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「伊藤剛 (評論家)」の版間の差分

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* [http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/00000000 伊藤剛プロフィル] - 本人の[[ブログ]]([[はてなダイアリー]])「伊藤剛のトカトントニズム」
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* {{Twitter|goito|伊藤剛}}-本人のアカウント
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* [http://web.archive.org/web/20070206175205/http://www.t3.rim.or.jp/~goito/index.html UNDER RECONSTRUCTION][[インターネットアーカイブ]]に残された旧サイト
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* [http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_8459.html 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む] ([[竹熊健太郎]])
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* [http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/tezuka-is-dead.html 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』]([[紙屋高雪]])
* [http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/tezuka-is-dead.html 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』]([[紙屋高雪]])

2017年9月4日 (月) 19:35時点における版

伊藤 剛(いとう ごう、1967年2月 - )は、愛知県名古屋市出身の日本の漫画評論家鉱物愛好家。主著に『テヅカ・イズ・デッド』。

学歴・職歴

人物

  • 初の単著『テヅカ・イズ・デッド』で、「キャラクター」と「キャラ」とを分けて論じる、従来の漫画論にない視点を提示した評論であると、高い評価を得た[7]

岡田斗司夫・唐沢俊一との紛争

  • 1990年代半ば、伊藤剛はなおきの実兄俊一に請われ彼の仕事を請負い初めると共に、ニフティサーブのコメディフォーラム内の岡田斗司夫唐沢俊一眠田直の三人が議長を務めるオタクアミーゴス会議室、及びと学会に入会した。伊藤によると周囲からは唐沢とは師弟関係として認識されていたが、1997年7月、唐沢から関係を絶縁するという告知がされて以降、唐沢は伊藤に対する誹謗中傷を繰り返してきたという[8]。伊藤は1998年7月に出版された、岡田斗司夫編『国際おたく大学』(光文社)掲載の記事「サブカルのパンドラの箱〜伊藤(バカ)くん問題」が名誉毀損等であるとして、11月、岡田斗司夫と光文社、及び当該記事の執筆者である唐沢俊一とその妻ソルボンヌK子を、東京地裁に提訴。1999年7月23日、上述の民事訴訟で和解し、岡田及び唐澤夫妻の謝罪文がウェブ上に(削除済み)、光文社による謝罪文が『小説宝石』1999年9月号に掲載される運びとなった[9]

著書

参考文献

  • 『ユリイカ』2006年1月号「特集・マンガ批評の最前線」(青土社)

出典

外部リンク