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'''{{by|2012年}}'''、開幕時は従来通り中継ぎだったが、球団事情でシーズン途中に先発に転向。7月16日の[[埼玉西武ライオンズ]]戦でプロ入り初先発を果たす。以来谷間の先発投手として登板する機会が増え、好投しても勝ち星がつかない試合が続いたこともあったが、9月19日の[[オリックス・バファローズ]]戦で5回2失点の成績を残し、先発初勝利を記録した。 |
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'''{{by|2014年}}'''、5月30日に[[船橋市]]在住の一般の女性と婚姻届を提出した事を発表<ref>[https://web.archive.org/web/20140601132003/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/01/kiji/K20140601008278640.html 日本ハム 谷元が一般女性と結婚「自覚もって野球に取り組む」](2014年6月1日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])スポーツニッポン2014年6月1日配信</ref>。開幕からロングリリーフとしての起用が続き、6月に疲労から一度登録を抹消された<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/16/kiji/K20140616008379370.html 日本ハム 谷元が登録外れる 栗山監督「必ず10日間で戻す」]スポーツニッポン 2014年6月16日配信</ref>が最短で復帰すると、シーズン閉幕まで場面を問わず安定した投球を続けた。最終的に自己最多の52試合に登板、防御率1.59という好成績を記録した。 |
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'''{{by|2015年}}'''は開幕から右の中継ぎとして活躍。8月2日から8月28日にかけて登板9試合連続で無失点を記録した。防御率こそ前年より悪化したものの、中継ぎ陣の柱として前年度を更新する61試合登板、自己最多となる20ホールドを記録した。 |
'''{{by|2015年}}'''は開幕から右の中継ぎとして活躍。8月2日から8月28日にかけて登板9試合連続で無失点を記録した。防御率こそ前年より悪化したものの、中継ぎ陣の柱として前年度を更新する61試合登板、自己最多となる20ホールドを記録した。 |
2017年9月4日 (月) 16:56時点における版
中日ドラゴンズ #60 | |
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北海道日本ハムファイターズ時代 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 三重県鈴鹿市 |
生年月日 | 1985年1月28日(39歳) |
身長 体重 |
167 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2008年 ドラフト7位 |
初出場 | 2009年4月4日 |
年俸 | 1億円(2017年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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谷元 圭介(たにもと けいすけ、1985年1月28日 - )は、三重県鈴鹿市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。
愛称は「チョロ元」。元日本ハム監督の梨田昌孝からは「バイタル」(以前所属していた企業名を略したもの)とも呼ばれている。日本ハム時代はチームメイトより「タニモン」と親しみを込めて呼ばれていた。
経歴
プロ入り前
三重県立稲生高等学校から中部大学に入学。高校1年時までは内野手で、肩の強さを買われて投手に転向した。愛知大学野球リーグでは通算12勝20敗。2005年秋季敢闘賞、2006年春・秋季、2シーズン続けてベストナインに選出。
しかし、身長の低さをウィークポイントと見なされたため有力社会人野球チームからは勧誘されず、薬品卸会社のバイタルネットに入社、他の一般社員と同じように仕事をしながらの生活を過ごした。
シーズン1年目の2007年秋からはエース投手となり、チームは6年ぶりに第34回社会人野球日本選手権に出場。1回戦では前年覇者の富士重工業を相手に8回まで無得点に抑えるが敗退した。2008年の都市対抗野球大会にはTDK千曲川の補強選手として出場。
2008年秋に北海道日本ハムファイターズの入団テストに合格し、同年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムから7位で指名され入団。
プロ入り後
2009年、オープン戦5試合に登板し5回無失点の成績を挙げ、開幕一軍入りした。4月18日、2番手で登板し2回無失点でプロ初勝利し、同年の全球団の新人投手中、最初の勝利投手となった。
2010年、二軍での出場が多かったが、2011年は開幕を一軍で迎え、課題であったシーズン途中の失速もなくリリーフ陣の一角として一軍に定着した。チームの中継ぎ陣が軒並み好調であったためビハインドでの起用が中心だったが、47試合に登板し防御率2.47と好成績を残した。
2012年、開幕時は従来通り中継ぎだったが、球団事情でシーズン途中に先発に転向。7月16日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ入り初先発を果たす。以来谷間の先発投手として登板する機会が増え、好投しても勝ち星がつかない試合が続いたこともあったが、9月19日のオリックス・バファローズ戦で5回2失点の成績を残し、先発初勝利を記録した。
2014年、5月30日に船橋市在住の一般の女性と婚姻届を提出した事を発表[2]。開幕からロングリリーフとしての起用が続き、6月に疲労から一度登録を抹消された[3]が最短で復帰すると、シーズン閉幕まで場面を問わず安定した投球を続けた。最終的に自己最多の52試合に登板、防御率1.59という好成績を記録した。
2015年は開幕から右の中継ぎとして活躍。8月2日から8月28日にかけて登板9試合連続で無失点を記録した。防御率こそ前年より悪化したものの、中継ぎ陣の柱として前年度を更新する61試合登板、自己最多となる20ホールドを記録した。
2016年は58試合に登板し、自己最多の31ホールドポイント(ホールドは28)を記録。10月29日、マツダスタジアムでの日本シリーズ第6戦、9回裏に登板し無失点に抑え胴上げ投手となった。オフの契約更改では年俸が2800万円アップ、1億円プレーヤーとなり[1]、また、背番号を「22」に変更した[4]。
2017年も開幕から中継ぎとして登板し、6月21日に国内FA権を取得[5]。6月23日、球団史上4人目の通算100ホールドを達成した[6]。この年はオールスターゲームに監督推薦で初出場[7]。第1戦・第2戦連投し、両試合とも1イニングを無失点で抑え、第2戦ではセーブを記録した。トレード可能期間の最終日である7月31日、中日ドラゴンズに金銭トレードで移籍することが発表された。オールスターゲームに出場した選手がそのシーズン中にトレードされるのはNPB初である[注 1]。
人物
2017年シーズン途中から札幌ドームの日本ハム主催試合で、北海道内の介護福祉士を招待する「アナたにもんシート」を設置した[8]。北海道介護福祉士会に登録されている介護福祉士から毎試合1組2名を抽選して招待するというもので、試合前に記念撮影やリストバンドのプレゼントを行う。谷元の実家の母親が祖父の介護をしており、デイサービスで介護福祉士のサポートを受けていることから介護従事者を身近に感じおり、社会貢献の一環としてこのシートへの導入へと至った。導入した最初の試合(6月6日対広島東洋カープ1回戦)では22組44名を招待し[9]、札幌ドーム以外では7月18日に行われた函館市千代台公園野球場での試合(対東北楽天ゴールデンイーグルス11回戦)でも15名を招待した[10]。
選手としての特徴
167cmと小柄な体格ながらキレのあるストレートは140km/h台中盤(最速150km/h)を記録する[11]。ボールの回転数が多く、2017年のオールスターゲームで試験的に導入されたトラックマン投手データでは約2,600rpm(毎分回転数)を記録した[12]。変化球はカーブを投げる割合がもっとも高い(2013年)[11]。
日本ハム時代ではセットアッパー、抑え、ロングリリーフ等様々な場面で登板し、いわゆる便利屋として起用されていた。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | 日本ハム | 24 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 1.000 | 127 | 27.2 | 25 | 4 | 20 | 0 | 1 | 20 | 1 | 1 | 18 | 17 | 5.53 | 1.63 |
2010 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 2 | .333 | 68 | 15.2 | 18 | 2 | 4 | 1 | 0 | 12 | 1 | 0 | 10 | 10 | 5.74 | 1.41 | |
2011 | 47 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 5 | .333 | 199 | 47.1 | 51 | 4 | 16 | 1 | 1 | 45 | 2 | 0 | 13 | 13 | 2.47 | 1.42 | |
2012 | 28 | 7 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 7 | .500 | 257 | 61.1 | 61 | 3 | 16 | 0 | 1 | 39 | 1 | 1 | 24 | 24 | 3.52 | 1.26 | |
2013 | 31 | 13 | 0 | 0 | 0 | 6 | 6 | 1 | 3 | .500 | 388 | 89.1 | 92 | 10 | 38 | 2 | 2 | 53 | 2 | 0 | 45 | 39 | 3.93 | 1.46 | |
2014 | 52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 1 | 12 | .833 | 260 | 68.0 | 41 | 4 | 19 | 0 | 2 | 63 | 3 | 2 | 14 | 12 | 1.59 | 0.88 | |
2015 | 61 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | 20 | .667 | 241 | 56.2 | 54 | 0 | 15 | 1 | 2 | 47 | 1 | 0 | 21 | 20 | 3.18 | 1.22 | |
2016 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 3 | 28 | .600 | 206 | 50.1 | 41 | 4 | 16 | 0 | 1 | 44 | 0 | 0 | 14 | 13 | 2.32 | 1.13 | |
通算:8年 | 315 | 20 | 0 | 0 | 0 | 24 | 17 | 5 | 80 | .585 | 1746 | 476.1 | 383 | 31 | 144 | 5 | 10 | 323 | 11 | 4 | 159 | 148 | 3.20 | 1.27 |
- 2016年度シーズン終了時
記録
- 初記録
- 初登板:2009年4月4日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(札幌ドーム)、7回表2死に4番手で救援登板、1回1/3を無失点
- 初ホールド:2009年4月5日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(札幌ドーム)、6回表1死に3番手で救援登板、1/3回無失点
- 初奪三振:2009年4月10日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、9回裏に小久保裕紀から空振り三振
- 初勝利:2009年4月18日、対埼玉西武ライオンズ2回戦(西武ドーム)、6回裏無死に2番手で救援登板、2回1失点
- 初先発登板:2012年7月16日、対埼玉西武ライオンズ12回戦(札幌ドーム)、5回4被安打1失点
- 初先発勝利:2012年9月19日、対オリックス・バファローズ24回戦(札幌ドーム)、5回8被安打2失点
- 初セーブ:2013年6月9日、対東京ヤクルトスワローズ4回戦(明治神宮野球場)、7回裏無死に2番手で救援登板・完了、3回1失点(自責点0)
- 節目の記録
- 100ホールド:2017年6月23日、対東北楽天ゴールデンイーグルス8回戦(札幌ドーム)、6回表に3番手で救援登板、1回無失点 ※史上25人目[6]
- その他の記録
- 1球勝利投手:2012年5月20日、対広島東洋カープ2回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回裏1死満塁で石井琢朗を中直併殺 ※史上33人目(日本ハムの投手では2011年8月8日の石井裕也以来3人目)
- オールスターゲーム出場:1回 (2017年)
背番号
- 48 (2009年 - 2016年)
- 22 (2017年 - 同年7月30日)
- 60 (2017年7月31日 - )
登場曲
- 「ヒーロー -Holding out for a hero- (Dance ver.)」 - 麻倉未稀 (2009年 - 2012年)
- 「小さなヒーロー」 - ビーグルクルー (2013年 - 2014年)
- 「DREAM」 - 清水翔太 (2015年 - )
脚注
注釈
- ^ 2007年シーズンまでトレードの期限は6月末だったため、オールスター後のトレードは不可能だった。
出典
- ^ a b 日本ハム - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年12月14日閲覧。
- ^ 日本ハム 谷元が一般女性と結婚「自覚もって野球に取り組む」(2014年6月1日時点のアーカイブ)スポーツニッポン2014年6月1日配信
- ^ 日本ハム 谷元が登録外れる 栗山監督「必ず10日間で戻す」スポーツニッポン 2014年6月16日配信
- ^ 谷元投手背番号変更について北海道日本ハムファイターズ公式サイト 2016年11月21日配信
- ^ “日本ハム谷元FA取得「まだシーズン中なので何も」”. 日刊スポーツ (2017年6月21日). 2017年7月31日閲覧。
- ^ a b “日本ハム 谷元 史上25人目100ホールド達成”. スポーツニッポン (2017年6月23日). 2017年6月23日閲覧。
- ^ “日本ハムから新たに3選手が選出”. Full-Count (2017年7月3日). 2017年7月31日閲覧。
- ^ “谷元選手が北海道内の介護福祉士をサポート 「アナたにもんシート」で札幌ドームの試合に特別招待”. 北海道日本ハムファイターズ (2017年5月15日). 2017年7月31日閲覧。
- ^ “日本ハム谷元「アナたにもんシート」介護福祉士招待”. 日刊スポーツ (2017年6月6日). 2017年7月31日閲覧。
- ^ “【日本ハム】谷元、森町の介護福祉士15人を招待…応援大使務める”. スポーツ報知 (2017年7月18日). 2017年7月31日閲覧。
- ^ a b 小関順二『プロ野球スカウティングレポート2014』廣済堂出版、2014年、221頁頁。ISBN 978-4-331-51810-6。
- ^ “「困ったときの谷元」、9年目初のオールスターで証明した存在価値【えのきどいちろうのファイターズチャンネル#55】”. ベースボールチャンネル (2017年7月16日). 2017年7月31日閲覧。
関連項目
- 三重県出身の人物一覧
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
- 中日ドラゴンズの選手一覧
- 武田久(北海道日本ハムファイターズ) - 谷元と同じ小柄な速球派投手で、谷元がテストを受けるチームに日本ハムを選んだ理由が武田の存在であったという。
- 美馬学(東北楽天ゴールデンイーグルス) - 谷元と同じ小柄な体躯ながら速球派投手で、谷元と同じく2012年に中継ぎから先発に転向した。
外部リンク
- 個人年度別成績 谷元圭介 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)