「ノート:0の0乗」の版間の差分
第三者向けのコメント |
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:時間の無駄だというのはこちらも同感なのですが、私が言ってもいないことをさも言ったかのように印象付けられるのは沽券に関わりますので、第三者向けに少しコメントしておきます。◆「0の0乗を1と定義するのが多数派ならこれが正しくなる」→私の文章をよく読んで頂きたいのですが、そんなことは言っていません。以前このノートで別の人(ですよね?)にも言いましたが、定義に正しいも正しくないもありません。あるのは、標準的か標準的でないか、有用か有用でないか、です。定義が「正しい」とか言い出す人は、定義すら天賦のものである、というような、数学に対して何か根本的な勘違いをしている、と私は思っています。◆ある定義をすることによって、豊かな数学的理論が広がるならば、その定義は有用です。多数のテキスト(人、ではありません)が行う定義であれば、その定義は標準的です。蛇足ですが、同じ人が別のテキストで異なる定義をすることもあり得ます。◆0の0乗に関しては、1と定義しようが何か別の値と定義しようが、何か豊かな理論が展開するわけではありませんので、有用ではありませんし、大多数の数学者はどうでもよい、と思っているわけです。◆空集合から空集合への写像がひとつだ、ということくらいは理解しています。冪 a^b を b 元集合から a 元集合への写像の個数だ、と定義するならば、0^0=1 でしょう。ただ、この定義は a, b が非負整数の場合にしか通用しませんし、万人が認めるものではありません。◆結局、初版が最もシンプルかつ中立的だったと私には思えます。離散数学、組み合わせ論、数学基礎論、集合論等をバックグラウンドに持つ者は 0^0=1 が自然に思えるが、解析をバックグラウンドに持つ者は、関数を連続的、解析的に見るので、0^0=1 に一抹の不自然さ、気持ち悪さを感じる、ということなのでしょう。--[[利用者:白駒|白駒]]([[利用者‐会話:白駒|会話]]) 2016年12月9日 (金) 23:07 (UTC) |
:時間の無駄だというのはこちらも同感なのですが、私が言ってもいないことをさも言ったかのように印象付けられるのは沽券に関わりますので、第三者向けに少しコメントしておきます。◆「0の0乗を1と定義するのが多数派ならこれが正しくなる」→私の文章をよく読んで頂きたいのですが、そんなことは言っていません。以前このノートで別の人(ですよね?)にも言いましたが、定義に正しいも正しくないもありません。あるのは、標準的か標準的でないか、有用か有用でないか、です。定義が「正しい」とか言い出す人は、定義すら天賦のものである、というような、数学に対して何か根本的な勘違いをしている、と私は思っています。◆ある定義をすることによって、豊かな数学的理論が広がるならば、その定義は有用です。多数のテキスト(人、ではありません)が行う定義であれば、その定義は標準的です。蛇足ですが、同じ人が別のテキストで異なる定義をすることもあり得ます。◆0の0乗に関しては、1と定義しようが何か別の値と定義しようが、何か豊かな理論が展開するわけではありませんので、有用ではありませんし、大多数の数学者はどうでもよい、と思っているわけです。◆空集合から空集合への写像がひとつだ、ということくらいは理解しています。冪 a^b を b 元集合から a 元集合への写像の個数だ、と定義するならば、0^0=1 でしょう。ただ、この定義は a, b が非負整数の場合にしか通用しませんし、万人が認めるものではありません。◆結局、初版が最もシンプルかつ中立的だったと私には思えます。離散数学、組み合わせ論、数学基礎論、集合論等をバックグラウンドに持つ者は 0^0=1 が自然に思えるが、解析をバックグラウンドに持つ者は、関数を連続的、解析的に見るので、0^0=1 に一抹の不自然さ、気持ち悪さを感じる、ということなのでしょう。--[[利用者:白駒|白駒]]([[利用者‐会話:白駒|会話]]) 2016年12月9日 (金) 23:07 (UTC) |
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==そもそも== |
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0の0乗が1であることが定理だと思わない者は古典論理を使わないんだよな? 古典論理で導けることを否定するわけだからもちろん古典論理なんか使ってないよな? |
2017年6月6日 (火) 03:29時点における版
過去ログ一覧 |
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新規作成さんに荒らしを止めて頂くようお願い致します。
新規作成さん 0^0が定義されない時に、x^0が定義なしで1となり得ない事はお判り頂けると思います。 以前にこの事についてここで論議し、合意が形成されましたが、貴方がうっかり同じ間違いをなさったので訂正致しました。 結果、荒らしが来て不毛な編集合戦となりました。私には対処し切れないので、元の記事を書かれた貴方に対処をお願い申し上げます。 宜しくお願い致します。--Suzuki 999(会話) 2016年2月24日 (水) 03:06 (UTC)
- 1文目,0^0に関係なくそうでしょう.2文目,前半,合意ってなんの合意ですか,後半,どこを間違ったのか分かりません.3文目,(昨日からこの記事に関わっている106.133と106.132はすべてあなたということであれば)まずはご自身も荒らしであることをご理解ください.私には対処しようがないしする必要も感じません.新規作成 (利用者名) (会話) 2016年2月24日 (水) 10:06 (UTC)
>ただし、Σn
k = 0 ak xk を a0 + a1x + … + anxn の略記であると定義するか、あるいは(この場合には実質的には同じことであるが)x0 を 1 の別表記であると考えれば、0の0乗は現れない。変数(あるいは不定元)の 0 乗が現れる他の例でも同様。
なぜ私が荒らしなのですか?貴方の発言は誹謗中傷ですよ。訴訟すれば簡単に勝てます。ただ、赤字になるかも知れませんし、それなりの手間暇を要します。それを見越して仰っているのなら卑劣ですね。ここは数学の専門家の自己満足の場ではありません。定義するのなら定義すると明記しなければ、読者に分かり辛いというだけの話。別表記であると考える、と別表記であると定義する、は異なった意味の日本語です。分からないのなら貴方に理解能力が無いのだから仕方ありません。先ずは他者とのコミュニケーション能力を身につけてから社会に出て来て下さい。Wikipediaへの寄附は止めさせます。貴方のやっている事は善意の寄附の横領使い込みに等しい。無料で書かせて貰っているのに、無料で書いてやっているという意識が強すぎる。多くの者が反発する理由を感じ入りなさい。では。--Suzuki 999(会話) 2016年2月24日 (水) 11:48 (UTC)
修正希望
(値を定めることはできない理由を説明している)「背景」の節において、
- (同様にして、負の整数 −n に対しても、x−n = 1/xn と定義することによって自然に拡張できる。)
という記述が見られますが、n=0 と置けば
- x0 = 1/x0
ということになり、結果 00=0 は否定されます。 (つまり 00=1 ということになる) もちろん、この定義は x≠0 か n≠0 の場合だけだと言い張ることもできますが、 そういう例外が存在することは、少なくとも、この拡張が自然な拡張だとは言えなくなると思われます。 私は修正を控えるように言われているので、誰か修正しませんか? なお、負の整数乗をこのように定義するのは間違いではないので、修正が必要なのは他の部分なんでしょうね。--風船(会話) 2016年3月6日 (日) 05:10 (UTC) 修正の気配なく、コメントもないので、近日中に私が直接修正しておきますね。--風船(会話) 2016年3月8日 (火) 04:10 (UTC)
- 「負の整数」と書いてあるのを見落とされましたでしょうか?「x が 0 でなければ」と書いてあるのを見落とされましたでしょうか?新規作成 (利用者名) (会話) 2016年3月8日 (火) 07:33 (UTC)
- 「負の整数」だから0は含まないと言いたいのでしょうが、この式(とx0=1という定義)は、自然数から整数へと拡張するために存在するんですから、0でも成立しないと意味ないですね。また、「x が 0 でなければ」というのも、0-2 が 02 の逆数を表すということまで否定しますか?そうでなければ、00 が自らの逆数であることを否定するのは難しいと思います。--風船(会話) 2016年3月9日 (水) 04:13 (UTC)
- その式は x ≠ 0, n > 0 のときの定義を書いているだけなのでそれ以外の値を代入することは間違いです.02 に逆数は存在しません.新規作成 (利用者名) (会話) 2016年3月9日 (水) 07:18 (UTC)
- では、指数を整数へと拡張するために、0n+1 = 0n × 0 が n <= 0 でも成り立つには 0-2=0 などとなります。こう定義すれば指数法則も成立します。これをどう思いますか?--風船(会話) 2016年3月10日 (木) 03:20 (UTC)
- 補足しておきます。べき乗の定義を負の整数へと拡張するだけならば、それを満足する値は 0-2=0 だけであり、00 も 0 と定義するのが妥当でしょう。でも、それでは x−n = 1/xn に反するから、その定義は却下されているというのが私の考えです。新規作成さんは、定義範囲外として無視したいようですが、その結果は以上の通りです。--風船(会話) 2016年3月13日 (日) 02:27 (UTC)
風船さんが何を主張されたいのか今一つ分かりませんが,0の任意の整数(あるいは実数,複素数)乗を0と定義すれば,0n+1 = 0n 01, 0n+m = 0n 0m などは確かに成り立ちますし,このことは記事から完全に抜け落ちていたので(というのも非負整数乗の観点と実二変数関数の観点しか書いてなかったので),修正する必要はあります.修正案は考え中です.ご指摘ありがとうございました.新規作成 (利用者名) (会話) 2016年3月15日 (火) 08:15 (UTC)
- 私の目的は 0n の値と逆数の関係を示すこと。修正ありがとうございます。--風船(会話) 2016年3月17日 (木) 05:27 (UTC)
次に。同じ「背景」の最後の段落にある「これをより広い範囲に拡張」という表現が分かりづらいと思います。直前では指数法則を前提にした拡張が行われているため、これも指数法則に従った拡張だと勘違いしそうです。実際は、指数法則での指数を負の数へと拡張するには 00 = 0 しかあり得ないのだし、0 を含むだけの拡張でも 00 は 0 か 1 となる。でも、この段落の内容はそれではない。以降は、極限値を使った推測あるいは連続性についての記述であり、(後に指数法則に反する極限値が例として色々記述されていることから)多分、指数法則は何の関係もない。説明もせずに前提を変更するのは問題があると思います。
そもそも「背景」では、べき乗の定義式から始まり、x0 = 1 や x-n = 1/xn、そして指数法則に移り、最後は連続性と、色々な式が紹介されてますが、それぞれが x = 0 においても必要な条件かどうかについてはあまり注意が払われていません。そのため、雑多な意見の寄せ集めのように感じてしまいます。個々についての意見は控えますが、数学では前提を明らかにして見通しよく結果を導くことが好ましいものである以上、最後の最後で新たな条件を突き付けて結果を否定するという記述は好ましく感じません。少なくとも段落毎にそこで扱う条件は分かりやすく提示すべきで、ここが連続性を使った拡張についての話なら「これ」が指数法則を含まない得られた結果(0 の正の実数乗は 0)だけであり、「拡張」の前提となるのは連続性であることを分かりやすく記述して欲しいと思います。--風船(会話) 2016年3月27日 (日) 02:03 (UTC)
- ついでに言えば、指数法則は xn + m = xn xm のみの方が良い気がする。この式からは x > 0 に対する実数乗が導けるし、x = 0 なら「正の実数乗は 0」が導ける。他方の式からは 01 = (0-1)-1 から 0-1 = 0 になるなど余計な結果が出てくる。それを無視して正の数だけ考えるのが一般の考えとは思うが。--風船(会話) 2016年4月8日 (金) 02:08 (UTC)
0の0乗の値
0の0乗は1である.これは公理的集合論においては定理である.そしてこれを基礎に展開される分野においては件の値は問答無用で1である.2変数関数が原点で定義できないとかそんなことは関係ない.それは単に連続でないことの理由に過ぎない.「0の0乗の自然な定義は存在しない」,これは事実である.なぜなら,0の0乗は定義するものではないからである.
情けない
0の0乗が定義できないとか言ってる奴は空写像とか知らねぇんだろうな.その程度のことも知らないのに数学の記事の編集なんかするなっつの.——以上の署名の無いコメントは、TamaKoji(ノート・履歴)さんが 2016年11月27日 (日) 15:32 (UTC) に投稿したものです(白駒(会話)による付記)。
- 私にはもうこの記事に十分時間をかける気力がなく、とても心苦しいのですが、案の定ひどいことになってしまっています。「0の0乗が定義できないとか言ってる奴」がいるのかどうかはよく知りませんが、私は「0の0乗を定義する必然性はなく、必要に応じてどのように定義してもよい」としか言っていません。わざわざそのように書いてある文献が見当たらないので、出典主義のウィキペディアで解説するのが難しいのですが、0の0乗を「あえて」定義しないテキストが多数であることがその傍証です。今後、0の0乗を1と定義するテキストが多数になるならば、それはそれで別に私は構いません(それを標準にしよう、という合意が取れている、ということですので)。「(0の0乗が1であることが)定理である」とか、「必然的に定義できる」とか言う人は、非ユークリッド幾何学とか選択公理とか連続体仮説とか不完全性定理とかの歴史的な意義も知らないんでしょうね。--白駒(会話) 2016年11月28日 (月) 02:43 (UTC)
何を言っても無駄
定義域が空集合である写像が存在しないとでも思っているのか? 写像の定義知ってればこれが存在することくらい分かるだろ.分からないなら空集合絡みの記事を編集する資格ないし,分かっているなら0の0乗が定義できないとかそういうバカげた結論が出ることはあり得ない.
空集合から空集合への写像は唯1つ存在する(定理)ことから0の0乗=1(系)は直ちに従う.
2変数関数が原点で連続にならないとか,「だから何?」としか言いようがない.それが0の0乗=1と何の関係があるんだか.
0の0乗を1と定義するのが多数派ならこれが正しくなる,とか呆れるわ.間違った日本語を大勢が使い続ければそれが正しい使い方になるのと同じ理屈か? 人によって解釈が異なる言語と違い自然科学は普遍的な事実しか相手にしないのにか? こんなんじゃ数学は絶対に発展しない.
こう言ってもどうせ屁理屈とか詭弁でバカげた主張し続けるんだろうけど,したけりゃ勝手にしてください.時間の無駄なのでもう言いません.——以上の署名の無いコメントは、LimiT(ノート・履歴)さんが 2016年12月3日 (土) 17:04 (日) 15:32 (UTC) に投稿したものです(白駒(会話)による付記)。
- 時間の無駄だというのはこちらも同感なのですが、私が言ってもいないことをさも言ったかのように印象付けられるのは沽券に関わりますので、第三者向けに少しコメントしておきます。◆「0の0乗を1と定義するのが多数派ならこれが正しくなる」→私の文章をよく読んで頂きたいのですが、そんなことは言っていません。以前このノートで別の人(ですよね?)にも言いましたが、定義に正しいも正しくないもありません。あるのは、標準的か標準的でないか、有用か有用でないか、です。定義が「正しい」とか言い出す人は、定義すら天賦のものである、というような、数学に対して何か根本的な勘違いをしている、と私は思っています。◆ある定義をすることによって、豊かな数学的理論が広がるならば、その定義は有用です。多数のテキスト(人、ではありません)が行う定義であれば、その定義は標準的です。蛇足ですが、同じ人が別のテキストで異なる定義をすることもあり得ます。◆0の0乗に関しては、1と定義しようが何か別の値と定義しようが、何か豊かな理論が展開するわけではありませんので、有用ではありませんし、大多数の数学者はどうでもよい、と思っているわけです。◆空集合から空集合への写像がひとつだ、ということくらいは理解しています。冪 a^b を b 元集合から a 元集合への写像の個数だ、と定義するならば、0^0=1 でしょう。ただ、この定義は a, b が非負整数の場合にしか通用しませんし、万人が認めるものではありません。◆結局、初版が最もシンプルかつ中立的だったと私には思えます。離散数学、組み合わせ論、数学基礎論、集合論等をバックグラウンドに持つ者は 0^0=1 が自然に思えるが、解析をバックグラウンドに持つ者は、関数を連続的、解析的に見るので、0^0=1 に一抹の不自然さ、気持ち悪さを感じる、ということなのでしょう。--白駒(会話) 2016年12月9日 (金) 23:07 (UTC)
そもそも
0の0乗が1であることが定理だと思わない者は古典論理を使わないんだよな? 古典論理で導けることを否定するわけだからもちろん古典論理なんか使ってないよな?