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[[ハワイ-天皇海山列の火山の一覧|ハワイ-天皇海山列]]の[[北西ハワイ諸島]]に属する火山島。[[ハワイ]]から[[東京]]への距離の1/3ほどの位置にある。約2,800万年前に[[ハワイ・ホットスポット]]で[[ハワイ諸島]]の[[ラナイ島]]とほぼ同程度の火山島を形成したと考えられ、[[プレートテクトニクス|プレート運動]]により移動しながら活動を休止、徐々に沈降しながら[[環礁]]を形成した。礁湖は2つの大きな島(''Sand Island'' 0.49km<sup>2</sup>、''Eastern Island'' 0.14<sup>2</sup>)といくつかの無人島で囲まれ、陸地面積は6.23km<sup>2</sup>、礁湖の面積は60.1km<sup>2</sup>、これに砂州が加わる。西に隣接する[[クレ環礁]]とともに、環礁形成の北限とされる。 |
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[[北米大陸]]と[[ユーラシア大陸]]の中間点に位置し、「ミッドウェー」の名称はこれに由来している。北西ハワイ諸島のなかでは、ほぼ唯一の有人島で人口60人ほど(2014年)を有するが、ミッドウェー島だけが[[ハワイ州]]に属していない。 |
2017年11月29日 (水) 00:02時点における版
ミッドウェー島(ミッドウェーとう、Midway Atoll)、ミッドウェイ島は、北太平洋のハワイ諸島北西にある環礁で、ミッドウェー諸島やミッドウェー環礁[1]とも呼ばれる。位置は北緯28度13分 西経177度22分 / 北緯28.217度 西経177.367度。 アメリカ領太平洋諸島に属し、標準時はUTC-11。
地理
ハワイ-天皇海山列の北西ハワイ諸島に属する火山島。ハワイから東京への距離の1/3ほどの位置にある。約2,800万年前にハワイ・ホットスポットでハワイ諸島のラナイ島とほぼ同程度の火山島を形成したと考えられ、プレート運動により移動しながら活動を休止、徐々に沈降しながら環礁を形成した。礁湖は2つの大きな島(Sand Island 0.49km2、Eastern Island 0.142)といくつかの無人島で囲まれ、陸地面積は6.23km2、礁湖の面積は60.1km2、これに砂州が加わる。西に隣接するクレ環礁とともに、環礁形成の北限とされる。
北米大陸とユーラシア大陸の中間点に位置し、「ミッドウェー」の名称はこれに由来している。北西ハワイ諸島のなかでは、ほぼ唯一の有人島で人口60人ほど(2014年)を有するが、ミッドウェー島だけがハワイ州に属していない。
歴史
1859年7月5日に Captain N.C. Middlebrooks(Captain Brooksとして知られる)によって発見され、「Middlebrook Islands」と命名された。 1867年8月28日に Captain William Reynolds が米軍艦 USS Lackawanna で訪れ、アメリカ合衆国による領有を宣言し[2]、ミッドウェー(Midway)島と改名した。
1871年3月24日、議会から資金を得た Pacific Mail Steamship Company のUSS Saginawが、ラグーンへの水路建設事業に着手した。ハワイ王国の港湾使用料を避ける給炭所を建設する計画だったが、10月29日に船が立ち寄ったクレ環礁で座礁し、事業は失敗した。
1903年1月20日、アメリカ海軍管理下に置かれた。この年開通したサンフランシスコ-マニラ間の太平洋海底ケーブル[3]を敷設中だった Commercial Pacific Cable Company の要請に応じたもので、21人の海兵隊員が駐留した。工事に伴い、多数の外来種が持ち込まれた。
1935年に、パンアメリカン航空の飛行艇がアメリカ-中国航路を開設すると、その中継地となり、太平洋を横断する航空機の給油地となった。 軍事面の要衝であり、1940年頃よりハワイ防衛の拠点として基地化が進んだ。
第二次世界大戦中の1942年6月4日には、この環礁を巡り、近海で日本海軍とアメリカ軍との海戦が行われアメリカ軍が勝利した(ミッドウェー海戦)。日本は海戦に勝利した場合、ミッドウェー島を『水無月島』と改名し領土化することを予定し、直ちに占領体制を敷けるよう郵便局長など多数の文官を艦隊に帯同させたが、敗退によってその試みは潰えた。
冷戦期もアメリカ海軍の基地が置かれ、ベトナム戦争中の1969年6月8日にはベトナム共和国のグエン・バン・チュー大統領とニクソン大統領の会談の場となった。 冷戦終結後、島は自然保護区(ミッドウェー環礁国立自然保護区)となることが決定され、軍事基地は1996年に閉鎖された。その後はエコツーリズムの場として観光客の受け入れが行われていたが2002年に中止された。 合衆国魚類野生生物局の管理下、担当官が数十名駐在して野生生物の保護、汚染の調査などにあたり、2012年まではボランティアの受け入れも行われ、Google ストリートビューも撮影されたが、2013年以降は予算削減により無人化した。
一般人の立ち入りは制限されているが、その地理的環境から、稀に太平洋を横断する航空機が緊急着陸することがある[4]ほか、島内にミッドウェー海戦の慰霊碑[5]がある関係から、日本の海上自衛隊の艦船が立ち寄ることがある。
自然
ミッドウェー諸島には数々の海鳥が生息する。なお、クロアシアホウドリの世界最大の繁殖地であり、旗になっているコアホウドリも非常に多い。特に、カモメ科の海鳥ではセグロアジサシ、クロアジサシ、ナンヨウマミジロアジサシ等のアジサシ類が多数生息している。その他、レイサンガモやレイサンヨシキリ等の固有種も数々存在するが、外来種の侵入や狩猟によって、その多くが絶滅したり、または絶滅危惧種になっている。2011年、2012年、2014年にはイースタン島でアホウドリの繁殖が確認されている[6][7]。
自然保護政策の一環として、2006年にアメリカ合衆国ナショナル・モニュメントとなる、北西ハワイ諸島海洋ナショナル・モニュメント(後にパパハナウモクアケア海洋ナショナル・モニュメント)(en)が設置され、ミッドウェー島もそれに含まれている[1]。
脚注
- ^ a b Andrew BEATTY (2016年9月4日). “オバマ米大統領、ミッドウェー環礁を訪問 保護面積4倍に拡大”. AFP通信. 2016年11月19日閲覧。
- ^ アメリカ初の海外領土とされている
- ^ 6月27日にグアムと、7月3日にホノルルと接続され、翌日にルーズベルト大統領による演説が地球を初めて一周した
- ^ 2011年6月16日のデルタ航空ボーイング747(ホノルル発大阪行)や、2014年7月11日のユナイテッド航空ボーイング777-200(ホノルル発グアム行)など
- ^ 1999年6月設置。『滄海よ眠れ』と彫られた小さな慰霊碑で、本島北端のクリッパーギャラリー西側にあり、Googleストリートビューで遠望できる
- ^ “ミッドウェー環礁から、アホウドリのひなが今年も巣立つ”. 東邦大学メディアネットセンター (2012年7月6日). 2013年3月2日閲覧。
- ^ “ミッドウェー環礁でオキノタユウの3羽目のひなが誕生”. 東邦大学メディアネットセンター (2014年1月21日). 2014年3月21日閲覧。