「ウイチョル族」の版間の差分
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'''ウイチョル族'''(ウイチョルぞく、{{Lang-en-short|Huichol}}; 自称: Wixárika<ref name="ssptf96_531">Schaefer & Furst (1996:531).</ref>、Wizarika<ref>八杉 (1988).</ref>、Vixaritari、Wixaritari)とは、主に[[メキシコ]]の[[ナヤリト州]]や[[ハリスコ州]]に暮らす[[民族]]である。[[ナワトル語]]も属する[[ユト・アステカ語族|ユト=アステカ語族]]の[[言語]]である{{仮リンク|ウイチョル語|en|Huichol language}}を話すが、人口約2万人のうち65パーセントは[[スペイン語]]も用いる<ref name="ko2009">落合 (2009).</ref>。[[ペヨーテ]](peyote; ウイチョル語ではヒクリ (híkuri、híkuli、hiculi<ref>Schaefer & Furst (1996:524).</ref>))にまつわる文化で知られている。 |
'''ウイチョル族'''(ウイチョルぞく、{{Lang-en-short|Huichol}}; 自称: Wixárika<ref name="ssptf96_531">Schaefer & Furst (1996:531).</ref>、Wizarika<ref>八杉 (1988).</ref>、Vixaritari、Wixaritari)とは、主に[[メキシコ]]の[[ナヤリト州]]や[[ハリスコ州]]に暮らす[[民族]]である。[[ナワトル語]]も属する[[ユト・アステカ語族|ユト=アステカ語族]]の[[言語]]である{{仮リンク|ウイチョル語|en|Huichol language}}を話すが、人口約2万人のうち65パーセントは[[スペイン語]]も用いる<ref name="ko2009">落合 (2009).</ref>。[[サボテン]]の一種である[[ペヨーテ]](peyote; ウイチョル語ではヒクリ (híkuri、híkuli、hiculi<ref>Schaefer & Furst (1996:524).</ref>))にまつわる文化で知られている。 |
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== 歴史 == |
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==== ペヨーテ狩り ==== |
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10月から2月の乾季になると<ref name="ko2009" />、ウイチョル族は年に一度のペヨーテ(ヒクリ)の採取のために[[サン・ルイス・ポトシ州|サン・ルイス・ポトシ]]地域の{{仮リンク|ウィリクタ|en|Wirikuta}}(Wirikúta<ref name="ssptf96_531" />、Wirikuta)という聖地まで旅を行う<ref name="res2007_pey">シュルテスら (2007:148-150).</ref>。ウィリクタはウイチョル族にとってペヨーテが豊かに生育する先祖代々の地であり<ref name="res2007_pey" />、ペヨーテ狩りは楽園ウィリクタへの回帰、原型の始まりと神話の歴史の終わりと見做されている<ref name="res2007_pey" />。ウィリクタへの最初のペヨーテ狩りの旅は[[シャーマン]]の祖にしてウイチョル最古の神である{{仮リンク|タテワリ|en|Tatewari}}{{Refnest|group="注"|Tatewari。シュルテスら (2007:148) によるとその名は「私たちの祖父の火」である。また[[言語学]]的にも<br /> taa+-tewaríi-ma<br /> [[一人称|1]]{{Scaps|[[複数|pl]].[[所有 (言語学)|poss]]-祖父<small>もしくは</small>孫{{Refnest|group="†"|なお、ウイチョル族は祖父と孫世代の間の関係性については同一性、平等性、相互性のあるものと考えており、親族名称は一方の世代からもう一方の世代に向けて全く同一のものが使用され得る<ref name="bgm1974_66">{{Harvcoltxt|Myerhoff|1974|p=66}}.</ref>。ウイチョル語で ''tewaríi''(あるいは ''tewarí'' や {{Unicode|''teʼvali''}} とも)は〈祖父〉と〈孫〉、〈大おじ〉と〈甥または姪の息子〉を男性同士で相互に表す語彙であるが、ほかにも〈祖父母〉と〈孫(娘)〉の両方を表す ''teukári'' が存在し<ref>Schaefer & Furst (1996:529).</ref>、あるウイチョル族は、祖父と孫とは同じ肉体からなる存在であり、互いを ''Neteukari''〈私の ''teukári''〉と呼び合うと述べている<ref name="bgm1974_66" />。}}-[[複数|pl]]}}<br /> 「我々の祖父たち」<br />と分析される表現が存在するが、これは同時に特定の神々のサブクラスも指す<ref>{{Harvcoltxt|Grimes|1964|p=31}}.</ref>。タテワリは手や足でペヨーテを持った姿で擬人化されたペヨーテ神ヒクリとしても知られている<ref name="res2007_148">シュルテスら (2007:148)</ref>。}}によって先導された<ref>シュルテスら (2007:62,148).</ref>。現代のシャーマン{{Refnest|group="注"|経験を積んだシャーマンは[[マラアカメ]]({{Unicode|maraʼakáme}}<ref>Schaefer & Furst (1996:526).</ref>)と呼ばれる<ref name="res2007_148" />。}}とタテワリは幻影や[[シカ|鹿]]の姿をした[[文化英雄]][[カウユマリ]](Kauyumári)を介して交信を行う<ref name="res2007_pey" />。巡礼者たちは通例10人から15人でシャーマンに導かれて旅を行う<ref name="res2007_pey" />。巡礼者たちは儀式に必要不可欠なタバコ用の細口瓶や、ウィリクタから採集した水を故郷へと運んでいくための細口瓶を携行する<ref name="res2007_pey" />。かつては徒歩で200[[マイル]]の旅が行われていたが、今日では車を用いる場合が多い<ref name="res2007_pey" />。巡礼者たちはウィリクタへ旅立つ前に自らの性体験の告白を伴う懺悔{{Refnest|group="注"|1つ1つの罪に関してシャーマンが紐に結び目をつくり、儀式の最後に燃やす<ref name="res2007_148" />。}}とお清めの儀式を受けなければならない<ref name="res2007_pey" />。旅の間、[[食事]]や[[性交渉]]、[[睡眠]]は神々に倣って差し控えられ、ウィリクタの神聖な山々が見える場所に着くと、巡礼者たちは儀式に従って清められ、恵みの雨を祈る。そしてシャーマンが詠唱を行っている最中に「頭の中の地図」に従って雲の関門や雲の通路を抜ける2つの感動的な段階を踏むことにより、あの世への旅を始める<ref name="res2007_pey" />。いよいよペヨーテ狩りの場所に到着するとシャーマンは儀式を始め、ペヨーテにまつわる古来の物語を話し、安全の祈願を行う<ref name="res2007_pey" />。巡礼者たちの中でも特に初めての参加者たちは目隠しをされた状態でシャーマンのみに見える「宇宙の入口」にいざなわれる<ref name="res2007_pey" />。シャーマンの詠唱の最中に司祭たちが立ち止まって[[蝋燭]]を灯し、祈りの言葉を呟く<ref name="res2007_pey" />。ようやくペヨーテを見つけるとシャーマンは鹿の足跡を暫く眺め、[[矢]]でペヨーテを射る<ref name="res2007_pey" />。巡礼者たちはその年初めてのペヨーテを射られた鹿になぞらえて詠歌や[[トウモロコシ]]の種子といった捧げ物を行い、かご一杯になるほどペヨーテを採取する<ref name="res2007_pey" />。次の日になると更に多くのペヨーテが集められるが、その一部は故郷で待っている人々と分け合い、更にその残りはやはりペヨーテを使用するコラ族やタラフマラ族のために売り出されることとなる<ref name="res2007_pey" />。その後にはタバコ配りの儀式が行われるが、ウイチョル族はタバコを火と結びつけて考えている<ref name="res2007_pey" />。この儀式ではまず[[磁石]]の4方位に向けて矢が置かれ、真夜中に火が焚かれる<ref name="res2007_pey" />。するとシャーマンは火の前にタバコを置き、それに羽飾りで触れつつ祈り、巡礼者一人一人にタバコを配る<ref name="res2007_pey" />。各人はタバコの誕生の象徴である細口瓶に配られた物を入れる<ref name="res2007_pey" />。 |
10月から2月の乾季になると<ref name="ko2009" />、ウイチョル族は年に一度のペヨーテ(ヒクリ)の採取のために[[サン・ルイス・ポトシ州|サン・ルイス・ポトシ]]地域の{{仮リンク|ウィリクタ|en|Wirikuta}}(Wirikúta<ref name="ssptf96_531" />、Wirikuta)という聖地まで旅を行う<ref name="res2007_pey">シュルテスら (2007:148-150).</ref>。ウィリクタはウイチョル族にとってペヨーテが豊かに生育する先祖代々の地であり<ref name="res2007_pey" />、ペヨーテ狩りは楽園ウィリクタへの回帰、原型の始まりと神話の歴史の終わりと見做されている<ref name="res2007_pey" />。ウィリクタへの最初のペヨーテ狩りの旅は[[シャーマン]]の祖にしてウイチョル最古の神である{{仮リンク|タテワリ|en|Tatewari}}{{Refnest|group="注"|Tatewari。シュルテスら (2007:148) によるとその名は「私たちの祖父の火」である。また[[言語学]]的にも<br /> taa+-tewaríi-ma<br /> [[一人称|1]]{{Scaps|[[複数|pl]].[[所有 (言語学)|poss]]-祖父<small>もしくは</small>孫{{Refnest|group="†"|なお、ウイチョル族は祖父と孫世代の間の関係性については同一性、平等性、相互性のあるものと考えており、親族名称は一方の世代からもう一方の世代に向けて全く同一のものが使用され得る<ref name="bgm1974_66">{{Harvcoltxt|Myerhoff|1974|p=66}}.</ref>。ウイチョル語で ''tewaríi''(あるいは ''tewarí'' や {{Unicode|''teʼvali''}} とも)は〈祖父〉と〈孫〉、〈大おじ〉と〈甥または姪の息子〉を男性同士で相互に表す語彙であるが、ほかにも〈祖父母〉と〈孫(娘)〉の両方を表す ''teukári'' が存在し<ref>Schaefer & Furst (1996:529).</ref>、あるウイチョル族は、祖父と孫とは同じ肉体からなる存在であり、互いを ''Neteukari''〈私の ''teukári''〉と呼び合うと述べている<ref name="bgm1974_66" />。}}-[[複数|pl]]}}<br /> 「我々の祖父たち」<br />と分析される表現が存在するが、これは同時に特定の神々のサブクラスも指す<ref>{{Harvcoltxt|Grimes|1964|p=31}}.</ref>。タテワリは手や足でペヨーテを持った姿で擬人化されたペヨーテ神ヒクリとしても知られている<ref name="res2007_148">シュルテスら (2007:148)</ref>。}}によって先導された<ref>シュルテスら (2007:62,148).</ref>。現代のシャーマン{{Refnest|group="注"|経験を積んだシャーマンは[[マラアカメ]](ウイチョル語: {{Unicode|maraʼakáme}}<ref>Schaefer & Furst (1996:526).</ref>; マラカメ<ref name="ko2009" />とも)と呼ばれる<ref name="res2007_148" />。}}とタテワリは幻影や[[シカ|鹿]]の姿をした[[文化英雄]][[カウユマリ]](Kauyumári)を介して交信を行う<ref name="res2007_pey" />。巡礼者たちは通例10人から15人でシャーマンに導かれて旅を行う<ref name="res2007_pey" />。巡礼者たちは儀式に必要不可欠なタバコ用の細口瓶や、ウィリクタから採集した水を故郷へと運んでいくための細口瓶を携行する<ref name="res2007_pey" />。かつては徒歩で200[[マイル]]の旅が行われていたが、今日では車を用いる場合が多い<ref name="res2007_pey" />。巡礼者たちはウィリクタへ旅立つ前に自らの性体験の告白を伴う懺悔{{Refnest|group="注"|1つ1つの罪に関してシャーマンが紐に結び目をつくり、儀式の最後に燃やす<ref name="res2007_148" />。}}とお清めの儀式を受けなければならない<ref name="res2007_pey" />。旅の間、[[食事]]や[[性交渉]]、[[睡眠]]は神々に倣って差し控えられ、ウィリクタの神聖な山々が見える場所に着くと、巡礼者たちは儀式に従って清められ、恵みの雨を祈る。そしてシャーマンが詠唱を行っている最中に「頭の中の地図」に従って雲の関門や雲の通路を抜ける2つの感動的な段階を踏むことにより、あの世への旅を始める<ref name="res2007_pey" />。いよいよペヨーテ狩りの場所に到着するとシャーマンは儀式を始め、ペヨーテにまつわる古来の物語を話し、安全の祈願を行う<ref name="res2007_pey" />。巡礼者たちの中でも特に初めての参加者たちは目隠しをされた状態でシャーマンのみに見える「宇宙の入口」にいざなわれる<ref name="res2007_pey" />。シャーマンの詠唱の最中に司祭たちが立ち止まって[[蝋燭]]を灯し、祈りの言葉を呟く<ref name="res2007_pey" />。ようやくペヨーテを見つけるとシャーマンは鹿の足跡を暫く眺め、[[矢]]でペヨーテを射る<ref name="res2007_pey" />。巡礼者たちはその年初めてのペヨーテを射られた鹿になぞらえて詠歌や[[トウモロコシ]]の種子といった捧げ物を行い、かご一杯になるほどペヨーテを採取する<ref name="res2007_pey" />。次の日になると更に多くのペヨーテが集められるが、その一部は故郷で待っている人々と分け合い、更にその残りはやはりペヨーテを使用するコラ族やタラフマラ族のために売り出されることとなる<ref name="res2007_pey" />。その後にはタバコ配りの儀式が行われるが、ウイチョル族はタバコを火と結びつけて考えている<ref name="res2007_pey" />。この儀式ではまず[[磁石]]の4方位に向けて矢が置かれ、真夜中に火が焚かれる<ref name="res2007_pey" />。するとシャーマンは火の前にタバコを置き、それに羽飾りで触れつつ祈り、巡礼者一人一人にタバコを配る<ref name="res2007_pey" />。各人はタバコの誕生の象徴である細口瓶に配られた物を入れる<ref name="res2007_pey" />。 |
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なお、ウイチョル族はペヨーテ狩りに[[人類学者]]やメキシコの著述家が同行することを何度か許可している<ref name="res2007_148" />。 |
なお、ウイチョル族はペヨーテ狩りに[[人類学者]]やメキシコの著述家が同行することを何度か許可している<ref name="res2007_148" />。 |
2017年7月17日 (月) 12:40時点における版
Wixárika | |
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ウイチョル族のシャーマン | |
総人口 | |
2万人[1] | |
居住地域 | |
メキシコのナヤリト州およびハリスコ州 | |
言語 | |
ウイチョル語、スペイン語 | |
宗教 | |
伝統宗教、キリスト教[1] | |
関連する民族 | |
コラ族、タラフマラ族 |
ウイチョル族(ウイチョルぞく、英: Huichol; 自称: Wixárika[2]、Wizarika[3]、Vixaritari、Wixaritari)とは、主にメキシコのナヤリト州やハリスコ州に暮らす民族である。ナワトル語も属するユト=アステカ語族の言語であるウイチョル語を話すが、人口約2万人のうち65パーセントはスペイン語も用いる[4]。サボテンの一種であるペヨーテ(peyote; ウイチョル語ではヒクリ (híkuri、híkuli、hiculi[5]))にまつわる文化で知られている。
歴史
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19世紀末の10年間に探検家カール・ルムホルツ(Carl Lumholtz)がウイチョル族やタラフマラ族(Tarahumara)をはじめとするメキシコ西シエラ・マドレ山脈の先住民の間でのペヨーテの使用を記録している[6]。ウイチョル族やタラフマラ族の他にもコラ族(Cora)[注 1]がペヨーテ儀式を行うことで知られているが、いずれも踊りが中心で何世紀にもわたってその内容をほとんど変えていないと推定され、特に現代ウイチョル族のペヨーテ儀式はスペイン人記録者ベルナルディーノ・デ・サアグン(Bernardino de Sahagún)が記述を行ったテオチチメカの儀式との一致が見られ、植民地期以前の儀式に最も近いものであるとされる[6]。メキシコの古い記録はキリスト教の宣教師たちが残したものであるが、宣教師らはペヨーテを用いた儀式を邪教と見做し、猛烈な迫害を行った[6]。しかしそれでもなお、先住民たちは何世紀にもわたる伝統のあるペヨーテカルトを放棄しようとはしなかった[6]。
生活
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ウイチョル族は乾燥した山岳地帯において世帯ごとにランチェリア(西: ranchería)という村落にまとまって居住する[4]。トウモロコシやカボチャ、タバコといった作物の生産を焼畑農法で行うほか、副次的に狩猟や採集も行う[4]。
春になると一時的な労働のため太平洋沿岸部まで出てくる[1]。またヴァイオリンやギターの自作も行う[1]。
ウイチョル族は刺繍などを施した色とりどりの民族衣装や、神話に関連した内容の毛糸絵の製作を行っていることでも有名である[4]。
習俗
ウイチョル族は伝統宗教の一環として、いずれも幻覚作用を有するサボテン科のペヨーテ(Lophophora williamsii)や、ヤウティ(yauhti; 学名: Tagetes lucida)というキク科コウオウソウ属の植物を儀礼に用いる[7]。このうちペヨーテについては、後述するような「ペヨーテ狩り」によって調達が行われており、ウイチョル族は他のどの幻覚性植物よりも高くペヨーテを評価している[6]。ウイチョル族にはまた、サボテン科のヒクリ・ムラート(Hikuli Mulato; 学名: Epithelantha micromeris)[注 2]や永続的な自失状態を引き起こすと信じられるツウィリ(ウイチョル語: tsuwíri[8]; 学名: Ariocarpus retusus)[注 3]、「神の陶酔薬」であり妖術の強力な補助薬として崇拝するキエリ(ウイチョル語: kiéri[9]、kieli; 学名: Solandra brevicalyx や Solandra guerrerensis、Solandra grandiflora)[注 4]という灌木のほか、チョウセンアサガオ属(Datura)やキダチチョウセンアサガオ属(Brugmansia)といった植物の取り扱いを心得ている者も存在する[11]。しかし、アサガオやチョウセンアサガオといった植物やシビレタケなどはペヨーテに比べると格下の扱いとされており、妖術者に委ねられている[6]。
スペイン人による征服や植民地化以前からの伝統ある宗教には、雨や健康、物質的な繁栄などを司る神々が100以上も登場するが、それらに対するカトリックの聖人の同化(シンクレティズム)も見られる[4]。
ペヨーテ狩り
10月から2月の乾季になると[4]、ウイチョル族は年に一度のペヨーテ(ヒクリ)の採取のためにサン・ルイス・ポトシ地域のウィリクタ(Wirikúta[2]、Wirikuta)という聖地まで旅を行う[12]。ウィリクタはウイチョル族にとってペヨーテが豊かに生育する先祖代々の地であり[12]、ペヨーテ狩りは楽園ウィリクタへの回帰、原型の始まりと神話の歴史の終わりと見做されている[12]。ウィリクタへの最初のペヨーテ狩りの旅はシャーマンの祖にしてウイチョル最古の神であるタテワリ[注 5]によって先導された[17]。現代のシャーマン[注 6]とタテワリは幻影や鹿の姿をした文化英雄カウユマリ(Kauyumári)を介して交信を行う[12]。巡礼者たちは通例10人から15人でシャーマンに導かれて旅を行う[12]。巡礼者たちは儀式に必要不可欠なタバコ用の細口瓶や、ウィリクタから採集した水を故郷へと運んでいくための細口瓶を携行する[12]。かつては徒歩で200マイルの旅が行われていたが、今日では車を用いる場合が多い[12]。巡礼者たちはウィリクタへ旅立つ前に自らの性体験の告白を伴う懺悔[注 7]とお清めの儀式を受けなければならない[12]。旅の間、食事や性交渉、睡眠は神々に倣って差し控えられ、ウィリクタの神聖な山々が見える場所に着くと、巡礼者たちは儀式に従って清められ、恵みの雨を祈る。そしてシャーマンが詠唱を行っている最中に「頭の中の地図」に従って雲の関門や雲の通路を抜ける2つの感動的な段階を踏むことにより、あの世への旅を始める[12]。いよいよペヨーテ狩りの場所に到着するとシャーマンは儀式を始め、ペヨーテにまつわる古来の物語を話し、安全の祈願を行う[12]。巡礼者たちの中でも特に初めての参加者たちは目隠しをされた状態でシャーマンのみに見える「宇宙の入口」にいざなわれる[12]。シャーマンの詠唱の最中に司祭たちが立ち止まって蝋燭を灯し、祈りの言葉を呟く[12]。ようやくペヨーテを見つけるとシャーマンは鹿の足跡を暫く眺め、矢でペヨーテを射る[12]。巡礼者たちはその年初めてのペヨーテを射られた鹿になぞらえて詠歌やトウモロコシの種子といった捧げ物を行い、かご一杯になるほどペヨーテを採取する[12]。次の日になると更に多くのペヨーテが集められるが、その一部は故郷で待っている人々と分け合い、更にその残りはやはりペヨーテを使用するコラ族やタラフマラ族のために売り出されることとなる[12]。その後にはタバコ配りの儀式が行われるが、ウイチョル族はタバコを火と結びつけて考えている[12]。この儀式ではまず磁石の4方位に向けて矢が置かれ、真夜中に火が焚かれる[12]。するとシャーマンは火の前にタバコを置き、それに羽飾りで触れつつ祈り、巡礼者一人一人にタバコを配る[12]。各人はタバコの誕生の象徴である細口瓶に配られた物を入れる[12]。
なお、ウイチョル族はペヨーテ狩りに人類学者やメキシコの著述家が同行することを何度か許可している[16]。
脚注
注釈
- ^ なお、いずれの民族の言語もユト=アステカ語族に属するが、Lewis et al. (2015) ではコラ語の方がタラフマラ語よりもよりウイチョル語に近いとされている。
- ^ ヒクリ・ロサパラ(Hikuli Rosapara)という別名も持つ。
- ^ 偽ペヨーテ (英: false peyote) や、ヒクリ・スナメ (Hikuli Sunamé) という別名も持つ。日本語では岩牡丹という呼び名があるが、これは多肉植物ではないユキノシタ科ネコノメソウ属のミヤマネコノメソウ(Chrysosplenium macrostemon)の別名でもある。
- ^ ウェイパトゥル(hueipatl)やテコマショチトゥル(tecomaxochitl)[10]というナワトル語由来の別名も持つ。
- ^ Tatewari。シュルテスら (2007:148) によるとその名は「私たちの祖父の火」である。また言語学的にも
taa+-tewaríi-ma
1pl.poss-祖父もしくは孫[† 1]-pl
「我々の祖父たち」
と分析される表現が存在するが、これは同時に特定の神々のサブクラスも指す[15]。タテワリは手や足でペヨーテを持った姿で擬人化されたペヨーテ神ヒクリとしても知られている[16]。 - ^ 経験を積んだシャーマンはマラアカメ(ウイチョル語: maraʼakáme[18]; マラカメ[4]とも)と呼ばれる[16]。
- ^ 1つ1つの罪に関してシャーマンが紐に結び目をつくり、儀式の最後に燃やす[16]。
注釈の注釈
- ^ なお、ウイチョル族は祖父と孫世代の間の関係性については同一性、平等性、相互性のあるものと考えており、親族名称は一方の世代からもう一方の世代に向けて全く同一のものが使用され得る[13]。ウイチョル語で tewaríi(あるいは tewarí や teʼvali とも)は〈祖父〉と〈孫〉、〈大おじ〉と〈甥または姪の息子〉を男性同士で相互に表す語彙であるが、ほかにも〈祖父母〉と〈孫(娘)〉の両方を表す teukári が存在し[14]、あるウイチョル族は、祖父と孫とは同じ肉体からなる存在であり、互いを Neteukari〈私の teukári〉と呼び合うと述べている[13]。
出典
- ^ a b c d Lewis et al. (2015).
- ^ a b Schaefer & Furst (1996:531).
- ^ 八杉 (1988).
- ^ a b c d e f g 落合 (2009).
- ^ Schaefer & Furst (1996:524).
- ^ a b c d e f シュルテスら (2007:147).
- ^ シュルテスら (2007:74,78).
- ^ Schaefer & Furst (1996:530).
- ^ Schaefer & Furst (1996:525).
- ^ シュルテスら (2007:72).
- ^ シュルテスら (2007:67,70-71,72-73).
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s シュルテスら (2007:148-150).
- ^ a b Myerhoff (1974:66).
- ^ Schaefer & Furst (1996:529).
- ^ Grimes (1964:31).
- ^ a b c d シュルテスら (2007:148)
- ^ シュルテスら (2007:62,148).
- ^ Schaefer & Furst (1996:526).
参考文献
和書:
- 落合一泰 (2009).「ウイチョル」 『世界大百科事典 3 イン-エン』平凡社。
- リチャード・エヴァンズ・シュルテス、アルベルト・ホフマン、クリスティアン・レッチュ 共著、鈴木立子 訳『図説 快楽植物大全』東洋書林、2007年。ISBN 978-4-88721-726-3 (原書: Plants of The Gods — Revised and Expanded Edition, 2001.)
- 八杉佳穂 (1988).「ウイチョル語」 『言語学大辞典 第1巻 世界言語編(上)あ-こ』、三省堂、742-743頁。ISBN 4-385-15213-6
洋書:
- Grimes, Joseph E. (1964). Huichol Syntax. The Hague: Mouton
- "Huichol." in Lewis, M. Paul; Simons, Gary F.; Fennig, Charles D., eds. (2015). Ethnologue: Languages of the World (18th ed.). Dallas, Texas: SIL International.
- Myerhoff, Barbara G. (1974). Peyote Hunt: The Sacred Journey of the Huichol Indians. Ithaca: Cornell, University Press
- Schaefer, Stacy and Peter T. Furst (eds.) (1996). People of the Peyote: Huichol Indian History, Religion & Survival. Albuquerque: University of New Mexico Press. ISBN 0-8263-1905-X
関連文献
- Negrin, J. (1975). The Huichol Creation of the World. Sacramento, CA: Crocker Art Gallery.