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フェリックス・ブラックモン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フェリックス・ブラックモン
Félix Bracquemond
ナダールの撮影によるブラックモン
生誕 1833年5月22日
フランスの旗 フランス王国 パリ
死没 (1914-10-27) 1914年10月27日(81歳没)
フランスの旗 フランス共和国 セーヴル
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フェリックス・ブラックモンフランス語: Félix Bracquemond, 1833年5月22日 - 1914年10月27日)はフランスの画家、版画家、陶芸家である。

略歴

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パリで生まれた。乗馬学校の講師見習いとして働いた後[1]、版画工房で働き始め、ドミニク・アングルに学んだことのあるジョゼフ・ギシャールに才能を認められ、ギシャールの工房に迎えられた。19歳になった1852年にサロン・ド・パリに出展し、美術評論家テオフィル・ゴーティエらに注目された。

1863年には版画を出展するが、この時審査で落選し、この年落選した多くの芸術家の請願によって開かれた「落選展」に出展した。1862年にエッチング版画家協会(Société des Aquafortistes)に入会した[2]。友人になったエドゥアール・マネや、アンリ・ファンタン=ラトゥールアルフォンス・ルグロヨハン・ヨンキントオーギュスタン・テオデュール・リボーといった印象派の画家も版画に取り組むことになった。

1869年に「印象派」の画家、マリー(旧姓:Quivoron-Pasquiou)と結婚した。1870年頃にはセーヴルの陶器会社などのために陶器のデザインもした。

印象派の画家たちとの交流から、1874年に開かれた第1回印象派展に、肖像版画やジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーやアングルの原画をもとにした複製版画を出展した。1879年の第4回の印象派展にも出展した[3]

作品

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参考文献

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  1. ^ Sophie Monneret, L'Impressionnisme et son époque : dictionnaire international
  2. ^ Valérie Sueur, « L’éditeur Alfred Cadart(1828-1875) et le renouveau de l’eau-forte originale », in Europeana Newspapers, avril 2013 — lire sur Gallica.
  3. ^ Carine, Girac-Marinier (2011). “De Monet à Turner”. In Larousse (フランス語). Découvrir les Impressionnistes. Paris. pp. 92. ISBN 978-2-03-586373-7. OCLC 866801730 , p. 26(lire en ligne, accessed 4 April 2014)