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* [[高田裕三]]<ref>ヤングマガジン編集部『3×3EYES Another World』講談社〈KCデラックス〉、1999年。</ref>
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* [[中津賢也]]{{要出典|date=2008年9月}}
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* [[旭凛太郎]]<ref>[http://web.archive.org/web/20041103132446/http://www.manga-g.co.jp/interview/int2004/int04-10.htm 旭凛太郎 日本漫画学院インタビュー] - 閉鎖。(2004年11月3日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>
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* [[かわくぼ香織]]<ref>[http://web.archive.org/web/20041216233932/http://www.manga-g.co.jp/interview/int2004/int04-11.htm かわくぼ香織 日本漫画学院インタビュー] - 閉鎖。(2004年12月16日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>
* [[かわくぼ香織]]<ref>[http://web.archive.org/web/20041216233932/http://www.manga-g.co.jp/interview/int2004/int04-11.htm かわくぼ香織 日本漫画学院インタビュー] - 閉鎖。(2004年12月16日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>
* [[並木洋美]]{{要出典|date=2008年9月}}
* [[並木洋美]]{{要出典|date=2008年9月}}
* [[一色登希彦]]<ref>[http://blog.livedoor.jp/toki5555/archives/51119614.html 一色登希彦公式サイト コラム#37]{{リンク切れ|date=2015年7月}}</ref><!-- リンク切れで修正しようとしましたが、スパム・フィルターによってこの外部リンク [http://toki55.blog10.fc2.com/blog-entry-21.html 一色登希彦/アトリエモーティヴ 公式ブログ #37] が更新できません。-->
* [[一色登希彦]]<ref>[http://blog.livedoor.jp/toki5555/archives/51119614.html 一色登希彦公式サイト コラム#37]{{リンク切れ|date=2015年7月}}</ref><!-- リンク切れで修正しようとしましたが、スパム・フィルターによってこの外部リンク [http://toki55.blog10.fc2.com/blog-entry-21.html 一色登希彦/アトリエモーティヴ 公式ブログ #37] が更新できません。-->

2017年9月4日 (月) 17:06時点における版

細野 不二彦
生誕 (1959-12-02) 1959年12月2日(64歳)[1]
日本の旗 東京都大田区[1]
国籍 日本の旗 日本
活動期間 1979年 -
ジャンル 少年漫画青年漫画
代表作
受賞 第41回小学館漫画賞受賞(『ギャラリーフェイク』『太郎』)
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細野 不二彦(ほその ふじひこ、1959年12月2日[1] - )は、日本漫画家東京都大田区出身[1]慶應義塾高等学校慶應義塾大学経済学部卒業[2]

来歴

大学時代からスタジオぬえで活動[3]。大学在学中の1979年、『マンガ少年』(朝日ソノラマ刊)掲載の「クラッシャージョウ」(高千穂遙原作作品のコミック化)でデビュー[4]。単発だったが好評のため継続した。

1980年に『恋のプリズナー』[5]で『週刊少年サンデー』に初掲載[6]。以降1980年代は同誌系誌を中心にコメディーを発表。この時期連載された『さすがの猿飛』、『どっきりドクター』、『GU-GUガンモ』のうち、『さすがの猿飛』と『GU-GUガンモ』は当時フジテレビ系列でテレビアニメ化された。『どっきりドクター』も連載終了後かなり経った1998年にテレビアニメ化された。

ダーティペア』アニメ版のユニフォームデザインを担当している。原作の設定および原作者高千穂の指示(曰、コッポラ『地獄の黙示録』に出てくるプレイメイトの感じ)による安彦良和による表紙や挿絵をある程度参考にしているが、当時から奇抜な衣装や発想に富んでいたことがうかがえる。

1990年代以降は青年漫画に執筆の場を移し、『あどりぶシネ倶楽部』、『太郎』、『ギャラリーフェイク』などを発表している。1991年には『ジャッジ』がOVA化、2005年には『ギャラリーフェイク』がテレビ東京系にてテレビアニメ化されている。

また、1991年にはゲームソフト『ラグランジュポイント』(コナミ)、1997年には『グランドレッド』(バンプレスト)のキャラクターデザインも手がけた。

第41回(平成7年度)小学館漫画賞受賞(『ギャラリーフェイク』『太郎』)。 2012年3月14日、漫画家のインタビューネット配信番組「漫画元気発動計画」の第12回~15回に出演して漫画製作の裏話を語った。

作品リスト

その他

アシスタント

脚注

  1. ^ a b c d 『漫画家人名事典』 日外アソシエーツ、2003年、p.334、ISBN 4-8169-1760-8
  2. ^ 慶應大卒業についてのみ「まんがカレッジ」(1986年発行)に記載
  3. ^ 細野不二彦先生インタビュー/2008年7月号”. 日本漫画学院 (2008年). 2008年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年9月21日閲覧。
  4. ^ 『現代漫画博物館 : 1945-2005』竹内オサム(監修)、小学館、2006年、別冊資料編p.62、ISBN 978-4091790033
  5. ^ この作品は、高橋留美子ら当時の新人漫画家のデビュー作を集めた『チャレンジ新人賞 サンデーまんがカレッジ』(1982年刊行)に収録されている。
  6. ^ 細野不二彦インタビュー”. 小学館 (2000年). 2001年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年9月21日閲覧。
  7. ^ ヤングマガジン編集部『3×3EYES Another World』講談社〈KCデラックス〉、1999年。
  8. ^ 旭凛太郎 日本漫画学院インタビュー - 閉鎖。(2004年11月3日時点のアーカイブ
  9. ^ かわくぼ香織 日本漫画学院インタビュー - 閉鎖。(2004年12月16日時点のアーカイブ
  10. ^ 一色登希彦公式サイト コラム#37[リンク切れ]