「鵜の木」の版間の差分
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区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref name="school">{{Cite web|url=http://www.city.ota.tokyo.jp/kyouiku/gakukyou/tsuugaku/index.html|title=通学区域|publisher=大田区|date=2016-05-30|accessdate=2017-12-15}}</ref>。 |
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!丁目!!番地!!小学校!!中学校 |
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2017年12月29日 (金) 00:52時点における版
鵜の木 | |
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パークハウス多摩川から見た鵜の木 | |
北緯35度34分33.2秒 東経139度40分50.3秒 / 北緯35.575889度 東経139.680639度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 大田区 |
地域 | 大森地域 |
面積 | |
• 合計 | 0.71 km2 |
人口 | |
• 合計 | 13,309人 |
• 密度 | 19,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
146-0091[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 品川 |
※座標は大田鵜の木郵便局 |
鵜の木(うのき)は、東京都大田区の町名。現行行政地名は鵜の木一丁目から鵜の木三丁目。郵便番号は146-0091[2]。
地理
大田区の西部に位置し、西辺は多摩川に隣接する。東部は東京都道311号環状八号線(環八通り)に接し、これを境に東嶺町・南久が原へそれぞれ接する。北部は田園調布南に、北東部は西嶺町に、南西部から南部にかけては下丸子にそれぞれ接している(地名はいずれも大田区)。町域内を縦貫する形で、多摩堤通りが通っており、それとほぼ平行して東急多摩川線が通っている。環境は、他の大田区地域と同様に町工場が点在する他は、概ね住宅地となっている。近年は新しいマンションも増えているが、古くから建っている木造・低層住宅が未だ多く残されており、中には昔ながらの長屋も見掛けられる。多摩川の河川敷沿いは、散歩やジョギング、サイクリングに適した場所として知られる。
最寄駅となる東急多摩川線鵜の木駅の周囲には鵜の木商店街がある。
以前は森10系統(池上営業所、下丸子線)のバスが多摩堤通りを通っており、交通手段として利用されていたが、1993年に路線が廃止されたため、現在では当地域へバスは通っていない。
歴史
地名の由来
1826年(文政9年)に編纂された史書、新編武蔵風土記稿によれば、「鵜ノ木は荏原郡の南にあり、村名の起こりは村内鵜ノ森明神の社あるによれりと土人は云えり」とある。ここで言う明神社がどこに存在したのか現在となっては定かではないが、この一帯は昔、鵜が非常に多く住み着いており、豊かな森が広がっていた事からも、そこから自然発生的に呼ばれた「鵜ノ森」から地名が来たと考えられている。
また、鵜の木に古くからある光明寺の記録によれば、1292年(正応5年)には既に「鵜ノ木」の呼称が使われていたとされている。
沿革
- 749年から756年(天平勝宝年間) - 寺伝によれば、この地へ行基が光明寺を開創したとされている。
- 1489年(延徳元年) - この年、下野国から来た天明氏により、この地が開拓されて村落が作られたとされている。当時の地名は武州荏原郡鵜ノ木村と記されている[4]。
- 1826年(文政9年) - この当時、鵜ノ木村の戸数は57戸とされている[4]。
- 1869年(明治2年)3月21日(旧暦:2月9日) - 荏原郡が品川県への所属となる。
- 1872年(明治5年)9月3日(旧暦:7月17日) - 「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」によって、江戸府が東京府となった。この時期の鵜ノ木村は、戸数64戸、人口317人とされている[5]。
- 1878年(明治11年) - 「郡区町村編制法」によって荏原郡への所属となる。これにより、呼称は東京府荏原郡鵜ノ木村となる。
- 1889年(明治22年) - 町村制の施行により上沼部村・下沼部村・峰村と合併して調布村となり、鵜ノ木は大字となる。更に小字は上原・上郷・下郷・河原・大塚(飛び地)となる。
- 1923年(大正13年)2月29日 - 東急目蒲線に鵜ノ木駅(現在の東急多摩川線・鵜の木駅)が新設される。
- 1928年(昭和3年)4月1日 - 調布村に町制が施行されたため、地名が調布村から東調布町に変わる。
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 東京府が東京市となり20区が新設される。これにより東調布町は、周囲の大森・入新井・池上・馬込と共に大森区となり、呼称は東京府大森区調布鵜ノ木町、調布大塚町(飛び地分)となる。
- 1934年(昭和9年)12月1日 - 鵜ノ木駅前に住宅街が開発される。
- 1941年(昭和16年)11月1日 - 大森嶺郵便局(現在の大田鵜の木郵便局)が設置される。
- 1948年(昭和22年)3月15日 - 大森区と蒲田区が統合された事に伴い、大田区の所属となる。
- 1971年(昭和46年)8月 - 1962年(昭和37年)に施行された「住居表示に関する法律」により、大幅に地域の区分けが変わる。現在の鵜の木一丁目から三丁目は、当時の調布鵜ノ木町の大部分と、調布嶺町の全ての地域にあたる。この際、法律の主旨に従って名称を「鵜ノ木」から「鵜の木」へ改められる。
- 1993年(平成5年)11月 - 隣接する下丸子にパークハウス多摩川北街区・南街区[6]が完成(23階建て)。
- 2000年(平成12年)8月6日 - 東急目蒲線が分割され、東急多摩川線が開通。多摩川 - 蒲田間となり、目黒方面へは同時に開通した東急目黒線へ乗り換えなくてはならなくなった。また多摩川線開業とほぼ同時に、鵜の木駅の改修工事や鵜の木駅前の区画整理も行われた(鵜の木ガーデン21)。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
鵜の木一丁目 | 1,822世帯 | 3,513人 |
鵜の木二丁目 | 3,017世帯 | 5,392人 |
鵜の木三丁目 | 2,412世帯 | 4,404人 |
計 | 7,251世帯 | 13,309人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
鵜の木一丁目 | 2番 7〜9番 |
大田区立嶺町小学校 | 大田区立大森第七中学校 |
その他 | 大田区立東調布第三小学校 | ||
鵜の木二丁目 | 5〜8番 | ||
その他 | 大田区立嶺町小学校 | ||
鵜の木三丁目 | 全域 |
施設
- 大田鵜の木郵便局
- 多摩堤通り
- 東急多摩川線鵜の木駅
- 大田区役所鵜の木特別出張所
- 東京法務局城南出張所
- 鵜の木松山公園
- 東京高等学校
- 嶺町幼稚園
- 大田区立多摩堤保育園
- 嶺町幼稚園
- 多摩堤保育園
- 鵜の木児童館
- 鵜の木老人いこいの家
- ゆうゆうくらぶ鵜の木
- 鵜の木商店街 - 鵜の木商店連合会として1953年に組合ができた。
催事
全国鵜の木まつり
毎年7月下旬に行われる。日本全国の鵜の木という名の付く町と共同開催し、当地で行われる。全国各地の名産品・特産品などが集められ、それぞれの地元からの人々も集まる[8]。
盆踊り大会
毎年8月23日前後に2日間行われ、夕方から深夜にかけて盆踊り大会が行われる。老若男女問わず参加しているのが特徴。一般的には前半に子供用となっていることが多い。
脚注
関連項目
- 未来講師めぐる - テレビ朝日系で放送されたテレビドラマ(深田恭子主演)。ヒロイン・吉田めぐる(深田)が勤務していた塾のロケが行われた。
- ちい散歩 - 同局で放送されている地井武男の冠番組。2008年7月1日放送回で地井が散歩した(なお、地井は上記ドラマにも出演している)。
- 月桂冠 (企業) - 「定番酒つき」のCM撮影に鵜の木の町並みが使われた。2005年10月1日から2006年6月2日まで放映され、永作博美が出演していた。