『日本書紀』第二の一書では第二子、第三・第四の一書では第四子。神武東征の際に[[常世郷]]へ行った
** '''[[神武天皇|彦火火出見尊]]'''(ひこほほでみ の みこと、別名:狭野命、若御毛沼命、豊御毛沼命)
**: 第四子。『日本書紀』第三の一書では第三子、第四の一書では第二子
**:『日本書紀』第一書での幼名は狭野命
**: '''初代[[天皇]]'''。和風諡号「神日本磐余彦天皇」、漢風諡号「'''神武天皇'''」


== 宮 ==
== 宮 ==
『[[日本書紀]]』は、鸕鶿草葺不合が崩御した地を「'''西洲の宮'''(にしのくにのみや)」と記す。
『[[日本書紀]]』は、鸕鶿草葺不合が崩御した地を「'''西州之宮'''(にしのくにのみや)」と記す。


== 陵 ==
== 陵・霊廟 ==
[[File:Aira Sanryo, haisho.jpg|thumb|240px|{{center|天津日高彦波瀲武鸕草葺不合尊<br>[[吾平山上陵]]([[鹿児島県]][[鹿屋市]])}}]]
[[File:Aira Sanryo, haisho.jpg|thumb|240px|{{center|天津日高彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊<br />[[吾平山上陵]]([[鹿児島県]][[鹿屋市]])}}]]
[[陵墓|陵]](みささぎ)は[[宮内庁]]により[[鹿児島県]][[鹿屋市]][[吾平町]]上名字吾平山にある'''[[吾平山上陵]]'''(あひらのやまのえのみささぎ)に治定されている({{ウィキ座標|31|17|16.64|N|130|54|54.78|E|region:JP-46|位置|name=吾平山上陵(伝天津日高彦波瀲武鸕草葺不合尊陵)}})。宮内庁上の形式は洞穴。
[[陵墓|陵]](みささぎ)の名'''[[吾平山上陵]]'''(あひらのやまのえのみささぎ)。[[宮内庁]]により[[鹿児島県]][[鹿屋市]][[吾平町]]上名字吾平山にあるに治定されている({{Coord|31|17|16.64|N|130|54|54.78|E|region:JP-46|name=吾平山上陵(伝天津日高彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊陵)}})。宮内庁上の形式は洞穴。


埋葬地は、日本書紀に「[[日向国|日向]]の吾平山上陵」と記載があるが、その伝承の地は南九州各地にある。明治7年に明治政府は、それらの中から旧薩摩藩の学者の意見を参考に[[鹿児島県]][[鹿屋市]](旧 [[肝属郡]][[吾平町]])鵜戸山を流れる姶良川に開いた岩窟「鵜戸窟」内の2つの塚を吾平山上陵に治定した。現在は宮内庁書陵部が管轄している(他の日向三代の神陵も鹿児島県内に治定)。
埋葬地は、日本書紀に「[[日向国|日向]]の吾平山上陵」と記載があるが、その伝承の地は南九州各地にある。明治7年に明治政府は、それらの中から旧薩摩藩の学者の意見を参考に[[鹿児島県]][[鹿屋市]](旧 [[肝属郡]][[吾平町]])鵜戸山を流れる姶良川に開いた岩窟「鵜戸窟」内の2つの塚を吾平山上陵に治定した。現在は宮内庁書陵部が管轄している(他の[[神代三陵|日向三代の神陵]]も鹿児島県内に治定)。


しかし日向国の人々からの反論が強く、国学者や宮内庁の調査によって、明治29年に鵜戸神宮背後の速日峯山上が「御陵墓伝説地 吾平山上陵」の参考地とされている。他に[[宮崎県]][[西臼杵郡]][[高千穂町]]とする説もある。
しかし日向国の人々からの反論が強く、国学者や宮内庁の調査によって、明治29年に鵜戸神宮背後の速日峯山上が「御陵墓伝説地 吾平山上陵」の参考地とされている。他に[[宮崎県]][[西臼杵郡]][[高千穂町]]とする説もある。

== 古史古伝 ==
『[[上紀|ウエツフミ]]』「[[竹内文書|竹内文献]]」『[[神伝上代天皇紀]]』などの[[古史古伝]]に記載されている[[神武天皇]]以前の鵜萱葺不合命が開いた古代王朝を[[ウガヤフキアエズ王朝]]という。一般的には古史古伝全般が[[偽書]]とみなされており、実在したとは考えられていない。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}

=== 出典 ===
{{Reflist}}
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106行目: 100行目:
== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[日本の神の一覧]]
* [[日本の神の一覧]]
* [[日本神話]]
* [[神話]]
* [[知立神社]]
* [[菅生石部神社]]
* [[和布刈神社]]
* [[鵜戸神宮]]
* [[宮崎神宮]]


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2024年11月26日 (火) 02:51時点における最新版

鵜葺草葺不合命
鸕鶿草葺不合尊
音川安親編 万物雛形画譜 四

地神五代 第五代
日向三代 第三代
先代 彦火火出見尊(山幸彦)
次代 彦火火出見尊(神武天皇)

神祇 天津神
全名 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊
陵所 吾平山上陵
彦火火出見尊(山幸彦)
豊玉姫
配偶者 玉依姫
彦五瀬命稲飯命三毛入野命彦火火出見尊(神武天皇)
西州之宮
神社 鵜戸神宮など
テンプレートを表示

鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあわせずのみこと[1][2]、うがやふきあえずのみこと)は、日本神話地神五代の5代目、日向三代の3代目。神武天皇の父。

概要

[編集]

彦火火出見尊(火折尊、山幸彦)の子。母は豊玉姫。『先代旧事本紀』によれば異母弟に武位起命がいる。叔母の玉依姫との間に彦五瀬命稲飯命三毛入野命彦火火出見尊(神武天皇)を得た。父と末子は同名の彦火火出見尊である。久しくして崩じ吾平山上陵に葬られた。

なお、鵜戸神宮宮崎県日南市)はウガヤフキアエズ生誕時の産屋の跡と伝えられる[3]

[編集]
  • 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと) - 『日本書紀』
  • 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと) - 『古事記』
  • 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと) - 『先代旧事本紀
  • 彦瀲尊(ひこなぎさ の みこと) - 『古語拾遺

神話での記述

[編集]

日本書紀』によれば、鸕鶿草葺不合尊が誕生した産屋は全て鸕鶿(う)の羽を(かや)としてふいたが、屋根の頂上部分をいまだふき合わせないうちに生まれ、(かや)につつまれ波瀲(なぎさ)にすてられた。これにより、母親の豊玉姫が「彦波瀲武鸕鶿草葺不合(ひこなぎさたけうかやふきあえず)」と名付けたという。

事績は『日本書紀』『古事記』ともになく、系譜上のみの存在である(後述)。

系譜

[編集]

系図

[編集]
瓊瓊杵尊
 
 
 
 
 
 
 
 
豊玉彦命
海神
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彦火火出見尊
(山幸彦)
 
 
 
豊玉姫命
 
 
 
宇都志日金拆命
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鸕鶿草葺不合尊
 
 
玉依姫命(子孫は阿曇氏
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
五瀬命稲飯命三毛野命彦火火出見尊
(神武天皇)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(子孫は皇室
 
 
 
 
 
  • 赤背景は女性。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
素戔鳴尊
 
 
 
天照大神
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天穂日命
 
天忍穂耳尊
 
天津彦根命
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
出雲氏
 
瓊瓊杵尊
 
凡河内氏
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天火明命
 
火折尊
 
火須勢理命
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
尾張氏
 
鸕鶿草葺不合尊
 
隼人
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1 神武天皇
 


妻子

[編集]
  • 妃:玉依姫(たまよりびめ、玉依毘売命)
    海童の娘で豊玉姫の妹。鸕鶿草葺不合尊から見れば叔母にあたる
    • 彦五瀬命(ひこいつせ の みこと)
      第一子。神武東征の際に賊の矢にあたって薨じた
    • 稲飯命(いない の みこと)
      第二子。『日本書紀』第二・第四の一書では第三子。神武東征の際に鋤持神となった
    • 三毛入野命(みけいりぬ の みこと、別名:御毛沼命、稚三毛野命)
      第三子。『日本書紀』第二の一書では第二子、第三・第四の一書では第四子。神武東征の際に常世郷へ行った
    • 彦火火出見尊(ひこほほでみ の みこと、別名:狭野命、若御毛沼命、豊御毛沼命)
      第四子。『日本書紀』第三の一書では第三子、第四の一書では第二子
      『日本書紀』第一書での幼名は狭野命
      初代天皇。和風諡号「神日本磐余彦天皇」、漢風諡号「神武天皇

[編集]

日本書紀』は、鸕鶿草葺不合尊が崩御した地を「西州之宮(にしのくにのみや)」と記す。

陵・霊廟

[編集]
天津日高彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊
吾平山上陵鹿児島県鹿屋市

(みささぎ)の名は吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ)。宮内庁により鹿児島県鹿屋市吾平町上名字吾平山にあるに治定されている(北緯31度17分16.64秒 東経130度54分54.78秒 / 北緯31.2879556度 東経130.9152167度 / 31.2879556; 130.9152167 (吾平山上陵(伝天津日高彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊陵)))。宮内庁上の形式は洞穴。

埋葬地は、日本書紀に「日向の吾平山上陵」と記載があるが、その伝承の地は南九州各地にある。明治7年に明治政府は、それらの中から旧薩摩藩の学者の意見を参考に鹿児島県鹿屋市(旧 肝属郡吾平町)鵜戸山を流れる姶良川に開いた岩窟「鵜戸窟」内の2つの塚を吾平山上陵に治定した。現在は宮内庁書陵部が管轄している(他の日向三代の神陵も鹿児島県内に治定)。

しかし日向国の人々からの反論が強く、国学者や宮内庁の調査によって、明治29年に鵜戸神宮背後の速日峯山上が「御陵墓伝説地 吾平山上陵」の参考地とされている。他に宮崎県西臼杵郡高千穂町とする説もある。

古史古伝

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ウエツフミ』「竹内文献」『神伝上代天皇紀』などの古史古伝に記載されている神武天皇以前の鵜萱葺不合命が開いた古代王朝をウガヤフキアエズ王朝という。一般的には古史古伝全般が偽書とみなされており、実在したとは考えられていない。

脚注

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  1. ^ 古事記
  2. ^ 日本書紀
  3. ^ ご由緒 - 鵜戸神宮(2018年7月27日午後6時35分(JST)閲覧)

参考文献

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  • 近藤敏喬 編『古代豪族系図集覧』東京堂出版、1993年、7頁頁。ISBN 4-490-20225-3 

関連項目

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先代
火折尊
地神五代
5代
次代
-
先代
火折尊
日向三代
3代
次代
-