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'''八重岳'''(やえだけ)は、[[沖縄県]][[国頭郡]][[本部町]][[名護市]]にまたがる[[標高]]453.3mの[[]]である。
'''八重岳'''(やえだけ<ref name="kadokawa-yaedake-685">「八重岳」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.685</ref>)は、[[標高]]453.4[[メートル|m]][[]]で、[[沖縄本島]]北部位置する[[本部半島]]の[[最高峰]]である。


沖縄本島では[[与那覇岳]]に次ぐ第2位の標高で、南方に位置する[[嘉津宇岳]]と[[安和岳]]と共に連山をなす。山頂までの[[登山道]]に[[カンヒザクラ]]が植えられ、日本で最も早く[[桜]]が見られることで知られる。[[沖縄戦]]では、沖縄本島北部の主要な戦闘地であった。頂上部に[[アメリカ軍]]が管理する「八重岳通信所」が置かれている。
==概要==
*当山は、[[本部半島]]の[[最高峰]]である。
*[[NTTコミュニケーションズ]]の[[NTT中継回線|マイクロ回線]]や米軍・自衛隊の通信アンテナが建っており、アンテナ高が100m前後あるため、[[於茂登岳]](標高526m。こちらも最高地点はFMなどのアンテナによる人工構造物)を抜き、人工構造物を含めた沖縄最高地点の可能性がある(本島最高峰[[与那覇岳]]には頂上に人工構造物はない)。


==周辺==
== 地勢 ==
[[沖縄本島]]北部に位置する[[本部半島]]の南に位置し、南東に[[嘉津宇岳]]、南に[[安和岳]]がある<ref name="kadokawa-yaedake-685"/>。山頂は[[沖縄県]][[国頭郡]][[本部町]]に属するが、山体は[[名護市]]との境界をまたぐ<ref name="rekishi-yaedake-501jo-501chu">「八重岳」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.501上段・中段</ref>。[[標高]]は453.4[[メートル|m]]で、沖縄県内で第5位、沖縄本島内では[[与那覇岳]]に次ぐ第2位の高さで<ref name="web-okinawageo-gsi">{{Cite web |date=2017-10-01 |url=http://www.gsi.go.jp/okinawa/okinawa-index.html |title=沖縄の地理 |publisher=国土地理院沖縄支所 |accessdate=2018-09-14}}</ref>、[[本部半島]]の[[最高峰]]である<ref name="rekishi-yaedake-501jo">「八重岳」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.501上段</ref>。
*八重岳桜の森公園
*本部八重岳桜まつり会場(毎年1月中旬から開催され、日本一早い桜祭りである。)
*安和岳(標高432m)
*嘉津宇岳(標高452m)
*八重岳サイト([[アメリカ軍|米軍]]の通信施設)
*八重岳ARSRレーダーサイト 国土交通省那覇航空交通管制部・航空路監視レーダーサイト
*[[FM本部]][[送信所]] - 詳細は下記に記述。


八重岳をはじめ、嘉津宇岳と安和岳の連山が本部半島の南側に立地する山塊をなし、北側の乙羽岳を主体とする山塊との間に東西に伸びる[[構造線]]で区分される<ref name="kadokawa-motobupeninsula-683">「本部半島」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.683</ref>。八重岳の連山は起伏に富んだ地形で、地面に露出した[[岩石]]が多く、南側は[[名護湾]]にせり出す<ref name="kadokawa-yaedake-685"/>。遠くから望む山容は緩やかに見えるが、実際には[[谷]]が多く形成されている<ref name="kadokawa-yaedake-685"/>。[[地質]]は[[古生代]][[ペルム紀]]の[[石灰岩]]を主とし、[[粘板岩]]や[[チャート]]を含む[[中生代]]の本部層で構成され<ref name="rekishi-yaedake-501chu">「八重岳」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.501中段</ref>、嘉津宇岳と安和岳と共に、[[円錐]]状の[[カルスト地形]]をなす<ref name="kadokawa-yaedake-685"/>。
==放送送信施設==

{{notice|注意:テレビ放送の本部中継局とは送信施設置局住所が異なります。}}
八重岳の年間[[降水量]]は約2,600[[ミリメートル|mm]]で<ref name="rekishi-yaedake-501chu"/>、満名川や[[大井川 (沖縄県)|大井川]]水系の源流域となっている<ref name="kadokawa-yaedake-685"/>。八重岳北東の斜面から源を発する大井川の河口は[[三角江]]をなし<ref name="rekishi-yaedake-487chu">「大井川」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.487中段</ref>、[[今帰仁村]]海岸の[[東シナ海]]へ流出する<ref name="kadokawa-ooigawa-211">「大井川」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.211</ref>。満名川の中上流部は谷が発達しているが、下流部に[[沖積平野|沖積低地]]が形成されている<ref name="kadokawa-mannagawa-656">「満名川」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.656</ref>。

== 自然 ==
八重岳一帯は、[[1972年]]([[昭和]]47年)に沖縄県により指定された「[[嘉津宇岳#自然|嘉津宇岳安和岳八重岳天然保護区]]」に含まれる<ref name="bunkazai-20">「嘉津宇岳安和岳八重岳自然保護区」、沖縄県教育委員会編(1996年)、p.20</ref><ref name="okinawa-jo-katsuuhogo719">新納義馬「嘉津宇岳安和岳八重岳天然保護区」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.719</ref>。[[植生]]は主に[[イタジイ]]であり<ref name="okinawa-ge-yaedake688">原昭夫「八重岳」、『沖縄大百科事典 下巻』(1983年)、p.688</ref>、かつて[[ラン科]]の植物が多く自生していたが、個体数が減少している<ref name="ocvb-108">「花を愛でる旅 八重岳(本部町)」、『美ら島 2009年版』(2010年)、p.108</ref>。本部町は、「本部町森林保全計画」の策定により、自然保護の観点から八重岳周辺の整備を行っている<ref name="okinawabase2013-241">「八重岳通信所」、『沖縄の米軍基地 平成25年3月』(2013年)、p.241</ref>。

八重岳は[[桜]]の名所でもある<ref name="okinawa-ge-yaedake688"/>。登山道の両端に[[カンヒザクラ]]が植えられ、1月下旬には開花する<ref name="rekishi-yaedake-501chu"/>。沖縄本島中南部よりも気温の低い[[山原|北部]]、特にその地域の内でも、八重岳などの標高の高い山岳地帯で開花が早まる<ref name="nago7-10-11">鈴木歩「気候と気象」、『社会と文化』(2002年)、pp.10 - 11</ref>。

== 歴史 ==
八重岳は[[沖縄北部方言|方言]]で「エーダキ」といい<ref name="kadokawa-yaedake-685"/>、『[[マシュー・ペリー|ペリー]]艦隊日本遠征記』に所載された[[地図]]には、嘉津宇岳・安和岳・八重岳の一帯を「''NATCHIJIN MOUNTAINS'' (ナチジン山地)」と記している<ref name="rekishi-katsuudake-439jo">「嘉津宇岳」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.439上段</ref>。

八重岳の北西麓を占める本部町の「大嘉陽(おおかよう)」という[[大字]]では、[[染料]]に利用される[[藍]]の栽培が[[大正]]期まで盛んに行われていたが、化学染料が台頭したことにより次第に衰退、戦後になると、藍の栽培と染料の製造は廃れたが、その後[[サトウキビ]]や[[パイナップル]]の栽培に転換している<ref name="kadokawa-ookayou-215">「大嘉陽」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.215</ref>。

[[File:Pushing to Yae-Take.jpg|thumb|八重岳に向けて押し進むアメリカ軍の第6海兵師団。]]
[[沖縄戦]]における沖縄本島北部の戦いの中でも、本部半島の山岳部が主要な戦闘地で、特に八重岳は本島北部において唯一日米両軍の対峙戦が行われた場所である<ref name="okinawa-ge-hokubusensen426">玉木真哲「北部戦線」、『沖縄大百科事典 下巻』(1983年)、p.426</ref>。[[1945年]](昭和20年)3月、宇土武彦大佐が率いる[[独立混成第44旅団 (日本軍)|独立混成第44旅団]]第2歩兵隊(「宇土部隊」<ref name="okinawa-jo-udobutai304">我部政男「宇土部隊」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.304</ref>)は八重岳の周囲に陣地を築いていたが、4月13日に本部半島に到達したアメリカ軍の[[第6海兵師団 (アメリカ軍)|第6海兵師団]]は、八重岳を攻撃目標と決めていた<ref name="okinawa-ge-yaedakebattle688">我部政男「八重岳の戦闘」、『沖縄大百科事典 下巻』(1983年)、p.688</ref>。翌日、アメリカ軍は宇土部隊の本拠地である八重岳へ攻撃を開始し、宇土部隊は銃撃による抵抗を見せたが、同月16日に八重岳山頂はアメリカ軍により占領された<ref name="okinawa-ge-hokubusensen426"/>。同日、宇土は陣地を放棄して、本部半島に残っていた将兵らに多野岳への転進命令を下した<ref name="yambarubattle-93-94">「名護・やんばるの戦闘の経過」、『名護・やんばるの沖縄戦』(2016年)、pp.93 - 94</ref>。4月20日、アメリカ軍は本部半島のほぼ全域を制圧し、それにより本島北部における日米両軍の組織的な戦闘のほとんどが終結した<ref name="okinawa-ge-hokubusensen426"/>。

[[アメリカ合衆国による沖縄統治|米軍統治時代]]の[[1963年]](昭和38年)、[[琉米親善]]委員会からの補助金で、八重岳桜並木の植樹事業が開始され、それ以降も継続して行われていた<ref name="motobu-ge-348">仲田善明「八重岳と桜」、『本部町史 下巻』(1994年)、p.348</ref>。[[1979年]](昭和54年)[[1月19日]]に、一回目となる「八重岳桜花見祭り」が開催された<ref name="motobu2010-55">「資料編 本部町のあゆみ」、本部町役場編(2010年)、p55</ref>。[[1966年]](昭和41年)に「新沖縄観光名所」<ref name="kadokawa-yaedake-686"/>、[[1983年]](昭和58年)に「沖縄の自然100選」<ref name="motobu2010-55"/>、[[1995年]]([[平成]]7年)に「新おきなわ観光名所100選」に選定されている<ref name="motobu2010-57">「資料編 本部町のあゆみ」、本部町役場編(2010年)、p57</ref>。

== 観光 ==
[[File:Yaedake 01.jpg|thumb|180px|登山道のカンヒザクラ並木]]
[[登山道]]入口が本部町の「伊野波(いのは)」にあり、山頂付近まで[[道路]]が約4[[キロメートル|km]]にわたって続く<ref name="rekishi-yaedake-501chu"/>。山頂まで[[自動車]]による往来が可能で、道中に[[駐車場]]が整備され、また自然林の中を通る遊歩道もある<ref name="ocvb-108"/>。家族連れなどの集団が[[登山]]や[[ピクニック]]を行うのに適している<ref name="motobu-ge-348"/>。頂上からは沖縄本島北部の国頭山地をはじめ、[[伊江島]]・[[瀬底島]]や[[水納島 (沖縄県本部町)|水納島]]を望むことができる<ref name="kadokawa-yaedake-686"/>。

登山口から頂上にかけての道路の両側には約4千本の[[カンヒザクラ]]が植えられ、[[1月]]下旬に開花することから、日本で最も早く桜が見られることで知られ<ref name="rekishi-yaedake-501chu"/>、多くの[[花見]]客が訪れる<ref name="kadokawa-yaedake-686">「八重岳」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.686</ref>。「ひと足お咲きに」という[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]で銘打った「本部八重岳桜まつり」が、1月中旬頃から開催されている<ref name="motobu2010-9">「2.観光」、本部町役場編(2010年)、p.9</ref>。八重岳の周囲は本部町により「桜の森公園」と位置づけられ、同町に所在する[[国営沖縄記念公園#海洋博覧会地区|海洋博公園]]と共に観光資源となっている<ref name="okinawabase2013-241"/>。

八重岳頂上部にある「八重岳通信所」の区域内において、アメリカ軍の活動を妨害しない限り、一般住民の使用は許可され、また通信施設であることから、[[訓練]]や[[演習]]などは行われていない<ref name="okinawabase2013-241"/>。

== 通信施設 ==
八重岳頂上部に設置された「八重岳通信所」は、[[1950年]](昭和25年)に使用が開始、[[沖縄返還|本土復帰]]後の[[1977年]](昭和52年)に[[アメリカ陸軍]]からに[[アメリカ空軍|空軍]]に移管され、[[1993年]](平成5年)に[[海上自衛隊]]が共同での使用を開始した<ref name="rekishi-yaedake-501chu"/><ref name="okinawabase2013-240-241">「八重岳通信所」、『沖縄の米軍基地 平成25年3月』(2013年)、pp.240 - 241</ref>。八重岳山頂に[[国土交通省]]や沖縄県などの[[マイクロ波]][[中継局]]と、[[航空局]]の航空路監視レーダーが設けられている<ref name="fujii302">藤井(2018年)、p.302</ref>。

=== 放送送信施設 ===
{{出典の明記|date=2018年10月|section=1}}
{{notice|注意:テレビ放送の[[本部中継局]]とは送信施設置局住所が異なります。}}
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![[周波数]]<br />([[メガヘルツ|MHz]])!![[日本のラジオ放送局|放送局名]]<br />「[[愛称]]」!![[識別信号#呼出符号|コールサイン]]!!空中線電力!!ERP!!放送対象地域!!放送区域内世帯数!!開局日
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|79.2||[[FM本部]]<br />「ちゅらハートエフエム本部」||JOZZ0BV-FM||20W||28.9W||[[本部町]]のほぼ全域と周辺地域の一部||※6,195世帯||[[2011年]]<br />[[12月9日]]
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|}


===補足===
==== 補足 ====
*公式発表上の放送区域内世帯数は、本部町全世体の97%にあたるの4,695世帯、[[伊江村]]全世帯の79%にあたる1,500世帯が放送区域内世帯数だが、下記外部リンクによると、[[名護市]]や[[今帰仁村]]及び[[恩納村]]の一部も、放送エリアに入る。
* 公式発表上の放送区域内世帯数は、本部町全世体の97%にあたるの4,695世帯、[[伊江村]]全世帯の79%にあたる1,500世帯が放送区域内世帯数だが、下記外部リンクによると、[[名護市]]や[[今帰仁村]]及び[[恩納村]]の一部も、放送エリアに入る。

==== 歴史 ====
* 2011年
** 10月4日 - [[予備免許]]交付
** 12月6日 - 本免許交付
** 12月9日 - 開局

==== 置局住所 ====
* 国頭郡本部町大嘉陽

== 出典 ==
{{Reflist|2}}


===歴史===
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=財団法人沖縄観光コンベンションビューロー編|title=美ら島 2009年版|publisher=沖縄観光コンベンションビューロー|year=2010|isbn=4-903972-02-X}}
*[[2011年]][[10月4日]] - [[予備免許]]交付
* {{Cite book|和書|author=[[沖縄県教育委員会]]編|title=沖縄の文化財I 天然記念物編|publisher=[[沖縄県立博物館]]友の会|year=1996}}
*2011年[[12月6日]] - 本免許交付
* {{Cite book|和書|author=沖縄県知事公室基地対策課編|title=沖縄の米軍基地 平成25年3月|publisher=沖縄県知事公室基地対策課|year=2013}}
*2011年[[12月9日]] - 開局
* {{Cite book|和書|author=沖縄大百科事典刊行事務局編|title=[[都道府県別百科事典|沖縄大百科事典]]|publisher=[[沖縄タイムス|沖縄タイムス社]]|year=1983}}{{全国書誌番号|84009086}}
===置局住所===
* {{Cite book|和書|author=角川日本地名大辞典編纂委員会編|title=[[角川日本地名大辞典]] 47.沖縄県|publisher=[[角川書店]]|year=1986|isbn=4-04-001470-7}}
*国頭郡本部町大嘉陽
* {{Cite book|和書|author=名護市史編さん委員会編|title=社会と文化|publisher=名護市役所|year=2002|series=名護市史・本編 7}}
* {{Cite book|和書|author=名護市史編さん委員会・名護市史『戦争』編専門部会編|title=名護・やんばるの沖縄戦|publisher=名護市役所|year=2016|series=名護市史・本編 3}}
* {{cite journal|last=藤井|first=智史|title=アンテナのあった風景 in 「沖縄」|series=通信ソサエティマガジン|publisher=電子情報通信学会|year=2018|volume=2018春号|issue=44|pages=301 - 304|url=https://doi.org/10.1587/bplus.11.301 |format=[[Portable Document Format|PDF]] |doi=10.1587/bplus.11.301}}
* {{Cite book|和書|author=平凡社地方資料センター編|title=[[日本歴史地名大系]]第四八巻 沖縄県の地名|publisher=[[平凡社]]|year=2002|isbn=4-582-49048-4}}
* {{Cite book|和書|author=本部町史編集委員会編|title=本部町史 通史編 下|publisher=本部町|year=1994}}
* {{Cite book|和書|author=本部町役場編|title=本部町 2010年 町勢要覧|publisher=本部町役場|year=2010}}


==外部リンク==
== 関連項目 ==
* [[山原]]
*[http://www.town.motobu.okinawa.jp/index.php?pid=191 町内の公園] - 本部町ホームページ
*[http://www.motobu-ka.com/page/category/links/ もとぶ町観光協会ホームページ]
*[http://www.mapfan.com/spotdetail.cgi?SPOTCODE=S14KI000 本部八重岳桜まつり] - MapFanWebホームページ
*[http://www.soumu.go.jp/soutsu/okinawa/hodo/2011/11_10_04-01.html 本部町のコミュニティ放送局に予備免許-沖縄管内で14局目のコミュニティ放送局に予備免許交付-] - 総務省沖縄総合通信事務所(2011年10月4日プレスリリース)
*{{PDFlink|[http://www.soumu.go.jp/soutsu/okinawa/hodo/2011/11_10_04-012.pdf FM本部の放送エリア]}} - 上記リンクの別図
*[http://www.soumu.go.jp/soutsu/okinawa/hodo/2011/11_12_06-01.html 本部町のコミュニティ放送局に免許-沖縄管内で13局目のコミュニティ放送局に免許状を交付-] - 総務省沖縄総合通信事務所(2011年12月6日プレスリリース) 


== 外部リンク ==
==関連項目==
{{Commonscat|Mount Yae}}
*[[本部町]]
* [http://www.town.motobu.okinawa.jp/shisetu/kouen#01 八重岳桜の森公園] - 本部町ホームページ
*[[FM本部]]
* [http://www.motobu-ka.com/page/135.html 八重岳] - もとぶ町観光協会
*[[本部中継局]] - [[テレビ]]の中継局についての記述
* [http://rca.open.ed.jp/nature/data/azb0006b.html 嘉津宇岳安和岳八重岳自然保護区] - 琉球文化アーカイブ(沖縄県立総合教育センター)
* [http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/1179.html FAC6006 八重岳通信所] - 沖縄県知事公室基地対策課
* [http://www.soumu.go.jp/soutsu/okinawa/hodo/2011/11_10_04-01.html 本部町のコミュニティ放送局に予備免許-沖縄管内で14局目のコミュニティ放送局に予備免許交付-] - 総務省沖縄総合通信事務所(2011年10月4日プレスリリース)
* {{PDFlink|[http://www.soumu.go.jp/soutsu/okinawa/hodo/2011/11_10_04-012.pdf FM本部の放送エリア]}} - 上記リンクの別図
* [http://www.soumu.go.jp/soutsu/okinawa/hodo/2011/11_12_06-01.html 本部町のコミュニティ放送局に免許-沖縄管内で13局目のコミュニティ放送局に免許状を交付-] - 総務省沖縄総合通信事務所(2011年12月6日プレスリリース)


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[[Category:沖縄県の山]]
[[Category:沖縄県の山]]

2018年11月8日 (木) 09:57時点における版

八重岳
嘉津宇岳頂上から望む八重岳
標高 453.4 m
所在地 日本の旗 日本
沖縄県国頭郡本部町名護市
位置 北緯26度38分7.8秒 東経127度55分42.08秒 / 北緯26.635500度 東経127.9283556度 / 26.635500; 127.9283556 (八重岳)座標: 北緯26度38分7.8秒 東経127度55分42.08秒 / 北緯26.635500度 東経127.9283556度 / 26.635500; 127.9283556 (八重岳)
八重岳の位置(沖縄本島内)
八重岳
八重岳 (沖縄本島)
八重岳の位置(南西諸島内)
八重岳
八重岳 (南西諸島)
八重岳の位置(日本内)
八重岳
八重岳 (日本)
プロジェクト 山
テンプレートを表示

八重岳(やえだけ[1])は、標高453.4mで、沖縄本島北部に位置する本部半島最高峰である。

沖縄本島では与那覇岳に次ぐ第2位の標高で、南方に位置する嘉津宇岳安和岳と共に連山をなす。山頂までの登山道カンヒザクラが植えられ、日本で最も早くが見られることで知られる。沖縄戦では、沖縄本島北部の主要な戦闘地であった。頂上部にアメリカ軍が管理する「八重岳通信所」が置かれている。

地勢

沖縄本島北部に位置する本部半島の南に位置し、南東に嘉津宇岳、南に安和岳がある[1]。山頂は沖縄県国頭郡本部町に属するが、山体は名護市との境界をまたぐ[2]標高は453.4mで、沖縄県内で第5位、沖縄本島内では与那覇岳に次ぐ第2位の高さで[3]本部半島最高峰である[4]

八重岳をはじめ、嘉津宇岳と安和岳の連山が本部半島の南側に立地する山塊をなし、北側の乙羽岳を主体とする山塊との間に東西に伸びる構造線で区分される[5]。八重岳の連山は起伏に富んだ地形で、地面に露出した岩石が多く、南側は名護湾にせり出す[1]。遠くから望む山容は緩やかに見えるが、実際にはが多く形成されている[1]地質古生代ペルム紀石灰岩を主とし、粘板岩チャートを含む中生代の本部層で構成され[6]、嘉津宇岳と安和岳と共に、円錐状のカルスト地形をなす[1]

八重岳の年間降水量は約2,600mm[6]、満名川や大井川水系の源流域となっている[1]。八重岳北東の斜面から源を発する大井川の河口は三角江をなし[7]今帰仁村海岸の東シナ海へ流出する[8]。満名川の中上流部は谷が発達しているが、下流部に沖積低地が形成されている[9]

自然

八重岳一帯は、1972年昭和47年)に沖縄県により指定された「嘉津宇岳安和岳八重岳天然保護区」に含まれる[10][11]植生は主にイタジイであり[12]、かつてラン科の植物が多く自生していたが、個体数が減少している[13]。本部町は、「本部町森林保全計画」の策定により、自然保護の観点から八重岳周辺の整備を行っている[14]

八重岳はの名所でもある[12]。登山道の両端にカンヒザクラが植えられ、1月下旬には開花する[6]。沖縄本島中南部よりも気温の低い北部、特にその地域の内でも、八重岳などの標高の高い山岳地帯で開花が早まる[15]

歴史

八重岳は方言で「エーダキ」といい[1]、『ペリー艦隊日本遠征記』に所載された地図には、嘉津宇岳・安和岳・八重岳の一帯を「NATCHIJIN MOUNTAINS (ナチジン山地)」と記している[16]

八重岳の北西麓を占める本部町の「大嘉陽(おおかよう)」という大字では、染料に利用されるの栽培が大正期まで盛んに行われていたが、化学染料が台頭したことにより次第に衰退、戦後になると、藍の栽培と染料の製造は廃れたが、その後サトウキビパイナップルの栽培に転換している[17]

八重岳に向けて押し進むアメリカ軍の第6海兵師団。

沖縄戦における沖縄本島北部の戦いの中でも、本部半島の山岳部が主要な戦闘地で、特に八重岳は本島北部において唯一日米両軍の対峙戦が行われた場所である[18]1945年(昭和20年)3月、宇土武彦大佐が率いる独立混成第44旅団第2歩兵隊(「宇土部隊」[19])は八重岳の周囲に陣地を築いていたが、4月13日に本部半島に到達したアメリカ軍の第6海兵師団は、八重岳を攻撃目標と決めていた[20]。翌日、アメリカ軍は宇土部隊の本拠地である八重岳へ攻撃を開始し、宇土部隊は銃撃による抵抗を見せたが、同月16日に八重岳山頂はアメリカ軍により占領された[18]。同日、宇土は陣地を放棄して、本部半島に残っていた将兵らに多野岳への転進命令を下した[21]。4月20日、アメリカ軍は本部半島のほぼ全域を制圧し、それにより本島北部における日米両軍の組織的な戦闘のほとんどが終結した[18]

米軍統治時代1963年(昭和38年)、琉米親善委員会からの補助金で、八重岳桜並木の植樹事業が開始され、それ以降も継続して行われていた[22]1979年(昭和54年)1月19日に、一回目となる「八重岳桜花見祭り」が開催された[23]1966年(昭和41年)に「新沖縄観光名所」[24]1983年(昭和58年)に「沖縄の自然100選」[23]1995年平成7年)に「新おきなわ観光名所100選」に選定されている[25]

観光

登山道のカンヒザクラ並木

登山道入口が本部町の「伊野波(いのは)」にあり、山頂付近まで道路が約4kmにわたって続く[6]。山頂まで自動車による往来が可能で、道中に駐車場が整備され、また自然林の中を通る遊歩道もある[13]。家族連れなどの集団が登山ピクニックを行うのに適している[22]。頂上からは沖縄本島北部の国頭山地をはじめ、伊江島瀬底島水納島を望むことができる[24]

登山口から頂上にかけての道路の両側には約4千本のカンヒザクラが植えられ、1月下旬に開花することから、日本で最も早く桜が見られることで知られ[6]、多くの花見客が訪れる[24]。「ひと足お咲きに」というキャッチフレーズで銘打った「本部八重岳桜まつり」が、1月中旬頃から開催されている[26]。八重岳の周囲は本部町により「桜の森公園」と位置づけられ、同町に所在する海洋博公園と共に観光資源となっている[14]

八重岳頂上部にある「八重岳通信所」の区域内において、アメリカ軍の活動を妨害しない限り、一般住民の使用は許可され、また通信施設であることから、訓練演習などは行われていない[14]

通信施設

八重岳頂上部に設置された「八重岳通信所」は、1950年(昭和25年)に使用が開始、本土復帰後の1977年(昭和52年)にアメリカ陸軍からに空軍に移管され、1993年(平成5年)に海上自衛隊が共同での使用を開始した[6][27]。八重岳山頂に国土交通省や沖縄県などのマイクロ波中継局と、航空局の航空路監視レーダーが設けられている[28]

放送送信施設

周波数
MHz
放送局名
愛称
コールサイン 空中線電力 ERP 放送対象地域 放送区域内世帯数 開局日
79.2 FM本部
「ちゅらハートエフエム本部」
JOZZ0BV-FM 20W 28.9W 本部町のほぼ全域と周辺地域の一部 ※6,195世帯 2011年
12月9日

補足

  • 公式発表上の放送区域内世帯数は、本部町全世体の97%にあたるの4,695世帯、伊江村全世帯の79%にあたる1,500世帯が放送区域内世帯数だが、下記外部リンクによると、名護市今帰仁村及び恩納村の一部も、放送エリアに入る。

歴史

  • 2011年
    • 10月4日 - 予備免許交付
    • 12月6日 - 本免許交付
    • 12月9日 - 開局

置局住所

  • 国頭郡本部町大嘉陽

出典

  1. ^ a b c d e f g 「八重岳」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.685
  2. ^ 「八重岳」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.501上段・中段
  3. ^ 沖縄の地理”. 国土地理院沖縄支所 (2017年10月1日). 2018年9月14日閲覧。
  4. ^ 「八重岳」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.501上段
  5. ^ 「本部半島」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.683
  6. ^ a b c d e f 「八重岳」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.501中段
  7. ^ 「大井川」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.487中段
  8. ^ 「大井川」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.211
  9. ^ 「満名川」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.656
  10. ^ 「嘉津宇岳安和岳八重岳自然保護区」、沖縄県教育委員会編(1996年)、p.20
  11. ^ 新納義馬「嘉津宇岳安和岳八重岳天然保護区」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.719
  12. ^ a b 原昭夫「八重岳」、『沖縄大百科事典 下巻』(1983年)、p.688
  13. ^ a b 「花を愛でる旅 八重岳(本部町)」、『美ら島 2009年版』(2010年)、p.108
  14. ^ a b c 「八重岳通信所」、『沖縄の米軍基地 平成25年3月』(2013年)、p.241
  15. ^ 鈴木歩「気候と気象」、『社会と文化』(2002年)、pp.10 - 11
  16. ^ 「嘉津宇岳」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.439上段
  17. ^ 「大嘉陽」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.215
  18. ^ a b c 玉木真哲「北部戦線」、『沖縄大百科事典 下巻』(1983年)、p.426
  19. ^ 我部政男「宇土部隊」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.304
  20. ^ 我部政男「八重岳の戦闘」、『沖縄大百科事典 下巻』(1983年)、p.688
  21. ^ 「名護・やんばるの戦闘の経過」、『名護・やんばるの沖縄戦』(2016年)、pp.93 - 94
  22. ^ a b 仲田善明「八重岳と桜」、『本部町史 下巻』(1994年)、p.348
  23. ^ a b 「資料編 本部町のあゆみ」、本部町役場編(2010年)、p55
  24. ^ a b c 「八重岳」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.686
  25. ^ 「資料編 本部町のあゆみ」、本部町役場編(2010年)、p57
  26. ^ 「2.観光」、本部町役場編(2010年)、p.9
  27. ^ 「八重岳通信所」、『沖縄の米軍基地 平成25年3月』(2013年)、pp.240 - 241
  28. ^ 藤井(2018年)、p.302

参考文献

  • 財団法人沖縄観光コンベンションビューロー編『美ら島 2009年版』沖縄観光コンベンションビューロー、2010年。ISBN 4-903972-02-X 
  • 沖縄県教育委員会編『沖縄の文化財I 天然記念物編』沖縄県立博物館友の会、1996年。 
  • 沖縄県知事公室基地対策課編『沖縄の米軍基地 平成25年3月』沖縄県知事公室基地対策課、2013年。 
  • 沖縄大百科事典刊行事務局編『沖縄大百科事典沖縄タイムス社、1983年。 全国書誌番号:84009086
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 47.沖縄県』角川書店、1986年。ISBN 4-04-001470-7 
  • 名護市史編さん委員会編『社会と文化』名護市役所〈名護市史・本編 7〉、2002年。 
  • 名護市史編さん委員会・名護市史『戦争』編専門部会編『名護・やんばるの沖縄戦』名護市役所〈名護市史・本編 3〉、2016年。 
  • 藤井, 智史 (2018) (PDF). アンテナのあった風景 in 「沖縄」. 通信ソサエティマガジン. 2018春号. 電子情報通信学会. pp. 301 - 304. doi:10.1587/bplus.11.301. https://doi.org/10.1587/bplus.11.301. 
  • 平凡社地方資料センター編『日本歴史地名大系第四八巻 沖縄県の地名』平凡社、2002年。ISBN 4-582-49048-4 
  • 本部町史編集委員会編『本部町史 通史編 下』本部町、1994年。 
  • 本部町役場編『本部町 2010年 町勢要覧』本部町役場、2010年。 

関連項目

外部リンク