「名金急行線」の版間の差分
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'''名金急行線'''(めいきんきゅうこうせん)は、[[愛知県]]、[[岐阜県]]、[[富山県]]及び[[石川県]]において[[日本国有鉄道]]およびその後継会社である[[西日本旅客鉄道]]、[[東海旅客鉄道]]、[[西日本ジェイアールバス]]及び[[ジェイアール東海バス]]ないし[[名古屋鉄道]]により運行され、またはされていた[[路線バス|自動車路線]]である。昭和24年日本国有鉄道公示第31号「国鉄自動車路線名称」においては名金線(めいきんせん)の部に属した<ref name=":13" />。 |
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{{出典の明記|date=2013年7月|ソートキー=バスめいきんきゆうこうせん}} |
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'''名金急行線'''・'''名金線'''(めいきんきゅうこうせん、めいきんせん)は、[[国鉄バス]]およびその後継会社により運行される[[路線バス]]である。 |
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本項では、名金急行線を担当していた[[ジェイアール東海バス]]美濃白鳥営業所についても記述する。また、接続路線であった[[大野線]]のうち、美濃白鳥自動車営業所への移管([[1987年]]2月)以降の状況についても記述する。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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[[画像:牧戸駅.JPG|right|thumb|牧戸駅([[高山市]][[荘川村|荘川町]])]] |
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全盛期の運行区間は[[名古屋駅]] - [[金沢駅]]間で、当時日本一の長距離[[路線バス]]であり、10時間にもおよぶ長時間の運行であった。 |
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当初は南側の一部区間において[[鉄道空白地帯]]を結び[[長良川鉄道越美南線|越美南線]]と接続する路線の運行を開始し、「白城線」と称した。また、北側でも「金福線」として同様の路線が運行されていたが、両線の接続および南側の名古屋への延伸に伴い、「名金急行線」と呼称するようになった。 |
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その後、一部区間(鳩ヶ谷 - [[福光駅]])の運転を取りやめたことにより路線が南北に分断されて以降は特に、南側を「名金急行線」、北側を「名金線」と呼称した。1987年の[[国鉄分割民営化]]および後の分社化により、南側は[[ジェイアール東海バス]](美濃白鳥営業所)が、北側は[[西日本ジェイアールバス]](金沢営業所)が運行したが、南側については[[2002年]][[9月30日]]をもって廃止されている。 |
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南側については、末期は[[岐阜駅]]と白川間の運行であった。なお、かつては並行して[[名古屋鉄道]](現 [[名鉄バス]])も「五箇山号」の愛称で、名古屋([[名鉄バスセンター]])と金沢駅間を直通運行しており、乗車券は共通で利用できたほか、JR東海バスの路線が途切れる鳩ヶ谷以北も、並行する[[加越能鉄道]]や西日本ジェイアールバスの路線と共通乗車が可能となっていた。 |
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== 沿革 == |
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* [[1933年]][[8月1日]] - 省営自動車「白城線」の美濃白鳥 - 牧戸間が開業する<ref>[{{NDLDC|1234531/29}} 『全国乗合自動車総覧』](国立国会図書館近代デジタルライブラリー)</ref><ref>[{{NDLDC|2958444/10}} 「鉄道省告示第341号」『官報』1933年7月28日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。 |
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:* 【新設停車場】向小駄良、北濃下田、北濃中切、北濃学校前、北濃長瀧、毘沙門橋、歩岐島、前谷、小洞橋、神道、古谷、正ヶ洞、穴洞、中将、西洞、折立道、釜ヶ洞口、蛭ヶ野、新開地、御手洗、野々俣、瀧ヶ野、牧戸 |
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* [[1934年]][[8月16日]] - 毘沙門橋停車場廃止および、北濃長瀧 - 歩岐島間に北濃(既設)停車場を新設する。前谷停車場の業務範囲を旅客のみに変更する。 |
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* [[1935年]][[4月15日]] - 古谷、中将の各停車場、発送車扱貨物の取扱を開始する。 |
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* 1935年[[5月15日]] - 野々俣停車場、発送車扱貨物の取扱を開始する。 |
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* 1935年[[10月3日]] - 省営自動車「金福線」の金沢 - 古屋谷間が開業する<ref>[{{NDLDC|2959102/4}} 「鉄道省告示第414号」『官報』1935年9月28日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。 |
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:* 【新設停車場】武蔵ヶ辻、橋場町、小坂神社前、森本(既設)、深谷鉱泉口、不動寺、鳴瀬、加賀宮野、古屋谷 |
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* [[1937年]][[6月1日]] - 「金福線」に停車場を新設する。 |
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:* 【新設停車場】東金沢駅口、神谷内、法光寺(小坂神社前 - 森本間)、加賀高坂(加賀宮野 - 古屋谷間) |
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* [[1948年]]3月16日 - 白川村鳩ヶ谷に延長される<ref>[{{NDLDC|2962880/2}} 「運輸省告示第96号」『官報』1948年3月16日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。 |
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* [[1953年]][[12月30日]] - 「白城線」鳩ヶ谷 - 境川橋詰間を延伸し「金白南線」に、「金福線」福光 - 境川橋詰間を延伸し「金白北線」に改称する。 |
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* [[1967年]] - 名古屋まで延長されるとともに、路線名を包括し'''名金急行線'''と改称する。[[名古屋鉄道]](名鉄)との共同運行となる。 |
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* [[1977年]] - [[車掌]]の乗務がなくなり、[[ワンマン]]化される。 |
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* [[1979年]] - 南側の[[国鉄バス]]担当便が名古屋 - 鳩ヶ谷に短縮され、鳩ヶ谷 - 福光間の運行を取りやめる。 |
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* [[1987年]][[4月1日]] - [[国鉄分割民営化]]に伴い、南側(名金急行線)は[[東海旅客鉄道]](JR東海)、北側(名金線)は[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の担当となる。 |
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* [[1988年]]4月1日 - バス部門の分社に伴い、南側(名金急行線)は[[ジェイアール東海バス]]、北側(名金線)は[[西日本ジェイアールバス]]の担当となる。 |
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* [[2001年]][[9月30日]] - 唯一の全線直通運行であった[[名鉄バス]]名金線「五箇山号」(夏期運転)の運行を休止する。 |
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* [[2002年]]9月30日 - この日をもって、ジェイアール東海バスが「名金急行線」および美濃白鳥営業所を廃止する。翌日から[[岐阜乗合自動車|岐阜バス]]により美濃白鳥(岐阜バスのバス停名は郡上白鳥) - 牧戸間の代替運行を開始する。 |
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* [[2003年]][[11月1日]] - 岐阜バス「名古屋・白川郷線」「岐阜・白川郷線」の運行を開始する。 |
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* [[2007年]]4月1日 - 岐阜バス「岐阜・白川郷線」が運休となる(岐阜からは郡上八幡で乗り換え)。 |
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* [[2010年]][[10月1日]] - 岐阜バス「荘川八幡線」が廃止され、同日より郡上北消防署前 - [[美濃白鳥駅バスターミナル|郡上白鳥]] - ひるがの新開地間は郡上市自主運行バス「白鳥ひるがの線」として運行される。 |
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* [[2011年]][[3月1日]] - 郡上市自主運行バス「白鳥ひるがの線」が桜の郷荘川まで延伸され、郡上市コミュニティバス「白鳥荘川線」として運行する。 |
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* [[2011年]][[4月8日]] - 北側(名金線)の武蔵ヶ辻 - 橋場町間において、従来と別のルートとなる南町、香林坊、広坂、兼六園下、兼六元町の5停留所が新設され、加越能バス担当便を除くすべての便が尾張町を経由しないものに変更された(金沢駅 - 森本駅など一部区間便では尾張町経由も残った)。 |
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* [[2012年]][[4月1日]] - 白鳥交通「郡上八幡白川郷線」の運行を開始する。 |
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* [[2015年]][[1月31日]] - 北側(名金線)において、鳴瀬 - 加賀宮野間に、「戸保家」停留所が新設される(加越能バス担当便は通過)。また、金沢駅 - 山の上間で「循環バス」の運行を開始する。 |
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== 名金急行線の運行末期および廃止後の状況 == |
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[[画像:牧戸駅.JPG|right|thumb|牧戸駅([[高山市]][[荘川村|荘川町]]、現在は濃飛バスと白鳥交通の停留所)]] |
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最末期の名金急行線は名古屋・岐阜 - 鳩ヶ谷間の運転で、名古屋・岐阜 - 美濃白鳥間は[[東海北陸自動車道]]経由であった。高速経由に変更する前は、名鉄便は名鉄バスセンターから[[尾張一宮駅]]・JR[[岐阜駅]]を経てここからノンストップで[[郡上八幡駅]]に達した。 |
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美濃白鳥以南は岐阜バスの八幡白鳥線が、名金急行線がかつて走っていた国道経由で(郡上八幡まで)運転されている。なお美濃白鳥以南は戦前から岐阜バスのエリアで、国鉄バスは岐阜バスの親会社の名鉄との共同運行という形で名古屋まで乗り入れた。 |
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美濃白鳥以北はすべて一般道経由で美濃白鳥 - 牧戸 - 鳩ヶ谷間の区間運行も存在した。実質的に白鳥から[[郡上郡]][[高鷲村]](現[[郡上市]]高鷲)の中心地区正ヶ洞地区へのローカル輸送がメインであった。[[大野郡]][[荘川村]](現[[高山市]]荘川町)の中心地牧戸にはバスの駅があり、高山方面へは[[濃飛乗合自動車|濃飛バス]]牧戸線が現在も運行している。 |
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牧戸以北は[[白川郷平瀬温泉]]付近を除き、ダムによる水没地帯が続き、人口希少地帯が続く。[[白川村]]の合掌造りの集落が点在する荻町を経由し、白川村の中心鳩ヶ谷が終点となる。 |
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=== 代替交通 === |
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岐阜 - 郡上白鳥間は現行の岐阜バスの路線バスと高速バスが代替を行い、郡上白鳥以北は岐阜バス(代替路線である八幡荘川線は、郡上八幡駅前 - 桜の郷荘川間で運行)が、従来からの系統を延長する形で牧戸(実際は、牧戸の先、東海北陸道荘川IC隣接の「桜の郷荘川」まで運行)まで運転された。牧戸以北は、既存の濃飛バス白川郷線(冬季2往復、その他3往復)と特急高山金沢線(通年運行2往復)が平瀬温泉などに停車することにより、名金急行線の代替となった。なお、岐阜バス八幡荘川線と濃飛バス白川郷線を乗継ぎ利用すると、乗継割引運賃が適用されていた。 |
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また、岐阜バスが名古屋・白川郷線(4月~11月の毎日運転・開始当初は岐阜バスコミュニティ(各務原)、現在は岐阜バスコミュニティ八幡が運行)と岐阜・白川郷線(4月~11月の土休日運転)の運転を開始した。 |
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2007年より岐阜白川郷線は多客時を除き運休。岐阜からは[[高速八幡線]]で八幡営業所まで行き、乗り換えることになっている。 |
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名古屋 - 金沢間の輸送は、名鉄バス・ジェイアール東海バス他4社により[[1987年]][[7月20日]]より発足した北陸道・名神経由の高速バス「[[北陸道特急バス]]」が担っている。 |
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=== 高速バス === |
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[[2008年]][[7月5日]]に[[東海北陸自動車道]]が全通したことに伴い、これまで高山と白川郷を牧戸経由で結んでいた濃飛バスの路線は翌6日より全便が同道経由に切り替えられた。また、高山~牧戸間については1日2往復に減便の上存続し、白川村南部の平瀬・牧などの集落については高速経由の高山~白川郷線の一部が延長される形で代替されたが、沿線人口が皆無の牧戸~牧間の御母衣湖沿いの区間については完全廃止となった。 |
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=== 名金急行線の概要 === |
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なお、岐阜バスの名古屋・白川郷線については東海北陸道全通後も平瀬経由で残っており、牧戸~平瀬・白川郷間の相互乗車も可能である。 |
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[[画像:JRbus 776.JPG|right|thumb|西日本ジェイアールバス名金線(金沢駅)]] |
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名金急行線は、[[1966年]]([[昭和]]41年)12月1日より[[名古屋駅]] - [[金沢駅]]間等において[[国鉄バス|日本国有鉄道の自動車路線]]として開業した<ref name=":41" /><ref name=":38" />。この名金急行線は、それまでの金白北本線及び金白南本線を統合し、[[美濃白鳥駅]] - 名古屋駅間を延伸開業させて成立させたものであって<ref name=":41" /><ref name=":38" />、総延長は266.4キロメートルに及び、当時の日本国有鉄道の自動車路線として最長のものであった<ref name=":42">日本国有鉄道営業局編、『国鉄線』第22巻第2号所収(39頁)、1967年(昭和42年)2月、交通協力会</ref>。金沢駅 - 名古屋駅間においては名古屋鉄道と共同運行をしていた<ref name=":43" />。また、名金急行線には名古屋駅 - 金沢駅間のほか、1986年(昭和61年)12月10日現在においては、金沢駅 - 北安江駅間、堅田町駅 - 千谷口駅間、鳴和駅 - 小二又駅間、森本駅 - 才田駅間、鳴瀬駅 - 中尾駅間、千の杉駅 - 桐山駅間、高田駅 - 山王町2丁目駅 - 東長江駅間、荒田町島駅 - 城端駅間、福光駅 - 東太美駅 - 城端駅間、上砂子谷駅 - 土山駅 - 福光西町駅間、湯谷温泉口駅 - 国見ヒユツテ駅間の支線があった<ref>昭和46年日本国有鉄道公示第77号(『官報』、1971年(昭和46年)2月26日、大蔵省印刷局)</ref><ref>これらの支線は昭和61年日本国有鉄道公示第172号によって、1986年(昭和61年)12月11日より改正が加えられた(後述)。</ref>。また、昭和24年日本国有鉄道公示第31号「国鉄自動車路線名称」において名金急行線と同じく名金線に属した路線には、[[太美山線]]、井波線、那留線、医王山線、白鷲線、石徹白南線があった<ref>昭和41年日本国有鉄道公示第740号(『官報』、1966年(昭和41年)11月26日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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=== 名金急行線開設の意義 === |
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中京経済圏の発展に伴う[[郡上郡|郡上]]・[[飛騨地方]]ならびに[[北陸地方]]との交流が年々増大する中にあって、これらの地方を直接的に結び付ける輸送機関がないという情勢に鑑み、同路線は沿線各地方の産業開発を促進するため、あるいは蛭ヶ野高原、[[白川郷]]、[[五箇山]]といった観光地に対する観光輸送を担う目的を以て開設された<ref name=":42" />。このような北陸地方と中京地方を結ぶ自動車路線は、戦前より求められていたものであって<ref>「城端を中枢点として岐阜金沢を結ぶ省営バスの実現を期し議会へ請願す」、『城端時報』第33号(1面)、1935年(昭和10年)3月11日、城端時報社</ref>、1947年(昭和22年)9月15日には東礪波郡城端町において行われた白城線期成促進大会において[[名古屋港]]と[[伏木富山港|伏木港]]を結ぶ「中部日本横断の大動脈たる国鉄予定線白城線の実現を期す」ことが決議されている<ref>「省営トラツク誘致促進大会 関係民の気勢あがる!」、『城端時報』第21号(1面)、1947年(昭和22年)9月20日、城端時報社</ref>。 |
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[[画像:JRbus 776.JPG|right|thumb|西日本JRバスの名金線(金沢駅)]] |
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{{main|西日本ジェイアールバス#路線}} |
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北側の「名金線」[[金沢駅バスターミナル|金沢駅(東口)]] - [[森本駅]] - 福光駅間は引き続き運行がなされている。名金線の支線として、牧線、才田線、中尾線、医王山線がある。 |
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=== 金白線概要 === |
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== ジェイアール東海バス美濃白鳥営業所 == |
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この名金急行線の元となった路線の一つである金白北本線は、[[1935年]](昭和10年)10月3日に金沢駅 - 古屋谷駅間において運輸営業を開始した金福線をその濫觴としている<ref name=":15" />。金福線は[[1939年]](昭和14年)9月1日に[[福光駅]]にまで延伸され<ref name=":17" />、続いて1953年(昭和28年)12月30日に境川橋詰駅まで延伸開業されると同時に金白北線と改称された<ref name=":44" /><ref name=":45" />。同路線は[[北陸本線]][[金沢駅]]と[[城端線]][[城端駅]]を結ぶ鉄道代行路線として、また城端から金白南線美濃白鳥駅を結ぶ鉄道短絡線としての使命を有すると同時に、地方産業文化の発展助命をも目的として運行が行われていた<ref name=":46">日本国有鉄道編、『鉄道辞典 上巻』(392頁)、1958年(昭和33年)3月、日本国有鉄道</ref><ref>鉄道敷設法(大正11年法律第37号)別表第65号には、「富山県八尾ヨリ福光ヲ経テ石川県金沢附近ニ至ル鉄道」が掲げられていた(『官報』、1922年(大正11年)4月11日、内閣印刷局)。</ref>。また、[[1955年]](昭和30年)10月28日には金白北本線と改称されている<ref name=":47" />。なお、同線の一部区間においては、[[加越能バス|加越能鉄道]]と普通及び回数乗車券の相互乗車の取扱を行っていた<ref name=":46" />。 |
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ジェイアール東海バス美濃白鳥営業所は、[[美濃白鳥駅]]東側にあり、名金急行線および[[大野線]]の残存区間(美濃白鳥駅 - 九頭竜湖駅、越美線の先行路線)を運行していた。 |
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名金急行線の元となったもう一つの路線である金白南本線は、[[1933年]](昭和8年)8月1日に美濃白鳥駅 - 牧戸駅間において運輸営業を開始した白城線をその濫觴としている<ref name=":48" /><ref name=":14" />。白城線は[[1948年]](昭和23年)3月16日に鳩ヶ谷駅にまで延伸され、続いて1953年(昭和28年)12月30日に境川橋詰駅まで延伸開業すると同時に金白南線と改称された<ref name=":44" /><ref name=":45" />。同路線は[[長良川鉄道越美南線|越美南線]]美濃白鳥駅と城端線城端駅を結ぶ鉄道短絡線としての使命を有するほか、白川郷や五箇山を結ぶ観光輸送を担い、且つ地方産業文化の発展助命を目的として運行が行われていた<ref name=":46" />。また、1962年(昭和37年)10月15日には金白南本線と改称されている<ref name=":49" />。 |
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これ以外に、白鳥町(現[[郡上市]]白鳥地区)、高鷲村(現郡上市高鷲地区)にも路線があったが、名金急行線廃止前に撤退し、白鳥町自主運行バス(現[[郡上市自主運行バス]])としてJR東海バスが受託運行していた。 |
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また、金沢駅 - 美濃白鳥駅間においては自動車の車体に郵便差出箱を取り付け、郵便物の速達を図っていた<ref name=":46" />。このような移動郵便差出箱の制度は、山間地域を走行する国鉄自動車において実施されていた制度であって、各自動車線の中間駅において旅客の乗降等のために停車する場合に利用者が郵便物を投函することが認められていた<ref>日本国有鉄道編、『鉄道辞典 上巻』(69頁)、1958年(昭和33年)3月、日本国有鉄道</ref>。 |
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[[2002年]][[9月30日]]の名金急行線廃止と同時に営業所も廃止され、自治体から受託運行していたバスは、岐阜バスコミュニティ八幡や地元のタクシー会社などに引き継がれた。 |
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=== 名金急行線の衰退と現状 === |
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如上の各自動車路線においては旅客輸送を行うほか、[[貨物]]や[[チッキ|荷物]]の輸送も行われていたが、1976年(昭和51年)9月30日限りを以て美濃白鳥駅 - 向小駄良駅間において行われていた一般路線貨物自動車運送事業が廃止されると同時に貨物輸送はなくなり、1982年(昭和57年)4月1日に美濃白鳥駅における荷物取扱が廃止されると同時に名金急行線における荷物輸送はなくなった<ref name=":50" /><ref name=":51" />。1979年(昭和54年)6月に鳩ヶ谷駅 - 福光駅間における運行が休止され、幾つかの支線が整理されるなど、旅客輸送も縮小を続けた<ref name=":52" /><ref name=":13" />。それでも白川郷一帯をはじめとする沿線山間地域においては、貴重な公共交通機関であったという<ref>「幻の帰雲城、400年の眠り覚めるか、飛騨の”ポンペイ伝説”」、『朝日新聞』夕刊(らうんじ・3面)、1986年(昭和61年)5月20日、朝日新聞社</ref>。 |
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{{main|大野線}} |
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[[1987年]](昭和62年)4月1日の[[国鉄分割民営化]]と同時に日本国有鉄道の名金急行線は東海旅客鉄道及び西日本旅客鉄道に移管され<ref name=":53" /><ref name=":54" /><ref name=":55" />、続いて[[1988年]](昭和63年)4月1日より西日本ジェイアールバス及びジェイアール東海バスに継承された<ref name=":56" /><ref name=":57" />。乗客の減少のため、1993年(平成5年)当時はジェイアール東海バスにおいては名古屋駅から[[大野郡]][[白川村]]までを運行し、名古屋鉄道は夏から秋にかけての4ヶ月に限り全線を運行していたという<ref>「名金線〈用語〉」、『朝日新聞』(東海総合面29頁)、1993年(平成5年)5月15日、朝日新聞社</ref>。名古屋鉄道は名金線(五箇山号)の運行を2000年(平成12年)9月を以て取り止め<ref name=":61">「最長路線バス ツアーで復活」、『中日新聞』夕刊(社会面)、2012年(平成24年)5月11日、中日新聞社</ref>、ジェイアール東海バスは2002年(平成14年)10月1日を以て名金線を廃止した<ref name=":58" /><ref name=":59" />。2018年(平成30年)現在においては西日本ジェイアールバスが自治体の補助を受けながら、金沢駅 - 福光駅間に限り名金線の運行を継続している<ref name=":60" /><ref>[https://www.nishinihonjrbus.co.jp/local_bus/kanazawa/ 金沢周辺〔名金線・才田線・中尾線・医王山線・牧線・循環〕] - 西日本ジェイアールバス</ref>。 |
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[[越美線]]の未開通区間である、美濃白鳥駅 - [[九頭竜湖駅]]間を結んでいた路線。この路線はもともと大野自動車営業所の所管路線であったが、不採算線区であったため、[[国鉄分割民営化]]の際民営化新会社への承継対象とされず全廃されることとなり、上記区間を除く全線と大野自動車営業所は[[1987年]][[1月31日]]付で廃止された。残る美濃白鳥駅 - 九頭竜湖駅間のみが季節運行路線として美濃白鳥自動車営業所に移管され、存続してきたものである。 |
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==沿革== |
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越美線は石徹白地区を経由するルートで計画されていたが、大野線は[[国道158号]]経由で運行されていた。ただし石徹白地区へは、かつて路線があり、現在も[[郡上市自主運行バス]]として運行されている。 |
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[[ファイル:Kinfuku Line(1).jpg|サムネイル|金福線開業時の新聞記事]] |
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[[ファイル:Kinpakukita Line.jpg|サムネイル|金白北線路線図]] |
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[[ファイル:Kinpakunan Line.jpg|サムネイル|金白南線路線図]] |
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[[ファイル:Meikin Kyûkô line.jpg|サムネイル|名金急行線路線概況]] |
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* [[1933年]]([[昭和]]8年)[[8月1日]] - 白城線美濃白鳥駅 - 牧戸駅間において運輸営業を開始する<ref name=":48">[{{NDLDC|1234531/29}} 『全国乗合自動車総覧』](国立国会図書館近代デジタルライブラリー)</ref><ref name=":14">[{{NDLDC|2958444/10}} 「鉄道省告示第341号」『官報』1933年7月28日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。美濃白鳥駅及び牧戸駅においては一般運輸営業、前谷駅、正ヶ洞駅、西洞駅及び蛭ヶ野駅においては旅客、小荷物及び貨物を取扱い、その他の駅においては旅客に限り取扱を行う<ref name=":14" />。 |
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* [[1934年]](昭和9年) |
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** 8月15日 - 同日限りを以て白城線毘沙門橋駅を廃止し、同線前谷駅における到着手荷物、小荷物、到着附随小荷物及び貨物の取扱を廃止する<ref>昭和9年鉄道省告示第377号(『官報』、1934年(昭和9年)8月15日、内閣印刷局)</ref><ref>昭和9年鉄道省告示第379号(『官報』、1934年(昭和9年)8月15日、内閣印刷局)</ref>。 |
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** 8月16日 - 白城線北濃長瀧駅 - 歩岐島駅間に[[北濃駅]]が開業する<ref>昭和9年鉄道省告示第378号(『官報』、1934年(昭和9年)8月15日、内閣印刷局)</ref>。北濃駅は同日越美南線美濃白鳥駅 - 北濃駅間延伸と同時に鉄道駅としても開業した<ref>昭和9年鉄道省告示第367号(『官報』、1934年(昭和9年)8月11日、内閣印刷局)</ref>。 |
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* [[1935年]](昭和10年) |
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** 1月11日 - 白城線は降雪期間中その全区間あるいは一部区間における運輸営業を休止する場合がある旨を告示する<ref>昭和10年鉄道省告示第3号(『官報』、1935年(昭和10年)1月11日、内閣印刷局)</ref>。 |
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** 4月15日 - 白城線古家駅及び中将駅において発送車扱貨物の取扱を開始する<ref>昭和10年鉄道省告示第139号(『官報』、1935年(昭和10年)4月1日、内閣印刷局)</ref>。 |
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** 5月17日 - 白城線野々俣駅において発送車扱貨物の取扱を開始する<ref>昭和10年鉄道省告示第198号(『官報』、1935年(昭和10年)5月17日、内閣印刷局)</ref>。 |
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** [[10月3日]] - 金福線金沢駅 - 古屋谷駅間において運輸営業を開始する<ref name=":15">[{{NDLDC|2959102/4}} 「鉄道省告示第414号」『官報』1935年9月28日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。金沢駅及び森本駅においては一般運輸営業、加賀宮野駅においては旅客、到着手荷物、小荷物、到着附随小荷物及び貨物、武蔵ヶ辻駅においては旅客、到着手荷物、到着附随小荷物ならびに金沢駅連絡及び発着の小荷物及び貨物を除く小荷物及び貨物を取扱い、その他の駅においては旅客に限り取扱を行う<ref name=":15" />。 |
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* [[1937年]](昭和12年) |
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** 6月1日 - 金福線小坂神社前駅 - 森本駅間に東金沢駅口駅、神谷口駅及び法光寺駅及び同線加賀宮野駅 - 古屋谷駅間に加賀高坂駅が開業する<ref>昭和12年鉄道省告示第130号及び131号(『官報』、1937年(昭和12年)4月20日、内閣印刷局)</ref>。 |
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** 12月4日 - 積雪のため、白城線美濃白鳥駅 - 牧戸駅間における運輸営業を休止する<ref name=":0">水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅱ)戦時期1――」、『東京経大学会誌 経営学』第244号(52頁)、2005年(平成17年)3月、東京経済大学</ref>。 |
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* [[1938年]](昭和13年) |
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** 3月25日 - 白城線美濃白鳥駅 - 正ヶ洞駅間における運輸営業を再開する<ref name=":0" />。 |
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** 4月11日 - 白城線正ヶ洞駅 - 牧戸駅間における運輸営業を再開する<ref name=":0" />。 |
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** 6月30日 - 金福線古屋谷駅 - 総平駅間において運輸営業を開始する<ref name=":16">昭和13年鉄道省告示第142号(『官報』、1938年(昭和13年)6月29日、内閣印刷局)</ref>。新設の駅はいずれも旅客に限り取扱を行う<ref name=":16" />。 |
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** 12月26日 - 積雪のため、白城線美濃白鳥駅 - 牧戸駅間における運輸営業を休止する<ref>水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅱ)戦時期1――」、『東京経大学会誌 経営学』第244号(53頁)、2005年(平成17年)3月、東京経済大学</ref>。 |
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* [[1939年]](昭和14年) |
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** 3月15日 - 白城線美濃白鳥駅 - 正ヶ洞駅間における運輸営業を再開する<ref name=":1">水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅱ)戦時期1――」、『東京経大学会誌 経営学』第244号(54頁)、2005年(平成17年)3月、東京経済大学</ref>。同線正ヶ洞駅 - 西洞駅間は同年4月10日まで、同線西洞駅 - 牧戸駅間は同年同月末までに復旧する<ref name=":1" />。 |
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** 9月1日 - 金福線総平駅 - 福光駅間において運輸営業を開始する<ref name=":17">昭和14年鉄道省告示第150号(『官報』、1939年(昭和14年)8月25日、内閣印刷局)</ref>。福光駅においては一般運輸営業、砂子谷駅においては旅客、到着手荷物、小荷物、到着附随小荷物及び貨物、その他の駅においては旅客に限り取扱を行う<ref name=":17" />。 |
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** 12月8日 - 積雪のため、白城線正ヶ洞駅 - 牧戸駅における運輸営業を同日より1940年(昭和15年)4月20日まで休止する<ref name=":1" />。 |
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* [[1940年]](昭和15年) |
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** 1月10日 - 積雪のため、金福線総平駅 - 福光駅間における運輸営業を同日より同年3月末まで休止する<ref name=":2">水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅱ)戦時期1――」、『東京経大学会誌 経営学』第244号(55頁)、2005年(平成17年)3月、東京経済大学</ref>。 |
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** 1月30日 - 積雪のため、美濃白鳥駅 - 正ヶ洞駅間における運輸営業を同日より同年3月末まで休止する<ref name=":2" />。 |
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** 12月20日 - 金福線は降雪期間中一部区間における運輸営業を停止する場合がある旨を告示する<ref>昭和15年鉄道省告示第273号(『官報』、1940年(昭和15年)12月20日、内閣印刷局)</ref>。 |
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* [[1941年]](昭和16年) |
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** 1月11日 - 積雪のため、白城線正ヶ洞駅 - 牧戸駅間における運輸営業を同日より同年4月20日まで休止する<ref name=":3">水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅱ)戦時期1――」、『東京経大学会誌 経営学』第244号(56頁)、2005年(平成17年)3月、東京経済大学</ref>。 |
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** 1月20日 - 積雪のため、白城線美濃白鳥駅 - 正ヶ洞駅間における運輸営業を休止する<ref name=":3" />。 |
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** 3月6日 - 白城線美濃白鳥駅 - 正ヶ洞駅間における運輸営業を再開する<ref name=":3" />。 |
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** 6月10日 - 金福線古屋谷駅において発送車扱貨物の取扱を開始する<ref>昭和16年鉄道省告示第121号(『官報』、1941年(昭和16年)6月3日、内閣印刷局)</ref>。 |
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** 8月10日 - 金福線金沢駅 - 橋場町駅間において当分の間旅客運輸営業を休止する<ref>水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅱ)戦時期1――」、『東京経大学会誌 経営学』第244号(57頁)、2005年(平成17年)3月、東京経済大学</ref>。 |
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* [[1942年]](昭和17年) |
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** 1月15日 - 積雪のため、白城線美濃白鳥駅 - 牧戸駅間における運輸営業を同年3月末まで休止する<ref name=":4">水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅲ)戦時期2――」、『東京経大学会誌 経営学』第268号(75頁)、2010年(平成22年)11月、東京経済大学</ref>。 |
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** 4月1日 - 金福線武蔵ヶ辻駅において営業範囲を改正し、旅客、到着手荷物及び貨物に限り取扱を行う駅となる<ref name=":5">昭和17年鉄道省告示第74号(『官報』、1942年(昭和17年)3月30日、内閣印刷局)</ref>。ただし金沢駅経由または発着貨物の取扱は行わない<ref name=":5" />。 |
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** 5月1日 - 金福線金沢駅 - 橋場町駅間における旅客運輸営業を再開する<ref name=":4" />。 |
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* [[1943年]](昭和18年) |
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** 1月8日 - 積雪のため、白城線正ヶ洞駅 - 牧戸駅間における運輸営業を同日より同年3月末まで休止する<ref name=":6">水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅲ)戦時期2――」、『東京経大学会誌 経営学』第268号(76頁)、2010年(平成22年)11月、東京経済大学</ref>。 |
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** 1月25日 - 積雪のため、白城線全線における運輸営業を同日より同年3月25日まで休止する<ref name=":6" />。 |
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** 7月5日 - 金福線金沢駅 - 橋場町駅間における旅客運輸営業を休止する<ref name=":6" />。 |
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** 12月25日 - 積雪のため、白城線正ヶ洞駅 - 牧戸駅間における運輸営業を同日より1944年(昭和19年)3月31日まで休止する<ref>水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅲ)戦時期2――」、『東京経大学会誌 経営学』第268号(77頁)、2010年(平成22年)11月、東京経済大学</ref>。 |
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* [[1944年]](昭和19年) |
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** 3月1日 - 金福線神谷内駅、総平駅、鳥越駅、東蔵原駅及び川合田駅及び白城線歩岐島駅、小洞橋駅及び折立道駅を廃止する<ref>水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅲ)戦時期2――」、『東京経大学会誌 経営学』第268号(83及び84頁)、2010年(平成22年)11月、東京経済大学</ref>。 |
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** 4月20日 - 金福線上砂子谷駅及び中ノ江駅及び白城線北濃下田駅、北濃学校前駅、北濃長滝駅、穴洞駅及び滝ヶ野駅を廃止する<ref>水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅱ)戦時期1――」、『東京経大学会誌 経営学』第244号(99頁)、2005年(平成17年)3月、東京経済大学</ref>。 |
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** 9月10日 - 白城線美濃白鳥駅 - 越前大谷駅間において貨物運輸営業を開始する<ref name=":18">昭和19年運輸通信省告示第441号(『官報』、1944年(昭和19年)9月9日、大蔵省印刷局)</ref>。上半原駅においては発送車扱貨物に限って取扱を行い、その他の駅においては一般貨物を取扱う<ref name=":18" />。 |
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* [[1947年]](昭和22年)10月10日 - 白城線美濃白鳥駅 - 越前大谷駅間を大野線に移管する<ref>昭和22年運輸省告示第262号及び263号(『官報』、1947年(昭和22年)10月8日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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* [[1948年]](昭和23年) |
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** 1月10日 - 白城線牧戸駅構内等に貨物取扱所を開設し、区間貨物運輸営業を開始する<ref>昭和22年運輸省告示第335号(『官報』、1947年(昭和22年)12月23日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 3月16日- 白城線牧戸駅 - 鳩ヶ谷駅間において運輸営業を開始する<ref name=":8">昭和23年運輸省告示第97号(『官報』、1948年(昭和23年)3月16日、大蔵省印刷局)</ref>。鳩ヶ谷駅においては一般運輸営業、海上駅及び平瀬駅においては旅客、到着手荷物、小荷物及び貨物、秋町口駅においては旅客及び発送車扱貨物、その他の駅においては旅客に限り取扱を行う<ref name=":8" />。また、昭和22年運輸省告示第335号による区間貨物運輸営業は廃止する<ref name=":8" />。 |
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** 9月21日 - 金福線古屋谷駅 - 加賀二俣駅間において運輸営業を開始する<ref name=":19">昭和23年運輸省告示第261号(『官報』、1948年(昭和23年)9月18日、大蔵省印刷局)</ref>。加賀二俣駅においては旅客、到着手荷物、小荷物及び貨物、その他の駅においては旅客に限り取扱を行う<ref name=":19" />。また、古屋谷駅における営業範囲を改正し、旅客に限り取扱を行う駅となる<ref>昭和23年運輸省告示第262号(『官報』、1948年(昭和23年)9月18日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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* [[1949年]](昭和24年) |
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** 5月28日 - 白城線鳩ヶ谷駅における営業範囲を改正し、旅客、到着手荷物・小荷物及び貨物を取扱う駅となる<ref>昭和24年運輸省告示第190号(『官報』、1949年(昭和24年)5月28日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 12月1日 - 金福線橋場町駅における営業範囲を改正し、旅客、到着手荷物、小荷物及び貨物を取扱う駅となる<ref>昭和24年日本国有鉄道公示第162号(『官報』、1949年(昭和24年)11月18日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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* [[1950年]](昭和25年)11月11日 - 金福線深谷鉱泉口駅 - 四王寺駅間において運輸営業を開始する<ref name=":20">昭和25年日本国有鉄道公示第271号(『官報』、1950年(昭和25年)11月11日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅はいずれも旅客に限り取扱を行う<ref name=":20" />。 |
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* [[1951年]](昭和26年) |
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** 3月10日 - 金福線福光駅 - 井波駅前駅間及び福光駅 - 越中吉見駅間において運輸営業を開始する<ref name=":21">昭和26年日本国有鉄道公示第45号(『官報』、1951年(昭和26年)3月10日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅はいずれも旅客に限り取扱を行う<ref name=":21" />。 |
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** 5月5日 - 白城線美濃白鳥駅 - 牛道駅間において運輸営業を開始する<ref name=":23">昭和26年日本国有鉄道公示第115号(『官報』、1951年(昭和26年)5月1日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う<ref name=":23" />。 |
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** 11月1日 - 金福線小坂神社前駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる<ref>昭和26年日本国有鉄道公示第267号(『官報』、1951年(昭和26年)10月31日、大蔵省印刷局)</ref>。また、白城線北濃下田駅、北濃中切駅、北濃役場前駅及び小洞橋駅を廃止する<ref>昭和26年日本国有鉄道公示第259号(『官報』、1951年(昭和26年)10月31日、大蔵省印刷局)</ref>。また、向小駄良駅 - 北濃学校前駅間に北濃太田駅、陰地駅 - 牛道駅間に牛道役場前駅が開業する<ref>昭和26年日本国有鉄道公示第262号(『官報』、1951年(昭和26年)10月31日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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* [[1952年]](昭和27年) |
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** 2月29日 - 白城線中将駅における営業範囲を改正し、車扱貨物の取扱を廃止して旅客のみ取扱う駅となる<ref>昭和27年日本国有鉄道公示第57号(『官報』、1952年(昭和27年)2月28日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 7月10日 - 金福線橋場町駅及び加賀二俣駅及び白城線正ヶ洞駅における営業範囲を改正し、一般運輸営業の取扱を開始する<ref>昭和27年日本国有鉄道公示第215号(『官報』、1952年(昭和27年)7月8日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 8月15日 - 金福線小坂神社前駅 - 小二又駅間において運輸営業を開始する<ref name=":24">昭和27年日本国有鉄道公示第258号(『官報』、1952年(昭和27年)8月15日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う<ref name=":24" />。 |
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** 10月18日 - 金福線福光駅 - 城端駅間において運輸営業を開始する<ref name=":25">昭和27年日本国有鉄道公示第353号(『官報』、1952年(昭和27年)10月18日、大蔵省印刷局)</ref>。城端駅においては旅客のほか、手荷物及び小荷物の取扱を行う<ref name=":25" />。 |
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* [[1953年]](昭和28年) |
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** 5月20日 - 白城線飛騨中野駅における営業範囲を改正し、旅客、到着手荷物、小荷物及び貨物を取扱う駅となる<ref>昭和28年日本国有鉄道公示第168号(『官報』、1953年(昭和28年)5月15日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 7月5日 - 金福線太美山駅における営業範囲を改正し、手荷物及び小荷物の取扱を開始する<ref name=":7">昭和28年日本国有鉄道公示第197号(『官報』、1953年(昭和28年)7月2日、大蔵省印刷局)</ref>。ただし、配達は行わない<ref name=":7" />。 |
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** 12月30日 - 金福線を金白北線、白城線を金白南線に改称する<ref name=":44">昭和28年日本国有鉄道公示第432号(『官報』、1953年(昭和28年)12月24日、大蔵省印刷局)</ref>。金白北線福光駅 - 境川橋詰駅間及び同線井波駅前駅 - 小牧堰堤駅間及び金白南線鳩ヶ谷駅 - 境川橋詰駅間において運輸営業を開始する<ref name=":45">昭和28年日本国有鉄道公示第434号(『官報』、1953年(昭和28年)12月24日、大蔵省印刷局)</ref>。金白北線福光駅 - 飛野駅間に越中高宮駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する<ref>昭和28年日本国有鉄道公示第433号(『官報』、1953年(昭和28年)12月24日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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* [[1954年]](昭和29年) |
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** 1月28日 - 旧計量法(昭和26年法律第207号)により橋場町駅、加賀宮野駅、砂子谷駅、鳩ヶ谷駅、平瀬駅、海上駅、牧戸駅、蛭ヶ野駅、西洞駅及び正ヶ洞駅を計量器使用事業場に指定する<ref>昭和29年通商産業省告示第17号(『官報』、1954年(昭和29年)1月28日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 5月27日 - 金福線小二又駅、四王寺駅及び越中吉見駅における営業範囲を改正し、車扱貨物の取扱を開始する<ref>昭和29年日本国有鉄道公示第131号(『官報』、1954年(昭和29年)5月26日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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* [[1955年]](昭和30年) |
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** 1月10日 - 金白南線西洞駅及び野々俣駅における営業範囲を改正し、両駅共に旅客のみ取扱う駅となる<ref>昭和30年日本国有鉄道公示第9号及び第10号(『官報』、1955年(昭和30年)1月10日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 4月1日 - 金白北線金屋駅を庄川町駅と改称する<ref>昭和30年日本国有鉄道公示第82号(『官報』、1955年(昭和30年)3月26日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 10月28日 - 金白北線武蔵ヶ辻駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる<ref>昭和30年日本国有鉄道公示第365号(『官報』、1955年(昭和30年)10月27日、大蔵省印刷局)</ref>。また、金白北線を金白北本線と改称し、金白北線古屋谷駅 - 加賀二俣駅間は新設の医王山線(武蔵ヶ辻駅 - 加賀二俣駅 - 古屋谷駅間)に移管する<ref name=":47">昭和30年日本国有鉄道公示第366号及び367号(『官報』、1955年(昭和30年)10月27日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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* [[1956年]](昭和31年)5月1日 - 金白北本線経塚駅 - 大西駅 - 野口駅間を廃止し、同線経塚駅 - 立美駅 - 野口駅間において運輸営業を開始する<ref name=":26">昭和31年日本国有鉄道公示第166号(『官報』、1956年(昭和31年)4月28日、大蔵省印刷局)</ref>。立美駅は旅客に限り取扱を行う<ref name=":26" />。 |
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* [[1957年]](昭和32年) |
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** 4月12日 - 金白北本線四王寺駅 - 南千谷駅間において運輸営業を開始する<ref name=":22">昭和32年日本国有鉄道公示第138号(『官報』、1957年(昭和32年)4月11日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅はいずれも旅客に限り取扱を行う<ref name=":22" />。 |
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** 10月1日 - 金白北本線深谷鉱泉口駅を深谷温泉口駅、同線牧駅を牧温泉駅、金白南線陰地駅を恩地駅と改称する<ref>昭和32年日本国有鉄道公示第353号(『官報』、1957年(昭和32年)9月21日、大蔵省印刷局)</ref>。また、金白北本線加賀高坂駅及び福光西町駅を廃止する<ref>昭和32年日本国有鉄道公示第354号(『官報』、1957年(昭和32年)9月21日、大蔵省印刷局)</ref>。また、金白北本線砂子谷駅 - 蔵原口駅間に上砂子谷駅、同線定竜寺駅 - 福光駅間に福光東町駅、同線梨谷駅 - 小来栖駅間に田代駅、同線小来栖駅 - 見座駅間に来栖駅、同線下梨駅 - 上梨駅間に漆原駅、同線皆葎駅 - 細島駅間に小原発電所前駅、同線細島駅 - 新屋駅間に菅沼駅、金白南線平瀬駅 - 保木脇駅間に木谷口駅、恩地駅 - 牛道役場前駅間に牛道学校前駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する<ref name=":11">昭和32年日本国有鉄道公示第356号(『官報』、1957年(昭和32年)9月21日、大蔵省印刷局)</ref><ref>昭和32年日本国有鉄道公示第388号(『官報』、1957年(昭和32年)10月1日、大蔵省印刷局)</ref>。また、金白北本線福光東町駅の開業により、同線福光駅 - 城端駅間及び同線福光駅 - 越中吉見駅間の起点を福光駅から福光東町駅に改める<ref name=":11" /><ref>昭和32年日本国有鉄道公示第352号(『官報』、1957年(昭和32年)9月21日、大蔵省印刷局)</ref>。また、金白南線牛道学校前駅 - 正ヶ洞駅間において運輸営業を開始する<ref name=":27">昭和32年日本国有鉄道公示第390号(『官報』、1957年(昭和32年)10月1日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う<ref name=":27" />。また、金白北本線神谷口駅及び不動寺駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる<ref>昭和32年日本国有鉄道公示第357号(『官報』、1957年(昭和32年)9月21日、大蔵省印刷局)</ref>。また、金白南線平瀬駅及び鳩ヶ谷駅における営業範囲を改正し、一般運輸営業の取扱を開始する<ref>昭和32年日本国有鉄道公示第358号(『官報』、1957年(昭和32年)9月21日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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* [[1958年]](昭和33年) |
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** 2月1日 - 金白北本線森本駅 - 才田駅間において運輸営業を開始する<ref name=":28">昭和33年日本国有鉄道公示第25号(『官報』、1958年(昭和33年)1月30日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う<ref name=":28" />。 |
|||
** 7月1日 - 金白南線高鷲役場前駅 - 鷲見駅間において運輸営業を開始する<ref name=":29">昭和33年日本国有鉄道公示第231号(『官報』、1958年(昭和33年)6月28日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う<ref name=":29" />。 |
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* [[1959年]](昭和34年) |
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** 4月12日 - 金白北本線上砂子谷駅 - 土山駅 - 福光東町駅間において運輸営業を開始する<ref name=":30">昭和34年日本国有鉄道公示第112号(『官報』、1959年(昭和34年)4月11日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅はいずれも旅客に限り取扱を行う<ref name=":30" />。 |
|||
** 6月15日 - 金白南線飛騨中野駅及び海上駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる<ref>昭和34年日本国有鉄道公示第206号(『官報』、1959年(昭和34年)6月15日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
** 10月5日 - 金白北本線金沢駅 - 北安江駅間において運輸営業を開始する<ref name=":31">昭和34年日本国有鉄道公示第350号(『官報』、1959年(昭和34年)10月1日、大蔵省印刷局)</ref>。北安江駅においては旅客に限り取扱を行う<ref name=":31" />。 |
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* [[1960年]](昭和35年) |
|||
** 1月20日 - 金白南線北濃駅における営業範囲を改正し、同駅における貨物取扱は自動車線内相互発着となるものに限る<ref>昭和35年日本国有鉄道公示第10号(『官報』、1960年(昭和35年)1月13日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
** 4月1日 - 金白北線加賀宮野駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる<ref>昭和35年日本国有鉄道公示第102号(『官報』、1960年(昭和35年)3月24日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
** 5月27日 - 金白北本線福光東町駅 - 西太美駅間において運輸営業を開始する<ref name=":32">昭和35年日本国有鉄道公示第256号(『官報』、1960年(昭和35年)5月26日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う<ref name=":32" />。 |
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* [[1961年]](昭和36年) |
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** 1月1日 - 金白北本線金沢駅、橋場町駅、小二又駅、四王寺駅及び越中吉見駅における営業範囲を改正し、金沢駅は一般運輸営業を廃止して旅客、手荷物及び自動車線内相互発着となる貨物を取扱う駅に、橋場町駅は一般運輸営業を廃止して旅客及び手荷物(ただし配達を行わない)駅に、小二又駅、四王寺駅及び越中吉見駅は旅客及び自動車線内相互発着となる貨物を取扱う駅となる<ref>昭和35年日本国有鉄道公示第650号(『官報』、1960年(昭和35年)12月24日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
** 5月1日 - 金白北本線鳴瀬駅 - 中尾駅間において運輸営業を開始する<ref name=":33">昭和36年日本国有鉄道公示第215号(『官報』、1961年(昭和36年)4月27日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う<ref name=":33" />。 |
|||
* [[1962年]](昭和37年) |
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** 2月10日 - 金白南線北濃駅、牧戸駅、正ヶ洞駅、蛭ヶ野駅、平瀬駅及び鳩ヶ谷駅における営業範囲を改正し、北濃駅は旅客、手荷物及び小荷物を取扱う駅に、牧戸駅、正ヶ洞駅、平瀬駅及び鳩ヶ谷駅は旅客、手荷物及び小荷物(ただし配達は行わない)を取扱う駅に、蛭ヶ野駅は旅客、到着手荷物及び小荷物(ただし配達は行わない)を取扱う駅になる<ref>昭和37年日本国有鉄道公示第33号(『官報』、1962年(昭和37年)2月5日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
** 4月10日 - 金白北本線橋場町駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる<ref>昭和37年日本国有鉄道公示第140号(『官報』、1962年(昭和37年)4月7日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 10月1日 - 金白南線美濃白鳥駅 - 牛道駅間における路線を四辻駅 - 牛道駅間に改め、美濃白鳥駅 - 四辻駅間は新設の那留線に移管する<ref>昭和37年日本国有鉄道公示第397号及び398号(『官報』、1962年(昭和37年)9月26日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 10月15日 - 金白南線四辻駅 - 牛道駅間、同線牛道学校前駅 - 正ヶ洞駅間及び同線高鷲役場前駅 - 鷲見駅間を新設の白鷲線に移管し、美濃白鳥駅 - 成出駅間を金白南本線と改称する<ref name=":49">昭和37年日本国有鉄道公示第437号(『官報』、1962年(昭和37年)10月8日、大蔵省印刷局)</ref>。また、金白南本線飛騨中野駅、飛騨福島駅及び椿原駅を廃止する<ref>昭和37年日本国有鉄道公示第439号(『官報』、1962年(昭和37年)10月8日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 11月10日 - 金白南本線向小駄良駅 - 鳩ヶ谷駅間における一般路線貨物自動車運送事業を廃止する<ref>昭和37年日本国有鉄道公示第530号(『官報』、1962年(昭和37年)10月31日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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* [[1963年]](昭和38年) |
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** 1月10日 - 金白北本線福光東町駅を廃止し<ref name=":9">昭和37年日本国有鉄道公示第656号(『官報』、1962年(昭和37年)12月27日、大蔵省印刷局)</ref>、同線上砂子谷駅 - 土山駅 - 福光東町駅における終点を福光西町駅に、同線福光東町駅 - 経塚駅 - 城端駅間における起点を福光駅に変更する<ref name=":10">昭和37年日本国有鉄道公示第654号(『官報』、1962年(昭和37年)12月27日、大蔵省印刷局)</ref>。また、同線福光東町駅 - 越中吉見駅間及び福光東町駅 - 西太美駅間における起点を福光東町駅から福光駅に変更した上で、福光駅 - 越中吉見駅間及び福光駅 - 西太美駅間を[[太美山線]]、福光駅 - 小牧堰堤駅間を井波線と線路名称を定める<ref name=":10" />。また、金白北本線福光駅 - 開発駅間に福光高校前駅、大鋸屋駅 - 越中瀬戸口駅間に越中中尾駅、細尾峠駅 - 梨谷駅間に道谷駅、田代駅 - 小来栖駅間に上松尾駅、菅沼駅 - 新屋駅間に上中田駅、西赤尾駅 - 境川橋詰駅間に楮橋詰駅、境川橋詰駅 - 成出駅間に小白川駅が開業する<ref>昭和37年日本国有鉄道公示第658号(『官報』、1962年(昭和37年)12月27日、大蔵省印刷局)</ref>。また、金白北本線切山駅を桐山駅と改称する<ref>昭和37年日本国有鉄道公示第655号(『官報』、1962年(昭和37年)12月27日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 8月7日 - 金白南本線新開地駅を蛭ヶ野温泉駅、飛騨福島駅を御母衣ダム駅と改称する<ref>昭和38年日本国有鉄道公示第381号(『官報』、1963年(昭和38年)8月5日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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* [[1964年]](昭和39年) |
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** 4月1日 - 金白北本線大樋町駅 - 東長江駅間に星稜高校前駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する<ref>昭和39年日本国有鉄道公示第116号(『官報』、1964年(昭和39年)3月25日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 6月1日 - 金白北本線森本駅、福光駅、砂子谷駅、小二又駅及び四王寺駅における営業範囲を改正し、森本駅及び福光駅は一般運輸営業を廃止して旅客、手荷物及び小荷物を取扱う駅に、砂子谷駅、小二又駅及び四王寺駅は旅客のみ取扱う駅となる<ref>昭和39年日本国有鉄道公示第244号(『官報』、1964年(昭和39年)5月29日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 8月20日 - 金白北本線金沢駅 - 福光駅間、小坂神社前駅 - 小二又駅間及び深谷温泉口駅 - 四王寺駅間における一般路線貨物自動車運送事業を廃止する<ref>昭和39年日本国有鉄道公示第367号(『官報』、1964年(昭和39年)8月18日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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* [[1965年]](昭和40年) |
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** 7月1日 - 金白北本線地代駅を廃止する<ref>昭和40年日本国有鉄道公示第345号(『官報』、1965年(昭和40年)6月24日、大蔵省印刷局)</ref>。また、同線小森谷口駅 - 定竜寺駅間に川合田温泉駅、四王寺駅 - 加賀朝日駅間に千の杉駅が開業する<ref name=":34">昭和40年日本国有鉄道公示第347号(『官報』、1965年(昭和40年)6月24日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う<ref name=":34" />。 |
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** 9月11日 - 金白北本線深谷元ノ湯駅を深谷元湯駅に改称する<ref>昭和40年日本国有鉄道公示第494号(『官報』、1965年(昭和40年)9月4日、大蔵省印刷局)</ref>。また、同線飛野駅を廃止する<ref>昭和40年日本国有鉄道公示第495号(『官報』、1965年(昭和40年)9月4日、大蔵省印刷局)</ref>。また、同線繩蔵駅 - 城端駅間に細木駅、福光駅 - 越中高宮駅間に天神町駅、越中高宮駅 - 経塚駅間に矢留口駅、経塚駅 - 立美駅間に上野駅が開業する<ref name=":35">昭和40年日本国有鉄道公示第496号(『官報』、1965年(昭和40年)9月4日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う<ref name=":35" />。 |
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** 12月2日 - 金白北本線千の杉駅 - 桐山駅間において運輸営業を開始する<ref name=":36">昭和40年日本国有鉄道公示第728号(『官報』、1965年(昭和40年)12月1日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う<ref name=":36" />。 |
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* [[1966年]](昭和41年) |
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** 3月1日 - 金白南本線蛭ヶ野駅を蛭ヶ野高原駅と改称する<ref>昭和41年日本国有鉄道公示第89号(『官報』、1966年(昭和41年)2月21日、大蔵省印刷局)</ref>。また、金白南本線北濃太田駅、北濃学校前駅、古家駅、釜ヶ洞口駅、岩瀬駅、秋町口駅、保木脇駅、大牧駅及び椿原堰堤前駅を廃止する<ref>昭和41年日本国有鉄道公示第91号(『官報』、1966年(昭和41年)2月21日、大蔵省印刷局)</ref>。また、金白南本線向小駄良駅 - 北濃駅間に北濃中切駅及び北濃長滝駅、神道駅 - 正ヶ洞駅間に鮎走駅、西洞駅 - 蛭ヶ野高原駅間に折立道駅、牧戸駅 - 海上駅間に落部口駅、御母衣駅 - 平瀬駅間に大白川口駅、木谷口駅 - 野谷駅間に保木脇口駅、野谷駅 - 萩町駅間に馬狩口駅、飛騨下田駅 - 芦倉駅間に椿原駅が開業する<ref name=":37">昭和41年日本国有鉄道公示第92号(『官報』、1966年(昭和41年)2月21日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う<ref name=":37" />。 |
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** 5月18日 - 金白北本線湯谷温泉口駅 - 国見ヒユツテ駅間において運輸営業を開始する<ref name=":12">昭和41年日本国有鉄道公示第338号(『官報』、1966年(昭和41年)5月18日、大蔵省印刷局)</ref>。ただし、運行期日については中部地方自動車事務所長が定める<ref name=":12" />。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う<ref name=":12" />。 |
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** 12月1日 - 金白北本線及び金白南線を統合して名金急行線と改称する<ref name=":41">昭和41年日本国有鉄道公示第740号(『官報』、1966年(昭和41年)11月26日、大蔵省印刷局)</ref>。また、名金急行線美濃白鳥駅 - 名古屋駅間において運輸営業を開始する<ref name=":38">昭和41年日本国有鉄道公示第742号(『官報』、1966年(昭和41年)11月26日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う<ref name=":38" />。また、落部口駅 - 海上駅間に飛騨中野駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する<ref>昭和41年日本国有鉄道公示第741号(『官報』、1966年(昭和41年)11月26日、大蔵省印刷局)</ref>。また、自動車線共通乗車規則(昭和33年日本国有鉄道公示第78号)に名古屋鉄道を追加し、名古屋駅 - 金沢駅間において共同運行を開始する<ref>昭和41年日本国有鉄道公示第743号(『官報』、1966年(昭和41年)11月26日、大蔵省印刷局)</ref><ref name=":43">名古屋鉄道広報宣伝部編、『名古屋鉄道百年史』(475頁)、1994年(平成6年)6月、名古屋鉄道</ref>。 |
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* [[1967年]](昭和42年) |
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** 5月20日 - 蛭ヶ野温泉駅、西赤尾駅及び下梨駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる<ref>昭和42年日本国有鉄道公示第258号(『官報』、1967年(昭和42年)5月17日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 9月10日 - 蛭ヶ野高原駅 - 蛭ヶ野温泉駅間にあやめ沢駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する<ref>昭和42年日本国有鉄道公示第435号(『官報』、1967年(昭和42年)9月8日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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* [[1968年]](昭和43年) |
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** 12月13日 - 経塚駅を東太美駅、矢留口駅を殿口駅と改称する<ref>昭和43年日本国有鉄道公示第463号(『官報』、1968年(昭和43年)12月13日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 12月15日 - 東金沢駅口駅 - 小坂神社前駅間等に鳴和駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する<ref>昭和43年日本国有鉄道公示第466号(『官報』、1968年(昭和43年)12月13日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
* [[1969年]](昭和44年)6月19日 - 大白川口駅を白山登山口駅、保木脇口駅を保木脇駅と改称する<ref>昭和44年日本国有鉄道公示第161号(『官報』、1969年(昭和44年)6月18日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
* [[1970年]](昭和45年)12月15日 - 正ヶ洞駅、牧戸駅、平瀬駅及び鳩ヶ谷駅における営業範囲を改正し、旅客、手荷物及び小荷物(ただし代金引換の取扱及び配達はしない)を取扱う駅となる<ref>昭和45年日本国有鉄道公示第511号(『官報』、1970年(昭和45年)12月12日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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* [[1972年]](昭和47年) |
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** 4月30日 - 同日限りを以て城端広小路駅を廃止する<ref>昭和47年日本国有鉄道公示第37号(『官報』、1972年(昭和47年)5月1日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
** 5月1日 - 深谷温泉口駅を堅田町駅と改称する<ref>昭和47年日本国有鉄道公示第36号(『官報』、1972年(昭和47年)5月1日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
** 6月1日 - 北濃駅、城端駅、福光駅、森本駅及び金沢駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる<ref>昭和47年日本国有鉄道公示第73号(『官報』、1972年(昭和47年)6月1日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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* [[1974年]](昭和49年) |
|||
** 3月17日 - 蛭ヶ野温泉駅を蛭ヶ野新開地駅と改称する<ref>昭和49年日本国有鉄道公示第287号(『官報』、1974年(昭和49年)3月14日、大蔵省印刷局)</ref>。また、北濃中切駅 - 北濃長滝駅間に北濃学校前駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する<ref>昭和49年日本国有鉄道公示第286号(『官報』、1974年(昭和49年)3月14日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
** 6月25日 - 同日限りを以て上松尾駅及び田代駅を廃止する<ref>昭和49年日本国有鉄道公示第78号(『官報』、1974年(昭和49年)6月25日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 10月1日 - 美濃白鳥駅、正ヶ洞駅、平瀬駅、牧戸駅及び鳩ヶ谷駅における営業範囲を改正し、旅客及び荷物を取扱う駅となる<ref>昭和49年日本国有鉄道公示第210号(『官報』、1974年(昭和49年)9月12日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 12月11日 - 法林寺駅 - 湯谷温泉口駅間に法林寺温泉駅、森本駅 - 大場駅間に森本支所前駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する<ref>昭和49年日本国有鉄道公示第316号(『官報』、1974年(昭和49年)12月11日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 12月13日 - 向小駄良駅 - 北濃中切駅間に北濃下田駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する<ref>昭和49年日本国有鉄道公示第326号(『官報』、1974年(昭和49年)12月13日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
* [[1975年]](昭和50年)11月14日 - 東長江駅 - 牧温泉駅間に夕日寺駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する<ref>昭和50年日本国有鉄道公示第142号(『官報』、1975年(昭和50年)11月14日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
* [[1976年]](昭和51年)9月30日 - 同日限りを以て美濃白鳥駅 - 向小駄良駅間における一般路線貨物自動車運送事業を廃止する<ref name=":50">昭和51年日本国有鉄道公示第103号(『官報』、1976年(昭和51年)9月30日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
* [[1977年]](昭和52年)12月1日 - 南千谷駅 - 千谷口駅間において運輸営業を開始する<ref name=":39">昭和52年日本国有鉄道公示第133号(『官報』、1977年(昭和52年)11月30日、大蔵省印刷局)</ref>。千谷口駅においては旅客に限り取扱を行う<ref name=":39" />。桐山駅 - 中尾駅間に千谷口駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する<ref>昭和52年日本国有鉄道公示第132号(『官報』、1977年(昭和52年)11月30日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
* [[1979年]](昭和54年) |
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** 1月1日 - 西洞駅を大日岳スキー場口駅、あやめ沢駅を蛭ヶ野スキー場駅と改称する<ref>昭和53年日本国有鉄道公示第193号(『官報』、1978年(昭和53年)12月25日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 6月 - 鳩ヶ谷駅 - 福光駅間における運行を休止する<ref name=":52">『昭和56年版 交通年鑑』(201頁)、1981年(昭和56年)3月、交通協力会</ref>。 |
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* [[1980年]](昭和55年) |
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** 5月1日 - 平瀬駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる<ref>昭和55年日本国有鉄道公示第34号(『官報』、1980年(昭和55年)4月30日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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** 8月1日 - 正ヶ洞駅、牧戸駅及び鳩ヶ谷駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる<ref>昭和55年日本国有鉄道公示第77号(『官報』、1980年(昭和55年)7月29日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
* [[1982年]](昭和57年)4月1日 - 美濃白鳥駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる<ref name=":51">昭和57年日本国有鉄道公示第165号(『官報』、1982年(昭和57年)3月25日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
* [[1983年]](昭和58年)7月1日 - 正ヶ洞駅 - 鷲見駅間において運輸営業を開始する<ref>昭和58年日本国有鉄道公示第48号(『官報』、1983年(昭和58年)6月24日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
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* [[1985年]](昭和60年) |
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** 6月24日 - 同日限りを以て正ヶ洞駅 - 鷲見駅間における一般乗合旅客自動車運送事業を廃止する<ref>昭和60年日本国有鉄道公示第36号(『官報』、1985年(昭和60年)6月24日、大蔵省印刷局)</ref>。 |
|||
** 12月20日 - 高田駅 - 山王町2丁目駅 - 東長江駅間において運輸営業を開始する<ref name=":40">昭和60年日本国有鉄道公示第145号(『官報』、1985年(昭和60年)12月18日、大蔵省印刷局)</ref>。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う<ref name=":40" />。 |
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* [[1986年]](昭和61年) |
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** 10月31日 - 福光駅 - 立美駅間における運行系統(通称立美線)を廃止する<ref>「国鉄バス立美線廃止」、『北日本新聞』朝刊21面、1986年(昭和61年)11月2日、北日本新聞社。なお、同線の代替として1987年(昭和62年)10月30日より福光町営バスが運行を開始した(福光町史編纂委員会編、『福光町史 下巻』(432頁)、2011年(平成23年)3月、南砺市〉。</ref>。 |
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** 12月11日 - 昭和24年日本国有鉄道公示第31号「国鉄自動車路線名称」を全部改正し、小又西口 - 福光西町間、荒田町島 - 福光間、福光 - 東太美 - 城端間及び湯谷温泉口 - 国見ヒユツテ間を削除する<ref name=":13">昭和61年日本国有鉄道公示第172号(『官報』、1986年(昭和61年)12月10日、大蔵省印刷局)</ref>。また、森本 - 才田間は森本 - 才田 - 八田間、金沢 - 北安江間は金沢 - 広岡間と改め、大日岳スキー場口 - 大日岳スキー場間を新設する<ref name=":13" />。 |
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* [[1987年]](昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道及び東海旅客鉄道が発足し、各社管轄区間の旧国鉄自動車線を継承する<ref name=":53">西日本旅客鉄道監修・交通新聞社編、『新世紀へ走る JR西日本10年のあゆみ』(445頁)、1997年(平成9年)8月、西日本旅客鉄道</ref><ref name=":54">交通協力会編、『昭和63年版 交通年鑑』(409及び428頁)、1988年(昭和63年)3月、交通協力会</ref><ref name=":55">東海旅客鉄道編、『東海旅客鉄道20年史』(54頁)、2007年(平成19年)9月、東海旅客鉄道</ref>。 |
|||
* [[1988年]](昭和63年)4月1日 - 西日本ジェイアールバス及びジェイアール東海バスが、各旅客鉄道の自動車事業を継承する<ref name=":57">交通協力会編、『平成元年版 交通年鑑』(480及び484頁)、1989年(平成元年)3月、交通協力会</ref><ref name=":56">東海旅客鉄道編、『東海旅客鉄道20年史』(53頁)、2007年(平成19年)9月、東海旅客鉄道</ref>。 |
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* [[1994年]]([[平成]]6年)9月30日 - 西日本ジェイアールバスが砂子谷 - 小又西口間(土山線)を廃止する<ref>「JR西日本バス「土山線」、35年の歴史に幕、富山県福光町、きょうから町営で再スタート」、『富山新聞』(19面)、1994年(平成6年)10月1日、富山新聞社</ref>。 |
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* [[2000年]](平成12年) |
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** 9月 - 名古屋鉄道が五箇山号(名金線)の運行を休止する<ref name=":61" />。 |
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** 11月29日 - ジェイアール東海バスが名金線を含む不採算路線より撤退し、美濃白鳥営業所を閉鎖すると発表する<ref>「JR東海バス、不採算の路線バス撤退へ」、『日本経済新聞』(名古屋朝刊社会面21頁)、2000年(平成12年)11月30日、日本経済新聞社</ref><ref>「不採算39路線廃止へ 愛知・岐阜・静岡でJR東海バス」、『朝日新聞』朝刊(2社会)、2000年(平成12年)11月30日、朝日新聞社</ref>。 |
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* [[2002年]](平成14年)10月1日 - ジェイアール東海バスが名金線を廃止し、同日より岐阜乗合自動車が一部区間の代替運行を開始する<ref name=":59">「白鳥 - 荘川間で新たに岐阜バス認可 中部運輸局」、『朝日新聞』朝刊(岐阜1)、2002年(平成14年)9月14日、朝日新聞社</ref><ref name=":58">「桜のきずな残したい JR東海バス「名金線」今月限り」、『朝日新聞』夕刊(2社会)、2002年(平成14年)9月28日、朝日新聞社</ref>。 |
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* [[2007年]](平成19年)8月28日 - 石川県が名金線(金沢 - 福光間)を国や県の補助対象となる生活交通路線として承認する<ref name=":60">「新たな補助対象に金沢-福光のバス、石川県庁で地域協議会」、『北國新聞』(4面)、2007年(平成19年)8月28日、北國新聞社</ref>。 |
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== 駅一覧 == |
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大野線は冬季運休の季節運行で、極端に利用客が少なかったこともあって、ジェイアール東海バス撤退時に自治体等の対応もなく、2002年9月30日に廃止された。 |
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以下の表における所在地等の記述はその駅が[[自動車駅]]として開業した当時における告示あるいは公示の表記によるものであり、且つ国有鉄道時代の停車場に限る。一般に国鉄自動車線には停車場(駅)の他に旅客取扱を行う乗降場を設けている場合があるが<ref>水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅱ)戦時期1――」、『東京経大学会誌 経営学』第244号、2005年(平成17年)3月、東京経済大学</ref>、下記の表に乗降場は含めていない。また、太美山線、井波線、那留線、医王山線、白鷲線及び[[大野線]]に移管された区間についても下記の表には含めていない。 |
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{| class="wikitable" |
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|+ |
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名古屋 - 金沢間 |
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!駅名 |
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!訓 |
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!位置 |
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!備考 |
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|- |
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|名古屋 |
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|なごや |
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|既設停車場 |
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|既設駅(但し本線の駅としては1966年(昭和41年)12月1日開業) |
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|- |
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|尾張一宮駅前 |
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|おわりいちのみやえきまえ |
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|愛知県[[一宮市]]千歳通り |
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|1966年(昭和41年)12月1日開業 |
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|- |
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|岐阜駅前 |
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|ぎふえきまえ |
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|岐阜県[[岐阜市]]吉野町 |
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|1966年(昭和41年)12月1日開業 |
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|- |
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|小屋名 |
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|おやな |
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|岐阜県[[関市]]大字小金田 |
|||
|1966年(昭和41年)12月1日開業 |
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|- |
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|美濃市役所前 |
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|みのしやくしょまえ |
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|岐阜県[[美濃市]]殿町 |
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|1966年(昭和41年)12月1日開業 |
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|- |
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|郡上八幡駅前 |
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|ぐじょうはちまんえきまえ |
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|岐阜県[[郡上郡]][[八幡町 (岐阜県)|八幡町]]大字稲荷 |
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|1966年(昭和41年)12月1日開業 |
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|- |
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|美濃弥富駅前 |
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|みのやとみえきまえ |
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|既設停車場 |
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|既設駅(但し本線の駅としては1966年(昭和41年)12月1日開業) |
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|- |
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|美濃白鳥 |
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|みのしろとり |
|||
|既設停車場 |
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|既設駅(但し本線の駅としては1933年(昭和8年)8月1日開業) |
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|- |
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|向小駄良 |
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|むかいこだら |
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|岐阜県郡上郡[[北濃村]]大字向小駄良 |
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|1933年(昭和8年)8月1日開業 |
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|- |
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|北濃下田 |
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|ほくのしもだ |
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|岐阜県郡上郡北濃村大字二日町 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業、1951年(昭和26年)11月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|北濃太田 |
|||
|ほくのうおおた |
|||
|岐阜県郡上郡北濃村大字二日町 |
|||
|1951年(昭和26年)11月1日開業、1966年(昭和41年)3月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|北濃中切 |
|||
|ほくのなかぎり |
|||
|岐阜県郡上郡北濃村大字二日町 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業、1951年(昭和26年)11月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|北濃中切 |
|||
|ほくのうなかぎり |
|||
|岐阜県郡上郡[[白鳥町 (岐阜県)|白鳥町]]大字二日町 |
|||
|1966年(昭和41年)3月1日再開業 |
|||
|- |
|||
|北濃学校前 |
|||
|ほくのがっこうまえ |
|||
|岐阜県郡上郡北濃村大字二日町 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業、1951年(昭和26年)11月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|北濃学校前 |
|||
|ほくのうがっこうまえ |
|||
|岐阜県郡上郡白鳥町二日町 |
|||
|1974年(昭和49年)3月17日再開業 |
|||
|- |
|||
|北濃長滝 |
|||
|ほくのながたき |
|||
|岐阜県郡上郡北濃村大字長滝 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業、1944年(昭和19年)4月20日廃止 |
|||
|- |
|||
|北濃長滝 |
|||
|ほくのうながたき |
|||
|岐阜県郡上郡白鳥町大字長滝 |
|||
|1966年(昭和41年)3月1日再開業 |
|||
|- |
|||
|毘沙門橋 |
|||
|びしゃもんはし |
|||
|岐阜県郡上郡北濃村長滝 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業、1934年(昭和9年)8月16日廃止 |
|||
|- |
|||
|北濃 |
|||
|ほくのう |
|||
|既設駅 |
|||
|越美南線の駅として開業と同時に本線の駅としても開業 |
|||
|- |
|||
|歩岐島 |
|||
|ほきじま |
|||
|岐阜県郡上郡北濃村大字歩岐島 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業 |
|||
|- |
|||
|前谷 |
|||
|まえだに |
|||
|岐阜県郡上郡北濃村大字前谷 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業 |
|||
|- |
|||
|小洞橋 |
|||
|こぼらはし |
|||
|岐阜県郡上郡[[高鷲村]]大字鮎立 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業、1951年(昭和26年)11月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|神道 |
|||
|こうどう |
|||
|岐阜県郡上郡高鷲村大字鮎立 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業 |
|||
|- |
|||
|古家 |
|||
|ふるや |
|||
|岐阜県郡上郡高鷲村大字鮎立 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業、1966年(昭和41年)3月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|鮎走 |
|||
|あゆばしり |
|||
|岐阜県郡上郡高鷲村大字鮎立 |
|||
|1966年(昭和41年)3月1日開業 |
|||
|- |
|||
|正ヶ洞 |
|||
|しょうがほら |
|||
|岐阜県郡上郡高鷲村大字大鷲 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業 |
|||
|- |
|||
|穴洞 |
|||
|あなぼら |
|||
|岐阜県郡上郡高鷲村大字大鷲 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業、1944年(昭和19年)4月20日廃止 |
|||
|- |
|||
|中将 |
|||
|ちゅうじょう |
|||
|岐阜県郡上郡高鷲村大字西洞 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業 |
|||
|- |
|||
|大日岳スキー場口 |
|||
|だいにちだけすきいじょうぐち |
|||
|岐阜県郡上郡高鷲村大字西洞 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業、1979年(昭和54年)1月1日改称 |
|||
|- |
|||
|折立道 |
|||
|おりたてみち |
|||
|岐阜県郡上郡高鷲村大字西洞 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業、1944年(昭和19年)3月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|折立道 |
|||
|おりたてみち |
|||
|岐阜県郡上郡高鷲村大字西洞 |
|||
|1966年(昭和41年)3月1日再開業 |
|||
|- |
|||
|釜ヶ洞口 |
|||
|かまがほらぐち |
|||
|岐阜県郡上郡高鷲村大字西洞 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業、1966年(昭和41年)3月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|蛭ヶ野高原 |
|||
|ひるがのこうげん |
|||
|岐阜県郡上郡高鷲村大字西洞 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業、1966年(昭和41年)3月1日改称 |
|||
|- |
|||
|蛭ヶ野スキー場駅 |
|||
|ひるがのすきいじょう |
|||
|岐阜県郡上郡高鷲村大字西洞 |
|||
|1967年(昭和42年)9月10日開業、1979年(昭和54年)1月1日改称 |
|||
|- |
|||
|蛭ヶ野新開地 |
|||
|ひるがのしんかいち |
|||
|岐阜県郡上郡高鷲村大字西洞 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業、1963年(昭和38年)8月7日改称、1974年(昭和49年)3月17日改称 |
|||
|- |
|||
|御手洗 |
|||
|みたらい |
|||
|岐阜県[[大野郡]][[荘川村]]大字野々俣 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業 |
|||
|- |
|||
|野々俣 |
|||
|ののまた |
|||
|岐阜県郡上郡荘川村大字野々俣 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業 |
|||
|- |
|||
|滝ヶ野 |
|||
|たきがの |
|||
|岐阜県大野郡荘川村大字野々俣 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業、1944年(昭和19年)4月20日廃止 |
|||
|- |
|||
|牧戸 |
|||
|まきと |
|||
|岐阜県大野郡荘川村大字牧戸 |
|||
|1933年(昭和8年)8月1日開業 |
|||
|- |
|||
|岩瀬 |
|||
|いわせ |
|||
|岐阜県大野郡荘川村大字岩瀬 |
|||
|1948年(昭和23年)3月16日開業、1966年(昭和41年)3月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|落部口 |
|||
|おちべぐち |
|||
|岐阜県大野郡荘川村大字岩瀬 |
|||
|1966年(昭和41年)3月1日開業 |
|||
|- |
|||
|飛騨中野 |
|||
|ひだなかの |
|||
|岐阜県大野郡荘川村大字中野 |
|||
|1948年(昭和23年)3月16日開業、1962年(昭和37年)10月15日廃止 |
|||
|- |
|||
|飛騨中野 |
|||
|ひだなかの |
|||
|岐阜県大野郡荘川村大字中野 |
|||
|1966年(昭和41年)12月1日再開業 |
|||
|- |
|||
|海上 |
|||
|かいじょう |
|||
|岐阜県大野郡荘川村大字海上 |
|||
|1948年(昭和23年)3月16日開業 |
|||
|- |
|||
|秋町口 |
|||
|あきまちぐち |
|||
|岐阜県大野郡[[白川村]]大字秋町 |
|||
|1948年(昭和23年)3月16日開業、1966年(昭和41年)3月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|御母衣ダム |
|||
|みぼろだむ |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字福島 |
|||
|1948年(昭和23年)3月16日開業、1963年(昭和38年)8月7日改称 |
|||
|- |
|||
|御母衣 |
|||
|みぼろ |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字御母衣 |
|||
|1948年(昭和23年)3月16日開業 |
|||
|- |
|||
|白山登山口 |
|||
|はくさんとざんぐち |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字御母衣 |
|||
|1966年(昭和41年)3月1日開業、1969年(昭和44年)6月19日改称 |
|||
|- |
|||
|平瀬 |
|||
|ひらせ |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字平瀬 |
|||
|1948年(昭和23年)3月16日開業 |
|||
|- |
|||
|木谷口 |
|||
|きたにぐち |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字木谷 |
|||
|1957年(昭和32年)10月1日開業 |
|||
|- |
|||
|保木脇 |
|||
|ほきわき |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字保木脇 |
|||
|1948年(昭和23年)3月16日開業、1966年(昭和41年)3月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|保木脇 |
|||
|ほきわき |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字保木脇 |
|||
|1966年(昭和41年)3月1日開業、1969年(昭和44年)6月19日改称 |
|||
|- |
|||
|野谷 |
|||
|のだに |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字野谷 |
|||
|1948年(昭和23年)3月16日開業 |
|||
|- |
|||
|大牧 |
|||
|おおまき |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字大牧 |
|||
|1948年(昭和23年)3月16日開業、1966年(昭和41年)3月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|馬狩口 |
|||
|まがりぐち |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字牧 |
|||
|1966年(昭和41年)3月1日開業 |
|||
|- |
|||
|萩町 |
|||
|はぎまち |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字萩町 |
|||
|1948年(昭和23年)3月16日開業 |
|||
|- |
|||
|鳩ヶ谷 |
|||
|はとがや |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字鳩ヶ谷 |
|||
|1948年(昭和23年)3月16日開業 |
|||
|- |
|||
|飛騨飯島 |
|||
|ひだいいじま |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字飯島 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業、1962年(昭和37年)10月15日廃止 |
|||
|- |
|||
|飛騨下田 |
|||
|ひだしもだ |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字下田 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|椿原堰堤前 |
|||
|つばきはらえんていまえ |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字椿原 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業、1966年(昭和41年)3月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|椿原 |
|||
|つばきはら |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字椿原 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業、1962年(昭和37年)10月15日廃止 |
|||
|- |
|||
|椿原 |
|||
|つばきばら |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字鳩ヶ谷 |
|||
|1966年(昭和41年)3月1日再開業 |
|||
|- |
|||
|芦倉 |
|||
|あしくら |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字芦倉 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|成出 |
|||
|なるで |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字小白川 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|小白川 |
|||
|こしらかわ |
|||
|岐阜県大野郡白川村大字小白川 |
|||
|1963年(昭和38年)1月10日開業 |
|||
|- |
|||
|境川橋詰 |
|||
|さかいがわはしづめ |
|||
|富山県[[東礪波郡]][[上平村 (富山県)|上平村]]大字西赤尾 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|楮橋詰 |
|||
|こうずはしずめ |
|||
|富山県東礪波郡上平村大字楮 |
|||
|1963年(昭和38年)1月10日開業 |
|||
|- |
|||
|西赤尾 |
|||
|にしあかお |
|||
|富山県東礪波郡上平村大字西赤尾 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|新屋 |
|||
|あたらしや |
|||
|富山県東礪波郡上平村大字新屋 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|上中田 |
|||
|かみなかだ |
|||
|富山県東礪波郡上平村大字上中田 |
|||
|1963年(昭和38年)1月10日開業 |
|||
|- |
|||
|菅沼 |
|||
|すがぬま |
|||
|富山県東礪波郡上平村大字菅沼 |
|||
|1957年(昭和32年)10月1日開業 |
|||
|- |
|||
|細島 |
|||
|ほそじま |
|||
|富山県東礪波郡上平村大字細島 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|小原発電所前 |
|||
|おはらはつでんしょまえ |
|||
|富山県東礪波郡上平村大字小原 |
|||
|1957年(昭和32年)10月1日開業 |
|||
|- |
|||
|皆葎 |
|||
|かいぐら |
|||
|富山県東礪波郡上平村大字皆葎 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|上梨 |
|||
|かみなし |
|||
|富山県東礪波郡[[平村 (富山県)|平村]]大字上梨 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|漆原 |
|||
|うるしばら |
|||
|富山県東礪波郡平村大字下梨 |
|||
|1957年(昭和32年)10月1日開業 |
|||
|- |
|||
|下梨 |
|||
|しもなし |
|||
|富山県東礪波郡平村大字下梨 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|見座 |
|||
|みざ |
|||
|富山県東礪波郡平村大字見座 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|来栖 |
|||
|くるす |
|||
|富山県東礪波郡平村大字来栖 |
|||
|1957年(昭和32年)10月1日開業 |
|||
|- |
|||
|小来栖 |
|||
|おぐるす |
|||
|富山県東礪波郡平村大字松尾 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|上松尾 |
|||
|かみまつお |
|||
|富山県東礪波郡平村大字上松尾 |
|||
|1963年(昭和38年)1月10日開業、1974年(昭和49年)6月26日廃止 |
|||
|- |
|||
|田代 |
|||
|たしろ |
|||
|富山県東礪波郡平村大字田代 |
|||
|1957年(昭和32年)10月1日開業、1974年(昭和49年)6月26日廃止 |
|||
|- |
|||
|梨谷 |
|||
|なしだに |
|||
|富山県東礪波郡平村大字梨谷 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|道谷 |
|||
|どうたに |
|||
|富山県東礪波郡平村大字相倉 |
|||
|1963年(昭和38年)1月10日開業 |
|||
|- |
|||
|細尾峠 |
|||
|ほそおとうげ |
|||
|富山県東礪波郡[[城端町]]大字上田 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|越中瀬戸口 |
|||
|えっちゅうせとぐち |
|||
|富山県東礪波郡城端町大字大谷島 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|越中中尾 |
|||
|えっちゅうなかお |
|||
|富山県東礪波郡城端町大字中尾 |
|||
|1963年(昭和38年)1月10日開業 |
|||
|- |
|||
|大鋸屋 |
|||
|おおがや |
|||
|富山県東礪波郡城端町大字大鋸屋 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|荒田町島 |
|||
|あらたまちじま |
|||
|富山県東礪波郡城端町大字荒田町島 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|城端広小路 |
|||
|じょうはなひろこうじ |
|||
|富山県東礪波郡城端町大字荒田町島 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業、1972年(昭和47年)5月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|城端 |
|||
|じょうはな |
|||
|既設停車場 |
|||
|既設駅(但し本線の駅としては1953年(昭和28年)12月30日開業) |
|||
|- |
|||
|細木 |
|||
|ほそぎ |
|||
|富山県東礪波郡城端町大字細木 |
|||
|1965年(昭和40年)9月11日開業 |
|||
|- |
|||
|繩蔵 |
|||
|なわくら |
|||
|富山県[[西礪波郡]][[福光町]]大字繩蔵 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|越中高宮 |
|||
|えっちゅうたかみや |
|||
|富山県西礪波郡福光町大字高宮 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|天神町 |
|||
|てんじんまち |
|||
|富山県西礪波郡福光町大字福光町 |
|||
|1965年(昭和40年)9月11日開業 |
|||
|- |
|||
|福光 |
|||
|ふくみつ |
|||
|既設停車場 |
|||
|既設駅(但し本線の駅としては1939年(昭和14年)9月1日開業) |
|||
|- |
|||
|福光西町 |
|||
|ふくみつにしまち |
|||
|富山県西礪波郡福光町 |
|||
|1939年(昭和14年)9月1日開業、1957年(昭和32年)10月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|福光西町 |
|||
|ふくみつにしまち |
|||
|富山県西礪波郡福光町大字福光町 |
|||
|1963年(昭和38年)1月10日再開業 |
|||
|- |
|||
|福光東町 |
|||
|ふくみつひがしまち |
|||
|富山県西礪波郡福光町 |
|||
|1957年(昭和32年)10月1日開業、1963年(昭和38年)1月10日廃止 |
|||
|- |
|||
|中ノ江 |
|||
|なかのえ |
|||
|富山県西礪波郡[[石黒村 (富山県)|石黒村]]大字中ノ江 |
|||
|1939年(昭和14年)9月1日開業、1944年(昭和19年)4月20日廃止 |
|||
|- |
|||
|定竜寺 |
|||
|じょうりゅうじ |
|||
|富山県西礪波郡石黒村大字定竜寺 |
|||
|1939年(昭和14年)9月1日開業 |
|||
|- |
|||
|川合田 |
|||
|かわいだ |
|||
|富山県西礪波郡石黒村大字川合田 |
|||
|1939年(昭和14年)9月1日開業、1944年(昭和19年)3月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|川合田温泉 |
|||
|かわいだおんせん |
|||
|富山県西礪波郡福光町大字川合田 |
|||
|1965年(昭和40年)7月1日開業 |
|||
|- |
|||
|小森谷口 |
|||
|こもりだにぐち |
|||
|富山県西礪波郡石黒村大字遊部 |
|||
|1939年(昭和14年)9月1日開業 |
|||
|- |
|||
|東蔵原 |
|||
|ひがしくらはら |
|||
|富山県西礪波郡[[南蟹谷村]]大字蔵原 |
|||
|1939年(昭和14年)9月1日開業、1944年(昭和19年)3月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|蔵原口 |
|||
|くらはらぐち |
|||
|富山県西礪波郡南蟹谷村大字蔵原 |
|||
|1939年(昭和14年)9月1日開業 |
|||
|- |
|||
|上砂子谷 |
|||
|かみすなこたに |
|||
|富山県西礪波郡南蟹谷村砂子谷 |
|||
|1939年(昭和14年)9月1日開業、1944年(昭和19年)4月20日廃止 |
|||
|- |
|||
|上砂子谷 |
|||
|かみすなこだに |
|||
|富山県西礪波郡福光町大字砂子谷 |
|||
|1957年(昭和32年)10月1日開業 |
|||
|- |
|||
|砂子谷 |
|||
|すなこたに |
|||
|富山県西礪波郡南蟹谷村砂子谷 |
|||
|1939年(昭和14年)9月1日開業 |
|||
|- |
|||
|鳥越 |
|||
|とりごえ |
|||
|富山県西礪波郡南蟹谷村砂子谷 |
|||
|1939年(昭和14年)9月1日開業、1944年(昭和19年)3月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|高窪 |
|||
|たかくぼ |
|||
|富山県西礪波郡南蟹谷村大字高窪 |
|||
|1939年(昭和14年)9月1日開業 |
|||
|- |
|||
|総平 |
|||
|そうだいら |
|||
|石川県[[河北郡]][[三谷村 (石川県河北郡)|三谷村]]大字東原脇原 |
|||
|1938年(昭和13年)6月30日開業 |
|||
|- |
|||
|東原 |
|||
|ひがしはら |
|||
|石川県河北郡三谷村大字東原脇原 |
|||
|1938年(昭和13年)6月30日開業 |
|||
|- |
|||
|竹又 |
|||
|たけまた |
|||
|石川県河北郡三谷村大字竹又 |
|||
|1938年(昭和13年)6月30日開業 |
|||
|- |
|||
|加賀清水谷 |
|||
|かがしみずだに |
|||
|石川県河北郡三谷村大字清水谷 |
|||
|1938年(昭和13年)6月30日開業 |
|||
|- |
|||
|古屋谷 |
|||
|ふるやだに |
|||
|石川県河北郡三谷村大字高坂 |
|||
|1935年(昭和10年)10月3日開業 |
|||
|- |
|||
|加賀高坂 |
|||
|かがたかさか |
|||
|石川県河北郡三谷村大字高坂 |
|||
|1937年(昭和12年)6月1日開業、1957年(昭和32年)10月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|加賀宮野 |
|||
|かがみやの |
|||
|石川県河北郡三谷村大字宮野 |
|||
|1935年(昭和10年)10月3日開業 |
|||
|- |
|||
|鳴瀬 |
|||
|ならせ |
|||
|石川県河北郡三谷村大字不動寺 |
|||
|1935年(昭和10年)10月3日開業 |
|||
|- |
|||
|不動寺 |
|||
|ふどうじ |
|||
|石川県河北郡三谷村大字不動寺 |
|||
|1935年(昭和10年)10月3日開業 |
|||
|- |
|||
|堅田町 |
|||
|かただまち |
|||
|石川県河北郡三谷村大字堅田 |
|||
|1935年(昭和10年)10月3日開業、1957年(昭和32年)10月1日改称、1972年(昭和47年)5月1日改称 |
|||
|- |
|||
|森本 |
|||
|もりもと |
|||
|既設停車場 |
|||
|既設駅(但し本線の駅としては1935年(昭和10年)10月3日開業) |
|||
|- |
|||
|法光寺 |
|||
|ほうこうじ |
|||
|石川県[[金沢市]]法光寺町 |
|||
|1937年(昭和12年)6月1日開業 |
|||
|- |
|||
|神谷内 |
|||
|かみやち |
|||
|石川県金沢市神谷内町 |
|||
|1937年(昭和12年)6月1日開業、1944年(昭和19年)3月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|東金沢駅口 |
|||
|ひがしかなざわえきぐち |
|||
|石川県金沢市小坂町 |
|||
|1937年(昭和12年)6月1日開業 |
|||
|- |
|||
|鳴和 |
|||
|なるわ |
|||
|石川県金沢市鳴和町 |
|||
|1968年(昭和43年)12月15日開業 |
|||
|- |
|||
|小坂神社前 |
|||
|おさかじんじゃまえ |
|||
|石川県金沢市山ノ上町三丁目 |
|||
|1935年(昭和10年)10月3日開業 |
|||
|- |
|||
|橋場町 |
|||
|はしばまち |
|||
|石川県金沢市[[橋場町 (金沢市)|橋場町]] |
|||
|1935年(昭和10年)10月3日開業 |
|||
|- |
|||
|武蔵ヶ辻 |
|||
|むさしがつじ |
|||
|石川県金沢市青草町 |
|||
|1935年(昭和10年)10月3日開業 |
|||
|- |
|||
|金沢 |
|||
|かなざわ |
|||
|既設停車場 |
|||
|既設駅(但し本線の駅としては1935年(昭和10年)10月3日開業) |
|||
|} |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|+金沢 - 北安江間 |
|||
!駅名 |
|||
!訓 |
|||
!位置 |
|||
!備考 |
|||
|- |
|||
|金沢 |
|||
|かなざわ |
|||
|既設駅 |
|||
|前掲 |
|||
|- |
|||
|北安江 |
|||
|きたやすえ |
|||
|石川県金沢市北安江町 |
|||
|1959年(昭和34年)10月5日開業 |
|||
|} |
|||
ただし金沢 - 北安江間は、1986年(昭和61年)12月11日より金沢 - 広岡間と改められた<ref name=":13" />。 |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|+堅田町 - 千谷口間 |
|||
!駅名 |
|||
!訓 |
|||
!位置 |
|||
!備考 |
|||
|- |
|||
|堅田町 |
|||
|かただまち |
|||
|既設駅 |
|||
|前掲 |
|||
|- |
|||
|深谷元湯 |
|||
|ふかたにもとゆ |
|||
|石川県河北郡三谷村大字深谷 |
|||
|1950年(昭和25年)11月11日開業、1965年(昭和40年)9月11日改称 |
|||
|- |
|||
|四王寺 |
|||
|しおうじ |
|||
|石川県河北郡三谷村大字四王寺 |
|||
|1950年(昭和25年)11月11日開業 |
|||
|- |
|||
|地代 |
|||
|じだい |
|||
|石川県河北郡[[森本町]]大字地代 |
|||
|1957年(昭和32年)4月12日開業、1965年(昭和40年)7月1日廃止 |
|||
|- |
|||
|千の杉 |
|||
|せんのすぎ |
|||
|石川県金沢市千の杉町 |
|||
|1965年(昭和40年)7月1日開業 |
|||
|- |
|||
|加賀朝日 |
|||
|かがあさひ |
|||
|石川県河北郡森本町大字朝日 |
|||
|1957年(昭和32年)4月12日開業 |
|||
|- |
|||
|南千谷 |
|||
|みなみせんごく |
|||
|石川県河北郡森本町大字南千谷 |
|||
|1957年(昭和32年)4月12日開業 |
|||
|- |
|||
|千谷口 |
|||
|せんごくぐち |
|||
|石川県金沢市今泉町 |
|||
|1977年(昭和52年)12月1日開業 |
|||
|} |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|+鳴和 - 小二又間 |
|||
!駅名 |
|||
!訓 |
|||
!位置 |
|||
!備考 |
|||
|- |
|||
|鳴和 |
|||
|前掲 |
|||
|前掲 |
|||
|1968年(昭和43年)12月15日に開業と同時に同区間の起点となる。 |
|||
|- |
|||
|小坂神社前 |
|||
|おさかじんじゃまえ |
|||
|既設駅 |
|||
|前掲 |
|||
|- |
|||
|大樋町 |
|||
|おおひまち |
|||
|石川県金沢市大字御所町 |
|||
|1952年(昭和27年)8月15日開業 |
|||
|- |
|||
|星稜高校前 |
|||
|せいりょうこうこうまえ |
|||
|石川県金沢市御所町 |
|||
|1964年(昭和39年)4月1日開業 |
|||
|- |
|||
|東長江 |
|||
|ひがしながえ |
|||
|石川県金沢市大字東長江町 |
|||
|1952年(昭和27年)8月15日開業 |
|||
|- |
|||
|夕日寺 |
|||
|ゆうひでら |
|||
|石川県金沢市夕日寺町 |
|||
|1975年(昭和50年)11月14日開業 |
|||
|- |
|||
|牧温泉 |
|||
|まきおんせん |
|||
|石川県金沢市大字牧町 |
|||
|1952年(昭和27年)8月15日開業、1957年(昭和32年)10月1日改称 |
|||
|- |
|||
|小二又 |
|||
|こふたまた |
|||
|石川県金沢市大字小二又町 |
|||
|1952年(昭和27年)8月15日開業 |
|||
|} |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|+森本 - 才田間 |
|||
!駅名 |
|||
!訓 |
|||
!位置 |
|||
!備考 |
|||
|- |
|||
|森本 |
|||
|もりもと |
|||
|既設駅 |
|||
|前掲 |
|||
|- |
|||
|森本支所前 |
|||
|もりもとししょまえ |
|||
|石川県金沢市南森本町 |
|||
|1974年(昭和49年)12月11日開業 |
|||
|- |
|||
|大場 |
|||
|おおば |
|||
|石川県河北郡森本町大字大場 |
|||
|1958年(昭和33年)2月1日開業 |
|||
|- |
|||
|加賀八田 |
|||
|かがはつた |
|||
|石川県河北郡森本町大字八田 |
|||
|1958年(昭和33年)2月1日開業 |
|||
|- |
|||
|才田 |
|||
|さいだ |
|||
|石川県河北郡森本町大字才田 |
|||
|1958年(昭和33年)2月1日開業 |
|||
|} |
|||
ただし森本 - 才田間は、1986年(昭和61年)12月11日より森本 - 才田 - 八田間と改められた<ref name=":13" />。 |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|+鳴瀬 - 中尾間 |
|||
!駅名 |
|||
!訓 |
|||
!位置 |
|||
!備考 |
|||
|- |
|||
|鳴瀬 |
|||
|なるせ |
|||
|既設駅 |
|||
|前掲 |
|||
|- |
|||
|桐山 |
|||
|きりやま |
|||
|石川県河北郡森本町大字切山 |
|||
|1961年(昭和36年)5月1日開業、1963年(昭和38年)1月10日改称 |
|||
|- |
|||
|朝日牧 |
|||
|あさひまき |
|||
|石川県河北郡森本町大字小池 |
|||
|1961年(昭和36年)5月1日開業 |
|||
|- |
|||
|今泉 |
|||
|いまいずみ |
|||
|石川県河北郡森本町大字今泉 |
|||
|1961年(昭和36年)5月1日開業 |
|||
|- |
|||
|中尾 |
|||
|なかお |
|||
|石川県河北郡森本町大字中尾 |
|||
|1961年(昭和36年)5月1日開業 |
|||
|} |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|+千の杉 - 桐山間 |
|||
!駅名 |
|||
!訓 |
|||
!所在地 |
|||
!備考 |
|||
|- |
|||
|千の杉 |
|||
|せんのすぎ |
|||
|既設駅 |
|||
|前掲 |
|||
|- |
|||
|小池 |
|||
|こいけ |
|||
|石川県金沢市小池町 |
|||
|1965年(昭和40年)12月2日開業 |
|||
|- |
|||
|桐山 |
|||
|きりやま |
|||
|既設駅 |
|||
|前掲 |
|||
|} |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|+高田 - 山王町2丁目 - 東長江 |
|||
!駅名 |
|||
!訓 |
|||
!所在地 |
|||
!備考 |
|||
|- |
|||
|高田 |
|||
|たかだ |
|||
|既設駅 |
|||
|既設駅 |
|||
|- |
|||
|山王町2丁目 |
|||
|さんのうちょうにちょうめ |
|||
|石川県金沢市山王町2丁目 |
|||
|1985年(昭和60年)12月20日開業 |
|||
|- |
|||
|東長江 |
|||
|ひがしながえ |
|||
|既設駅 |
|||
|既設駅 |
|||
|} |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|+荒田町島 - 城端間(1986年(昭和61年)12月11日削除) |
|||
!駅名 |
|||
!訓 |
|||
!位置 |
|||
!備考 |
|||
|- |
|||
|荒田町島 |
|||
|あらたまちじま |
|||
|既設駅 |
|||
|前掲 |
|||
|- |
|||
|城端 |
|||
|じょうはな |
|||
|既設駅 |
|||
|前掲 |
|||
|} |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|+福光 - 経塚 - 城端間(1956年(昭和31年)4月30日以前) |
|||
!駅名 |
|||
!訓 |
|||
!位置 |
|||
!備考 |
|||
|- |
|||
|福光 |
|||
|ふくみつ |
|||
|既設駅 |
|||
|前掲 |
|||
|- |
|||
|越中高宮 |
|||
|えっちゅうたかみや |
|||
|富山県西礪波郡福光町大字高宮 |
|||
|1953年(昭和28年)12月30日開業 |
|||
|- |
|||
|飛野 |
|||
|とびの |
|||
|富山県西礪波郡[[吉江村]]大字飛野 |
|||
|1952年(昭和27年)10月18日開業 |
|||
|- |
|||
|経塚 |
|||
|きょうづか |
|||
|富山県西礪波郡[[東太美村]]大字経塚 |
|||
|1952年(昭和27年)10月18日開業 |
|||
|- |
|||
|大西 |
|||
|おおにし |
|||
|富山県西礪波郡東太美村大字大西 |
|||
|1952年(昭和27年)10月18日開業 |
|||
|- |
|||
|野口 |
|||
|のぐち |
|||
|富山県東礪波郡[[南山田村 (富山県)|南山田村]]大字野口 |
|||
|1952年(昭和27年)10月18日開業 |
|||
|- |
|||
|城端 |
|||
|じょうはな |
|||
|既設駅 |
|||
|前掲 |
|||
|} |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|+福光 - 東太美 - 城端間(1986年(昭和61年)12月11日削除) |
|||
!駅名 |
|||
!訓 |
|||
!位置 |
|||
!備考 |
|||
|- |
|||
|福光 |
|||
|前掲 |
|||
|前掲 |
|||
|1957年(昭和32年)10月1日より同区間に含まず。1963年(昭和38年)1月10日より再び同区間の起点となる。 |
|||
|- |
|||
|福光東町 |
|||
|前掲 |
|||
|前掲 |
|||
|1957年(昭和32年)10月1日に開業と同時に福光駅に代り同区間の起点となる。1963年(昭和38年)1月10日廃止。 |
|||
|- |
|||
|天神町 |
|||
|てんじんまち |
|||
|富山県西礪波郡福光町福光町 |
|||
|1965年(昭和40年)9月11日開業 |
|||
|- |
|||
|越中高宮 |
|||
|前掲 |
|||
|前掲 |
|||
|前掲 |
|||
|- |
|||
|飛野 |
|||
|前掲 |
|||
|前掲 |
|||
|1965年(昭和40年)9月11日廃止 |
|||
|- |
|||
|殿口 |
|||
|とのぐち |
|||
|富山県西礪波郡福光町殿 |
|||
|1965年(昭和40年)9月11日開業、1968年(昭和43年)12月13日改称 |
|||
|- |
|||
|東太美 |
|||
|ひがしふとみ |
|||
|前掲 |
|||
|1968年(昭和43年)12月13日改称 |
|||
|- |
|||
|上野 |
|||
|うわの |
|||
|富山県西礪波郡福光町土生新 |
|||
|1965年(昭和40年)9月11日開業 |
|||
|- |
|||
|立美 |
|||
|たてみ |
|||
|富山県西礪波郡福光町大字生新 |
|||
|1956年(昭和31年)5月1日開業 |
|||
|- |
|||
|野口 |
|||
|前掲 |
|||
|前掲 |
|||
|前掲 |
|||
|- |
|||
|城端 |
|||
|前掲 |
|||
|前掲 |
|||
|前掲 |
|||
|} |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|+上砂子谷 - 土山 - 福光西町間 |
|||
!駅名 |
|||
!訓 |
|||
!位置 |
|||
!備考 |
|||
|- |
|||
|上砂子谷 |
|||
|かみすなこだに |
|||
|既設駅 |
|||
|前掲 |
|||
|- |
|||
|土山 |
|||
|どやま |
|||
|富山県西礪波郡福光町大字土山 |
|||
|1959年(昭和34年)4月12日開業 |
|||
|- |
|||
|小又西口 |
|||
|おまたにしぐち |
|||
|富山県西礪波郡福光町大字小又 |
|||
|1959年(昭和34年)4月12日開業 |
|||
|- |
|||
|小又東口 |
|||
|おまたひがしぐち |
|||
|富山県西礪波郡福光町大字小又東口 |
|||
|1959年(昭和34年)4月12日開業、1986年(昭和61年)12月11日削除 |
|||
|- |
|||
|湯谷温泉口 |
|||
|ゆだにおんせんぐち |
|||
|富山県西礪波郡福光町大字湯谷 |
|||
|1959年(昭和34年)4月12日開業、1986年(昭和61年)12月11日削除 |
|||
|- |
|||
|法林寺温泉 |
|||
|ほうりんじおんせん |
|||
|富山県西礪波郡福光町法林寺 |
|||
|1974年(昭和49年)12月11日開業、1986年(昭和61年)12月11日削除 |
|||
|- |
|||
|法林寺 |
|||
|ほうりんじ |
|||
|富山県西礪波郡福光町大字湯谷 |
|||
|1959年(昭和34年)4月12日開業、1986年(昭和61年)12月11日削除 |
|||
|- |
|||
|福光西町 |
|||
|ふくみつにしまち |
|||
|前掲 |
|||
|1963年(昭和38年)1月10日開業と同時に、福光東町駅に代り同区間の終点となる。1986年(昭和61年)12月11日同区間より削除。 |
|||
|- |
|||
|福光東町 |
|||
|ふくみつひがしまち |
|||
|既設 |
|||
|上砂小谷駅 - 同駅間開業と同時に同区間の終点となる。1963年(昭和38年)1月10日廃止。 |
|||
|} |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|+湯谷温泉口 - 国見ヒユツテ間(1986年(昭和61年)12月11日削除) |
|||
!駅名 |
|||
!訓 |
|||
!位置 |
|||
!備考 |
|||
|- |
|||
|湯谷温泉口 |
|||
|ゆだにおんせんぐち |
|||
|既設駅 |
|||
|前掲 |
|||
|- |
|||
|朴坂峠 |
|||
|ほうさかとうげ |
|||
|富山県西礪波郡福光町 |
|||
|1966年(昭和41年)5月18日開業 |
|||
|- |
|||
|機平 |
|||
|はたごだいら |
|||
|富山県西礪波郡福光町大字山本 |
|||
|1966年(昭和41年)5月18日開業 |
|||
|- |
|||
|石楠花谷 |
|||
|しゃくなげだい |
|||
|富山県西礪波郡福光町大字天神 |
|||
|1966年(昭和41年)5月18日開業 |
|||
|- |
|||
|国見ヒユツテ |
|||
|くにみひゅって |
|||
|富山県西礪波郡福光町大字小阪 |
|||
|1966年(昭和41年)5月18日開業 |
|||
|} |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|+正ヶ洞 - 鷲見間(1985年(昭和60年)6月24日廃止) |
|||
!駅名 |
|||
!訓 |
|||
!位置 |
|||
!備考 |
|||
|- |
|||
|正ヶ洞 |
|||
|しょうがほら |
|||
|既設駅 |
|||
|既設駅 |
|||
|- |
|||
|鷲見 |
|||
|わしみ |
|||
|既設駅(白鷲線) |
|||
|既設駅(白鷲線) |
|||
|} |
|||
また、1986年(昭和61年)12月11日からは大日岳スキー場口 - 大日岳スキー場間が新設されている<ref name=":13" />。 |
|||
== さくら道 == |
== さくら道 == |
||
{{main|さくら道}} |
{{main|さくら道}} |
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名金急行線の車掌[[佐藤良二]]が[[御母衣ダム]]建設によって水没する集落の桜の木([[荘川桜]])が移植され見事に開花したことに感動し、名金急行線の沿線に桜の苗木を植え続けたことから「さくら道」の別名がある。 |
名金急行線の車掌[[佐藤良二]]が[[御母衣ダム]]建設によって水没する集落の桜の木([[荘川桜]])が移植され見事に開花したことに感動し、名金急行線の沿線に桜の苗木を植え続けたことから「さくら道」の別名がある<ref>「桜の木植え続けて2000本」、『日本経済新聞』朝刊24面、1993年(平成5年)5月17日、日本経済新聞社</ref><ref>「「桜の道夢見た車掌」映画に、来年1月公開」、『日本経済新聞』名古屋朝刊(21面)、1993年(平成5年)11月21日、日本経済新聞社</ref>。 |
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* [[ジェイアール東海バス]](JR東海バス) |
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== 脚注 == |
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* [https://web.archive.org/web/20020725093125/http://www.jrtbinm.co.jp:80/ ジェイアール東海バス] - ジェイアール東海バス(名金急行線を運行していた当時のサイトのアーカイブ) |
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2018年5月12日 (土) 02:50時点における版
名金急行線(めいきんきゅうこうせん)は、愛知県、岐阜県、富山県及び石川県において日本国有鉄道およびその後継会社である西日本旅客鉄道、東海旅客鉄道、西日本ジェイアールバス及びジェイアール東海バスないし名古屋鉄道により運行され、またはされていた自動車路線である。昭和24年日本国有鉄道公示第31号「国鉄自動車路線名称」においては名金線(めいきんせん)の部に属した[1]。
概要
名金急行線の概要
名金急行線は、1966年(昭和41年)12月1日より名古屋駅 - 金沢駅間等において日本国有鉄道の自動車路線として開業した[2][3]。この名金急行線は、それまでの金白北本線及び金白南本線を統合し、美濃白鳥駅 - 名古屋駅間を延伸開業させて成立させたものであって[2][3]、総延長は266.4キロメートルに及び、当時の日本国有鉄道の自動車路線として最長のものであった[4]。金沢駅 - 名古屋駅間においては名古屋鉄道と共同運行をしていた[5]。また、名金急行線には名古屋駅 - 金沢駅間のほか、1986年(昭和61年)12月10日現在においては、金沢駅 - 北安江駅間、堅田町駅 - 千谷口駅間、鳴和駅 - 小二又駅間、森本駅 - 才田駅間、鳴瀬駅 - 中尾駅間、千の杉駅 - 桐山駅間、高田駅 - 山王町2丁目駅 - 東長江駅間、荒田町島駅 - 城端駅間、福光駅 - 東太美駅 - 城端駅間、上砂子谷駅 - 土山駅 - 福光西町駅間、湯谷温泉口駅 - 国見ヒユツテ駅間の支線があった[6][7]。また、昭和24年日本国有鉄道公示第31号「国鉄自動車路線名称」において名金急行線と同じく名金線に属した路線には、太美山線、井波線、那留線、医王山線、白鷲線、石徹白南線があった[8]。
名金急行線開設の意義
中京経済圏の発展に伴う郡上・飛騨地方ならびに北陸地方との交流が年々増大する中にあって、これらの地方を直接的に結び付ける輸送機関がないという情勢に鑑み、同路線は沿線各地方の産業開発を促進するため、あるいは蛭ヶ野高原、白川郷、五箇山といった観光地に対する観光輸送を担う目的を以て開設された[4]。このような北陸地方と中京地方を結ぶ自動車路線は、戦前より求められていたものであって[9]、1947年(昭和22年)9月15日には東礪波郡城端町において行われた白城線期成促進大会において名古屋港と伏木港を結ぶ「中部日本横断の大動脈たる国鉄予定線白城線の実現を期す」ことが決議されている[10]。
金白線概要
この名金急行線の元となった路線の一つである金白北本線は、1935年(昭和10年)10月3日に金沢駅 - 古屋谷駅間において運輸営業を開始した金福線をその濫觴としている[11]。金福線は1939年(昭和14年)9月1日に福光駅にまで延伸され[12]、続いて1953年(昭和28年)12月30日に境川橋詰駅まで延伸開業されると同時に金白北線と改称された[13][14]。同路線は北陸本線金沢駅と城端線城端駅を結ぶ鉄道代行路線として、また城端から金白南線美濃白鳥駅を結ぶ鉄道短絡線としての使命を有すると同時に、地方産業文化の発展助命をも目的として運行が行われていた[15][16]。また、1955年(昭和30年)10月28日には金白北本線と改称されている[17]。なお、同線の一部区間においては、加越能鉄道と普通及び回数乗車券の相互乗車の取扱を行っていた[15]。
名金急行線の元となったもう一つの路線である金白南本線は、1933年(昭和8年)8月1日に美濃白鳥駅 - 牧戸駅間において運輸営業を開始した白城線をその濫觴としている[18][19]。白城線は1948年(昭和23年)3月16日に鳩ヶ谷駅にまで延伸され、続いて1953年(昭和28年)12月30日に境川橋詰駅まで延伸開業すると同時に金白南線と改称された[13][14]。同路線は越美南線美濃白鳥駅と城端線城端駅を結ぶ鉄道短絡線としての使命を有するほか、白川郷や五箇山を結ぶ観光輸送を担い、且つ地方産業文化の発展助命を目的として運行が行われていた[15]。また、1962年(昭和37年)10月15日には金白南本線と改称されている[20]。
また、金沢駅 - 美濃白鳥駅間においては自動車の車体に郵便差出箱を取り付け、郵便物の速達を図っていた[15]。このような移動郵便差出箱の制度は、山間地域を走行する国鉄自動車において実施されていた制度であって、各自動車線の中間駅において旅客の乗降等のために停車する場合に利用者が郵便物を投函することが認められていた[21]。
名金急行線の衰退と現状
如上の各自動車路線においては旅客輸送を行うほか、貨物や荷物の輸送も行われていたが、1976年(昭和51年)9月30日限りを以て美濃白鳥駅 - 向小駄良駅間において行われていた一般路線貨物自動車運送事業が廃止されると同時に貨物輸送はなくなり、1982年(昭和57年)4月1日に美濃白鳥駅における荷物取扱が廃止されると同時に名金急行線における荷物輸送はなくなった[22][23]。1979年(昭和54年)6月に鳩ヶ谷駅 - 福光駅間における運行が休止され、幾つかの支線が整理されるなど、旅客輸送も縮小を続けた[24][1]。それでも白川郷一帯をはじめとする沿線山間地域においては、貴重な公共交通機関であったという[25]。
1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化と同時に日本国有鉄道の名金急行線は東海旅客鉄道及び西日本旅客鉄道に移管され[26][27][28]、続いて1988年(昭和63年)4月1日より西日本ジェイアールバス及びジェイアール東海バスに継承された[29][30]。乗客の減少のため、1993年(平成5年)当時はジェイアール東海バスにおいては名古屋駅から大野郡白川村までを運行し、名古屋鉄道は夏から秋にかけての4ヶ月に限り全線を運行していたという[31]。名古屋鉄道は名金線(五箇山号)の運行を2000年(平成12年)9月を以て取り止め[32]、ジェイアール東海バスは2002年(平成14年)10月1日を以て名金線を廃止した[33][34]。2018年(平成30年)現在においては西日本ジェイアールバスが自治体の補助を受けながら、金沢駅 - 福光駅間に限り名金線の運行を継続している[35][36]。
沿革
- 1933年(昭和8年)8月1日 - 白城線美濃白鳥駅 - 牧戸駅間において運輸営業を開始する[18][19]。美濃白鳥駅及び牧戸駅においては一般運輸営業、前谷駅、正ヶ洞駅、西洞駅及び蛭ヶ野駅においては旅客、小荷物及び貨物を取扱い、その他の駅においては旅客に限り取扱を行う[19]。
- 1934年(昭和9年)
- 1935年(昭和10年)
- 1月11日 - 白城線は降雪期間中その全区間あるいは一部区間における運輸営業を休止する場合がある旨を告示する[41]。
- 4月15日 - 白城線古家駅及び中将駅において発送車扱貨物の取扱を開始する[42]。
- 5月17日 - 白城線野々俣駅において発送車扱貨物の取扱を開始する[43]。
- 10月3日 - 金福線金沢駅 - 古屋谷駅間において運輸営業を開始する[11]。金沢駅及び森本駅においては一般運輸営業、加賀宮野駅においては旅客、到着手荷物、小荷物、到着附随小荷物及び貨物、武蔵ヶ辻駅においては旅客、到着手荷物、到着附随小荷物ならびに金沢駅連絡及び発着の小荷物及び貨物を除く小荷物及び貨物を取扱い、その他の駅においては旅客に限り取扱を行う[11]。
- 1937年(昭和12年)
- 1938年(昭和13年)
- 1939年(昭和14年)
- 1940年(昭和15年)
- 1941年(昭和16年)
- 1942年(昭和17年)
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)
- 1947年(昭和22年)10月10日 - 白城線美濃白鳥駅 - 越前大谷駅間を大野線に移管する[61]。
- 1948年(昭和23年)
- 1月10日 - 白城線牧戸駅構内等に貨物取扱所を開設し、区間貨物運輸営業を開始する[62]。
- 3月16日- 白城線牧戸駅 - 鳩ヶ谷駅間において運輸営業を開始する[63]。鳩ヶ谷駅においては一般運輸営業、海上駅及び平瀬駅においては旅客、到着手荷物、小荷物及び貨物、秋町口駅においては旅客及び発送車扱貨物、その他の駅においては旅客に限り取扱を行う[63]。また、昭和22年運輸省告示第335号による区間貨物運輸営業は廃止する[63]。
- 9月21日 - 金福線古屋谷駅 - 加賀二俣駅間において運輸営業を開始する[64]。加賀二俣駅においては旅客、到着手荷物、小荷物及び貨物、その他の駅においては旅客に限り取扱を行う[64]。また、古屋谷駅における営業範囲を改正し、旅客に限り取扱を行う駅となる[65]。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)11月11日 - 金福線深谷鉱泉口駅 - 四王寺駅間において運輸営業を開始する[68]。新設の駅はいずれも旅客に限り取扱を行う[68]。
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)5月1日 - 金白北本線経塚駅 - 大西駅 - 野口駅間を廃止し、同線経塚駅 - 立美駅 - 野口駅間において運輸営業を開始する[86]。立美駅は旅客に限り取扱を行う[86]。
- 1957年(昭和32年)
- 4月12日 - 金白北本線四王寺駅 - 南千谷駅間において運輸営業を開始する[87]。新設の駅はいずれも旅客に限り取扱を行う[87]。
- 10月1日 - 金白北本線深谷鉱泉口駅を深谷温泉口駅、同線牧駅を牧温泉駅、金白南線陰地駅を恩地駅と改称する[88]。また、金白北本線加賀高坂駅及び福光西町駅を廃止する[89]。また、金白北本線砂子谷駅 - 蔵原口駅間に上砂子谷駅、同線定竜寺駅 - 福光駅間に福光東町駅、同線梨谷駅 - 小来栖駅間に田代駅、同線小来栖駅 - 見座駅間に来栖駅、同線下梨駅 - 上梨駅間に漆原駅、同線皆葎駅 - 細島駅間に小原発電所前駅、同線細島駅 - 新屋駅間に菅沼駅、金白南線平瀬駅 - 保木脇駅間に木谷口駅、恩地駅 - 牛道役場前駅間に牛道学校前駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する[90][91]。また、金白北本線福光東町駅の開業により、同線福光駅 - 城端駅間及び同線福光駅 - 越中吉見駅間の起点を福光駅から福光東町駅に改める[90][92]。また、金白南線牛道学校前駅 - 正ヶ洞駅間において運輸営業を開始する[93]。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う[93]。また、金白北本線神谷口駅及び不動寺駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる[94]。また、金白南線平瀬駅及び鳩ヶ谷駅における営業範囲を改正し、一般運輸営業の取扱を開始する[95]。
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 1962年(昭和37年)
- 2月10日 - 金白南線北濃駅、牧戸駅、正ヶ洞駅、蛭ヶ野駅、平瀬駅及び鳩ヶ谷駅における営業範囲を改正し、北濃駅は旅客、手荷物及び小荷物を取扱う駅に、牧戸駅、正ヶ洞駅、平瀬駅及び鳩ヶ谷駅は旅客、手荷物及び小荷物(ただし配達は行わない)を取扱う駅に、蛭ヶ野駅は旅客、到着手荷物及び小荷物(ただし配達は行わない)を取扱う駅になる[106]。
- 4月10日 - 金白北本線橋場町駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる[107]。
- 10月1日 - 金白南線美濃白鳥駅 - 牛道駅間における路線を四辻駅 - 牛道駅間に改め、美濃白鳥駅 - 四辻駅間は新設の那留線に移管する[108]。
- 10月15日 - 金白南線四辻駅 - 牛道駅間、同線牛道学校前駅 - 正ヶ洞駅間及び同線高鷲役場前駅 - 鷲見駅間を新設の白鷲線に移管し、美濃白鳥駅 - 成出駅間を金白南本線と改称する[20]。また、金白南本線飛騨中野駅、飛騨福島駅及び椿原駅を廃止する[109]。
- 11月10日 - 金白南本線向小駄良駅 - 鳩ヶ谷駅間における一般路線貨物自動車運送事業を廃止する[110]。
- 1963年(昭和38年)
- 1月10日 - 金白北本線福光東町駅を廃止し[111]、同線上砂子谷駅 - 土山駅 - 福光東町駅における終点を福光西町駅に、同線福光東町駅 - 経塚駅 - 城端駅間における起点を福光駅に変更する[112]。また、同線福光東町駅 - 越中吉見駅間及び福光東町駅 - 西太美駅間における起点を福光東町駅から福光駅に変更した上で、福光駅 - 越中吉見駅間及び福光駅 - 西太美駅間を太美山線、福光駅 - 小牧堰堤駅間を井波線と線路名称を定める[112]。また、金白北本線福光駅 - 開発駅間に福光高校前駅、大鋸屋駅 - 越中瀬戸口駅間に越中中尾駅、細尾峠駅 - 梨谷駅間に道谷駅、田代駅 - 小来栖駅間に上松尾駅、菅沼駅 - 新屋駅間に上中田駅、西赤尾駅 - 境川橋詰駅間に楮橋詰駅、境川橋詰駅 - 成出駅間に小白川駅が開業する[113]。また、金白北本線切山駅を桐山駅と改称する[114]。
- 8月7日 - 金白南本線新開地駅を蛭ヶ野温泉駅、飛騨福島駅を御母衣ダム駅と改称する[115]。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)
- 7月1日 - 金白北本線地代駅を廃止する[119]。また、同線小森谷口駅 - 定竜寺駅間に川合田温泉駅、四王寺駅 - 加賀朝日駅間に千の杉駅が開業する[120]。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う[120]。
- 9月11日 - 金白北本線深谷元ノ湯駅を深谷元湯駅に改称する[121]。また、同線飛野駅を廃止する[122]。また、同線繩蔵駅 - 城端駅間に細木駅、福光駅 - 越中高宮駅間に天神町駅、越中高宮駅 - 経塚駅間に矢留口駅、経塚駅 - 立美駅間に上野駅が開業する[123]。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う[123]。
- 12月2日 - 金白北本線千の杉駅 - 桐山駅間において運輸営業を開始する[124]。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う[124]。
- 1966年(昭和41年)
- 3月1日 - 金白南本線蛭ヶ野駅を蛭ヶ野高原駅と改称する[125]。また、金白南本線北濃太田駅、北濃学校前駅、古家駅、釜ヶ洞口駅、岩瀬駅、秋町口駅、保木脇駅、大牧駅及び椿原堰堤前駅を廃止する[126]。また、金白南本線向小駄良駅 - 北濃駅間に北濃中切駅及び北濃長滝駅、神道駅 - 正ヶ洞駅間に鮎走駅、西洞駅 - 蛭ヶ野高原駅間に折立道駅、牧戸駅 - 海上駅間に落部口駅、御母衣駅 - 平瀬駅間に大白川口駅、木谷口駅 - 野谷駅間に保木脇口駅、野谷駅 - 萩町駅間に馬狩口駅、飛騨下田駅 - 芦倉駅間に椿原駅が開業する[127]。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う[127]。
- 5月18日 - 金白北本線湯谷温泉口駅 - 国見ヒユツテ駅間において運輸営業を開始する[128]。ただし、運行期日については中部地方自動車事務所長が定める[128]。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う[128]。
- 12月1日 - 金白北本線及び金白南線を統合して名金急行線と改称する[2]。また、名金急行線美濃白鳥駅 - 名古屋駅間において運輸営業を開始する[3]。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う[3]。また、落部口駅 - 海上駅間に飛騨中野駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する[129]。また、自動車線共通乗車規則(昭和33年日本国有鉄道公示第78号)に名古屋鉄道を追加し、名古屋駅 - 金沢駅間において共同運行を開始する[130][5]。
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)6月19日 - 大白川口駅を白山登山口駅、保木脇口駅を保木脇駅と改称する[135]。
- 1970年(昭和45年)12月15日 - 正ヶ洞駅、牧戸駅、平瀬駅及び鳩ヶ谷駅における営業範囲を改正し、旅客、手荷物及び小荷物(ただし代金引換の取扱及び配達はしない)を取扱う駅となる[136]。
- 1972年(昭和47年)
- 1974年(昭和49年)
- 3月17日 - 蛭ヶ野温泉駅を蛭ヶ野新開地駅と改称する[140]。また、北濃中切駅 - 北濃長滝駅間に北濃学校前駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する[141]。
- 6月25日 - 同日限りを以て上松尾駅及び田代駅を廃止する[142]。
- 10月1日 - 美濃白鳥駅、正ヶ洞駅、平瀬駅、牧戸駅及び鳩ヶ谷駅における営業範囲を改正し、旅客及び荷物を取扱う駅となる[143]。
- 12月11日 - 法林寺駅 - 湯谷温泉口駅間に法林寺温泉駅、森本駅 - 大場駅間に森本支所前駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する[144]。
- 12月13日 - 向小駄良駅 - 北濃中切駅間に北濃下田駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する[145]。
- 1975年(昭和50年)11月14日 - 東長江駅 - 牧温泉駅間に夕日寺駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する[146]。
- 1976年(昭和51年)9月30日 - 同日限りを以て美濃白鳥駅 - 向小駄良駅間における一般路線貨物自動車運送事業を廃止する[22]。
- 1977年(昭和52年)12月1日 - 南千谷駅 - 千谷口駅間において運輸営業を開始する[147]。千谷口駅においては旅客に限り取扱を行う[147]。桐山駅 - 中尾駅間に千谷口駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する[148]。
- 1979年(昭和54年)
- 1980年(昭和55年)
- 1982年(昭和57年)4月1日 - 美濃白鳥駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる[23]。
- 1983年(昭和58年)7月1日 - 正ヶ洞駅 - 鷲見駅間において運輸営業を開始する[152]。
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道及び東海旅客鉄道が発足し、各社管轄区間の旧国鉄自動車線を継承する[26][27][28]。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 西日本ジェイアールバス及びジェイアール東海バスが、各旅客鉄道の自動車事業を継承する[30][29]。
- 1994年(平成6年)9月30日 - 西日本ジェイアールバスが砂子谷 - 小又西口間(土山線)を廃止する[156]。
- 2000年(平成12年)
- 2002年(平成14年)10月1日 - ジェイアール東海バスが名金線を廃止し、同日より岐阜乗合自動車が一部区間の代替運行を開始する[34][33]。
- 2007年(平成19年)8月28日 - 石川県が名金線(金沢 - 福光間)を国や県の補助対象となる生活交通路線として承認する[35]。
駅一覧
以下の表における所在地等の記述はその駅が自動車駅として開業した当時における告示あるいは公示の表記によるものであり、且つ国有鉄道時代の停車場に限る。一般に国鉄自動車線には停車場(駅)の他に旅客取扱を行う乗降場を設けている場合があるが[159]、下記の表に乗降場は含めていない。また、太美山線、井波線、那留線、医王山線、白鷲線及び大野線に移管された区間についても下記の表には含めていない。
駅名 | 訓 | 位置 | 備考 |
---|---|---|---|
名古屋 | なごや | 既設停車場 | 既設駅(但し本線の駅としては1966年(昭和41年)12月1日開業) |
尾張一宮駅前 | おわりいちのみやえきまえ | 愛知県一宮市千歳通り | 1966年(昭和41年)12月1日開業 |
岐阜駅前 | ぎふえきまえ | 岐阜県岐阜市吉野町 | 1966年(昭和41年)12月1日開業 |
小屋名 | おやな | 岐阜県関市大字小金田 | 1966年(昭和41年)12月1日開業 |
美濃市役所前 | みのしやくしょまえ | 岐阜県美濃市殿町 | 1966年(昭和41年)12月1日開業 |
郡上八幡駅前 | ぐじょうはちまんえきまえ | 岐阜県郡上郡八幡町大字稲荷 | 1966年(昭和41年)12月1日開業 |
美濃弥富駅前 | みのやとみえきまえ | 既設停車場 | 既設駅(但し本線の駅としては1966年(昭和41年)12月1日開業) |
美濃白鳥 | みのしろとり | 既設停車場 | 既設駅(但し本線の駅としては1933年(昭和8年)8月1日開業) |
向小駄良 | むかいこだら | 岐阜県郡上郡北濃村大字向小駄良 | 1933年(昭和8年)8月1日開業 |
北濃下田 | ほくのしもだ | 岐阜県郡上郡北濃村大字二日町 | 1933年(昭和8年)8月1日開業、1951年(昭和26年)11月1日廃止 |
北濃太田 | ほくのうおおた | 岐阜県郡上郡北濃村大字二日町 | 1951年(昭和26年)11月1日開業、1966年(昭和41年)3月1日廃止 |
北濃中切 | ほくのなかぎり | 岐阜県郡上郡北濃村大字二日町 | 1933年(昭和8年)8月1日開業、1951年(昭和26年)11月1日廃止 |
北濃中切 | ほくのうなかぎり | 岐阜県郡上郡白鳥町大字二日町 | 1966年(昭和41年)3月1日再開業 |
北濃学校前 | ほくのがっこうまえ | 岐阜県郡上郡北濃村大字二日町 | 1933年(昭和8年)8月1日開業、1951年(昭和26年)11月1日廃止 |
北濃学校前 | ほくのうがっこうまえ | 岐阜県郡上郡白鳥町二日町 | 1974年(昭和49年)3月17日再開業 |
北濃長滝 | ほくのながたき | 岐阜県郡上郡北濃村大字長滝 | 1933年(昭和8年)8月1日開業、1944年(昭和19年)4月20日廃止 |
北濃長滝 | ほくのうながたき | 岐阜県郡上郡白鳥町大字長滝 | 1966年(昭和41年)3月1日再開業 |
毘沙門橋 | びしゃもんはし | 岐阜県郡上郡北濃村長滝 | 1933年(昭和8年)8月1日開業、1934年(昭和9年)8月16日廃止 |
北濃 | ほくのう | 既設駅 | 越美南線の駅として開業と同時に本線の駅としても開業 |
歩岐島 | ほきじま | 岐阜県郡上郡北濃村大字歩岐島 | 1933年(昭和8年)8月1日開業 |
前谷 | まえだに | 岐阜県郡上郡北濃村大字前谷 | 1933年(昭和8年)8月1日開業 |
小洞橋 | こぼらはし | 岐阜県郡上郡高鷲村大字鮎立 | 1933年(昭和8年)8月1日開業、1951年(昭和26年)11月1日廃止 |
神道 | こうどう | 岐阜県郡上郡高鷲村大字鮎立 | 1933年(昭和8年)8月1日開業 |
古家 | ふるや | 岐阜県郡上郡高鷲村大字鮎立 | 1933年(昭和8年)8月1日開業、1966年(昭和41年)3月1日廃止 |
鮎走 | あゆばしり | 岐阜県郡上郡高鷲村大字鮎立 | 1966年(昭和41年)3月1日開業 |
正ヶ洞 | しょうがほら | 岐阜県郡上郡高鷲村大字大鷲 | 1933年(昭和8年)8月1日開業 |
穴洞 | あなぼら | 岐阜県郡上郡高鷲村大字大鷲 | 1933年(昭和8年)8月1日開業、1944年(昭和19年)4月20日廃止 |
中将 | ちゅうじょう | 岐阜県郡上郡高鷲村大字西洞 | 1933年(昭和8年)8月1日開業 |
大日岳スキー場口 | だいにちだけすきいじょうぐち | 岐阜県郡上郡高鷲村大字西洞 | 1933年(昭和8年)8月1日開業、1979年(昭和54年)1月1日改称 |
折立道 | おりたてみち | 岐阜県郡上郡高鷲村大字西洞 | 1933年(昭和8年)8月1日開業、1944年(昭和19年)3月1日廃止 |
折立道 | おりたてみち | 岐阜県郡上郡高鷲村大字西洞 | 1966年(昭和41年)3月1日再開業 |
釜ヶ洞口 | かまがほらぐち | 岐阜県郡上郡高鷲村大字西洞 | 1933年(昭和8年)8月1日開業、1966年(昭和41年)3月1日廃止 |
蛭ヶ野高原 | ひるがのこうげん | 岐阜県郡上郡高鷲村大字西洞 | 1933年(昭和8年)8月1日開業、1966年(昭和41年)3月1日改称 |
蛭ヶ野スキー場駅 | ひるがのすきいじょう | 岐阜県郡上郡高鷲村大字西洞 | 1967年(昭和42年)9月10日開業、1979年(昭和54年)1月1日改称 |
蛭ヶ野新開地 | ひるがのしんかいち | 岐阜県郡上郡高鷲村大字西洞 | 1933年(昭和8年)8月1日開業、1963年(昭和38年)8月7日改称、1974年(昭和49年)3月17日改称 |
御手洗 | みたらい | 岐阜県大野郡荘川村大字野々俣 | 1933年(昭和8年)8月1日開業 |
野々俣 | ののまた | 岐阜県郡上郡荘川村大字野々俣 | 1933年(昭和8年)8月1日開業 |
滝ヶ野 | たきがの | 岐阜県大野郡荘川村大字野々俣 | 1933年(昭和8年)8月1日開業、1944年(昭和19年)4月20日廃止 |
牧戸 | まきと | 岐阜県大野郡荘川村大字牧戸 | 1933年(昭和8年)8月1日開業 |
岩瀬 | いわせ | 岐阜県大野郡荘川村大字岩瀬 | 1948年(昭和23年)3月16日開業、1966年(昭和41年)3月1日廃止 |
落部口 | おちべぐち | 岐阜県大野郡荘川村大字岩瀬 | 1966年(昭和41年)3月1日開業 |
飛騨中野 | ひだなかの | 岐阜県大野郡荘川村大字中野 | 1948年(昭和23年)3月16日開業、1962年(昭和37年)10月15日廃止 |
飛騨中野 | ひだなかの | 岐阜県大野郡荘川村大字中野 | 1966年(昭和41年)12月1日再開業 |
海上 | かいじょう | 岐阜県大野郡荘川村大字海上 | 1948年(昭和23年)3月16日開業 |
秋町口 | あきまちぐち | 岐阜県大野郡白川村大字秋町 | 1948年(昭和23年)3月16日開業、1966年(昭和41年)3月1日廃止 |
御母衣ダム | みぼろだむ | 岐阜県大野郡白川村大字福島 | 1948年(昭和23年)3月16日開業、1963年(昭和38年)8月7日改称 |
御母衣 | みぼろ | 岐阜県大野郡白川村大字御母衣 | 1948年(昭和23年)3月16日開業 |
白山登山口 | はくさんとざんぐち | 岐阜県大野郡白川村大字御母衣 | 1966年(昭和41年)3月1日開業、1969年(昭和44年)6月19日改称 |
平瀬 | ひらせ | 岐阜県大野郡白川村大字平瀬 | 1948年(昭和23年)3月16日開業 |
木谷口 | きたにぐち | 岐阜県大野郡白川村大字木谷 | 1957年(昭和32年)10月1日開業 |
保木脇 | ほきわき | 岐阜県大野郡白川村大字保木脇 | 1948年(昭和23年)3月16日開業、1966年(昭和41年)3月1日廃止 |
保木脇 | ほきわき | 岐阜県大野郡白川村大字保木脇 | 1966年(昭和41年)3月1日開業、1969年(昭和44年)6月19日改称 |
野谷 | のだに | 岐阜県大野郡白川村大字野谷 | 1948年(昭和23年)3月16日開業 |
大牧 | おおまき | 岐阜県大野郡白川村大字大牧 | 1948年(昭和23年)3月16日開業、1966年(昭和41年)3月1日廃止 |
馬狩口 | まがりぐち | 岐阜県大野郡白川村大字牧 | 1966年(昭和41年)3月1日開業 |
萩町 | はぎまち | 岐阜県大野郡白川村大字萩町 | 1948年(昭和23年)3月16日開業 |
鳩ヶ谷 | はとがや | 岐阜県大野郡白川村大字鳩ヶ谷 | 1948年(昭和23年)3月16日開業 |
飛騨飯島 | ひだいいじま | 岐阜県大野郡白川村大字飯島 | 1953年(昭和28年)12月30日開業、1962年(昭和37年)10月15日廃止 |
飛騨下田 | ひだしもだ | 岐阜県大野郡白川村大字下田 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
椿原堰堤前 | つばきはらえんていまえ | 岐阜県大野郡白川村大字椿原 | 1953年(昭和28年)12月30日開業、1966年(昭和41年)3月1日廃止 |
椿原 | つばきはら | 岐阜県大野郡白川村大字椿原 | 1953年(昭和28年)12月30日開業、1962年(昭和37年)10月15日廃止 |
椿原 | つばきばら | 岐阜県大野郡白川村大字鳩ヶ谷 | 1966年(昭和41年)3月1日再開業 |
芦倉 | あしくら | 岐阜県大野郡白川村大字芦倉 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
成出 | なるで | 岐阜県大野郡白川村大字小白川 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
小白川 | こしらかわ | 岐阜県大野郡白川村大字小白川 | 1963年(昭和38年)1月10日開業 |
境川橋詰 | さかいがわはしづめ | 富山県東礪波郡上平村大字西赤尾 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
楮橋詰 | こうずはしずめ | 富山県東礪波郡上平村大字楮 | 1963年(昭和38年)1月10日開業 |
西赤尾 | にしあかお | 富山県東礪波郡上平村大字西赤尾 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
新屋 | あたらしや | 富山県東礪波郡上平村大字新屋 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
上中田 | かみなかだ | 富山県東礪波郡上平村大字上中田 | 1963年(昭和38年)1月10日開業 |
菅沼 | すがぬま | 富山県東礪波郡上平村大字菅沼 | 1957年(昭和32年)10月1日開業 |
細島 | ほそじま | 富山県東礪波郡上平村大字細島 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
小原発電所前 | おはらはつでんしょまえ | 富山県東礪波郡上平村大字小原 | 1957年(昭和32年)10月1日開業 |
皆葎 | かいぐら | 富山県東礪波郡上平村大字皆葎 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
上梨 | かみなし | 富山県東礪波郡平村大字上梨 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
漆原 | うるしばら | 富山県東礪波郡平村大字下梨 | 1957年(昭和32年)10月1日開業 |
下梨 | しもなし | 富山県東礪波郡平村大字下梨 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
見座 | みざ | 富山県東礪波郡平村大字見座 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
来栖 | くるす | 富山県東礪波郡平村大字来栖 | 1957年(昭和32年)10月1日開業 |
小来栖 | おぐるす | 富山県東礪波郡平村大字松尾 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
上松尾 | かみまつお | 富山県東礪波郡平村大字上松尾 | 1963年(昭和38年)1月10日開業、1974年(昭和49年)6月26日廃止 |
田代 | たしろ | 富山県東礪波郡平村大字田代 | 1957年(昭和32年)10月1日開業、1974年(昭和49年)6月26日廃止 |
梨谷 | なしだに | 富山県東礪波郡平村大字梨谷 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
道谷 | どうたに | 富山県東礪波郡平村大字相倉 | 1963年(昭和38年)1月10日開業 |
細尾峠 | ほそおとうげ | 富山県東礪波郡城端町大字上田 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
越中瀬戸口 | えっちゅうせとぐち | 富山県東礪波郡城端町大字大谷島 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
越中中尾 | えっちゅうなかお | 富山県東礪波郡城端町大字中尾 | 1963年(昭和38年)1月10日開業 |
大鋸屋 | おおがや | 富山県東礪波郡城端町大字大鋸屋 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
荒田町島 | あらたまちじま | 富山県東礪波郡城端町大字荒田町島 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
城端広小路 | じょうはなひろこうじ | 富山県東礪波郡城端町大字荒田町島 | 1953年(昭和28年)12月30日開業、1972年(昭和47年)5月1日廃止 |
城端 | じょうはな | 既設停車場 | 既設駅(但し本線の駅としては1953年(昭和28年)12月30日開業) |
細木 | ほそぎ | 富山県東礪波郡城端町大字細木 | 1965年(昭和40年)9月11日開業 |
繩蔵 | なわくら | 富山県西礪波郡福光町大字繩蔵 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
越中高宮 | えっちゅうたかみや | 富山県西礪波郡福光町大字高宮 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
天神町 | てんじんまち | 富山県西礪波郡福光町大字福光町 | 1965年(昭和40年)9月11日開業 |
福光 | ふくみつ | 既設停車場 | 既設駅(但し本線の駅としては1939年(昭和14年)9月1日開業) |
福光西町 | ふくみつにしまち | 富山県西礪波郡福光町 | 1939年(昭和14年)9月1日開業、1957年(昭和32年)10月1日廃止 |
福光西町 | ふくみつにしまち | 富山県西礪波郡福光町大字福光町 | 1963年(昭和38年)1月10日再開業 |
福光東町 | ふくみつひがしまち | 富山県西礪波郡福光町 | 1957年(昭和32年)10月1日開業、1963年(昭和38年)1月10日廃止 |
中ノ江 | なかのえ | 富山県西礪波郡石黒村大字中ノ江 | 1939年(昭和14年)9月1日開業、1944年(昭和19年)4月20日廃止 |
定竜寺 | じょうりゅうじ | 富山県西礪波郡石黒村大字定竜寺 | 1939年(昭和14年)9月1日開業 |
川合田 | かわいだ | 富山県西礪波郡石黒村大字川合田 | 1939年(昭和14年)9月1日開業、1944年(昭和19年)3月1日廃止 |
川合田温泉 | かわいだおんせん | 富山県西礪波郡福光町大字川合田 | 1965年(昭和40年)7月1日開業 |
小森谷口 | こもりだにぐち | 富山県西礪波郡石黒村大字遊部 | 1939年(昭和14年)9月1日開業 |
東蔵原 | ひがしくらはら | 富山県西礪波郡南蟹谷村大字蔵原 | 1939年(昭和14年)9月1日開業、1944年(昭和19年)3月1日廃止 |
蔵原口 | くらはらぐち | 富山県西礪波郡南蟹谷村大字蔵原 | 1939年(昭和14年)9月1日開業 |
上砂子谷 | かみすなこたに | 富山県西礪波郡南蟹谷村砂子谷 | 1939年(昭和14年)9月1日開業、1944年(昭和19年)4月20日廃止 |
上砂子谷 | かみすなこだに | 富山県西礪波郡福光町大字砂子谷 | 1957年(昭和32年)10月1日開業 |
砂子谷 | すなこたに | 富山県西礪波郡南蟹谷村砂子谷 | 1939年(昭和14年)9月1日開業 |
鳥越 | とりごえ | 富山県西礪波郡南蟹谷村砂子谷 | 1939年(昭和14年)9月1日開業、1944年(昭和19年)3月1日廃止 |
高窪 | たかくぼ | 富山県西礪波郡南蟹谷村大字高窪 | 1939年(昭和14年)9月1日開業 |
総平 | そうだいら | 石川県河北郡三谷村大字東原脇原 | 1938年(昭和13年)6月30日開業 |
東原 | ひがしはら | 石川県河北郡三谷村大字東原脇原 | 1938年(昭和13年)6月30日開業 |
竹又 | たけまた | 石川県河北郡三谷村大字竹又 | 1938年(昭和13年)6月30日開業 |
加賀清水谷 | かがしみずだに | 石川県河北郡三谷村大字清水谷 | 1938年(昭和13年)6月30日開業 |
古屋谷 | ふるやだに | 石川県河北郡三谷村大字高坂 | 1935年(昭和10年)10月3日開業 |
加賀高坂 | かがたかさか | 石川県河北郡三谷村大字高坂 | 1937年(昭和12年)6月1日開業、1957年(昭和32年)10月1日廃止 |
加賀宮野 | かがみやの | 石川県河北郡三谷村大字宮野 | 1935年(昭和10年)10月3日開業 |
鳴瀬 | ならせ | 石川県河北郡三谷村大字不動寺 | 1935年(昭和10年)10月3日開業 |
不動寺 | ふどうじ | 石川県河北郡三谷村大字不動寺 | 1935年(昭和10年)10月3日開業 |
堅田町 | かただまち | 石川県河北郡三谷村大字堅田 | 1935年(昭和10年)10月3日開業、1957年(昭和32年)10月1日改称、1972年(昭和47年)5月1日改称 |
森本 | もりもと | 既設停車場 | 既設駅(但し本線の駅としては1935年(昭和10年)10月3日開業) |
法光寺 | ほうこうじ | 石川県金沢市法光寺町 | 1937年(昭和12年)6月1日開業 |
神谷内 | かみやち | 石川県金沢市神谷内町 | 1937年(昭和12年)6月1日開業、1944年(昭和19年)3月1日廃止 |
東金沢駅口 | ひがしかなざわえきぐち | 石川県金沢市小坂町 | 1937年(昭和12年)6月1日開業 |
鳴和 | なるわ | 石川県金沢市鳴和町 | 1968年(昭和43年)12月15日開業 |
小坂神社前 | おさかじんじゃまえ | 石川県金沢市山ノ上町三丁目 | 1935年(昭和10年)10月3日開業 |
橋場町 | はしばまち | 石川県金沢市橋場町 | 1935年(昭和10年)10月3日開業 |
武蔵ヶ辻 | むさしがつじ | 石川県金沢市青草町 | 1935年(昭和10年)10月3日開業 |
金沢 | かなざわ | 既設停車場 | 既設駅(但し本線の駅としては1935年(昭和10年)10月3日開業) |
駅名 | 訓 | 位置 | 備考 |
---|---|---|---|
金沢 | かなざわ | 既設駅 | 前掲 |
北安江 | きたやすえ | 石川県金沢市北安江町 | 1959年(昭和34年)10月5日開業 |
ただし金沢 - 北安江間は、1986年(昭和61年)12月11日より金沢 - 広岡間と改められた[1]。
駅名 | 訓 | 位置 | 備考 |
---|---|---|---|
堅田町 | かただまち | 既設駅 | 前掲 |
深谷元湯 | ふかたにもとゆ | 石川県河北郡三谷村大字深谷 | 1950年(昭和25年)11月11日開業、1965年(昭和40年)9月11日改称 |
四王寺 | しおうじ | 石川県河北郡三谷村大字四王寺 | 1950年(昭和25年)11月11日開業 |
地代 | じだい | 石川県河北郡森本町大字地代 | 1957年(昭和32年)4月12日開業、1965年(昭和40年)7月1日廃止 |
千の杉 | せんのすぎ | 石川県金沢市千の杉町 | 1965年(昭和40年)7月1日開業 |
加賀朝日 | かがあさひ | 石川県河北郡森本町大字朝日 | 1957年(昭和32年)4月12日開業 |
南千谷 | みなみせんごく | 石川県河北郡森本町大字南千谷 | 1957年(昭和32年)4月12日開業 |
千谷口 | せんごくぐち | 石川県金沢市今泉町 | 1977年(昭和52年)12月1日開業 |
駅名 | 訓 | 位置 | 備考 |
---|---|---|---|
鳴和 | 前掲 | 前掲 | 1968年(昭和43年)12月15日に開業と同時に同区間の起点となる。 |
小坂神社前 | おさかじんじゃまえ | 既設駅 | 前掲 |
大樋町 | おおひまち | 石川県金沢市大字御所町 | 1952年(昭和27年)8月15日開業 |
星稜高校前 | せいりょうこうこうまえ | 石川県金沢市御所町 | 1964年(昭和39年)4月1日開業 |
東長江 | ひがしながえ | 石川県金沢市大字東長江町 | 1952年(昭和27年)8月15日開業 |
夕日寺 | ゆうひでら | 石川県金沢市夕日寺町 | 1975年(昭和50年)11月14日開業 |
牧温泉 | まきおんせん | 石川県金沢市大字牧町 | 1952年(昭和27年)8月15日開業、1957年(昭和32年)10月1日改称 |
小二又 | こふたまた | 石川県金沢市大字小二又町 | 1952年(昭和27年)8月15日開業 |
駅名 | 訓 | 位置 | 備考 |
---|---|---|---|
森本 | もりもと | 既設駅 | 前掲 |
森本支所前 | もりもとししょまえ | 石川県金沢市南森本町 | 1974年(昭和49年)12月11日開業 |
大場 | おおば | 石川県河北郡森本町大字大場 | 1958年(昭和33年)2月1日開業 |
加賀八田 | かがはつた | 石川県河北郡森本町大字八田 | 1958年(昭和33年)2月1日開業 |
才田 | さいだ | 石川県河北郡森本町大字才田 | 1958年(昭和33年)2月1日開業 |
ただし森本 - 才田間は、1986年(昭和61年)12月11日より森本 - 才田 - 八田間と改められた[1]。
駅名 | 訓 | 位置 | 備考 |
---|---|---|---|
鳴瀬 | なるせ | 既設駅 | 前掲 |
桐山 | きりやま | 石川県河北郡森本町大字切山 | 1961年(昭和36年)5月1日開業、1963年(昭和38年)1月10日改称 |
朝日牧 | あさひまき | 石川県河北郡森本町大字小池 | 1961年(昭和36年)5月1日開業 |
今泉 | いまいずみ | 石川県河北郡森本町大字今泉 | 1961年(昭和36年)5月1日開業 |
中尾 | なかお | 石川県河北郡森本町大字中尾 | 1961年(昭和36年)5月1日開業 |
駅名 | 訓 | 所在地 | 備考 |
---|---|---|---|
千の杉 | せんのすぎ | 既設駅 | 前掲 |
小池 | こいけ | 石川県金沢市小池町 | 1965年(昭和40年)12月2日開業 |
桐山 | きりやま | 既設駅 | 前掲 |
駅名 | 訓 | 所在地 | 備考 |
---|---|---|---|
高田 | たかだ | 既設駅 | 既設駅 |
山王町2丁目 | さんのうちょうにちょうめ | 石川県金沢市山王町2丁目 | 1985年(昭和60年)12月20日開業 |
東長江 | ひがしながえ | 既設駅 | 既設駅 |
駅名 | 訓 | 位置 | 備考 |
---|---|---|---|
荒田町島 | あらたまちじま | 既設駅 | 前掲 |
城端 | じょうはな | 既設駅 | 前掲 |
駅名 | 訓 | 位置 | 備考 |
---|---|---|---|
福光 | ふくみつ | 既設駅 | 前掲 |
越中高宮 | えっちゅうたかみや | 富山県西礪波郡福光町大字高宮 | 1953年(昭和28年)12月30日開業 |
飛野 | とびの | 富山県西礪波郡吉江村大字飛野 | 1952年(昭和27年)10月18日開業 |
経塚 | きょうづか | 富山県西礪波郡東太美村大字経塚 | 1952年(昭和27年)10月18日開業 |
大西 | おおにし | 富山県西礪波郡東太美村大字大西 | 1952年(昭和27年)10月18日開業 |
野口 | のぐち | 富山県東礪波郡南山田村大字野口 | 1952年(昭和27年)10月18日開業 |
城端 | じょうはな | 既設駅 | 前掲 |
駅名 | 訓 | 位置 | 備考 |
---|---|---|---|
福光 | 前掲 | 前掲 | 1957年(昭和32年)10月1日より同区間に含まず。1963年(昭和38年)1月10日より再び同区間の起点となる。 |
福光東町 | 前掲 | 前掲 | 1957年(昭和32年)10月1日に開業と同時に福光駅に代り同区間の起点となる。1963年(昭和38年)1月10日廃止。 |
天神町 | てんじんまち | 富山県西礪波郡福光町福光町 | 1965年(昭和40年)9月11日開業 |
越中高宮 | 前掲 | 前掲 | 前掲 |
飛野 | 前掲 | 前掲 | 1965年(昭和40年)9月11日廃止 |
殿口 | とのぐち | 富山県西礪波郡福光町殿 | 1965年(昭和40年)9月11日開業、1968年(昭和43年)12月13日改称 |
東太美 | ひがしふとみ | 前掲 | 1968年(昭和43年)12月13日改称 |
上野 | うわの | 富山県西礪波郡福光町土生新 | 1965年(昭和40年)9月11日開業 |
立美 | たてみ | 富山県西礪波郡福光町大字生新 | 1956年(昭和31年)5月1日開業 |
野口 | 前掲 | 前掲 | 前掲 |
城端 | 前掲 | 前掲 | 前掲 |
駅名 | 訓 | 位置 | 備考 |
---|---|---|---|
上砂子谷 | かみすなこだに | 既設駅 | 前掲 |
土山 | どやま | 富山県西礪波郡福光町大字土山 | 1959年(昭和34年)4月12日開業 |
小又西口 | おまたにしぐち | 富山県西礪波郡福光町大字小又 | 1959年(昭和34年)4月12日開業 |
小又東口 | おまたひがしぐち | 富山県西礪波郡福光町大字小又東口 | 1959年(昭和34年)4月12日開業、1986年(昭和61年)12月11日削除 |
湯谷温泉口 | ゆだにおんせんぐち | 富山県西礪波郡福光町大字湯谷 | 1959年(昭和34年)4月12日開業、1986年(昭和61年)12月11日削除 |
法林寺温泉 | ほうりんじおんせん | 富山県西礪波郡福光町法林寺 | 1974年(昭和49年)12月11日開業、1986年(昭和61年)12月11日削除 |
法林寺 | ほうりんじ | 富山県西礪波郡福光町大字湯谷 | 1959年(昭和34年)4月12日開業、1986年(昭和61年)12月11日削除 |
福光西町 | ふくみつにしまち | 前掲 | 1963年(昭和38年)1月10日開業と同時に、福光東町駅に代り同区間の終点となる。1986年(昭和61年)12月11日同区間より削除。 |
福光東町 | ふくみつひがしまち | 既設 | 上砂小谷駅 - 同駅間開業と同時に同区間の終点となる。1963年(昭和38年)1月10日廃止。 |
駅名 | 訓 | 位置 | 備考 |
---|---|---|---|
湯谷温泉口 | ゆだにおんせんぐち | 既設駅 | 前掲 |
朴坂峠 | ほうさかとうげ | 富山県西礪波郡福光町 | 1966年(昭和41年)5月18日開業 |
機平 | はたごだいら | 富山県西礪波郡福光町大字山本 | 1966年(昭和41年)5月18日開業 |
石楠花谷 | しゃくなげだい | 富山県西礪波郡福光町大字天神 | 1966年(昭和41年)5月18日開業 |
国見ヒユツテ | くにみひゅって | 富山県西礪波郡福光町大字小阪 | 1966年(昭和41年)5月18日開業 |
駅名 | 訓 | 位置 | 備考 |
---|---|---|---|
正ヶ洞 | しょうがほら | 既設駅 | 既設駅 |
鷲見 | わしみ | 既設駅(白鷲線) | 既設駅(白鷲線) |
また、1986年(昭和61年)12月11日からは大日岳スキー場口 - 大日岳スキー場間が新設されている[1]。
さくら道
名金急行線の車掌佐藤良二が御母衣ダム建設によって水没する集落の桜の木(荘川桜)が移植され見事に開花したことに感動し、名金急行線の沿線に桜の苗木を植え続けたことから「さくら道」の別名がある[160][161]。
関連項目
- ジェイアール東海バス(JR東海バス)
- 西日本ジェイアールバス(西日本JRバス)
- 太美山線
- 大野線
脚注
- ^ a b c d e f g 昭和61年日本国有鉄道公示第172号(『官報』、1986年(昭和61年)12月10日、大蔵省印刷局)
- ^ a b c 昭和41年日本国有鉄道公示第740号(『官報』、1966年(昭和41年)11月26日、大蔵省印刷局)
- ^ a b c d 昭和41年日本国有鉄道公示第742号(『官報』、1966年(昭和41年)11月26日、大蔵省印刷局)
- ^ a b 日本国有鉄道営業局編、『国鉄線』第22巻第2号所収(39頁)、1967年(昭和42年)2月、交通協力会
- ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部編、『名古屋鉄道百年史』(475頁)、1994年(平成6年)6月、名古屋鉄道
- ^ 昭和46年日本国有鉄道公示第77号(『官報』、1971年(昭和46年)2月26日、大蔵省印刷局)
- ^ これらの支線は昭和61年日本国有鉄道公示第172号によって、1986年(昭和61年)12月11日より改正が加えられた(後述)。
- ^ 昭和41年日本国有鉄道公示第740号(『官報』、1966年(昭和41年)11月26日、大蔵省印刷局)
- ^ 「城端を中枢点として岐阜金沢を結ぶ省営バスの実現を期し議会へ請願す」、『城端時報』第33号(1面)、1935年(昭和10年)3月11日、城端時報社
- ^ 「省営トラツク誘致促進大会 関係民の気勢あがる!」、『城端時報』第21号(1面)、1947年(昭和22年)9月20日、城端時報社
- ^ a b c 「鉄道省告示第414号」『官報』1935年9月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 昭和14年鉄道省告示第150号(『官報』、1939年(昭和14年)8月25日、内閣印刷局)
- ^ a b c 昭和28年日本国有鉄道公示第432号(『官報』、1953年(昭和28年)12月24日、大蔵省印刷局)
- ^ a b c 昭和28年日本国有鉄道公示第434号(『官報』、1953年(昭和28年)12月24日、大蔵省印刷局)
- ^ a b c d 日本国有鉄道編、『鉄道辞典 上巻』(392頁)、1958年(昭和33年)3月、日本国有鉄道
- ^ 鉄道敷設法(大正11年法律第37号)別表第65号には、「富山県八尾ヨリ福光ヲ経テ石川県金沢附近ニ至ル鉄道」が掲げられていた(『官報』、1922年(大正11年)4月11日、内閣印刷局)。
- ^ a b 昭和30年日本国有鉄道公示第366号及び367号(『官報』、1955年(昭和30年)10月27日、大蔵省印刷局)
- ^ a b 『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ^ a b c 「鉄道省告示第341号」『官報』1933年7月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 昭和37年日本国有鉄道公示第437号(『官報』、1962年(昭和37年)10月8日、大蔵省印刷局)
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- ^ 「幻の帰雲城、400年の眠り覚めるか、飛騨の”ポンペイ伝説”」、『朝日新聞』夕刊(らうんじ・3面)、1986年(昭和61年)5月20日、朝日新聞社
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- ^ a b 東海旅客鉄道編、『東海旅客鉄道20年史』(54頁)、2007年(平成19年)9月、東海旅客鉄道
- ^ a b 東海旅客鉄道編、『東海旅客鉄道20年史』(53頁)、2007年(平成19年)9月、東海旅客鉄道
- ^ a b 交通協力会編、『平成元年版 交通年鑑』(480及び484頁)、1989年(平成元年)3月、交通協力会
- ^ 「名金線〈用語〉」、『朝日新聞』(東海総合面29頁)、1993年(平成5年)5月15日、朝日新聞社
- ^ a b 「最長路線バス ツアーで復活」、『中日新聞』夕刊(社会面)、2012年(平成24年)5月11日、中日新聞社
- ^ a b 「桜のきずな残したい JR東海バス「名金線」今月限り」、『朝日新聞』夕刊(2社会)、2002年(平成14年)9月28日、朝日新聞社
- ^ a b 「白鳥 - 荘川間で新たに岐阜バス認可 中部運輸局」、『朝日新聞』朝刊(岐阜1)、2002年(平成14年)9月14日、朝日新聞社
- ^ a b 「新たな補助対象に金沢-福光のバス、石川県庁で地域協議会」、『北國新聞』(4面)、2007年(平成19年)8月28日、北國新聞社
- ^ 金沢周辺〔名金線・才田線・中尾線・医王山線・牧線・循環〕 - 西日本ジェイアールバス
- ^ 昭和9年鉄道省告示第377号(『官報』、1934年(昭和9年)8月15日、内閣印刷局)
- ^ 昭和9年鉄道省告示第379号(『官報』、1934年(昭和9年)8月15日、内閣印刷局)
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- ^ 昭和10年鉄道省告示第3号(『官報』、1935年(昭和10年)1月11日、内閣印刷局)
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- ^ 昭和12年鉄道省告示第130号及び131号(『官報』、1937年(昭和12年)4月20日、内閣印刷局)
- ^ a b c 水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅱ)戦時期1――」、『東京経大学会誌 経営学』第244号(52頁)、2005年(平成17年)3月、東京経済大学
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- ^ 水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅱ)戦時期1――」、『東京経大学会誌 経営学』第244号(53頁)、2005年(平成17年)3月、東京経済大学
- ^ a b c 水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅱ)戦時期1――」、『東京経大学会誌 経営学』第244号(54頁)、2005年(平成17年)3月、東京経済大学
- ^ a b 水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅱ)戦時期1――」、『東京経大学会誌 経営学』第244号(55頁)、2005年(平成17年)3月、東京経済大学
- ^ 昭和15年鉄道省告示第273号(『官報』、1940年(昭和15年)12月20日、内閣印刷局)
- ^ a b c 水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅱ)戦時期1――」、『東京経大学会誌 経営学』第244号(56頁)、2005年(平成17年)3月、東京経済大学
- ^ 昭和16年鉄道省告示第121号(『官報』、1941年(昭和16年)6月3日、内閣印刷局)
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- ^ a b 水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅲ)戦時期2――」、『東京経大学会誌 経営学』第268号(75頁)、2010年(平成22年)11月、東京経済大学
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- ^ a b c 水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅲ)戦時期2――」、『東京経大学会誌 経営学』第268号(76頁)、2010年(平成22年)11月、東京経済大学
- ^ 水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅲ)戦時期2――」、『東京経大学会誌 経営学』第268号(77頁)、2010年(平成22年)11月、東京経済大学
- ^ 水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅲ)戦時期2――」、『東京経大学会誌 経営学』第268号(83及び84頁)、2010年(平成22年)11月、東京経済大学
- ^ 水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅱ)戦時期1――」、『東京経大学会誌 経営学』第244号(99頁)、2005年(平成17年)3月、東京経済大学
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- ^ a b 昭和36年日本国有鉄道公示第215号(『官報』、1961年(昭和36年)4月27日、大蔵省印刷局)
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- ^ 昭和58年日本国有鉄道公示第48号(『官報』、1983年(昭和58年)6月24日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和60年日本国有鉄道公示第36号(『官報』、1985年(昭和60年)6月24日、大蔵省印刷局)
- ^ a b 昭和60年日本国有鉄道公示第145号(『官報』、1985年(昭和60年)12月18日、大蔵省印刷局)
- ^ 「国鉄バス立美線廃止」、『北日本新聞』朝刊21面、1986年(昭和61年)11月2日、北日本新聞社。なお、同線の代替として1987年(昭和62年)10月30日より福光町営バスが運行を開始した(福光町史編纂委員会編、『福光町史 下巻』(432頁)、2011年(平成23年)3月、南砺市〉。
- ^ 「JR西日本バス「土山線」、35年の歴史に幕、富山県福光町、きょうから町営で再スタート」、『富山新聞』(19面)、1994年(平成6年)10月1日、富山新聞社
- ^ 「JR東海バス、不採算の路線バス撤退へ」、『日本経済新聞』(名古屋朝刊社会面21頁)、2000年(平成12年)11月30日、日本経済新聞社
- ^ 「不採算39路線廃止へ 愛知・岐阜・静岡でJR東海バス」、『朝日新聞』朝刊(2社会)、2000年(平成12年)11月30日、朝日新聞社
- ^ 水谷昌義、「国鉄自動車路線網の盛衰――(Ⅱ)戦時期1――」、『東京経大学会誌 経営学』第244号、2005年(平成17年)3月、東京経済大学
- ^ 「桜の木植え続けて2000本」、『日本経済新聞』朝刊24面、1993年(平成5年)5月17日、日本経済新聞社
- ^ 「「桜の道夢見た車掌」映画に、来年1月公開」、『日本経済新聞』名古屋朝刊(21面)、1993年(平成5年)11月21日、日本経済新聞社
外部リンク
- 金沢周辺〔名金線・才田線・中尾線・医王山線・牧線・循環〕- 西日本ジェイアールバス
- ジェイアール東海バス - ジェイアール東海バス(名金急行線を運行していた当時のサイトのアーカイブ)