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[[2003年]][[7月1日]]に[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ドイツ]]の[[バイエルン・ミュンヘン]]に移籍した。バイエルンにとって初のアルゼンチン人選手の獲得であった。[[9月27日]]の[[ハンザ・ロストック|FCハンザ・ロストック]]戦でデビューし、2003-04シーズンは負傷離脱した[[トルステン・フリンクス]]に代わってセンターハーフの位置で出場することが多かった。このシーズンは戦線離脱を繰り返し、満足な結果を残せなかったが、[[2004年]]夏に就任した[[フェリックス・マガト]]監督の下で先発メンバーに定着し、2004-05シーズン、2005-06シーズンの2冠達成の重要な役割を担った。2007-08シーズンには自身の起用法をめぐって[[オットマー・ヒッツフェルト]]監督と対立した。ヒッツフェルト監督はデミチェリスをセンターハーフとしてプレーさせたがったが、デミチェリスはセンターバックでのプレーを希望し、クラブから1試合の出場停止処分を言い渡された。2009年夏に[[ルイ・ファン・ハール]]監督が就任すると、若手の[[ホルガー・バトシュトゥバー]]が積極的に起用され、デミチェリスの出場機会は減少した。2009-10シーズンはリーグ戦とカップ戦の2冠に輝き、[[UEFAチャンピオンズリーグ 2009-10|UEFAチャンピオンズリーグ]]では決勝に進出したが、リーグ戦では21試合しか出場できない不完全燃焼のシーズンとなった。2010-11シーズン開幕戦の[[VfLヴォルフスブルク]]戦では招集メンバー入りを拒否し、他クラブへの移籍を志願すると、ファン・ハール監督もそれを了承した。 |
[[2003年]][[7月1日]]に[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ドイツ]]の[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]に移籍した。バイエルンにとって初のアルゼンチン人選手の獲得であった。[[9月27日]]の[[ハンザ・ロストック|FCハンザ・ロストック]]戦でデビューし、2003-04シーズンは負傷離脱した[[トルステン・フリンクス]]に代わってセンターハーフの位置で出場することが多かった。このシーズンは戦線離脱を繰り返し、満足な結果を残せなかったが、[[2004年]]夏に就任した[[フェリックス・マガト]]監督の下で先発メンバーに定着し、2004-05シーズン、2005-06シーズンの2冠達成の重要な役割を担った。2007-08シーズンには自身の起用法をめぐって[[オットマー・ヒッツフェルト]]監督と対立した。ヒッツフェルト監督はデミチェリスをセンターハーフとしてプレーさせたがったが、デミチェリスはセンターバックでのプレーを希望し、クラブから1試合の出場停止処分を言い渡された。2009年夏に[[ルイ・ファン・ハール]]監督が就任すると、若手の[[ホルガー・バトシュトゥバー]]が積極的に起用され、デミチェリスの出場機会は減少した。2009-10シーズンはリーグ戦とカップ戦の2冠に輝き、[[UEFAチャンピオンズリーグ 2009-10|UEFAチャンピオンズリーグ]]では決勝に進出したが、リーグ戦では21試合しか出場できない不完全燃焼のシーズンとなった。2010-11シーズン開幕戦の[[VfLヴォルフスブルク]]戦では招集メンバー入りを拒否し、他クラブへの移籍を志願すると、ファン・ハール監督もそれを了承した。 |
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==== マラガCF ==== |
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|2003-04 |
|2003-04 |
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|14||2||2||0||-||-||5||0||21||2 |
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2017年8月29日 (火) 09:50時点における版
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マンチェスター・シティでのデミチェリス (2016年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
マルティン・ガストン・デミチェリス Martín Gastón Demichelis | |||||
愛称 | ミーチョ | |||||
ラテン文字 | Martín DEMICHELIS | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
アルゼンチン イタリア | |||||
生年月日 | 1980年12月20日(43歳) | |||||
出身地 | フスティニアーノ・ポッセ | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | マラガCF | |||||
ポジション | DF (CB) | |||||
背番号 | 3 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2000-2003 | リーベル・プレート | 51 | (1) | |||
2003-2010 | バイエルン・ミュンヘン | 174 | (13) | |||
2004 | バイエルン・ミュンヘンII | 1 | (0) | |||
2011-2013 | マラガ | 84 | (7) | |||
2013 | アトレティコ・マドリード | 0 | (0) | |||
2013-2016 | マンチェスター・シティ | 78 | (3) | |||
2016-2017 | エスパニョール | 2 | (0) | |||
2017 | マラガ | 2 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
2005-2016 | アルゼンチン | 51 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2017年2月3日現在。 2. 2016年10月11日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マルティン・ガストン・デミチェリス(Martín Gastón Demichelis, 1980年12月20日 - )は、アルゼンチン・コルドバ州出身のサッカー選手。マラガCF所属。ポジションはディフェンダー(センターバック)、ミッドフィールダー(センターハーフ)。イタリア国籍も所持している[1]。
経歴
クラブ
CAリーベル・プレート
横浜マリノスなどで監督を務めたホルヘ・ソラーリに才能を見出され、レナト・セサリーニでプレーしている時に、ブエノスアイレスに本拠地を置くCAリーベル・プレートに引き抜かれた。1998年にトップチームデビューしたが、2001年までは自身の立ち位置を確立することができなかった。その後はラモン・ディアス監督指揮下のチームで見事なプレーを見せ、最終ラインの要として2度のリーグ優勝を果たした。
バイエルン・ミュンヘン
2003年7月1日にドイツのバイエルン・ミュンヘンに移籍した。バイエルンにとって初のアルゼンチン人選手の獲得であった。9月27日のFCハンザ・ロストック戦でデビューし、2003-04シーズンは負傷離脱したトルステン・フリンクスに代わってセンターハーフの位置で出場することが多かった。このシーズンは戦線離脱を繰り返し、満足な結果を残せなかったが、2004年夏に就任したフェリックス・マガト監督の下で先発メンバーに定着し、2004-05シーズン、2005-06シーズンの2冠達成の重要な役割を担った。2007-08シーズンには自身の起用法をめぐってオットマー・ヒッツフェルト監督と対立した。ヒッツフェルト監督はデミチェリスをセンターハーフとしてプレーさせたがったが、デミチェリスはセンターバックでのプレーを希望し、クラブから1試合の出場停止処分を言い渡された。2009年夏にルイ・ファン・ハール監督が就任すると、若手のホルガー・バトシュトゥバーが積極的に起用され、デミチェリスの出場機会は減少した。2009-10シーズンはリーグ戦とカップ戦の2冠に輝き、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝に進出したが、リーグ戦では21試合しか出場できない不完全燃焼のシーズンとなった。2010-11シーズン開幕戦のVfLヴォルフスブルク戦では招集メンバー入りを拒否し、他クラブへの移籍を志願すると、ファン・ハール監督もそれを了承した。
マラガCF
2010年12月30日、リーベル時代の恩師マヌエル・ペレグリーニ監督が率いるスペインのマラガCFに移籍した。移籍後はCBのレギュラーとして起用され、守備を引き締めるとともにチームの反転攻勢に尽力。終盤戦には5連勝も記録し、最終的には11位に滑り込んだ。翌2011-12シーズンは精彩を欠くプレーを見せながらも引き続きCBのレギュラーとして出場していたが、ジェレミー・トゥラランの負傷後は守備的MFに回り高いパフォーマンスを発揮し、チームの4位フィニッシュ及び史上初となるUEFAチャンピオンズリーグの出場権獲得に貢献した。
アトレティコ・マドリード
2013年7月11日、フリートランスファーでアトレティコ・マドリードに加入。契約は1年間[2]。
マンチェスター・シティFC
9月1日、アトレティコで公式戦出場がないまま恩師マヌエル・ペレグリーニ率いるマンチェスター・シティFCに移籍決定。契約は2年間。2015-16シーズン終了後、契約満了に伴い退団した。
RCDエスパニョール
2016年8月10日、RCDエスパニョールへ移籍することが発表された。リーグ戦2試合出場のみと出場機会に恵まれず、2017年1月10日に契約解除された。
マラガCF
2017年1月17日、マラガCFへ移籍することが発表された。3年半ぶりの古巣マラガCF復帰となる。2017年5月15日、デミチェリス本人は愛着あるリーベル・プレートかマラガでキャリアを終えたい胸中を明かしたうえで、2016-2017シーズン一杯での現役引退を発表した[3]。
代表
ホセ・ペケルマン監督によってアルゼンチン代表に招集され、2005年11月12日のイングランドとの親善試合でデビューした。クラブの地元ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップのメンバーには選ばれていない。2007年9月11日、オーストラリア戦 (1-0) で代表初得点となる決勝点を決めた。2010 FIFAワールドカップに出場し、ギリシャ戦でアルゼンチン代表の同大会初得点を決めた[4]。
2015年6月1日、コパ・アメリカ後に代表から引退することを表明した[5]。
しかし、2016年10月現在も代表に呼ばれ続けている。
個人成績
クラブでの出場記録
クラブ | シーズン | 国内リーグ | カップ戦 | リーグカップ | 欧州カップ | 通算 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
リーベル・プレート | 2001-02 | 17 | 0 | 0 | 0 | - | - | 7 | 1 | 24 | 1 |
2002-03 | 35 | 1 | 0 | 0 | - | - | 11 | 1 | 46 | 2 | |
Total | 52 | 1 | 0 | 0 | - | - | 18 | 2 | 70 | 3 | |
バイエルン・ミュンヘン | 2003-04 | 14 | 2 | 2 | 0 | - | - | 5 | 0 | 21 | 2 |
2004-05 | 23 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 32 | 0 | |
2005-06 | 27 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 8 | 2 | 39 | 3 | |
2006-07 | 26 | 3 | 2 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 | 34 | 3 | |
2007-08 | 28 | 1 | 4 | 0 | 2 | 0 | 10 | 0 | 42 | 1 | |
2008-09 | 29 | 4 | 3 | 0 | - | - | 8 | 0 | 40 | 4 | |
2009-10 | 21 | 1 | 4 | 0 | - | - | 8 | 0 | 33 | 1 | |
2010-11 | 6 | 1 | 1 | 0 | - | - | 2 | 0 | 9 | 1 | |
通算 | 174 | 13 | 25 | 0 | 6 | 0 | 53 | 2 | 258 | 15 | |
マラガ | 2010-11 | 18 | 1 | 1 | 0 | - | - | 0 | 0 | 18 | 1 |
2011-12 | 35 | 2 | 4 | 1 | - | - | 0 | 0 | 39 | 3 | |
2012-13 | 31 | 4 | 3 | 0 | - | - | 11 | 1 | 45 | 5 | |
通算 | 84 | 8 | 8 | 1 | - | - | 11 | 1 | 103 | 9 | |
マンチェスター・シティ | 2013-14 | 27 | 2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 35 | 2 |
2014-15 | 31 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 7 | 0 | 40 | 1 | |
2015-16 | 18 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 4 | 1 | 29 | 1 | |
通算 | 76 | 3 | 4 | 0 | 9 | 0 | 15 | 1 | 104 | 4 | |
RCDエスパニョール | 2016-17 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | - | 2 | 0 |
通算 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | - | 2 | 0 | |
マラガ | 2016-17 | 2 | 0 | 2 | 0 | ||||||
通算 | 2 | 0 | 2 | 0 | |||||||
通算 | 390 | 24 | 37 | 1 | 15 | 0 | 97 | 6 | 539 | 31 |
代表での得点
# | 日時 | 場所 | 対戦相手 | スコア | 最終結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2007年9月11日 | メルボルン | オーストラリア | 1-0 | 1-0 | 親善試合 |
2 | 2010年6月22日 | ポロクワネ | ギリシャ | 1-0 | 2-0 | 2010 FIFAワールドカップ |
タイトル
クラブ
- リーベル・プレート
- プリメーラ・ディビシオン (2) : 2001-02C, 2002-03C
- バイエルン・ミュンヘン
- ブンデスリーガ (4) : 2004-05, 2005-06, 2007-08, 2009-10
- DFBポカール (4) : 2004-05, 2005-06, 2007-08, 2009-10
- DFLリーガポカール (2) : 2004, 2007
- DFLスーパーカップ (1) : 2010
- マンチェスター・シティ
- プレミアリーグ (1) : 2013-14
- フットボールリーグカップ (2) : 2013-14, 2015-16
脚注
- ^ “Martín Demichelis” (German). Transfermarkt.de. 2010年8月30日閲覧。
- ^ “デミチェリスのアトレティコ加入が決定”. Goal. (2013年7月11日) 2013年7月12日閲覧。
- ^ “元アルゼンチン代表DFデミチェリスが現役引退を発表「もう足に力が入らない」”. Goal. (2017年5月16日) 2017年5月16日閲覧。
- ^ Fletcher, Paul (2010年6月22日). “Greece 0–2 Argentina”. BBC Sport 2010年6月30日閲覧。
- ^ “デミチェリスが南米選手権後の代表引退を発表「何が起ころうとも」”. サッカーキング. (2015年6月2日) 2015年6月3日閲覧。
外部リンク
- Málaga official profile
- Martín Demichelis - fussballdaten.de
- BDFutbol profile
- マルティン・デミチェリス - National-Football-Teams.com
- マルティン・デミチェリス – FIFA主催大会成績
- 2010 FIFA World Cup profile
- Transfermarkt profile
- Career details at Irish Times