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「ズヴェズダン・ミシモヴィッチ」の版間の差分

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== 経歴 ==
== 経歴 ==
=== クラブ ===
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プロデビューした[[バイエルン・ミュンヘン]]では出番が無く、2004年に移籍した[[VfLボーフム]]でブレイクした。
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==== VfLヴォルフスブルク ====
==== VfLヴォルフスブルク ====
2008年5月、[[マルセロ・ドス・サントス|マルセリーニョ]]の後継者として[[1.FCニュルンベルク]]から[[VfLヴォルフスブルク]]へ移籍。第1節の[[1.FCケルン]]戦でデビューして同時に初得点も記録した。10月の[[アルミニア・ビーレフェルト]]戦では2得点した。2008-09シーズンは[[エジナウド・バチスタ・リバノ|グラフィッチ]]と[[エディン・ジェコ]]を後ろから支え、7得点20アシストと抜群の成績を残した。しり上がりに調子を上げたチームは[[バイエルン・ミュンヘン]]などを抑え、初の優勝を飾った。優勝を決めた最終節の[[ヴェルダー・ブレーメン]]戦では先制点を決めた。
2008年5月、[[マルセロ・ドス・サントス|マルセリーニョ]]の後継者として[[1.FCニュルンベルク]]から[[VfLヴォルフスブルク]]へ移籍。第1節の[[1.FCケルン]]戦でデビューして同時に初得点も記録した。10月の[[アルミニア・ビーレフェルト]]戦では2得点した。2008-09シーズンは[[エジナウド・バチスタ・リバノ|グラフィッチ]]と[[エディン・ジェコ]]を後ろから支え、7得点20アシストと抜群の成績を残した。しり上がりに調子を上げたチームは[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]などを抑え、初の優勝を飾った。優勝を決めた最終節の[[ヴェルダー・ブレーメン]]戦では先制点を決めた。


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2009-10シーズン第1節、[[VfBシュトゥットガルト]]戦で先制点を挙げた。ディフェンディングチャンピオンがシーズン開幕戦を務める慣例のある[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]]で、この得点はシーズン第1号の得点となった。2009-10シーズンは33試合に出場して10得点と活躍し、VfLヴォルフスブルクでは2シーズンでリーグ戦65試合に出場して17得点を記録した。
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2017年8月29日 (火) 10:41時点における版

ズヴェズダン・ミシモヴィッチ
名前
ラテン文字 Zvjezdan Misimović
基本情報
国籍 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ
ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1982-06-05) 1982年6月5日(42歳)
出身地 ミュンヘン
身長 180cm
体重 79kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2004 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘンII 102 (44)
2002-2004 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 3 (0)
2004-2007 ドイツの旗 ボーフム 92 (21)
2007-2008 ドイツの旗 ニュルンベルク 28 (10)
2008-2010 ドイツの旗 ヴォルフスブルク 65 (17)
2010-2011 トルコの旗 ガラタサライ 9 (0)
2011-2012 ロシアの旗 ディナモ・モスクワ 44 (8)
2013-2014 中華人民共和国の旗 貴州人和 49 (11)
2015-2016 中華人民共和国の旗 北京人和 39 (6)
代表歴2
2000-2001 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア U-18
2002 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 1 (0)
2004-2014 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ 83 (25)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年10月22日現在。
2. 2014年8月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ズヴェズダン・ミシモヴィッチZvjezdan Misimović, 1982年6月5日 - )は、ドイツミュンヘン出身のサッカー選手ボスニア・ヘルツェゴビナ代表であった。「ズベズダン・ミシモビッチ」、「ズビェズダン」、「ズヴェジャン」など表記は多数。ポジションはMFオフェンシブハーフ)。

ボスニア・ヘルツェゴビナ代表のキャプテン経験がある。チームの攻撃を司る司令塔タイプの選手。右足からの正確なパスでゲームをコントロールし、チャンスがあれば威力のあるミドルシュートを放つ。

妻はマケドニア東部のストゥルミーツァ出身で、2人の間には2004年と2009年に生まれた2人の息子がいる[1]

経歴

クラブ

プロデビューしたバイエルン・ミュンヘンでは出番が無く、2004年に移籍したVfLボーフムでブレイクした。

VfLヴォルフスブルク

2008年5月、マルセリーニョの後継者として1.FCニュルンベルクからVfLヴォルフスブルクへ移籍。第1節の1.FCケルン戦でデビューして同時に初得点も記録した。10月のアルミニア・ビーレフェルト戦では2得点した。2008-09シーズンはグラフィッチエディン・ジェコを後ろから支え、7得点20アシストと抜群の成績を残した。しり上がりに調子を上げたチームはバイエルン・ミュンヘンなどを抑え、初の優勝を飾った。優勝を決めた最終節のヴェルダー・ブレーメン戦では先制点を決めた。

2009-10シーズン第1節、VfBシュトゥットガルト戦で先制点を挙げた。ディフェンディングチャンピオンがシーズン開幕戦を務める慣例のあるブンデスリーガで、この得点はシーズン第1号の得点となった。2009-10シーズンは33試合に出場して10得点と活躍し、VfLヴォルフスブルクでは2シーズンでリーグ戦65試合に出場して17得点を記録した。

ガラタサライSK

2010年8月31日、移籍金700万ユーロでトルコ・シュペルリガガラタサライSKと4年契約を結んだ。10月21日のフランク・ライカールト監督辞任前まではトップ下のレギュラーとして活躍していたが、ゲオルゲ・ハジ監督就任以降は出場機会が減り、11月にはハジ監督と対立してリザーブチームに降格させられ、監督を嘘つき呼ばわりしていた[2]

FCディナモ・モスクワ

2011年3月8日、FCディナモ・モスクワに3年契約で移籍した。移籍金は500万ユーロ(約5億7500万円)と報じられている[3]

貴州人和・北京人和

2013年1月、中国サッカー・スーパーリーグ貴州人和足球倶楽部に移籍[4]

2015年3月、現役引退を表明した[5]。しかし同年6月に再び貴州人和で現役復帰した。2016年は、貴州人和より改称した北京人和に所属している。

代表

ユース時代はユーゴスラビア代表、セルビア・モンテネグロ代表でプレーしたが、フル代表は両親の出身地であるボスニア・ヘルツェゴビナ代表を選択した[6]。2004年、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表代表に初選出され、2月18日のマケドニア戦で代表デビューを飾った。2008年4月には「ニュルンベルクでのプレーに専念するため」に代表引退を発表したが、メホ・コドロ監督の説得により前言を翻した[6]。2009年4月1日、クラブでもおなじみのエディン・ジェコとのコンビでベルギー代表に勝利する得点を挙げた。

2014 FIFAワールドカップ後の2014年8月15日、代表引退を表明した[7]

個人成績

2011年3月9日現在[8][9]
クラブ成績 リーグ カップ リーグ杯国際大会 通算
シーズンクラブリーグ 出場得点出場得点 出場得点 出場得点 出場得点
ドイツ リーグDFBポカール リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2000–01 バイエルン・ミュンヘンII レギオナルリーガ 12 1 12 1
2001–02 31 14 31 14
2002–03 28 8 1 0 29 8
2002–03 バイエルン・ミュンヘン ブンデスリーガ 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0
2003–04 バイエルン・ミュンヘンII レギオナルリーガ 31 21 31 21
2003–04 バイエルン・ミュンヘン ブンデスリーガ 2 0 1 0 0 0 0 0 3 0
2004–05 VfLボーフム 31 3 2 1 1 0 2 0 36 4
2005–06 2.ブンデスリーガ 31 11 2 1 33 12
2006–07 ブンデスリーガ 30 7 2 1 32 8
2007–08 1.FCニュルンベルク 28 10 2 3 1 0 6 1 37 14
2008–09 VfLヴォルフスブルク 33 7 4 0 8 4 45 11
2009–10 31 10 2 2 6 1 39 13
2010–11 1 0 1 0 2 0
トルコ リーグトルコ杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2010–11 ガラタサライ シュペルリガ 9 0 0 0 0 0 9 0
通算 ドイツ 290 92 17 8 2 0 22 6 331 106
トルコ 5 0 0 0 0 0 0 0 5 0
総通算 295 92 17 8 2 0 22 6 336 106

タイトル

クラブ

バイエルン・ミュンヘン
VfLボーフム
VfLヴォルフスブルク

脚注

  1. ^ Pomirenje Misketa i Ćire”. sportin.ba (2009年11月26日). 2010年8月31日閲覧。 [リンク切れ]
  2. ^ MISIMOVIĆ: HAGI JE LAŽOV!Sport Sport.ba、2011年3月2日
  3. ^ ディナモ・モスクワがミシモビッチを獲得UEFA.com、2011年3月8日
  4. ^ Misimovic wechselt nach China
  5. ^ 元ヴォルフスブルクMFが引退を表明。長谷部と共にブンデス制覇も フットボールチャンネル、2015年3月4日
  6. ^ a b 「ドイツ王者のコンダクター」ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、 2009年12月3日号、64-66頁
  7. ^ ミシモビッチがボスニア代表引退を表明
  8. ^ Misimović, Zvjezdan”. National Football Teams (31 August 2010). 31 August 2010閲覧。
  9. ^ Zvjezdan Misimovic”. Fußballdaten.de (2 October 2010). 5 October 2010閲覧。

外部リンク