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「狸小路商店街」の版間の差分

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[[File:Tanukikoji 01.jpg|thumb|狸小路3丁目(2008年6月)]]
{{Redirect|狸小路|札幌市電の停留場|狸小路停留場}}
[[画像:Tanukikoji 01.jpg|thumb|300px|狸小路商店街(20086月)]]
[[File:狸小路7丁目.jpg|thumb|狸小路7丁目(20104月)]]

'''狸小路商店街'''(たぬきこうじしょうてんがい)は、[[北海道]][[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]にある[[商店街]]。狸小路商店街を中心とした繁華街一帯は、'''狸小路'''という通称で呼ばれる。
'''狸小路商店街'''(たぬきこうじしょうてんがい)は、[[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]に所在する[[商店街]]。この項目では、[[地域]]([[街区]])としての[[通称]]「狸小路」についても記載している。


== 概要 ==
== 概要 ==
狸小路は南2条と南3条の中通であり{{Sfn|狸小路|p=92}}、道路名は「市道南2・3条中通線」。[[創成川]]河畔の西1丁目から西10丁目まである横長の街区になっている{{Sfn|狸小路|p=92}}。「札幌狸小路商店街振興組合」に加盟しているのは西1丁目から西7丁目までの[[アーケード]](全蓋式、[[国道36号]]部分は除く)がある区域であり、総延長約900m、店舗数約200軒の北海道で歴史ある商店街の1つになっている<ref name="狸小路を知る">{{Cite web |url=http://www.tanukikoji.or.jp/shiru/ |title=狸小路を知る |publisher=札幌狸小路商店街振興組合 |accessdate=2017-09-13}}</ref>。狸小路商店街は新しいものを積極的に採り入れており<ref name="わくわく商店街">{{Cite web |url=http://www.011.or.jp/02_bn/02_01index.htm |title=第1回 狸小路商店街 |work=わくわく商店街 |publisher=札幌市商店街振興組合連合会 |accessdate=2017-09-14}}</ref>、札幌市に初めて電話交換局が設置された際にすぐ電話を設置したのが狸小路の商人であったほか<ref name="わくわく商店街"/>、札幌市で[[ラジオ]]や[[テレビ]]の放送がはじまるとすぐに[[宣伝]][[広告]]([[コマーシャルメッセージ]])を行い<ref name="わくわく商店街"/>、商店街としていち早く[[インターネット]]を活用し<ref name="わくわく商店街"/>、[[光ファイバー]]や[[無線LAN]]による商店街LANを構築している<ref name="わくわく商店街"/>。24時間歩行者専用になっており、許可を得た[[車両]]以外の通行を禁止している。
[[画像:狸小路7丁目.jpg|thumb|right|250px|狸小路商店街の7丁目。(2010年4月)]]
東端は[[創成川]]を基点とし、市道南2・3条中通線に添う形で西へ約1&nbsp;kmの地域を中心とする。公式な「狸小路商店街」は、西1丁目~西7丁目間の「札幌狸小路商店街振興組合」加盟約200店舗。商店街の中でも、7丁目は1〜6丁目のような賑わいはなく、人通りもまばらである。また、かつては8丁目も組合に参加していたが、店舗の減少もあり、現在は加入していない。西10丁目までの市道南2・3条中通線自体を狸小路と呼ぶ場合もある。沿線では公式な住所である「南2条西○丁目」、「南3条西○丁目」の他、「狸小路○丁目」という呼び方が使われる。


== 名称の由来 ==
さまざまな専門店の他、飲食店・土産物屋が多く立ち並び、観光客にも多く利用されている。[[明治]]・[[大正]]期から続く老舗も多い{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=172}}。また近年では、[[ストリートミュージシャン]]の姿も目立つ。
「狸小路」の名称については諸説あり、[[1891年]]([[明治]]24年)の『札幌繁昌記』によると「狸小路とは綽名なり。 創成川の西側、南二条と三条との間の小路をいう。このところ飲食店とて、西二丁目三丁目にて両側に軒をならべ、四十余の角行燈影暗きあたり、一種異体の怪物、無尻を着る下卑体のもの、唐桟の娘、黒チリ一ツ紋の令嬢的のもの、無りょ百三四十匹、各衣裳なりに身体をこしらい、夜な夜な真面目に白い手をすっくと伸ばして、北海道へ金庫でも建てようと思い込みかつ呑み込み、故郷を威張ってはるばる来た大の男子等を巧みにいけどり、財布の底を叩かせる。ハテ怪有な動物かな、その化かし方狸よりも上手なれば、人々かくは『狸小路』となんよべるなり」とあるほか<ref name="狸小路を知る"/>{{Sfn|札幌地名考|pp=158-160}}、[[1934年]]([[昭和]]9年)の『[[北海タイムス]]』(1934年)に掲載された写真家・三島常磐による回顧談によると、[[1873年]](明治6年)か[[1874年]](明治7年)頃に現在の南3条西4丁目に[[侠客]]の松本代吉が「東座」(あずまざ)を建てると「それが切掛になって一杯酒の店が出る、白首(ごけ)が出だすという按排(あんばい)で{{Refnest|group="注"|白首(ごけ)とは[[おしろい]]を塗った「[[娼婦]]」の意{{Sfn|狸小路|pp=13-14}}{{Sfn|ロム・インターナショナル|2005|pp=171–172}}。}}、それ迄一帯の大ヤブであった地が次第に賑わって来た(略)。徒(あだ)に付けた白首小路、則ち狸小路の名がその儘本名になってしまったんだから面白い。大ヤブに出る狸で、狸は白首の異名であった」とあり{{Sfn|札幌地名考|pp=158-160}}{{Sfn|狸小路|pp=13-14}}、言葉巧みに男を誘う女たちを[[タヌキ]]に見立てた説があるほか<ref name="狸小路を知る"/>{{Sfn|札幌地名考|pp=158-160}}{{Sfn|ロム・インターナショナル|2005|pp=171–172}}、[[1898年]](明治31年)に『北海道毎日新聞』に掲載された深谷鉄三郎による回顧談によると、3丁目に「曖昧女」(白首)をかかえた「仙北屋」が開いたことが狸小路の始まりであり、次いで「雨風」とあだ名のついた女が2丁目で料理屋兼曖昧屋とした「安津満屋」(あづまや)を開いたことが第2の狸小路の始まりであるという説{{Sfn|狸小路|pp=206-207}}、実際にタヌキが生息していたから狸小路と呼ばれたという説<ref name="狸小路を知る"/>{{Sfn|ロム・インターナショナル|2005|p=171}}、明治から大正初期にかけて人を化かして仕入れ価格の2倍で商品を売って暴利をむさぼる商店があったため、当時の商売人をタヌキに例えたという説がある{{Sfn|ロム・インターナショナル|2005|p=172}}。

[[札幌市営地下鉄]][[大通駅]]と[[すすきの駅]]の中間に位置し、[[さっぽろ地下街]]ポールタウンにも直結している。[[大通公園|大通]]地域、[[すすきの]]地域と合わせて東京以北最大の商業地域を構成する。
またかつては1丁目から6丁目に[[パチンコ]]店が7店舗ほど営業する激戦区であったが大手チェーンの進出により小型店の撤退が相次ぎ、現在は3店舗にとどまる。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[1869年]]([[明治]]2年)に明治政府が[[開拓使]]を設置して[[1871年]](明治4年)に札幌に本庁舎が移転すると、現在の南1条から南3条までの間に[[町屋 (商家)|町屋]]や[[飲食店]]が建ち並び始めた<ref name="わくわく商店街"/>{{Sfn|ロム・インターナショナル|2005|p=171}}{{Sfn|狸小路|pp=13-17}}。[[1873年]](明治6年)頃には、すでに現在の西2丁目から西3丁目の一角を「狸小路」と呼んでいたという<ref name="わくわく商店街"/>。当初は[[公娼]]の薄野([[すすきの]])に対する[[私娼]]の[[歓楽街]]として賑わいを増していったが{{Sfn|狸小路|pp=13-17}}、[[1885年]](明治18年)に「第一勧工場」、[[1892年]](明治25年)に「札幌商館」などができると物品販売業者も増えて次第に[[商店街]]の色合いが強くなっていった{{Sfn|狸小路|pp=13-17}}<ref>{{Cite web |url=http://www.city.sapporo.jp/chuo/gaiyo/history/documents/3-20.pdf |title=勧工場(かんこば) |format=PDF |work=歴史の散歩道 |publisher=札幌市中央区 |accessdate=2017-09-22}}</ref>。また、[[1879年]](明治12年)に現在の4丁目に建てられた「市川亭」{{Refnest|group="注"|「市川亭」は後に恵館、清明館、開進亭と改称し、1912年(明治45年)に札幌初の常設活動写真館「神田館」が仮営業していた(同年に同じ4丁目で新築開館した){{Sfn|狸小路|p=18}}。}}、1892年(明治25年)に現在の1丁目に建てられた「札幌亭」などでは[[寄席]]が行われていた{{Refnest|group="注"|name="狸小路97-98"|「札幌亭」は後にルナパーク、北海歌劇館、ニコニコ館、盛賑館(せいしんかん)、観音座、帝国館と改称し{{Sfn|狸小路|pp=97-98}}、1938年(昭和13年)に「[[帝国座 (札幌市)|帝国座]]」と改称した{{Sfn|狸小路|pp=97-98}}。}}{{Sfn|狸小路|pp=13-17}}。なお、[[1891年]](明治24年)には10軒ほどの俗称・白首屋(ごけや)を強制的に薄野の南はずれに隔離している{{Sfn|狸小路|pp=13-17}}。[[1897年]](明治30年)頃には1丁目から3丁目までに商店が集中しており、4丁目はまだ空き地が目立ち、5丁目は1、2軒の店のほかは[[官舎]]があるくらいであったが、南1条通の「[[札幌一番街]]」に次いで賑やかな通りを形成していた{{Sfn|狸小路|pp=13-17}}。[[1910年]](明治43年)には3丁目に札幌初となる[[ビアホール]]「安田ビアホール」が開店した<ref>{{Cite web |url=https://www.city.sapporo.jp/chuo/gaiyo/history/documents/1-09.pdf |title=狸小路のビアホール |format=PDF |work=歴史の散歩道 |publisher=札幌市中央区 |accessdate=2017-09-17}}</ref>。
[[File:Tanukikouji 01.jpg|thumb|right|250px|西11丁目から見た狸小路商店街<br>(2009年1月)]]
[[明治政府]]が[[北海道開拓使]]を置いた明治初期に、数軒の商店・飲食店が建てられたのが始まり。現在の狸小路2丁目と3丁目あたりは商家や飲食店が立ち並び{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=171}}、{{要出典範囲|date=2017年7月|明治6年頃には既にその一角が狸小路と呼ばれていた}}。周囲を主要[[幹線道路]]・[[運河]]に囲まれ、官公庁街と[[すすきの|薄野]][[遊廓]]に挟まれるという恵まれた立地もあり、飛躍的に発展した。[[1885年]](明治18年)札幌初の[[デパート|勧工場]]が開店する。その後何度か大規模な火災に見舞われるが、その都度立ち直り、明治後期には各種専門店の他、飲食店・[[映画館]]なども立ち並ぶ、札幌を代表する商店街としての地位を確立した。


[[大正]]になると[[活動写真]]が活発になり、[[1914年]](大正3年)の「ルナパーク」はじめ{{Refnest|group="注"|name="狸小路97-98"}}、[[1911年]](明治43年)開館の「遊楽館」([[松竹遊楽館]])も[[1915年]](大正4年)に活動写真へ切り替え、[[1925年]](大正14年)には「三友館」が開館している{{Refnest|group="注"|後に日活館、日活二番館、[[札幌東宝プラザ]]と改称した{{Sfn|狸小路|pp=121-122}}。}}。[[1916年]](大正5年)には3丁目が初めて横断街灯を設置し<ref name="狸小路を知る"/>、5丁目、4丁目、1丁目が続いた{{Sfn|狸小路|pp=21-22}}。[[1918年]](大正7年)の『[[開道五十年記念北海道博覧会]]』開催を契機に商店街としての連帯意識が強まり、「三丁目会」を皮切りに「四丁目会」「二丁目会」が結成され、[[1925年]](大正14年)に3つの会を合わせた「狸小路聯合会」が発足したが形骸化し、[[1930年]]([[昭和]]5年)に「五丁目会」「六丁目会」が加わって再出発した{{Refnest|group="注"|「一丁目会」は1927年(昭和2年)に結成した{{Sfn|狸小路|p=94}}。}}{{Sfn|狸小路|pp=20-21}}。[[1927年]](昭和2年)には5丁目が初めて[[スズラン]]の形をした[[街灯]]「鈴蘭灯」を設置し<ref name="狸小路を知る"/>、翌年には2丁目から6丁目間に拡大した{{Sfn|狸小路|pp=21-22}}。また、この頃には1丁目から6丁目間の道路舗装も完了している{{Sfn|狸小路|pp=21-22}}。[[1933年]](昭和8年)になると5丁目から8丁目までの人々が[[高村光雲]]による観音像を[[本尊]]とした「札幌観音堂」を9丁目に建立した(1978年廃堂){{Refnest|group="注"|廃堂後、[[高村光雲]]による「聖観音像」は[[浅草寺]]に奉納されている{{Sfn|狸小路|p=144}}。}}{{Sfn|狸小路|pp=96-97}}。一方、1丁目から3丁目までの商店主が中心となり、商売繁昌を願って[[浅草寺]]から本尊となる「柳之御影観音」を持ち込んだ「観音堂」(新浅草寺)を1丁目に設置したため{{Refnest|group="注"|「観音堂」は1985年(昭和60年)に取り壊しとなり、「柳之御影観音」は浅草三井寺別院へ移設した{{Sfn|狸小路|pp=96-97}}。}}、本家争いで両派が対立する時期があった{{Sfn|狸小路|pp=212-213}}。[[1936年]](昭和11年)には5丁目が初めて[[ネオン]]を設置し、順次鈴蘭型のネオンになっていった<ref name="狸小路を知る"/>。ところが、「[[支那事変]]」勃発から「[[太平洋戦争]]」に突入すると、時局の悪化に伴い点灯看板やネオンの撤去、金属回収による鈴蘭灯の撤去が行われた{{Sfn|狸小路|p=44}}。また、「狸小路」の名称も不謹慎とされて「鈴蘭街」と変更していた時期もあったほか{{Sfn|狸小路|pp=44-45}}、建物疎開(強制疎開)も行われた{{Sfn|狸小路|pp=23-24}}。
大正期に入ると、[[街路灯]]の設置や道路の舗装も進められ、[[1929年]](昭和4年)には撒水組合も設立された。[[1933年]](昭和8年)には、1丁目に商売繁盛を願って[[新浅草寺]]が建立された。また、同年9丁目にも[[観音堂]]が建立され、開拓犠牲者慰霊のため、[[彫刻家]]・[[高村光雲]]が製作した観音像が設置された(現在は新浅草寺は[[豊平区]]に移転、9丁目の観音堂は廃堂となっている)。


終戦直後は狸小路の[[創成川]]一帯を中心に「[[闇市]]」が起こり、[[引揚者]]が建物疎開跡などを利用して闇屋になった{{Sfn|狸小路|pp=25-26}}。[[1947年]](昭和22年)には6丁目に進駐軍専門の[[キャバレー]]「グランドパレス」{{Sfn|狸小路|pp=25-26}}、[[1949年]](昭和24年)には8丁目に[[ストリップ (性風俗)|ストリップ]]の劇場「美人座」がオープンした(1975年閉館){{Sfn|狸小路|p=141}}。また、同年に1丁目から8丁目までの間の鈴蘭灯が復活し{{Refnest|group="注"|電力制限から、1基当たり9灯のうち3灯の使用にとどまった{{Sfn|狸小路|pp=25-26}}。}}<ref name="狸小路を知る"/>、この年の歳末大売り出しでは『現金つかみどり』が誕生した{{Refnest|group="注"|初めは[[百円紙幣]]のつかみどりで開催し、翌年には[[千円紙幣]]、1957年(昭和32年)に[[五千円紙幣]]となり、1959年(昭和34年)に[[一万円紙幣]]となったが、[[公正取引委員会]]の通達によって中止となった{{Sfn|狸小路|pp=26-27}}。1976年(昭和51年)にクイズ当選者に限るという条件付きで復活した{{Sfn|狸小路|pp=26-27}}。}}。[[1958年]](昭和33年)になると3丁目を皮切りに[[アーケード]](全蓋式)の設置が始まり、[[1960年]](昭和35年)の2丁目設置によって1丁目から7丁目まで(国道部分は除く)が屋根付の街路になった{{Refnest|group="注"|name="狸小路138"|当時商店街に加盟していた8丁目は比較的借地が多く、店主は高い負担金を拒み、地主は自分が商売をしている訳ではないと断ったため、アーケード設置には至らなかった{{Sfn|狸小路|p=138}}。}}。[[1970年]](昭和45年)には「丸友モスリン店」を前身とする「金市舘札幌店」(後のラルズプラザ札幌店、ラルズマート札幌店)の大型店舗(金市舘札幌ビル)が完成した(2014年閉店){{Sfn|狸小路|p=101}}<ref>{{Cite web |url=https://pucchi.net/hokkaido/ishisora/201401ralse.php |title=閉店前に見ておきたい「のぼりたい・おりたい」ボタンがあるエレベーター |date=2014-01-16 |work=[[北海道ファンマガジン]] |accessdate=2017-09-18}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://hre-net.com/keizai/ryutu/10938/ |title=札幌・狸小路商店街の「ラルズ」が明日完全閉店、横山・アークスM&Aのマザー店舗消ゆる |date=2014-06-07 |work=リアルエコノミー |accessdate=2017-09-18}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://hre-net.com/keizai/ryutu/10945/ |title=「終わりではなく総攻撃の始まりだ」ラルズ札幌店完全閉店でアークス横山清社長の怪気炎 |date=2014-06-09 |work=リアルエコノミー |accessdate=2017-09-18}}</ref>。[[1971年]](昭和46年)には[[さっぽろ地下街]](オーロラタウン・ポールタウン)がオープンするが、地下街誕生のきっかけは[[札幌駅前通]]の拡幅が決まった時に、お年寄りや子供たちが3丁目から4丁目を1回の青信号で渡り切れなくなることを懸念し、それならば地下に連絡道路を作って安全に渡れるようにしようと[[サンデパート (札幌)|サンデパート]]において話題になったことであった{{Sfn|札幌の通り|pp=91-93}}。[[1973年]](昭和48年)には『狸小路百年記念祭』を開催し、その記念として4丁目に「[[本陣狸大明神社]]」を建立した{{Sfn|狸小路|pp=51-52}}。なお、神社は[[1979年]](昭和54年)に現在地(5丁目)へ移設した{{Sfn|狸小路|pp=122-123}}。[[1982年]](昭和57年)に1丁目から6丁目までを新しいアーケードに改修し、半円形でアーチ型の透明な屋根になった{{Sfn|狸小路|pp=189-192}}。このアーケードは、ボタン1つで開閉する仕組みになっている{{Sfn|狸小路|pp=189-192}}。
[[1954年]](昭和29年)、第1回「狸まつり」を開催。[[1958年]](昭和33年)より全蓋[[アーケード]]の設置が始まり、[[1982年]](昭和57年)に改築。現在は1丁目から6丁目間の交差点も含めた大部分がアーケードに覆われており、7丁目アーケードのみが改築されず古いまま。[[2002年]](平成14年)の大改修によって、アーケード内部に[[光ファイバー]]回線と[[無線LAN]]によるネットワークが構築され、各店舗のインターネット接続や[[防犯カメラ]]の運用等に利用されている。なお3丁目・4丁目間の部分は、幅員の広い[[札幌駅前通]]と交差するためにアーケードが途切れているが、[[交差点]]手前の[[エスカレータ|エスカレーター]]と交差点地下の[[さっぽろ地下街|ポールタウン]]によって連絡されている。


[[平成]]になると[[2001年]](平成13年)に[[松山中央商店街]]と「姉妹商店街」を締結したほか<ref name="狸小路を知る"/>、[[2002年]](平成14年)にはアーケードに[[光ファイバー]]と[[無線LAN]]による商店街LANを構築して[[監視カメラ]]や[[発光ダイオード]](LED)によるサインボードなどを設置した<ref name="狸小路を知る"/>。[[2008年]](平成20年)に札幌狸小路商店街振興組合の役員が中心となって設立した「狸小路道産食彩協議会」運営による北海道産食材の直売店「道産食彩HUG(ハグ)」(ハグマート)が[[札幌東宝プラザ]](現在の札幌プラザ2・5ビル)にオープンし<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0020357301 |title=道内の特産品 ずらり1000点*狸小路*「HUGマート」きょう開店 |date=2008-12-19 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-18}}</ref>、翌年には飲食店街(ハグイート)がオープンした<ref>{{Cite web |url=http://www.city.sapporo.jp/kikaku/hug/ |title=道産品アンテナショップ「道産食彩HUG(ハグ)」 |publisher=札幌市 |accessdate=2017-09-18}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.soumu.go.jp/main_content/000039082.pdf |title=道産品アンテナショップ「道産食彩HUG(ハグ)」の開設 |format=PDF |work=市町村の活性化新規施策100事例(平成21年度地域政策の動向) |publisher=[[総務省]] |accessdate=2017-09-18}}</ref>。
[[2006年]](平成18年)5月に「[[がんばる商店街77選]]」に選ばれた。


=== 年表 ===
[[2015年]](平成27年)[[12月20日]]、[[札幌駅前通]]に[[札幌市電|市電]]が延伸敷設され、それにともなって交差点部に「[[狸小路停留場]]」が開業した<ref>[http://www.city.sapporo.jp/sogokotsu/shisaku/romen/documents/romen-p7-8.pdf 札幌市路面電車活用計画]</ref>。
* [[1873年]]([[明治]]{{0}}6年):この頃までに西2丁目から西3丁目辺りに[[町屋 (商家)|町屋]]や[[飲食店]]が建ち並び始める{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。
* [[1885年]](明治18年):札幌初の勧工場「第一勧工場」(後の札幌商館)開設{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。
* [[1892年]](明治25年):「札幌大火」発生{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}{{Sfn|歴史の散歩道}}。
* [[1893年]](明治26年):狸小路の110戸焼失{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。
* [[1907年]](明治40年):「札幌区大火」発生{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}{{Sfn|歴史の散歩道}}。
* [[1916年]]([[大正]]{{0}}5年):3丁目に横断街灯設置<ref name="狸小路を知る"/>。
* [[1925年]](大正14年):2丁目から4丁目による「狸小路聯合会」発足(翌年に2丁目脱会){{Sfn|狸小路|pp=20-21}}{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。2丁目から4丁目間に札幌初の市道舗装完成{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。
* [[1927年]]([[昭和]]{{0}}2年):「狸小路市場」開業{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。5丁目が「鈴蘭灯」設置{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。
* [[1929年]](昭和{{0}}4年):「狸小路撒水組合」発足{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。
* [[1930年]](昭和{{0}}5年):2丁目から6丁目までの連合会復活(1932年に1丁目加入){{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。
* [[1938年]](昭和13年):連合会解散し、「札幌狸小路商店街商業組合」発足(1944年解散){{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。
* [[1942年]](昭和17年):資源不足による鈴蘭灯供出{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。
* [[1944年]](昭和19年):建物疎開開始{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。
* [[1945年]](昭和20年):終戦。[[闇市]]が起こる{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。
* [[1946年]](昭和21年):闇市対策として「狸小路新興商業組合」結成{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。
* [[1948年]](昭和23年):「狸小路商店街商業協同組合」設立認可(1950年に札幌商工信用組合と改組){{Sfn|狸小路|pp=44-45}}。
* [[1949年]](昭和24年):1丁目から8丁目まで鈴蘭灯再建{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。『現金つかみどり』初開催{{Sfn|狸小路|pp=44-45}}。
* [[1951年]](昭和26年):新たな「札幌狸小路商店街商業協同組合」発足{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。通行規制開始{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。
* [[1954年]](昭和29年):『狸まつり』初開催{{Sfn|狸小路|p=46}}。
* [[1960年]](昭和35年):1丁目から7丁目まで(国道部分は除く)の全蓋アーケード完成<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090324705 |title=2年ぶりに札幌狸小路1—7丁目間のアーケード完成 |date=1960-11-24 |work=フォト北海道(道新写真データベース)|publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-17}}</ref>。
* [[1962年]](昭和37年):協同組合を「札幌狸小路商店街振興組合」に改組{{Refnest|group="注"|1丁目から8丁目までが加盟していたが、1977年(昭和52年)に8丁目が脱会して準会員になった{{Sfn|狸小路|p=138}}。}}。北海道内初の[[寄合百貨店]]「[[サンデパート (札幌)|サンデパート]]」開店{{Sfn|狸小路|pp=33-34}}{{Sfn|狸小路|pp=107-108}}。
* [[1967年]](昭和42年):札幌市商店街振興組合連合会加入{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。
* [[1971年]](昭和46年):3丁目・4丁目間([[国道36号]]・[[札幌駅前通]]・[[四番街 (札幌市)|四番街]])地下に[[札幌市営地下鉄南北線]]開通し、「[[さっぽろ地下街]]」(ポールタウン)に接続{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。
* [[1973年]](昭和48年):『狸小路百年記念祭』開催{{Sfn|狸小路|p=51}}。「[[本陣狸大明神社]]」(通称・狸神社)建立(1979年に現在地へ移設){{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。
* [[1982年]](昭和57年):1丁目から6丁目まで(国道部分は除く)を新アーケードに改修し、歩道カラー舗装化{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090324521 |title=新生・狸小路スタート 開閉式アーケード完成 喜びの7色風船 |date=1982-11-15 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-17}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090324528 |title=新アーケード完成の狸小路 |date=1982-11-16 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-17}}</ref>。
* [[1996年]]([[平成]]{{0}}8年):商店街の[[マスコット]]「だっこポン」誕生。
* [[2001年]](平成13年):[[松山中央商店街]]と「姉妹商店街」締結。
* [[2002年]](平成14年):アーケードに[[光ファイバー]]と[[無線LAN]]による商店街LAN構築、[[監視カメラ]]、各種情報発信できる[[発光ダイオード]](LED)サインボード設置<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090011708 |title=札幌・狸小路に光ファイバー網*全国初、IT商店街に*大型ボードで情報発信*防犯強化、LANも |date=2002-08-10 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-17}}</ref>。
* [[2006年]](平成18年):3丁目に「狸小路都心民間交番」設置。[[中小企業庁]]による「[[がんばる商店街77選]]」選定<ref>{{Cite web |url=http://www.chusho.meti.go.jp/shogyo/shogyo/shoutengai77sen/nigiwai/1hokkaido/1_hokkaido_02.html |title=札幌狸小路商店街 |work=[[がんばる商店街77選]] |publisher=[[中小企業庁]] |accessdate=2017-09-14}}</ref>。
* [[2015年]](平成27年):[[札幌市電]]がループ化し、3丁目・4丁目間に「[[狸小路停留場]]」開業。


=== 名称の由来 ===
== 街区 ==
=== 狸小路1丁目 ===
狸小路の呼び名には諸説あるが、次の説が有力とされる。
1丁目には唯一「仲小路」が南北に通っており、[[1892年]]([[明治]]25年)の「札幌大火」後の一時期には「孤小路」、1丁目の西側半分を「弁天小路」と呼んで[[居酒屋]]、[[飯屋]]、[[屋台]]などで賑わっていたという{{Sfn|札幌地名考|pp=158-160}}{{Sfn|狸小路|pp=93-94}}。[[1910年]](明治43年)の『札幌区商工新地図』によると、当時の1丁目は東側半分で行き止まって南北の仲小路に分かれる[[丁字路]]になっていた{{Sfn|狸小路|pp=93-94}}。突き当たりには勧工場「共益商館」焼失後に建てた「札幌商品陳列場」があったが、[[1919年]]([[大正]]8年)の火事によって周辺の建物を含めて焼失してしまった{{Sfn|狸小路|pp=93-94}}。再建する際には真ん中に道路をつけようということになり、幅一間半の仲小路を挟んだ両側に新たな勧工場を建て、その両側から[[庇]]出して通路にした{{Sfn|狸小路|pp=93-94}}。以後、一帯が「仲町」と呼ばれて終戦後まで残っており、「一丁目会」ができるまでは「仲町会」という独立した町内会があったという{{Sfn|狸小路|pp=93-94}}。
* かつては、実際に[[タヌキ|狸]](タヌキ)が出没したこと{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=171}}。
* ゆあさ新仏具店
* 明治時代から[[大正]]初期にかけて、人を化かして仕入れ価格の2倍で商品を売り、暴利をむさぼる商店があったため、その当時の商売人をタヌキに例えた{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=172}}。
* 斎藤印房
* 明治時代のすすき野は公認の[[遊郭]]であったが、公認ゆえ遊興費がたいへん高く、この地で首に[[白粉]](おしろい)を塗った安い[[私娼]]が客引きをしていた。当時彼女らが客引きをしていた通りは「白首小路」の異名でよばれていたが、夜な夜な街頭に立ち、男をたぶらかす娼婦のその怪しさや手管(てくだ)をタヌキに例えた{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|pp=171–172}}。
* Yoshi Tokei
* カレー料理専門店 デリー
* ワークマン ナガイ
* 佐藤印舗
* 質蔵屋
* [[ココカラファイン]]狸小路店


== 店舗 ==
=== 狸小路2丁目 ===
2丁目は「[[みよしのさっぽろ]]」を運営している[[テンフードサービス]]の前身となる甘味処「美よし野」があり、現在は「みよしの狸小路店」になっている{{Sfn|狸小路|pp=104-105}}。かつては、わずか半丁の間に[[サッポロビール]]、[[麒麟麦酒]]、[[アサヒビール]]の直営店が出店していた(現在はサッポロホールディングス傘下の[[サッポロライオン]]による「ビヤホールライオン狸小路店」のみがある){{Sfn|狸小路|pp=102-103}}。「金市舘札幌店」閉店後は「[[ベガスベガス]]狸小路二丁目店」が入居している。
[http://www.tanukikoji.or.jp/sagasu/ 公式サイト]を参照。
* [[チヨダ|東京靴流通センター]]狸小路2丁目店
* [[神戸物産|業務スーパー]]すすきの狸小路店
* 宮文刃物店
* [[阪南理美容|理容プラージュ]]狸小路店
* [[阪南理美容|美容プラージュ]]狸小路店
* マルフジ T・C・BOX
* 名取川靴店
* [[サンドラッグ]]狸小路2丁目店
* 学生服は大万・ダイワスポーツ3条店
* さとう洋装店
* [[ABCマート|ABC-MART]]狸小路店

=== 狸小路3丁目 ===
[[1885年]](明治18年)に「第一勧工場」が誕生すると狸小路の代名詞までになったが、[[1892年]](明治25年)の大火で焼失してしまった{{Sfn|狸小路|pp=106-107}}。同年中に跡地の東隣に「札幌商館」(後の札幌商品館)を建てた{{Sfn|狸小路|pp=106-107}}。[[1962年]]([[昭和]]37年)には[[国道36号]]([[札幌駅前通]]・[[四番街 (札幌市)|四番街]])との交点に周辺の商店が出資した[[寄合百貨店]]「[[サンデパート (札幌)|サンデパート]]」がオープンし、後に[[家電量販店]]「[[そうご電器]]」{{Sfn|狸小路|pp=107-108}}、[[ディスカウントストア]]「[[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]]」や「[[ゲオ]]」などが入居していたが、周辺区域の[[都市再開発]]「南2西3南西地区第1種市街地再開発事業」により解体する予定になっている<ref>{{Cite web |url=http://www.city.sapporo.jp/toshi/saikaihatsu/redevelopment/jigyo/chuo/consult/s2w3-s.html |title=南2西3南西地区 |publisher=札幌市 |accessdate=2017-09-18}}</ref>。また、札幌駅前通に面して「狸小路都心民間交番」を設置しており、防犯や観光案内などを行っている。
* [[ABCマート|ABC-MART]]札幌店
* [[マツモトキヨシ]]札幌狸小路店
* [[タイトー|タイトーステーション]]札幌狸小路店
* 学生服の赤塚
* [[コクミン|コクミンドラッグ]]狸小路店、狸小路西店
* [[青山商事|洋服の青山]]札幌中央本店

=== 狸小路4丁目 ===
昭和初期の4丁目は[[路面電車]]によって遮断され、2丁目や3丁目までと比べると人通りも少なかったが{{Sfn|狸小路|pp=113-115}}、[[1912年]](明治45年)の映画常設館「第一神田館」や「サクラビール」によって次第に客足が向いてきたとされている{{Sfn|狸小路|pp=113-115}}。また、共同店舗ビルの「COSMO」(現在の[[札幌ナナイロ]])や「エイト」(現在の[[アルシュ]])は現在に至るまで多くの[[テナント]]が入れ替わっている{{Sfn|狸小路|pp=113-115}}。[[2015年]]([[平成]]27年)に[[老舗]]の「中川ライター店」が閉店した<ref>{{Cite web |url=https://sapporo.keizai.biz/headline/2205/ |title=札幌の老舗模型店、1月末に閉店へ-113年の歴史を惜しむ来店客相次ぐ |date=2014-12-08 |work=札幌経済新聞 |accessdate=2017-09-18 |quote=[[みんなの経済新聞ネットワーク]]}}</ref>。[[平成観光]]が運営するビルには3丁目から「ドン・キホーテ札幌店」が移転する<ref>{{Cite web |url=http://hre-net.com/keizai/ryutu/24839/ |title=ドン・キホーテ札幌店移転に向け「KEIZ狸小路店」6月22日閉店 |date=2017-06-18 |work=リアルエコノミー |accessdate=2017-09-18}}</ref>。
* [[リッチモンドホテルズ|リッチモンドホテル札幌大通]]
* [[富士メガネ]]狸小路本店
* [[カラオケ館]]狸小路店、狸小路新館
* 北海道みやげ たぬきや
* [[サッポロドラッグストアー|サツドラ]]狸小路4丁目店
* [[丸千代山岡家|ラーメン山岡家]]狸小路4丁目店

=== 狸小路5丁目 ===
「札幌プラザ2・5ビル」にあった「[[札幌東宝プラザ]]」は、[[1925年]]([[大正]]14年)に5丁目で起きた火災の焼け跡に[[映画館]]を誘致しようと有志が集まり、3丁目で「遊楽館」([[松竹遊楽館]])を経営していた九島興行に話を持ち掛けて開館した「三友館」が前身であり{{Sfn|狸小路|pp=121-122}}、[[2011年]](平成23年)に映画館としての役割を終えた。現在では貸しホールや[[多目的ホール]]「BFHホール」になっているほか<ref>{{Cite web |url=http://www.bfh.jp/bfhhall/ |title=BFHホール |work=Best Friends Hokkaido |accessdate=2017-09-18}}</ref>、1階には「狸小路道産食彩協議会」運営による北海道産食材の直売店「道産食彩HUG(ハグ)」がある<ref>{{Cite web |url=http://www.s-hug.jp |title=道産食彩HUG |accessdate=2017-09-18}}</ref>。また、5丁目には「[[本陣狸大明神社]]」(通称・狸神社)、外国人専用の観光案内所「北海道ツーリストインフォメーションセンター札幌狸小路」がある<ref>{{Cite web |url=http://www.tourist-information-center.jp/hokkaido/sapporo/ja/ |title=北海道ツーリストインフォメーションセンター札幌狸小路 |work=JTB北海道 |accessdate=2017-09-18}}</ref>。誘致によって[[1978年]](昭和53年)にオープンした「[[日本中央競馬会]]札幌場外勝馬投票券発売所」(現在の[[ウインズ札幌]]B館)は{{Sfn|狸小路|pp=124-125}}、近接している「ウインズ札幌A館」のリニューアル工事竣工後に閉鎖する予定になっている<ref>{{Cite web |url=http://jra.jp/news/201707/073102.html |title=ウインズ札幌のリニューアルについて |date=2017-07-31 |publisher=[[日本中央競馬会]](JRA) |accessdate=2017-09-18}}</ref>。
* 三室印房
* [[コクミン|コクミンドラッグ]]狸小路5丁目店
* 光栄堂楽器 札幌ギターショップ
* 松山額縁店
* [[サッポロドラッグストアー|サツドラ]]狸小路5丁目店
* ウォーターマークホテル札幌

=== 狸小路6丁目 ===
ほかの丁目と比べて[[商店街]]の発展が遅く、大正末期においても約30戸の家並のうち商店は3分の1にも満たない状態であった{{Sfn|狸小路|pp=127-128}}。[[1927年]](昭和2年)に「狸小路市場」が開業している{{Sfn|狸小路|pp=271-283}}。[[1960年]](昭和35年)に博品舘ニューグランドを取り壊して[[北海道住宅供給公社]]第1号となる「グランドビル」(その後、南3条グランドビルに建替え)を建設した{{Sfn|狸小路|pp=127-128}}。[[1967年]](昭和42年)には狸小路初となる[[民芸店]]「北海道民芸センター丸和」(現在のハンズマン丸和)がオープンし{{Sfn|狸小路|pp=127-128}}、[[1971年]](昭和46年)に「[[さっぽろ地下街]]」が完成すると、6丁目は観光街を形成していった{{Sfn|狸小路|pp=127-128}}。かつては[[ロシア料理]]の店「[[コーシカ]]」があった。
* [[サンルートホテルチェーン|ホテルサンルートニュー札幌]]
* 札幌新倉屋本店
* [[ドーミーイン]]札幌本館、札幌ANNEX
* リカープラザ鈴木
* アガタ薬局
* 道央民芸センターにれ
* [[北海道ツアーズ]]
* [[シアターキノ]]

=== 狸小路7丁目 ===
1丁目から7丁目までが「狸小路商店街」に加盟しており、1丁目から続く[[アーケード]]は(国道部分は除く)7丁目のみ旧アーケードのままになっている{{Sfn|狸小路|pp=134-135}}。7丁目はほかの丁目と比べて店の変動が少ないが、これは[[土地]]と[[家屋]]を所有している商店主が多いからと言われている{{Sfn|狸小路|pp=134-135}}。北海道内では珍しい[[専門店]]があり、[[地金]]を扱う「風早金銀店」や帽子メーカー「とらや製帽」、[[日本茶]]の「幸乃園 安中茶舗」がある{{Sfn|狸小路|pp=134-135}}。
* 梅澤無線電機
* アンティークモール骨董時代村
* 平和ビリヤード
* [[イーホテルグループ|イーホテル札幌]]
* タヌキスクエア
* う月食堂

=== 狸小路8丁目 - 10丁目 ===
8丁目はかつて「狸小路商店街」の組合に加盟していたが、[[1977年]](昭和52年)に脱退している{{Sfn|狸小路|p=138}}。また、当初からアーケード建設に参加していなかった{{Refnest|group="注"|name="狸小路138"}}。9丁目と10丁目は戦後に切り開かれた商店街であり{{Sfn|狸小路|pp=142-143}}、境目となる南北の通りの道幅がほかの丁目よりも狭い{{Sfn|狸小路|pp=146-147}}。かつての9丁目は北側に[[引揚者]]の[[バラック]]があったほか{{Sfn|狸小路|pp=142-143}}、昭和30年前後には「小ススキノ」と言われるほどの[[歓楽街]]を形成していた{{Sfn|狸小路|pp=142-143}}。また、かつての8丁目から10丁目の間には[[骨董品店]]が比較的多く店を構えていた{{Sfn|狸小路|pp=146-147}}。[[国道230号]]([[石山通]])交点には「札幌市中央区民センター」があり<ref>{{Cite web |url=http://www.chuou-kusen.jp |title=札幌市中央区民センター |accessdate=2017-09-19}}</ref>、[[丁字路]]の先には「札幌市中央区役所」や「[[札幌プリンスホテルタワー|札幌プリンスホテル]]」が立地している。
* ホテルレオパレス札幌
* ホテルテトラスピリット札幌

== イベント ==
* 初売り(1月2日)
* さっぽろ雪まつり協賛イベント(2月)
* 北海道神宮祭奉奠狸神輿渡御(6月16日)
* 狸まつり(7月から8月)
* ナイトバーゲン(7月最終土曜日)
* 狸八徳例大祭(8月第1土曜日)
* 現金つかみどり(12月)


== テーマソング ==
== テーマソング ==
*狸小路やし(1954年製作。作詞・ほしはまさくら、補詞・[[丘灯至夫]]、作曲・[[古関裕而]])
* 狸小路やし(1954年製作。作詞・ほしはまさくら、補詞・[[丘灯至夫]]、作曲・[[古関裕而]])
*狸小路の歌(1954年製作。作詞・浜真弓、補詞・丘灯至夫、作曲・古関裕而)
* 狸小路の歌(1954年製作。作詞・浜真弓、補詞・丘灯至夫、作曲・古関裕而)
*狸小路の唄(1962年製作。作詞・[[野坂昭如]]、作曲・[[いずみたく]]、歌・[[朝丘雪路]]、コーラス・[[ボニー・ジャックス]])
* 狸小路の唄(1962年製作。作詞・[[野坂昭如]]、作曲・[[いずみたく]]、歌・[[朝丘雪路]]、コーラス・[[ボニー・ジャックス]])
*ぽんぽこサンバ(1975年製作。作詞・[[伊藤アキラ]]、作曲・[[小林亜星]])
* ぽんぽこサンバ(1975年製作。作詞・[[伊藤アキラ]]、作曲・[[小林亜星]])


== アクセス・駐車場 ==
== 交通手段 ==
[[創成川]]([[創成川公園]]の「狸二条広場」)を挟んで[[二条市場]]がある。
* [[札幌市電]][[狸小路停留場]]下車すぐ
* 札幌市営地下鉄[[すすきの駅]] または[[豊水すすきの駅]]下車 徒歩約5分
* [[札幌市]][[狸小路停留場]]下車
* [[札幌市営地下鉄]]
* [[大通駅]]下車 徒歩約8分
** [[すすきの駅]]から3丁目・4丁目まで徒歩約3分
** [[豊水すすきの駅]]から1丁目・2丁目まで徒歩約3分
** [[大通駅]]から3丁目・4丁目まで徒歩約4分
* 駐車場:指定駐車場(約30ヶ所)あり


== 注 ==
== 注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{Reflist|2}}


== 参考文献 ==
== 参考資料 ==
* 札幌市史編集委員会編『札幌市史・産業経済篇札幌市役所、1958年
* {{Cite book|和書|editor=札幌市史編集委員会 |title=札幌市史・産業経済篇 |year=1958 |publisher=[[札幌市役所]]}}
* {{Cite book|和書|publisher=[[札幌市]] |title=さっぽろ文庫 |url=http://www.city.sapporo.jp/kobunshokan/kankobutsu/bunko/ |accessdate=2017-09-21 |volume=1 札幌地名考 |ref={{SfnRef|札幌地名考}}}}
* 狸小路130年誌編集委員会編『狸小路130年誌 SAPPORO TANUKIKOUJI 1873-2003』札幌狸小路商店街振興組合、2004年
* {{Cite book|和書|publisher=札幌市 |title=さっぽろ文庫 |url=http://www.city.sapporo.jp/kobunshokan/kankobutsu/bunko/ |accessdate=2017-09-14 |volume=36 狸小路 |ref={{SfnRef|狸小路}}}}
* {{Cite book |和書 |author=ロム・インターナショナル(編) |date=2005-02-01 |title=道路地図 びっくり!博学知識 |publisher=[[河出書房新社]] |series=KAWADE夢文庫|isbn=4-309-49566-4|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|publisher=札幌市 |title=さっぽろ文庫 |url=http://www.city.sapporo.jp/kobunshokan/kankobutsu/bunko/ |accessdate=2017-09-14 |volume=58 札幌の通り |ref={{SfnRef|札幌の通り}}}}
* {{Cite web |url=https://www.city.sapporo.jp/chuo/gaiyo/history/documents/4-04.pdf |title=狸小路 |format=PDF |work=歴史の散歩道 |publisher=札幌市中央区 |accessdate=2017-09-17 |ref={{SfnRef|歴史の散歩道}}}}
* {{Cite book|和書|editor=狸小路130年誌編集委員会編 |title=狸小路130年誌 SAPPORO TANUKIKOUJI 1873-2003 |year=2004 |publisher=札幌狸小路商店街振興組合}}
* {{Cite book|和書|editor=ロム・インターナショナル |title=道路地図 びっくり!博学知識 |year=2005 |publisher=[[河出書房新社]] |series=KAWADE夢文庫 |isbn=4-309-49566-4 |ref={{SfnRef|ロム・インターナショナル|2005}}}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Tanukikoji Shopping Arcade}}
* [[本陣狸大明神社]]
* [[日本の商店街一覧]]
* [[帝国座 (札幌市)|帝国座]]
* [[さっぽろ・ふるさと文化百選]]
* [[松竹遊楽館]]
* [[みよしのさっぽろ]] - 前身は2丁目に所在した甘味処(現在は「みよしの狸小路店」)
* 旧[[サンデパート (札幌)|サンデパート]] - かつて存在した百貨店。道内初の大型共同店舗として存在した。
* [[アルシュ]]
* [[二条市場]]
* [[松山中央商店街]] - 姉妹商店街


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.tanukikoji.or.jp/ 狸小路商店街]
* [http://www.tanukikoji.or.jp 札幌狸小路商店街]
** {{YouTube|channel=UC4MJuFkUup29JJV58tfd1JQ|tanukikojisyotengai}}
* [http://www.011.or.jp/02_bn/02_01index.htm さっぽろわくわく商店街 札幌市商店街振興組合]
* [http://www.sapporo.travel/find/shops/tanukikoji_shopping_arcade/ 狸小路 {{!}} ようこそSAPPORO]


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2017年10月5日 (木) 22:08時点における版

狸小路3丁目(2008年6月)
狸小路7丁目(2010年4月)

狸小路商店街(たぬきこうじしょうてんがい)は、札幌市中央区に所在する商店街。この項目では、地域街区)としての通称「狸小路」についても記載している。

概要

狸小路は南2条と南3条の中通であり[1]、道路名は「市道南2・3条中通線」。創成川河畔の西1丁目から西10丁目まである横長の街区になっている[1]。「札幌狸小路商店街振興組合」に加盟しているのは西1丁目から西7丁目までのアーケード(全蓋式、国道36号部分は除く)がある区域であり、総延長約900m、店舗数約200軒の北海道で歴史ある商店街の1つになっている[2]。狸小路商店街は新しいものを積極的に採り入れており[3]、札幌市に初めて電話交換局が設置された際にすぐ電話を設置したのが狸小路の商人であったほか[3]、札幌市でラジオテレビの放送がはじまるとすぐに宣伝広告コマーシャルメッセージ)を行い[3]、商店街としていち早くインターネットを活用し[3]光ファイバー無線LANによる商店街LANを構築している[3]。24時間歩行者専用になっており、許可を得た車両以外の通行を禁止している。

名称の由来

「狸小路」の名称については諸説あり、1891年明治24年)の『札幌繁昌記』によると「狸小路とは綽名なり。 創成川の西側、南二条と三条との間の小路をいう。このところ飲食店とて、西二丁目三丁目にて両側に軒をならべ、四十余の角行燈影暗きあたり、一種異体の怪物、無尻を着る下卑体のもの、唐桟の娘、黒チリ一ツ紋の令嬢的のもの、無りょ百三四十匹、各衣裳なりに身体をこしらい、夜な夜な真面目に白い手をすっくと伸ばして、北海道へ金庫でも建てようと思い込みかつ呑み込み、故郷を威張ってはるばる来た大の男子等を巧みにいけどり、財布の底を叩かせる。ハテ怪有な動物かな、その化かし方狸よりも上手なれば、人々かくは『狸小路』となんよべるなり」とあるほか[2][4]1934年昭和9年)の『北海タイムス』(1934年)に掲載された写真家・三島常磐による回顧談によると、1873年(明治6年)か1874年(明治7年)頃に現在の南3条西4丁目に侠客の松本代吉が「東座」(あずまざ)を建てると「それが切掛になって一杯酒の店が出る、白首(ごけ)が出だすという按排(あんばい)で[注 1]、それ迄一帯の大ヤブであった地が次第に賑わって来た(略)。徒(あだ)に付けた白首小路、則ち狸小路の名がその儘本名になってしまったんだから面白い。大ヤブに出る狸で、狸は白首の異名であった」とあり[4][5]、言葉巧みに男を誘う女たちをタヌキに見立てた説があるほか[2][4][6]1898年(明治31年)に『北海道毎日新聞』に掲載された深谷鉄三郎による回顧談によると、3丁目に「曖昧女」(白首)をかかえた「仙北屋」が開いたことが狸小路の始まりであり、次いで「雨風」とあだ名のついた女が2丁目で料理屋兼曖昧屋とした「安津満屋」(あづまや)を開いたことが第2の狸小路の始まりであるという説[7]、実際にタヌキが生息していたから狸小路と呼ばれたという説[2][8]、明治から大正初期にかけて人を化かして仕入れ価格の2倍で商品を売って暴利をむさぼる商店があったため、当時の商売人をタヌキに例えたという説がある[9]

歴史

1869年明治2年)に明治政府が開拓使を設置して1871年(明治4年)に札幌に本庁舎が移転すると、現在の南1条から南3条までの間に町屋飲食店が建ち並び始めた[3][8][10]1873年(明治6年)頃には、すでに現在の西2丁目から西3丁目の一角を「狸小路」と呼んでいたという[3]。当初は公娼の薄野(すすきの)に対する私娼歓楽街として賑わいを増していったが[10]1885年(明治18年)に「第一勧工場」、1892年(明治25年)に「札幌商館」などができると物品販売業者も増えて次第に商店街の色合いが強くなっていった[10][11]。また、1879年(明治12年)に現在の4丁目に建てられた「市川亭」[注 2]、1892年(明治25年)に現在の1丁目に建てられた「札幌亭」などでは寄席が行われていた[注 3][10]。なお、1891年(明治24年)には10軒ほどの俗称・白首屋(ごけや)を強制的に薄野の南はずれに隔離している[10]1897年(明治30年)頃には1丁目から3丁目までに商店が集中しており、4丁目はまだ空き地が目立ち、5丁目は1、2軒の店のほかは官舎があるくらいであったが、南1条通の「札幌一番街」に次いで賑やかな通りを形成していた[10]1910年(明治43年)には3丁目に札幌初となるビアホール「安田ビアホール」が開店した[14]

大正になると活動写真が活発になり、1914年(大正3年)の「ルナパーク」はじめ[注 3]1911年(明治43年)開館の「遊楽館」(松竹遊楽館)も1915年(大正4年)に活動写真へ切り替え、1925年(大正14年)には「三友館」が開館している[注 4]1916年(大正5年)には3丁目が初めて横断街灯を設置し[2]、5丁目、4丁目、1丁目が続いた[16]1918年(大正7年)の『開道五十年記念北海道博覧会』開催を契機に商店街としての連帯意識が強まり、「三丁目会」を皮切りに「四丁目会」「二丁目会」が結成され、1925年(大正14年)に3つの会を合わせた「狸小路聯合会」が発足したが形骸化し、1930年昭和5年)に「五丁目会」「六丁目会」が加わって再出発した[注 5][18]1927年(昭和2年)には5丁目が初めてスズランの形をした街灯「鈴蘭灯」を設置し[2]、翌年には2丁目から6丁目間に拡大した[16]。また、この頃には1丁目から6丁目間の道路舗装も完了している[16]1933年(昭和8年)になると5丁目から8丁目までの人々が高村光雲による観音像を本尊とした「札幌観音堂」を9丁目に建立した(1978年廃堂)[注 6][20]。一方、1丁目から3丁目までの商店主が中心となり、商売繁昌を願って浅草寺から本尊となる「柳之御影観音」を持ち込んだ「観音堂」(新浅草寺)を1丁目に設置したため[注 7]、本家争いで両派が対立する時期があった[21]1936年(昭和11年)には5丁目が初めてネオンを設置し、順次鈴蘭型のネオンになっていった[2]。ところが、「支那事変」勃発から「太平洋戦争」に突入すると、時局の悪化に伴い点灯看板やネオンの撤去、金属回収による鈴蘭灯の撤去が行われた[22]。また、「狸小路」の名称も不謹慎とされて「鈴蘭街」と変更していた時期もあったほか[23]、建物疎開(強制疎開)も行われた[24]

終戦直後は狸小路の創成川一帯を中心に「闇市」が起こり、引揚者が建物疎開跡などを利用して闇屋になった[25]1947年(昭和22年)には6丁目に進駐軍専門のキャバレー「グランドパレス」[25]1949年(昭和24年)には8丁目にストリップの劇場「美人座」がオープンした(1975年閉館)[26]。また、同年に1丁目から8丁目までの間の鈴蘭灯が復活し[注 8][2]、この年の歳末大売り出しでは『現金つかみどり』が誕生した[注 9]1958年(昭和33年)になると3丁目を皮切りにアーケード(全蓋式)の設置が始まり、1960年(昭和35年)の2丁目設置によって1丁目から7丁目まで(国道部分は除く)が屋根付の街路になった[注 10]1970年(昭和45年)には「丸友モスリン店」を前身とする「金市舘札幌店」(後のラルズプラザ札幌店、ラルズマート札幌店)の大型店舗(金市舘札幌ビル)が完成した(2014年閉店)[29][30][31][32]1971年(昭和46年)にはさっぽろ地下街(オーロラタウン・ポールタウン)がオープンするが、地下街誕生のきっかけは札幌駅前通の拡幅が決まった時に、お年寄りや子供たちが3丁目から4丁目を1回の青信号で渡り切れなくなることを懸念し、それならば地下に連絡道路を作って安全に渡れるようにしようとサンデパートにおいて話題になったことであった[33]1973年(昭和48年)には『狸小路百年記念祭』を開催し、その記念として4丁目に「本陣狸大明神社」を建立した[34]。なお、神社は1979年(昭和54年)に現在地(5丁目)へ移設した[35]1982年(昭和57年)に1丁目から6丁目までを新しいアーケードに改修し、半円形でアーチ型の透明な屋根になった[36]。このアーケードは、ボタン1つで開閉する仕組みになっている[36]

平成になると2001年(平成13年)に松山中央商店街と「姉妹商店街」を締結したほか[2]2002年(平成14年)にはアーケードに光ファイバー無線LANによる商店街LANを構築して監視カメラ発光ダイオード(LED)によるサインボードなどを設置した[2]2008年(平成20年)に札幌狸小路商店街振興組合の役員が中心となって設立した「狸小路道産食彩協議会」運営による北海道産食材の直売店「道産食彩HUG(ハグ)」(ハグマート)が札幌東宝プラザ(現在の札幌プラザ2・5ビル)にオープンし[37]、翌年には飲食店街(ハグイート)がオープンした[38][39]

年表

街区

狸小路1丁目

1丁目には唯一「仲小路」が南北に通っており、1892年明治25年)の「札幌大火」後の一時期には「孤小路」、1丁目の西側半分を「弁天小路」と呼んで居酒屋飯屋屋台などで賑わっていたという[4][51]1910年(明治43年)の『札幌区商工新地図』によると、当時の1丁目は東側半分で行き止まって南北の仲小路に分かれる丁字路になっていた[51]。突き当たりには勧工場「共益商館」焼失後に建てた「札幌商品陳列場」があったが、1919年大正8年)の火事によって周辺の建物を含めて焼失してしまった[51]。再建する際には真ん中に道路をつけようということになり、幅一間半の仲小路を挟んだ両側に新たな勧工場を建て、その両側から出して通路にした[51]。以後、一帯が「仲町」と呼ばれて終戦後まで残っており、「一丁目会」ができるまでは「仲町会」という独立した町内会があったという[51]

  • ゆあさ新仏具店
  • 斎藤印房
  • Yoshi Tokei
  • カレー料理専門店 デリー
  • ワークマン ナガイ
  • 佐藤印舗
  • 質蔵屋
  • ココカラファイン狸小路店

狸小路2丁目

2丁目は「みよしのさっぽろ」を運営しているテンフードサービスの前身となる甘味処「美よし野」があり、現在は「みよしの狸小路店」になっている[52]。かつては、わずか半丁の間にサッポロビール麒麟麦酒アサヒビールの直営店が出店していた(現在はサッポロホールディングス傘下のサッポロライオンによる「ビヤホールライオン狸小路店」のみがある)[53]。「金市舘札幌店」閉店後は「ベガスベガス狸小路二丁目店」が入居している。

狸小路3丁目

1885年(明治18年)に「第一勧工場」が誕生すると狸小路の代名詞までになったが、1892年(明治25年)の大火で焼失してしまった[54]。同年中に跡地の東隣に「札幌商館」(後の札幌商品館)を建てた[54]1962年昭和37年)には国道36号札幌駅前通四番街)との交点に周辺の商店が出資した寄合百貨店サンデパート」がオープンし、後に家電量販店そうご電器[45]ディスカウントストアドン・キホーテ」や「ゲオ」などが入居していたが、周辺区域の都市再開発「南2西3南西地区第1種市街地再開発事業」により解体する予定になっている[55]。また、札幌駅前通に面して「狸小路都心民間交番」を設置しており、防犯や観光案内などを行っている。

狸小路4丁目

昭和初期の4丁目は路面電車によって遮断され、2丁目や3丁目までと比べると人通りも少なかったが[56]1912年(明治45年)の映画常設館「第一神田館」や「サクラビール」によって次第に客足が向いてきたとされている[56]。また、共同店舗ビルの「COSMO」(現在の札幌ナナイロ)や「エイト」(現在のアルシュ)は現在に至るまで多くのテナントが入れ替わっている[56]2015年平成27年)に老舗の「中川ライター店」が閉店した[57]平成観光が運営するビルには3丁目から「ドン・キホーテ札幌店」が移転する[58]

狸小路5丁目

「札幌プラザ2・5ビル」にあった「札幌東宝プラザ」は、1925年大正14年)に5丁目で起きた火災の焼け跡に映画館を誘致しようと有志が集まり、3丁目で「遊楽館」(松竹遊楽館)を経営していた九島興行に話を持ち掛けて開館した「三友館」が前身であり[15]2011年(平成23年)に映画館としての役割を終えた。現在では貸しホールや多目的ホール「BFHホール」になっているほか[59]、1階には「狸小路道産食彩協議会」運営による北海道産食材の直売店「道産食彩HUG(ハグ)」がある[60]。また、5丁目には「本陣狸大明神社」(通称・狸神社)、外国人専用の観光案内所「北海道ツーリストインフォメーションセンター札幌狸小路」がある[61]。誘致によって1978年(昭和53年)にオープンした「日本中央競馬会札幌場外勝馬投票券発売所」(現在のウインズ札幌B館)は[62]、近接している「ウインズ札幌A館」のリニューアル工事竣工後に閉鎖する予定になっている[63]

  • 三室印房
  • コクミンドラッグ狸小路5丁目店
  • 光栄堂楽器 札幌ギターショップ
  • 松山額縁店
  • サツドラ狸小路5丁目店
  • ウォーターマークホテル札幌

狸小路6丁目

ほかの丁目と比べて商店街の発展が遅く、大正末期においても約30戸の家並のうち商店は3分の1にも満たない状態であった[64]1927年(昭和2年)に「狸小路市場」が開業している[40]1960年(昭和35年)に博品舘ニューグランドを取り壊して北海道住宅供給公社第1号となる「グランドビル」(その後、南3条グランドビルに建替え)を建設した[64]1967年(昭和42年)には狸小路初となる民芸店「北海道民芸センター丸和」(現在のハンズマン丸和)がオープンし[64]1971年(昭和46年)に「さっぽろ地下街」が完成すると、6丁目は観光街を形成していった[64]。かつてはロシア料理の店「コーシカ」があった。

狸小路7丁目

1丁目から7丁目までが「狸小路商店街」に加盟しており、1丁目から続くアーケードは(国道部分は除く)7丁目のみ旧アーケードのままになっている[65]。7丁目はほかの丁目と比べて店の変動が少ないが、これは土地家屋を所有している商店主が多いからと言われている[65]。北海道内では珍しい専門店があり、地金を扱う「風早金銀店」や帽子メーカー「とらや製帽」、日本茶の「幸乃園 安中茶舗」がある[65]

  • 梅澤無線電機
  • アンティークモール骨董時代村
  • 平和ビリヤード
  • イーホテル札幌
  • タヌキスクエア
  • う月食堂

狸小路8丁目 - 10丁目

8丁目はかつて「狸小路商店街」の組合に加盟していたが、1977年(昭和52年)に脱退している[28]。また、当初からアーケード建設に参加していなかった[注 10]。9丁目と10丁目は戦後に切り開かれた商店街であり[66]、境目となる南北の通りの道幅がほかの丁目よりも狭い[67]。かつての9丁目は北側に引揚者バラックがあったほか[66]、昭和30年前後には「小ススキノ」と言われるほどの歓楽街を形成していた[66]。また、かつての8丁目から10丁目の間には骨董品店が比較的多く店を構えていた[67]国道230号石山通)交点には「札幌市中央区民センター」があり[68]丁字路の先には「札幌市中央区役所」や「札幌プリンスホテル」が立地している。

  • ホテルレオパレス札幌
  • ホテルテトラスピリット札幌

イベント

  • 初売り(1月2日)
  • さっぽろ雪まつり協賛イベント(2月)
  • 北海道神宮祭奉奠狸神輿渡御(6月16日)
  • 狸まつり(7月から8月)
  • ナイトバーゲン(7月最終土曜日)
  • 狸八徳例大祭(8月第1土曜日)
  • 現金つかみどり(12月)

テーマソング

アクセス・駐車場

創成川創成川公園の「狸二条広場」)を挟んで二条市場がある。

脚注

注釈

  1. ^ 白首(ごけ)とはおしろいを塗った「娼婦」の意[5][6]
  2. ^ 「市川亭」は後に恵館、清明館、開進亭と改称し、1912年(明治45年)に札幌初の常設活動写真館「神田館」が仮営業していた(同年に同じ4丁目で新築開館した)[12]
  3. ^ a b 「札幌亭」は後にルナパーク、北海歌劇館、ニコニコ館、盛賑館(せいしんかん)、観音座、帝国館と改称し[13]、1938年(昭和13年)に「帝国座」と改称した[13]
  4. ^ 後に日活館、日活二番館、札幌東宝プラザと改称した[15]
  5. ^ 「一丁目会」は1927年(昭和2年)に結成した[17]
  6. ^ 廃堂後、高村光雲による「聖観音像」は浅草寺に奉納されている[19]
  7. ^ 「観音堂」は1985年(昭和60年)に取り壊しとなり、「柳之御影観音」は浅草三井寺別院へ移設した[20]
  8. ^ 電力制限から、1基当たり9灯のうち3灯の使用にとどまった[25]
  9. ^ 初めは百円紙幣のつかみどりで開催し、翌年には千円紙幣、1957年(昭和32年)に五千円紙幣となり、1959年(昭和34年)に一万円紙幣となったが、公正取引委員会の通達によって中止となった[27]。1976年(昭和51年)にクイズ当選者に限るという条件付きで復活した[27]
  10. ^ a b 当時商店街に加盟していた8丁目は比較的借地が多く、店主は高い負担金を拒み、地主は自分が商売をしている訳ではないと断ったため、アーケード設置には至らなかった[28]
  11. ^ 1丁目から8丁目までが加盟していたが、1977年(昭和52年)に8丁目が脱会して準会員になった[28]

出典

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  2. ^ a b c d e f g h i j k 狸小路を知る”. 札幌狸小路商店街振興組合. 2017年9月13日閲覧。
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  5. ^ a b 狸小路, pp. 13–14.
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  7. ^ 狸小路, pp. 206–207.
  8. ^ a b ロム・インターナショナル 2005, p. 171.
  9. ^ ロム・インターナショナル 2005, p. 172.
  10. ^ a b c d e f 狸小路, pp. 13–17.
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  12. ^ 狸小路, p. 18.
  13. ^ a b 狸小路, pp. 97–98.
  14. ^ 狸小路のビアホール” (PDF). 歴史の散歩道. 札幌市中央区. 2017年9月17日閲覧。
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  17. ^ 狸小路, p. 94.
  18. ^ a b 狸小路, pp. 20–21.
  19. ^ 狸小路, p. 144.
  20. ^ a b 狸小路, pp. 96–97.
  21. ^ 狸小路, pp. 212–213.
  22. ^ 狸小路, p. 44.
  23. ^ a b c 狸小路, pp. 44–45.
  24. ^ 狸小路, pp. 23–24.
  25. ^ a b c 狸小路, pp. 25–26.
  26. ^ 狸小路, p. 141.
  27. ^ a b 狸小路, pp. 26–27.
  28. ^ a b c 狸小路, p. 138.
  29. ^ 狸小路, p. 101.
  30. ^ 閉店前に見ておきたい「のぼりたい・おりたい」ボタンがあるエレベーター”. 北海道ファンマガジン (2014年1月16日). 2017年9月18日閲覧。
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参考資料

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  • 狸小路130年誌編集委員会編 編『狸小路130年誌 SAPPORO TANUKIKOUJI 1873-2003』札幌狸小路商店街振興組合、2004年。 
  • ロム・インターナショナル 編『道路地図 びっくり!博学知識』河出書房新社〈KAWADE夢文庫〉、2005年。ISBN 4-309-49566-4 

関連項目

外部リンク