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「アキバエクスプレス」の版間の差分

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== 外部リンク ==
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* [http://web.archive.org/web/20131031010731/http://www2.ucatv.ne.jp/~mr-kim.flower/index.htm アキバエクスプレス公式サイト] - 現在は閉鎖(2013年10月31日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
* [http://web.archive.org/web/20131031010731/http://www2.ucatv.ne.jp/~mr-kim.flower/index.htm アキバエクスプレス公式サイト] - 現在は閉鎖(2013年10月31日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])


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2017年9月5日 (火) 00:14時点における版

アキバエクスプレス(Akiba Express)は、バス愛好家の団体(サークル)。現在は後述する理由で解散状態となっている。

概要

活動内容

自主バス運行

コミックマーケット(以下、「コミケ」または「C」)では、午前4時半前の東京国際展示場(以下、「東京ビッグサイト」または「ビッグサイト」)への到着が禁じているため、現地で徹夜しなくても早朝に到着したいというコミケ客の声に応えて運行を開始。4時半前後に到着する様にダイヤが編成されていた。運行された便は以下の通り。

  • ありあけ:栃木県方面から埼玉県内を経由してビッグサイトまで運行する夜行バス。コミケが行われるビッグサイトの所在地(江東区有明)にちなむ。
  • けよりな:東京都内からビッグサイトまで運行する早朝特急バス。ゲーム『夜明け前より瑠璃色な』(オーガスト社製作)をもじった「夜明け前より有明な」が由来。
  • アクティー(仮称):C75でのみ実現した神奈川便(2009年時まで1回のみ運行)。

昼間のシャトルバスもあり、ビッグサイトロータリー〜有明北待機場を活動の場とし、ビッグサイトから秋葉原までの直行便をバス会社に依頼して運行していた。しかし、C74(2008年夏)以降は北待機場が閉鎖され、かつ燃料事情によりチャーター料が高騰したため、運行が困難になり中断。

前者については、東京ビッグサイトの東雲方面にある東雲駐車場の利用が代替として考えられる。しかし、国際展示場駅利用の参加者を誘導する動線が引けず、以前のような乗客数を確保できないため、解消策にならない。
加えて、運行を中断して以降、旅行業法の解釈が変わり、旅行業協会から「路線行為に当たる」旨の通達があったため(確認済み)[要出典]、更に運行再開が困難になってしまった。

この運行中断に先立ってC73(2007年冬)の最終日には、日の丸自動車興業から2階建てオープンバスネオプラン・スカイライナーの改造車)を含む9台のバスを貸し切り、(事実上の)最後の運行を行った [2](なお、2009年現在、スカイライナーは路線バスに登録されており、貸切運用に就けない。ただし、類似の幌付きオープンバス「SKYBUS」は貸切運用に就いており各地に貸し出されている [3])。

夜行直行バスはその後、東京都の貸切バス事業者バスウェイへの委託による「募集型企画旅行」となっている[2]。その後もアキバエクスプレスはタイアップという形で協力していたが、C85(2013年冬)の運行は栃木県・埼玉県発の夜行便がアキバエクスプレス側の都合により中止となった(東京都内発の便については通常通り運行された)[3]

併走バトル

博麗神社例大祭7
併走バトル

サークルが保有する後述のバス「プレステージ」に東方Projectのラッピングを施して痛バス化し、コミケ当日のゆりかもめ臨時早朝便もしくは博麗神社例大祭当日の午前6時台の列車(通常ダイヤ)を、芝浦ふ頭駅付近の栗林運輸車庫前で待ち受け、レインボーブリッジ芝浦ふ頭駅お台場海浜公園駅)で併走する。

この模様は、ニコニコ動画YouTubeで公開されていた。

連節バスプロジェクト

2008年に購入したボルボ製連節バスを使用して、宇都宮市内の道路環境で走れるか検証しようと企画した。

宇都宮市では、連節バスをLRT(次世代型路面電車)と並んで東西を結ぶ基幹公共交通の1つとして検討しており、保有する連節バスを使用して各種データを収集・提供するべく、駆動系の修理が完了したバスのシェイクダウンも兼ね、2010年4月18日宇都宮駅周辺で試運転が実施された[1][4]

当日は宇都宮駅バスロータリーを中心に走行し、収集したデータは5月末に宇都宮市や市内バス会社に提出された。

中止・企画途上で終了した活動

夏季のコミケ開催時において、日の丸自動車興業より、ネオプラン車のサンディエゴを貸し切り、ビッグサイトから秋葉原までのシャトルバスに充てる際に、当時別のバスで行っていたメイドによる車内サービスではなく、スクール水着競泳水着、ビキニ水着を着用した、もしくはその上に濡れたワイシャツを着用したコンパニオンを同乗させた「スク水バス」を企画し、車両とコンパニオンの手配や料金設定も詰められていたが、メンバーの一部から風俗営業法に抵触する可能性が非常に高いとの指摘を受け、お蔵入りとなった。しかし、アキバエクスプレス内部だけでの企画なら実行可能であろうとの見解により、アキバエクスプレスメンバーのオフ会、もしくは慰労会の一環として企画がなされている。

もともと鉄道好きなメンバーが多いのと、小学館より刊行されている『D-LIVE!!』の12巻に掲載されているEpisode39の「まぼろし峠」に深い感銘を受けたメンバーの1人からの提案で、1997年に廃線となった碓氷線11キロ(信越本線横川軽井沢間)を、JR北海道からDMVを1台手配して再度走破しようと企画していたが、当時の碓氷線のレールの撤去や、トンネルの封鎖といった現状により、企画はお蔵入りとなった。

歴史

シャトルバス

  • C66(2004年夏)
    • ちとせ観光バスから中型バス1台を手配し、minoriの作品の「はるのあしおと」を貼った。シャトルバスとしてではなく芽吹野町営バスという設定で、会場周辺を走行した。
  • C67(2004年冬)
    • ちとせ観光バスから大型バス1台と中型バス2台を手配し、minori、sincere、PULLTOPの作品を貼り、ビッグサイト~秋葉原間の初のシャトルバス運行を行った。当日は突然の降雪により、ゆりかもめや各交通機関が次々と麻痺状態に陥る中、急遽ちとせ観光バスから大型バス一台を追加手配して、陸の孤島と化した会場周辺からコミケ参加者を救出した。
  • コミケ30周年記念 24耐(!?) コミケットスペシャル4(2005年春)
    • ちとせ観光バスから大型バス二台を手配し、ビッグサイト~秋葉原間のシャトルバスを行った。
  • C68(2005年夏)
  • C69(2005年冬)
    • 日の丸自動車興業からアメリカンドリーム一台、弘伸交通からエアロキング1台を手配するなどして、シャトルバスに二階建てバスを本格的に投入し始めた。他にもはとバス東京都交通局(都営バス)からも車両を手配するなど、多種多様な車両を揃えた。なおこの時に大阪ZIPANG-JJからダイムラー1台を手配し、薮塚交通からもZIPANGから譲渡されたダイムラーを手配して、ロータリー内でAKIBA(アキバエクスプレス)、ZIPANG(ZIPANG-JJ)、JAPAN(薮塚交通)の揃踏みを実現した。
  • C70(2006年夏)
  • C71(2006年冬)
  • C72(2007年夏)
  • C73(2007年冬)

併走バトル

その他

  • ライブラッピングバス
  • 東方例大祭
  • ハッスルマニア浜名湖競艇ラッピングバス
    • プレステージ初の全面フルラッピングを施し、都内や浜名湖周辺を走行した。
  • リリカルなのはラッピングバス
  • 痛車グラフィックス2』撮影協力
    • 実際にはオリエントVIP124号車を使用する予定だったが、排ガス規制の為に秋葉原への進入が出来ないため、プレステージ1636号車を使用することとなった。全ての計画確定から僅か2日で全ての準備を整え、秋葉原やお台場での撮影に臨んだ。なお撮影当日に、新谷良子の曲を流しながら走行する際に、新谷が「恥ずかしい」と言ったことに対し、スタッフの1人が真剣に叱ったと言う逸話がある。しかも、当日の運転手は木無血本人ではなく「現役大型ドライバー」に依頼した為、新谷本人の前で「誰?有名なの?」「俺は聞いたことないぜ?」といった発言もしていたという。
  • 痛Gふぇすた2009inお台場(秋葉原街宣・車両展示)
  • 萌え博2010in幕張メッセ ラッピングバス(秋葉原街宣・車両展示)
  • ボルボ連節バスの回送、レストア(「連節バス復活への道・前編[リンク切れ]後編[リンク切れ]」)

保有車両

保有していたプレステージ
博麗神社例大祭7仕様
保有車両と同型の連節バス
(つくば科学万博時代)
保有していた
オリエントエクスプレス
  • ジパングで廃車され、東北地方で使用された後に埼玉県に留置されていた、シリーズ初期カタログ車の4710号車。
  • 当団体メンバーにオリエントVIP124号車のオーナーがおり、本来の所有者もそのオーナーであるが、無償貸与・保管整備委託という形で当団体で保管し動態保存へ向けた整備を行っていた。

2013年に代表の木無血が不祥事を起こし[6]当団体が解散状態となったこともあり、いずれの車両も処分されたものとみられる(元ジパング所属の車両はすでに解体されたという)。

脚注

外部リンク