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日本はIMFへの第2位の出資国である<ref name="jcast201388">[http://www.j-cast.com/2013/08/08181136.html 高橋洋一の自民党ウォッチ IMF「日本の消費税15%が必要」報告 実はこれ財務省の息がかかった数字なのだ(1/2)]J-CASTニュース 2013年8月8日</ref>。副専務理事は4人いるがこのうち1人は日本人で、[[財務省]][[財務官 (日本)|財務官]]を退職した後の指定ポストとなっている<ref name="jcast201388" /> |
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。2015年時点で、副専務理事ポストへの日本からの選出は4代連続となっている<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASH262S0BH26UHBI00D.html IMF副専務理事に古沢満宏氏 日本から4代連続]朝日新聞デジタル 2015年2月6日</ref>。日本はこのほかに理事ポストを確保し、財務省からの出向者が務めている<ref name="jcast201388" />。理事室には理事のほかにも財務省からの日本人スタッフが多くいる<ref name="jcast201388" />。日本の新聞のIMFに関する記事は、ワシントン駐在の日本人記者が理事室を取材して書いていることが多い<ref name="zakzak2012424">[http://web-beta.archive.org/web/20120530063115/http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20120424/plt1204240730001-n1.htm 連載:「日本」の解き方 IMFの記事で増税が強調されるワケ(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)]ZAKZAK 2012年4月24日(2012年4月26日時点の[[インターネット |
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2010年7月14日、IMFが日本に対し「[[消費税]]15%」を提言するレポートを発表した<ref>[http://www.asahi.com/special/08017/TKY201007150639.html 日本の消費税15%をIMF提言 来年度から段階的に] asahi.com(朝日新聞社)2010年7月16日9時13分</ref>。「消費税率を15%に引き上げれば、[[国内総生産]](GDP)比で4-5%の歳入増が生じる」「当初は、成長率を0.3-0.5%押し下げるが、老後のための貯蓄が消費に回り、日本経済への信用度が増すことで海外からの投資が増えるなどの結果、毎年0.5%ずつ成長率を押し上げる」としている<ref name="post_20100806">「大新聞は国民の敵だ② これこそ『世論誘導』ではないのか IMF 国際通貨基金 『消費税15%提言』報道に財務省のヤラセ疑惑」 [[週刊ポスト]]、2010年8月6日号41頁-42頁。</ref>。 |
2010年7月14日、IMFが日本に対し「[[消費税]]15%」を提言するレポートを発表した<ref>[http://www.asahi.com/special/08017/TKY201007150639.html 日本の消費税15%をIMF提言 来年度から段階的に] asahi.com(朝日新聞社)2010年7月16日9時13分</ref>。「消費税率を15%に引き上げれば、[[国内総生産]](GDP)比で4-5%の歳入増が生じる」「当初は、成長率を0.3-0.5%押し下げるが、老後のための貯蓄が消費に回り、日本経済への信用度が増すことで海外からの投資が増えるなどの結果、毎年0.5%ずつ成長率を押し上げる」としている<ref name="post_20100806">「大新聞は国民の敵だ② これこそ『世論誘導』ではないのか IMF 国際通貨基金 『消費税15%提言』報道に財務省のヤラセ疑惑」 [[週刊ポスト]]、2010年8月6日号41頁-42頁。</ref>。 |
2017年9月4日 (月) 13:45時点における版
国際通貨基金 | |
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各国語表記
International Monetary Fund | |
ワシントンD.C.のIMF本部 | |
概要 | 専門機関 |
略称 | IMF |
代表 | クリスティーヌ・ラガルド専務理事 |
状況 | 活動中 |
活動開始 | 1945年12月27日[1] |
本部 | アメリカ合衆国・ワシントンD.C. |
公式サイト | IMF |
International Monetary Fund Portal:国際連合 |
国際通貨基金(こくさいつうかききん、英語: International Monetary Fund, IMF)は、国際金融、並びに、為替相場の安定化を目的として設立された国際連合の専門機関である。国際通貨基金(IMF)の本部は、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.に位置する。2016年現在、国際通貨基金(IMF)の加盟国は、188か国である[2]。
加盟国の経常収支が著しく悪化した場合などに融資などを実施することで、国際貿易の促進、加盟国の高水準の雇用と国民所得の増大、為替の安定、などに寄与する事を目的としている。 また、為替相場の安定のために、経常収支が悪化した国への融資や、為替相場と各国の為替政策の監視などを行っている。各国の中央銀行の取りまとめ役のような役割を負う。世界銀行と共に、国際金融秩序の根幹を成す。
沿革
ブレトン・ウッズ体制
1929年の世界恐慌は世界の経済システムに大打撃を与え、金本位制はほとんどの国で放棄された。国際金融や為替を管轄する国際機関は存在せず、これが経済混乱を助長する一因となった。各国間では通貨の切り下げ競争が起こり、一部の国は経済混乱を乗り切るために軍拡と侵略へと走り、第二次世界大戦が引き起こされた。こうしたことから、連合国の戦後構想の一環として、国際金融や為替について各国間の協力と調整を行う国際機関の設立が構想された。この組織をめぐってはイギリスのジョン・メイナード・ケインズの案とアメリカのハリー・ホワイトの案の二つが提出されたが、最終的な組織はホワイトの案に近いものとなった。
1944年7月、アメリカ合衆国ニューハンプシャー州ブレトンウッズにおいて、国際金融並びに為替相場の安定を目的として、国際連合の「金融・財政会議」が開催された。この会議において調印されたブレトン・ウッズ協定によって、第二次世界大戦後復興策の一環として、安定した通貨制度を確保するための国際通貨基金の設立が国際復興開発銀行と共に決定され、1945年12月27日に29か国で創設された[3]。1947年3月にIMF協定が発効し実際の業務を開始し、国際連合と協定を結び、国際連合の専門機関となった。一方、ソビエト連邦はブレトン・ウッズ会議には参加したものの結局批准せず、ソ連および社会主義諸国は1949年に経済相互援助会議(COMECON)を設立してブレトン・ウッズ体制の枠外に立つことになった。こうしたことからIMFの本部はアメリカの首都であるワシントンD.C.に置かれることになり、他と懸絶した経済力を持つアメリカの発言権が強い組織となった。
発足当初は外為市場で交換される通貨を物理的に輸送していた。これを見かねた欧州経済協力機構が1950年にヨーロッパ支払同盟をつくった。これは各月末で決済する外為取引用の手形交換制度である。1958年、十分なキャッシュフローを備えるかたちでヨーロッパ通貨協定に改組された。業務の遂行に欧州各国の承諾がいらなくなり、かわりに経済協力開発機構が指揮を担った。協定は1972年に終了し、IMFがその業務を継承した。
国際通貨基金は戦後の経済秩序の根幹をなし、IMF体制(ブレトン・ウッズ体制)と呼ばれるこの経済体制下で西側諸国は徐々に繁栄していくようになった。この体制の根幹はアメリカが金1オンスを35USドルと定め、そのドルに各国がペッグして固定相場制を取るという変則的な金本位制によってなりたっていた。金本位制を取るアメリカ・ドルに各国通貨がペッグしていることから、この時期の通貨体制を金・ドル本位制とも呼ぶ。この時期のIMFは参加各国の為替自由化を主要な目標とし、国際収支の赤字を理由に為替制限ができるIMF14条国から、それができないIMF8条国への参加各国の移行を目指していた。この目標は西ヨーロッパ諸国においては1961年に、日本においては1964年に達成された。しかしこのころには、西ヨーロッパ諸国や日本の急速な経済成長とそれに伴うアメリカの相対的な経済優位の喪失によって、アメリカからの金の流出が続き、この体制の維持が困難になり始めた。こうした状況を改善するため、IMFは1969年に仮想の準備通貨である特別引出権(SDR)を創設し、加盟国はそれまでのIMFに対する直接借入れに加え、緊急時には他の加盟国からドル・ポンド・ユーロ・円という通貨バスケットにある通貨を融通してもらうことが可能になったが、アメリカの貿易赤字と信認の低下は続いた。そして1971年8月15日にアメリカのリチャード・ニクソン大統領が電撃的にアメリカ・ドルと金との兌換停止を発表したことで金・ドル本位制は崩壊した。これは同時にブレトン・ウッズ体制の崩壊をも意味していた。これを受けて新たな国際通貨体制が模索され、1971年12月18日にはドルと各国通貨との交換レート改定を柱とするスミソニアン協定が締結されて固定相場制の維持が図られたが、ドルの暴落は止まらずに固定相場制は維持不可能となったため各国は相次いで変動相場制に移行し、1973年にはスミソニアン体制は完全に崩壊した。この固定相場制の崩壊は、IMF体制にとどめを刺し、以後通貨は変動相場制が一般的なものとなった。
ブレトン・ウッズ体制崩壊後
IMF体制が崩壊したことによって、安定した通貨制度を確保するという設立当初の目的は弱まっていき、加盟国の国際収支から国内金融秩序安定へその監視助言業務の比重を次第に移した。また、発展途上国の経済・債務問題への対処がIMFの大きな目的の一つとなった。これは戦後の復興が一段落ついたために開発資金援助へと特化していた国際復興開発銀行および世界銀行グループとの業務の重複を生むこととなった。折から、第二次石油ショック後の資源価格の下落や1970年代の無理な産業開発戦略の影響で、1980年代に入ると中南米諸国やアフリカ諸国において債務危機が多発するようになった。これを受け、IMFは発展途上国に救済融資を行った。この融資を行うに当たり、IMFは問題の根源は支払い能力ではなく資金の流動性にある、すなわち債務支払い能力がないわけではなく、一時的に資金繰りがショートしているだけであると考え、当該国の政府に緊縮政策を取らせて経常収支を改善することを目的とした付帯条件をつけた。こうしてIMFの勧告の元、増税や政府支出削減、民営化、経済自由化、通貨切り下げなどが行われた[4]。こうした政策を総称して、構造調整と呼ぶ。この構造調整政策はラテンアメリカやアジア・アフリカの発展途上国を対象として広く行われたが、特にアフリカにおいては経済成長をもたらすことはなく、逆に経済の停滞を招いた。
1980年代後半に入るとソビエト連邦の衰退が明らかになり、ペレストロイカの流れの中でIMFと東側諸国との関係は改善に向かった。そして1989年に東欧革命が勃発し社会主義体制が崩壊すると、これら諸国の市場主義経済化を支援し、経済的に立ち直らせることもIMFの重要な職務の一つとなった。1990年以降はソビエト連邦からの支援要請も相次ぐ様になり、1991年末にソ連崩壊が起きると、ロシア連邦をはじめとする独立国家共同体(CIS)諸国への支援がこれに加わった。IMFはこうした旧ソ連・東欧諸国に対し急進的な市場経済化、いわゆるショック療法を提案したが、ロシアにおいてこの政策は失敗し、1998年にロシア財政危機を起こす原因の一つとなった。
1997年7月にタイでの通貨危機が起き、それをきっかけにアジア通貨危機が発生すると、特に被害の大きかったタイ・インドネシア・韓国の3か国の経済は破綻し、IMFの支援を要請することとなった。IMFはこれに対し、中南米諸国やアフリカ諸国と同じように救済融資の条件として緊縮政策を強制した。しかしこれらの諸国の経済の基礎的条件はいずれも健全であり、ただ信用収縮が起こっている状態、すなわちまさに流動性こそが問題であったのに緊縮財政を取ってしまったため信用収縮はさらに拡大し、この3か国は深刻な不況に見舞われた[5]。これを受けてIMFは政策を緩め、各国が景気刺激策を取ることを容認したため危機は収束に向かった。結果的に、IMFはこのアジア通貨危機に対しなんら有効な手を打つことができず、混乱と経済危機を深刻化させただけで終わった [6]。
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2008年には、前年のアメリカのサブプライム住宅ローン危機に端を発し、9月のリーマン・ブラザーズの倒産(リーマン・ショック)によって世界金融危機が勃発し、IMFは金融危機に瀕した加盟国の支援を行った。こうした中で支援の原資となるIMFの財源の強化が図られた。2008年3月28日、クォータ(出資額)の改革について、理事会において決議案が合意された。クォータ改革の最大の目的は、世界経済における加盟国の相対的地位をクォータ・シェアにより反映させることであり、この改革によって新興国市場でのIMFの役割と責任は高められるとされている。この改革は2010年12月15日に承認され、2011年3月3日に施行された。これによって出資額は倍増され、中国をはじめとする新興国の発言力が増すこととなった[7]。
2010年、ギリシャ経済の先行きについて試算を出した(#ギリシャ経済の先行き)。
日本との関係
日本は1952年(昭和27年)にIMFに加盟し、理事国になる。国内では財政法が改正され、国際通貨基金及び国際復興開発銀行への加盟に伴う措置に関する法律が施行された。その後、日本の経済力が上昇していく中で上記のとおり為替自由化が求められていくようになり、1964年(昭和39年)には国際収支の赤字を理由に為替制限ができる14条国から、それができない8条国へ移行した。1965年(昭和40年)には、IMFについて2億2500万ドル(邦貨換算810億円)、国際復興開発銀行について1億660万ドル(邦貨換算383億7600万円)の追加出資[8]。この負担金の拠出を理由に戦後初めて日本国債が発行された(当時は首相は佐藤栄作、日本銀行頭取は宇佐美洵)[9]。1970年(昭和45年)には出資率の上昇により、任命理事を選出できるようになった。2006年(平成18年)には、小寺清が日本人として初の世銀・IMF合同開発委員会の事務局長となり、2010年まで4年間にわたりその職にあった[10]。 [11]
これ以降は日本の財務省との関係を参照されたい。
主要会議
毎年秋に年次総会と呼ばれる世界銀行と合同の総務会を開催。また年2度の国際通貨金融委員会の開催も行っている。
総会(英語: World Bank IMF General Assembly)は、毎年秋に1回、世界銀行と合同で開催される。
国際通貨金融委員会(英語: International Monetary and Financial Committee、IMFC)は、年に2回開催される。
構成
意思決定機関として総務会と理事会がある。
「英語: Board of governors(一般的に総務会と訳される)」は、各国につき1人の総務(財務大臣や中央銀行総裁など)と1人の総務代理で構成される最高意思決定機関で、年1回開催される[12]。投票権は出資金の支払い比率に応じて与えられる。この出資金がIMFの財源であり、経済規模に応じて定められている。
「英語: Executive board(一般的に理事会と訳される)」は、24名の理事によるIMFの通常業務に関する執行機関。
幹部
理事は2016年現在24名で構成されている[13]。理事はすべて加盟国によって選出される。
かつてはIMFの上位出資国五か国(アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ドイツ、日本)が任命理事(英語: appointed director)を各国一人ずつ選任し、残りの加盟国が選出理事(英語: elected director)を投票で19名選出していたが、IMFの機構改革の一環として任命理事を廃止し、すべての理事を加盟国によって選出することが2010年12月に議決され[14]、2016年1月26日にこの改正は発効した[15]。
「英語: managing director(一般に専務理事と訳される)」は、理事会の議長と国際通貨基金の代表を務める。世界銀行の総裁に米国出身者が選出されているのと同様、国際通貨基金の専務理事には欧州出身者の就任が不文律となっているが、かつてカムドシュの後任として日本の榊原英資元財務官が、またストロスカーンの後任にメキシコ中央銀行のカルステンス総裁の起用が検討されたことがある。
代 | 専務理事 | 国 | 就任 | 退任 | |
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1 | カミーユ・ガット | ベルギー | 1946年5月6日 | 1951年5月5日 | |
2 | イヴァル・ルース | スウェーデン | 1951年8月3日 | 1956年10月3日 | |
3 | ペール・ヤコブソン | スウェーデン | 1956年11月21日 | 1963年5月5日 | |
4 | ピエール=ポール・シュバイツァー | フランス | 1963年9月1日 | 1973年8月31日 | |
5 | ヨハネス・ヴィトフェーン | オランダ | 1973年9月1日 | 1978年6月16日 | |
6 | ジャック・ド・ラロジエール | フランス | 1978年6月17日 | 1987年1月15日 | |
7 | ミシェル・カムドシュ | フランス | 1987年1月16日 | 2000年2月14日 | |
8 | ホルスト・ケーラー | ドイツ | 2000年5月1日 | 2004年3月4日 | |
代行 | アンネ・オズボーン・クリューガー | アメリカ合衆国 | 2004年3月4日 | 2004年6月7日 | |
9 | ロドリーゴ・ラト | スペイン | 2004年6月7日 | 2007年10月31日 | |
10 | ドミニク・ストロス=カーン | フランス | 2007年11月1日 | 2011年5月18日 | |
代行 | ジョン・リプスキー | アメリカ合衆国 | 2011年5月18日 | 2011年7月5日 | |
11 | クリスティーヌ・ラガルド | フランス | 2011年7月5日 | (現職) |
出資額と議決権
IMFでの議決権は一国一票ではなく、下記のクォータ(出資額)による。各加盟国は基礎票として250票を持つほか、自国に割り当てられた特別引出権(SDR)100000ごとに1票が与えられる。出資比率は2010年現在下記の通りだが、2010年のクォータ改革によってBRICs諸国の比率は高められ、今後中国が3位、インド、ロシア、ブラジルがそれぞれ8位、9位、10位になる予定である。
2010年度における出資額割り当ての上位30か国と票数[16]) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ギリシャ経済の先行き
ギリシャ経済の先行きについてIMFが2010年に試算を出したが、その経済予測は現実のギリシャ経済の動向とは大きくかけ離れるものとなった。IMFの予測ではギリシャの実質GDPは2011年を境に上昇に転じるはずであった[17] 。現実にはギリシャ経済は落ち込みをつづけ、2013年には実質GDPが2008年時の76パーセントにまで減少した。
この問題について、2010年に公表したギリシャの経済指標の予想値は極めて楽観的であったことをIMF自身が認めた[19]。2010年にIMFはギリシャに強いる緊縮財政政策を、その他のユーロ圏の脆弱な国を守るファイアウォールを築くための時間作り政策と評していた。だがその2年後にギリシャの失業率が25%にまで上昇してしまう。IMFの予測では14.8%にとどまるとしていたが[17]、その予測は大きくはずれた[19]。ギリシャに課した財政緊縮プログラムについても、その政策がギリシャ経済に与える打撃を過小評価していたとIMF自身が認めたのである[20]。ギリシャ政府の負債についても、早期に債務減免を検討すべきであったとIMFは声明をだした。
ノーベル賞経済学者ポール・クルーグマンは、このIMFの経済予測を批判し、IMFのように財政緊縮が経済に対してどれだけダメージを与えるかを考察できない機関が他者に経済の講義をするべきではないと示唆する[21]。
日本の財務省との関係
日本はIMFへの第2位の出資国である[22]。副専務理事は4人いるがこのうち1人は日本人で、財務省財務官を退職した後の指定ポストとなっている[22] 。2015年時点で、副専務理事ポストへの日本からの選出は4代連続となっている[23]。日本はこのほかに理事ポストを確保し、財務省からの出向者が務めている[22]。理事室には理事のほかにも財務省からの日本人スタッフが多くいる[22]。日本の新聞のIMFに関する記事は、ワシントン駐在の日本人記者が理事室を取材して書いていることが多い[24]。元内閣参事官で嘉悦大教授の高橋洋一によれば、日本の財務省からの出向者がIMFの資料を要約し説明するため、IMFには財務省の意向が入りやすいとのことである[24]。
2010年7月14日、IMFが日本に対し「消費税15%」を提言するレポートを発表した[25]。「消費税率を15%に引き上げれば、国内総生産(GDP)比で4-5%の歳入増が生じる」「当初は、成長率を0.3-0.5%押し下げるが、老後のための貯蓄が消費に回り、日本経済への信用度が増すことで海外からの投資が増えるなどの結果、毎年0.5%ずつ成長率を押し上げる」としている[26]。
しかし、この提言について経済学者の相澤幸悦は「IMFには各国の財政政策を指導する権限があるが、それは財政危機に陥った国などに対して資金支援を行なった場合に限ってのことであり、アメリカに次いで2番目の出資国である日本に対してこんな指導を出すのはあまりにも不自然である。」と指摘している[26]。また産経新聞ワシントン駐在編集特別委員の古森義久は「この提言も財務省の意向を十分に反映しているものであることは間違いない」と指摘している[26]。
経済学者の浜田宏一は2010年8月時点に「政府の信用状態を正確に把握するには、粗債務ではなく純債務を見るのが常識である。純債務であれば日本政府の負債はGDP比60%以下にもかかわらず、同レポートでは粗債務の数字(日本政府の負債はGDP比約180%)を用いている。またレポートは日本円へのソブリンリスクを懸念しているが、日本は世界最大の債権国であり、円に対する市場の信任は高く、リスクが高いとは到底いえない。さらにこれまで金融緩和などの対策を講じていないことに言及せず、デフレの危険が伴う消費税増税を求めるのにも無理がある」と指摘している[26]。
IMFは、2014年5月30日にも、2015年10月に消費税率の10%引き上げを行うとともに、最低でも15%に引き上げることを重ねて求める声明を出した[27]。一方で、安倍政権が進めている法人税率の引き下げについて「財政リスクの高まりを防ぐための財源確保が必要だ」とした上で「法人税の税率引き下げは段階的に実施することで、財政リスクの上昇は抑えられる」との声明を出している[28]。
IMFへの出資額が世界第2位の日本が債務不履行になり、IMFの管理下におかれて財政自主権が失われることは、財政運営が極度に困難となり財政の自由度が失われる状況であると財務省は定義する[29]。また、財務省は、日本のような自国通貨建てで国債を発行していて、かつ通貨発行権を有する国が債務不履行になることを否定する意見書を出している[30]。
構造調整
1980年代に入ると発展途上国の債務危機が深刻化し、これを改善するためにIMFおよび世界銀行は救済融資を大規模に行うようになった。この際、融資の効果を阻害するような政治状態の国には、政策改善を条件とした。この際に、対象国に課せられる要求のことを「構造調整プログラム(Structural Adjustment Program)」と呼ぶ。構造調整プログラムは新自由主義に基づいており、これに沿った経済の自由化や補助金の削減、国営企業の民営化、関税の引き下げなどが途上国に求められた。このIMFの構造調整プログラムにより、アフリカや南米、アジアなどの発展途上国では、雇用や教育、医療などにおいて後退や停滞が発生し、1987年には国際連合児童基金(UNICEF)がこれを厳しく批判している[31]。また、この構造調整はIMFや世界銀行が行った勧告に沿った政策を当該国政府が実行するという形を取ったが、両機関からの救済融資は当該発展途上国への融資の大部分を占めることが多く、勧告を受け入れないことは当該国への融資の大部分が停止することを意味するため、各国政府は両機関の勧告を受け入れざるを得なくなった。さらに先進各国も援助実施の条件として構造調整プログラムの実施を前提とすることが多くなった[32]ため、この勧告は事実上強制的な通告となり、IMFと世界銀行が多くの発展途上国の経済政策を事実上意のままにできることとなってしまい、内政不干渉の原則にはずれるとの批判の声も上がった[33]。一方、こうした構造調整に伴う痛みの大きさやそれに見合わない成果、既得権益との兼ね合い、そして当該国の行政能力そのものの低さなどから構造調整が遅々として進まない、あるいは政府ができる限り形式的な改革で済ませようとする事例も、特に1980年代には頻発した[34]。しかしこうした抵抗に対し、1991年のケニアのように、IMFは構造調整の遅れた国に新規融資を差し止めるなどの措置を行い、構造調整の実施を強制した[35]。
不祥事
他方でIMF国際通貨基金トップのドミニク・ストロス=カーン氏が女性強姦未遂容疑で米当局に逮捕され、この事は米国メディアで連日大きく取り上げられた。トップのストロスカーン氏の逮捕とあって、IMFの政策運営に空白が生じれば、財政危機が深刻化し国債利回りが急上昇しているギリシャ問題、原油高騰を招いている中東・北アフリカ情勢への対応など、重要課題への対応が遅れることなどへ大きな懸念が高まった。なおストロス・カーン容疑者は事件について否認している。
脚注
- ^ 「世界地理大百科事典1 国際連合」p405 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店
- ^ https://www.imf.org/external/japanese/np/exr/facts/glancej.htm 「ファクトシート-IMFの概要」国際通貨基金 2016年3月 2017年2月8日閲覧
- ^ 「世界地理大百科事典1 国際連合」p405 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店
- ^ 「国際経済システム読本 国際通貨・貿易の今を考える」p134 野崎久和 梓出版社 2008年4月20日第1刷
- ^ 「国際経済システム読本 国際通貨・貿易の今を考える」p153 野崎久和 梓出版社 2008年4月20日第1刷
- ^ 「国際経済システム読本 国際通貨・貿易の今を考える」p153 野崎久和 梓出版社 2008年4月20日第1刷
- ^ https://www.imf.org/external/japanese/np/exr/facts/changingj.htm 「ファクトシート 世界経済危機へのIMFの対応」国際通貨基金 2016年3月22日 2017年3月3日閲覧
- ^ 第49回国会『衆議院大蔵委員会第2号議事録』、1965年8月6日。
- ^ 第51回国会『衆議院本会議第1号議事録』、1965年12月20日。
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- ^ 世銀・IMF合同開発委員会とは、G7を含む先進国、途上国の24か国の財務大臣、開発担当大臣等が一堂に会し、途上国への開発援助問題に関するその時々の重要なトピックについて議論し、世界銀行・IMFの総務会に勧告を行うハイレベルな会合である。事務局長は、開発委員会議長、世界銀行総裁、及びIMF専務理事と協議しつつ、委員会の運営にあたる。なお、日本政府は、「国際通貨基金及び国際復興開発銀行への加盟に伴う措置に関する法律」(昭和27年法191)を制定して政府がIMFに法定出資できること及び出資方法を定めている。
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- ^ a b 連載:「日本」の解き方 IMFの記事で増税が強調されるワケ(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)ZAKZAK 2012年4月24日(2012年4月26日時点のアーカイブ)
- ^ 日本の消費税15%をIMF提言 来年度から段階的に asahi.com(朝日新聞社)2010年7月16日9時13分
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- ^ IMF、消費税「最低15%必要」 軽減税率はコスト増大と指摘日本経済新聞 2014年5月30日
- ^ IMF、法人税下げ「財政リスクの高まり防ぐため財源確保を」日本経済新聞 2014年5月30日
- ^ 衆議院議員城内実君提出財政破綻リスクに関する質問に対する答弁書 2011年2月10日
- ^ 外国格付け会社宛意見書要旨
- ^ 「アフリカ経済論」p103 北川勝彦・高橋基樹編著 ミネルヴァ書房 2004年11月25日初版第1刷
- ^ 「ケニアを知るための55章」pp136 松田素二・津田みわ編著 明石書店 2012年7月1日初版第1刷
- ^ 「アフリカ経済論」p102 北川勝彦・高橋基樹編著 ミネルヴァ書房 2004年11月25日初版第1刷
- ^ 勝俣誠「現代アフリカ入門」第1刷、1991年11月20日(岩波書店)p119
- ^ 「ケニアを知るための55章」pp137-138 松田素二・津田みわ編著 明石書店 2012年7月1日初版第1刷
関連項目
- 特別引出権(SDR)
- アジア通貨危機
- グローバリゼーション
- ジャマイカ 楽園の真実 - 2001年のドキュメンタリー映画。IMF、グローバリゼーションに翻弄されるジャマイカを描く。
- チェンマイ・イニシアティブ
- アジア通貨基金