「ルカ・トーニ」の版間の差分
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|年8=2003-2005|クラブ8={{flagicon|ITA}} [[USチッタ・ディ・パレルモ|パレルモ]]|出場8=80|得点8=50 |
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2005-06シーズンの活躍によりヨーロッパ各国のクラブからオファーがあったが、トーニ自身は八百長問題もあってかクラブのセリエA残留を目標にして当分移籍する気はないと発言していた。 |
2005-06シーズンの活躍によりヨーロッパ各国のクラブからオファーがあったが、トーニ自身は八百長問題もあってかクラブのセリエA残留を目標にして当分移籍する気はないと発言していた。 |
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[[ファイル:Luca Toni Bayern.jpg|right|thumb|250px|バイエルン在籍時のトーニ]] |
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2007-08シーズンからドイツ[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]]の[[バイエルン・ミュンヘン]]でプレーすることになった。[[移籍金]]は1100万ユーロ(約18億円)。移籍1年目からブンデスリーガ得点王となる24得点を挙げる活躍を見せ、この年のバイエルン・ミュンヘンのリーグ優勝に貢献した。 |
2007-08シーズンからドイツ[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]]の[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]でプレーすることになった。[[移籍金]]は1100万ユーロ(約18億円)。移籍1年目からブンデスリーガ得点王となる24得点を挙げる活躍を見せ、この年のバイエルン・ミュンヘンのリーグ優勝に貢献した。 |
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2009-10シーズン途中、[[ルイ・ファン・ハール|ファン・ハール]]監督と関係をこじらせ、出場機会が減少していたため、[[ASローマ]]にレンタル移籍。移籍後最初の公式戦となった1月6日の[[カリアリ・カルチョ|カリアリ]]戦でローマでのデビュー。 |
2009-10シーズン途中、[[ルイ・ファン・ハール|ファン・ハール]]監督と関係をこじらせ、出場機会が減少していたため、[[ASローマ]]にレンタル移籍。移籍後最初の公式戦となった1月6日の[[カリアリ・カルチョ|カリアリ]]戦でローマでのデビュー。 |
2017年8月29日 (火) 09:45時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | トニゴル | |||||
ラテン文字 | Luca Toni | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1977年5月26日(47歳) | |||||
出身地 | パヴッロ・ネル・フリニャーノ | |||||
身長 | 196cm | |||||
体重 | 94kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1994-1996 | モデナ | 32 | (7) | |||
1996-1997 | エンポリ | 3 | (1) | |||
1997-1998 | フィオレンツォーラ | 26 | (2) | |||
1998-1999 | ロディジャーニ | 31 | (15) | |||
1999-2000 | トレヴィーゾ | 35 | (15) | |||
2000-2001 | ヴィチェンツァ | 31 | (9) | |||
2001-2003 | ブレシア | 44 | (15) | |||
2003-2005 | パレルモ | 80 | (50) | |||
2005-2007 | フィオレンティーナ | 67 | (47) | |||
2007-2010 | バイエルン・ミュンヘン | 60 | (38) | |||
2009 | バイエルン・ミュンヘンII | 2 | (0) | |||
2010 | → ローマ (loan) | 15 | (5) | |||
2010-2011 | ジェノア | 16 | (3) | |||
2011-2012 | ユヴェントス | 14 | (2) | |||
2012 | アル・ナスル | 7 | (3) | |||
2013-2014 | フィオレンティーナ | 27 | (8) | |||
2014-2016 | エラス・ヴェローナ | 72 | (42) | |||
代表歴2 | ||||||
2004-2009[1] | イタリア | 47 | (16) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2015年7月20日現在。 2. 2014年11月4日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ルカ・トーニ(Luca Toni, 1977年5月26日 - )は、イタリア・モデナ県パヴッロ・ネル・フリニャーノ出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。元イタリア代表。
経歴
クラブ
1994年にモデナFCでプロキャリアをスタートさせ、複数のクラブを渡り歩いた。2003-04シーズンに当時セリエBのパレルモに移籍すると才能が開花、45試合で30得点を挙げセリエA昇格に導く。翌年も20得点を挙げ同クラブの残留に貢献している。2005年にフィオレンティーナに移籍してからはエースストライカーとしてクラブの躍進の原動力となる。同時にアルベルト・ジラルディーノと並んでイタリア代表の看板選手となった。
2005-06シーズンは31得点でセリエAの得点王を獲得。30得点以上での得点王獲得は、セリエAでは47年振りの事である。
2005-06シーズンの活躍によりヨーロッパ各国のクラブからオファーがあったが、トーニ自身は八百長問題もあってかクラブのセリエA残留を目標にして当分移籍する気はないと発言していた。
2007-08シーズンからドイツブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンでプレーすることになった。移籍金は1100万ユーロ(約18億円)。移籍1年目からブンデスリーガ得点王となる24得点を挙げる活躍を見せ、この年のバイエルン・ミュンヘンのリーグ優勝に貢献した。
2009-10シーズン途中、ファン・ハール監督と関係をこじらせ、出場機会が減少していたため、ASローマにレンタル移籍。移籍後最初の公式戦となった1月6日のカリアリ戦でローマでのデビュー。
2009-10シーズン終了後、バイエルン・ミュンヘンとの契約を解除。ジェノアCFCへ移籍。
2010-11シーズン途中、ジェノアCFCとの契約を解除。ユヴェントスへ移籍。しかし、アントニオ・コンテの監督就任後構想外に。
2012年1月、ワルテル・ゼンガ率いるアル・ナスル移籍が決定。
2012年8月、移籍期限間際で古巣フィオレンティーナに復帰。9月16日のカターニャ戦では復帰後初ゴールも決めた。
2013年7月、エラス・ヴェローナへの移籍が決定。
2014-15年のシーズンは22得点を挙げ、得点数タイのマウロ・イカルディと共にセリエA得点王となった。38歳での得点王はセリエA最年長記録。
2016年5月4日、現役引退を表明[2]。
代表
イタリア代表としては2004年8月18日のアイスランド戦(レイキャビク)で代表デビュー。2006年のFIFAワールドカップ・ドイツ大会に選出されレギュラーとしてイタリアの優勝に貢献。EURO2008ではエースとして全試合に先発出場したが、幾度となくチャンスを逸し無得点に終わった。不振のイタリアの象徴となった。
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1994-95 | モデナ | セリエC1 | 7 | 2 | |||||||
1995-96 | 25 | 5 | |||||||||
1996-97 | エンポリ | セリエB | 3 | 1 | |||||||
1997-98 | フィオレンツォーラ | セリエC1 | 26 | 2 | |||||||
1998-99 | ロディジャーニ | 31 | 15 | ||||||||
1999-00 | トレヴィーゾ | セリエB | 35 | 15 | |||||||
2000-01 | ヴィチェンツァ | 30 | セリエA | 31 | 9 | ||||||
2001-02 | ブレシア | 9 | 28 | 13 | |||||||
2002-03 | 16 | 2 | |||||||||
2003-04 | パレルモ | セリエB | 45 | 30 | |||||||
2004-05 | セリエA | 35 | 20 | ||||||||
2005-06 | フィオレンティーナ | 30 | 38 | 31 | |||||||
2006-07 | 29 | 16 | |||||||||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2007-08 | バイエルン | 9 | ブンデス1部 | 31 | 24 | ||||||
2008-09 | 25 | 14 | |||||||||
2009-10 | 4 | 0 | |||||||||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009-10 | ASローマ | 30 | セリエA | 15 | 5 | ||||||
2010-11 | ジェノアCFC | 9 | 16 | 3 | |||||||
2010-11 | ユヴェントス | 20 | 13 | 2 | |||||||
アラブ首長国連邦 | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2011-12 | アル・ナスル | UAEリーグ | 7 | 3 | 5 | 3 | 2 | 1 | 14 | 7 | |
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2012-13 | フィオレンティーナ | セリエA | 27 | 8 | 1 | 0 | – | 28 | 8 | ||
2013-14 | エラス・ヴェローナ | 34 | 20 | 2 | 1 | – | 36 | 21 | |||
2014-15 | 38 | 22 | 1 | 1 | – | 39 | 23 | ||||
通算 | イタリア | セリエA | 221 | 151 | |||||||
イタリア | セリエB | 83 | 46 | ||||||||
イタリア | セリエC1 | 89 | 24 | ||||||||
ドイツ | ブンデス1部 | 60 | 38 | ||||||||
アラブ首長国連邦 | UAEリーグ | ||||||||||
総通算 | 453 | 209 |
タイトル
クラブ
- USチッタ・ディ・パレルモ
- セリエB (1) : 2004
- バイエルン・ミュンヘン
- ブンデスリーガ (1) : 2008
- DFBポカール (1) : 2008
- DFLリーガポカール (1) : 2007
代表
個人
- セリエB得点王:2003/04
- セリエA得点王:2005/06, 2014/15
- セリエAベストイレブン 2014/15
- ゴールデンブーツ:2006
- ブンデスリーガ得点王:2007/08
- UEFAカップ得点王:2007/08
- FIFAワールドカップベストイレブン:2006
出典
- ^ “Luca Toni - Goals in International Matches” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ トーニ、今季終了時の現役引退を表明 複数クラブを渡り歩いたキャリアに終止符 - Goal.com 2016年5月4日