「スダホーク」の版間の差分
m 出典付与忘れ補填 |
|||
(同じ利用者による、間の1版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{馬齢旧}} |
|||
{{出典の明記|date=2015年7月}} |
|||
{{競走馬 |
{{競走馬 |
||
|名 = スダホーク |
|名 = スダホーク |
||
|画= no |
|||
|性 = [[牡馬|牡]] |
|||
|性 = [[牡馬|牡]]<ref name="jbis" /> |
|||
|色 = [[芦毛]] |
|||
|色 = [[芦毛]]<ref name="jbis" /> |
|||
|種 = [[サラブレッド]] |
|||
|種 = [[サラブレッド]]<ref name="jbis" /> |
|||
|生 = [[1982年]][[4月6日]] |
|||
| |
|生 = [[1982年]][[4月6日]]<ref name="jbis" /> |
||
|死 = [[2003年]][[4月16日]](22歳没) |
|||
|父 = [[シーホーク (競走馬)|シーホーク]] |
|||
|父 = [[シーホーク (競走馬)|シーホーク]]<ref name="jbis" /> |
|||
|母 = アヤベジョー |
|||
|母 = アヤベジョー<ref name="jbis" /> |
|||
|母父 = ファーザーズイメージ |
|||
|母父 = ファーザーズイメージ<ref name="jbis" /> |
|||
|産 = 山内静雄 |
|||
|産 = 山内静雄<ref name="jbis" /> |
|||
|国 = {{JPN}}[[北海道]][[浦河町]] |
|||
|国 = {{JPN}}([[北海道]][[浦河町]])<ref name="jbis" /> |
|||
|主 = 須田松夫 |
|||
|主 = 須田松夫<ref name="jbis" /> |
|||
|調 = [[古山良司]]([[美浦トレーニングセンター|美浦]]) |
|||
|調 = [[古山良司]]<ref name="jbis" />([[美浦トレーニングセンター|美浦]]) |
|||
|績 = 30戦6勝 |
|||
|績 = 30戦6勝<ref name="jbis" /> |
|||
|金 = 3億3474万5800円 |
|||
|金 = 3億3474万5800円<ref name="jbis" /> |
|||
}} |
|||
|medaltemplates={{medalGII|[[アメリカジョッキークラブカップ]]|1986年}}{{medalGII|[[京都記念]]|1986年}}{{medalGII|[[阪神大賞典]]|1987年}}{{medalGIII|[[弥生賞]]|1985年}} |
|||
'''スダホーク'''は、[[日本]]の[[競走馬]]、[[種牡馬]]である。 |
|||
|厩=日向益夫<ref name="優駿1992-11-65" /><br/>→?}} |
|||
'''スダホーク'''(欧字名:{{Lang|en|Suda Hawk}}、[[1982年]][[4月6日]] - [[2003年]][[4月16日]])は、[[日本]]の[[競走馬]]、[[種牡馬]]<ref name="jbis">{{Cite web|title=スダホーク|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000144633/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-01}}</ref>。 |
|||
主な勝ち鞍は、1985年の[[弥生賞]]({{GIII}})、1986年の[[アメリカジョッキークラブカップ]]({{GII}})、[[京都記念]]({{GII}})、1987年の[[阪神大賞典]]({{GII}})。 |
|||
== 概要 == |
|||
1980年代中盤に活躍した名バイプレイヤーの1頭。重賞を4つ制しているが[[競馬の競走格付け|GI]]勝ちはなく、[[東京優駿|日本ダービー]]と[[菊花賞]]はともに2着であった。戦法は追込。[[主戦騎手]]は[[田村正光]]と[[田原成貴]]。 |
|||
[[東京優駿]](日本ダービー)と[[菊花賞]]では2着、[[天皇賞(春)]]と[[宝塚記念]]では3着に入るなど、{{GI}}でもたびたび好走した。 |
|||
競馬ライターの[[須田鷹雄]]はこの馬にあやかって[[ペンネーム]]を付けた。 |
|||
== 生涯 == |
|||
※[[馬齢]]は、当時の旧表記([[数え年]])で統一する。 |
|||
== |
=== デビューまで === |
||
アヤベジョーは、1973年に[[北海道]][[新冠町]]の明和牧場で産まれた牝馬である<ref name="JBIS-アヤベジョー">{{Cite web|title=アヤベジヨー|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000060044/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-01}}</ref>。祖母は1957年に[[二冠馬|牝馬二冠]]を果たした[[ミスオンワード]]であり、父はファーザーズイメージであった。また母父が気性難で有名なアポッスルであり、同様に気性難を受け継いだ<ref>『優駿』1992年11月号 64頁</ref>。競走馬として3歳から4歳にかけて7戦未勝利で引退し、[[繁殖牝馬]]となった<ref name="JBIS-アヤベジョー" />。1982年4月6日、北海道[[浦河町]]の山内静雄牧場にて4番仔の牡馬(後のスダホーク)が誕生する<ref>『優駿』1992年11月号 63頁</ref>。血統名はアヤベジョーの57といった<ref name="優駿1992-11-64">『優駿』1992年11月号 64頁</ref>。 |
|||
=== 3歳~4歳 === |
|||
スダホークは3歳の11月、[[東京競馬場]]でデビュー。初戦は[[サザンフィーバー]]に1.7秒も離された3着に敗れるが、2戦目で初勝利を収め、続く400万下の葉牡丹賞を制し、一躍クラシック戦線の有力候補に名を連ねた。 |
|||
アヤベジョーの57は母と異なり、落ち着いた性格であった<ref name="優駿1992-11-64" />。ただ、同じく山内牧場の同期6頭に紛れて、特に評価されていなかった<ref>『優駿』1992年11月号 64頁</ref>。山内牧場の娘婿である中村常夫は、牧場時代をこう回顧している。{{Quotation|体高はあったが、厚みのない、脚の長いステイヤーの感じだった。[[相撲]]を取ればいつも負け役だったし、大物感はありませんでしたね。ただ、ケガも病気もせず丈夫な馬でしたね。|中村常夫<ref name="優駿1992-11-64" />}}2歳春、[[美浦トレーニングセンター]]所属の[[古山良司]]調教師と馬主の須田松夫を連れて牧場を視察し、アヤベジョーの57と対面した。須田は長距離競走を好み、それまで15頭所有していた馬の半分以上をステイヤー血統であった<ref name="優駿1992-11-64" />。須田は、父がステイヤーの[[シーホーク (競走馬)|シーホーク]]であることと古山の勧めで所有することが決定、800万円で購入した<ref name="優駿1992-11-64" />。秋には古山厩舎に入厩した<ref name="優駿1992-11-64" />。 |
|||
4歳になったスダホークは[[共同通信杯|共同通信杯4歳ステークス]]こそ5着に敗れるが、[[弥生賞]]で重賞初制覇し、クラシック第1弾の[[皐月賞]]を迎えた。3番人気で出走した皐月賞は[[ミホシンザン]]<ref>スダホークはミホシンザンと8回対戦しているが、1度も先着できなかった。スダホークにとって、ミホシンザンは天敵というべき存在だった。</ref>の6着に敗れた。 |
|||
=== 競走馬時代 === |
|||
続く日本ダービーではデビューからずっと手綱を取っていた田村正光から田原成貴<ref>関東馬が関西所属の騎手を主戦騎手としたケース、およびその逆のケースは当時極めて珍しいものであった。田原はこのダービーから翌年の宝塚記念までスダホークに騎乗している。</ref>に乗り替わった。ライバルのミホシンザンは骨折でダービーを回避し、ダービー馬になる好機かと思われたが、重馬場の直線の大外を駆け抜けた[[シリウスシンボリ]]に3馬身も離された2着に終わった。 |
|||
==== 3-4歳(1984-85年) ==== |
|||
秋になるとスダホークは[[神戸新聞杯]]5着、[[京都新聞杯]]5着とトライアルレースを2戦してから[[菊花賞]]に挑んだ。だが、菊花賞では骨折が復帰したミホシンザンに1馬身及ばずの2着に終わった。 |
|||
1984年11月3日、[[東京競馬場]]の[[新馬戦]](芝1800メートル)に[[田村正光]]が騎乗してデビューし、3着に敗れた。続く2戦目でクビ差を制して初勝利を挙げ、3戦目の葉牡丹賞(400万円以下)では逃げ切り2連勝とした<ref name="優駿1992-11-64" />。1985年は2連敗の後、3月3日の[[弥生賞]]({{GIII}})に5番人気の評価で出走した<ref name="優駿1992-11-65">『優駿』1992年11月号 65頁</ref>。第3コーナーで2番手につけ、最終コーナーで先頭に立ち独走。1番人気のサクラサニーオーに4馬身差で[[重賞]]勝利を果たした。須田にとっても所有馬初の重賞勝利であった<ref name="優駿1992-11-65" />。続いて皐月賞に出走し、後方待機から抜け出すことができず6着に敗れた<ref name="優駿1992-11-65" />。 |
|||
5月26日、[[東京優駿]](日本ダービー)に出走し、[[田原成貴]]に乗り替わった。皐月賞を制した[[ミホシンザン]]が骨折のために回避し、代わって皐月賞出走できなかった[[シリウスシンボリ]]が1番人気に推され、続く2番人気であった。スタートから後方待機し、第3コーナーで進路を内に取り、最終コーナーで先頭に並びかけた<ref name="優駿1992-11-65" />。しかし、大外からシリウスシンボリにかわされ、ついていけなかった。シリウスシンボリに3馬身差遅れ、追い込んだ[[スクラムダイナ]]にハナ差だけ先着する2着となった<ref name="優駿1992-11-65" />。田原はこう振り返っている。{{Quotation|直線で先頭に立って"いける"と思ったが、それも一瞬でシリウス(シンボリ)に交わされた{{ママ}}。相手が強かった。敗れたが悔いはありません。|田原成貴<ref name="優駿1992-11-65" />}}秋は、[[神戸新聞杯]]、[[京都新聞杯]]とどちらも5着に敗れた後、11月10日の[[菊花賞]]に出走、スダホークは2番人気に推された<ref name="優駿1992-11-65" />。東京優駿に出走できず、1番人気に推されたミホシンザンをマークしながら最終コーナーに達したが、ミホシンザンについていくことができなかった<ref name="優駿1992-11-65" />。1馬身4分の1差離されて、サクラサニーオーよりクビ差だけ先着した2着であった。田原は「(前略)勝ち馬とは瞬発力の差が出てしまった<ref name="優駿1992-11-65" />」と分析している。続く[[有馬記念]]では、[[シンボリルドルフ]]、ミホシンザン、[[ニシノライデン]]に次ぐ4着に入った。 |
|||
シーズン最後の[[有馬記念]]ではミホシンザンとともに4歳馬の代表として挑んだが、[[シンボリルドルフ]]の前に完敗、4着に終わっている。 |
|||
=== 5歳 === |
==== 5-7歳(1986-88年) ==== |
||
1986年は、[[アメリカジョッキークラブカップ]]で始動。先行勢の後方から最終コーナーで2番手まで位置を上げ、直線で先頭に立つと後方に1馬身差で重賞2勝目となった。なお、走破タイム2分13秒2はレコードタイムであった<ref name="優駿1992-11-66">『優駿』1992年11月号 66頁</ref>。田原は「(前略)今年はスダホークと心中しますよ<ref name="優駿1992-11-66" />」と評するほどであった。続く[[京都記念]]では中団待機から直線に入り、先行するメジロヘンリーを4分の3馬身かわして重賞連勝、3勝目となった<ref name="優駿1992-11-66" />。 |
|||
奥手の血統である[[シーホーク (競走馬)|シーホーク]]の産駒であったスダホークは古馬になってからの成長に期待されていたが、その期待に応えるように[[アメリカジョッキークラブカップ|AJC杯]]、[[京都記念]]と連勝した。[[大阪杯|サンケイ大阪杯]]では[[サクラユタカオー]]にハナ差で敗れたものの、[[天皇賞|天皇賞(春)]]はシンボリルドルフやミホシンザンといった強豪が不在<ref>シンボリルドルフは海外遠征、ミホシンザンは骨折でこの天皇賞は出走できなかった。</ref>のため、スダホークにGI制覇の期待が掛けられていた。 |
|||
[[サンケイ大阪杯]]では1番人気に推され、後方から追い上げるも、[[サクラユタカオー]]をアタマ差届かず2着。続く[[天皇賞(春)]]も[[単枠指定制度]]の対象となり、1番人気に推された。後方待機から第3コーナーで位置を上げたものの、後退して7着<ref name="優駿1992-11-66" />。それから[[宝塚記念]]、[[毎日王冠]]、[[秋古馬三冠|秋古馬三冠競走]]に出走したがいずれも敗退した。 |
|||
ところが、[[単枠指定]]の1番人気に支持された天皇賞(春)では、「[[マイル]]の競馬を2度やりました」という名手[[岡部幸雄]]の好騎乗で躍動した[[クシロキング]]の前に惨敗、7着に沈んだ。 |
|||
1987年は、[[阪神大賞典]]ではマルブツファーストをアタマ差差し切り重賞4勝目となった<ref name="優駿1992-11-66" />。続く天皇賞(春)ではミホシンザンに及ばず3着に敗れた。翌1988年も現役を続行し、宝塚記念では13頭立て8番人気であったが、追い込み3着に食い込んだ<ref name="優駿1992-11-66" />。7月上旬、持病の[[裂蹄]]が悪化したため、競走馬を引退した<ref name="優駿1992-11-67">『優駿』1992年11月号 67頁</ref>。 |
|||
続く[[宝塚記念]]も5着に終わると、秋からは田村が再び騎乗する事になったが、[[毎日王冠]]は8着、天皇賞(秋)と[[ジャパンカップ]]は最下位、有馬記念は11着とスダホークは凡走を繰り返すようになった。 |
|||
=== |
=== 種牡馬時代 === |
||
須田自身が所有し、日高軽種馬農協浦河種馬場で[[種牡馬]]になった<ref name="優駿1992-11-67" />。1994年に引退し、[[乗馬]]に転向、[[門別町]]の日高オーシャンファームに移動した。[[2003年]][[4月16日]]、胃破裂のため死亡。 |
|||
スダホークがスランプを脱したのは6歳春の[[阪神大賞典]]の事だった。1年1か月ぶりの勝利となったこのレースがスダホークの最後の勝利となった。 |
|||
== 競走成績 == |
|||
その後、スダホークは7歳春まで7戦しているが1勝もできずに、7歳春の宝塚記念で[[タマモクロス]]の3着に入ったのを最後に現役を引退した。 |
|||
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref>{{Cite web|title=スダホークの競走成績 {{!}} 競走馬データ|url=https://db.netkeiba.com/horse/1982100749/|website=netkeiba.com|accessdate=2021-08-01|language=ja}}</ref>およびJBISサーチ<ref>{{Cite web|title=競走成績:全競走成績|スダホーク|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000144633/record/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-01}}</ref>の情報に基づく。 |
|||
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 90%; text-align: center; white-space: nowrap;" |
|||
!競走日 |
|||
! nowrap="" |競馬場 |
|||
!競走名 |
|||
!格 |
|||
!距離(馬場) |
|||
!頭 |
|||
数 |
|||
!枠 |
|||
番 |
|||
!馬 |
|||
番 |
|||
!オッズ |
|||
(人気) |
|||
!着順 |
|||
!タイム |
|||
!着差 |
|||
!騎手 |
|||
!斤量 |
|||
[kg] |
|||
!1着馬(2着馬) |
|||
|- |
|||
|[[1984年|1984]].[[11月3日|11.{{0}}3]] |
|||
|[[東京競馬場|東京]] |
|||
|[[新馬|3歳新馬]] |
|||
| |
|||
|芝1800m(良) |
|||
|12 |
|||
|6 |
|||
|8 |
|||
|{{0}}14.9{{0}}(5人) |
|||
|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}} |
|||
|1:52.2 |
|||
| |
|||
|{{0}}[[田村正光]] |
|||
|54 |
|||
|サザンフィーバー |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}[[11月17日|11.17]] |
|||
|東京 |
|||
|3歳新馬 |
|||
| |
|||
|ダ1700m(不) |
|||
|8 |
|||
|6 |
|||
|6 |
|||
|{{00}}6.6{{0}}(3人) |
|||
|{{Color|darkred|{{0}}1着}} |
|||
|1:46.3 |
|||
| |
|||
|{{0}}田村正光 |
|||
|54 |
|||
|(キヨヒリュウ) |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}[[12月8日|12.{{0}}8]] |
|||
|[[中山競馬場|中山]] |
|||
|葉牡丹賞 |
|||
|4下 |
|||
|芝2000m(良) |
|||
|9 |
|||
|5 |
|||
|5 |
|||
|{{00}}5.1{{0}}(3人) |
|||
|{{Color|darkred|{{0}}1着}} |
|||
|2:04.6 |
|||
| |
|||
|{{0}}田村正光 |
|||
|54 |
|||
|(モンテモン) |
|||
|- |
|||
|[[1985年|1985]].{{0}}[[1月19日|1.19]] |
|||
|中山 |
|||
|[[ジュニアカップ]] |
|||
| |
|||
|芝2000m(良) |
|||
|7 |
|||
|4 |
|||
|4 |
|||
|{{00}}5.1{{0}}(2人) |
|||
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}} |
|||
|2:04.7 |
|||
| |
|||
|{{0}}田村正光 |
|||
|55 |
|||
|ミラーシロー |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月10日|2.10]] |
|||
|東京 |
|||
|[[共同通信杯4歳ステークス|共同通信杯4歳S]] |
|||
| |
|||
|芝1800m(不) |
|||
|12 |
|||
|3 |
|||
|3 |
|||
|{{0}}19.1{{0}}(7人) |
|||
|{{0}}5着 |
|||
|1:53.3 |
|||
| |
|||
|{{0}}田村正光 |
|||
|55 |
|||
|[[サクラユタカオー]] |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月3日|3.{{0}}3]] |
|||
|中山 |
|||
|[[弥生賞]] |
|||
| |
|||
|芝2000m(重) |
|||
|13 |
|||
|4 |
|||
|5 |
|||
|{{0}}21.4{{0}}(5人) |
|||
|{{Color|darkred|{{0}}1着}} |
|||
|2:03.0 |
|||
| |
|||
|{{0}}田村正光 |
|||
|55 |
|||
|(サクラサニーオー) |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月14日|4.14]] |
|||
|中山 |
|||
|'''[[皐月賞]]''' |
|||
| |
|||
|芝2000m(稍) |
|||
|22 |
|||
|3 |
|||
|6 |
|||
|{{00}}8.7{{0}}(3人) |
|||
|{{0}}6着 |
|||
|2:03.2 |
|||
| |
|||
|{{0}}田村正光 |
|||
|57 |
|||
|[[ミホシンザン]] |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月26日|5.26]] |
|||
|東京 |
|||
|[[東京優駿|'''東京優駿''']] |
|||
| |
|||
|芝2400m(重) |
|||
|26 |
|||
|4 |
|||
|12 |
|||
|{{00}}8.0{{0}}(2人) |
|||
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}} |
|||
|2:31.5 |
|||
| |
|||
|{{0}}[[田原成貴]] |
|||
|57 |
|||
|[[シリウスシンボリ]] |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}{{0}}[[9月29日|9.29]] |
|||
|[[阪神競馬場|阪神]] |
|||
|[[神戸新聞杯]] |
|||
| |
|||
|芝2000m(不) |
|||
|12 |
|||
|8 |
|||
|12 |
|||
|{{00}}2.3{{0}}(1人) |
|||
|{{0}}5着 |
|||
|2:04.8 |
|||
| |
|||
|{{0}}田原成貴 |
|||
|56 |
|||
|[[スピードヒーロー]] |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}[[10月20日|10.20]] |
|||
|[[京都競馬場|京都]] |
|||
|[[京都新聞杯]] |
|||
| |
|||
|芝2200m(良) |
|||
|13 |
|||
|3 |
|||
|4 |
|||
|{{0}}11.5{{0}}(3人) |
|||
|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}} |
|||
|2:15.1 |
|||
| |
|||
|{{0}}田原成貴 |
|||
|57 |
|||
|ミホシンザン |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}[[11月10日|11.10]] |
|||
|京都 |
|||
|'''[[菊花賞]]''' |
|||
| |
|||
|芝3000m(稍) |
|||
|18 |
|||
|5 |
|||
|11 |
|||
|{{00}}9.6{{0}}(2人) |
|||
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}} |
|||
|3:08.3 |
|||
| |
|||
|{{0}}田原成貴 |
|||
|57 |
|||
|ミホシンザン |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}[[12月22日|12.22]] |
|||
|中山 |
|||
|'''[[有馬記念]]''' |
|||
| |
|||
|芝2500m(良) |
|||
|10 |
|||
|8 |
|||
|9 |
|||
|{{0}}38.0{{0}}(5人) |
|||
|{{0}}4着 |
|||
|2:34.2 |
|||
| |
|||
|{{0}}田原成貴 |
|||
|55 |
|||
|[[シンボリルドルフ]] |
|||
|- |
|||
|[[1986年|1986]].{{0}}[[1月19日|1.19]] |
|||
|中山 |
|||
|[[アメリカジョッキークラブカップ|アメリカJCC]] |
|||
|{{GII}} |
|||
|芝2200m(良) |
|||
|6 |
|||
|1 |
|||
|1 |
|||
|{{00}}1.9{{0}}(1人) |
|||
|{{Color|darkred|{{0}}1着}} |
|||
|2:13.3 |
|||
| -0.2 |
|||
|{{0}}田原成貴 |
|||
|56 |
|||
|(ハーバークラウン) |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月16日|2.16]] |
|||
|京都 |
|||
|[[京都記念]] |
|||
|{{GII}} |
|||
|芝2400m(良) |
|||
|14 |
|||
|6 |
|||
|9 |
|||
|{{00}}1.9{{0}}(1人) |
|||
|{{Color|darkred|{{0}}1着}} |
|||
|2:30.3 |
|||
| -0.1 |
|||
|{{0}}田原成貴 |
|||
|58.5 |
|||
|(メジロヘンリー) |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月30日|3.30]] |
|||
|阪神 |
|||
|[[サンケイ大阪杯]] |
|||
|{{GII}} |
|||
|芝2000m(稍) |
|||
|10 |
|||
|8 |
|||
|10 |
|||
|{{00}}1.6{{0}}(1人) |
|||
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}} |
|||
|2:01.6 |
|||
|{{0|-}}0.0 |
|||
|{{0}}田原成貴 |
|||
|57 |
|||
|サクラユタカオー |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月29日|4.29]] |
|||
|京都 |
|||
|'''[[天皇賞(春)]]''' |
|||
|{{GI}} |
|||
|芝3200m(重) |
|||
|16 |
|||
|8 |
|||
|16 |
|||
|{{00}}1.5{{0}}(1人) |
|||
|{{0}}7着 |
|||
|3:26.4 |
|||
|{{0|-}}1.0 |
|||
|{{0}}田原成貴 |
|||
|58 |
|||
|[[クシロキング]] |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}{{0}}[[6月1日|6.{{0}}1]] |
|||
|阪神 |
|||
|[[宝塚記念]] |
|||
|{{GI}} |
|||
|芝2200m(良) |
|||
|17 |
|||
|2 |
|||
|3 |
|||
|{{00}}5.8{{0}}(2人) |
|||
|{{0}}5着 |
|||
|2:14.7 |
|||
|{{0|-}}0.3 |
|||
|{{0}}田原成貴 |
|||
|56 |
|||
|[[パーシャンボーイ]] |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}[[10月5日|10.{{0}}5]] |
|||
|東京 |
|||
|[[毎日王冠]] |
|||
|{{GII}} |
|||
|芝1800m(良) |
|||
|8 |
|||
|4 |
|||
|4 |
|||
|{{0}}17.0{{0}}(7人) |
|||
|{{0}}8着 |
|||
|1:47.3 |
|||
|{{0|-}}1.3 |
|||
|{{0}}田村正光 |
|||
|58 |
|||
|サクラユタカオー |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}[[10月26日|10.26]] |
|||
|東京 |
|||
|'''[[天皇賞(秋)]]''' |
|||
|{{GI}} |
|||
|芝2000m(良) |
|||
|16 |
|||
|2 |
|||
|3 |
|||
|{{0}}31.1(10人) |
|||
|10着 |
|||
|1:59.8 |
|||
|{{0|-}}1.5 |
|||
|{{0}}田村正光 |
|||
|58 |
|||
|サクラユタカオー |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}[[11月23日|11.23]] |
|||
|東京 |
|||
|[[ジャパンカップ]] |
|||
|{{GI}} |
|||
|芝2400m(良) |
|||
|14 |
|||
|1 |
|||
|1 |
|||
|{{0}}65.7(14人) |
|||
|14着 |
|||
|2:26.7 |
|||
|{{0|-}}1.7 |
|||
|{{0}}田村正光 |
|||
|57 |
|||
|[[ジュピターアイランド]] |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}[[12月21日|12.21]] |
|||
|中山 |
|||
|'''[[有馬記念]]''' |
|||
|{{GI}} |
|||
|芝2500m(稍) |
|||
|12 |
|||
|4 |
|||
|4 |
|||
|{{0}}23.5{{0}}(9人) |
|||
|11着 |
|||
|2:34.8 |
|||
|{{0|-}}0.8 |
|||
|{{0}}田村正光 |
|||
|57 |
|||
|[[ダイナガリバー]] |
|||
|- |
|||
|[[1987年|1987]].{{0}}[[1月25日|1.25]] |
|||
|京都 |
|||
|[[日経新春杯]] |
|||
|{{GII}} |
|||
|芝2200m(重) |
|||
|7 |
|||
|3 |
|||
|3 |
|||
|{{00}}4.2{{0}}(3人) |
|||
|{{0}}5着 |
|||
|2:17.4 |
|||
|{{0|-}}1.3 |
|||
|{{0}}田村正光 |
|||
|58 |
|||
|[[フレッシュボイス]] |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月15日|3.15]] |
|||
|阪神 |
|||
|[[阪神大賞典]] |
|||
|{{GII}} |
|||
|芝3000m(重) |
|||
|9 |
|||
|7 |
|||
|7 |
|||
|{{00}}4.8{{0}}(2人) |
|||
|{{Color|darkred|{{0}}1着}} |
|||
|3:10.3 |
|||
|{{0|-}}0.0 |
|||
|{{0}}田村正光 |
|||
|58 |
|||
|(マルブツファースト) |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月29日|4.29]] |
|||
|京都 |
|||
|'''天皇賞(春)''' |
|||
|{{GI}} |
|||
|芝3200m(良) |
|||
|10 |
|||
|7 |
|||
|8 |
|||
|{{00}}9.3{{0}}(3人) |
|||
|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}} |
|||
|3:20.8 |
|||
|{{0|-}}0.4 |
|||
|{{0}}田村正光 |
|||
|58 |
|||
|ミホシンザン |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}{{0}}[[6月14日|6.14]] |
|||
|阪神 |
|||
|宝塚記念 |
|||
|{{GI}} |
|||
|芝2200m(良) |
|||
|13 |
|||
|7 |
|||
|10 |
|||
|{{0}}15.0{{0}}(7人) |
|||
|{{0}}5着 |
|||
|2:13.4 |
|||
|{{0|-}}1.1 |
|||
|{{0}}田村正光 |
|||
|57 |
|||
|[[スズパレード]] |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}[[12月27日|12.27]] |
|||
|中山 |
|||
|'''有馬記念''' |
|||
|{{GI}} |
|||
|芝2500m(良) |
|||
|16 |
|||
|6 |
|||
|12 |
|||
|{{0}}37.5(11人) |
|||
|13着 |
|||
|2:36.0 |
|||
|{{0|-}}2.1 |
|||
|{{0}}[[柴田政人]] |
|||
|56 |
|||
|[[メジロデュレン]] |
|||
|- |
|||
|[[1988年|1988]].{{0}}[[1月24日|1.24]] |
|||
|中山 |
|||
|アメリカJCC |
|||
|{{GII}} |
|||
|芝2200m(良) |
|||
|8 |
|||
|4 |
|||
|4 |
|||
|{{0}}13.0{{0}}(5人) |
|||
|{{0}}4着 |
|||
|2:13.7 |
|||
|{{0|-}}0.3 |
|||
|{{0}}柴田政人 |
|||
|59 |
|||
|[[カシマウイング]] |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月13日|3.13]] |
|||
|阪神 |
|||
|阪神大賞典 |
|||
|{{GII}} |
|||
|芝3000m(稍) |
|||
|7 |
|||
|4 |
|||
|4 |
|||
|{{00}}5.2{{0}}(3人) |
|||
|{{0}}7着 |
|||
|3:13.5 |
|||
|{{0|-}}1.4 |
|||
|{{0}}[[樋口弘]] |
|||
|59 |
|||
|[[タマモクロス]] |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月29日|4.29]] |
|||
|京都 |
|||
|'''天皇賞(春)''' |
|||
|{{GI}} |
|||
|芝3200m(稍) |
|||
|18 |
|||
|8 |
|||
|17 |
|||
|{{0}}17.6{{0}}(9人) |
|||
|{{0}}7着 |
|||
|3:24.0 |
|||
|{{0|-}}2.2 |
|||
|{{0}}[[岩元市三]] |
|||
|58 |
|||
|タマモクロス |
|||
|- |
|||
|{{0|0000.}}{{0}}[[6月12日|6.12]] |
|||
|阪神 |
|||
|宝塚記念 |
|||
|{{GI}} |
|||
|芝2200m(稍) |
|||
|13 |
|||
|8 |
|||
|12 |
|||
|{{0}}24.3{{0}}(8人) |
|||
|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}} |
|||
|2:13.8 |
|||
|{{0|-}}0.6 |
|||
|{{0}}[[田島良保]] |
|||
|56 |
|||
|タマモクロス |
|||
|} |
|||
* 表中の'''太字強調'''は、[[八大競走]]を示す。 |
|||
なお、6歳秋以降、スダホークは乗り替わりが頻繁にあり、6歳秋の有馬記念と7歳春のAJC杯では[[柴田政人]]が、7歳春の阪神大賞典では[[樋口弘]]が、天皇賞(春)では[[岩元市三]]が、ラストランとなった宝塚記念では[[田島良保]]が騎乗している。 |
|||
== 引退後 == |
|||
スダホークは引退後、[[日高軽種馬農協浦河種馬場]]で[[種牡馬]]になったが、これといった産駒を出す事もなく、1994年に種牡馬登録を抹消され、[[去勢]]の上、[[乗馬]]に転向し、繋養先も[[門別町]](現・[[日高町 (北海道)|日高町]])の[[日高オーシャンファーム]]に移った。 |
|||
1995年夏に[[テレビ朝日]]製作のテレビ番組「[[さんまのナンでもダービー]]」で日高オーシャンファーム内のコースでスダホークや[[ポニー]]馬([[森安輝正|ナリタブラリアン]]など)、アラブ系競技馬等と共に距離ハンデキャップ方式によるレースが行われた。このレースでスダホークはJRAの[[郷原洋司]]騎手の騎乗で現役当時を彷彿させる走りを見せたが、さすがに最後の直線では伸びなく、6頭立ての4着に終わっている。 |
|||
[[2003年]][[4月16日]]早朝、胃破裂のため死亡している。22歳(馬齢〈数え年〉)だった。 |
|||
== 血統表 == |
== 血統表 == |
||
95行目: | 592行目: | ||
}} |
}} |
||
* 曾祖母・ミスオンワードは[[桜花賞]]・[[優駿牝馬]](オークス)優勝。 |
|||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
||
{{脚注ヘルプ}} |
{{脚注ヘルプ}} |
||
=== 注釈 === |
|||
<references group="注釈" /> |
|||
=== 出典 === |
|||
{{Reflist}} |
{{Reflist}} |
||
== 参考文献 == |
|||
* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]]) |
|||
** 1992年11月号 |
|||
*** 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 78】白いバイプレイヤー スダホーク」 |
|||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
* {{競走馬成績|netkeiba=1982100749|yahoo=1982100749|jbis=0000144633|racingpost=}} |
* {{競走馬成績|netkeiba=1982100749|yahoo=1982100749|jbis=0000144633|racingpost=}} |
||
{{Keiba-stub}} |
|||
{{デフォルトソート:すたほおく}} |
{{デフォルトソート:すたほおく}} |
||
[[Category:1982年生 (競走馬)|日すたほおく]] |
[[Category:1982年生 (競走馬)|日すたほおく]] |
2021年8月2日 (月) 17:27時点における版
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
スダホーク | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
品種 | サラブレッド[1] | ||||||||||||||
性別 | 牡[1] | ||||||||||||||
毛色 | 芦毛[1] | ||||||||||||||
生誕 | 1982年4月6日[1] | ||||||||||||||
死没 | 2003年4月16日(22歳没) | ||||||||||||||
父 | シーホーク[1] | ||||||||||||||
母 | アヤベジョー[1] | ||||||||||||||
母の父 | ファーザーズイメージ[1] | ||||||||||||||
生国 | 日本(北海道浦河町)[1] | ||||||||||||||
生産者 | 山内静雄[1] | ||||||||||||||
馬主 | 須田松夫[1] | ||||||||||||||
調教師 | 古山良司[1](美浦) | ||||||||||||||
厩務員 |
日向益夫[2] →? | ||||||||||||||
競走成績 | |||||||||||||||
生涯成績 | 30戦6勝[1] | ||||||||||||||
獲得賞金 | 3億3474万5800円[1] | ||||||||||||||
|
スダホーク(欧字名:Suda Hawk、1982年4月6日 - 2003年4月16日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。
主な勝ち鞍は、1985年の弥生賞(GIII)、1986年のアメリカジョッキークラブカップ(GII)、京都記念(GII)、1987年の阪神大賞典(GII)。
東京優駿(日本ダービー)と菊花賞では2着、天皇賞(春)と宝塚記念では3着に入るなど、GIでもたびたび好走した。
生涯
デビューまで
アヤベジョーは、1973年に北海道新冠町の明和牧場で産まれた牝馬である[3]。祖母は1957年に牝馬二冠を果たしたミスオンワードであり、父はファーザーズイメージであった。また母父が気性難で有名なアポッスルであり、同様に気性難を受け継いだ[4]。競走馬として3歳から4歳にかけて7戦未勝利で引退し、繁殖牝馬となった[3]。1982年4月6日、北海道浦河町の山内静雄牧場にて4番仔の牡馬(後のスダホーク)が誕生する[5]。血統名はアヤベジョーの57といった[6]。
アヤベジョーの57は母と異なり、落ち着いた性格であった[6]。ただ、同じく山内牧場の同期6頭に紛れて、特に評価されていなかった[7]。山内牧場の娘婿である中村常夫は、牧場時代をこう回顧している。
2歳春、美浦トレーニングセンター所属の古山良司調教師と馬主の須田松夫を連れて牧場を視察し、アヤベジョーの57と対面した。須田は長距離競走を好み、それまで15頭所有していた馬の半分以上をステイヤー血統であった[6]。須田は、父がステイヤーのシーホークであることと古山の勧めで所有することが決定、800万円で購入した[6]。秋には古山厩舎に入厩した[6]。
競走馬時代
3-4歳(1984-85年)
1984年11月3日、東京競馬場の新馬戦(芝1800メートル)に田村正光が騎乗してデビューし、3着に敗れた。続く2戦目でクビ差を制して初勝利を挙げ、3戦目の葉牡丹賞(400万円以下)では逃げ切り2連勝とした[6]。1985年は2連敗の後、3月3日の弥生賞(GIII)に5番人気の評価で出走した[2]。第3コーナーで2番手につけ、最終コーナーで先頭に立ち独走。1番人気のサクラサニーオーに4馬身差で重賞勝利を果たした。須田にとっても所有馬初の重賞勝利であった[2]。続いて皐月賞に出走し、後方待機から抜け出すことができず6着に敗れた[2]。
5月26日、東京優駿(日本ダービー)に出走し、田原成貴に乗り替わった。皐月賞を制したミホシンザンが骨折のために回避し、代わって皐月賞出走できなかったシリウスシンボリが1番人気に推され、続く2番人気であった。スタートから後方待機し、第3コーナーで進路を内に取り、最終コーナーで先頭に並びかけた[2]。しかし、大外からシリウスシンボリにかわされ、ついていけなかった。シリウスシンボリに3馬身差遅れ、追い込んだスクラムダイナにハナ差だけ先着する2着となった[2]。田原はこう振り返っている。
秋は、神戸新聞杯、京都新聞杯とどちらも5着に敗れた後、11月10日の菊花賞に出走、スダホークは2番人気に推された[2]。東京優駿に出走できず、1番人気に推されたミホシンザンをマークしながら最終コーナーに達したが、ミホシンザンについていくことができなかった[2]。1馬身4分の1差離されて、サクラサニーオーよりクビ差だけ先着した2着であった。田原は「(前略)勝ち馬とは瞬発力の差が出てしまった[2]」と分析している。続く有馬記念では、シンボリルドルフ、ミホシンザン、ニシノライデンに次ぐ4着に入った。
5-7歳(1986-88年)
1986年は、アメリカジョッキークラブカップで始動。先行勢の後方から最終コーナーで2番手まで位置を上げ、直線で先頭に立つと後方に1馬身差で重賞2勝目となった。なお、走破タイム2分13秒2はレコードタイムであった[8]。田原は「(前略)今年はスダホークと心中しますよ[8]」と評するほどであった。続く京都記念では中団待機から直線に入り、先行するメジロヘンリーを4分の3馬身かわして重賞連勝、3勝目となった[8]。
サンケイ大阪杯では1番人気に推され、後方から追い上げるも、サクラユタカオーをアタマ差届かず2着。続く天皇賞(春)も単枠指定制度の対象となり、1番人気に推された。後方待機から第3コーナーで位置を上げたものの、後退して7着[8]。それから宝塚記念、毎日王冠、秋古馬三冠競走に出走したがいずれも敗退した。
1987年は、阪神大賞典ではマルブツファーストをアタマ差差し切り重賞4勝目となった[8]。続く天皇賞(春)ではミホシンザンに及ばず3着に敗れた。翌1988年も現役を続行し、宝塚記念では13頭立て8番人気であったが、追い込み3着に食い込んだ[8]。7月上旬、持病の裂蹄が悪化したため、競走馬を引退した[9]。
種牡馬時代
須田自身が所有し、日高軽種馬農協浦河種馬場で種牡馬になった[9]。1994年に引退し、乗馬に転向、門別町の日高オーシャンファームに移動した。2003年4月16日、胃破裂のため死亡。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[10]およびJBISサーチ[11]の情報に基づく。
競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭
数 |
枠
番 |
馬
番 |
オッズ
(人気) |
着順 | タイム | 着差 | 騎手 | 斤量
[kg] |
1着馬(2着馬) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1984.11. 3 | 東京 | 3歳新馬 | 芝1800m(良) | 12 | 6 | 8 | 14.9 (5人) | 3着 | 1:52.2 | 田村正光 | 54 | サザンフィーバー | ||
11.17 | 東京 | 3歳新馬 | ダ1700m(不) | 8 | 6 | 6 | 6.6 (3人) | 1着 | 1:46.3 | 田村正光 | 54 | (キヨヒリュウ) | ||
12. 8 | 中山 | 葉牡丹賞 | 4下 | 芝2000m(良) | 9 | 5 | 5 | 5.1 (3人) | 1着 | 2:04.6 | 田村正光 | 54 | (モンテモン) | |
1985.1.19 | 中山 | ジュニアカップ | 芝2000m(良) | 7 | 4 | 4 | 5.1 (2人) | 2着 | 2:04.7 | 田村正光 | 55 | ミラーシロー | ||
2.10 | 東京 | 共同通信杯4歳S | 芝1800m(不) | 12 | 3 | 3 | 19.1 (7人) | 5着 | 1:53.3 | 田村正光 | 55 | サクラユタカオー | ||
3. 3 | 中山 | 弥生賞 | 芝2000m(重) | 13 | 4 | 5 | 21.4 (5人) | 1着 | 2:03.0 | 田村正光 | 55 | (サクラサニーオー) | ||
4.14 | 中山 | 皐月賞 | 芝2000m(稍) | 22 | 3 | 6 | 8.7 (3人) | 6着 | 2:03.2 | 田村正光 | 57 | ミホシンザン | ||
5.26 | 東京 | 東京優駿 | 芝2400m(重) | 26 | 4 | 12 | 8.0 (2人) | 2着 | 2:31.5 | 田原成貴 | 57 | シリウスシンボリ | ||
9.29 | 阪神 | 神戸新聞杯 | 芝2000m(不) | 12 | 8 | 12 | 2.3 (1人) | 5着 | 2:04.8 | 田原成貴 | 56 | スピードヒーロー | ||
10.20 | 京都 | 京都新聞杯 | 芝2200m(良) | 13 | 3 | 4 | 11.5 (3人) | 3着 | 2:15.1 | 田原成貴 | 57 | ミホシンザン | ||
11.10 | 京都 | 菊花賞 | 芝3000m(稍) | 18 | 5 | 11 | 9.6 (2人) | 2着 | 3:08.3 | 田原成貴 | 57 | ミホシンザン | ||
12.22 | 中山 | 有馬記念 | 芝2500m(良) | 10 | 8 | 9 | 38.0 (5人) | 4着 | 2:34.2 | 田原成貴 | 55 | シンボリルドルフ | ||
1986.1.19 | 中山 | アメリカJCC | GII | 芝2200m(良) | 6 | 1 | 1 | 1.9 (1人) | 1着 | 2:13.3 | -0.2 | 田原成貴 | 56 | (ハーバークラウン) |
2.16 | 京都 | 京都記念 | GII | 芝2400m(良) | 14 | 6 | 9 | 1.9 (1人) | 1着 | 2:30.3 | -0.1 | 田原成貴 | 58.5 | (メジロヘンリー) |
3.30 | 阪神 | サンケイ大阪杯 | GII | 芝2000m(稍) | 10 | 8 | 10 | 1.6 (1人) | 2着 | 2:01.6 | 0.0 | 田原成貴 | 57 | サクラユタカオー |
4.29 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 芝3200m(重) | 16 | 8 | 16 | 1.5 (1人) | 7着 | 3:26.4 | 1.0 | 田原成貴 | 58 | クシロキング |
6. 1 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 芝2200m(良) | 17 | 2 | 3 | 5.8 (2人) | 5着 | 2:14.7 | 0.3 | 田原成貴 | 56 | パーシャンボーイ |
10. 5 | 東京 | 毎日王冠 | GII | 芝1800m(良) | 8 | 4 | 4 | 17.0 (7人) | 8着 | 1:47.3 | 1.3 | 田村正光 | 58 | サクラユタカオー |
10.26 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 芝2000m(良) | 16 | 2 | 3 | 31.1(10人) | 10着 | 1:59.8 | 1.5 | 田村正光 | 58 | サクラユタカオー |
11.23 | 東京 | ジャパンカップ | GI | 芝2400m(良) | 14 | 1 | 1 | 65.7(14人) | 14着 | 2:26.7 | 1.7 | 田村正光 | 57 | ジュピターアイランド |
12.21 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m(稍) | 12 | 4 | 4 | 23.5 (9人) | 11着 | 2:34.8 | 0.8 | 田村正光 | 57 | ダイナガリバー |
1987.1.25 | 京都 | 日経新春杯 | GII | 芝2200m(重) | 7 | 3 | 3 | 4.2 (3人) | 5着 | 2:17.4 | 1.3 | 田村正光 | 58 | フレッシュボイス |
3.15 | 阪神 | 阪神大賞典 | GII | 芝3000m(重) | 9 | 7 | 7 | 4.8 (2人) | 1着 | 3:10.3 | 0.0 | 田村正光 | 58 | (マルブツファースト) |
4.29 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 芝3200m(良) | 10 | 7 | 8 | 9.3 (3人) | 3着 | 3:20.8 | 0.4 | 田村正光 | 58 | ミホシンザン |
6.14 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 芝2200m(良) | 13 | 7 | 10 | 15.0 (7人) | 5着 | 2:13.4 | 1.1 | 田村正光 | 57 | スズパレード |
12.27 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m(良) | 16 | 6 | 12 | 37.5(11人) | 13着 | 2:36.0 | 2.1 | 柴田政人 | 56 | メジロデュレン |
1988.1.24 | 中山 | アメリカJCC | GII | 芝2200m(良) | 8 | 4 | 4 | 13.0 (5人) | 4着 | 2:13.7 | 0.3 | 柴田政人 | 59 | カシマウイング |
3.13 | 阪神 | 阪神大賞典 | GII | 芝3000m(稍) | 7 | 4 | 4 | 5.2 (3人) | 7着 | 3:13.5 | 1.4 | 樋口弘 | 59 | タマモクロス |
4.29 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 芝3200m(稍) | 18 | 8 | 17 | 17.6 (9人) | 7着 | 3:24.0 | 2.2 | 岩元市三 | 58 | タマモクロス |
6.12 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 芝2200m(稍) | 13 | 8 | 12 | 24.3 (8人) | 3着 | 2:13.8 | 0.6 | 田島良保 | 56 | タマモクロス |
- 表中の太字強調は、八大競走を示す。
血統表
スダホークの血統(エルバジェ系(ダークロナルド系) / Blue Peter5x4=9.38% ) | (血統表の出典) | |||
父 *シーホーク Sea Hawk 1963 芦毛 アイルランド |
父の父 Herbager1956 鹿毛 |
Vandale | Plassy | |
Vanille | ||||
Flagette | Escamillo | |||
Fidgette | ||||
父の母 Sea Nymph1957 芦毛 |
Free Man | Norseman | ||
Fantine | ||||
Sea Spray | Ocean Swell | |||
Pontoon | ||||
母 アヤベジョー 1973 鹿毛 |
*ファーザーズイメージ Fathers Image 1963 栗毛 |
Swaps | Khaled | |
Iron Reward | ||||
Cosmah | Cosmic Bomb | |||
Almahmoud | ||||
母の母 オンワードホール1966 鹿毛 |
*アポッスル | Blue Peter | ||
Bellani | ||||
ミスオンワード | Hard sauce | |||
*ホールドタイト F-No.5-h |
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “スダホーク|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年8月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『優駿』1992年11月号 65頁
- ^ a b “アヤベジヨー|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年8月1日閲覧。
- ^ 『優駿』1992年11月号 64頁
- ^ 『優駿』1992年11月号 63頁
- ^ a b c d e f g 『優駿』1992年11月号 64頁
- ^ 『優駿』1992年11月号 64頁
- ^ a b c d e f 『優駿』1992年11月号 66頁
- ^ a b 『優駿』1992年11月号 67頁
- ^ “スダホークの競走成績 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2021年8月1日閲覧。
- ^ “競走成績:全競走成績|スダホーク|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年8月1日閲覧。