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{{ユニー・ファミリーマート}} |
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2017年9月4日 (月) 20:10時点における版
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | ユーストア |
本社所在地 |
492-8687[2] 愛知県稲沢市天池五反田町1番地[2] |
設立 | 1977年(昭和52年)6月2日[2] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 食料品・衣料品・生活関連品の販売 |
代表者 | 松田邦男(代表取締役社長) |
資本金 | 71億10百万円 |
売上高 | 1453億8200万円(2008年(平成20年)2月期)[3] |
総資産 | 700億円(2008年2月期) |
従業員数 | 1,068名 |
決算期 | 2月20日[2] |
主要株主 | ユニー株式会社 64.4% |
ユーストア (U-STORE) は、愛知県稲沢市に本社を置く、ユニー株式会社が運営していたスーパーマーケットであるが、ほとんどの期間は同名の法人が運営をしていた。
店舗は、愛知県・岐阜県・三重県・静岡県・滋賀県・京都府の1府5県に展開していた。
歴史・概要
設立から小売業屈指の優良企業へ
「ユーストア」は、低コストによる未開発地域への店舗開発を基本に郊外を主力ターゲットに店舗展開を行うことで、鮮度の良い商品を安く提供する経営方針で展開したスーパーマーケットである[4]。
そのため、既成の市街地や商店街といった不動産価格の高い地域に出店するのではなく、人通りが少なくても地価は安くて広い敷地を確保できる郊外の田園地帯などで、近隣から自動車で来店しやすい道路状況になっている地区に広めの駐車場を併設した店舗を出店する戦略を採った[5]。
なお、この広めの駐車場を持つ平屋建ての店舗を郊外に多数展開する戦略は、1972年(昭和47年)にアメリカで見学したKマートが急速に店舗を伸ばしていたことに着目したところから生まれたもので、同社が当時展開していた出店形式を元にしている[6]。
この形式での店舗として、当社設立前にユニー本体が「ユーマート大樹寺店」(のちのユニー大樹寺店)を開店しており、実際に営業する実験を行った後に会社を立ち上げる形となった[6]。
また、1974年(昭和49年)から施行になった「大規模小売店舗法」への対応策として誕生した側面を持つため[7]、布袋店(売場面積1,4530m2)や蟹江店(売場面積1,4670m2)のように[6]設立当初は規制対象の売場面積約1,500m2を下回る規模での出店を行っていた[7]。
しかし、1982年(昭和57年)以降は売場面積500~1,500m2の店舗も規制対象となったことから、法律の規制を避けて出店するという目的には、あまり役立たない形となった[7]。
そうした目論見違いが一部あったものの、会社設立から1993年(平成5年)5月まで約17年間社長を務めた家田美智雄は、低コスト路線を徹底することで高収益企業へと成長させたと言われている[8]。
そして、設立初年度から家田の社長在任中は毎年して増収を記録し続けた[9]。 (この連続増収記録は2005年(平成17年)2月期決算まで28期続いた[9]。)
また、この間には店舗の閉鎖も行わず、出店した全店舗を営業し続けていた[9]。
その結果、1990年代初めごろには「大手総合スーパー系列の食品スーパーとしては唯一の成功例」と評されるところまで成長して業界の注目を集め[10]、イトーヨーカ堂やしまむらなどと共に日本の小売業界を代表する優良企業と呼ばれるようになった[11]。
こうした低コストを実現するため、年間売上高が約500億円で店舗数が19店に達していた1987年(昭和62年)10月時点でも本部はわずか16名で運営し[6]、生鮮食料品が多く必然性が低いとして「販売時点管理システム(POS)」の導入も家田の社長時代には行われなかった[12]。
その一方で、鮮度の良い商品を安く提供することを目指すため[4]、「定休日前に売り尽くしをすることで、冷凍ケースなどの清掃を行い、休み明けの木曜日から鮮度の良い商品の販売を行う」との考えのもと[13]、当時の定休日であった水曜日の前日に「火曜特売」を実施するようになったのも当時社長だった家田美智雄の発想であったとされている[13]。 (この「火曜特売」は、のちにユニーグループ全体で行われるようになった[13]。)
こうした低経費・高効率の経営体質を作り上げたことから、「家田美智雄」は当社の社長を退任する頃までには“怪物”の異名をとるほどの名物経営者として知られるようになった[14]。
家田の退任から吸収合併・屋号消滅へ
「家田美智雄」の退任後の後任の経営陣も低経費・高効率の経営路線は維持するとしたものの[14]、1995年(平成7年)10月に全店には「販売時点管理システム(POS)」を導入する[12]など一部で経営戦略が転換された。
その一方で、2002年(平成14年)2月期には「自家発電装置」を店舗に導入するといった新たなコスト削減策も取られるようになった[15]。
しかし、競争が激化したことから、2005年(平成17年)には初の店舗閉鎖に踏み切るといった方向転換も図られた[9]。
そして、2005年(平成17年)2月期決算まで28期続いた連続増収記録は[9]、2006年(平成18年)2月期決算で途切れ[16]、同年度は創業以来初の最終赤字転落となった[16]。
その後、少し持ち直して2007年(平成19年)2月期決算は2期ぶりの増収で4期ぶりの経常増益となったものの[17]、当期損益では約2.2億円の損失と赤字が続いた[18]。
2008年(平成20年)2月期中間決算は競合がさらに激化し、前年割れ店舗が64店舗と大幅に増えたことなどに伴い、減損会計処理を行って中間純利益は37.79億円の損失となった[19]。
結局2008年(平成20年)2月期決算は、競争が激化した影響で既存店売上高が約3.5%減で全店でも売上高が約2.2%減と落ち込み、発注見直しなどの軽削減やユニーグループのPB商品の拡充による粗利益率の改善などにもかかわらず、減損損失を約71.22億円を計上したことが影響して当期純利益は約31.97億円の損失と3期連続の赤字で、最後の年間決算を終えることになった[3]。
2008年(平成20年)4月10日に同年8月21日にユニーと合併すると発表した[20]。
予定通り2008年(平成20年)8月21日に[20]株式会社ユーストアはユニーに吸収合併されて企業名としては消滅し[21]、組織・店舗運営はユニー内で再編したユーストア営業本部が継承することになった[20]。
なお、本社についてはグループの本社機能集約に伴って、2002年(平成14年)6月にユニーの本社同じ場所に移転している[22]。
合併時点では店舗ブランドとしての「ユーストア」は存続し、合併後の2008年(平成20年)11月21日にフォレオ大津一里山内にユーストア一里山店を出店している[23]。 また、この店舗ではユーストアのロゴマークをローマ字の黄色のものへと変更した
しかし、ユニー・ユーストア・ラ フーズコアを統合して2月21日から「ピアゴ」という業態とすることになり、店名としても消滅することになった[24]。
なお、精華台店のみは「アピタ」へ店名変更されており、変更時期も他店よりも少し遅れる形となった。
店舗
出店は店舗を集中的に展開する「ドミナント」の形成を目指し、ユニーグループの本拠地である名古屋市郊外を中心とする愛知県への展開から始めた[27]。 そのため、1993年(平成5年)11月19日に静岡県浜名郡新居町(現:湖西市)に新居店を出店して静岡県へ進出した際にも[28]、進出当初の1・2年の間に10店舗を開業することで一気に静岡県にドミナントの構築を目指そうとしている[29]。
なお、この静岡県への進出を足掛かりに首都圏への出店も目指していたが[27]、実現せずに終わっている。
店舗数
- 72店舗(愛知県42、岐阜県5、三重県8、静岡県11、滋賀県5、京都府1:2008年(平成20年)8月20日時点)
- 最終的な店舗数は合併後の滋賀県への新規出店により73店舗である。
統一ブランド化に伴う店舗名変更
- ユーストア阿久比店 → ピアゴ阿久比北店 - アピタ阿久比店との類似
- ユーストア碧南店 → ピアゴ碧南東店 - ピアゴ碧南店(旧ユニー)との類似
- ユーストア長久手店 → ピアゴ長久手南店(現・ピアゴ ラ フーズコア長久手南店) - アピタ長久手店との類似
過去に存在したユーストアの店舗
愛知県
- 浦里店(名古屋市緑区、1982年(昭和57年)11月開店-2005年(平成17年)5月10日閉店)
- 創業以来28年目で初の閉店。平屋建ての食品主体スーパー。跡地は建て替えて、2006年(平成18年)4月29日にコジマNEW鳴海店となる。
- 牛巻店(名古屋市瑞穂区、2002年(平成14年)3月開店-2005年(平成17年)5月22日閉店)
- 3年余りで閉店する。建物はそのまま、2005年(平成17年)8月4日にスギ薬局牛巻店となる。
- 鉄骨造2階建て(一部3階建て)の建物に、総売場面積約4,860m2(直営売場面積約3,100m2)で、駐車台数250台の店舗だった[30]。
- 現在、建物はそのまま、2008年(平成20年)4月24日にバイク部品用品店 ・バイクセブン名古屋店となる。店舗はユニーから賃借している。
岐阜県
- 岐南店(羽島郡岐南町、1987年(昭和62年)5月開店-2006年(平成18年)1月10日閉店)
- 平屋建て。サンメイト岐南の核店舗。跡地は建て替えて、2007年(平成19年)10月7日にマックスバリュ岐南店となる。
- 安八店(安八郡安八町、2000年(平成12年)2月25日開店-2008年(平成20年)3月[31]20日閉店)
- 2階建て。建物はそのまま、2009年(平成21年)3月12日にホームプラザナフコ安八店となっていたが、2011年(平成23年)8月21日閉店。翌年6月より建物の解体工事が行われ、その後は更地となっていたが、トライアルカンパニーが2014年秋をめどに新規出店をすると報じられ[31]、2014年(平成26年)5月下旬より建設を始め[32]、同年10月8日に開店。
静岡県
- 現在、建物はそのまま、2006年(平成18年)5月にクックマート浜名湖西店となる。店舗はユニーから賃借している。
出店を断念した店舗
過去に使用していた店舗ブランド
- しんせん - 食料品専門のため1店舗のみ使用。1991年(平成3年)頃ユーストア赤池店への改称を経て、現在のピアゴ ラフーズコア赤池店。
過去に使用していたインストアブランド
- ユーシャレオ(衣料総合)
引継がれたインストアブランド
- パレット → のちのベルファーニス(ヤングレディースカジュアル)
- レッドウッド → のちのアーバンウッド(メンズカジュアル)
- パンデコマ(ベーカリー)
- ユーフラワー(生花)
沿革
- 1977年(昭和52年)
- 1979年(昭和54年)1月 - 三重県桑名市に星川店を出店する(三重県への初の出店)
- 1981年(昭和56年)
- 1986年(昭和61年)12月 - 星川店、ユーストア初の店舗建て替え(現:ピアゴ星川店)
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)
- 1月 - 久保田店、店舗建て替え(現:ピアゴ久保田店)
- 12月 - 名古屋証券取引所第二部に上場する
- 1990年(平成2年)11月 - インストアブランドの「ユーシャレオ」開始。非食品フロアで使用
- 1991年(平成3年)6月 - 上和田店、店舗建て替え(現:ピアゴ上和田店)
- 1992年(平成4年)3月 - フラワーショップ「ユーフラワー」の営業を開始
- 1993年(平成5年)
- 1995年(平成7年)
- 1997年(平成9年)12月 - 勝幡店、店舗建て替え(現:ピアゴ勝幡店)。売場面積1,439m2 → 5,072m2
- 1999年(平成11年)12月 - 東京証券取引所第二部に上場する[1]
- 2000年(平成12年)3月 - 滋賀県甲賀郡水口町(現:甲賀市)に水口店を出店する[34](滋賀県への初の出店)
- 2002年(平成14年)6月 - 本社を海部郡佐織町から稲沢市のユニー本社内に移転[22]。
- 2003年(平成15年)3月 - 食品部門の青果部より緑花(ユーフラワー)を部門として独立
- 2005年(平成17年)11月3日 - 京都府相楽郡精華町のユータウンけいはんなに精華台店を出店し、京都府へ進出する[35][36]
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
主なキャラクター
ユーストアのコマーシャルやレジ袋などには、以下のキャラクターが登場する。
- ゆーこママ
- ゆーすけパパ
- ゆーくん
- ゆーちゃん
脚注
注釈
出典
- ^ a b “ユーストア昨年12月16日 東証二部に株式上場”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年1月27日)
- ^ a b c d e 『会社年鑑 全国上場会社版 下巻 2006年版』 日本経済新聞社、2005年10月。
- ^ a b “ユーストア、2008年2月期決算 新店効果及ばず減収増益に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年4月16日)
- ^ a b “有力スーパーに聞くわが社の商品戦略 ユーストア、売場のボリューム陳列へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年1月1日)
- ^ “いま話題のSM新鋭店ルポ 6〈 ユーストア(下)”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年7月17日)
- ^ a b c d e f 吉田貞雄 『新生 (ユニー) の時代対応戦略 複合小売業の "森" をつくる』 ダイヤモンド社、1988年3月1日。ISBN 978-4478310427
- ^ a b c “食品流通の旗手 日本のSMチェーンベスト10=ユーストア”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年1月1日)
- ^ “ユニー、リストラ順調に進行 良品廉価路線で着実に”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年7月22日)
- ^ a b c d e “ユーストア、2005年2月期決算は新店効果で増収も減益”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年4月18日)
- ^ “このSMチェーン強さの秘密 『5』 ユーストア”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年11月30日)
- ^ “非常事態下のCS経営 1 減収・減益”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年4月7日)
- ^ a b “ユーストア、10月中旬から下旬にかけ全店にPOS導入”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年9月11日)
- ^ a b c “激変する北関東大型小売業(下)脱価格競争探る”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年8月20日)
- ^ a b “ユーストア、「ローコスト経営を踏襲」と小谷社長語る”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年5月31日)
- ^ “中部地区夏期特集:トピックス=ユーストア、自家発電装置を導入”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年8月13日)
- ^ a b “ユーストア、06年度決算は創業以来初の赤字に 今期は内部改革に全力傾注”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年4月21日)
- ^ “ユーストア07年2月期決算、下期挽回で増収増益に 立地によりDS戦略も”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年4月9日)
- ^ “ユーストア、2007年2月期決算”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年4月9日)
- ^ “ユーストア、2008年2月期中間決算”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2007年10月8日)
- ^ a b c d “ユニーとユーストアが合併 ユニーグループ中小型店は130店3500億円体制に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年4月14日)
- ^ a b “中部新春特集:小売トップインタビュー=ユニー・前村哲路社長”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年1月22日)
- ^ a b 伊藤司 “郊外移転と経営統合からみた小売業本部の空間的再編成”. 名城論叢 第4巻 第1号 (名城大学 経済・経営学会). (2003年6月)
- ^ a b “ユニー フォレオ大津一里山の核に ユーストア一里山オープン 滋賀県大津市” タイハン特報 (大量販売新聞社). (2008年12月1日)
- ^ a b “ユニー、「ピアゴ」業態で初出店「柴田店」オープン ユニー・ユーストアなど統合”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年1月28日)
- ^ 『流通会社年鑑 1993年版』 日本経済新聞社、1993年10月25日。
- ^ “ユーストア、「妙興寺店」オープン、年商32億円見込む”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2003年6月30日)
- ^ a b “いま話題のSM新鋭店ルポ 5〈 ユーストア(上)”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年7月1日)
- ^ a b c d “ユーストア、19日静岡進出1号店「新居店」オープン ドミナント化の拠点に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1993年11月19日)
- ^ “ユーストア、静岡県内へ中期的に20店展開へ。関東通産局に5条申請”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年10月9日)
- ^ a b c “オープン情報=ユーストア”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2000年11月29日)
- ^ a b “大型ディスカウントストア、安八町に来秋出店”. 岐阜新聞 (岐阜新聞社). (2014年10月9日)
- ^ “TRIAL岐阜安八店(仮称)を北村組で”. 建通新聞(建通新聞社). (2014年6月25日)
- ^ 結局、関東出店は叶わず、ユーストアが立地確保していた、川本店、大桑店、騎西店の開店利権は親会社ユニーに移管され、ユニーによって開店された。
- ^ “開店情報=ヤマナカ他”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2000年3月29日)
- ^ “ユーストア、京都府下に初出店 大型SC「ユータウンけいはんな」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年11月11日)
- ^ “ユーストア 京都府に初出店 ユータウンけいはんな 11月3日オープン 京都府相楽郡精華町”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2005年12月1日)
- ^ ユーストア店舗のうち、比較的大規模である精華台店のみユーストアブランドのままであったが、2009年6月19日にアピタブランドに転換を終えた。ユーストアからピアゴではなく、アピタへと転換する店舗は精華台店だけであった。
外部リンク
- ユーストアホームページ - 閉鎖。(2009年2月14日時点のアーカイブ)