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2017年6月19日 (月) 22:48時点における版
ジャポニスム(仏: Japonisme)、あるいはジャポニズム(英: Japonism)とは、ヨーロッパで見られた日本趣味のこと。フランスを中心としたヨーロッパでの潮流であったため、ここではフランス語読みである「ジャポニスム」に表記を統一する。
19世紀中頃の万国博覧会(国際博覧会)へ出品などをきっかけに、日本美術(浮世絵、琳派、工芸品など)が注目され、西洋の作家たちに大きな影響を与えた。1870年には、フランス美術界においてジャポニスムの影響はすでに顕著であり[1]、1876年には"japonisme"という単語がフランスの辞書に登場した[2]。
概要
ジャポニスムは画家を初めとして、作家たちにも多大な影響を与えた。たとえばゴッホによる『名所江戸百景』の模写やクロード・モネの着物を着た少女が非常に有名であり、ドガを初めとした画家の色彩感覚にも影響を与えた。
ジャポニスムは、たんなる一時的な流行に終わらなかった。14世紀以降、西欧では何度か大きな変革が起きた。西洋近代を告げるルネサンスにおいて自然回帰運動が起き、写実性を求める動きが次第に強まり、19世紀中頃にクールベらによって名実ともに写実主義が定着した。19世紀後半からは写実主義が衰え、印象主義を経てモダニズムに至る変革が起きた。この大きな変革の段階で決定的に作用を及ぼしたのがジャポニスムであったと考えられている。ジャポニスムは流行にとどまらず、それ以降1世紀近く続いた世界的な芸術運動の発端となったのである。
なお、現在も製造、販売されているフランスのかばんメーカーのルイ・ヴィトンの「ダミエ」キャンバスや「モノグラム」キャンバスも、当時のゴシック趣味、アール・ヌーヴォーの影響のほか、市松模様や家紋の影響もかかわっているとされる。
歴史
ジャポネズリーの時代
ジャポネズリー(仏: Japonaiserie)とは日本趣味のことであり、ジャポニスムの前段階として解釈されている。
嘉永年間、黒船来航により多くの商船が西洋から押し寄せた。当時の写真技術と印刷技術により、日本の様子が西洋に広く知られるようになる。他の美術工芸品とともに浮世絵という版画が欧米でまたたく間に人気になった。
ジャポニスムの第一段階は日本の美術品、特に浮世絵版画の熱狂的な収集から始まる。その最初の例はフランスのパリであった。1856年ごろ、フランスのエッチング画家フェリックス・ブラックモンが、摺師の仕事場で『北斎漫画』を目にした。1860年から1861年にかけて出版された日本についての本の中では、浮世絵がモノクロで紹介されている。
シャルル・ボードレールは、1861年に手紙を書いている。
- 「かなり前になりますが、私は1箱の日本の工芸品を受け取り、それらを友人たちと分け合いました…」
その翌年にはラ・ポルト・シノワーズ(「中国の門」、La Porte Chinoise)という浮世絵を含むいろいろな日本製品を売る店がリヴォリ通りというパリで最もおしゃれな商店街に開店した。
1871年には、カミーユ・サン=サーンスが作曲し、ルイ・ガレが台本を書いたオペラ『黄色い王女』(La Princesse jaune)が公開されたが、その物語はオランダ人の少女が芸術家のボーイフレンドが熱中している浮世絵に嫉妬するというものだった。
ブラックモンによる浮世絵の古典的名作の最初の発見にもかかわらず、当初ヨーロッパに輸入された大半の浮世絵は、同時代である1860〜1870年代の絵師によるものだった。それ以前の巨匠たちが紹介され、評価されるのはもう少しあとのことになる。また、同時期のアメリカのインテリたちは、雪舟や周文などのような日本の洗練された宗教的、国家的遺産とは区別されるべきものだと主張した。
イギリスにおけるジャポニスム
イギリスでは、1862年のロンドン万国博覧会により、日本の陶器や置物など日本文化への関心が高まった。美術界では、ロセッティ・サークル(画家のロセッティを中心としたラファエル前派のグループ)の人々を中心に日本熱が起こった[3]。明治になると日本の軽業師が多数海外で興行するようになり、イギリスでも1870年代にはすでに手品や曲芸を見せる興行が打たれていた。1885年にはロンドンのナイツブリッジにジャパニーズ・ヴィレッジ(日本村)と呼ばれる日本の物品を販売したり見世物をしたりする小屋ができ、同じころサヴォイ劇場では、ウィリアム・ギルバートとアーサー・サリヴァンによるオペレッタ『ミカド』が大当たりを取っていた[4]。また、リバティは日本風デザインの布地や家具を販売し始め、女性誌では日本風を取り入れた新しいドレスが誌面を飾るようになった[5]。
ジャポネズリーからジャポニスムへ
エドゥアール・マネ『エミール・ゾラの肖像』はジャポネズリーの代表的なものであると考えられる。この作品はマネ自身の日本趣味を表しており『エミール・ゾラの肖像』は、マネのアトリエで描かれた作品であり、画中の日本の絵画もマネのコレクションである[6]。この作品そのものには日本の絵画の表現方法が顕著に取込まれているわけではなく、フィンセント・ファン・ゴッホの『タンギー爺さん』も同様の感覚によるものであるとも考えられる。
葛飾北斎や喜多川歌麿を含む日本の画家の作品は絶大な影響をヨーロッパに与えた。日本では文明開化が起こり、浮世絵などの出版物が急速に衰えていく一方で、日本美術はヨーロッパで絶大な評価を受けていた。日本美術から影響を受けたアーティストにはピエール・ボナール、マネ、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック、メアリー・カサット、エドガー・ドガ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、ジェームズ・マクニール・ホイッスラー、クロード・モネ、ゴッホ、カミーユ・ピサロ、ポール・ゴーギャン、グスタフ・クリムトその他多数いる。
ありとあらゆる分野が影響を受けたが、当然、版画が特に影響を受けた。ヨーロッパで主流だったのはリトグラフであって、木版画ではなかったが、日本の影響を抜きにして、ロートレックのリトグラフやポスターについて語ることなど考えられない。木版画によるジャポニスムの作品が作られるようになるのは、モノクロではあったものの、ゴーギャンとフェリックス・ヴァロットンが最初となる。
イギリスへの日本美術の伝達にはホイッスラーが重要な役割を果たした。当時パリは日本の物産の集散地として知られており、ホイッスラーは滞在中に優れたコレクションを蓄積した。
ゴッホのいくつかの作品は浮世絵のスタイルを模倣したり、それ自体をモチーフにしたりしている。たとえば『タンギー爺さん』(あるアートショップのオーナー)の肖像画には、背景に6つの浮世絵が描かれている。また彼は、1886年、渓斎英泉の浮世絵をパリの雑誌『パリ・イリュストレ』(Paris Illustré)で見つけた後、1887年に『花魁』を描いている。ゴッホはこの時すでにアントウェルペンで浮世絵版画を収集していた。
浮世絵は線で構成されており、何も無い空間と図柄のある部分に輪郭線がくっきりと分かれ、立体感はほとんど無い。これらの特徴はアール・ヌーボーに影響を与えた。浮世絵の直線と曲線による表現方法は、その後、世界中の全ての分野の絵画、グラフィックで当たり前のように見ることができるようになった。これらの浮世絵から取り入れられた形状と色彩構成は、現代アートにおける抽象表現の成立要素のひとつと考えられる。ジャポニスムによって、その後の家具や衣料から宝石に到るまであらゆる工芸品のグラフィックデザインに、日本的な要素が取り入れられるようになった。
音楽に関しては、ジャコモ・プッチーニの有名な『蝶々夫人』がジャポニスムの影響を受けている。また、ウィリアム・ギルバートとアーサー・サリヴァンによるオペレッタ『ミカド』は、ロンドンのナイツブリッジで行われた日本の展示会から着想を得たものである。
ジャポニスムの影響
左上の絵は19世紀中頃の写実主義のフランスの画家、ラトゥールの『テーブルの隅』という絵である。左下は世紀末のフランス画家、ロートレックのポスター画である。ロートレックはジャポニスムの影響を強く受けた画家の一人である。このロートレックのポスターは現代人の目には特別なものには映らないが、当時の西洋人にとってはかなり斬新な表現方法を使った絵であった。
まず、ロートレックの絵にはテーブルのラインが画面を真っ二つに切るように斜めに入っている。ジャポニスム以前の絵画では、このように大胆に斜めのラインが入ることは珍しく、ラトゥールの絵のように水平に入るのが普通であった。これは右の広重の浮世絵に見られるような構図がインスピレーションになっていると考えられている。
また、ラトゥールの絵では遠近法と陰影、細部の描写により立体感を表現しているが、ロートレックの方は平面の組み合わせで描写され、立体感の表現は全く放棄されている。人物や物体の輪郭が線で表現されるのも、ジャポニスム以前のヨーロッパではあまり見られない表現方法であった。色使いも大胆で鮮明な原色が画面のかなりの面積を占めており、油彩とリトグラフという比較障害があるとしても、ラトゥールの絵とは好対照である。
左の絵では比較しにくいが、ジャポニスム以前の絵画では、地平線の位置が画面中央付近から下部に水平に表現されるのが普通であった。ジャポニスム以降は地平線が画面上部に描かれたり、あるいは背景全部が地面または床になることが普通に見られるようになる。このようなジャポニスムの影響は、20世紀に入るとヨーロッパのあらゆる視覚表現に普遍的に見られるようになり、これはジャポニスムでこちらはそうではない、と区別することが意味を成さなくなっていく。
ギャラリー
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ピエール=オーギュスト・ルノワール『うちわを持つ少女』 1881年
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歌川広重の浮世絵(左)と、ゴッホによる模写(右) 1887年
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歌川広重の浮世絵(左)と、ゴッホによる模写(右) 1887年
参考図書
- 大島清次『ジャポニスム 印象派と浮世絵の周辺』美術公論社、1980年、講談社学術文庫、1992年
- 朝日新聞社編『ジャポニズムの謎』アサヒグラフ別冊美術特集、1990年
- 由水常雄『ジャポニスムからアール・ヌーヴォーへ』中公文庫、1994年
- 深井晃子『ジャポニスムインファッション-海を渡ったキモノ』平凡社、1994年
- 児玉実英『アメリカのジャポニズム-美術・工芸を超えた日本志向』中央公論社、1995年
- 馬渕明子『ジャポニスム 幻想の日本』ブリュッケ、1997年 新版2004年
- 三井秀樹『美のジャポニスム』文春新書、1999年
- ジャポニスム学会編、『ジャポニスム入門』思文閣出版、2000年。
- 新見隆『空間のジャポニズム-建築・インテリアにおける日本趣味』 INAX 2001年
- 岡部昌幸『すぐわかる画家別西洋絵画の見かた』東京美術、2002年。
- フィリップ・ティエボー『エミール・ガレ - その陶芸とジャポニスム』平凡社、2003年
- クラウディア・デランク『ドイツにおける「日本=像」-ユーゲントシュティールからバウハウスまで』思文閣出版、2004年
- 羽田美也子『ジャポニズム小説の世界-アメリカ編 』彩流社、2005年
- 上野理恵『ジャポニスムから見たロシア美術 』東洋書店、2005年
- 小山ブリジット(高頭麻子・三宅京子訳)『夢見た日本 エドモン・ド・ゴンクールと林忠正』平凡社、2006年
- 林忠正シンポジウム実行委員会『林忠正 ジャポニスムと文化交流』<日本女子大学叢書>ブリュッケ、2007年
- 小野文子『美の交流―イギリスのジャポニスム』技報堂出版、2008年
- リカルド・ブル、スペイン・ジャポニスムの研究
- 東田雅博『シノワズリーか、ジャポニスムか 西洋世界に与えた衝撃』中公叢書、2015年
脚注
- ^ "Rethinking Japan. 1. Literature, visual arts & linguistics" by Adriana Boscaro,Franco Gatti,Massimo Raveri p141
- ^ 「フランスにおけるジャポニスムのある側面について」柴田道子
- ^ 『薩摩と西欧文明: ザビエルそして洋学、留学生』ザビエル渡来450周年記念シンポジウム委員会図書出版 南方新社, 2000
- ^ 『イギリス文化入門』三修社 p328
- ^ 19世紀末イギリスの日本趣味 佐々井啓
- ^ 出典:『マネ 近代絵画の誕生』(「知の再発見」双書(137) フランソワーズ・カシャン 創元社 74頁 ISBN 9784422211978)
関連項目
外部リンク
- ゴンクールの「ジャポニスム」 斎藤一郎
- フランスにおけるジャポニスムのある側面について 柴田道子
- ドイツのジャポニスム:エルンスト・シューァと日本美術 松尾早苗
- ジャポニスムの底流 北川正、東京家政学院大学紀要 第44 号 2004 年
- 欧米人から見た日本―日本関係の英語文献紹介― 愛川今生作成