「榎本哲也」の版間の差分
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小学3年生のときに横浜マリノスプライマリー新子安に加入<ref name="hamaspo_s-yoko">{{cite web|author=えのきどいちろう |title= SよこはまVol.45:夢を信じて |url= https://www.hamaspo.com/s-yoko-page/dreamvols45|work=横浜スポーツ情報サイト[ハマスポ] |publisher= |date= 2014|accessdate=2017-08-15 }}</ref>、以降ずっと[[横浜F・マリノス]]のアカデミーで育ち、2002年にトップチームに昇格。 |
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[[2003年]]のJ1ファーストステージ開幕戦の[[ジュビロ磐田]]戦でデビュー{{r|hamaspo_s-yoko}}。J1セカンドステージ、優勝が懸かった最終節の磐田戦で前半16分、フィードキックを邪魔されたとして[[ロドリーゴ・グラウ|グラウ]]のラフプレーから小競り合いを起こし[[レッドカード]]で退場、[[下川健一]]が緊急出場した<ref>[https://web.archive.org/web/20140203173250/http://www.narazugaoka.com/06_Katsuyaku/index.html スポーツ 元サッカー日本代表の元サッカー選手 下川 健一](2014年2月3日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - [[岐阜県立岐阜工業高等学校|岐阜工業高等学校]]同窓会 2014年2月2日 07:17 (UTC) 閲覧</ref><ref>{{cite web|author=大住良之 |title=No.490 キレるサッカー選 |url= http://www.soccertalk.jp/content/2003/12/no490.html|work= 大住良之オフィシャルアーカイブサイト |publisher= |date= |accessdate= 2017-08-15}}</ref>。 |
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[[2007年]]、それまでのマリノスの正GKだった[[榎本達也]]の退団により背番号を21から1に変更し、新守護神に定着。しかし、[[2009年]]からは[[飯倉大樹]]の台頭により出場機会が減少<ref name="スポナビ131113">{{cite web|author=小林智明(インサイド) |title=“大人のGK”へ変貌を遂げた榎本哲也=堅守マリノスを支えるゴールの門番|url=https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201311130003-spnavi |work= スポーツナビ |publisher= |date=2013-11-13 |accessdate= 2017-08-15}}</ref>。[[2010年]]と[[2011年]]は2年連続でリーグ戦の出場がなかった。 |
2017年9月4日 (月) 20:19時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | テツ | |||||
カタカナ | エノモト テツヤ | |||||
ラテン文字 | ENOMOTO Tetsuya | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1983年5月2日(41歳) | |||||
出身地 | 神奈川県川崎市幸区[要出典] | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 浦和レッズ | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 25 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
横浜マリノスプライマリー新子安 | ||||||
横浜マリノスジュニアユース | ||||||
1999-2001 | 横浜F・マリノスユース(武相高) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002-2016 | 横浜F・マリノス | 238 | (0) | |||
2017- | 浦和レッズ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2017年1月7日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
榎本 哲也(えのもと てつや、1983年5月2日 - )は、神奈川県川崎市出身のプロサッカー選手。J1リーグ・浦和レッズ所属。ポジションはゴールキーパー。
経歴
小学3年生のときに横浜マリノスプライマリー新子安に加入[1]、以降ずっと横浜F・マリノスのアカデミーで育ち、2002年にトップチームに昇格。
2003年のJ1ファーストステージ開幕戦のジュビロ磐田戦でデビュー[1]。J1セカンドステージ、優勝が懸かった最終節の磐田戦で前半16分、フィードキックを邪魔されたとしてグラウのラフプレーから小競り合いを起こしレッドカードで退場、下川健一が緊急出場した[2][3]。
2007年、それまでのマリノスの正GKだった榎本達也の退団により背番号を21から1に変更し、新守護神に定着。しかし、2009年からは飯倉大樹の台頭により出場機会が減少[4]。2010年と2011年は2年連続でリーグ戦の出場がなかった。
秋元陽太が愛媛FCに移籍し、アビスパ福岡から六反勇治が加入した2012年も飯倉の控えとして過ごしていたが、3連敗で迎えた9月22日の鹿島アントラーズ戦で約3年ぶりにリーグ戦の出場機会を得ると2-1での勝利に貢献[4]。その後もスタメン出場を続けた[4]。
2013年は4年ぶりに開幕スタメンを務めた。5年ぶりに30試合以上に出場(33試合)し、再びレギュラーを取り戻した。10月度のJリーグ月間MVPを受賞した[4][5]。
2015年シーズンはレギュラーの座を飯倉に奪われ、2016年シーズン限りでクラブから契約非更改の見通しであることを伝えられた[6]。しかし2016年5月14日の鹿島アントラーズ戦で飯倉が負傷し、その後のリーグ戦はレギュラーとして活躍し、J1通算238試合(21207分)240失点で1試合の防御率「1.018」で史上2位の記録を残した[6]。クラブからは契約延長のオファーを受けたが、その提示内容は単年契約かつコーチ兼任というものであり、榎本は「兼任ということは来季の構想に入っていないのとほぼイコールだなと受け取りました。」と語り、榎本の事を高く評価し、獲得に対し十分すぎるほどの誠意を感じた浦和への移籍を決意[6]。
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | 横浜FM | 21 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2003 | 15 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 19 | 0 | |||
2004 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | |||
2005 | 23 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 26 | 0 | |||
2006 | 16 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 24 | 0 | |||
2007 | 1 | 33 | 0 | 9 | 0 | 2 | 0 | 44 | 0 | ||
2008 | 31 | 0 | 8 | 0 | 4 | 0 | 43 | 0 | |||
2009 | 14 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 18 | 0 | |||
2010 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |||
2011 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | |||
2012 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 | |||
2013 | 33 | 0 | 8 | 0 | 5 | 0 | 46 | 0 | |||
2014 | 34 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 36 | 0 | |||
2015 | 9 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 | |||
2016 | 23 | 0 | 10 | 0 | 3 | 0 | 36 | 0 | |||
2017 | 浦和 | 25 | |||||||||
通算 | 日本 | J1 | 238 | 0 | 59 | 0 | 21 | 0 | 318 | 0 | |
総通算 | 238 | 0 | 59 | 0 | 21 | 0 | 318 | 0 |
その他の公式戦
- 2014年
- FUJI XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2004 | 横浜FM | 21 | 1 | 0 |
2005 | 4 | 0 | ||
2014 | 1 | 6 | 0 | |
2017 | 浦和 | 25 | ||
通算 | AFC | 11 | 0 |
その他の国際公式戦
- 2017年
- スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点
タイトル
クラブ
- 横浜F・マリノス
- J1リーグ:2回(2003年、2004年)
- J1リーグ 1stステージ:2回(2003年、2004年)
- J1リーグ 2ndステージ:1回(2003年)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:1回(2013年)
- 浦和レッズ
- スルガ銀行チャンピオンシップ:1回(2017年)
個人
- J1リーグ月間MVP:1回(2013年10月)
出演
CM
脚注
- ^ a b えのきどいちろう (2014年). “SよこはまVol.45:夢を信じて”. 横浜スポーツ情報サイト[ハマスポ]. 2017年8月15日閲覧。
- ^ スポーツ 元サッカー日本代表の元サッカー選手 下川 健一(2014年2月3日時点のアーカイブ) - 岐阜工業高等学校同窓会 2014年2月2日 07:17 (UTC) 閲覧
- ^ 大住良之. “No.490 キレるサッカー選”. 大住良之オフィシャルアーカイブサイト. 2017年8月15日閲覧。
- ^ a b c d 小林智明(インサイド) (2013年11月13日). ““大人のGK”へ変貌を遂げた榎本哲也=堅守マリノスを支えるゴールの門番”. スポーツナビ. 2017年8月15日閲覧。
- ^ "榎本哲也選手 『コカ・コーラJリーグ月間MVP』 10月度受賞選手選出のお知らせ" (Press release). 横浜F・マリノス. 12 November 2013. 2017年8月15日閲覧。
- ^ a b c マリノスの正GKからレッズの控えGKへ。榎本哲也「あり得ない移籍」の理由。 Yahooニュース、二宮寿朗(2017年1月10日)
- ^ 榎本哲也選手 完全移籍加入のお知らせ 浦和レッズ(2017年1月7日)