「大韓民国の国旗」の版間の差分
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太極旗の制作方法は、大韓民国国旗法第7条に従い、大韓民国国旗法施行令第6条~第8条<ref name=e.o./>によって規定されている。 |
太極旗の制作方法は、大韓民国国旗法第7条に従い、大韓民国国旗法施行令第6条~第8条<ref name=e.o./>によって規定されている。 |
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描画方法は同施行令第6条によって、旗の大きさと用途別の推奨規格は同施行令第7条と付属別表<ref>[http://www.lawnb.com/lawinfo/link_view.asp?cid=AE62C9E8F228470D84F6D04D0924DC22|76945B0|Y&ch= 별표서식]法律ポータルサイト・ロエンビより</ref>によって、下記の通りに定められている。ただし、縦横の比率2:3を維持していれば、規格と異なる大きさの旗を製作することができる。< |
描画方法は同施行令第6条によって、旗の大きさと用途別の推奨規格は同施行令第7条と付属別表<ref>[http://www.lawnb.com/lawinfo/link_view.asp?cid=AE62C9E8F228470D84F6D04D0924DC22|76945B0|Y&ch= 별표서식]法律ポータルサイト・ロエンビより</ref>によって、下記の通りに定められている。ただし、縦横の比率2:3を維持していれば、規格と異なる大きさの旗を製作することができる。<br /> |
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2017年8月29日 (火) 00:01時点における版
用途及び属性 | ? |
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縦横比 | 2:3 |
制定日 |
1949年10月15日 (2007年1月26日改正) |
使用色 |
太極旗 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 태극기 |
漢字: | 太極旗 |
発音: | テグッキ |
文化観光部2000年式: | Taegeukgi |
大韓民国の国旗(だいかんみんこくのこっき)は通称太極旗(たいきょくき・テグキ)と呼ばれる旗である。白地の中央に置かれた赤と青の2色からなる「陰陽」で「太極」を表し、その周囲四隅に「卦」が配置されたデザインとなっている。太極旗のデザインは大韓民国の法令によって定められており、太極の青色部を上にして旗を掲揚するのは逆さであり誤りである。
太極旗は、李氏朝鮮(高宗)時代の1883年旧暦1月27日に朝鮮国の国旗として初めて公布され、朝鮮独立運動を通じて朝鮮民族を象徴する旗として認知された。その後、1948年8月15日に大韓民国が独立を果たすと、1949年10月15日に大韓民国の国旗として法令でデザインが確定した。
太極旗の歴史
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?現存する史料で確認できる最古の太極旗(1882年?)
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1882年11月に描かれた太極旗の作成図(イギリス国立公文書館所蔵)
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大韓民国指定登録文化財第382号:「デニーの太極旗」(1890年)
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?製作方法が統一されるまで大韓民国で使われた太極旗(1948年 - 1949年)
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?「国旗製作法」に基づいて製作された大韓民国の太極旗(1949年 - 1997年)
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「大韓民国国旗法」に基づく大韓民国の太極旗(1997年 - 現行)
誕生から国旗制定へ至る経緯
太極旗を初めて国旗として使用したのは朝鮮国(李氏朝鮮)である。だが、李氏朝鮮が太極旗を自国の国旗とするまでの経緯については史料毎に差異があり、不明確な点が残っている。
1875年に江華島事件が勃発した時点で、李氏朝鮮にはまだ国旗が無かった[1]。その後、李氏朝鮮の国旗制定が具体的な問題として浮上したのは、1880年に日本から帰国した修信使・金弘集らが、清国の駐日公使館参事官・黄遵憲によって書かれた『朝鮮策略』を持ち帰ってからである。『朝鮮策略』はロシアの南下政策に対して朝鮮がアメリカと連合すべきとする書物であるが、ここで初めて朝鮮の国旗の図案についての言及があり、朝鮮が清の属国であることを強調するため、清国国旗(黄龍旗)をそのまま朝鮮国旗として使用することを主張した。そこで、李氏朝鮮は国旗制定にあたり、どの色の龍旗が良いか清国の助言を求めたところ、北洋大臣の李鴻章から「朝鮮国王の御旗である『龍を描いた四角い旗』[2](畫龍方旗[3])が清の黄龍旗と似ているのでこれを国旗として使用すればよい」という詔書を下賜された[4]。その際、五爪龍(爪が五つの龍)は天子(中国皇帝)の象徴であるため、冊封国である朝鮮は旗に描く龍の爪を四つにするよう具体的に指示されてたが、李氏朝鮮は最終的に龍旗を国旗として用いなかった[5]。
具体的な国旗の図案について最初の議論が行われたのは、1882年に清国から米朝修好通商条約締結を斡旋するため訪朝した馬建忠が、条約の締結式で使う李氏朝鮮の国旗を巡って李朝官吏と会談した時である。その筆談の内容を記録した『清国問答』によると、5月22日(旧暦4月6日)に行なわれる米朝修好通商条約の締結式にあわせ、李朝官吏の李應浚が金弘集の指示を受け前日に国旗の図案を作成していた。だが、締結式当日に馬建忠は申櫶と会談し、李應浚の国旗案と黄龍旗をそのまま朝鮮国旗とする案を否定した上で、朝鮮人の服色である民の白、臣の青、王の赤にちなんだ「白底青雲紅龍」の図案を提案した[6]。実際に朝鮮国旗として馬建忠の提案した旗が締結式で使われたかは不明だが[7]、締結式後の5月27日(旧暦4月11日)に李朝側は青雲と紅龍は作るのに手間がかかるため、赤地に青と白が交わった円の図案はどうかと馬建忠へ提議し、これに対して馬建忠から個人的意見として地は白地の中央に半紅半黒の太極の印を置き、その周囲に朝鮮八道を象徴する八卦を配した古太極図の図案を提唱されている[8]。この馬建忠による太極八卦の国旗デザインは李朝側に受け入れられ、後の大韓民国国旗の雛形となっていった事から、韓国の歴史研究家である韓洪九は「太極旗のデザイナーは馬建忠」としている[9]。
朝鮮の国旗として用いられた旗を最初に確認することができるのは、1882年9月に朴泳孝が訪日した時である。同年7月の壬午事変を機に、李氏朝鮮は日本との間で済物浦条約を締結し、その規定に従い謝罪の使節(特命全権大使兼朝鮮修信使)として朴泳孝らを日本へ派遣した。その際、朴泳孝は約4ヶ月間に渡る訪日中の出来事を日記(『使和記略』)として記しており、その中に太極旗の図案変更の経緯に関する記述がある。『使和記略』によると、9月20日(旧暦8月9日)に仁川から日本船籍の明治丸に乗り日本へと向かった朴泳孝らは、当初馬建忠が提唱した太極文様の周りに八卦を描いた太極図の旗を持っていた。しかし、朴泳孝が船内でイギリス領事のW. G. アストンとイギリス人船長ジェームスに対し、八卦と太極文様を描いた太極図を見せ国旗としての出来について相談した所、船長から「八卦が複雑で区別しにくく他国がこれを見て作るのに不便である」と助言を受けた。そのため、朴泳孝は八卦から四卦を削り、残りの四卦を45°傾けて四隅に配した図案を提案し、船中で大・中・小3本の太極旗を作ったという。9月25日(8月14日)に神戸へ到着した一行は宿泊先の西村屋で初めて完成した太極旗を掲げ、10月3日(8月22日)には太極旗小本と共に国旗制定を本国に報告したとされる[10]。
ただし、日本の日刊新聞「時事新報」は1882年10月2日付の紙面でこの太極旗を紹介しているが、太極旗を国旗とした経緯について『清国問答』とは異なる内容を掲載している。
「...馬建忠が朝鮮の國旗は支那に從ひ三角形の靑地に龍を書くべし本國支那は黃色を用るども朝鮮は支那の東方に當る邦たるを以て東は靑色を貴ぶの意により靑地を用ふべしと指示したるに國王は大に之を憤み決して支那の國旗に倣ふべからぬとして四角形の玉色地に太極の圖(二つ巴繪)を靑赤にて書き旗の四隅に東西南北の易卦を附けたるを自今朝鮮の國旗と定むる旨沙汰せられたりとあり...」 |
また、2004年に発見された1882年7月発行の冊子『海上国家の旗』(Flags of Maritime Nations) 第5版[12]にはCorea(朝鮮)の「ensign」(エンサイン)として太極の印と四つの卦から成る旗が収録されており、『使和記略』に描かれた太極旗制定の経緯(1882年9月)と時期が合わない。韓国では、「『海上国家の旗』の「ensign」は李應浚が創案して米朝修好通商条約の締結式で使われた朝鮮初の国旗である」と民間の研究者が主張しており[13]、韓国政府(行政自治部)も「ensign」を太極旗の原型であると推定している[7]。だが、『海上国家の旗』には旗の図柄しか掲載されていない上、朝鮮側でも関連史料が見つかっていない為、「ensign」の制定時期や制定の由来・使用方法については一切が推測の域を出ていない。
いずれにせよ、朴泳孝の訪日後は「太極の印と四つの卦」という基本的な旗の図柄に変更が為されず、翌1883年旧暦1月27日(3月6日)、高宗は王命で太極図と四掛の絵柄からなる太極旗を国旗として制定し[7][14]、統理交涉通商事務衙門の指示によって八道四都(朝鮮全土)へ国旗に関する通知がなされた。これにより、太極旗が正式に朝鮮の国旗として使われるようになった。
デザインの変遷
1949年に大韓民国の法令で制作方法が制定されるまで、太極旗の詳細なデザインは統一化されていなかった。そのため、同じ時代でもさまざまなバリエーションの太極旗が存在している[16]。
太極旗が制定される前から、李氏朝鮮では太極と八卦を文様とする旗が用いられていた。ソウル大学校の奎章閣に保管されている資料によると、儀仗の際に国王の象徴として使われた「御旗」(어기)では、太極の周りに八卦を配置した「太極八卦図」が用いられており、太極図は『太極図説』に描かれていた周氏太極図の陰陽部分が用いられていた。また、李氏朝鮮の国軍で使われた軍旗の一つ「坐纛旗」(좌독기)も、太極の周りに八卦と洛書を描いた構図となっていた[17]。ただし、これらの旗は用途が限定されたもので、王宮や軍以外で用いられる事ははなかった。
従来の史料では、1882年5月に清国の馬建忠が太極の周りに八卦を配置した太極旗の原案を考案し、同年9月に朝鮮修信使兼特命全権大使である朴泳孝が日本へ向かう船の中で八卦を四卦に減らした上で左に45°傾けたデザインに変更し、同年10月2日付の「時事新報」に掲載された太極旗が視認できる最古のものとされてきた。だが、1882年7月に発行された古書『海上国家の旗』(Flags of Maritime Nations)[12]が公式に太極旗を視認できる最古の資料であると2003年に確認されたため、朴泳孝の訪日以前の段階で既に四卦を使った太極旗のデザインが考案され、実際に使用されていた可能性が出てきている。
1883年3月の国旗制定時点における太極旗の実物は朝鮮本国に残っておらず、アメリカのスミソニアン博物館が所蔵する1884年製の太極旗(通称:デューイの太極旗)が実物サイズでもっとも古いものである[18]。また、韓国に現存する実物は、1890年に高宗からアメリカ人顧問へ下賜された太極旗(通称:デニーの太極旗)が最古のものとなっている[19]他、 清国の『通商章程成案彙編』(李鴻章編、1886年刊行)等、他国の史料の中に絵で伝えた太極旗が残されている。だが、1883年に制定された太極旗の規定は、デザインについて「太極図と四掛の絵柄」と曖昧な表示しかしていなかったため[7]、四隅に置かれる卦の配置方法や色、中央にある太極図(陰陽魚)の構図や配色(色の濃淡)でいくつものバリエーションが生じてしまっている。なお、太極旗が考案された1883年時点で、李氏朝鮮は清王朝の冊封体制に服属していた。この為、1886年に清の李鴻章によって編纂された『通商章程成案彙編』に収録された太極旗は、清国の国旗、軍旗、商船旗の後に位置づけられており、同時に「大清国属 高麗国旗」と明記して掲載されている[20]。このことから、当時の朝鮮は清から従属国として扱われていたことが分かる[21]。
日韓併合後、太極旗は朝鮮独立運動の活動家にとって「独立時代の象徴」となっていったが、具体的なデザイン方法は決まらないままだった。そのため、1919年樹立の大韓民国臨時政府は、1942年6月29日に「国旗統一様式」を制定・公布して太極旗の作り方を統一させようとした[7]。たが、臨時政府の影響力自体が限定的だったため一般の朝鮮人に広く知られることは無く、臨時政府の軍事組織である光復軍ですら「国旗統一様式」と異なる太極旗を使用する有様だった[16]ため、1945年9月に臨時政府が事実上崩壊してからは一切使われなくなった。一方、第二次大戦の日本降伏宣言(玉音放送)直後、朝鮮では朝鮮人民共和国の樹立が宣言されたが、短期間日で崩壊したため太極旗に関する取り決めは特になかった。1948年7月12日、米軍軍政庁の統治下で大韓民国の独立準備をしていた大韓民国制憲議会は、太極旗を大韓民国の国旗とすることを正式に決定した[22]。だが、その場でも太極旗の詳細なデザインは決められなかったため、韓国政府は実務上の必要性から1949年1月に「国旗是正委員会」を設置し、同年10月15日に「国旗製作法」を公布して史上初めて詳細な太極旗の作製方法を確定させた[7]。これ以降、太極旗のデザインに基本的な変更はなされておらず、2007年1月26日以降は同日公布の「大韓民国国旗法」によって太極旗の図柄配置や標準色等の詳細な規格が定められている[23]。
北朝鮮の太極旗
「朝鮮独立の象徴」であった太極旗は、ソ連軍の監督下に置かれた北朝鮮(38度線以北の朝鮮地域)でも朝鮮民主主義人民共和国の建国直前まで使われた[24]。
日本の降伏宣言(玉音放送)直後、北朝鮮各地では朝鮮建国準備委員会(後の朝鮮人民共和国)の地方組織(人民委員会)が設立され、組織の旗として太極旗を使用していた。その後、1945年9月中に北朝鮮全域へソ連軍が進駐したが、ソビエト民政庁は北朝鮮各地の人民委員会を後援する形で占領行政を進めたため、太極旗は朝鮮人の行政旗として使われ続けた。モスクワ三国外相会議(同年12月)の取り決めで朝鮮は最終的に単独政府を樹立して独立する予定となっていたため、1946年に社会主義者達による自治組織・北朝鮮臨時人民委員会が樹立されても、太極旗は「朝鮮の旗」として人民委員会で使用され続けた。だが、1947年10月20日に米ソ共同委員会が決裂して単独政府の樹立が不可能になった[25]ため、北朝鮮人民委員会は北朝鮮単独の政府樹立を目指すようになり、国旗についても民族主義者が使う従来の太極旗とは別個の旗を設けることになった。北朝鮮人民委員会は1948年2月初旬に新国旗の原案を完成させた上で[26]、同年9月8日に太極旗とは別の旗を新しい朝鮮国旗として制定し、その翌日に朝鮮民主主義人民共和国を建国した。以後、朝鮮民主主義人民共和国が統治する北朝鮮で太極旗は使用されていない。
大韓民国の太極旗
大韓民国の国旗に関する事項は、別途特別な法規定が無い限り大韓民国国旗法(2007年1月26日公布、2014年1月28日最終改正)に従って運用される(同法第3条)こととなっており、同法第4条で太極旗が大韓民国の国旗であると明示されている[23]。同法では太極旗の制作・管理に関する基本事項の諸規定が定められているが、これは国旗に対する認識の向上と尊厳の守護を通じて国民の愛国心を高めることを目的としている(同法第1条)。その為に大韓民国の太極旗は、制作方法や後述の取り扱い方法が、同法と大統領令第23091号(大韓民国国旗法施行令)[27]の条文によって厳格に決められている。
制作方法
太極旗の制作方法は、大韓民国国旗法第7条に従い、大韓民国国旗法施行令第6条~第8条[27]によって規定されている。
描画方法は同施行令第6条によって、旗の大きさと用途別の推奨規格は同施行令第7条と付属別表[28]によって、下記の通りに定められている。ただし、縦横の比率2:3を維持していれば、規格と異なる大きさの旗を製作することができる。
- (規格名) 特号:(縦) 360cm以上×(横) 540cm以上 - (用途) 建物の国旗掲揚台用
- 1号:300cm×450cm - 建物の国旗掲揚台用
- 2号:204cm×306cm - 建物の国旗掲揚台用
- 3号:180cm×270cm - 建物の国旗掲揚台用
- 4号:150cm×225cm - 建物の国旗掲揚台用
- 5号:120cm×180cm - 建物の国旗掲揚台用
- 6号:102cm×153cm - 建物の国旗掲揚台用
- 7号:90cm×135cm - ①建物の国旗掲揚台用、②家庭用
- 8号:60cm×90cm - 家庭用
- 9号:30cm×45cm - 車両用
- 10号:18cm×27cm - 車両用
また、旗に使う標準色は同施行令第8条によって下記の通りに定められている。
表示する色 | マンセル色体系[29] | CIE 1931 色空間[29] | パントン[30] | ウェブカラー[31] |
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赤 | 6.0R 4.5/14 | 0.5640, 0.3194, 15.3 | 186 Coated | #CD2E3A |
青 | 5.0PB 3.0/12 | 0.1556, 0.1354, 6.5 | 294 Coated | #0047A0 |
黒 | N 0.5 | N/A | N/A | #000000 |
白 | N 9.5 | N/A | N/A | #FFFFFF |
図柄の起源・解釈を巡る主張とナショナリズム
太極旗の図柄の起源や意味合いに関して、太極旗を初めて作成した李氏朝鮮の関係者は記録を残していない。そのため韓国では、太極旗の図案を「朝鮮固有の文化や伝統ではなく、中国の『周易』からの借りもの」[32]とする意見がある一方で、「中国の『太極図説』とは関係の無い朝鮮固有の模様」[33]とする意見があり、見解が分かれている。
韓国が独立するまで、太極旗は「中国(易)の思想・哲学に由来する」との考えが一般的だった。1947年夏[34]に北朝鮮労働党指導部の一員である社会主義者の金枓奉は、駐朝鮮ソ連軍の将校に対し太極旗の意味について「中国の哲学」を基にした説明を行っている[35]。ただし、『易経』を構成する『繋辞伝』には「太極が両儀(陰陽)をもたらし、両儀から四象が生じ、四象が八卦をもたらす」[36]という易の思想が書かれている。一方で、太極旗は現存の史料によると、「親日派」の朴泳孝がイギリス人船長の助言に従って外国人にも分かり易いデザインとする為に、中国人の馬建忠が提案した太極図の八卦を四卦に減らし、そして四卦の位置を四隅に配列した経緯がある。その為、周易の専門家からすれば太極旗の図案は誤ったものと言わざるを得ず、韓国政府が「国旗製作法」(1949年10月15日公布)で太極旗の図案を確定させた後も、太極旗の陰陽の角度と卦の配列を巡る論争はやむことが無く[37]、2003年時点[38]の韓国で刊行されている太極旗に関する書籍の多数が現在の太極旗は誤りだと主張しているという[39]。
このような易学的観点に基づいた太極旗への批判に対し、韓国政府と韓国の民族主義団体は太極旗を「(朝鮮)民族の象徴」として躊躇なく掲げられるよう、太極旗の起源が朝鮮文化の中にあるとする理論(韓国起源論)を構築・展開して太極旗の「韓国化」乃至は「脱中国化」を推進している[40]。例えば、1957年に「わが国旗を大切にする会」が発行した『国旗解説』[41]では、太極八卦は檀君の教えに基づいており古朝鮮から使用されてきたと主張している[42]。また、文化教育部元長官(1954年-1956年)の李瑄根(朝鮮語: 이선근)は、エジプト・ローマ[43]・アテネ・ビザンチン・アメリカ先住民が使った土器等の古代の遺物や新羅の曲玉など太極と類似した文様を探し出して、太極は「古代の人類共通の宇宙観」を表出しているのであって中国固有のものではないとの「強弁」を展開[44]している。彼は成均館大学校の総長だった1959年に『私たちの国旗制定の由来とその意義』という論文を発表し[45]、その中で「太極旗のデザインは『周易』から作案されたものではない」から、「中国易学者の思考様式」で「これ以上無駄な解釈論議をし続けることは皆が慎むべき」で、「今後誰しも文化教育部が既に決定したところ」に従い「国旗図案の易学的解釈に固執したり、みだりに主張したりしないように求める」と主張している[46]。その後も「太極旗の韓国化」を目指す試みは続き、1995年には「太極旗が檀君の『弘益人間』[47]という理念を反映している」と主張する「大韓民国国旗宣揚会」が、太極旗変遷史展示会を開催したときに刊行した図録で、現行の太極旗に似た四卦の太極旗が鮮明に描かれている「1392年製作の梵鐘[48]」を掲載した[49]。また、「太極は三国時代から朝鮮民族が愛用してきた伝統的な固有の紋様」である証拠として、太極図説の撰述(1070年)以前に建立(682年)された新羅・感恩寺の礎石に刻まれた「中国の太極図とは形が異なる太極模様」を2008年に朝鮮日報が[33]、次いで百済時代(538年-660年)の遺構から見つかった木製品に書かれた太極文様を2009年に中央日報が[50]、それぞれ提示している。これら「太極旗の韓国化」に関する探究は韓国の百科事典に反映されており、韓国民族文化大百科事典に掲載された『太極旗』の項目では「太極図形の文様と理念は、古代(三国時代)から陰陽思想を理解した朝鮮民族によって、「太極図説」が(中国で)書かれる前から伝統的に使われてきた」との主旨を述べている[51]。
公的な図柄の解釈
太極旗は、白地の旗、旗の中央にある赤と青からなる太極円(太極文様)、及び旗の四隅にある乾()・坤()・坎()・離()の四種類の卦(四掛)によって構成されている(大韓民国国旗法第7条第1項、及び第2項)。
韓国政府(行政自治部)は、太極旗の各部に込められた意味合いについて公的な解釈を示しており、自国民に対しては行政自治部が下記の通りに説明している。また、国外に対しては文化体育観光部傘下の海外文化弘報院が、日本語[52]、英語[53]、中国語[54]を含む9言語で同じ内容を紹介している。
...太極旗の白地は、明るさと純粋さ、そして伝統的に平和を愛する私々(朝鮮民族)の民族性を示している。真ん中の太極文様は陰(青色部分)と陽(赤色部分)の調和を象徴するもので、宇宙の万物が陰陽の相互作用によって生成し発展するという大自然の真理を形象化したものである。四隅の四掛は、陰と陽が互いに変化し発展する姿を爻(陰:- -(真ん中が途切れた2つの短い横棒)、陽:─(長い横棒))の組み合わせを介して、具体的に示したものである。卦の中で、「乾」は宇宙万物の中で天を、「坤」は地を、「坎卦」は水を、離は火を(それぞれ)象徴しており、これら四掛が太極を中心として統一された調和を成している。 このように、昔から私々の先祖が生活の中で楽しんで使っていた太極文様を中心に作られた太極旗は、宇宙とともに長久の創造と繁栄を希求する韓民族(朝鮮民族)の理想を含んでいる。...[7] |
より詳細な解釈は、教育部傘下の韓国学中央研究院が編纂した『韓国民族文化大百科事典』の項目「太極旗」に記されており、要約は下記の通りである。
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韓国国外における太極旗の紹介
太極旗の図案について、前述の通り韓国では「中国とは関係の無い朝鮮固有の模様」[33]とする意見が公的見解となっているが、韓国国外では「中国の『周易』等の思想に基づいた模様」として紹介されることが多数である。
日本においては、朝鮮に関連した文物の事典である『韓国朝鮮を知る事典』が、太極旗は「≪太極図説≫≪周易≫にもとづ」くと記している[55]他、旗章学協会国際連盟の公認団体である日本旗章学協会[56]の会長が執筆した『世界の国旗図鑑』が太極について「陰陽が合わさって調和を保つという中国古来の思想を示している」[57]と紹介している。また、各国の国旗を紹介・解説する別の書籍でも「(太極は)相対する2つのものが合わさって調和を保つという中国古来の易学の宇宙観をしめしている」[58]、「太極図の周囲四隅に配された卦は、古代中国の書物『易経』からとったものである」[59]、といった解説が為されている。 。
中国や台湾においても同様で、中華百科全書の「韓國國旗」の項目が「(太極旗の)太極思想は中国の太極図説と周易の解釈に由来する」[60]としている他、中国大陸の書籍で「(旗に使われる)紅藍二色の各半的な図形は古代の陰陽太極図から采られ、図形の四周にある黒い棒は《周易》の卦図から取っている」[61]、香港城市大学出版社が刊行した『南韓: 創造奇蹟』で「(太極旗は)《周易》の思想を根拠とし、八卦を四卦に減らして製作された」[62]とそれぞれ紹介されている。またインターネット媒体でも、中国電信傘下のポータルサイト・21CNが「太極旗は《周易》の哲学を基に作成された」とする記事を掲載している[63]。
太極旗と類似する図柄
前述の通り韓国の太極文様は「朝鮮人が伝統的に使ってきた(朝鮮起源の)文様」と韓国ではされているが、一方で太極図自体は中国文化圏に広く普及する図案である。その為、韓国との関連性に関係無く、韓国以外の国でも国旗やそれ以外の図案に用いられている。(詳細は、太極図#使用例を参照のこと。)
また、文化的背景に関係無く太極図と類似した巴の図案も世界各地で見られ、行政機関の紋章(日本の浜松市市章や伊勢崎市市章)や企業のロゴマーク(シマンテック[4]、ペプシコーラ[5]、ノーザン・パシフィック鉄道[6]等々)等にしばしば用いられる。2005年頃、アップルコンピュータがUniversal Binaryの商品ロゴ[7]に用いた際は、韓国のネット上で話題となった[64]。
韓国における国旗の扱い
韓国において太極旗は、韓国という国家を具現化する道具として扱われており、1972年には韓国への忠誠心の宣誓として「国旗への宣誓」が制定されている[65]。また、韓国では全国民が国旗を尊重・愛好しなければならず、国及び地方自治団体は国旗の尊厳が維持されるように必要な措置を講じなければならない(大韓民国国旗法第5条)。そのため、韓国ではデモ活動等で国旗を意図的に毀損した場合韓国警察に逮捕される可能性がある[66]。
ただし実際の運用面において、国旗が上下逆さまだったり間違った図案の国旗を使用したケースが、韓国外はおろか国内においても、イベント時の掲揚[67]やテレビのニュース配信[68]の際に度々ある。
掲揚する日・場所
太極旗は、下記のいずれかに該当する場合は掲揚されなければならない(大韓民国国旗法第8条第1項)。
- 1月1日: 元旦
- 3月1日: 三一節
- 6月6日: 顕忠日(半旗)
- 7月17日: 制憲節
- 8月15日: 光復節
- 10月1日: 国軍の日
- 10月3日: 開天節
- 10月9日: ハングルの日
- 国葬の期間(半旗)
国家と地方自治体、公共団体の庁舎は国旗を年中掲揚なければならず、下記の場所でも可能な限り年中国旗を掲揚することが求められる(大韓民国国旗法第8条第3項)。
また、学校や国軍部隊の掲揚台においても、毎日日中のみ国旗を掲揚することになっている(同法第8条第4項)。
掲揚時間
太極旗は毎日24時間掲揚することが出来るが(大韓民国国旗法第8条第2項)、夜間には適当な照明が必要とされる(同法第8条第3項)。また、旗が激しい雨・雪・風等で毀損される恐れがある場合は、掲揚しない(同法第8条第5項)。
国旗を日中のみ掲揚する場合は以下のように行う(同法第8条第6項)。
時 期 | 掲揚時刻 | 降納時刻 |
---|---|---|
3月 - 10月 | 07:00 | 18:00 |
11月 - 2月 | 07:00 | 17:00 |
太極旗を応用した旗と意匠
韓国に関連した組織では、しばしば太極旗のデザインを応用した旗ないし意匠を制定・使用している。
韓国政府の初代国章は、太極旗の意匠をそのまま紋章化したものだった。国章は1963年に変更されたが、太極文様は引き続き使用されている。また、韓国政府の行政機関が掲揚する旗も2016年から太極文様をアレンジしたものに変更されている。
韓国軍では、韓国海軍の艦首旗(国籍旗)が、青地のカントン部に太極旗を配置した上で、四掛を海軍の象徴である軍艦の錨に置き換えている。他に、韓国陸軍の軍旗が、太極旗の太極文様と韓国国花の槿を組み合わせた愛国的なデザインを採用しており、韓国空軍では国籍マークに太極文様を用いている。
民間団体としては、かつて国営会社だった大韓航空がロゴに太極文様を用いている他、在日本大韓民国民団(民団)の団体旗も、太極文様と槿を組み合わせる事で民団と韓国本国との関連性を強調している。
-
韓国中央政府の行政機関旗(2016年 - )
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軍艦用国籍旗(1955年 - )
-
韓国陸軍旗(1949年 - )
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現用の国籍マーク(?年 - )
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垂直尾翼に描かれた大韓航空のロゴと太極旗
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民団団体旗(?年 - )
関連項目
- 朝鮮の旗一覧
- 国旗の一覧
- 朝鮮民主主義人民共和国の国旗(建国直前まで太極旗を使用していた)
- ブラザーフッド (映画)(原題は「太極旗翻して」)
- 大韓民国の国章
- 太極図(中国の『易経』の思想に基づく太極文様で、モンゴルの国旗等に使用されている)
出典
- ^ 韓洪九 2003, p. 54
- ^ 当時、朝鮮には儀仗用の旗として「黄龍旗」(황룡기)という清国国旗とは同名別個の旗があった。旗の全体図は、ソウル大学校奎章閣韓国学研究院がホームページで公開している。また、「黄龍旗」に描かれた龍の詳細は、コリア・タイムスが2011年12月30日付で配信した記事「Year of Black Dragon」に載っている。
- ^ 清季中日韓關係史料-第二卷: - 478 ページ著者:中央研究院近代史研究所(Google ブックスにて公開)
- ^ 韓洪九 2003, p. 55
- ^ 韓洪九 2003, p. 55
- ^ 《舊韓國外交文書》第10卷(出版:高麗大學校亞細亞問題研究所,1973年発行),《美案》1,第12—13頁。
- ^ a b c d e f g 국가상징>국기(태극기)行政自治部公式ホームページより。
- ^ 《舊韓國外交文書》第10卷(出版:高麗大學校亞細亞問題研究所,1973年発行),《美案》1,第14頁。
- ^ 韓洪九 2003, p. 55
- ^ 9집 修信使記錄(한국사료총서 제9집) > 使和記略 > 高宗 19年 壬午 > 高宗 19年 壬午 八月(全文は、国史編纂委員会の韓国史データーベースにて公開されている。)
- ^ 中国哲学の五行思想では五色と五方が密接に関わっていると考えており、黄色は中央(中国)を、青色は東(東夷)を象徴するとされていた。
- ^ a b 米海軍省 (Navy Department) の航海局 (Bureau of Navigation) が発行した冊子。その内容はOpen Libraryにて公開されている。該当ページは、Flags of Maritime Nations 第5版31ページ。 http://www.archive.org/stream/flagsofmaritimen00unitrich#page/n29/mode/2up
- ^ "태극기 창안자는 박영효 아닌 이응준"(朝鮮日報2008年5月29日配信記事)
- ^ 高宗実録20巻、高宗20年1月27日(陽暦)1番目の記事より。高宗実録は、国史編纂委員会が公式ホームページを設けて公開している[1]
- ^ 어기御旗(ソウル大学校奎章閣韓国学研究院「朝鮮時代王室文化図解事典」より)
- ^ a b 태극기 변천사大韓民国国家記録院公式ホームページより。
- ^ 좌독기(Naver韓国語辞典より)
- ^ 가장 오래된 태극기(最も古い太極旗)ハンギョレ2015年2月26日配信記事
- ^ 백년전의 태극기 휘날리며朝鮮日報2008年8月19日配信記事
- ^ 『通商章程成案彙編』巻三十 李鴻章編『通商章程成案彙編』(1886年)Google ブックス
- ^ 2004年1月26日付の中央日報は、「アメリカ海軍航海局が発行した冊子『海上国家の旗』(1882年)から最古の太極旗が発見された」という報道に際して、それまでで最も古い太極旗としてこの国旗を紹介したが、旗にある「大清國属」の文字を日本語版ではそのまま載せたが、韓国の新聞・インターネット版ではトリミングしてカットしていた。これについて呉善花は、韓国では国定の「唯一正当な歴史」以外は隠す体質が国家・マスコミ・学者にあるとした(『やっかいな隣人 韓国の正体』呉善花・井沢元彦)。
- ^ 「꽃으로 보는 한국문화」, 태극기, 이상희 저, 넥서스BOOKS(2004년, 75~97p)
- ^ a b 대한민국국기법法制処国家法令情報センター公式ホームページより
- ^ Color brings Kim Il Sung-era pictures to life NK News2015年2月20日配信記事
- ^ 本来、モスクワ三国外相会議の取り決めで、朝鮮は信託統治を経た上で南北統一政府を樹立し、一国で独立する手はずだった。だが、信託統治の実施方法を取り決めるはずの米ソ共同委員会が決裂したことで、信託統治とその後の統一政府樹立が実現不可能となったため、朝鮮が独立するには南北がそれぞれ別個に政府を樹立するしか当面の方策が無かった。
- ^ 朝鮮民主主義人民共和国国旗(ネナラより)
- ^ a b 대한민국국기법 시행령法律ポータルサイト・ロエンビ(朝鮮語: 로앤비)より
- ^ 별표서식法律ポータルサイト・ロエンビより
- ^ a b “깃면”. 행정안전부 (2009年). 2010年2月16日閲覧。
- ^ http://www.infokorea.ru/flag/
- ^ http://www.edigita.com/pantone.php
- ^ 韓洪九 2003, p. 56
- ^ a b c 태극은 중국에서 유래? 삼국시대부터 쓴 고유문양(太極は中国に由来?三国時代から書かれた固有の紋様)(朝鮮日報 2008年05月29日配信記事)
- ^ Kim Tu Bong and the Flag of Great Extremes(デイリーNK2014年6月20日配信記事)
- ^ T・マーシャル 2017, p. 202-203
- ^ 韓洪九 2003, p. 56
- ^ 韓洪九 2003, p. 58
- ^ 韓洪九 2003, p. 8
- ^ 韓洪九 2003, p. 59
- ^ 韓洪九 2003, p. 57
- ^ 국기해설(e뮤지엄)
- ^ 韓洪九 2003, p. 57
- ^ ウィキメディア・コモンズの「Yin Yang」の頁でノティティア・ディグニタートゥムに描かれた太極文様を見ることができる。
- ^ 韓洪九 2003, p. 58
- ^ 태극기가 바람에 펄럭입니다 - 나, 태극기의 독백(オーマイニュース 2002年07月15日配信記事)
- ^ 韓洪九 2003, p. 58-59
- ^ これは、韓国の建国理念でもある。
- ^ 韓洪九は「もし事実であれば驚くべきこと」と評しているが、梵鐘の実物は今まで公開されていない。韓国陸軍の機関紙『陸軍』第230号掲載の記事「태극기 유래를 통해서 본 민족정신」によると、件の梵鐘は1954年の神奈川県小田原市で発見され、韓国国立中央図書館の「太極旗図説」に鑑定書が収録されていたが、後に行方不明となってしまったという[2]。なお、韓国のインターネット上では件の梵鐘とされる写真が掲載されている[3]。
- ^ 韓洪九 2003, p. 57
- ^ 最も古い百済太極文様発掘(中央日報 2009年06月04日配信記事)
- ^ a b 태극기 韓国民族文化大百科事典(韓国学中央研究院:編)
- ^ 韓国の概要(KOREA.net 日本語版)
- ^ Republic of Korea – Summary(KOREA.net 英語版)
- ^ 韩国概况(KOREA.net 中国語版)
- ^ 伊藤亜人/監修, 大村益夫/監修, 高崎宗司/監修, 武田幸男/監修, 吉田光男/監修, 梶村秀樹/監修 『[新版] 韓国朝鮮を知る事典』 平凡社、2014年。ISBN 978-4582126471。「国旗」, p. 181
- ^ 日本旗章学協会・ホームページ
- ^ 苅安望 『改訂版 世界の国旗図鑑』 偕成社、2016年。ISBN 978-4035295600。アジア「大韓民国」, p. 41
- ^ 21世紀研究会 『国旗・国家の世界地図』 文藝春秋、2008年。ISBN 978-4166606450。第1章「アジアの国々」, p. 29
- ^ T・マーシャル 2017, p. 201
- ^ 韓國國旗 中華百科全書1983年版(版権:中国文化大学)
- ^ 刘李胜 『韩国概论』 东方出版社、1995年。ISBN 978-7506006385。 p. 17
- ^ 董向榮 『南韓: 創造奇蹟』 City University of HK Press、2009年。 1 國土與人民-地靈人傑「太極旗下的單一民族」, p. 10
- ^ 为何韩国国旗是太极八卦?(图)(21CN新闻)
- ^ DCinside(朝鮮語版) http://www.dcinside.com/webdc/dcnews/news/news_list.php?s_title=&s_body=&s_name=&curPage=&id=46034&blog_id=1231197&s_que=&code=ahh
- ^ 태극기의 변천 > 정부수립 이후大韓民国国家記録院公式ホームページより。
- ^ セウォル号集会で国旗燃やした男性に逮捕状請求ハンギョレ2015年6月1日配信記事
- ^ 「韓国人が総長なのに…」国連本部に‘変な太極旗’ 中央日報日本語版 2007年09月20日
- ^ SBS 8時ニュース「おかしな太極旗」連日報道 中央日報日本語版 2011年06月27日
参考文献
- 韓洪九『韓洪九の韓国現代史』平凡社、2003年。ISBN 978-4582454291。第1部4章「太極旗は本当に民族の象徴なのか」
- ティム・マーシャル『国旗で知る世界情勢』原書房、2017年。ISBN 978-4562053971。第6章「エデンの東」
外部リンク
- 大清国属・高麗国旗 - 清の李鴻章が編纂した清の公式文書『通商章程成案彙編』(1886年)に掲載されたもの。「最古の太極旗の絵が発見」という題の朝鮮日報の記事にも写真が載せてあるが、その記事自体、別の旗を主題にした記事であり、英語版・朝鮮語版でのみ写真の下の小さな字の説明文で簡単に触れられている。特に日本語版には「大清国属高麗国旗」の写真を載せて、写真を載せていない「最古の太極旗の絵」(米海軍省 (Navy Department) 航海局 (Bureau of Navigation) 発行『海上国家の旗』(Flags of Maritime Nations; 1882年7月)に収録されたもの)のみの説明が掲載されている、という紛らわしい記事となっている。なお、この「大清国属 高麗国旗」に関する考察については、ノートにおいて詳しく触れられているので、そちらを参照のこと。