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2005-2006年シーズンは[[FCヴァッカー・インスブルック]]、[[ハンブルガーSV]]、[[1.FCカイザースラウテルン]]などの監督を務めた[[クルト・ヤーラ]]が監督に就任。
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[[2006年]]の夏に元イタリア代表監督の[[ジョバンニ・トラパットーニ]]と元ドイツ代表主将の[[ローター・マテウス]]がそれぞれ監督とヘッドコーチに就任。また、[[ニコ・コヴァチ]](元[[バイヤー・レバークーゼン]]、[[ハンブルガーSV]]、バイエルン・ミュンヘン、[[ヘルタ・ベルリン]])、[[ヨハン・フォンランテン]](元[[PSVアイントホーフェン]]、[[NACブレダ]]、[[ブレシア・カルチョ|ブレシア]])、[[ティモ・オクス]](元[[1860ミュンヘン]])、[[レモ・マイヤー]](元[[FCルツェルン]]、1860ミュンヘン)、[[ホルヘ・ヴァルガス]](元[[レッジーナ]]、[[エンポリFC|エンポリ]]、[[ASリヴォルノ・カルチョ|リヴォルノ]])、[[クリスティアン・ティファート]](元[[VfBシュトゥットガルト]])、[[マークス・シュタインヘーファー]](元バイエルン・ミュンヘン・サテライト)などを獲得。[[2006年]][[12月]]に[[ガンバ大阪]]の[[宮本恒靖]]と[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]の[[三都主アレサンドロ]]を獲得。[[オーストリア・カップ]]では準決勝に進出し、リーグ戦は10年ぶりとなる4度目のリーグ優勝を果たした。

2017年8月29日 (火) 09:48時点における版

レッドブル・ザルツブルク
原語表記 FC Red Bull Salzburg
愛称 Die Roten Bullen
クラブカラー 紫・白
創設年 1933年
所属リーグ オーストリア・ブンデスリーガ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン ザルツブルク
ホームスタジアム レッドブル・アレーナ
収容人数 30.188
代表者 オーストリアの旗 ルドルフ・タイアル
監督 スペインの旗 オスカル・ガルシア
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

FCレッドブル・ザルツブルクドイツ語: FC Red Bull Salzburg)は、オーストリアザルツブルクを本拠地とするサッカークラブである。オーストリア・ブンデスリーガに加盟し、SKラピード・ウィーンFKアウストリア・ウィーンと共にリーグを代表する強豪である。

歴史

1930年代 

1930年代まで存在していたFCラピード・ザルツブルクとFCヘルタ・ザルツブルクの合併により1933年9月13日SVアウストリア・ザルツブルク(SV Austria Salzburg)として創設された。同じくザルツブルクを本拠地とするSAK 1914ザルツブルクの陰に長年隠れていたが、第二次世界大戦後に徐々に頭角を現すようになり[要出典]1953年に1部リーグにあたるオーストリア・ブンデスリーガ(当時のリーグ名は「Staatsliga」)に昇格した。

1960年代-1980年代

1971年にはオーストリア・ブンデスリーガ(以下「リーグ戦」と表記)とミトローパ・カップで準優勝した。一方で、1950年代には1度、1960年代には3度、1970年代と1980年代に1度ずつ2部リーグへの降格も経験し、特に1960年代はオーストリアを代表するエレベーターチームの1つであった。[要出典] 財政的な理由から1985年には同じくザルツブルクを本拠地とし、当時はSVアウストリア・ザルツブルクよりも好成績を収めていたライバルのSAK 1914ザルツブルクとの合併を自ら希望するものの、先方に断られるなどクラブの将来性が見えず、クラブの存続自体が長年に渡り危ぶまれていた。[要出典]

FKアウストリア・ウィーンラピード・ウィーン、そしてFCヴァッカー・インスブルックの強豪クラブがリーグ優勝やカップ優勝を重ねる中、SVアウストリア・ザルツブルクはオーストリア・ブンデスリーガの弱小クラブの一つであった。[要出典]

ちなみに1973年よりスポンサー名がクラブ名に付くようになり、クラブ名は"SV Gerngroß A. Salzburg"(1973-1976)、"SV Sparkasse Austria Salzburg"(1976-1978)、"SV Casino Austria Salzburg"(1978-1997)、"SV Wüstenrot Salzburg"(1997-2005)と変更された。

1990年代

長年スポンサーであったオーストリア・カジノ社が積極的に投資するようになり、ヴォルフガング・ファイアージンガートーマス・ヴィンクルホーファーハイモ・プファイフェンベルガーヘリベルト・ヴェーバーオットー・コンラードなど数多くのオーストリア代表選手が所属するようになる。また、オリバー・ビアホフ(後にサッカードイツ代表に選出)が1991年に入団してリーグ得点王になった。1992年および1993年にはオーストリア・ブンデスリーガで準優勝、1994年にオットー・バリッチ監督の下、リーグ優勝を果たした。

UEFAカップ1993-94では決勝に進出し、イタリアのインテルナツィオナーレ・ミラノに敗れたが、準優勝の成績を残した。

1994-1995年のシーズンで2年連続のリーグ優勝。UEFAチャンピオンズリーグ 1994-95にも出場し、グループリーグでオランダのアヤックスにホームとアウェーで引き分け、ギリシャのAEKアテネには勝利するが、イタリアのACミランに敗れて、同勝ち点ながら得失点差でグループリーグで敗退した。

1995-1996年のシーズンはクラブ内の権力争いもありチームがなかなかまとまらずリーグ戦で8位に終わった。

1996年の夏には数多くの主力選手を放出、中心選手であったヴォルフガング・ファイアージンガーがボルシア・ドルトムントへ、ハイモ・プファイフェンベルガーがヴェルダー・ブレーメンへ、そしてオットー・コンラートがレアル・サラゴサへ移籍したが、レネー・アウフハウザーロベルト・イベルツベルガーゲルノット・プラスネッガーなど若手も育ち、リーグ戦で3度目の優勝を果たした。

1998年以降はリーグ戦、オーストリア・カップ、そしてヨーロッパカップでも結果を残す事が出来ず、オーストリア・ブンデスリーガでは優勝争いに絡むどころか、2部降格の危機もあった。

2000年代

2000年以降もオーストリア・ブンデスリーガで6位、6位、3位、7位、9位と目立った結果を残す事が出来ず、オーストリア・カップでも当時オーストリア2部に属していたFCケルンテンザンクト・ペルテンに敗北するなど1990年代の黄金時代を知るザルツブルク・サポーターの期待を裏切り続けた。また財政上も非常に厳しい時期が続き、クラブは破産寸前の状態となり、プロサッカーの維持のみならず、クラブの存続自体が危ぶまれていた。

2005年レッドブルなどを取り扱うオーストリアの飲料メーカーのレッドブル (企業)(以下「レッドブル社」)がクラブを買収。名称が「レッドブル・ザルツブルク」に変更された。

2005-2006年シーズンはFCヴァッカー・インスブルックハンブルガーSV1.FCカイザースラウテルンなどの監督を務めたクルト・ヤーラが監督に就任。

バイエルン・ミュンヘンから元ドイツ代表のトーマス・リンケアレクサンダー・ツィックラーボーフムからスロベニア代表のアレクサンデル・クナウス英語版、チェコ代表のヴラティスラフ・ロクヴェンツなどが加入、リーグ戦で準優勝を果たす。しかしシーズン終了後、選手の移籍金問題でフロントと対立したためクルト・ヤーラは監督を解雇される。

2006年の夏に元イタリア代表監督のジョバンニ・トラパットーニと元ドイツ代表主将のローター・マテウスがそれぞれ監督とヘッドコーチに就任。また、ニコ・コヴァチ(元バイヤー・レバークーゼンハンブルガーSV、バイエルン・ミュンヘン、ヘルタ・ベルリン)、ヨハン・フォンランテン(元PSVアイントホーフェンNACブレダブレシア)、ティモ・オクス(元1860ミュンヘン)、レモ・マイヤー(元FCルツェルン、1860ミュンヘン)、ホルヘ・ヴァルガス(元レッジーナエンポリリヴォルノ)、クリスティアン・ティファート(元VfBシュトゥットガルト)、マークス・シュタインヘーファー(元バイエルン・ミュンヘン・サテライト)などを獲得。2006年12月ガンバ大阪宮本恒靖浦和レッズ三都主アレサンドロを獲得。オーストリア・カップでは準決勝に進出し、リーグ戦は10年ぶりとなる4度目のリーグ優勝を果たした。

UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07は予選3回戦でスペインバレンシアCFに敗れた。

2007-08年度はリーグ戦で準優勝の成績を残した。

UEFAチャンピオンズリーグ 2007-08は予選3回戦でウクライナシャフタール・ドネツクに敗れた。

2007年6月12日、様々な見解の違いから(公式ホームページ日本語版)[要出典]、ヘッドコーチのローター・マテウスを解任した。

2008-09年シーズンよりアヤックス・アムステルダムFCポルトAZアルクマールなどで指揮を執ったオランダ出身のコー・アドリアーンセが監督に就任した。

バイエルン・ミュンヘンとの提携関係

2005年よりドイツ・ブンデスリーガの名門FCバイエルン・ミュンヘンと提携関係を結んでいる。多くの元FCバイエルン・ミュンヘンの選手・スタッフがレッドブル・ザルツブルクに所属しており、いかに関係が深いものであるかを伺わせる。また、当時のクラブスポンサーもFCバイエルン・ミュンヘンと同じアディダスアウディである。 また、「皇帝」として知られるフランツ・ベッケンバウアーのネットワークもあり、数多くの元2006 FIFAワールドカップの実行委員会のメンバーがクラブマネジメントに携わっている。

元FCバイエルン・ミュンヘンのクラブ関係者

2006 FIFAワールドカップ実行委員会のクラブ関係者

さらにトーマス・リンケアレクサンダー・ツィックラーニコ・コバチマークス・シュタインヘーファーと往年のバイエルン・ミュンヘンの選手がレッドブル・ザルツブルクに所属していた。またトップチームで活躍しているルイス・ヌワト・マホップはバイエルン・ミュンヘンのサテライトチームから移籍してきた選手である。

2006-2007年シーズンには元バイエルン・ミュンヘンの名選手ローター・マテウスがヘッドコーチを務めていたが、2007年6月12日に解任された。後任のトルステン・フィンクも元バイエルン・ミュンヘンの選手であった。

また、日本人選手獲得の原動力となり、2007年9月12日に解任されたスポーツディレクターオリヴァー・クロイツァーも元バイエルン・ミュンヘンのDFとしてドイツ・ブンデスリーガ優勝やUEFAカップ優勝などの実績を残している。

レッドブル社のサッカークラブへの投資

レッドブル社は以前から、モータースポーツやエクストリームスポーツに対して資本提供する事が多かったが、SVアウストリア・ザルツブルクを買収した以外にも、2006年メジャーリーグサッカーのメトロスターズを買収、クラブ名をレッドブル・ニューヨークに変更している。

また、2007年10月にはガーナレッドブル・サッカー・アカデミーが設立され、現在ではブラジルに新たなサッカー・アカデミーを建設中である。[要出典]

レッドブル社と一部のサポーターの対立

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

過去の成績

シーズン リーグ 順位
1993-94 オーストリア・ブンデスリーガ 1位 21 9 6 56 18 51
1994-95 オーストリア・ブンデスリーガ 1位 15 17 4 48 24 47
1995-96 オーストリア・ブンデスリーガ 8位 10 14 12 53 51 44
1996-97 オーストリア・ブンデスリーガ 1位 19 12 5 54 25 69
1997-98 オーストリア・ブンデスリーガ 4位 16 8 12 48 33 56
1998-99 オーストリア・ブンデスリーガ 4位 15 12 9 55 40 57
1999-00 オーストリア・ブンデスリーガ 6位 12 10 14 39 45 46
2000-01 オーストリア・ブンデスリーガ 6位 13 10 13 49 45 49
2001-02 オーストリア・ブンデスリーガ 6位 13 10 13 42 40 49
2002-03 オーストリア・ブンデスリーガ 3位 15 11 10 51 46 56
2003-04 オーストリア・ブンデスリーガ 7位 11 5 20 44 48 38
2004-05 オーストリア・ブンデスリーガ 9位 9 9 18 37 51 36
2005-06 オーストリア・ブンデスリーガ 2位 20 3 13 62 42 63
2006-07 オーストリア・ブンデスリーガ 1位 22 9 5 70 23 75
2007-08 オーストリア・ブンデスリーガ 2位 18 9 9 63 42 63
2008-09 オーストリア・ブンデスリーガ 1位 23 5 8 86 50 74
2009-10 オーストリア・ブンデスリーガ 1位 22 10 4 68 27 76
2010-11 オーストリア・ブンデスリーガ 2位 17 12 7 53 31 63
2011-12 オーストリア・ブンデスリーガ 1位 19 11 6 60 30 68
2012-13 オーストリア・ブンデスリーガ 2位 22 11 3 91 39 77
2013-14 オーストリア・ブンデスリーガ 1位 25 5 6 110 35 80
2014-15 オーストリア・ブンデスリーガ 1位 22 7 7 99 42 73
2015-16 オーストリア・ブンデスリーガ 1位 21 11 4 71 33 74
2016-17 オーストリア・ブンデスリーガ 1位 25 6 5 74 24 81
2017-18 オーストリア・ブンデスリーガ

欧州での成績

年度 大会 ラウンド 相手 ホーム アウェー 合計
2006-07 UEFAチャンピオンズリーグ 2回戦 スイスの旗 チューリッヒ 2-0 1-2 3-2
3回戦 スペインの旗 バレンシア 1-0 0-3 1-3
2006-07 UEFAカップ 1回戦 イングランドの旗 ブラックバーン・ローヴァーズ 2-2 0-2 2-4
2007-08 UEFAチャンピオンズリーグ 2回戦 ラトビアの旗 ヴェンツピルス 4-0 3-0 7-0
3回戦 ウクライナの旗 シャフタール・ドネツク 1-0 1-3 2-3
2007-08 UEFAカップ 1回戦 ギリシャの旗 AEKアテネ 1-0 0-3 1-3
2008-09 UEFAカップ 予選1回戦 アルメニアの旗 バナンツ・エレバン 7-0 3-0 10-0
予選2回戦 リトアニアの旗 スドゥバ 0-1 4-1 4-2
1回戦 スペインの旗 セビージャ 0-2 0-2 0-4
2009-10 UEFAチャンピオンズリーグ 2回戦 アイルランドの旗 ボヘミアン 1-1 1-0 2-1
3回戦 クロアチアの旗 ディナモ・ザグレブ 1-1 2-1 3-2
プレーオフ イスラエルの旗 マッカビ・ハイファ 1-2 0-3 1-5
2009-10 UEFAヨーロッパリーグ グループG イタリアの旗 ラツィオ 2-1 2-1 1位通過
スペインの旗 ビジャレアル 2-0 1-0
ブルガリアの旗 レフスキ・ソフィア 1-0 1-0
ラウンド32 ベルギーの旗 スタンダール・リエージュ 0-0 2-3 2-3
2010-11 UEFAチャンピオンズリーグ 2回戦 フェロー諸島の旗 HBトースハウン 5-0 0-1 5-1
3回戦 キプロスの旗 オモニア 4-1 1-1 5-2
プレーオフ イスラエルの旗 ハポエル・テルアビブ 2-3 1-1 3-4
2010-11 UEFAヨーロッパリーグ グループA イングランドの旗 マンチェスター・シティ 0-2 0-3 4位敗退
ポーランドの旗 レフ・ポズナン 0-1 0-2
イタリアの旗 ユヴェントス 1-1 0-0
2011-12 UEFAヨーロッパリーグ 2回戦 ラトビアの旗 リエパヤス・メタルルグス 4-1 0-0 4-1
3回戦 スロバキアの旗 セニツァ 1-0 3-0 4-0
プレーオフ キプロスの旗 オモニア 1-0 1-2 2-2 (a)
グループF フランスの旗 パリ・サンジェルマン 2-0 1-3 2位通過
スロバキアの旗 スロヴァン・ブラチスラヴァ 3-0 3-2
スペインの旗 アスレティック・ビルバオ 0-1 2-2
ラウンド32 ウクライナの旗 メタリスト・ハルキウ 0-4 1-4 1-8
2012-13 UEFAチャンピオンズリーグ 2回戦 ルクセンブルクの旗 F91デュドランジュ 4-3 0-1 4-4 (a)
2013-14 UEFAチャンピオンズリーグ 3回戦 トルコの旗 フェネルバフチェSK 1-1 1-3 2-4
2013-14 UEFAヨーロッパリーグ プレーオフ リトアニアの旗 ジャルギリス・ヴィリニュス 5-0 2-0 7-0
グループC スウェーデンの旗 エルフスボリ 4-0 1-0 1位通過
デンマークの旗 エスビャウ 3-0 2-1
ベルギーの旗 スタンダール・リエージュ 2-1 3-1
ラウンド32 オランダの旗 アヤックス 3-1 3-0 6-1
ラウンド16 スイスの旗 バーゼル 0–0 1–2 1–2
2014-15 UEFAチャンピオンズリーグ 予選3回戦 アゼルバイジャンの旗 カラバフ 2–0 1–2 3–2
プレーオフ スウェーデンの旗 マルメFF 2–1 0–3 2–4
2014-15 UEFAヨーロッパリーグ グループD スコットランドの旗 セルティック 2–2 3–1 1位通過
ルーマニアの旗 アストラ・ジュルジュ 5–1 2–1
クロアチアの旗 ディナモ・ザグレブ 4–2 5–1
ラウンド32 スペインの旗 ビジャレアル 1–3 1–2 2–5
2015-16 UEFAチャンピオンズリーグ 予選3回戦 スウェーデンの旗 マルメFF 2–0 0–3 2–3
2015-16 UEFAヨーロッパリーグ プレーオフ ベラルーシの旗 ディナモ・ミンスク 2–0 0–2 2–2 (2–3 p.)
2016-17 UEFAチャンピオンズリーグ 予選2回戦 ラトビアの旗 リエパーヤ 1–0 2–0 3–0
予選3回戦 アルバニアの旗 パルティザニ・ティラナ 2–0 1–0 3–0
プレーオフ クロアチアの旗 ディナモ・ザグレブ 1–2 (aet) 1–1 2–3
2016-17 UEFAヨーロッパリーグ グループI ドイツの旗 シャルケ04 2-0 1-3 3位敗退
ロシアの旗 クラスノダール 0-1 1-1
フランスの旗 ニース 0-1 2-0
2017-18 UEFAチャンピオンズリーグ 予選2回戦 マルタの旗 ヒバーニアンズ 3–0 3–0 6–0
予選3回戦 クロアチアの旗 リエカ 1–1 0–0 1–1 (a)
2017-18 UEFAヨーロッパリーグ プレーオフ ルーマニアの旗 ヴィトルル・コンスタンツァ 4–0 3–1 7–1
グループI フランスの旗 オリンピック・マルセイユ
ポルトガルの旗 ヴィトーリア
トルコの旗 コンヤスポル

現所属メンバー

2017年3月25日現在[1]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK オーストリア シカン・スタンコヴィッチ
3 DF ブラジル パウロ・ミランダ
5 DF クロアチア ドゥイェ・チャレタ=ツァル
6 DF スイス クリスティアン・シュヴェクラー
8 MF マリ共和国 ディアディエ・サマセク
11 MF ドイツ マルク・ルザトコフスキ
13 FW オーストリア ハンネス・ヴォルフ
14 MF ノルウェー ヴァロン・ベリシャ
17 DF オーストリア アンドレアス・ウルマー
18 FW 日本 南野拓実
19 FW 大韓民国 ファン・ヒチャン
20 FW ボスニア・ヘルツェゴビナ スマイル・プレヴリャク
No. Pos. 選手名
22 DF オーストリア シュテファン・ライナー
23 DF オーストリア シュテファン・シュタングル
24 MF オーストリア クリストフ・ライトゲープ
25 MF クロアチア ヨシプ・ラドシェヴィッチ
28 DF デンマーク アスガー・セーレンセン
29 FW ガーナ サミュエル・テッテー
31 GK ブラジル カルロス・ミゲル・コロネル
33 GK ドイツ アレクサンダー・ヴァルケ
34 GK ガーナ ローレンス・アティ
37 FW コソボ メルギム・ベリシャ
42 MF オーストリア クサーヴァー・シュラーガー
77 FW スイス ディミトリ・オベルリン
監督

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- GK ブラジル アイルトン (レッドブル・ブラジル)
-- MF マリ共和国 アマドゥ・ハイダラ (FC Liefering)
-- MF クロアチア アンテ・ログリッチ (FCヴァッカー・インスブルック)
-- MF ガーナ ダヴィド・アタンガ (SVマッテルスブルク)
-- MF ドイツ ラインホルト・ヤボ (アルミニア・ビーレフェルト)
No. Pos. 選手名
-- MF オーストリア ヴァレンティーノ・ラザロ (ヘルタ・ベルリン)
-- FW ノルウェー フレデリク・グルブランドセン (ニューヨーク・レッドブルズ)
-- FW オーストリア マルコ・ジュリチン (フェレンツヴァーロシュTC)
-- FW イスラエル ムナス・ダブール (グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ)

歴代監督

氏名 国籍 期間
オットー・バリッチ クロアチアの旗 クロアチア 1991 - 1995
ヘルマン・シュテッスル  オーストリア 1995 - 1996
ヘリベルト・ヴェーバー  オーストリア 1996 - 1998
ハンス・クランクル  オーストリア 1998 - 2000
ミロスラフ・ポラック  オーストリア 2000
ハンス・バッケ  スウェーデン 2000 - 2001
ラース・ゼンデガールド  デンマーク 2001 - 2003
ペーター・アスィオン ドイツの旗 ドイツ 2003
ヴァルター・ヘルマン  オーストリア 2004
ペーター・アスィオン ドイツの旗 ドイツ 2004-05
ニコラ・ジュルシェヴィッチ クロアチアの旗 クロアチア 2005
マンフレッド・リンツマイヤー  オーストリア 2005
クルト・ヤーラ  オーストリア 2005-06
ジョバンニ・トラパットーニ イタリアの旗 イタリア 2006/6/2 - 2008/5/31
コー・アドリアーンセ オランダの旗 オランダ 2008/6/1 - 2009
フーブ・ステフェンス オランダの旗 オランダ 2009 - 2011/4/8
リカルド・モニス オランダの旗 オランダ 2011/4/8 - 2012/6/12
ロガー・シュミット ドイツの旗 ドイツ 2012/7/24 - 2014/5/31
アドルフ・ヒュッター  オーストリア 2014/6/1 - 2015/6/15
ペーター・ツァイドラー  オーストリア 2015/6/22 - 2015/12/3
オスカル・ガルシア スペインの旗 スペイン 2015/12/28 -

歴代所属選手 (SVアウストリア・ザルツブルク時代)

GK

DF

MF

FW

歴代所属選手 (FCレッドブル・ザルツブルク時代)

GK

DF

MF

FW


脚注

  1. ^ TEAM”. レッドブル・ザルツブルク公式サイト. 2017年2月13日閲覧。

外部リンク