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「キダ・タロー」の版間の差分

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'''キダ・タロー'''(本名:'''木田 太良'''(きだ たろう)、[[1930年]][[12月6日]] - )は、[[日本]]の[[作曲家]]、[[タレント]]、[[ラジオパーソナリティ]]。元[[財団法人]][[箕面市]]文化振興事業団[[理事]]。所属[[芸能事務所|事務所]]は[[昭和プロダクション]]。
'''キダ・タロー'''(本名:'''木田 太良'''(きだ たろう)<ref name = zakzak />、[[1930年]][[12月6日]] - )は、[[日本]]の[[作曲家]]、[[ピアニスト]]、[[タレント]]、[[ラジオパーソナリティ]]。元[[財団法人]][[箕面市]]文化振興事業団[[理事]]。所属[[芸能事務所|事務所]]は[[昭和プロダクション]]。


[[兵庫県]][[宝塚市]]出身。五男1女の末っ子。趣味は[[ゴルフ]]。タレントの[[木田美千代]]は夫人。上記の活動の他、[[実業家]]としても活躍。[[大阪府]][[箕面市]]在住
[[兵庫県]][[宝塚市]]出生・出身<ref name = honma /><ref name = profile />。五男1女の末っ子<ref name = profile />。趣味は[[ゴルフ]]<ref name = wifeprof />。タレントの[[木田美千代]]は夫人<ref name = wifeprof />。上記の活動の他、[[実業家]]としても活躍。

数多くの放送番組のテーマ曲・[[コマーシャルソング|CM曲]]・企業の[[社歌]]、学校の[[校歌]]、歌謡曲を作曲し<ref name = honma />、「'''浪花の[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]'''」の二つ名を持つ。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
1930年12月6日、兵庫県宝塚市において、五男一女の末っ子として産まれる。父親は刑事<ref group = *>[[松田優作]]似であったとのこと。『探偵!ナイトスクープ』で1990年にキダが語ったところによれば、「女装して張り込みができる」ほどの美形で、「宝塚の玉三郎」と言われ近所でも評判だったと言うが、その写真は空襲で焼けてしまったといい、番組内ではその容姿は確認できなかった(なお母親の写真は残っており、その容姿が放送されている)。キダによれば、兄弟の中でキダが一番父親似であると言うが、ジョークであるのか事実であるのかは不明。</ref><ref name = knight3 /><ref name = profile /><ref name = honma />。両親の希望により、通学圏内で一番「上品」だった中学校、[[関西学院中学部]]に進学<ref name = kg /><ref name = honma />。
[[関西学院高等部]]在学中の16歳の時、兄の[[アコーディオン]]に触れ音楽に目覚める。高校3年で[[タンゴ]]バンドを結成(担当は[[アコーディオン]])する。プロ[[ピアニスト]]に転向後、[[作曲]]活動を開始。バンドメンバーには大学時代の[[同級生]]でもある[[藤岡琢也]](担当は[[ヴァイオリン|バイオリン]])がいた。同じ舞台で活動していた[[かしまし娘]]からは「タローちゃん」と呼称されている。[[高島忠夫]]も大学時代の同級生。[[関西学院大学]][[社会学部]]を3日で中退。2006年に藤岡が亡くなった際は悲しいとコメントをしていた。


[[関西学院高等部]]在学中の16歳の時、[[肺結核]]により早世した長兄の遺品である[[アコーディオン]]に触れ、また下から2番目の兄がレコード好きだったため、音楽に目覚める<ref name = pro /><ref name = agawa /><ref name = knight3 /><ref name = honma />。
数多くの放送番組のテーマ曲・[[コマーシャルソング|CM曲]]・企業[[社歌]]を手掛けたことから(2000曲以上とされる<ref>[http://next.rikunabi.com/proron/0914/proron_0914.html キダ・タローさん-プロ論。] リクナビNEXT</ref>)、通称「'''浪花の[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]'''」と呼ばれる。彼が手掛ける曲は、特に近畿の人にとっては耳に残るメロディであるようで、一時期は近畿の放送局が制作を手掛ける[[テレビ番組]]・[[ラジオ番組]]のテーマ曲のほとんどをキダ作品が独占するまでになった。


高等部3年生の時に<ref name = knight3 />5-6人の[[タンゴ]]バンドを結成し、[[アコーディオン]]を担当<ref name = zakzak /><ref name = kg />。当時関西学院大学では自宅での[[ダンスパーティー]]が流行しており、レパートリーが3曲しか無いにもかかわらず、キダらのバンドもよく駆り出されていた<ref name = kg /><ref name = agawa />。バンドメンバーには大学時代の[[同級生]](キダによれば「悪友」)<ref name = honma />でもある俳優の[[藤岡琢也]](担当は[[ヴァイオリン|バイオリン]])がいた<ref name = agawa />{{refnest|group = *|藤岡はその後俳優を志しバンドを脱退。30歳前ごろに関西NETテレビ(現在のテレビ朝日)によるモーニングショー番組の「ご対面」コーナーで共演することになる時まで、キダは俳優・藤岡琢也が同級生の藤岡茂とは知らなかったという<ref name = kg/><ref name = agawa />。}}。
近畿地区での業績が知られるところであるが、[[小山ゆうえんち]]、三原本店([[仙台市]]、時計宝飾店)、[[マツオ]]([[北海道]][[滝川市]]、[[松尾ジンギスカン]])など他地区からの仕事も少数ながら行っている。

だがバンドの他、部を結成するほど[[ハンドボール]]にものめりこんでいたため勉学が疎かとなり、関西学院大学の入学試験に合格できず(キダの時代には、試験に通らなければ進学できなかったとのこと)、1年間の浪人生活を送ることとなった<ref name = kg />。

18歳時、[[ピアノ]]に転向<ref name = agawa />。兄の遺品だったアコーディオンはボタンが8個しかないいわばおもちゃのようなもので、友人から借り受けたりしながら演奏を続けていたが、そのような環境下では練習もまともに行えないなど限界があった<ref name = agawa /><ref name = kg />。ところが本格的なアコーディオンを購入するとなると当時の価格で40万円にもなり、キダに手が届くものではなかった<ref name = pro /><ref name = kg />。だが、同じ鍵盤楽器の<ref name = kg />ピアノであれば、自身が所有していなくとも練習が可能だという理由で、ピアノに転向することになった。阿川佐和子との対談および関西学院同窓会東日本センター東京支部のインタビューでは、当時通学していた関西学院大学構内の各所にあるピアノで練習を行うことができたと<ref name = agawa />、『プロ論』でのインタビューではダンスホールに常設されていた<ref name = pro />、と語っている。

キダが初めて作曲したのは、18歳<ref name = pro />または19歳<ref name = agawa /><ref name = knight3 />の頃で、当時[[難波]]にあったキャバレー「パラマウント」の曲<ref name = agawa /><ref name = pro />。その唄を歌ったのは、当時のNo.1ホステスだった「双葉」さん(後の[[かしまし娘]]の[[正司歌江]])だった<ref group = *>ただし正司自身は、あまり売れていなかったと語っている。また、キャバレーに出入りしていたバンドマンの中にキダが居た記憶はないとのことである。</ref><ref name = knight3 /><ref name = agawa />。

関西学院大学を中退し、プロピアニストに転向<ref name = agawa />。20代の前半頃から「義則忠夫とキャスバオーケストラ」のピアニストとしてキャバレーなどで10年間活動<ref name = agawa /><ref name = kg />。

1964年4月、結婚<ref name = knight3 />、同年、『ふるさとのはなしをしよう』(歌は[[北原謙二]])でレコードデビュー。

本格的に作曲活動を開始したのは20代前半または23-24歳の頃で、キャスバオーケストラでも作曲を担当するようになった<ref name = kg /><ref name = zakzak />。30歳頃を境にに人気作曲家となる。

一時期は近畿の放送局が制作を手掛ける[[テレビ番組]]・[[ラジオ番組]]のテーマ曲の多くを手がけ、資料によっては「総ナメ」とも言われる<ref name = zakzak />。キダによれば、音楽の用意を忘れていたらキダの所へいけ、キダならすぐに対応するだろう、と言う状況であったとのことである<ref name = zakzak />。

キダ本人によれば代表曲はテレビ番組に提供したものについては、『[[プロポーズ大作戦]]』、『[[ラブアタック]]』<ref name = pro />、『[[古寺巡礼]]』(本人によればキダらしくない楽曲であるという)など<ref name = honma />。[[CMソング]]については『プロ論。』によれば、『[[出前一丁]]』『[[かに道楽]]』<ref name = pro />、zakzakによれば『[[兵衛向陽閣]]』、関東の『[[小山ゆうえんち]]』<ref name = zakzak />。本人によれば、初期の作品では『[[エールック]]』のものが印象に残っているとのことである<ref name = zakzak />。その他歌謡曲として『ふるさとのはなしをしよう』を代表曲としている<ref name = honma />。

近畿地区での業績が知られるところであるが、前述の『小山ゆうえんち』の他、三原本店([[仙台市]]、時計宝飾店)、[[マツオ]]([[北海道]][[滝川市]]、[[松尾ジンギスカン]])など他地区からの仕事も行っている。

=== 作り上げた曲数 ===
作り上げた曲は1000曲以上とも2000曲とも<ref name = pro />、3000曲とも5000曲とも言われるが<ref name = agawa />、本人によれば、そんなものは裏が取れる話ではなく、私の言いたい放題ですとのこと<ref name = agawa />。2009年のインタビューでは、最近は5000曲と自称していると語る<ref name = pro />。なお1990年の『探偵!ナイトスクープ』出演時には1000曲くらいとしており、日本で一流の作曲家と言われるには2000曲は必要、今から2000曲に達するのは無理であろうと語っていた<ref name = knight3 />。

== 人物 ==
少年期の通信簿によれば、音楽の成績はよかったものの教師の評価は「道楽者」。元同級生の藤岡琢也によれば、愛想がなくて皮肉っぽいことを言うイヤな奴だが、センスは感じていたとの評である<ref group = *>『探偵!ナイトスクープ』内で藤岡が語った所によれば、アコーディオンのボタンのレプリカを製作しそれを取り付け、さも高級なアコーディオンであるかの様に見せると言うええかっこしいの一面もあったという。</ref><ref name = knight3 />。

人気作曲家となった経緯について、『プロ論。』でのインタビューによれば、朝日放送(現在の[[TBSラジオ]])に歌番組の伴奏のために出入りしていた際、「CMスポットコンクール」と言う企画でCMとスポンサーを募集したのだが、その際に依頼が来るたびに担当プロデューサーがキダに依頼を回してくれたとしている<ref name = pro />。阿川佐和子との対談では、単にプロデューサーの顔が広かったから、としている<ref name = agawa />。

またキダはバンドで編曲を担当していたこと、ピアノと言う音域の広い楽器を演奏していたため全体の流れを見回せていたなどと言ったことから、編曲については相当な経験があった<ref name = kg /><ref name = pro />。そしてキダによれば、当時は分業制が確立しておらず、作曲家には編曲能力も要求されており、編曲者としての能力もあるキダに多く仕事が回ってきたとのことである<ref name = pro />。

作曲やその数の多さについては、メロディーだけなら猫でも作れるとし<ref name = agawa />、世の中には無数の曲があり、多少似ていても構わない、少し変えて展開していけばなんとでもなる、一部の曲は使い回しだ、と語ってる<ref name = agawa /><ref name = knight3 />。ただしCMソングについては、歌詞があることや商品名を印象付けなければならないこと、および楽曲の時間の制限が厳しいことから(CMの終わりに入る場合、目安としては3.8秒の曲に仕上げねばならないという)なかなか困難であり、それに比してテレビ番組のオープニング曲などは歌詞も無く、制約も少ないので楽であるという<ref name = knight3 /><ref name = agawa />。基本的に詩があるとかなり「しんどく」なると言うが、テレビ番組『[[生活笑百科]]』に提供した楽曲では、依頼されてもいないのに歌詞を付けた曲に仕上げたものを録音し、その結果歌詞がそのまま採用されてしまった、と言うエピソードがある<ref name = agawa />。

作品数の多さについては、「一週間で出来るだけ曲を多く作ってくれ」とのリクエストなどもあり<ref name = agawa />、資料により異なるが、「一日40曲を一週間くらい」<ref name = agawa />または一日6曲<ref name = pro /><ref name = zakzak />書いていた時期があったとのこと。

[[五木ひろし]]、[[八代亜紀]]、[[天童よしみ]]、[[やしきたかじん]]、[[つんく♂]]などを、冗談交じりながら「俺が育てた」と語っている<ref name = zakzak />。やしきたかじんについては中之島音楽祭時の審査員として関わり<ref name = zakzak />、つんく♂については、素人時代に「浪花のベートーベン」と呼ばれていた彼の演奏を実際に見に行ったところキダもそれを気に入り、声をかけたとのことである<ref name = zakzak />。

また関西のテレビ番組、『[[探偵!ナイトスクープ]]』にはタレントとして出演し、「最高顧問」とされているが、これは自称したものが定着したもの<ref name = agawa />。[[お笑いタレント]]・[[政治家]]である[[横山ノック]]も同番組の顧問であったが、彼は彼で「特別顧問」を名乗っていたという<ref name = agawa />。
<!--
ちなみに「ヅラ」については桂小枝が落語風にヅラの目撃情報を語ったことがありますが、あくまでネタですので・・・。-->


== 浪花のモーツァルト ==
== 浪花のモーツァルト ==
キダは「浪花の[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]」の異名を持つ。
キダは「浪花の[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]」の異名を持つ。この異名はキダが1989年8月から出演している<ref name = matsumoto2005_183 />関西の朝日放送のテレビ番組、『[[探偵!ナイトスクープ]]』が発祥であるという

[[松本修 (プロデューサー)|松本修]]によれば、「キダ先生は、なぜ『先生』と呼ばれるのか?」を調べてくれ、と言う視聴者からの疑問を解決する企画内において(1990年2月7日放送)<ref name = matsumoto2005_118 /><ref name = knight3 />、キダについて様々な考察を行ったが、キダの作曲した「ラブアタック!」と言うテレビ番組用の楽曲、「早食い競争」の曲が、モーツァルトのある曲と綺麗に繋げて歌えたことから、キダはモーツァルトと同じ感性を持っている、キダは浪花のモーツァルトだ!……と言う結論が番組で流れることになり、それが世間に定着していったという<ref name = matsumoto /><ref name = knight3 />。すなわちナイトスクープと松本修が、この異名の命名者であるようだ<ref name = zakzak /><ref name = *>なおディレクターは小山青志。</ref><ref name = matsumoto2005_118 />。


「浪花のモーツァルト キダ・タロー」という表現には続きがある。、「浪花のモーツァル キダ・タロ。し、もしモーツァルトより先に生まれていたならば、モーツァルトが『[[ウィーン]]のキダ・タロー』と呼ばれていたことだろう」と続くという<ref>ただし、モーツァルトはウィーン出身ではなく当時はオーストリアの域外であった[[ザルツブルク]]出身であり、ウィーン在住は最後の十年間にすぎない</ref>。
「浪花のモーツァルト キダ・タロー」という表現には続きがある。これはあまで『探偵!ナイスクプ』内で松本修が語っていたものであるが、感性が似ているのであるもしキダ200年早く産まれていば、今頃はモーツァルトの方が『[[ウィーン]]のキダ・タロー』と呼ばれていただろう」との主旨である<ref group = *>ただし、モーツァルトはウィーン出身ではなく当時はオーストリアの域外であった[[ザルツブルク]]出身であり、ウィーン在住は最後の十年間にすぎない</ref><ref group = *>『探偵!ナイトスクープ』は日本の関西地方で製作されているバラエティ番組であり、お笑いやコントの要素も多く含まれている点に留意されたい。なおこの企画のリポーター役を担当した[[シンガーソングライター]]、[[嘉門達夫]]は、音楽的にキダ・タローの影響を大きく受けていると言う。<!-- 他にも色々なミュージシャンについて「影響を受けている」とされていましたが、まあ、実際に出演している嘉門氏以外については触れない方がよろしいのではないかと、判断しました・・・。--></ref>。


だが、キダによれば、松本がモーツァルトが好きなだけで、キダがモーツァルトの魂を持っているなどは勝手な思い込みであると断じつつ、キダ自身はメロディーのどこをとっても完璧と考える[[フレデリック・ショパン|ショパン]]の大ファンであり、少しでもショパンに近づきたいとしている<ref name = zakzak />。
過去の作曲家になぞらえた異名を取った作曲家が、本人も音楽史に大きな名を刻んだ例としては、“ナポリのモーツァルト”こと[[ジョアキーノ・ロッシーニ|ロッシーニ]]、“シャンゼリゼのモーツァルト”こと[[ジャック・オッフェンバック|オッフェンバック]]、“ソビエトのモーツァルト”こと[[ドミトリー・ショスタコーヴィチ|ショスタコーヴィチ]]などが有名で、奇しくもすべてモーツァルトである。


== 作品 ==
== 作品 ==
=== アルバム ===
=== アルバム ===
* 浪花のモーツァルト キダ・タローのすべて(サウンドトラック・リスナーズ・コミュニケーションズ(SLC)、1992年11月21日、SLCS-5002・5003、廃盤) - キダ・タローの作品がまとまった形で残されていないことに対して危惧を抱いたSLCの和田康宏、川合由里子によって制作された。しかし和田の死後SLCは解散、同盤も廃盤となってしまった。権利関係があまりに複雑なために復刻は難しいとされた。
* 浪花のモーツァルト キダ・タローのすべて(サウンドトラック・リスナーズ・コミュニケーションズ(SLC)、1992年11月21日、SLCS-5002・5003、廃盤) - キダ・タローの作品がまとまった形で残されていないことに対して危惧を抱いたSLCの和田康宏、川合由里子によって制作された。しかし和田の死後SLCは解散、同盤も廃盤となってしまった。権利関係があまりに複雑なために復刻は難しいとされた。
* キダ・タローのほんまにすべて([[アップフロントワークス]]、2010年12月1日、PKCP-2064〜2066) - 前述のアルバムを叩き台として、数十年ぶりに発掘された幻の音源や初CD化となる楽曲を加えたアルバム。
* キダ・タローのほんまにすべて([[アップフロントワークス]]、2010年12月1日、PKCP-2064〜2066) - 前述のアルバムを叩き台として、数十年ぶりに発掘された幻の音源や初CD化となる楽曲を加えたアルバム。CD3枚組みとなっており、100曲 + ボーナストラック1曲を収録<ref name = tower_20101109 />


★印の付いた曲は「浪花のモーツァルト キダ・タローのすべて」(以下『キダ・タローのすべて』)に収録されている。☆印の付いた曲は「キダ・タローのほんまにすべて」で収録されている。
★印の付いた曲は「浪花のモーツァルト キダ・タローのすべて」(以下『キダ・タローのすべて』)に収録されている。☆印の付いた曲は「キダ・タローのほんまにすべて」で収録されている。
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=== 歌謡曲 ===
=== 歌謡曲 ===
* ★「ふるさとのはなしをしよう」(歌:[[北原謙二]]、後に[[山本譲二]]がカヴァー ☆)
* ★「ふるさとのはなしをしよう」(歌:[[北原謙二]]、後に[[山本譲二]]がカヴァー ☆)
* ★「[[アホの坂田]]」(歌:[[コメディNo.1]]) - メキシカンハットダンスのオマージュ。
* ★「[[アホの坂田]]」(歌:[[コメディNo.1]]) - メキシカンハットダンスのオマージュ<ref name = honma />
* ★「地底のランナー」([[大阪市営地下鉄]]開通50周年記念 作詞:島田陽子、歌:[[芹洋子]])
* ★「地底のランナー」([[大阪市営地下鉄]]開通50周年記念 作詞:島田陽子、歌:[[芹洋子]])
* ★「ああ尼崎市民家族」(歌:[[デューク・エイセス]]) - [[兵庫県]][[尼崎市]]の市政70周年記念歌。[[エフエムあまがさき|FMaiai]]で月 - 金曜の正午前に流れている<ref>[http://www.fmaiai.com/program-tt/ FMaiaiプログラム]</ref>。2016年に廃止された[[尼崎市交通局|尼崎市営バス]]の車内放送でも流れていた<ref>[http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/bus/new/kinenshi/ 尼崎市交通局 記念誌]P.34、キダ・タローインタビュー 2016年3月 尼崎市</ref>。
* ★「ああ尼崎市民家族」(歌:[[デューク・エイセス]]) - [[兵庫県]][[尼崎市]]の市政70周年記念歌。[[エフエムあまがさき|FMaiai]]で月 - 金曜の正午前に流れている<ref>[http://www.fmaiai.com/program-tt/ FMaiaiプログラム]</ref>。2016年に廃止された[[尼崎市交通局|尼崎市営バス]]の車内放送でも流れていた<ref>[http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/bus/new/kinenshi/ 尼崎市交通局 記念誌]P.34、キダ・タローインタビュー 2016年3月 尼崎市</ref>。
* ★「人生わらべ唄」(歌:[[藤岡琢也]])
* ★「人生わらべ唄」(歌:[[藤岡琢也]])
* ☆「[[京阪特急 (曲)#はじまりは中之島|はじまりは中之島]]」([[京阪中之島線]]オープニングテーマ、作詞:池田定博、歌:[[神農幸]])
* ☆「[[京阪特急 (曲)#はじまりは中之島|はじまりは中之島]]」([[京阪中之島線]]オープニングテーマ、作詞:池田定博、歌:[[神農幸]])
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* ★[[ラブアタック!]](朝日放送テレビ)
* ★[[ラブアタック!]](朝日放送テレビ)
* ★[[笑って笑って30分!]](朝日放送テレビ) - 『キダ・タローのすべて』には「[[笑福亭仁鶴 (3代目)|仁鶴]]編」「[[コメディNo.1]]編」「[[正司敏江・玲児|敏江・玲児]]編」を収録。
* ★[[笑って笑って30分!]](朝日放送テレビ) - 『キダ・タローのすべて』には「[[笑福亭仁鶴 (3代目)|仁鶴]]編」「[[コメディNo.1]]編」「[[正司敏江・玲児|敏江・玲児]]編」を収録。
* ★[[ヒラメキ大作戦]](朝日放送テレビ)
* ★[[ABCヤングリクエスト]](朝日放送ラジオ)
* ★[[ABCヤングリクエスト]](朝日放送ラジオ)
* ★[[トナリnoとなり]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]])
* ★[[トナリnoとなり]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]])
* ★[[ノンストップゲーム]](関西テレビ)
* ★[[ノンストップゲーム]](関西テレビ)
* ★[[花の新婚!カンピューター作戦]](関西テレビ)
* ★[[花の新婚!カンピューター作戦]](関西テレビ)
* ★[[全日本歌謡選手権]]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]) 
* ★[[全日本歌謡選手権]]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])
** 『キダ・タローのすべて』にはテーマ曲が毎回生演奏されていた為、テーマ曲を録音したマスターテープが存在せず放送を保存してある[[VTR]]から収録されている。
** 『キダ・タローのすべて』にはテーマ曲が毎回生演奏されていた為、テーマ曲を録音したマスターテープが存在せず放送を保存してある[[VTR]]から収録されている。
* ☆[[帰ってきた歌謡曲]](読売テレビ)
* ☆[[帰ってきた歌謡曲]](読売テレビ)
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* ☆[[仁鶴・きよしのただいま恋愛中|ただいま恋愛中]](朝日放送テレビ)
* ☆[[仁鶴・きよしのただいま恋愛中|ただいま恋愛中]](朝日放送テレビ)
* [[アタック630]](関西テレビ) - 『キダ・タローのすべて』の楽曲解説のブックレットの音源不在で未収録になった楽曲一覧において紹介されている。
* [[アタック630]](関西テレビ) - 『キダ・タローのすべて』の楽曲解説のブックレットの音源不在で未収録になった楽曲一覧において紹介されている。
* [[福島のぶひろの、どうぞお構いなく。]]([[MBSラジオ]])


=== 映画音楽 ===
=== 映画音楽 ===
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* [[淡路フェリーボート]](1998年4月廃止)
* [[淡路フェリーボート]](1998年4月廃止)
* ★いづもや(歌:[[デューク・エイセス]])
* ★いづもや(歌:[[デューク・エイセス]])
* ☆イヨクマン(旧家庭教師のカテキヨ)(作詞・作曲 歌:[[きんた・ミーノ]])
* ☆イヨクマン(旧家庭教師のカテキヨ)(作詞・作曲 歌:[[きんた・ミーノ]])
* ☆[[小山ゆうえんち]]([[栃木県]][[小山市]]、2005年3月閉園) - 作詞:[[伊藤アキラ]]。
* ☆[[小山ゆうえんち]]([[栃木県]][[小山市]]、2005年3月閉園) - 作詞:[[伊藤アキラ]]。
* 家庭教師のカテキヨ(作詞・作曲)
* 家庭教師のカテキヨ(作詞・作曲)
* ★[[かに道楽]]・★えび道楽・★いけす道楽(JRIグループ 歌:[[デューク・エイセス]])
* ★[[かに道楽]]・★えび道楽・★いけす道楽(JRIグループ 歌:[[デューク・エイセス]])
* ★[[くいだおれ]](歌:ボニージャックス(ミナミへ行こう))
* ★[[くいだおれ]](歌:ボニージャックス(ミナミへ行こう))
* ★[[蓬莱 (飲食店)|551蓬莱]](歌・天地総子)
* ★[[蓬莱 (飲食店)|551蓬莱]](歌・天地総子)
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* ★[[千房]] - 『キダ・タローのすべて』には「焼き焼きシャンソン」「私食べごろよ」を収録
* ★[[千房]] - 『キダ・タローのすべて』には「焼き焼きシャンソン」「私食べごろよ」を収録
* ★[[チキンラーメン]]([[日清食品]])
* ★[[チキンラーメン]]([[日清食品]])
* ★[[出前一丁]](日清食品) - 1980年代初頭に[[大瀧詠一]]が「多羅尾伴内」名義でキダ作曲部分の前に新たに曲を付けてカバーする。新たな部分の作詞は[[伊藤アキラ]]が担当した。『[[NIAGARA CM SPECIAL]]』に収録されている。
* ★[[出前一丁]](日清食品) - 1980年代初頭に[[大瀧詠一]]が「多羅尾伴内」名義でキダ作曲部分の前に新たに曲を付けてカバーする。新たな部分の作詞は[[伊藤アキラ]]が担当した。『[[NIAGARA CM SPECIAL]]』に収録されている。なおキダに作曲の依頼が来たときには歌詞もなく、歌手と商品名だけの状態であり非常に苦労したが、商品名の前に「あーらよ」を付けることで印象的なフレーズになったと言う<ref name = knight3 />
* ★[[日清焼そば]](日清食品) - 『キダ・タローのすべて』には「[[登山]]編」「[[サイクリング]]編」「[[グライダー]]編」「[[いかだ]]編」を収録。
* ★[[日清焼そば]](日清食品) - 『キダ・タローのすべて』には「[[登山]]編」「[[サイクリング]]編」「[[グライダー]]編」「[[いかだ]]編」を収録。
* ★[[日本海味噌醤油|日本海みそ]](作詞:石井学、歌:[[野呂ひとみ]])
* ★[[日本海味噌醤油|日本海みそ]](作詞:石井学、歌:[[野呂ひとみ]])
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* 浜村・キダ&上岡だ([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]、1987年)
* 浜村・キダ&上岡だ([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]、1987年)
* [[ものまね紅白歌合戦]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])
* [[ものまね紅白歌合戦]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])
* [[西部警察 PART-III]]([[テレビ朝日]])
* [[西部警察 PART-III]]([[テレビ朝日]]) - ホテルから出てくる通行人として出演ただしノンクレジット。
* [[ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]([[MBSテレビ|毎日放送]])
* [[ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]([[MBSテレビ|毎日放送]])
* [[探偵!ナイトスクープ]]([[ABCテレビ|朝日放送]]) - 探偵局2代目最高顧問として出演。
* [[探偵!ナイトスクープ]]([[ABCテレビ|朝日放送]]) - 探偵局2代目最高顧問として出演。
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* [[最後の晩餐の企画一覧|最後の晩餐]]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])
* [[最後の晩餐の企画一覧|最後の晩餐]]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])
* [[ピロートーク〜ベッドの思惑〜]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]])
* [[ピロートーク〜ベッドの思惑〜]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]])
* [[AKBと××!]]([[読売テレビ]]) → 番組放送第1回目のゲストとして出演
* [[AKBと××!]]([[読売テレビ]]) → 番組放送第1回目のゲストとして出演
* [[桃色つるべ〜お次の方どうぞ〜]] → 視聴者代表の記者として[[笑福亭鶴瓶]]と[[ももいろクローバーZ]]へインタビュー(2015年2月10日の回)
* [[桃色つるべ〜お次の方どうぞ〜]] → 視聴者代表の記者として[[笑福亭鶴瓶]]と[[ももいろクローバーZ]]へインタビュー(2015年2月10日の回)


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* [[京阪電気鉄道]](2006年 - ) - 3代目[[おけいはん]]シリーズに「モーツァルト北浜」役で出演。
* [[京阪電気鉄道]](2006年 - ) - 3代目[[おけいはん]]シリーズに「モーツァルト北浜」役で出演。
* フェニックスプラザ摩耶(2008年) - [[モアイ]]像に扮して出演。
* フェニックスプラザ摩耶(2008年) - [[モアイ]]像に扮して出演。
* [[朝日新聞大阪本社]]「夕刊関西発100年」(2015年10月 - ) - 妻・美千代との共演。キダは、美千代が披露する替え歌「朝日の夕刊100周年」に合わせてピアノを演奏している。
* [[朝日新聞大阪本社]]「夕刊関西発100年」(2015年10月 - ) - 妻・美千代との共演。キダは、美千代が披露する替え歌「朝日の夕刊100周年」に合わせてピアノを演奏している。


=== PV ===
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== エピソード ==
== エピソード ==
* 媒体出演時ではメガネ着用が常であるが過去に[[レーシック|レーシック手術]]を行なっており近年では伊達眼鏡の着用となっている。絶版アルバムの復刻版アルバムではレンズの無いメガネの上からアッカンベーをしているジャケ絵が使用されている。
* {{要出典範囲|媒体出演時ではメガネ着用が常であるが過去に[[レーシック|レーシック手術]]を行なっており近年では伊達眼鏡の着用となっている。絶版アルバムの復刻版アルバムではレンズの無いメガネの上からアッカンベーをしているジャケ絵が使用されている。|date=2017-6}}
* 番組テーマ曲やCMソングを多く手掛ける作曲家・[[たかしまあきひこ]]が、キダを「尊敬する作曲家の一人」と語っている。
* {{要出典範囲|番組テーマ曲やCMソングを多く手掛ける作曲家・[[たかしまあきひこ]]が、キダを「尊敬する作曲家の一人」と語っている。|date=2017-6}}
* 大の[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]ファンで知られる。
* {{要出典範囲|大の[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]ファンで知られる。|date=2017-6}}
* {{要出典範囲|曽祖父は[[新撰組]]の隊士。|date=2017-6}}
* プロのゴルファーからスイングのレッスンを受けた際、ヘッドがぶれるといわれ頭を抑えたままスイングさせられたが、なぜか同じようにぶれ続けたという。
* {{要出典範囲|2005年7月15日に[[大阪府立体育会館]]で開催された『[[ハッスル (プロレス)|ハッスル11]]』では、[[高田モンスター軍]]所属のご当地レスラーとして、キダをモチーフにした「KIDATA・ロー」が登場。キダと肩を組みながら登場した。|date=2017-6}}
*曽祖父は[[新撰組]]の隊士。
* {{要出典範囲|関西でのテーマ曲担当番組数を誇るキダだが、かの『[[ノックは無用!]]』は他者([[高橋城]])に譲っていて、このことは本人も無念であるとコメントしている。|date=2017-6}}
*父は宝塚一の敏腕[[刑事]]、近所でも評判の男前で「宝塚の玉三郎」と言われたが、その写真は空襲で焼けてしまったという<ref name="KnightScoop_1990-02-17" >『探偵!ナイトスクープ』1990年2月17日放送「浪花のモーツアルト、キダ・タロー」より</ref>。
* {{要出典範囲|自身が審査委員長を務めた第2回大阪大衆音楽祭で周りが反対する中、[[やしきたかじん]]にグランプリを与えたと後年テレビ番組で発言している。|date=2017-6}}
* キダが初めて作曲したのは、19歳の頃で、当時[[難波]]にあったキャバレー「パラマウント」の唄である。その唄を歌ったのは、当時のNo.1ホステスだった「双葉」さん(後の[[かしまし娘]]の[[正司歌江]])だった。
* {{要出典範囲|[[笑福亭鶴瓶]]とは悪友であり、共演した時は喧嘩をするやり取りを行っている。声をかけた[[笑福亭鶴瓶]]が返事をしないことに腹を立てて、ビルの3階からクリスタルの花瓶を投げつけたことがある(「[[桃色つるべ〜お次の方どうぞ〜]]」より)。|date=2017-6}}
* 2005年7月15日に[[大阪府立体育会館]]で開催された『[[ハッスル (プロレス)|ハッスル11]]』では、[[高田モンスター軍]]所属のご当地レスラーとして、キダをモチーフにした「KIDATA・ロー」が登場。キダと肩を組みながら登場した。
* {{要出典範囲|[[高島忠夫]]も大学時代の同級生。[[関西学院大学]][[社会学部]]を3日で中退。|date=2017-6}}{{要出典範囲|2006年に藤岡が亡くなった際は悲しいとコメントをしていた。|date=2017-6}}
* 関西でのテーマ曲担当番組数を誇るキダだが、かの『[[ノックは無用!]]』は他者([[高橋城]])に譲っていて、このことは本人も無念であるとコメントしている。
* 自身が審査委員長を務めた第2回大阪大衆音楽祭で周りが反対する中、[[やしきたかじん]]にグランプリを与えたと後年テレビ番組で発言している。
*[[笑福亭鶴瓶]]とは悪友であり、共演した時は喧嘩をするやり取りを行っている。声をかけた[[笑福亭鶴瓶]]が返事をしないことに腹を立てて、ビルの3階からクリスタルの花瓶を投げつけたことがある(「[[桃色つるべ〜お次の方どうぞ〜]]」より)。
*ハワイのアネラガーデンチャペルという結婚式場にキダタローそっくりの神父がいる。ここでは神田うのが結婚式をあげた。


== 受賞歴 ==
== 受賞歴 ==
* 第69回[[文化庁芸術祭]]大賞
* 第69回[[文化庁芸術祭]]大賞.


== 注 ==
== 注 ==
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== 出典 ==
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{{citation | url = http://www.showapro.com/entertainer/%E3%82%AD%E3%83%80%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%83%BC | title = キダ・タロー | 昭和プロダクション | publisher = 昭和プロダクション | archiveurl = http://web.archive.org/web/20160812004026/http://www.showapro.com/entertainer/%E3%82%AD%E3%83%80%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%83%BC | archivedate = 2016-8-12}}
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{{citation | url = http://www.showapro.com/entertainer/%E6%9C%A8%E7%94%B0-%E7%BE%8E%E5%8D%83%E4%BB%A3 | title = 木田 美千代 | 昭和プロダクション | publisher = 昭和プロダクション | archiveurl = http://web.archive.org/web/20160713024816/http://www.showapro.com/entertainer/%E6%9C%A8%E7%94%B0-%E7%BE%8E%E5%8D%83%E4%BB%A3 | archivedate = 2016-7-13}}
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{{citation | author = キダ・タロー | author2 = 中本裕己 | url = http://www.zakzak.co.jp/people/news/20101215/peo1012151538000-n1.htm | title = 【キダタロー】浪花のモーツァルト 大好きなのはショパン | publisher = zakzak | archiveurl = http://web.archive.org/web/20140411132436/http://www.zakzak.co.jp/people/news/20101215/peo1012151538000-n1.htm | archivedate = 2014-4-11 | date = 2010-12-15}}
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{{citation | author = [[阿川佐和子]] | year = 2015 | title = 「聞く力」文庫1 アガワ対談傑作選 | page = 291-307 | publisher = [[文藝春秋]] | series = [[文春文庫]]}} - [[週刊文春]]に連載された対談。キダの対談は2014年3月20日号に掲載された。
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{{citation | author = 関西楽員同窓会東日本センター東京支部 | author2 = キダ・タロー | url = http://www.kg-tokyo.com/people/013index.html | title = KG PEOPLE 013 キダ・タローさん | year = 2008 | archiveurl = http://web.archive.org/web/20160318215746/http://www.kg-tokyo.com/people/013index.html | archivedate = 2016-3-18 | publisher = 関西楽員同窓会東日本センター東京支部}}
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{{citation | title = 探偵!ナイトスクープDVD Vol.3 上岡局長クラシック~淡路島のパラダイス編 | publisher = ワーナー・ホーム・ビデオ | year = 2006 | capter = 浪花のモーツアルト}} - 1990年2月17日放送分、「浪花のモーツアルト」として収録。ちなみに局長は[[上岡龍太郎]]の時代で、上岡もキダを「先生」と呼んでいた。テロップによればキダはまだ最高顧問ではなくただの顧問である。調査を担当した「探偵」は[[嘉門達夫]]。同級生の藤岡拓也、キャバレー「パラマウント」で知り合った正司歌江も出演。なお『探偵!ナイトスクープ』はバラエティー番組であるため、一部ジョークやコントなども含まれている。
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{{citation | author = 松本 修 | title = 探偵!ナイトスクープ―アホの遺伝子 | year = 2005 | publisher = [[ポプラ社]] | p=183-184}}
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{{citation | publisher = タワーレコードオンライン | title = 〈浪花のモーツァルト〉キダ・タローのすべてが詰まった101曲入りCD登場 | url = http://tower.jp/article/news/2010/11/09/71736 | date = 2010/11/09 | archiveurl = http://web.archive.org/web/20170921112141/http://tower.jp/article/news/2010/11/09/71736 | archivedate = 2017/09/21}}
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}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.showapro.com/entertainer/キダ・タロー 昭和プロダクション|キダ・タロー](所属事務所のプロフィール)
* [http://www.showapro.com/entertainer/キダ・タロー 昭和プロダクション|キダ・タロー](所属事務所のプロフィール)
* [http://kidataro.com/ キダ・タロー 先生×家庭教師イヨクマン テーマソング]
* [http://kidataro.com/ キダ・タロー 先生×家庭教師イヨクマン テーマソング]
以下は、キダ・タローがCMソングの作曲を手掛けた企業。
:※以下は、キダ・タローがCMソングの作曲を手掛けた企業。
* [http://www.hyoe.co.jp/ 有馬温泉 兵衛向陽閣]
* [http://www.hyoe.co.jp/ 有馬温泉 兵衛向陽閣]
* [http://iyokuman.jp/ エキストラ派遣・エキストラ募集のイヨクマンプロダクション]
* [http://iyokuman.jp/ エキストラ派遣・エキストラ募集のイヨクマンプロダクション]
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2017年10月24日 (火) 13:21時点における版

キダ・タロー
出生名 木田 太良
(きだ たろう)
別名 浪花のモーツァルト
生誕 (1930-12-06) 1930年12月6日(93歳)
出身地 日本の旗 日本兵庫県宝塚市
学歴 関西学院中学部関西学院高等部卒業
関西学院大学社会学部中退
ジャンル CM音楽
現代音楽
職業 作曲家
タレント
ラジオパーソナリティ
担当楽器 指揮
ピアノ
アコーディオン
活動期間 1949年 -
事務所 昭和プロダクション

キダ・タロー(本名:木田 太良(きだ たろう)[1]1930年12月6日 - )は、日本作曲家ピアニストタレントラジオパーソナリティ。元財団法人箕面市文化振興事業団理事。所属事務所昭和プロダクション

兵庫県宝塚市出生・出身[2][3]。五男1女の末っ子[3]。趣味はゴルフ[4]。タレントの木田美千代は夫人[4]。上記の活動の他、実業家としても活躍。

数多くの放送番組のテーマ曲・CM曲・企業の社歌、学校の校歌、歌謡曲を作曲し[2]、「浪花のモーツァルト」の二つ名を持つ。

来歴

1930年12月6日、兵庫県宝塚市において、五男一女の末っ子として産まれる。父親は刑事[* 1][5][3][2]。両親の希望により、通学圏内で一番「上品」だった中学校、関西学院中学部に進学[6][2]

関西学院高等部在学中の16歳の時、肺結核により早世した長兄の遺品であるアコーディオンに触れ、また下から2番目の兄がレコード好きだったため、音楽に目覚める[7][8][5][2]

高等部3年生の時に[5]5-6人のタンゴバンドを結成し、アコーディオンを担当[1][6]。当時関西学院大学では自宅でのダンスパーティーが流行しており、レパートリーが3曲しか無いにもかかわらず、キダらのバンドもよく駆り出されていた[6][8]。バンドメンバーには大学時代の同級生(キダによれば「悪友」)[2]でもある俳優の藤岡琢也(担当はバイオリン)がいた[8][* 2]

だがバンドの他、部を結成するほどハンドボールにものめりこんでいたため勉学が疎かとなり、関西学院大学の入学試験に合格できず(キダの時代には、試験に通らなければ進学できなかったとのこと)、1年間の浪人生活を送ることとなった[6]

18歳時、ピアノに転向[8]。兄の遺品だったアコーディオンはボタンが8個しかないいわばおもちゃのようなもので、友人から借り受けたりしながら演奏を続けていたが、そのような環境下では練習もまともに行えないなど限界があった[8][6]。ところが本格的なアコーディオンを購入するとなると当時の価格で40万円にもなり、キダに手が届くものではなかった[7][6]。だが、同じ鍵盤楽器の[6]ピアノであれば、自身が所有していなくとも練習が可能だという理由で、ピアノに転向することになった。阿川佐和子との対談および関西学院同窓会東日本センター東京支部のインタビューでは、当時通学していた関西学院大学構内の各所にあるピアノで練習を行うことができたと[8]、『プロ論』でのインタビューではダンスホールに常設されていた[7]、と語っている。

キダが初めて作曲したのは、18歳[7]または19歳[8][5]の頃で、当時難波にあったキャバレー「パラマウント」の曲[8][7]。その唄を歌ったのは、当時のNo.1ホステスだった「双葉」さん(後のかしまし娘正司歌江)だった[* 3][5][8]

関西学院大学を中退し、プロピアニストに転向[8]。20代の前半頃から「義則忠夫とキャスバオーケストラ」のピアニストとしてキャバレーなどで10年間活動[8][6]

1964年4月、結婚[5]、同年、『ふるさとのはなしをしよう』(歌は北原謙二)でレコードデビュー。

本格的に作曲活動を開始したのは20代前半または23-24歳の頃で、キャスバオーケストラでも作曲を担当するようになった[6][1]。30歳頃を境にに人気作曲家となる。

一時期は近畿の放送局が制作を手掛けるテレビ番組ラジオ番組のテーマ曲の多くを手がけ、資料によっては「総ナメ」とも言われる[1]。キダによれば、音楽の用意を忘れていたらキダの所へいけ、キダならすぐに対応するだろう、と言う状況であったとのことである[1]

キダ本人によれば代表曲はテレビ番組に提供したものについては、『プロポーズ大作戦』、『ラブアタック[7]、『古寺巡礼』(本人によればキダらしくない楽曲であるという)など[2]CMソングについては『プロ論。』によれば、『出前一丁』『かに道楽[7]、zakzakによれば『兵衛向陽閣』、関東の『小山ゆうえんち[1]。本人によれば、初期の作品では『エールック』のものが印象に残っているとのことである[1]。その他歌謡曲として『ふるさとのはなしをしよう』を代表曲としている[2]

近畿地区での業績が知られるところであるが、前述の『小山ゆうえんち』の他、三原本店(仙台市、時計宝飾店)、マツオ北海道滝川市松尾ジンギスカン)など他地区からの仕事も行っている。

作り上げた曲数

作り上げた曲は1000曲以上とも2000曲とも[7]、3000曲とも5000曲とも言われるが[8]、本人によれば、そんなものは裏が取れる話ではなく、私の言いたい放題ですとのこと[8]。2009年のインタビューでは、最近は5000曲と自称していると語る[7]。なお1990年の『探偵!ナイトスクープ』出演時には1000曲くらいとしており、日本で一流の作曲家と言われるには2000曲は必要、今から2000曲に達するのは無理であろうと語っていた[5]

人物

少年期の通信簿によれば、音楽の成績はよかったものの教師の評価は「道楽者」。元同級生の藤岡琢也によれば、愛想がなくて皮肉っぽいことを言うイヤな奴だが、センスは感じていたとの評である[* 4][5]

人気作曲家となった経緯について、『プロ論。』でのインタビューによれば、朝日放送(現在のTBSラジオ)に歌番組の伴奏のために出入りしていた際、「CMスポットコンクール」と言う企画でCMとスポンサーを募集したのだが、その際に依頼が来るたびに担当プロデューサーがキダに依頼を回してくれたとしている[7]。阿川佐和子との対談では、単にプロデューサーの顔が広かったから、としている[8]

またキダはバンドで編曲を担当していたこと、ピアノと言う音域の広い楽器を演奏していたため全体の流れを見回せていたなどと言ったことから、編曲については相当な経験があった[6][7]。そしてキダによれば、当時は分業制が確立しておらず、作曲家には編曲能力も要求されており、編曲者としての能力もあるキダに多く仕事が回ってきたとのことである[7]

作曲やその数の多さについては、メロディーだけなら猫でも作れるとし[8]、世の中には無数の曲があり、多少似ていても構わない、少し変えて展開していけばなんとでもなる、一部の曲は使い回しだ、と語ってる[8][5]。ただしCMソングについては、歌詞があることや商品名を印象付けなければならないこと、および楽曲の時間の制限が厳しいことから(CMの終わりに入る場合、目安としては3.8秒の曲に仕上げねばならないという)なかなか困難であり、それに比してテレビ番組のオープニング曲などは歌詞も無く、制約も少ないので楽であるという[5][8]。基本的に詩があるとかなり「しんどく」なると言うが、テレビ番組『生活笑百科』に提供した楽曲では、依頼されてもいないのに歌詞を付けた曲に仕上げたものを録音し、その結果歌詞がそのまま採用されてしまった、と言うエピソードがある[8]

作品数の多さについては、「一週間で出来るだけ曲を多く作ってくれ」とのリクエストなどもあり[8]、資料により異なるが、「一日40曲を一週間くらい」[8]または一日6曲[7][1]書いていた時期があったとのこと。

五木ひろし八代亜紀天童よしみやしきたかじんつんく♂などを、冗談交じりながら「俺が育てた」と語っている[1]。やしきたかじんについては中之島音楽祭時の審査員として関わり[1]、つんく♂については、素人時代に「浪花のベートーベン」と呼ばれていた彼の演奏を実際に見に行ったところキダもそれを気に入り、声をかけたとのことである[1]

また関西のテレビ番組、『探偵!ナイトスクープ』にはタレントとして出演し、「最高顧問」とされているが、これは自称したものが定着したもの[8]お笑いタレント政治家である横山ノックも同番組の顧問であったが、彼は彼で「特別顧問」を名乗っていたという[8]

浪花のモーツァルト

キダは「浪花のモーツァルト」の異名を持つ。この異名はキダが1989年8月から出演している[9]関西の朝日放送のテレビ番組、『探偵!ナイトスクープ』が発祥であるという。

松本修によれば、「キダ先生は、なぜ『先生』と呼ばれるのか?」を調べてくれ、と言う視聴者からの疑問を解決する企画内において(1990年2月7日放送)[10][5]、キダについて様々な考察を行ったが、キダの作曲した「ラブアタック!」と言うテレビ番組用の楽曲、「早食い競争」の曲が、モーツァルトのある曲と綺麗に繋げて歌えたことから、キダはモーツァルトと同じ感性を持っている、キダは浪花のモーツァルトだ!……と言う結論が番組で流れることになり、それが世間に定着していったという[11][5]。すなわちナイトスクープと松本修が、この異名の命名者であるようだ[1][12][10]

「浪花のモーツァルト キダ・タロー」という表現には続きがある。これはあくまで『探偵!ナイトスクープ』内で松本修が語っていたものであるが、感性が似ているのであるから、「もしキダが200年早く産まれていれば、今頃はモーツァルトの方が『ウィーンのキダ・タロー』と呼ばれていただろう」との主旨である[* 5][* 6]

だが、キダによれば、松本がモーツァルトが好きなだけで、キダがモーツァルトの魂を持っているなどは勝手な思い込みであると断じつつ、キダ自身はメロディーのどこをとっても完璧と考えるショパンの大ファンであり、少しでもショパンに近づきたいとしている[1]

作品

アルバム

  • 浪花のモーツァルト キダ・タローのすべて(サウンドトラック・リスナーズ・コミュニケーションズ(SLC)、1992年11月21日、SLCS-5002・5003、廃盤) - キダ・タローの作品がまとまった形で残されていないことに対して危惧を抱いたSLCの和田康宏、川合由里子によって制作された。しかし和田の死後SLCは解散、同盤も廃盤となってしまった。権利関係があまりに複雑なために復刻は難しいとされた。
  • キダ・タローのほんまにすべて(アップフロントワークス、2010年12月1日、PKCP-2064〜2066) - 前述のアルバムを叩き台として、数十年ぶりに発掘された幻の音源や初CD化となる楽曲を加えたアルバム。CD3枚組みとなっており、100曲 + ボーナストラック1曲を収録[13]

★印の付いた曲は「浪花のモーツァルト キダ・タローのすべて」(以下『キダ・タローのすべて』)に収録されている。☆印の付いた曲は「キダ・タローのほんまにすべて」で収録されている。

歌謡曲

テーマ曲

映画音楽

CM曲

プロ野球応援歌

その他

市町村歌など

それ以外

出演

テレビ番組

ラジオ番組

※いずれも、ABCラジオでの出演。

テレビCM

いずれも関西ローカルで放送

PV

エピソード

受賞歴

注釈

  1. ^ 松田優作似であったとのこと。『探偵!ナイトスクープ』で1990年にキダが語ったところによれば、「女装して張り込みができる」ほどの美形で、「宝塚の玉三郎」と言われ近所でも評判だったと言うが、その写真は空襲で焼けてしまったといい、番組内ではその容姿は確認できなかった(なお母親の写真は残っており、その容姿が放送されている)。キダによれば、兄弟の中でキダが一番父親似であると言うが、ジョークであるのか事実であるのかは不明。
  2. ^ 藤岡はその後俳優を志しバンドを脱退。30歳前ごろに関西NETテレビ(現在のテレビ朝日)によるモーニングショー番組の「ご対面」コーナーで共演することになる時まで、キダは俳優・藤岡琢也が同級生の藤岡茂とは知らなかったという[6][8]
  3. ^ ただし正司自身は、あまり売れていなかったと語っている。また、キャバレーに出入りしていたバンドマンの中にキダが居た記憶はないとのことである。
  4. ^ 『探偵!ナイトスクープ』内で藤岡が語った所によれば、アコーディオンのボタンのレプリカを製作しそれを取り付け、さも高級なアコーディオンであるかの様に見せると言うええかっこしいの一面もあったという。
  5. ^ ただし、モーツァルトはウィーン出身ではなく当時はオーストリアの域外であったザルツブルク出身であり、ウィーン在住は最後の十年間にすぎない
  6. ^ 『探偵!ナイトスクープ』は日本の関西地方で製作されているバラエティ番組であり、お笑いやコントの要素も多く含まれている点に留意されたい。なおこの企画のリポーター役を担当したシンガーソングライター嘉門達夫は、音楽的にキダ・タローの影響を大きく受けていると言う。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m キダ・タロー; 中本裕己 (2010-12-15), 【キダタロー】浪花のモーツァルト 大好きなのはショパン, zakzak, オリジナルの2014-4-11時点におけるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20140411132436/http://www.zakzak.co.jp/people/news/20101215/peo1012151538000-n1.htm 
  2. ^ a b c d e f g h i キダ・タロー (2010), キダ・タローのほんまにすべて ライナーノート, アップフロントワークス 
  3. ^ a b c キダ・タロー, 昭和プロダクション, オリジナルの2016-8-12時点におけるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20160812004026/http://www.showapro.com/entertainer/%E3%82%AD%E3%83%80%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%83%BC 
  4. ^ a b 木田 美千代, 昭和プロダクション, オリジナルの2016-7-13時点におけるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20160713024816/http://www.showapro.com/entertainer/%E6%9C%A8%E7%94%B0-%E7%BE%8E%E5%8D%83%E4%BB%A3 
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m 探偵!ナイトスクープDVD Vol.3 上岡局長クラシック~淡路島のパラダイス編, ワーナー・ホーム・ビデオ, (2006)  - 1990年2月17日放送分、「浪花のモーツアルト」として収録。ちなみに局長は上岡龍太郎の時代で、上岡もキダを「先生」と呼んでいた。テロップによればキダはまだ最高顧問ではなくただの顧問である。調査を担当した「探偵」は嘉門達夫。同級生の藤岡拓也、キャバレー「パラマウント」で知り合った正司歌江も出演。なお『探偵!ナイトスクープ』はバラエティー番組であるため、一部ジョークやコントなども含まれている。
  6. ^ a b c d e f g h i j k 関西楽員同窓会東日本センター東京支部; キダ・タロー (2008), KG PEOPLE 013 キダ・タローさん, 関西楽員同窓会東日本センター東京支部, オリジナルの2016-3-18時点におけるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20160318215746/http://www.kg-tokyo.com/people/013index.html 
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m キダ・タロー; 宮田昌彦, キダ・タローさん-プロ論。, リクナビNEXT, オリジナルの2017-2-22時点におけるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20170222064956/http://next.rikunabi.com/proron/0914/proron_0914.html 
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 阿川佐和子 (2015), 「聞く力」文庫1 アガワ対談傑作選, 文春文庫, 文藝春秋, p. 291-307  - 週刊文春に連載された対談。キダの対談は2014年3月20日号に掲載された。
  9. ^ 松本 修 (2005), 探偵!ナイトスクープ―アホの遺伝子, ポプラ社 
  10. ^ a b 松本 修 (2005), 探偵!ナイトスクープ―アホの遺伝子, ポプラ社 
  11. ^ 松本修 (2010-11-25), モーツァルトと同じ感性? - 関西, asahi.com (朝日新聞社), オリジナルの2017-06-02時点におけるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20170602124420/http://www.asahi.com/kansai/entertainment/knight3scoop/OSK201011250088.html 
  12. ^ なおディレクターは小山青志。
  13. ^ 〈浪花のモーツァルト〉キダ・タローのすべてが詰まった101曲入りCD登場, タワーレコードオンライン, (2010/11/09), オリジナルの2017/09/21時点におけるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20170921112141/http://tower.jp/article/news/2010/11/09/71736 
  14. ^ FMaiaiプログラム
  15. ^ 尼崎市交通局 記念誌P.34、キダ・タローインタビュー 2016年3月 尼崎市
  16. ^ a b c d e f g 『朝日放送の50年 III 資料集』P125に掲載された主なラジオ番組一覧表より参照。
  17. ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』P142に掲載された主なラジオ番組一覧表より、『地獄極楽・タローのカラオケ塾』を参照。
  18. ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』P144に掲載された主なラジオ番組一覧表より、『タローのミッドナイト編集局』を参照。
  19. ^ a b 『朝日放送の50年 III 資料集』P149に掲載された主なラジオ番組一覧表より、『タローのYou遊スタジオ』を参照。
  20. ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』P168に掲載された主なラジオ番組一覧表より、『キダ・タローのステージ貸します』を参照。

外部リンク

※以下は、キダ・タローがCMソングの作曲を手掛けた企業。