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「大宮売神社」の版間の差分

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{{神社
{{神社
|名称=大宮売神社
|名称 = 大宮売神社
|画像 = [[ファイル:Omiyame-Jinjya Shaden.jpg|250px]]
|画像 = [[File:Omiyame-jinja, haiden.jpg|280px]]<br>拝殿<br>(拝殿前左右に石燈籠(国の[[重要文化財]]))
|所在地=[[京都府]][[京丹後市]]大宮町周枳1020
|所在地 = [[京都府]][[京丹後市]]大宮町周枳
|緯度度 = 35|緯度分 = 35|緯度秒 = 28.37
|位置={{ウィキ座標2段度分秒|35|35|28|N|135|06|07|E|region:JP-26_type:landmark|display=inline,title|name=大宮売神社}}
|経度度 = 135|経度分 = 6|経度秒 = 6.73
|祭神=大宮売神<br/>若宮売神
|ISO = JP-26
|社格=式内社(名神大)・丹後国二宮・府社
|祭神 = [[オオミヤノメ|大宮賣神]]<br>若宮賣神
|本殿=(旧本殿)隅木入春日造・(現本殿)流造
|神体 =
|例祭=10月上旬
|社格 = [[式内社]]([[名神大社|名神大]]2座)<br>(伝)[[丹後国]][[一宮|二宮]]<br>旧[[府社]]
|創建 = 不詳
|例祭 = [[10月10日]]
|本殿 = [[流造]]
|別名 = 大宮賣神社・周枳社・周枳宮
|札所等 =
|神事 =
|ラベル位置 = top
|地図 = Japan Kyoto
}}
}}
[[ファイル:Omiyame-Jinjya Torii.jpg|thumb|250px|境内入り口]]
[[File:Omiyame-jinja, torii.jpg|thumb|250px|right|{{center|鳥居}}]]
'''大宮売神社'''(おおみやめじんじゃ)は、[[京都府]][[京丹後市]]大宮町周枳(すき)にある[[神社]]である。[[式内社]]([[名神大社|名神大]]・二座)、[[丹後国]]二宮。
'''大宮売神社'''(おおみやめじんじゃ/おおみやのめじんじゃ{{Sfn|大宮売神社(国史)}}、'''大宮賣神社''')は、[[京都府]][[京丹後市]]大宮町周枳(すき)にある[[神社]]。[[式内社]]([[名神大社]])、[[丹後国]][[一宮|二宮]]を称する。[[近代社格制度|旧社格]]は[[府社]]。古くは「周枳社」・「周枳宮」とも{{Sfn|大宮売神社(平凡社)|1981}}

== 概要 ==
京都府北部、[[竹野川]]上流の右岸段丘上の木積山西麓に鎮座する{{Sfn|大宮売神社(平凡社)|1981}}{{Sfn|京丹後市の考古資料|2010|p=130}}。祭神を[[オオミヤノメ|大宮売神]]・若宮売神の2柱とし、宮中の奉斎神として著名な大宮売神を宮中以外で祀る唯一の式内社として知られ、一説には宮中の大宮売神の元社になるともいわれる。

境内一帯は考古遺跡としても知られ、これまでに[[弥生時代]]前期以降の多くの遺物が出土している。特に[[古墳時代]]中期の祭祀遺物が多数認められることから、古代祭祀場から神社へと発展したことが確実視される。祭神の特殊性に加えて、原始祭祀から律令祭祀への変遷を考古学的に詳らかとする点で重要視される神社になる。

境内は京都府指定史跡に指定されているほか、石燈籠2基が国の[[重要文化財]]に、社殿のうち旧本殿が京丹後市指定有形文化財に指定されている。また民俗芸能も保存されており、三番叟・笹ばやし・神楽が京丹後市指定無形民俗文化財に指定されている。


== 祭神 ==
== 祭神 ==
<div class="thumb tright">
[[天照大神]]に仕え[[天皇]]を守護する[[八神殿|八神]]の一柱であり、織物と酒造を司る[[オオミヤノメ|大宮売神]](おおみやめのかみ)、食物・穀物を司る女神である若宮売神(わかみやめのかみ、[[トヨウケビメ|豊受大神]])の二神を祀る。
{| class="wikitable" style="background:#ffffff;text-align:center;font-size:85%;"
|+[[神祇官]]西院の<br>[[八神殿|御巫祭神八座]]
!殿!!神名
|-
|第一殿||[[カミムスビ|神産日神]]
|-
|第二殿||[[タカミムスビ|高御産日神]]
|-
|第三殿||玉積産日神
|-
|第四殿||生産日神
|-
|第五殿||足産日神
|-
|第六殿||[[オオミヤノメ|大宮売神]]
|-
|第七殿||[[御食津神]]
|-
|第八殿||[[事代主|事代主神]]
|}
</div>
現在の祭神は次の2柱<ref name="由緒書">神社由緒書。</ref>。
* '''[[オオミヤノメ|大宮賣神]]'''(おおみやめのかみ、大宮売神)
* '''若宮賣神'''(わかみやめのかみ、若宮売神)

[[延長 (元号)|延長]]5年([[927年]])成立の『[[延喜式]]』[[延喜式神名帳|神名帳]]<ref group="原" name="神名帳"/>・臨時祭 名神祭条<ref group="原" name="名神祭"/>における祭神の記載は2座。いずれも「大宮売神社二座」と見え、祭神2座のうち1座は[[オオミヤノメ|大宮売神(オオミヤノメ/オホミヤノメ)]]であることが知られる。この大宮売神は宮中に祀られたことで有名な神で、『延喜式』神名帳では全国3,132座の筆頭である[[神祇官]]西院[[八神殿|御巫祭神8座]]のうちの1座として見えるほか、[[造酒司]]坐神に大宮売神社として4座と見える(「[[宮中・京中の式内社一覧]]」参照){{Sfn|大宮売神(国史)}}。一方で同帳では「大宮売」を社名とする神社は当社の他に見えず、大宮売神を宮中以外で祀る式内社としては当社が唯一となる<ref name="岡田精司2011年"/>。

大宮売神は『[[日本書紀]]』・『[[古事記]]』に記載のない神で、『[[古語拾遺]]』に[[フトダマ|太玉命]]の久志備に生ませる神と記載される以外は詳らかでない{{Sfn|大宮売神(国史)}}。考証上では宮殿を人格神化した神とする説や、天皇側近の[[内侍]](女官)を神格化した神とする説が挙げられる<ref name="岡田精司2011年">[[岡田精司]] 『新編 神社の古代史』 学生社、2011年、p. 185。</ref>。宮中の大宮売神と丹後の大宮売神の関係も詳らかではないが<ref name="岡田精司2011年"/>、一説には丹後の地方神であった大宮売神が宮中に取り入れられたとされる{{Sfn|京都府埋蔵文化財情報 第8号|1983|pp=35-37}}。丹後地方では他にも后妃伝承が多く認められており、それらとともに[[ヤマト王権]]の宮廷と丹後地方との結びつきが示唆される<ref>『図説京丹後市の歴史』 京丹後市、2012年、pp. 45-46。</ref>。なお、大宮売神社側では大宮売神を[[アメノウズメ|天鈿女神]]と同一視する説を挙げる<ref name="由緒書"/>。

もう1柱の祭神である若宮売神については詳らかでない。大宮売神社側では[[トヨウケビメ|豊受神]]と同一視する説を挙げる<ref name="由緒書"/>。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
=== 創建 ===
草創の年代は不詳だが、境内から出土する多数の遺物から証せられるように、この地は遠き古代弥生時代の頃に、古代天皇家の祭祀を司った人々の生活があり、稲作民による祭祀呪術的な権力を持つ豪族の国(大丹波)の祭政の中心の地であったといわれる。当宮の境内は、神社としての社ができる以前に、既に古代の政(まつりごと)が、おこなわれていた地である。[[6世紀]]と思われる頃、大和朝廷に統一された大宮売神は、宮中八神殿の一柱で造酒司(みきつかさ)にも奉斎され、この神を祭る最も古い社といわれる。「新抄格勅符抄」によると[[大同 (日本)|大同]]元年([[806年]])に神封七戸を得たとされ、大宮売神に神領二千五百石、若宮売神に千五百石の神封が充てられ[[貞観 (日本)|貞観]]元年([[859年]])には[[従五位上]]の[[神階]]を賜わっている。丹後国田数帳によると、三十町伍反十歩が神領であり、中世の頃にも祭儀は盛大を極めていたことが推察できる。大宮売神を祀る最も古い神社である。
創建は不詳{{Sfn|大宮売神社(平凡社)|1981}}{{Sfn|大宮賣神社二座(式内社)|1984}}。社記では、[[崇神天皇]]7年に詔勅で大宮売神を祀り、崇神天皇10年に[[丹波道主命]]が若宮売神を祀ったと伝える{{Sfn|大宮賣神社二座(式内社)|1984}}。


考古学的には、境内一帯は弥生時代前期に始まる遺跡として知られ、これまでに多くの遺物が出土している。それらの様相によれば、当地では[[弥生時代]]から集落が存在し、[[古墳時代]]には祭祀遺跡が成立したのち、[[奈良時代]]にはそれが神社へと発展したと推定される{{Sfn|京丹後市の考古資料|2010|p=130}}。
旧本殿は[[元禄]]8年([[1695年]])に建てられたとされ、丹後半島では珍しい隅木入春日造。[[昭和]]2年([[1927年]])の[[北丹後地震|丹後大震災]]で損壊し、現在は忠霊社としている。境外社・[[御旅所]]として当社から500mほどのところに石明神遺跡([[古墳時代]]後期の[[横穴式石室]]跡)がある。


=== 概史 ===
境内には石燈籠2基があり、うち1基には「[[徳治]]二年丁未三月七日」の刻銘がある(徳治2年は1307年)。[[鎌倉時代]]の石造美術品として貴重で国の[[重要文化財]]に指定されている。また境内そのものも祭祀遺跡(大宮売神社遺跡)であり、京都府指定史跡となっている。境内からは[[弥生時代]]後期から古墳時代前期にかけての[[土器]]や[[勾玉]]が出土している。本殿の裏手は「禁足の杜」となっている。
==== 古代 ====
『[[新抄格勅符抄]]』[[大同 (日本)|大同]]元年([[806年]])牒<ref group="原">『新抄格勅符抄』巻10(神事諸家封戸)大同元年(806年)牒({{Harvnb|神道・神社史料集成}}参照)。</ref>では、当時の「大宮咩神」に[[神戸 (民戸)|神戸]]として[[丹波国]]から7戸が充てられている{{Sfn|大宮売神社(平凡社)|1981}}。


[[六国史|国史]]では、[[天安 (日本)|天安]]3年([[859年]])<ref group="原" name="貞観元年条"/>に[[丹後国]]の「大宮売神」の[[神階]]が従五位下から従五位上に昇叙された旨が記される{{Sfn|大宮売神社(平凡社)|1981}}。
=== 近代の沿革 ===

* [[1872年]]([[明治]]5年) - 旧宮津藩主の居宅を社務所として移築
[[延長 (元号)|延長]]5年([[927年]])成立の『[[延喜式]]』[[延喜式神名帳|神名帳]]<ref group="原" name="神名帳">『延喜式』巻10(神名下)丹後国丹波郡条。</ref>では、丹後国[[丹波郡]]に「大宮売神社二座 名神大」として、2座が[[名神大社]]に列する旨が記載されている{{Sfn|大宮賣神社二座(式内社)|1984}}。また『延喜式』臨時祭 名神祭条<ref group="原" name="名神祭">『延喜式』巻3(臨時祭)名神祭条({{Harvnb|神道・神社史料集成}}参照)。</ref>では、名神祭二百八十五座のうちに大宮売神社二座が見える{{Sfn|大宮売神社(平凡社)|1981}}。
* [[1872年]](明治6年) - 郷社に指定される

* [[1924年]]([[大正]]13年)[[4月5日]] - 府社に昇格される
[[平安時代]]中期の『[[和名抄]]』に見える地名のうちでは、現鎮座地は丹波郡周枳郷に比定される{{Sfn|大宮売神社(神々)|2000}}。この「周枳(すき)」に関しては、天皇即位時の[[大嘗祭]]において丹波が主基の国に定められた際、周枳郷が主基の里に定められたことに由来するとして、それに大宮売神社の存在を関連づける説が挙げられている<ref>「周枳郷」『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』 平凡社、1981年。</ref>。
* [[1927年]]([[昭和]]2年)[[3月7日]] - 丹後大震災により本殿の屋根などを損壊

* [[1930年]](昭和5年)[[4月11日]] - 現本殿、絵馬舎等を落成
平安時代末期には当社とその社領は弘誓院に施入されており、[[安元]]2年([[1176年]])2月日付の「八条院領目録」では「弘誓院御庄庄」に「丹後国周枳」と見える{{Sfn|大宮売神社(平凡社)|1981}}。
* [[1962年]](昭和37年)[[2月2日]] - 石燈籠2基が国の重要文化財に指定される

* [[1985年]](昭和60年)[[7月1日]] - 旧本殿1棟が大宮町指定文化財に指定される
==== 中世 ====
* [[1986年]](昭和61年)[[4月15日]] - 境内が京都府指定史跡に指定される
[[中世]]期には、[[承久]]4年([[1222年]])4月5日付の太政官牒において弘誓院領の1つとして「壱処{{sub|字周枳社}}在丹後国丹波郡大宮部大明神」と見える{{Sfn|大宮売神社(平凡社)|1981}}。また『丹後国田数帳』によれば、周枳郷64町4段250歩のうち実に30町5段10歩が当社神領であった{{Sfn|大宮売神社(平凡社)|1981}}。[[徳治]]2年([[1307年]])には石燈籠が寄進されている(現存)。

なお、現在の大宮売神社では丹後国二宮を称するが、中世期に二宮であったことを示す史料は見つかっていない<ref>『中世諸国一宮制の基礎的研究』 中世諸国一宮制研究会編、岩田書院、2000年、p. 399。</ref>。

==== 近代以降 ====
近代以降の変遷は次の通り。
* [[明治]]6年([[1873年]])、[[近代社格制度]]において[[村社]]に列格{{Sfn|大宮賣神社二座(式内社)|1984}}。
* [[大正]]11年([[1922年]])、京都府史蹟勝地調査会による試掘調査([[梅原末治]]委員、[[1923年]]に報告書刊行){{Sfn|京丹後市の考古資料|2010|p=130}}。
* 大正13年([[1924年]])、府社に昇格{{Sfn|大宮賣神社二座(式内社)|1984}}。
* [[昭和]]2年([[1927年]])、[[北丹後地震]]で本殿などに被害{{Sfn|大宮賣神社二座(式内社)|1984}}。
* 昭和5年([[1930年]])、現本殿の造営{{Sfn|大宮賣神社二座(式内社)|1984}}。
* 昭和37年([[1962年]])[[2月2日]]、石燈籠2基が国の[[重要文化財]]に指定<ref name="国指定 石燈籠"/>。
* 昭和61年([[1986年]])[[4月15日]]、境内が京都府指定史跡に指定<ref name="京都府指定・登録等文化財"/>。
* 昭和63年([[1988年]])、駐車場擁壁設置に伴う境内の立会調査{{Sfn|京丹後市の考古資料|2010|p=130}}。
* [[平成]]13年([[2001年]])、下水道工事に伴う境内の立会調査{{Sfn|京丹後市の考古資料|2010|p=130}}。

=== 神階 ===
* [[天安 (日本)|天安]]3年([[859年]])1月27日、従五位下から従五位上 (『[[日本三代実録]]』)<ref group="原" name="貞観元年条">『日本三代実録』貞観元年(859年)正月27日条({{Harvnb|神道・神社史料集成}}参照)。</ref> - 表記は「大宮売神」。
社蔵の神額(年次不明)では、大宮売神を正一位、若宮売神を従一位とする。

== 境内 ==
境内は[[竹野川]]上流の小盆地の東南部に南面して位置する。間人街道から参道を約150メートル進んだ先に主要社殿として本殿・拝殿・旧本殿が建ち並び、本殿裏には禁足の杜がある。境内は祭祀遺跡としても知られ、式内社としての比定は確実であり、かつ古社としての景観も保たれていることから、歴史的に重要な意義があるとして京都府指定史跡に指定されている{{Sfn|京都の文化財 第3集|1985|p=48}}。

=== 社殿等 ===
[[File:Omiyame-jinja, shaden.jpg|thumb|220px|right|{{center|社殿}}{{small|中央に拝殿、右奥に本殿。}}]]
[[File:Omiyame-jinja, old honden.jpg|thumb|220px|right|{{center|旧本殿(京丹後市指定文化財)}}{{small|現在は境内社の忠霊社。}}]]
主要社殿のうち'''本殿'''は、昭和2年(1927年)の[[北丹後地震]]で旧本殿が被災したのを受け、昭和5年(1930年)に造営されたものである。形式は[[流造]]{{Sfn|大宮賣神社二座(式内社)|1984}}。本殿の前には拝殿が接続する。

'''旧本殿'''は、江戸時代の元禄8年(1695年)の造営。丹後半島では珍しい隅木入春日造で、前面に軒唐破風の向拝を付す。屋根は元は杮葺であったが、北丹後地震で損壊したため、現在は銅板葺に改められている。蟇股や向拝には巧みな彫刻が認められる。この旧本殿は京丹後市指定有形文化財に指定され、現在は境内東側に移築されたうえで境内社忠霊社の社殿として使用されている<ref name="京丹後市 大宮売神社旧本殿"/>。

拝殿前の左右には各1基の'''石燈籠'''が建てられている。各祭神に1基ずつ献灯されたものとされ、1基は総高266.6センチメートルを測り、「徳治二年{{sub|丁未}}三月七日」「大願主」「進」の刻銘を有し、[[鎌倉時代]]の[[徳治]]2年([[1307年]])の寄進とされる。他1基は総高259.4センチメートルを測り、無銘であるが同時期の作と見られる。2基は国の[[重要文化財]]に指定されている{{Sfn|大宮売神社(平凡社)|1981}}<ref name="京丹後市 大宮売神社石灯籠"/>。

そのほか、社務所は明治5年([[1872年]])に旧[[宮津藩|宮津藩主]]の別宅を移築したものになる<ref name="由緒書"/>。
<gallery>
File:Omiyame-jinja, honden.jpg|本殿
File:Omiyame-jinja, tourou-2.jpg|石燈籠(拝殿前西側、国の[[重要文化財]])
File:Omiyame-jinja, tourou-1.jpg|石燈籠(拝殿前東側、国の重要文化財)
File:Omiyame-jinja, emaden.jpg|絵馬殿
File:Omiyame-jinja, keidai-torii-2.jpg|境内鳥居
File:Omiyame-jinja, sandou.jpg|参道
</gallery>

=== 境内遺跡 ===
前述の通り、大宮売神社の境内地および周辺は考古遺跡として知られ、これまでの発掘調査や開発において[[弥生時代]]前期に始まる多くの遺物が出土している。神社境内地からの主な出土遺物としては、[[古墳時代]]中期後葉頃の滑石製勾玉・管玉・臼玉・鏡形石製品・鏃形石製品・環状石製品・ミニチュア土器などがある{{Sfn|京丹後市の考古資料|2010|p=130}}。これらは実用性を欠くところから祭祀遺物と解される{{Sfn|大宮売神社遺跡(平凡社)|1981}}。また神社周辺の流路跡からは、弥生時代前期から奈良時代頃、特に弥生時代中期-後期を中心とする大量の遺物が検出されている{{Sfn|京丹後市の考古資料|2010|p=130}}。

以上の出土遺物の様相によれば、当地では[[弥生時代]]前期から集落形成が始まり、弥生時代中期-後期には大規模な拠点集落として発展したとされる{{Sfn|京丹後市の考古資料|2010|p=130}}。そして古墳時代中期後葉には祭祀遺跡が成立して、奈良時代には神社へと発展したと見られる{{Sfn|京丹後市の考古資料|2010|p=130}}。同じ場所で祭祀遺跡から神社に発展したことが明らかである点で、貴重な例とされる{{Sfn|京丹後市の考古資料|2010|p=130}}。

なお一帯では多くの[[古墳]]も分布しており、現在の[[御旅所]]である石明神も[[横穴式石室]]の古墳になる。
<gallery>
File:Omiyame-jinja, sekihi.jpg|古代祭祀之地碑
File:Omiyame-jinja, kinsoku-no-mori.jpg|本殿裏の禁足の杜
File:Omiyame-jinja, Ishimyojin.jpg|石明神(御旅所)
</gallery>


== 摂末社 ==
== 摂末社 ==
* 忠霊社 - 社殿は本社旧本殿(前述)。
[[摂末社]]には以下の10社がある。これらには町内にある神社の境内社を含む。
* 大歳神社(歳命、年命)
* 大川・秋葉・武・稲荷・岳社
* 三社(天照皇大神・春日大神・八幡大神)
* 武大神社(素戔嗚命)
* 大川神(保食命)
* 大
* 秋葉神社(訶具土命)
* 天満天神社
* 庚申社
* 稲荷神社(倉稲魂命)
* 弁財天社
* 佐田彦神社(猿田彦命、事代主命)
* 三社の
* 八幡
<gallery>
** 天照皇神社(天照大神)
File:Omiyame-jinja, keidaisha-2.jpg|境内社(本殿西側)
** 春日神社(天児屋根命)
File:Omiyame-jinja, keidaisha-1.jpg|境内社(本殿東側)
** 八幡神社(誉田別命)
File:Omiyame-jinja, Koushin-sha.jpg|庚申社
* 天満神社(菅原道真)
File:Omiyame-jinja, Benzaiten-sha.jpg|弁財天社
</gallery>


== 祭事 ==
== 祭事 ==
大宮売神社で年間に行われる祭事は次の通り<ref name="由緒書"/>。
* 秋祭り(笹ばやし・神楽・三番叟・太刀振り(+大人神輿・子供神輿)) (10月第1土・日曜)
* 歳旦祭(厄除開運)([[1月1日]])
* 祈年祭(春)
* 水無月祭([[6月30日]])
* 宵宮([[10月9日]])
* 例祭([[10月10日]])
* 新嘗祭(秋)
例祭では、神輿渡御・太刀振が行われるとともに、「三役」と称される三番叟(さんばそう)・笹ばやし・神楽といった芸能3種が奉納される。三番叟は、少年3人の舞手のほか大勢の唯子方・後見役で行われ、一番叟は千歳、二番叟は翁、三番叟は揉の段・問答・鈴の段(黒式尉)の次第が催される。笹ばやしは風流小歌踊の一種で、太鼓方10余人や新発意役1人・唄方10余人で行われ、「弁慶踊」・「上様踊」・「月待踊」の3曲が催される。神楽は太神楽系の獅子舞で、荷屋台の太鼓と笛喋子による2人立ちで行われ、「剣の舞」・「鈴の舞」・「おこり舞」の3曲が催される。これら三番叟・笹ばやし・神楽は京都府登録無形民俗文化財に登録されているほか、京丹後市指定無形民俗文化財に指定されている{{Sfn|京都の文化財 第3集|1985|pp=44-45}}<ref name="京丹後市 周枳の三番叟・笹ばやし・神楽"/>。


== 文化財 ==
== 文化財 ==
'''重要文化財(国指定)'''
=== 重要文化財(国指定) ===
* 石燈籠 2基(工芸品) - 1基は鎌倉時代の徳治2年(1307年)の作、他1基は鎌倉時代頃の作。昭和37年(1962年)2月2日指定<ref name="国指定 石燈籠">{{国指定文化財等データベース|201|6808|石燈籠}}<br>{{国指定文化財等データベース|201|6809|石燈籠}}</ref><ref name="京丹後市 大宮売神社石灯籠">[https://www.city.kyotango.lg.jp/top/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/3/1/2/3313.html 大宮売神社石灯籠](京丹後市ホームページ)。</ref>。
* 石燈籠2基
'''京都府指定史跡'''
* 大宮売神社境内
'''京丹後市指定文化財'''
* 旧本殿(京丹後市指定有形文化財)
* 三番叟・笹ばやし・神楽(京都府登録文化財・京丹後市指定無形民俗文化財)


=== 京都府指定文化財 ===
== 近隣 ==
* 史跡
* [[大谷古墳]]、[[新戸古墳]]、[[左坂古墳群]]、[[笠町古墳群]]、[[網野銚子山古墳]]
** 大宮賣神社境内 - 昭和61年(1986年)4月15日指定<ref name="京都府指定・登録等文化財">[http://www.kyoto-be.ne.jp/bunkazai/cms/?page_id=200 京都府指定・登録等文化財](京都府教育庁指導部文化財保護課)。</ref><ref name="京丹後市 大宮売神社境内">[https://www.city.kyotango.lg.jp/top/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/3/1/1/3431.html 大宮売神社境内](京丹後市ホームページ)。</ref>。
* [[小野小町]]の墓


=== 京都府登録文化財 ===
== アクセス ==
* 無形民俗文化財
* 鉄道
** 周枳の三番叟・笹ばやし・神楽 - 昭和61年(1986年)4月15日登録<ref name="京都府指定・登録等文化財"/><ref name="市指定"/><ref name="京丹後市 周枳の三番叟・笹ばやし・神楽"/>。
** [[WILLRS TRAINS|京都丹後鉄道]]・宮豊線[[京丹後大宮駅]]より徒歩約30分

* 道路
=== 京丹後市指定文化財 ===
** [[京都縦貫自動車道]]・[[与謝天橋立インターチェンジ|与謝天橋立IC]]より約30分
* 有形文化財
** 大宮売神社旧本殿(建造物) - 江戸時代、元禄8年(1695年)の造営。昭和60年(1985年)7月1日指定<ref name="市指定">[https://www.city.kyotango.lg.jp/top/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/3/1/3326.html 京丹後市内の市指定文化財](京丹後市ホームページ)。</ref><ref name="京丹後市 大宮売神社旧本殿">[https://www.city.kyotango.lg.jp/top/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/3/1/3/3377.html 大宮売神社旧本殿](京丹後市ホームページ)。</ref>。
* 無形民俗文化財
** 周枳の三番叟・笹ばやし・神楽 - 昭和61年(1986年)7月21日指定<ref name="市指定"/><ref name="京丹後市 周枳の三番叟・笹ばやし・神楽">[https://www.city.kyotango.lg.jp/top/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/3/1/1/3445.html 周枳の三番叟・笹ばやし・神楽](京丹後市ホームページ)。</ref>。

=== その他 ===
* 神像 2軀
*: 大宮売神社に伝わる神像。男神坐像1軀・女神坐像1軀で、前者は像高約50センチメートル、後者は像高約41センチメートルを測る。『丹哥府志』にも模写が載せられる{{Sfn|大宮売神社(平凡社)|1981}}。
* 旧神額
*: 「正弌位大宮賣大明神」・「従一位若宮賣大明神」と併記された古額。[[鎌倉時代]]を下らないとされ、社伝では[[小野道風]]の筆と伝える{{Sfn|大宮売神社(平凡社)|1981}}<ref name="由緒書"/>。
* 銅製磬
*: 「周枳宮 承安四年」の鋳銘を有する[[磬]](けい:原始的楽器の一種)。幅28センチメートル・高さ15センチメートルを測る。神社から流出後、現在は[[京都国立博物館]]に保管される{{Sfn|大宮売神社(平凡社)|1981}}<ref name="由緒書"/>。

== 現地情報 ==
'''所在地'''
* [[京都府]][[京丹後市]]大宮町周枳

'''交通アクセス'''
* 鉄道:[[WILLER TRAINS]](京都丹後鉄道)[[京都丹後鉄道宮豊線|宮豊線]]([[北近畿タンゴ鉄道宮津線|宮津線]]) [[京丹後大宮駅]](徒歩約30分)

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
'''原典'''
{{reflist|group="原"}}

'''出典'''
{{reflist}}

== 参考文献 ==
{{small|(記事執筆に使用した文献)}}
* 神社由緒書
* 境内説明板

'''書籍'''
* 地方自治体発行
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1983|chapter=大宮売神社遺跡|title={{PDFlink|[http://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/kankou/kankou-pdf/jyouhou/kyoutofu-J008.pdf 京都府埋蔵文化財情報 第8号]}}|publisher=京都府埋蔵文化財調査研究センター|isbn=|pages=35-37|ref={{Harvid|京都府埋蔵文化財情報 第8号|1983}}}} - リンクは京都府埋蔵文化財調査研究センター。
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1985|chapter=|title=京都の文化財 第3集|publisher=京都府教育委員会|pages=|isbn=|ref={{Harvid|京都の文化財 第3集|1985}}}}
*** 「周枳の三番叟、笹ばやし、神楽」(pp. 44-45)、「大宮賣神社境内」(p. 48)。
*** [http://www.kyoto-be.ne.jp/bunkazai/cms/?action=common_download_main&upload_id=2443 pp. 41-45], [http://www.kyoto-be.ne.jp/bunkazai/cms/?action=common_download_main&upload_id=2444 46-50]参照(リンクは京都府教育委員会)。
** {{Cite book|和書|editor=京丹後市史編さん委員会編|author=|year=2010|chapter=大宮売神社遺跡|title=京丹後市の考古資料 -京丹後市史資料編-|publisher=京丹後市|isbn=|pages=130|ref={{Harvid|京丹後市の考古資料|2010}}}}
* 事典類
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=|chapter=|title=[[国史大辞典 (昭和時代)|国史大辞典]]|publisher=[[吉川弘文館]]|isbn=|ref=}}
*** {{Wikicite|reference=[[山上伊豆母]] 「大宮売神社」|ref={{Harvid|大宮売神社(国史)}}}}、{{Wikicite|reference=山上伊豆母 「大宮売神」|ref={{Harvid|大宮売神(国史)}}}}。
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1981|chapter=|title=[[日本歴史地名大系]] 26 京都府の地名|publisher=[[平凡社]]|isbn=4582490263|ref=}}
*** {{Wikicite|reference=「大宮売神社」|ref={{Harvid|大宮売神社(平凡社)|1981}}}}、{{Wikicite|reference=「大宮売神社遺跡」|ref={{Harvid|大宮売神社遺跡(平凡社)|1981}}}}。
* その他
** {{Cite book|和書|editor=式内社研究会編|author=坪倉利正|chapter=大宮賣神社二座|year=1984|title=式内社調査報告 第18巻|publisher=[[皇學館大学]]出版部|page=|isbn=|ref={{Harvid|大宮賣神社二座(式内社)|1984}}}}
** {{Cite book|和書|editor=[[谷川健一]]編|author=植木行宣|year=2000|chapter=大宮売神社|title=日本の神々 -神社と聖地- 7 山陰 <新装復刊版>|publisher=[[白水社]]|isbn=456002507X|ref={{Harvid|大宮売神社(神々)|2000}}}}

'''サイト'''
* {{Cite web|url=http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/370401.html|author=|title=大宮売神社二座(丹後国丹波郡)|work=|publisher=國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」|date=|accessdate=2018-7-29|ref={{Harvid|神道・神社史料集成}}}}

== 関連文献 ==
{{small|(記事執筆に使用していない関連文献)}}
* 地方自治体発行
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1923|chapter=[{{NDLDC|976612/49}} 大宮賣神社]|title=京都府史蹟勝地調査會報告 第五冊|publisher=京都府|isbn=|ref=}} - リンクは国立国会図書館デジタルコレクション。
** {{Cite book|和書|editor=|author=伊野近富|year=2001|chapter=大宮売神社周辺遺跡群少考|title=京都府埋蔵文化財論集 第4集|publisher=京都府埋蔵文化財調査研究センター|isbn=|ref=}}
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2017|chapter=|title=大宮売神社 -古代祭祀とその後の展開-(丹後古代の里資料館平成29年度特別展示)|publisher=京丹後市立丹後古代の里資料館|isbn=|ref=}}
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2017|chapter=大宮売神社遺跡|title=平成28年度 市内遺跡発掘調査報告書(京丹後市文化財調査報告書 第14集)|publisher=京丹後市教育委員会|isbn=|ref=}}
* 京都府立大学発行
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2015|chapter=大宮売神社の資料調査と展示|title=京都府立大学文学部歴史学科フィールド調査集報 第1号|publisher=京都府立大学文学部歴史学科|isbn=|ref=}}
** {{Cite book|和書|editor=|author=向井佑介|year=2017|chapter=大宮売神社所蔵考古資料の整理と活用|title=京都府立大学文学部歴史学科フィールド調査集報 第3号|publisher=京都府立大学文学部歴史学科|isbn=|ref=}}
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2018|chapter=|title=舞鶴・京丹後地域の文化遺産(京都府立大学文化遺産叢書 第14集)|publisher=京都府立大学文学部歴史学科|isbn=|ref=}}
* その他
** {{Cite journal|和書|author=土居奈生子|title=〈大宮〉考 -神の名から人称へ-|date=2012|publisher=成蹊大学文学部日本文学科|journal=成蹊国文|volume=|number=45||url=http://repository.seikei.ac.jp/dspace/bitstream/10928/239/1/kokubun-45_28-39.pdf|naid=|pages=28-39|ref=}} - リンクは成蹊大学学術情報リポジトリ。

== 関連項目 ==
* [[オオミヤノメ]]
* [[宮中・京中の式内社一覧]]
* [[八神殿]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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* [https://web.archive.org/web/20090709093827/http://www.city.kyotango.kyoto.jp/cms/shisei/6chohp/omiya/history/index.htm 大宮町の歴史と文化]
* [http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/370401.html 大宮売神社二座] - 國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」
* [http://www.city.kyotango.kyoto.jp/cms/shisei/6chohp/omiya/omiyachoshi/index.html 大宮町誌](第九章「宗教」-第一節「神道」P867に町による解説あり){{リンク切れ|date=2013年1月13日 (日) 06:05 (UTC)}}


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<!--[[Category:丹後国|社2]]:歴史的に二宮かは不明-->

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2018年8月7日 (火) 23:36時点における版

大宮売神社

拝殿
(拝殿前左右に石燈籠(国の重要文化財))
所在地 京都府京丹後市大宮町周枳
位置 北緯35度35分28.37秒 東経135度6分6.73秒 / 北緯35.5912139度 東経135.1018694度 / 35.5912139; 135.1018694 (大宮売神社)座標: 北緯35度35分28.37秒 東経135度6分6.73秒 / 北緯35.5912139度 東経135.1018694度 / 35.5912139; 135.1018694 (大宮売神社)
主祭神 大宮賣神
若宮賣神
社格 式内社名神大2座)
(伝)丹後国二宮
府社
創建 不詳
本殿の様式 流造
別名 大宮賣神社・周枳社・周枳宮
例祭 10月10日
地図
大宮売神社の位置(京都府内)
大宮売神社
大宮売神社
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鳥居

大宮売神社(おおみやめじんじゃ/おおみやのめじんじゃ[1]大宮賣神社)は、京都府京丹後市大宮町周枳(すき)にある神社式内社名神大社)で、丹後国二宮を称する。旧社格府社。古くは「周枳社」・「周枳宮」とも[2]

概要

京都府北部、竹野川上流の右岸段丘上の木積山西麓に鎮座する[2][3]。祭神を大宮売神・若宮売神の2柱とし、宮中の奉斎神として著名な大宮売神を宮中以外で祀る唯一の式内社として知られ、一説には宮中の大宮売神の元社になるともいわれる。

境内一帯は考古遺跡としても知られ、これまでに弥生時代前期以降の多くの遺物が出土している。特に古墳時代中期の祭祀遺物が多数認められることから、古代祭祀場から神社へと発展したことが確実視される。祭神の特殊性に加えて、原始祭祀から律令祭祀への変遷を考古学的に詳らかとする点で重要視される神社になる。

境内は京都府指定史跡に指定されているほか、石燈籠2基が国の重要文化財に、社殿のうち旧本殿が京丹後市指定有形文化財に指定されている。また民俗芸能も保存されており、三番叟・笹ばやし・神楽が京丹後市指定無形民俗文化財に指定されている。

祭神

神祇官西院の
御巫祭神八座
殿 神名
第一殿 神産日神
第二殿 高御産日神
第三殿 玉積産日神
第四殿 生産日神
第五殿 足産日神
第六殿 大宮売神
第七殿 御食津神
第八殿 事代主神

現在の祭神は次の2柱[4]

  • 大宮賣神(おおみやめのかみ、大宮売神)
  • 若宮賣神(わかみやめのかみ、若宮売神)

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳[原 1]・臨時祭 名神祭条[原 2]における祭神の記載は2座。いずれも「大宮売神社二座」と見え、祭神2座のうち1座は大宮売神(オオミヤノメ/オホミヤノメ)であることが知られる。この大宮売神は宮中に祀られたことで有名な神で、『延喜式』神名帳では全国3,132座の筆頭である神祇官西院御巫祭神8座のうちの1座として見えるほか、造酒司坐神に大宮売神社として4座と見える(「宮中・京中の式内社一覧」参照)[5]。一方で同帳では「大宮売」を社名とする神社は当社の他に見えず、大宮売神を宮中以外で祀る式内社としては当社が唯一となる[6]

大宮売神は『日本書紀』・『古事記』に記載のない神で、『古語拾遺』に太玉命の久志備に生ませる神と記載される以外は詳らかでない[5]。考証上では宮殿を人格神化した神とする説や、天皇側近の内侍(女官)を神格化した神とする説が挙げられる[6]。宮中の大宮売神と丹後の大宮売神の関係も詳らかではないが[6]、一説には丹後の地方神であった大宮売神が宮中に取り入れられたとされる[7]。丹後地方では他にも后妃伝承が多く認められており、それらとともにヤマト王権の宮廷と丹後地方との結びつきが示唆される[8]。なお、大宮売神社側では大宮売神を天鈿女神と同一視する説を挙げる[4]

もう1柱の祭神である若宮売神については詳らかでない。大宮売神社側では豊受神と同一視する説を挙げる[4]

歴史

創建

創建は不詳[2][9]。社記では、崇神天皇7年に詔勅で大宮売神を祀り、崇神天皇10年に丹波道主命が若宮売神を祀ったと伝える[9]

考古学的には、境内一帯は弥生時代前期に始まる遺跡として知られ、これまでに多くの遺物が出土している。それらの様相によれば、当地では弥生時代から集落が存在し、古墳時代には祭祀遺跡が成立したのち、奈良時代にはそれが神社へと発展したと推定される[3]

概史

古代

新抄格勅符抄大同元年(806年)牒[原 3]では、当時の「大宮咩神」に神戸として丹波国から7戸が充てられている[2]

国史では、天安3年(859年[原 4]丹後国の「大宮売神」の神階が従五位下から従五位上に昇叙された旨が記される[2]

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳[原 1]では、丹後国丹波郡に「大宮売神社二座 名神大」として、2座が名神大社に列する旨が記載されている[9]。また『延喜式』臨時祭 名神祭条[原 2]では、名神祭二百八十五座のうちに大宮売神社二座が見える[2]

平安時代中期の『和名抄』に見える地名のうちでは、現鎮座地は丹波郡周枳郷に比定される[10]。この「周枳(すき)」に関しては、天皇即位時の大嘗祭において丹波が主基の国に定められた際、周枳郷が主基の里に定められたことに由来するとして、それに大宮売神社の存在を関連づける説が挙げられている[11]

平安時代末期には当社とその社領は弘誓院に施入されており、安元2年(1176年)2月日付の「八条院領目録」では「弘誓院御庄庄」に「丹後国周枳」と見える[2]

中世

中世期には、承久4年(1222年)4月5日付の太政官牒において弘誓院領の1つとして「壱処字周枳社在丹後国丹波郡大宮部大明神」と見える[2]。また『丹後国田数帳』によれば、周枳郷64町4段250歩のうち実に30町5段10歩が当社神領であった[2]徳治2年(1307年)には石燈籠が寄進されている(現存)。

なお、現在の大宮売神社では丹後国二宮を称するが、中世期に二宮であったことを示す史料は見つかっていない[12]

近代以降

近代以降の変遷は次の通り。

神階

社蔵の神額(年次不明)では、大宮売神を正一位、若宮売神を従一位とする。

境内

境内は竹野川上流の小盆地の東南部に南面して位置する。間人街道から参道を約150メートル進んだ先に主要社殿として本殿・拝殿・旧本殿が建ち並び、本殿裏には禁足の杜がある。境内は祭祀遺跡としても知られ、式内社としての比定は確実であり、かつ古社としての景観も保たれていることから、歴史的に重要な意義があるとして京都府指定史跡に指定されている[15]

社殿等

社殿
中央に拝殿、右奥に本殿。
旧本殿(京丹後市指定文化財)
現在は境内社の忠霊社。

主要社殿のうち本殿は、昭和2年(1927年)の北丹後地震で旧本殿が被災したのを受け、昭和5年(1930年)に造営されたものである。形式は流造[9]。本殿の前には拝殿が接続する。

旧本殿は、江戸時代の元禄8年(1695年)の造営。丹後半島では珍しい隅木入春日造で、前面に軒唐破風の向拝を付す。屋根は元は杮葺であったが、北丹後地震で損壊したため、現在は銅板葺に改められている。蟇股や向拝には巧みな彫刻が認められる。この旧本殿は京丹後市指定有形文化財に指定され、現在は境内東側に移築されたうえで境内社忠霊社の社殿として使用されている[16]

拝殿前の左右には各1基の石燈籠が建てられている。各祭神に1基ずつ献灯されたものとされ、1基は総高266.6センチメートルを測り、「徳治二年丁未三月七日」「大願主」「進」の刻銘を有し、鎌倉時代徳治2年(1307年)の寄進とされる。他1基は総高259.4センチメートルを測り、無銘であるが同時期の作と見られる。2基は国の重要文化財に指定されている[2][17]

そのほか、社務所は明治5年(1872年)に旧宮津藩主の別宅を移築したものになる[4]

境内遺跡

前述の通り、大宮売神社の境内地および周辺は考古遺跡として知られ、これまでの発掘調査や開発において弥生時代前期に始まる多くの遺物が出土している。神社境内地からの主な出土遺物としては、古墳時代中期後葉頃の滑石製勾玉・管玉・臼玉・鏡形石製品・鏃形石製品・環状石製品・ミニチュア土器などがある[3]。これらは実用性を欠くところから祭祀遺物と解される[18]。また神社周辺の流路跡からは、弥生時代前期から奈良時代頃、特に弥生時代中期-後期を中心とする大量の遺物が検出されている[3]

以上の出土遺物の様相によれば、当地では弥生時代前期から集落形成が始まり、弥生時代中期-後期には大規模な拠点集落として発展したとされる[3]。そして古墳時代中期後葉には祭祀遺跡が成立して、奈良時代には神社へと発展したと見られる[3]。同じ場所で祭祀遺跡から神社に発展したことが明らかである点で、貴重な例とされる[3]

なお一帯では多くの古墳も分布しており、現在の御旅所である石明神も横穴式石室の古墳になる。

摂末社

  • 忠霊社 - 社殿は本社旧本殿(前述)。
  • 大川・秋葉・武大・稲荷・御岳社
  • 三社(天照皇大神・春日大神・八幡大神)
  • 大歳社
  • 天満天神社
  • 庚申社
  • 弁財天社
  • 八幡社

祭事

大宮売神社で年間に行われる祭事は次の通り[4]

例祭では、神輿渡御・太刀振が行われるとともに、「三役」と称される三番叟(さんばそう)・笹ばやし・神楽といった芸能3種が奉納される。三番叟は、少年3人の舞手のほか大勢の唯子方・後見役で行われ、一番叟は千歳、二番叟は翁、三番叟は揉の段・問答・鈴の段(黒式尉)の次第が催される。笹ばやしは風流小歌踊の一種で、太鼓方10余人や新発意役1人・唄方10余人で行われ、「弁慶踊」・「上様踊」・「月待踊」の3曲が催される。神楽は太神楽系の獅子舞で、荷屋台の太鼓と笛喋子による2人立ちで行われ、「剣の舞」・「鈴の舞」・「おこり舞」の3曲が催される。これら三番叟・笹ばやし・神楽は京都府登録無形民俗文化財に登録されているほか、京丹後市指定無形民俗文化財に指定されている[19][20]

文化財

重要文化財(国指定)

  • 石燈籠 2基(工芸品) - 1基は鎌倉時代の徳治2年(1307年)の作、他1基は鎌倉時代頃の作。昭和37年(1962年)2月2日指定[13][17]

京都府指定文化財

  • 史跡
    • 大宮賣神社境内 - 昭和61年(1986年)4月15日指定[14][21]

京都府登録文化財

  • 無形民俗文化財
    • 周枳の三番叟・笹ばやし・神楽 - 昭和61年(1986年)4月15日登録[14][22][20]

京丹後市指定文化財

  • 有形文化財
    • 大宮売神社旧本殿(建造物) - 江戸時代、元禄8年(1695年)の造営。昭和60年(1985年)7月1日指定[22][16]
  • 無形民俗文化財
    • 周枳の三番叟・笹ばやし・神楽 - 昭和61年(1986年)7月21日指定[22][20]

その他

  • 神像 2軀
    大宮売神社に伝わる神像。男神坐像1軀・女神坐像1軀で、前者は像高約50センチメートル、後者は像高約41センチメートルを測る。『丹哥府志』にも模写が載せられる[2]
  • 旧神額
    「正弌位大宮賣大明神」・「従一位若宮賣大明神」と併記された古額。鎌倉時代を下らないとされ、社伝では小野道風の筆と伝える[2][4]
  • 銅製磬
    「周枳宮 承安四年」の鋳銘を有する(けい:原始的楽器の一種)。幅28センチメートル・高さ15センチメートルを測る。神社から流出後、現在は京都国立博物館に保管される[2][4]

現地情報

所在地

交通アクセス

脚注

原典

  1. ^ a b 『延喜式』巻10(神名下)丹後国丹波郡条。
  2. ^ a b 『延喜式』巻3(臨時祭)名神祭条(神道・神社史料集成参照)。
  3. ^ 『新抄格勅符抄』巻10(神事諸家封戸)大同元年(806年)牒(神道・神社史料集成参照)。
  4. ^ a b 『日本三代実録』貞観元年(859年)正月27日条(神道・神社史料集成参照)。

出典

  1. ^ 大宮売神社(国史).
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 大宮売神社(平凡社) 1981.
  3. ^ a b c d e f g h i j 京丹後市の考古資料 2010, p. 130.
  4. ^ a b c d e f g 神社由緒書。
  5. ^ a b 大宮売神(国史).
  6. ^ a b c 岡田精司 『新編 神社の古代史』 学生社、2011年、p. 185。
  7. ^ 京都府埋蔵文化財情報 第8号 1983, pp. 35–37.
  8. ^ 『図説京丹後市の歴史』 京丹後市、2012年、pp. 45-46。
  9. ^ a b c d e f g h 大宮賣神社二座(式内社) 1984.
  10. ^ 大宮売神社(神々) 2000.
  11. ^ 「周枳郷」『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』 平凡社、1981年。
  12. ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 中世諸国一宮制研究会編、岩田書院、2000年、p. 399。
  13. ^ a b 石燈籠 - 国指定文化財等データベース(文化庁
    石燈籠 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  14. ^ a b c 京都府指定・登録等文化財(京都府教育庁指導部文化財保護課)。
  15. ^ 京都の文化財 第3集 1985, p. 48.
  16. ^ a b 大宮売神社旧本殿(京丹後市ホームページ)。
  17. ^ a b 大宮売神社石灯籠(京丹後市ホームページ)。
  18. ^ 大宮売神社遺跡(平凡社) 1981.
  19. ^ 京都の文化財 第3集 1985, pp. 44–45.
  20. ^ a b c 周枳の三番叟・笹ばやし・神楽(京丹後市ホームページ)。
  21. ^ 大宮売神社境内(京丹後市ホームページ)。
  22. ^ a b c 京丹後市内の市指定文化財(京丹後市ホームページ)。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

  • 神社由緒書
  • 境内説明板

書籍

  • 地方自治体発行
    • 「大宮売神社遺跡」『京都府埋蔵文化財情報 第8号 (PDF)』京都府埋蔵文化財調査研究センター、1983年、35-37頁。  - リンクは京都府埋蔵文化財調査研究センター。
    • 『京都の文化財 第3集』京都府教育委員会、1985年。 
      • 「周枳の三番叟、笹ばやし、神楽」(pp. 44-45)、「大宮賣神社境内」(p. 48)。
      • pp. 41-45, 46-50参照(リンクは京都府教育委員会)。
    • 京丹後市史編さん委員会編 編「大宮売神社遺跡」『京丹後市の考古資料 -京丹後市史資料編-』京丹後市、2010年、130頁。 
  • 事典類
    • 国史大辞典吉川弘文館 
      • 山上伊豆母 「大宮売神社」山上伊豆母 「大宮売神」
    • 日本歴史地名大系 26 京都府の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490263 
      • 「大宮売神社」「大宮売神社遺跡」
  • その他
    • 坪倉利正 著「大宮賣神社二座」、式内社研究会編 編『式内社調査報告 第18巻』皇學館大学出版部、1984年。 
    • 植木行宣 著「大宮売神社」、谷川健一編 編『日本の神々 -神社と聖地- 7 山陰 <新装復刊版>』白水社、2000年。ISBN 456002507X 

サイト

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 地方自治体発行
    • 大宮賣神社」『京都府史蹟勝地調査會報告 第五冊』京都府、1923年。  - リンクは国立国会図書館デジタルコレクション。
    • 伊野近富「大宮売神社周辺遺跡群少考」『京都府埋蔵文化財論集 第4集』京都府埋蔵文化財調査研究センター、2001年。 
    • 『大宮売神社 -古代祭祀とその後の展開-(丹後古代の里資料館平成29年度特別展示)』京丹後市立丹後古代の里資料館、2017年。 
    • 「大宮売神社遺跡」『平成28年度 市内遺跡発掘調査報告書(京丹後市文化財調査報告書 第14集)』京丹後市教育委員会、2017年。 
  • 京都府立大学発行
    • 「大宮売神社の資料調査と展示」『京都府立大学文学部歴史学科フィールド調査集報 第1号』京都府立大学文学部歴史学科、2015年。 
    • 向井佑介「大宮売神社所蔵考古資料の整理と活用」『京都府立大学文学部歴史学科フィールド調査集報 第3号』京都府立大学文学部歴史学科、2017年。 
    • 『舞鶴・京丹後地域の文化遺産(京都府立大学文化遺産叢書 第14集)』京都府立大学文学部歴史学科、2018年。 
  • その他
    • 土居奈生子「〈大宮〉考 -神の名から人称へ-」『成蹊国文』第45号、成蹊大学文学部日本文学科、2012年、28-39頁。  - リンクは成蹊大学学術情報リポジトリ。

関連項目

外部リンク