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'''田嶋 幸三'''(たしま こうぞう、[[1957年]][[11月21日]]<ref>[http://www.jfa.jp/about_jfa/president/TASHIMA_Kohzo.pdf 【田嶋 幸三(たしま こうぞう)プロフィール】]</ref> - )は、[[熊本県]]出身の元[[サッカー選手]]、元[[サッカー日本代表]]。現在、[[日本サッカー協会]]会長(JFA初の会長選挙で当選)及び[[アジアサッカー連盟]](AFC)理事。[[JFAアカデミー福島]]初代スクールマスター。 |
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妻の[[土肥美智子]]は[[内科医]]、[[国際サッカー連盟|FIFA]]医学委員会委員、JFA医学委員会委員、オリンピック日本選手団スポーツドクター<ref>[http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/05/29/kiji/K20160529012676290.html ハリルJ、田嶋会長夫人“口説いた”内科医・美智子氏スタッフ入り] - スポーツニッポン、2016年5月29日</ref>。息子はプロサッカー選手の[[田嶋凜太郎]]<ref>{{Cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/08/04/kiji/K20160804013091530.html|title=田嶋会長の息子・凜太郎 慶大サッカー部からVVVフェンロに移籍|publisher=スポニチ|date=4 August 2016|accessdate=5 April 2017}}</ref>。兄は熊本県[[天草郡]][[苓北町]]町長(1991年-)の[[田嶋章二]]、[[甥]](夫人の姉の息子)はプロサッカー選手の[[日高慶太]]<ref>{{Cite news |
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2018年7月5日 (木) 15:43時点における版
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名前 | ||||||
カタカナ | タシマ コウゾウ | |||||
ラテン文字 | TASHIMA Kohzo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1957年11月21日(66歳) | |||||
出身地 | 熊本県天草郡 | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1980-1982 | 古河電工 | 39 | (6) | |||
代表歴 | ||||||
1979-1980 | 日本 | 7 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
田嶋 幸三(たしま こうぞう、1957年11月21日[1] - )は、熊本県出身の元サッカー選手、元サッカー日本代表。現在、日本サッカー協会会長(JFA初の会長選挙で当選)及びアジアサッカー連盟(AFC)理事。JFAアカデミー福島初代スクールマスター。
田嶋辞めろ‼︎
妻の土肥美智子は内科医、FIFA医学委員会委員、JFA医学委員会委員、オリンピック日本選手団スポーツドクター[2]。息子はプロサッカー選手の田嶋凜太郎[3]。兄は熊本県天草郡苓北町町長(1991年-)の田嶋章二、甥(夫人の姉の息子)はプロサッカー選手の日高慶太[4]。
来歴
現役時代のポジションはフォワードであった。東京都世田谷区で育ち[5]、世田谷区立用賀小学校[5]、世田谷区立用賀中学校を卒業[5]。用賀中3年時には関東大会で優勝している。また、その年に全国大会を制覇した浦和市立大原中学校にも練習試合で3-0と圧勝している。その後、浦和南高校に越境通学[5]。同校3年時にキャプテンとして高校選手権優勝。しかし当時はまだアマチュアであった日本サッカー界に魅力を感じず[5]、教員になるため筑波大学に入学した[5]。大学4年の時には、日韓戦の前座試合で大学選抜の日韓戦に出場した。そこで、当時の日本代表監督・下村幸男の目にとまり日本代表に選出される[5]。日本代表国際Aマッチでは7試合に出場し、1得点をあげた[5]。大学卒業後、日本サッカーリーグの古河電気工業サッカー部(現ジェフユナイテッド千葉)に所属。同期には岡田武史、吉田弘、加藤好男らがいる[5]。しかし、全日本代表の監督が渡辺正に変わると代表から落選[5]した。そして、サッカーへのモチベーションも下降気味となった古河での3年目には、大学院に通いながらプレーした[5]。この年の、JSL1982年シーズンを最後に退社し、選手としても引退した。その後は、西ドイツ(当時)に留学してサッカー指導者への道を歩み始めた。
1983年から1986年までの2年半、西ドイツのケルン体育大学に留学しB級コーチライセンスを取得。のち筑波大学大学院と同大学サッカー部コーチを経て、1988年に立教大学講師、1990年-1995年同大学助教授。また同大学サッカー部コーチ。1996年から筑波大学客員助教授として、S級指導者養成にかかわる。
その一方、1993年から1996年には日本サッカー協会強化委員会委員に、また、1994年からは副委員長に就任して強化プログラム策定に従事した[5]。その後、1996年から指導委員会委員、1998年からは技術委員会副委員長と強化担当ポストを歴任。
1999年にはU-15日本代表監督に就任した。U-17世界大会に出場を果たすもグループリーグ敗退に終わった。その後U-19日本代表の指揮をとったが、技術委員長へ昇進したことから大熊清に後を任せて退任した[5]。
2006年からは日本サッカー協会専務理事に就任するも、それにともなって技術委員長を退任した。2010年1月、日本サッカー協会は小倉純二副会長が務めている国際サッカー連盟(FIFA)理事やアジアサッカー連盟(AFC)理事などの国際業務を段階的に田嶋へ引き継がせる事を理事会で決定し[6]、AFC理事やFIFA理事の選挙に備えた。
2010年7月に小倉が新会長へ就任すると田嶋は専務理事との兼任で副会長に就任した。なお2012年6月の改選では副会長に留任する一方で、兼務していた専務理事は退任している。
2011年1月6日アジアサッカー連盟(AFC)総会がカタールで行われ、FIFA理事選挙では田嶋が落選し日本は2002年以来守ってきたFIFA理事のポストを失った[7] が、アジアサッカー連盟(AFC)理事には選ばれた[8][9]。
2013年6月、公益財団法人日本オリンピック委員会常務理事に就任。
2015年4月、バーレーン・マナマで開催されたアジア・サッカー連盟(AFC)総会にて国際サッカー連盟(FIFA)理事選挙に立候補、当選。FIFA日本人理事は歴代で4人目。
2013年、FIFA総会で傘下の全211協会(2018年時点)がFIFAの定めた「標準規約」(会長選挙を必ず実施する等の内容)に準拠した規約制定を義務づけられたため、JFAは、規定を改正し[10]、2015年3月29日に施行した。2015年12月1日にJFA初のJFA会長選挙が始まり、立候補受付を開始した。「育成の重要性が柱」とするJFA副会長の田嶋と「日本代表強化が柱」とする原博実専務理事(当時)の2人が立候補した。なお、立候補者以外にも、現理事(28人)と評議員(75人)が投票を行い、理事投票で1位になった人と、評議員投票で7票以上を得た人全員が候補者となる。同年12月23日から2016年1月6日に理事及び評議員投票が行われ、その後、資格を満たしているか、小倉純二JFA名誉会長を委員長とする「選出管理委員会」が審査、会長候補者となる意向の確認後、2016年1月21日に最終候補者が告示された。最終的な「選挙」が2016年1月31日臨時評議員会に行われ、過半数を得た田嶋が、原博実を破り当選し、「会長予定者」となった。この時点で、正式決定しないのは、規定で新体制の第1回理事会を経る必要がある為である。同年2月、自分と会長の座を争った原博実を二階級降格。翌3月、原と共に当時日本代表監督だったヴァヒド・ハリルホジッチ氏の招聘に尽力した霜田正浩技術委員長を降格、西野朗を新技術委員長として任命する等の人事再編を行う。同年3月27日のJFA第1回理事会を経て正式に第14代JFA会長となった[11]。同年3月、東アジアサッカー連盟会長の就任が決まる[12]。
なお、2015年の規定から評議員は、以前の47の都道府県サッカー協会から1人ずつの計47人に加え、Jリーグを筆頭にした各種連盟やJ1の18クラブからそれぞれ代表者を入れ、計75名となっている[11]。
2017年9月1日、2018FIFAワールドカップアジア予選1位突破が決定した際、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督の続投について聞かれ「ロシア(W杯本戦)もぜひやってもらいたい」とコメントした[13]。
2018年3月24日、JFA会長に再任。同年4月7日、会長の専権事項としてヴァヒド・ハリルホジッチ日本代表監督の契約解除を決断する[14]。9日の理事会にて西野朗技術委員長を新監督として任命する。12日の会見にて解任の理由を「勝敗ではなく信頼関係」と答え、「1%でも2%でも勝つ可能性を求めるための結論」「時間のない危機的状況だが、こういう時に日本人は力を発揮できるものと信じている」「オールジャパン」「(ハリルホジッチ監督は)びっくりしていた」と説明した[15][16]。21日、ハリルホジッチ来日に際し「誠意のある対応をしたい」「ニュースは見ていない」「次、前に進みたい」「彼と会う予定はない」「(彼の話を)特に聞こうとも思っていないし、後で報告を受ければいいかなと思っている」とコメントした[17]。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1980 | 古河 | JSL1部 | 14 | 4 | |||||||
1981 | 14 | 1 | |||||||||
1982 | 11 | 1 | |||||||||
通算 | 日本 | JSL1部 | 39 | 6 | |||||||
総通算 | 39 | 6 |
代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 7試合 1得点(1979-1980)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1979 | 4 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 |
1980 | 3 | 1 | 4 | 0 | 7 | 1 |
通算 | 7 | 1 | 5 | 0 | 12 | 1 |
強化策
彼の強化策によりユース各年代は共通した「約束事」を与え一貫した指導を行っている。
脚注
- ^ 【田嶋 幸三(たしま こうぞう)プロフィール】
- ^ ハリルJ、田嶋会長夫人“口説いた”内科医・美智子氏スタッフ入り - スポーツニッポン、2016年5月29日
- ^ “田嶋会長の息子・凜太郎 慶大サッカー部からVVVフェンロに移籍”. スポニチ (4 August 2016). 5 April 2017閲覧。
- ^ “秋田今季初勝利 日高が叔父田嶋会長の前でJ初得点” (日本語). 日刊スポーツ. (2016年4月4日) 2016年4月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 岩上和道. “公益財団法人日本サッカー協会 田嶋幸三 副会長と対談インタビュー”. フジサンケイグループイノベーションズアイ. オリジナルの2016年2月1日時点におけるアーカイブ。 2015年9月27日閲覧。
- ^ スポニチ2010年1月14日付記事 [1][リンク切れ]
- ^ “日本、FIFA理事ポスト失う…田嶋氏落選” (日本語). 読売新聞. (2011年1月6日) 2011年1月6日閲覧。
- ^ 日本サッカー協会 田嶋幸三副会長兼専務理事 アジアサッカー連盟理事に -日本サッカー協会公式HP2011/01/07
- ^ -アジアサッカー連盟公式英語版HP2011/1/6
- ^ 役員の選任及び会長等の選定に関する規程2015/3/29施行-日本サッカー協会公式HP
- ^ a b No.1054 初めての会長選挙-大住良之公式HP2016年1月6日
- ^ 東アジア杯は日本で来年12月に、連盟会長に田嶋氏
- ^ “田嶋会長、ハリル監督の続投明言「ぜひやってもらいたい」”. スポーツ報知. (2017年9月1日)
- ^ “ハリル監督解任 責任の所在、不明確”. 毎日新聞. (2016年4月9日)
- ^ “「1%でも2%でも勝つ可能性を求めるための結論」…田嶋幸三会長の一問一答全文”. スポーツ報知. (2016年4月9日)
- ^ “「びっくりしてた」…田嶋幸三会長、解任を伝えた時の様子を明かす”. FromOne co.. (2016年4月9日)
- ^ “田嶋会長「次、前に進みたい」ハリル氏再来日に言及”. 日刊スポーツ. (2016年4月21日)