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2017年8月28日 (月) 13:51時点における版
ダラス・マーベリックス Dallas Mavericks | ||||
---|---|---|---|---|
呼称/略称 | マブス DAL | |||
チームロゴ | バスケットボールを背景にした白馬の頭部。 | |||
所属リーグ | NBA | |||
カンファレンス | ウェスタン・カンファレンス | |||
ディビジョン | サウスウェスト | |||
創設 | 1980年 | |||
チーム史 |
ダラス・マーベリックス (1980 - ) | |||
本拠 |
テキサス州ダラス | |||
アリーナ | アメリカン・エアラインズ・センター | |||
チームカラー | ミッドナイト・ブルー、白、青、銀 | |||
オーナー | マーク・キューバン | |||
社長 | ドニー・ネルソン | |||
GM | ドニー・ネルソン | |||
ヘッドコーチ | リック・カーライル | |||
優勝歴 | 1回 (2011年) | |||
ファイナル進出 | 2回(2006年, 2011年) | |||
ディビジョン優勝 | 3回(1987年, 2007年, 2009年) | |||
永久欠番 | 15 22 | |||
NBAGL提携チーム | テキサス・レジェンズ | |||
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ダラス・マーベリックス(Dallas Mavericks)は、テキサス州ダラスに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。略してマブズ、マブスとも呼ばれる。ウェスタン・カンファレンス、サウスウェスト・ディビジョン所属。チーム名のmaverickは、1960年頃のTV西部劇の名に因んでおり、現在のチームマスコットは仔馬。オーナーは、マーク・キューバンである。NBAにおいて、地域、チーム名が創設以来変わっていないチームの一つ。
歴史
初期
1973年にABAの消滅でNBAへの加入に伴いダラス・チャパラルズ(現在のサンアントニオ・スパーズ)がサンアントニオに移転して以来、プロバスケットボールチームのなかったダラスでは、1979年に実業家のドン・カーターがNBAに対して新チームの設立を申請した。NBAは1980年のオールスター開催時にリーグのオーナーたちの承認を得て、ダラス・マーベリックス(マブズ)は、1980年に設立され、ウェスタン・カンファレンスのミッドウェストディビジョンに組み込まれた。初期のマブズではローランド・ブラックマンやマーク・アグワイアが活躍したが、勝率が5割に到達しプレイオフに進出するのは3年目になってからだった。1983年のドラフトでデレック・ハーパー、1984年のドラフトでサム・パーキンスを獲得し、1987年には初の地区優勝、1988年には地区決勝でロサンゼルス・レイカーズと死闘を演じたが、3勝4敗で優勝には至らなかった。
トリプルJ
低迷していた90年代前半には、復調を予期させる有望な新人がチームに集まっていた。92年のドラフトではジム・ジャクソン、93年にはジャマール・マッシュバーン、94年にはジェイソン・キッドを獲得し、この3名は頭文字をとって「トリプルJ」と呼ばれた。しかしトリプルJは私情のもつれなどもありうまく機能せず、チーム成績も上向かずに一人一人チームから離れた。90年代は、十年間連続でレギュラーシーズンを負け越し、プレーオフ出場を逃し、特に1993年には11勝71敗にまで落ち込んだ。この時代のマブスは典型的なドアマットチームであり、チャールズ・バークレーなどのジョーク好きなプレーヤーにネタとされた。
ドン・ネルソンによるチーム再建
1997年にドン・ネルソンがジェネラルマネージャーに就任、ヘッドコーチを務めた翌年から、マブスの再建がはじまった。ダーク・ノヴィツキーの1998年のNBAドラフトへのエントリーに伴い、ドン・ネルソンは他チームの思惑を巧みに操り、ミルウォーキー・バックスの欲していたロバート・トレイラーをより高順位のマブスが6位で指名するかわりにバックスが9位でノヴィツキーを指名し、更に、このシーズンに1巡目指名権を持っていなかったフェニックス・サンズがパット・ギャリティを欲しているのに乗じて、バックスが持っている19位指名権でギャリティを指名させ、ノヴィツキーとセットでマブスにトレードすることを約束させ獲得する一方、トレイラーを指名し、ギャリティを欲しがっているサンズにギャリティ他2選手をつけてサンズにトレードし、かわりにスティーブ・ナッシュを獲得した。結果的にネルソンは将来NBAのシーズンMVPを獲得する2人の偉大な選手を、一度のドラフトで手に入れてしまった。
ノヴィツキーの時代
- 1998-1999シーズンのNBAはロックアウトによるシーズン短縮という初めての事態を経験し、ノヴィツキーのルーキーシーズンは例年より4ヶ月近くも遅れて始まり、先発パワーフォワードに抜擢されるも、まだ線の細かったノヴィツキーはNBAのフィジカルなプレイに馴染めず、特にディフェンスでは簡単に相手に押し負けてしまい、ディフェンスができない(Dがない)と揶揄する意味で"Irk Nowitzki"と呼ばれた。19勝31敗の成績でシーズンを終えた。
- 1999-00シーズン、ネルソンはノヴィツキーのパス技術をより活かすためにポイントフォワードに起用し、ノヴィツキーも徐々に本来の実力を発揮するようになった。エースのマイケル・フィンリーにノヴィツキー、セドリック・セバロスに率いられ、前年の19勝31敗から40勝42敗と勝率を伸ばしたが、プレーオフには惜しくも届かなかった。
マブズがリーグ屈指の強豪へと成長を始めるのは、インターネット関連事業で財をなしたマーク・キューバンが2000年1月14日に自身が熱烈なファンであった ことから、チームを2億8500万ドルで買い取り、オーナーに就任してからだった[1]。キューバンはその後も豊富な資金力を活かしてチームの補強に取り組んだ。
- 2000-2001シーズンは、過去10年間プレーオフ出場を逃してきたことを忘れさせるかのように、53勝29敗の好成績でレギュラーシーズンを乗り切り、プレーオフへ第5シードで出場し、1stラウンドは、ユタ・ジャズを3勝2敗で勝ち抜き、カンファレンス・セミファイナルへ駒を進めたが、第1シードのサンアントニオ・スパーズに1勝4敗で敗退した。しかし、このシーズンから長期に連続プレーオフ進出を果たしていく事となり、マブスのノヴィツキー時代の幕が開けたと言ってよいシーズンとなった。
- 2001-2002シーズンは、チーム史上最多の57勝25敗でプレーオフに進出し1stラウンドは、ミネソタ・ティンバーウルブズを難なくスイープしたものの、カンファレンス・セミファイナルの壁は依然厚く、サクラメント・キングスに1勝4敗で敗退した。
- 2002-2003シーズンは、それを上回る60勝に到達。ポートランド・トレイルブレイザーズ、サクラメント・キングスを破り、ついにカンファレンスファイナルへと進んだが、この後ライバル関係を続けることとなるサンアントニオ・スパーズに2勝はしたものの敗退し、NBAファイナルへの進出を阻まれ続けた。
- 2003-2004シーズンは、52勝30敗の第5シードでプレーオフに出場したが、1stラウンドで、対キングス1勝4敗で敗退している。このシーズンまで4年間連続でチームのアシストにおけるスタッツリーダーであったスティーブ・ナッシュがFAとなり、キューバンの考えと折り合わず、古巣のフェニックス・サンズに移籍した。
- 2004-2005シーズンは、44勝22敗の時点でネルソンは退任し、アシスタントコーチであったエイブリー・ジョンソンが監督に昇格した。その後16勝2敗と勝率を伸ばし、58勝24敗でレギュラーシーズンを乗り切り第4シードでプレーオフに進み、1stラウンドはヒューストン・ロケッツを4勝3敗で退けたが、カンファレンスセミファイナルで、スティーブ・ナッシュのフェニックス・サンズに2勝4敗で敗れている。
- 再び60勝に達した2006年には、前年のチャンピオンであるサンアントニオ・スパーズをカンファレンスセミファイナルで降し、昨年敗れたフェニックス・サンズを4勝2敗で下し、チーム史上初となるカンファレンス優勝、NBAファイナル進出を果たした。しかしドウェイン・ウェイド、シャキール・オニール時代のマイアミ・ヒートとの対戦となったファイナルを2勝4敗で落とし、初優勝はならなかった。
- 2006-07シーズンはチーム力をさらに上昇させ、1シーズンで3度の12連勝を達成するNBA新記録を達成。最終成績は歴代5位、チーム記録の67勝15敗を記録し、ノヴィツキーはシーズンMVPを受賞する最高のレギュラーシーズンを送った。プレーオフは第1シードのチャンピオン候補最右翼としてプレーオフに挑んだが、一回戦、かつての指揮官だったドン・ネルソン率いる第8シードのゴールデンステート・ウォリアーズ相手に史上三度目(一回戦のプレーオフフォーマットが7戦4勝制になってからは初めて)の「第1シードのチームが第8シードのチームに敗れる」2勝4敗の歴史的敗戦を喫し、シーズンを終えた。
- 2007-08シーズンには、シーズン途中にベテランPGのジェイソン・キッドを獲得し、悲願のファイナル制覇に向けて勝負に出たが、プレーオフでは2年連続で1回戦で敗退。プレーオフ敗退後、エイブリー・ジョンソンHCは解任された。
- 2008-09シーズンからは新しくリック・カーライルが監督に就任し、シーズン序盤こそ躓いたものの次第に調子を上げ、最終的には50勝32敗の成績を収め、第6シードでプレーオフに進出した。第3シードのサンアントニオ・スパーズを相手にしたプレーオフ一回戦では下馬評を覆し4勝1敗で勝ち進むが、二回戦でデンバー・ナゲッツに1勝4敗で敗退した。
- 2009-10シーズンは、55勝27敗の成績で、第2シードでプレーオフに進出したが、第7シードのサンアントニオ・スパーズに2勝4敗でアップセットされた。
- 2010-11シーズンは57勝25敗の好成績を収め、第3シードでプレーオフに進出した。カンファレンス・セミファイナルでは、2連覇中のロサンゼルス・レイカーズを4勝0敗で下す快挙を演じ、カンファレンス・ファイナルではオクラホマシティ・サンダーを4勝1敗で退け、ついに2度目のNBAファイナルの舞台に立った。ファイナルは5年前と同じくマイアミ・ヒートとの対戦となる。1勝2敗の不利な状況から3連勝して、逆転でのNBAファイナル初制覇を成し遂げた。ファイナルMVPには平均26.0得点、10.2リバウンドを挙げたダーク・ノヴィツキーが選ばれた。
- 2011-12シーズンは、ディフェンディングチャンピオンとしてのシーズンであったが、ラマー・オドム、ヴィンス・カーターなどの中途半端な補強に加え、FAに伴うタイソン・チャンドラー、カロン・バトラー、ホセ・バレアの流出、ノビツキーを筆頭にジェイソン・キッド、ショーン・マリオンら主力の衰えなどから大きく勝率を落とし、第7シードでプレーオフに進出したが、力をつけてきたオクラホマシティ・サンダーにスイープされた。ロックアウトがあり試合数が少なかったものの36勝30敗と2000年から続いていたレギュラーシーズン50勝以上の成績をこのシーズンで途切れさせてしまった (同シーズンはNBAロックアウトが敢行された関係で、66試合の短縮シーズン)。
- 2012-13シーズンは、キッドがニックスへ、テリーがセルティクスに移籍し、O・J・メイヨ、クリス・ケイマン、ダレン・コリソン、エルトン・ブランドらが新加入し、ロースターを大きく変えたが、ノビツキーが29試合を欠場したこともあり、41勝41敗で、勝ち越すこともできず、ついに12年連続して出場してきたプレーオフ出場を逃す結果に終わった。
- 2013-14シーズンは、モンタ・エリス、ホセ・カルデロン、デュワン・ブレアらを獲得し、マブス出身のデビン・ハリスが戻り、新たなケミストリーの構築まで停滞した戦いが続いたが、終盤の粘りで49勝33敗とし、なんとか第8シードでプレーオフに滑り込み、全体でトップシードのライバル、サンアントニオ・スパーズとの1stラウンド対戦となった。第3戦のヴィンス・カーターの起死回生のブザービーターなどもあり、第7戦まで粘ったが、最終ゲームで押し切られた。
- 2014-15シーズンは、主力であったショーン・マリオンがキャブスに移籍したが、若手成長株のチャンドラー・パーソンズを獲得し、ジャミーア・ネルソン、リチャード・ジェファーソン、レイモンド・フェルトンらベテランに加えて、チャンピオンメンバーのタイソン・チャンドラー、ホセ・バレアが戻り、上位チームへの復帰に向けてスタートした。そんな中、12月18日にボストン・セルティックスと大型トレードを行い、ブランダン・ライト、ジャミーア・ネルソンなどをセルティックスに放出し、レイジョン・ロンドを獲得。更に2015年2月18日にはアマーレ・スタウダマイアーと契約するなど、チーム力強化を図った。しかしロンドはリック・カーライルHCと試合中に激しく口論するなど、確執が表面化。更にパーソンズも左膝を負傷し、両者はプレーオフを欠場。結局戦力が整わず1回戦でヒューストン・ロケッツに1勝4敗で敗退した。
- 2015年7月、マーベリックスはロサンゼルス・クリッパーズからFA宣言していたデアンドレ・ジョーダンの獲得を目指し、仮合意にこぎつけたものの、契約交渉猶予期間終了後にジョーダンはクリッパーズと再契約するという事態に陥る。戦力補強に遅れを取ったマーベリックスは、ザザ・パチュリア、デロン・ウィリアムス、ウェズリー・マシューズなどを獲得し、2015-16シーズンに挑んだものの、蓋を開けて見れば勝率5割前後を往復する苦しいシーズンとなった。プレーオフ不出場も危惧されたが、2016年4月11日の同じく出場枠を争っていたユタ・ジャズ戦に勝利し、シーズン81試合目で漸くプレーオフ進出を決めたものの、1stラウンドでオクラホマシティ・サンダーに1勝4敗で一蹴された。
- 2016-2017シーズンはアンドリュー・ボーガット、ハリソン・バーンズ、セス・カリーなどを獲得し、体勢の立て直しを図ったものの、ノヴィツキーが負傷続きで不調に陥り開幕5連敗でスタート。以降も波に乗れず、リーグ下位に低迷するなど、苦しいシーズンとなっていた。ところが、2017年に入りカリーの先発起用が的中、更に10日間契約で加入したヨギ・フェレルの大ブレイクで、可能性が開けてきた。トレード期限日にはナーレンズ・ノエルを獲得するなど巻き返しを図るも、結局は開幕ダッシュの失敗を取り戻すまで至らず、1999-2000シーズン以来の勝率5割以下と2013年以来のプレーオフ不出場が決定した。
シーズンごとの成績
Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率
シーズン | 勝 | 敗 | % | プレーオフ | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
ダラス・マーベリックス | |||||
1980–81 | 15 | 67 | .183 | ||
1981–82 | 28 | 54 | .341 | ||
1982–83 | 38 | 44 | .463 | ||
1983–84 | 43 | 39 | .524 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
マーベリックス 3, ソニックス 2 ジャズ 4, マーベリックス 1 |
1984–85 | 44 | 38 | .537 | 1回戦敗退 | ブレイザーズ 3, マーベリックス 1 |
1985–86 | 44 | 38 | .537 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
マーベリックス 3, ジャズ 1 レイカーズ 4, マーベリックス 2 |
1986–87 | 55 | 27 | .671 | 1回戦敗退 | ソニックス 3, マーベリックス 1 |
1987–88 | 53 | 29 | .646 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退 |
マーベリックス 3, ロケッツ 1 マーベリックス 4, ナゲッツ 2 レイカーズ 4, マーベリックス 3 |
1988–89 | 38 | 44 | .463 | ||
1989–90 | 47 | 35 | .573 | 1回戦敗退 | ブレイザーズ 3, マーベリックス 0 |
1990–91 | 28 | 54 | .341 | ||
1991–92 | 22 | 60 | .268 | ||
1992–93 | 11 | 71 | .134 | ||
1993–94 | 13 | 69 | .159 | ||
1994–95 | 36 | 46 | .439 | ||
1995–96 | 26 | 56 | .317 | ||
1996–97 | 24 | 58 | .293 | ||
1997–98 | 20 | 62 | .244 | ||
1998–99 | 19 | 31 | .380 | ||
1999–2000 | 40 | 42 | .488 | ||
2000–01 | 53 | 29 | .646 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
マーベリックス 3, ジャズ 2 スパーズ 4, マーベリックス 1 |
2001–02 | 57 | 25 | .695 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
マーベリックス 3, ウルブズ 0 キングス 4, マーベリックス 1 |
2002–03 | 60 | 22 | .732 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退 |
マーベリックス 4, ブレイザーズ 3 マーベリックス 4, キングス 3 スパーズ 4, マーベリックス 2 |
2003–04 | 52 | 30 | .634 | 1回戦敗退 | キングス 4, マーベリックス 1 |
2004–05 | 58 | 24 | .707 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
マーベリックス 4, ロケッツ 3 サンズ 4, マーベリックス 2 |
2005–06 | 60 | 22 | .732 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
マーベリックス 4, グリズリーズ 0 マーベリックス 4, スパーズ 3 マーベリックス 4, サンズ 2 ヒート 4, マーベリックス 2 |
2006–07 | 67 | 15 | .817 | 1回戦敗退 | ウォリアーズ 4, マーベリックス 2 |
2007–08 | 51 | 31 | .622 | 1回戦敗退 | ホーネッツ 4, マーベリックス 1 |
2008–09 | 50 | 32 | .610 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
マーベリックス 4, スパーズ 1 ナゲッツ 4, マーベリックス 1 |
2009–10 | 55 | 27 | .671 | 1回戦敗退 | スパーズ 4, マーベリックス 2 |
2010–11 | 57 | 25 | .695 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル優勝 |
マーベリックス 4, ブレイザーズ 2 マーベリックス 4, レイカーズ 0 マーベリックス 4, サンダー 1 マーベリックス 4, ヒート2 |
2011–12 | 36 | 30 | .545 | 1回戦敗退 | サンダー 4, マーベリックス 0 |
2012–13 | 41 | 41 | .500 | ||
2013–14 | 49 | 33 | .598 | 1回戦敗退 | スパーズ 4, マーベリックス 3 |
2014–15 | 50 | 32 | .610 | 1回戦敗退 | ヒューストン・ロケッツ 4, マーベリックス 1 |
2015–16 | 42 | 40 | .512 | 1回戦敗退 | サンダー 4, マーベリックス 1 |
2016–17 | 33 | 49 | .402 | ||
通算勝敗 | 1,515 | 1,471 | .507 | ||
プレイオフ | 91 | 105 | .464 |
主な選手
現役選手
プレーヤー | スタッフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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記号説明 外部リンク 更新日:2017年08月28日 |
年代別主要選手
太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人
栄誉
殿堂入り
|
永久欠番
|
コーチ、その他
歴代ヘッドコーチ
- ディック・モッタ (Dick Motta) (1980-81/1986-87)
- ジョン・マクリード (John MacLeod) (1987-88/1989-90)
- リッチー・アデュベイト (Richie Adubato) (1989-90/1992-93)
- ガー・ハード (Gar Heard) (1992-93)
- クイン・バックナー (Quinn Buckner) (1993-94)
- ディック・モッタ (Dick Motta) (1996-97/1997-98)
- ジム・クリーモンス (Jim Cleamons) (1996-97/1997-98)
- ドン・ネルソン (Don Nelson) (1997-98/2004-05)
- エイブリー・ジョンソン (Avery Johnson) (2004-05/2007-08)
- リック・カーライル (Rick Carlisle) (2008-09/)
チーム記録
脚注
外部リンク
チーム名 | オーナー | GM | ヘッドコーチ | ホームコート |
---|---|---|---|---|
ダラス・マーベリックス | パトリック・デュモン | ニコ・ハリソン | ジェイソン・キッド | アメリカン・エアラインズ・センター |
ヒューストン・ロケッツ | ティルマン・フェティータ | ラファエル・ストーン | イーメイ・ウドカ | トヨタセンター |
メンフィス・グリズリーズ | ロバート・ペラ | ザック・クレイマン | テイラー・ジェンキンス | フェデックス・フォーラム |
ニューオーリンズ・ペリカンズ | ガイル・ベンソン | ブライソン・グラハム | ウィリー・グリーン | スムージー・キング・センター |
サンアントニオ・スパーズ | ピーター・ホルト | ブライアン・ライト | グレッグ・ポポビッチ | フロスト・バンク・センター |