「宇喜田町」の版間の差分
m編集の要約なし |
m cewbot: ウィキ文法修正 104: Unbalanced quotes in ref name |
||
68行目: | 68行目: | ||
== 小・中学校の学区 == |
== 小・中学校の学区 == |
||
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref name=" |
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref name="school">{{Cite web|url=http://www.city.edogawa.tokyo.jp/kyouiku/shisetuitiran/syogakko/shiteiko/index.html|title=町丁目別通学指定校一覧|publisher=江戸川区|accessdate=2017-12-13}}</ref>。なお、江戸川区では[[公立学校選択制|学校選択制度]]を導入しており、区内全域から選択することが可能。<ref>{{Cite web|url=http://www.city.edogawa.tokyo.jp/kyouiku/tetuduki/sentaku/shogakko/aa99990020140714141816414.html|title=江戸川区立小学校「学校選択制」のご案内|publisher=江戸川区|date=2017-05-12|accessdate=2017-12-13}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.city.edogawa.tokyo.jp/kyouiku/tetuduki/sentaku/chugakko/annai.html|title=江戸川区立中学校「学校選択制」及び学校公開のご案内|publisher=江戸川区|date=2017-07-12|accessdate=2017-12-13}}</ref>。 |
||
{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
||
!番地!!小学校!!中学校 |
!番地!!小学校!!中学校 |
2017年12月29日 (金) 00:27時点における版
宇喜田町 | |
---|---|
北緯35度40分38.47秒 東経139度51分48.61秒 / 北緯35.6773528度 東経139.8635028度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 江戸川区 |
人口 | |
• 合計 | 4,383人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
134-0082[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 足立 |
宇喜田町(うきたちょう)は、東京都江戸川区西部の地名・町名。住居表示を実施せず、地番を使用している。郵便番号は134-0082[2]。
地域
江戸川区の南西部、葛西地域の北端部に位置する町である。面積は0.2223平方kmで、区内で41番目に小さな町である[4]。隣接する地域は北は新川を挟んで対岸に船堀三・六丁目、東は北葛西四・五丁目、南は北葛西三丁目、西は北葛西一丁目。
住宅街
宇喜田町の人口は区内で35番目であり、1786世帯、4313人(2011年1月)が在住している。大型の団地はないが一戸建ての住宅が密集しており、人口密度は区内9位で、西葛西とほぼ同じである。
産業
宇喜田町にはテンアライドの関東セントラルキッチン[5][6]など116の事業所があり、1325人が働いている[7]。しかし事業所数は48町中40位、従業者数は35位でビジネス街としては小規模であり、事業所当たりの従業員数(約8人)も区内の平均(約9人)をやや下回っている。業種は建設業(18%)、卸売業・小売業(17%)、製造業(15%)、不動産業(13%)、医療福祉(9%)が多いようである。また区の平均と比較すると建設業(1.82倍)と不動産業(1.79倍)の比率が高く、宿泊業・飲食サービス業(0.43倍)が低いようである。
歴史
宇喜田は1596年(慶長元年)、宇田川定氏によって開発された。元は小松川地先の海辺であり、旧中川や旧江戸川の三角州の南端にあった萱(かや)生地・荒地だった。3000石と公称されるが、実際は正保の検地で約1111石、元禄の検地で約1459石だった。関東郡代伊奈氏の公認・援助があったとされ[8]、代官見立新田とする説や土豪開発新田とする説[9]がある。
宇喜田という名称は宇田川喜兵衛新田の略とされている。[要出典]元戦国大名の宇喜多氏との関連を指摘されることがあるが、配流された八丈島から戻った宇喜多氏の子孫が与えられた土地は、隣の千葉県浦安市内である。[要出典]
本来の宇喜田は、現在の北葛西から東葛西まで広がっていた。元禄時代に西宇喜田村と東宇喜田村に分かれたが、明治時代に近隣の村々と合併して葛西村になった。昭和7年(1932年)の江戸川区成立時に西宇喜田町・東宇喜田町となったが、昭和9年(1934年)に東宇喜田町は葛西一・二丁目等に変更され(現在の東葛西など)、西宇喜田町は宇喜田町と改称された。1979年(昭和54年)の住居表示実施により、宇喜田町の大半は北葛西一~五丁目となったが一部地区は住居表示を拒絶し、宇喜田という地名を残した。これが現在の宇喜田町である。
棒茅場通りや新田仲町通りは、東西宇喜田村の境に沿っていると思われる[10]。それより南は海辺で周辺の村々の飛び地だった。西側には東小松川村の飛び地などがあり、東大島駅付近を流れる旧中川とは接していなかった[11]。1930年(昭和5年)に荒川放水路が完成し、東小松川村などが水没し、現在のような地形になった。北東部では中葛西一丁目も宇喜田であり、現在でも宇喜田東公園などの地名が残っている。葛西地域では、この他にも雷(いかずち)、仲町、棒茅場(ぼうしば)などの古い地名が散見される。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
宇喜田町 | 1,934世帯 | 4,383人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12]。なお、江戸川区では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。[13][14]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 江戸川区立宇喜田小学校 | 江戸川区立葛西第二中学校 |
交通
公共交通
宇喜田町に鉄道駅および鉄道路線は存在しない。近隣地域に2路線2駅が徒歩利用可能圏に所在し、地区南端部からは南方の地下鉄東西線が、それ以外からは北方の都営新宿線が最寄駅となる。
- 都営バス:江戸川営業所と同臨海支所の管轄である。
- 臨海22系統:船堀駅 - 西葛西駅 - 臨海車庫
- 葛西24系統:船堀駅 - 葛西郵便局 - 葛西駅 - なぎさニュータウン
- 西葛26系統:船堀駅 - 西葛西駅 - 東京臨海病院 - 臨海町二丁目団地 - なぎさニュータウン - コーシャハイム南葛西 - 葛西臨海公園駅
- 秋26系統:秋葉原駅 - 神田駅(休日は非経由) - (岩本町駅 → 馬喰町 → 東日本橋駅 →)(←小伝馬町 ← 人形町三丁目 ← 水天宮前)- 清澄白河駅 - 白河 - 境川 - 東砂六丁目 - 葛西駅
- 亀29系統:亀戸駅 - 西大島駅 - 境川 - 東砂六丁目 - 西葛西駅 - 葛西駅通り - なぎさニュータウン
道路・橋梁
- 東京都道308号千住小松川葛西沖線(船堀街道)
- 宇喜田通り
- 宇喜田橋(新川。宇喜田町 - 船堀二・三丁目)
- 新渡橋(新川。宇喜田町 - 船堀六・七丁目)
施設
- 官公署
- 葛西くすのきカルチャーセンター
- 葛西警察署宇喜田駐在所
- 教育
- 江戸川区立葛西第二中学校
史跡
- 稲荷大明神
脚注
- ^ a b “町丁目別世帯と人口・年齢別人口報告”. 江戸川区 (2017年12月8日). 2017年12月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月13日閲覧。
- ^ 江戸川区 (2012年2月). “統計江戸川区 土地・人口・気象”. 2013年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月21日閲覧。
- ^ テンアライド. “企業概要・沿革”. 2015年8月15日閲覧。
- ^ “テンアライド、埼玉に新工場 東京から16年移転”. 日本経済新聞 (2015年8月8日). 2015年8月15日閲覧。
- ^ 江戸川区 (2012年2月). “統計江戸川区 産業”. 2010年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月21日閲覧。
- ^ 『江戸川区史』 P174
- ^ 『江戸川区の民俗4』の山田真佐男の説
- ^ 『江戸川区の民俗4』の地図より
- ^ 東京都第一区画整理事務所『今よみがえる葛西沖』の明治38年の地図より。P15
- ^ “町丁目別通学指定校一覧”. 江戸川区. 2017年12月13日閲覧。
- ^ “江戸川区立小学校「学校選択制」のご案内”. 江戸川区 (2017年5月12日). 2017年12月13日閲覧。
- ^ “江戸川区立中学校「学校選択制」及び学校公開のご案内”. 江戸川区 (2017年7月12日). 2017年12月13日閲覧。
参考文献
- 『江戸川区史 第1巻』(1976年)
- 江戸川区教育委員会編『江戸川区の民俗4 葛西地区の民俗』(1993年)