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「冨春院 (甲府市)」の版間の差分

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2017年8月29日 (火) 00:16時点における版

冨春院
本堂
(2013年8月14日撮影)
所在地 山梨県甲府市上今井町2577
位置 北緯35度37分21.9秒 東経138度34分49.7秒 / 北緯35.622750度 東経138.580472度 / 35.622750; 138.580472座標: 北緯35度37分21.9秒 東経138度34分49.7秒 / 北緯35.622750度 東経138.580472度 / 35.622750; 138.580472
山号 大龍山
宗派 曹洞宗
本尊 地蔵菩薩、秋葉観音[1]
創建年 天正年間(1573 - 1592年[1]
開山 幸澗院三世[1]
明宝伝警大禅師[1]
開基 東江常光庵主[2]
慈間禅定法尼[2]
公式サイト 曹洞宗 大龍山冨春院
法人番号 3090005000868 ウィキデータを編集
冨春院 (甲府市)の位置(山梨県内)
冨春院 (甲府市)
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冨春院(ふしゅんいん)は、山梨県甲府市上今井町にある曹洞宗寺院山号は大龍山(だいりゅうざん)、開山は幸澗院(こうかんいん)三世、明宝伝警大禅師(めいほうでんけいだいぜんじ)である[1]

概要

大龍山冨春院は、山梨県甲府市下帯那町にある金峯山幸澗院の末寺である[3]天正年間(15731592年)に、現在地に幸澗院三世と明宝伝警大禅師によって建てられた。その後、2度にわたる安政の大地震に見舞われ[1]、寺が崩壊した。現在の本堂は、平成2年(1990年)6月に建てられた。開基は東江常光庵主、慈間禅定法尼である[2]

同寺には、甲斐武田氏の第13代当主・武田安芸守信満[4]の子で今井氏始祖・今井左馬守信景[5]武田刑部少輔信重[4]武田右馬助信長[4]の弟)の墓塔を始め、今井氏累代の墓塔が数多く存在する。

大龍山冨春院 (上今井村)
曹洞宗帯那村幸澗院末黒印四百九拾四坪、本尊地蔵、開基東江常光庵主、年號不知三月十一日トアリ其名ヲ亡セリ — 『甲斐国志 十八』松平定能編 第78巻仏寺部第6 山梨郡中郡筋 明治15年10月23日 抜粋

沿革

  • 天正年間(15731592年) - 幸潤院三世、明宝伝警大禅師によって開かれた[1]
  • 慶長2年(1597年)3月11日 - 東江常光庵主が開基した[2]
  • 元和元年(1615年)6月 - 慈間禅定法尼が開基した。
  • 嘉永7年〜安政元年(1854年) - 安政の大地震で寺が崩壊した[1]
  • 昭和62年(1987年)秋彼岸 - 今井家先祖菩提供養塔を建立した。
  • 平成2年(1990年)6月 - 本堂を再建した[1]

伽藍

  • 本堂
  • 山門
  • 今井家先祖菩提供養塔 

歴代略譜

  • 現住職 福岡 隆之(ふくおか りゅうし) - 大本山總持寺での修行を経て住職となる[1]

歴史を語る墓塔

大龍山冨春院にある今井家累代の墓塔(2014年5月8日撮影)
  • 武田左馬守信景称今井氏 - 甲斐武田氏の第13代当主・武田信満の子。今井氏始祖、甲斐今井家は信景以降、甲斐武田家に仕えた。法名「独阿弥陀仏」、文明5年(1473年)11月26日合戦討死[6][5]
  • 今井兵庫助信経 - 今井氏第二代、今井左馬守信景の子。法名「澄阿弥陀仏」、延徳2年(1490年)9月17日没[6][5]
  • 今井兵庫助信慶(八郎信慶) - 今井氏第三代、今井兵庫助信経の子。法名「巌阿弥陀仏」、延徳2年(1490年)3月28日没[6][5]
  • 今井大蔵大輔信又 - 今井兵庫助信経の子。法名「眼阿弥陀仏」、明応3年(1494年)3月26日討死[6][5]
  • 今井兵庫助信是(兵庫信是) - 今井氏第四代、今井兵庫助信慶の子[6][5]
  • 今井山城守信隣 - 今井氏第五代、今井兵庫助信是の子[5]
  • 今井兵庫助信元 - 今井兵庫助信是の子。法名「浄国院」[4]
  • 今井刑部左衛門信昌 - 今井氏第六代、今井山城守信隣の子[5]
  • 今井九兵衛信俊(九兵衛昌義) - 今井氏第七代、今井刑部左衛門信昌の子。法名「釣冷」、文禄4年(1595年)没[5]
  • 今井信時 - 天正10年(1582年)3月11日於田野討死。
  • 今井肥後守 - 開基、法名「大龍院殿東江常光大庵主」、慶長3年(1598年)3月21日没[2]
  • 今井肥後守妻 - 開基、法名「今井院殿竺相慈閑大法尼」、元和元年(1615年)6月3日没[2]
今井左馬助信景
系図安芸守信満ノ男小瀬信堅ニハ兄ニテ今井村ニ宅蹟存セリ小瀬今井二村ハ程近シ一蓮寺過去帳ヲ合校スルニ文明五年十一月廿六日合戦討死獨阿今井又八郎アリ即信景相当ヘシ其男兵庫助信経延徳二年九月十七日澄阿今井兵庫殿信経男二人兄大蔵大輔信又一人明応三年三月廿六日討死眼阿大蔵大輔殿弟八郎信慶延徳二年三月廿八日巌阿今井八郎殿是ナリ八郎男ハ兵庫信是ト云信又男三人(中略)八郎信慶男兵庫信定云云男山城守信隣云々男刑部左衛門信昌其男九兵衛信俊一作勝利トアリ

九兵衛昌義、下郷起請文ニ花押アリ軍鑑使番十二人衆ヨリ足軽隊将トナル騎馬足軽拾人、系図云壬午時召出サレ駿州田中城代トナル後甲州ニ帰ス文禄四年死七十四法名釣冷、其男七右衛門勝澄ハ丹羽勘介ニ属し長久手ノ役ニ岩崎ニ籠リ弟次郎三郎等十七人共戦死スト云云

— 『甲斐国志 廿四』松平定能編 第98巻人物部第7 武田氏将師之部 明治15年10月23日 抜粋

今井氏第七代 今井九兵衛信俊以降

徳川幕府幕臣として仕え、静岡県静岡市葵区沓谷にある大森山長源院に墓所がある。
大森山長源院にある今井家累代の宝篋印塔(2013年8月19日撮影)
  • 今井七右衛門勝澄 - 今井氏第八代、甲斐武田家に仕えた後、「小牧・長久手の戦い」に於いて、岩崎城内で丹羽氏重と共に討死。岩崎城址公園内にある「表忠義碑」の徳川慶喜書に刻名があり、長源院には宝篋印塔と位牌がある。
  • 今井半右衛門 - 今井氏第九代、徳川家に仕えるため駿府に居を構え、松平豊前守勝政(駿府城番)に仕える、慶安3年(1650年)4月22日没。
  • 今井市兵衛 - 今井氏第十代、天和3年(1683年)9月15日没。
  • 今井市兵衛 - 今井氏第十一代、享保14年(1729年)9月9日没。
  • 今井嘉一郎 - 今井氏第十二代、寛延4年(1751年)5月5日没。
  • 今井伝右衛門松宇 - 今井氏第十三代、文化3年(1806年)4月23日没。
  • 今井祐右衛門丹下 - 今井氏第十四代、文政9年(1826年)12月17日没。
  • 今井桂輔 - 今井氏第十五代、駿府与力十騎、天保13年(1842年)3月17日没、享年60。
  • 今井半右衛門松宇 - 今井氏第十六代、明治7年(1873年)2月2日没、享年73、水落町居住。
  • 今井守之進正意 - 今井氏第十七代、駿府与力、明治15年(1882年)5月25日没、享年49。
  • 今井鎌太郎 - 今井氏第十八代、明治10年(1877年)新撰旅団巡査として西南戦争参加、昭和18年(1943年)1月13日没、享年83。

交通アクセス

鉄道
自動車
駐車場
  • 乗用車20台

ギャラリー

関連文献

  • 松平定能編『甲斐国志 四』第9巻 村里部第7 山梨郡中郡筋「上今井村」内藤伝右衛門、明治15年(1882年)10月23日、国立国会図書館蔵書、2017年8月17日閲覧。
  • 松平定能編『甲斐国志 十一』第43巻 古跡部第6 山梨郡中郡筋「今井肥後守墓」内藤伝右衛門、明治15年10月23日、国立国会図書館蔵書、2014年3月29日閲覧。
  • 松平定能編『甲斐国志 十八』第78巻 佛寺部第6 山梨郡中郡筋「大龍山冨春院」上今井町、内藤伝右衛門、明治15年10月23日、国立国会図書館蔵書、2014年3月29日閲覧。
  • 松平定能編『甲斐国志 十九』第82巻 佛寺部第10 山梨郡北山筋「金峯山幸澗院」下帯那村、内藤伝右衛門、明治15年10月23日、国立国会図書館蔵書、2017年8月11日閲覧。
  • 松平定能編『甲斐国志 廿二』第94巻 人物部第3 武田氏世家ノ部「武田安芸守信満、武田刑部少輔信重、武田右馬助信長、今井兵庫助信元」内藤伝右衛門、明治15年10月23日、国立国会図書館蔵書、2014年3月29日閲覧。
  • 松平定能編『甲斐国志 廿四』第98巻 人物部第7 武田氏将師ノ部「今井左馬守信景、今井兵庫助信経、今井兵庫助信慶、今井大蔵大輔信又、今井兵庫助信是、今井山城守信隣、今井刑部左衛門信昌、今井九兵衛信俊」内藤伝右衛門、明治15年10月23日、国立国会図書館蔵書、2014年3月29日閲覧。
  • 松平定能編『甲斐国志 廿六』第107巻 士庶部第7 山梨郡中郡筋「今井肥後守」上今井村、内藤伝右衛門、明治15年10月23日、国立国会図書館蔵書、2017年8月17日閲覧。
  • 坂本徳一著『今井肥後守の系譜』今井はつの、昭和60年(1985年)、甲府市立図書館蔵書、2017年8月17日閲覧。
  • 甲府市著、甲府市市史編纂委員会編『甲府市史』「冨春院の石造観音像」平成10年(1988年)、国立国会図書館蔵書。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 曹洞宗 大龍山冨春院
  2. ^ a b c d e f 松平定能編『甲斐国志 十八』第78巻 佛寺部第6 山梨郡中郡筋、内藤伝右衛門、明治15年10月23日、国立国会図書館蔵書、2014年3月29日閲覧。
  3. ^ 松平定能編『甲斐国志 十九』第82巻 佛寺部第10 山梨郡北山筋、内藤伝右衛門、明治15年10月23日、国立国会図書館蔵書、2017年8月11日閲覧。
  4. ^ a b c d 松平定能編『甲斐国志 廿二』第94巻 人物部第3 武田氏世家ノ部、内藤伝右衛門、明治15年10月23日、国立国会図書館蔵書、2014年3月29日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i 松平定能編『甲斐国志 廿四』第98巻 人物部第7 武田氏将師ノ部、内藤伝右衛門、明治15年10月23日、国立国会図書館蔵書、2014年3月29日閲覧。
  6. ^ a b c d e 磯貝正義監修、一蓮寺過去帳刊行会編、影印対照『一蓮寺過去帳』地人館、2006年12月15日、国立国会図書館蔵書、2014年3月29日閲覧。

関連項目

外部リンク