「立憲君主制」の版間の差分
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ぷりみてぃぶりんくす (会話 | 投稿記録) →英連邦王国: 総督が政治的権限を行使した例を記述、出典を添付。 |
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{{複数の問題|出典の明記=2017年4月|一次資料=2017年4月}} |
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{{君主主義}} |
{{君主主義}} |
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{{統治体制}} |
{{統治体制}} |
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'''立憲君主制'''(りっけんくんしゅせい、{{lang-en-short| |
'''立憲君主制'''(りっけんくんしゅせい、{{lang-en-short|constitutional monarchy}})とは、[[君主制]]における[[君主]]の[[権力]]が[[憲法]]によって規制されている[[政体]]<ref>{{cite book|和書| chapter=立憲君主制 | author=吉岡知哉 | title=[[世界大百科事典]] | year=2009 |vol=29|page=548| edition=改定新版 | publisher=[[平凡社]] | editor=下中直人}}</ref>。'''制限君主制'''(せいげんくんしゅせい)ともいう<ref name=nihonkokugo>{{Cite book|和書|author=北原保雄ほか|year=2016|title=日本国語大辞典|chapter=立憲君主制|editor=久保田淳ほか|publisher=JapanKnowledge}}</ref>。立憲君主制には法的分類があり、憲法下で[[議会]]が権力を持ち君主権は名目である[[イギリス]]型と、憲法下でも実際は君主権が制限されない[[ドイツ帝国]]型とがある<ref name=houreijiten/>。 |
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館|publisher=JapanKnowledge}}</ref>。 |
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現代の君主制のほとんどは、イギリス型の立憲君主制とされる{{Sfn|田中|2022|p=「立憲君主制」}}。一方、立憲君主制が歴史的に発展した型を指す用語として「([[人民主権]]下の)'''議会君主制'''」があり{{Sfn|茶谷|2012|p=45}}、それは現代のイギリス、[[日本]]、[[スウェーデン]]、[[スペイン]]{{Sfn|茶谷|2012|pp=44-45}}、[[ベルギー]]などに見られる{{Sfn|樹神|2018|p=48}}。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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[[君主]]([[君主号|称号]]としては「[[天子]]」、「[[王]]」、「[[皇帝]]」、「[[帝王]]」<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%90%9B%E4%B8%BB-58352#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 松村明編 『デジタル大辞泉』 小学館、2016年、「君主」の項。「くん‐しゅ【君主】世襲により国家を治める最高位の人。天子。王。皇帝。帝王。」]</ref>、「[[君|きみ]]」などがある<ref>[https://web.archive.org/web/20160915024611/https://kotobank.jp/word/%E5%90%9B%E4%B8%BB-58352#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 松村明編 『大辞林 第三版』 三省堂、2016年、「君主」の項。「くんしゅ【君主】世襲的に国家を代表し,統帥する最高の地位にある人。帝王。天子。皇帝。きみ。」]</ref>。)とは、「[[伝統]]的には,[[国家]]において特定の1人が[[主権]]を保持する場合のその主権者」である<ref name = "britannica">[https://kotobank.jp/word/%E5%90%9B%E4%B8%BB-58352#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8 フランク・B・ギブニー編 『ブリタニカ国際大百科事典:小項目事典』、ティビーエス・ブリタニカ、2016年。]</ref>。[[君主制]]とは、ある政治[[共同体]]において[[世襲]]の[[君主]]が主権を持つ[[政治]]形態<ref>{{Cite book|和書|author=家永三郎|year=2016|title=日本大百科全書(ニッポニカ)|chapter=君主制|editor=小学生 |
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館|publisher=JapanKnowledge}}</ref>であるが、その君主制の分類として、憲法に従って君主の権力が一定の制約を受ける政治体制を立憲君主制と呼ぶ<ref name=nihonkokugo/>。[[絶対君主]]が[[市民階級]]の台頭により妥協し生まれた<ref name=nihonkokugo/>。 |
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立憲君主制が確立していくと共に君主の権能は制限されていく傾向があり、「[[黄金の自由#国王は君臨すれども統治せず|君主は君臨すれども統治せず]]」という表現は[[イギリス君主]]のような「名目化」、「象徴化」を表している<ref name = "britannica"/>。この原理は[[日本国憲法]]下の天皇や[[ベルギー#政治|ベルギー憲法]]下の国王にも共通すると言われるが、「両憲法は[[国民主権]]に立脚するもので,君主の名目化,象徴化が最も進んでおり,もはや『君臨する』といえるかどうかさえ疑問である」とされている<ref name = "britannica"/>{{Efn|『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』「君主」の原文:{{Quotation|伝統的には,国家において特定の1人が主権を保持する場合のその主権者をさす。 {{Interp|中略|notooltip=1|和文=1}} しかし,立憲君主制の確立に伴いその権能は次第に制限され,一般的[[行政権]],[[外交権]],[[官吏]][[任命権]]などを保持するにとどまるようになり,さらに進んで名目化,[[象徴]]化する傾向が顕著である。「[[黄金の自由#国王は君臨すれども統治せず|君主は君臨すれども統治せず]]」という表現はこのような傾向を象徴するもので,[[イギリスの君主]]はその典型である。ベルギー憲法下の国王や日本国憲法下の天皇もこの原理によるものといわれるが,両憲法は[[国民主権]]に立脚するもので,君主の名目化,象徴化が最も進んでおり,もはや「君臨する」といえるかどうかさえ疑問である<ref name = "britannica"/>。}}}}。 |
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立憲君主制は二種類、すなわち、実際の権力は議会にあって君主権は名目上にすぎない[[イギリス]]型と、憲法はあっても実際には君主権が制限されない([[19世紀]]の)[[ドイツ]]型とが存在する<ref name=houreijiten>{{Cite book|和書|author=有斐閣|year=2016|title=法律用語辞典(第4版)|chapter=立憲君主制|editor=法令用語研究会|publisher=JapanKnowledge}}</ref>。[[大日本帝国憲法]]下の[[天皇制]]は、ドイツ型の立憲君主制とされる<ref name=houreijiten/>。<!--{{要出典範囲|が、[[天皇]]の介入度合は時代によって異なり、場合によっては[[日清戦争]]や[[太平洋戦争]](大東亜戦争)など、[[天皇]]の反対にも拘わらず開戦に至ったこともあり、[[大日本帝国憲法]]下の天皇は拒否権を行使し得ないイギリス型の立憲君主だったと見る考えもある。|date=2016年8月}}--> |
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君主の有する権力の総体を君主主権といい、[[絶対王政]]はこれに支えられていたが、[[フランス革命]]は「あらゆる主権の原理は、本質的に[[国民]]に存する」([[人間と市民の権利の宣言|人権宣言]]3条)として君主主権の原理を否定し、国民主権原理を確立した<ref>{{Cite book|和書|author=畑安次|year=2016|title=日本大百科全書(ニッポニカ)|chapter=君主主権|editor=小学館|publisher=JapanKnowledge}}</ref>。 |
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=== 歴史 === |
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立憲君主制は、絶対君主を打倒して[[近代国家]]を形成した[[17世紀]][[イギリス]]において最初に確立された<ref name=nihondaihyakka>{{Cite book|和書|author=田中浩|year=2016|title=日本大百科全書(ニッポニカ)|chapter=立憲君主制|editor=小学館|publisher=JapanKnowledge}}</ref>。もともとイギリスでは13世紀末以来、君権は議会の制定した法律や決定に制限されるという権力制限的思考が強かった<ref name=nihondaihyakka/>。しかし17世紀、君主がその権限の拡大強化を図り絶対君主の道を追求し始めたため、[[市民革命]]が起こった<ref name=nihondaihyakka/>。[[名誉革命]]後のイギリスでは、立法権を持つ議会が行政権を持つ国王に優位するという政治思想が確立された<ref name=nihondaihyakka/>。さらに18世紀中期以降は行政権を事実上[[内閣]]が掌握し、19世紀に[[政党]]政治が確立される中、[[議院内閣制]]が政治運営上の基本原則となり、イギリスは世界における民主主義国家のモデルとなった<ref name=nihondaihyakka/>。 |
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『法律用語辞典(第4版)』によると立憲君主制は二種類、すなわち、実際の権力は議会に与えられ君主権は名目上にすぎない[[イギリス]]型と、憲法は存在しても実際には君主権が制限されない[[ドイツ帝国]]型に分類される<ref name=houreijiten>{{Cite book|和書|author=有斐閣|year=2016|title=法律用語辞典(第4版)|chapter=立憲君主制|editor=法令用語研究会|publisher=JapanKnowledge}}</ref>。[[大日本帝国憲法]]下の[[日本]]は、ドイツ型の立憲君主制とされる<ref name=houreijiten/>。 |
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イギリス国王は今日においても国の[[元首]]であり、形式的には行政権の長であるが、1931年の[[ウェストミンスター憲章]]によって、イギリス国王は連合王国の[[象徴]]としての地位に就いた<ref name=nihondaihyakka/>。イギリスは立憲君主制国ではあるが、政治の実態は[[アメリカ]]や今日のフランス、[[旧西ドイツ]]等の[[共和国]]と同じと言える<ref name=nihondaihyakka/>。他方、[[第一次世界大戦]]前の[[ドイツ]]や戦前の[[日本]]でも憲法は存在したが、そこでは[[君主]]や[[天皇]]が[[行政権]]を掌握し、数々の強大な大権を有し、議会の権限はきわめて弱く、外見的立憲主義だった<ref name=nihondaihyakka/>。対してイギリスのような立憲君主制は、議会主義的君主制と呼ばれる<ref name=nihondaihyakka/>。 |
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== 歴史 == |
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[[第二次世界大戦]]後も君主を擁する国々は十数か国存在するが、ほとんどはイギリス型立憲君主制を取っており、[[ベルギー]]や[[ルクセンブルク]]のように憲法上で[[国民主権]]主義を明記している国もある<ref name=nihondaihyakka/>。戦後日本では、憲法上で国民主権主義を明確化し、天皇は政治的権限を持たない[[象徴]]的地位に就いた<ref name=nihondaihyakka/>。「この意味で戦後の日本は、事実上、国民主権主義をとる[[民主国家]]と規定できよう」とされる<ref name=nihondaihyakka/>。 |
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{{単一の出典|date=2021-06|section=1}} |
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政治学者の[[田中浩 (政治学者)|田中浩]]が言うには立憲君主制は、[[絶対君主]]を打倒して[[近代国家]]を形成した[[17世紀]]の[[イギリス]]において最初に確立された{{Sfn|田中|2022|p=「立憲君主制」}}<ref name=nihondaihyakka>{{Cite book|和書|author=田中浩 (政治学者)|authorlink=田中浩 (政治学者)|year=2016|title=日本大百科全書(ニッポニカ)|chapter=立憲君主制|editor=小学館|publisher=JapanKnowledge}}</ref>。 |
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元々、イギリスでは[[13世紀]]末以来、君主権は議会の制定した法律や決定に制限されるという権力制限的思考が強かった{{Sfn|田中|2022|p=「立憲君主制」}}<ref name=nihondaihyakka/>。 |
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=== 榎原猛による定義・分類 === |
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憲法学者[[榎原猛]]は、その著書『君主制の比較憲法学的研究』において、「立憲君主制度」を、「制限君主制度」(主権者たる君主が国権を発動するに際し、独立機関を設け、この独立機関を通じて国権を発動することを本則とする制度)の一類型である「立憲政体を採用する君主国の制度」と定義したうえで、立憲君主制度の国を以下のように分類している{{efn|榎原猛『君主制の比較憲法学的研究』有信堂、1969年、46頁以下。{{要出典範囲|ただし榎原の分類においては、君主主義的立憲君主制度と専制君主制度(主権者たる君主が国権を発動するに際し、独立機関を通じず直接行使すること)との区分が、やや明白ではないように思われる|date=2017年4月}}。榎原は、1960年代のサウジアラビア、ネパールを「専制君主制度」とし、同年代のモナコ、エチオピアを君主主義的立憲君主制度としている。{{要出典範囲|しかしネパールについては、一応は憲法典が存在したのであり、「外見的立憲君主制度」の君主主義的立憲君主制度の国と分類できなくはないはずである|date=2017年4月}}。また榎原自身、モナコは「専制君主国に数えることも法理的に無理ではないであろう」(同書125頁)とし、エチオピアは「われわれをして、『立憲君主制度』といいきることに、若干のためらい与える」(同書147頁)として、分類に迷いが見られる。}}。 |
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しかし[[17世紀]]、君主がその権限の拡大強化を図り絶対君主の道を追求し始めたため、[[市民革命]]が起こった{{Sfn|田中|2022|p=「立憲君主制」}}<ref name=nihondaihyakka/>。 |
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[[名誉革命]]後のイギリスでは、立法権を有する議会が行政権を持つ国王に優位するという政治思想が確立された{{Sfn|田中|2022|p=「立憲君主制」}}<ref name=nihondaihyakka/>。さらに18世紀中期以降は行政権を事実上[[内閣]]が掌握し、19世紀に[[政党]]政治が確立される中、[[議院内閣制]]が政治運営上の基本原則となり、イギリスは世界における[[民主主義]]国家のモデルとなった{{Sfn|田中|2022|p=「立憲君主制」}}<ref name=nihondaihyakka/>。 |
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[[イギリスの君主|イギリス国王]]は今日においてもイギリスの[[元首]]であり、形式的には行政権の長であるが、[[1931年]]の[[ウェストミンスター憲章]]によってイギリス国王は連合王国の[[象徴]]としての地位に就いた{{Sfn|田中|2022|p=「立憲君主制」}}<ref name=nihondaihyakka/>。イギリスは立憲君主制の国ではあるが、政治の実態は[[アメリカ合衆国]]や今日の[[フランス]]、旧[[西ドイツ]]等の[[共和制]]国家と「同じもの」だと言える{{Sfn|田中|2022|p=「立憲君主制」}}<ref name=nihondaihyakka/>。 |
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他方、[[第一次世界大戦]]前の[[ドイツ帝国]]や[[大日本帝国|戦前の日本]]でも憲法は存在したが、そこでは[[ドイツ皇帝|君主]]や[[天皇]]が[[行政権]]を掌握し、数々の強大な大権を有し、議会の権限は極めて弱く、外見的立憲主義だったと田中は述べている{{Sfn|田中|2022|p=「立憲君主制」}}<ref name=nihondaihyakka/>。対してイギリスのような立憲君主制は、議会主義的君主制と呼ばれる{{Sfn|田中|2022|p=「立憲君主制」}}<ref name=nihondaihyakka/>。 |
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[[第二次世界大戦]]後も[[君主制]]を擁する国々は十数ヶ国存在するが、ほとんどはイギリス型の立憲君主制を取っており、[[ベルギー]]や[[ルクセンブルク]]など憲法上で[[国民主権]]を明記している国もある<ref name=nihondaihyakka/>。田中は次の通り締めくくっている{{Sfn|田中|2022|p=「立憲君主制」}}<ref name=nihondaihyakka/>。 |
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{{Quote|「戦後日本では、憲法上、国民主権主義を明確化し、天皇主権主義を廃止し、天皇は政治的権限をもたない象徴的地位についた。この意味で戦後の日本は、事実上、国民主権主義をとる民主国家と規定できよう」{{Sfn|田中|2022|p=「立憲君主制」}}<ref name=nihondaihyakka/>{{Efn|『日本大百科全書』「立憲君主制」の原文:{{Quotation|第一次世界大戦前のドイツや戦前の日本でも憲法は存在したが、そこでは、君主や天皇が行政権を掌握し、数々の強大な大権を有し、議会の権限はきわめて弱かったから、立憲君主制といってもそれは名ばかりで、とうていこれらの国々は[[民主主義]]国家とはいえなかった。このような立憲君主制は外見的立憲主義とよばれ、イギリスのような立憲君主制は議会主義的君主制とよばれる。<br> |
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第二次世界大戦後も君主を擁する国々――その数はいまや十数か国にすぎない――が存在するが、そのほとんどはイギリス型の立憲君主制をとっており、ベルギー、ルクセンブルクなどのように憲法上、国民主権主義を明記している国もある。戦後日本では、憲法上、国民主権主義を明確化し、天皇主権主義を廃止し、天皇は政治的権限をもたない象徴的地位についた。この意味で戦後の日本は、事実上、国民主権主義をとる民主国家と規定できよう。{{Sfn|田中|2022|p=「立憲君主制」}}<ref name=nihondaihyakka/>}}}} |
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<!--日本においては、天皇は、[[日本国憲法|憲法]]第6、7条に定める[[国事行為]]以外の国政に関する権能を有さず、「国及び国民統合の象徴」と規定される<ref name=nihondaihyakka/>。--><!--左記は出典に存在しない-->。}} |
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== 榎原猛による定義・分類 == |
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憲法学者[[榎原猛]]は、その著書『君主制の比較憲法学的研究』(1959年、有信堂)において、「立憲君主制度」を、「制限君主制度」(主権者たる君主が国権を発動するに際し、独立機関を設け、この独立機関を通じて国権を発動することを本則とする制度)の一類型である「立憲政体を採用する君主国の制度」と定義したうえで、立憲君主制度の国を以下のように分類している{{efn|榎原猛『君主制の比較憲法学的研究』有信堂、1969年、46頁以下。ただし榎原の分類においては、君主主義的立憲君主制度と専制君主制度(主権者たる君主が国権を発動するに際し、独立機関を通じず直接行使すること)との区分が、やや明白ではないように思われる。榎原は、1960年代のサウジアラビア、ネパールを「専制君主制度」とし、同年代のモナコ、エチオピアを君主主義的立憲君主制度としている。しかしネパールについては、一応は憲法典が存在したのであり、「外見的立憲君主制度」の君主主義的立憲君主制度の国と分類できなくはないはずである。また榎原自身、モナコは「専制君主国に数えることも法理的に無理ではないであろう」(同書125頁)とし、エチオピアは「われわれをして、『立憲君主制度』といいきることに、若干のためらい与える」(同書147頁)として、分類に迷いが見られる。}}。 |
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# 君主主義的立憲君主制度 - 国王と国会との相互関係のうえで、'''国王が優位'''の立憲君主制度 |
# 君主主義的立憲君主制度 - 国王と国会との相互関係のうえで、'''国王が優位'''の立憲君主制度 |
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# 国会主義的立憲君主制度 - 国王と国会との相互関係のうえで、'''国会が優位'''の立憲君主制度 |
# 国会主義的立憲君主制度 - 国王と国会との相互関係のうえで、'''国会が優位'''の立憲君主制度 |
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# 共和国における君主制(憲法上で国民主権を定めながら、君主制を採用している制度) |
# 共和国における君主制(憲法上で国民主権を定めながら、君主制を採用している制度) |
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の分類も用いている<ref>『君主制の比較憲法学的研究』、56頁以下</ref>。 |
の分類も用いている<ref>『君主制の比較憲法学的研究』、56頁以下</ref>。 |
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==ウォルター・バジョットによる立憲君主制での君主の権利== |
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{{節スタブ}} |
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[[ウォルター・バジョット]]によれば、立憲君主制における君主は以下の3つの権利を保持しているとされる。 |
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#諮問に対し意見を述べる権利 |
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#奨励する権利 |
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#警告する権利 |
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また君主が優れた感覚や英知を有するのであれば、このほかに必要とするものはないとした<ref>{{Cite book|和書|title=イギリス憲政論|date=2011-11-10|year=2011|publisher=中公クラシックス|page=92|author=バジョット}}</ref>。 |
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<!-- |
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=== その他 === |
=== その他 === |
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[[ファイル:Form of government constitutional monarchy.png|left|350px|thumb|''' |
[[ファイル:Form of government constitutional monarchy.png|left|350px|thumb|'''立憲君主制の世界地図'''<br />凡例: |
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<li>{{color|#ff0000|'''赤'''}}: 議院内閣制の立憲君主国 |
<li>{{color|#ff0000|'''赤'''}}: 議院内閣制の立憲君主国 |
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<li>{{color|#BB00FF|'''薄紫'''}}: 君主の権限が強い立憲君主国 |
<li>{{color|#BB00FF|'''薄紫'''}}: 君主の権限が強い立憲君主国</ul>]] |
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世界の立憲君主制国家の分布は左図の通り。代表的な立憲君主制国家には[[イギリス]]や[[タイ王国|タイ]]などがある。 |
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また、[[制限君主制]]と混同されやすいが、立憲君主制は君主権の強弱は関係ない。但し君主に絶対的な権力を付与する定めになっていれば[[絶対君主制]]である。 |
また、[[制限君主制]]と混同されやすいが、立憲君主制は君主権の強弱は関係ない。但し君主に絶対的な権力を付与する定めになっていれば[[絶対君主制]]である。[[絶対君主制]]は君主が絶対的な権力を持つ政体、[[ドミナートゥス|専制君主制]]は国家の統治権を君主あるいは少数の者が独占し、かつ恣意的に行使する政治体制<ref>三省堂Web辞書[http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C0%EC%C0%A9%C0%AF%BC%A3&kind=jn&mode=0&base=1&row=0]</ref>であり、立憲君主制と対置する。絶対政、専制政の場合にも議会(評議会)が設けられることがあり、(憲法や)議会の有無が立憲君主制を特徴づけるものでもない。 |
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なお[[明治]]以降の日本を立憲君主制とみなすかどうかは、[[大日本帝国憲法]]下および[[日本国憲法]]下それぞれで議論がある([[#日本|後述]]参照)。 |
なお[[明治]]以降の日本を立憲君主制とみなすかどうかは、かつての[[大日本帝国憲法]]下および現在の[[日本国憲法]]下について、それぞれで議論がある([[#日本|後述]]参照)。 |
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== 現在の立憲君主国一覧 == |
== 現在の立憲君主国一覧 == |
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現在の君主国は、以下の43ヶ国。 |
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{{出典の明記|section=1|date=2017年4月}} |
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[[イギリス連邦]]構成諸国は本節最下部に別記する。 |
[[イギリス連邦]]構成諸国は本節最下部に別記する。 |
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=== アジア === |
=== アジア === |
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{{div col|cols=8}} |
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* {{flagicon|カタール}} [[カタール|カタール国]](首長) |
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* {{flagicon|日本}} [[日本|日本国]]([[天皇]]{{efn|憲法および他の法令には「立憲君主制」や「君主」に対する直接的な記述はなく、日本政府の見解としては立憲君主制とみなしても差し支えないとしている一方で、学説として議論がある。なお[[明治]]以降、[[大正]]・[[昭和]]・[[平成]]・[[令和]]期現在に至る天皇の地位の解釈及び学説は[[#日本]]を参照。また、[[象徴天皇制]]及び[[日本国憲法第1条]]も参照。}}) |
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* {{flagicon|カンボジア}} [[カンボジア|カンボジア王国]]([[カンボジア君主・国家元首一覧|国王]]) |
* {{flagicon|カンボジア}} [[カンボジア|カンボジア王国]]([[カンボジア君主・国家元首一覧|国王]]) |
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* {{flagicon|クウェート}} [[クウェート|クウェート国]](首長) |
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* {{flagicon|タイ王国}} [[タイ王国]]([[タイの国王|国王]]) |
* {{flagicon|タイ王国}} [[タイ王国]]([[タイの国王|国王]]) |
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* {{flagicon|バーレーン}} [[バーレーン|バーレーン王国]](国王) |
* {{flagicon|バーレーン}} [[バーレーン|バーレーン王国]](国王) |
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* {{flagicon|ブータン}} [[ブータン|ブータン王国]](国王) |
* {{flagicon|ブータン}} [[ブータン|ブータン王国]]([[ブータンの国王一覧|龍王]]) |
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* {{flagicon|ブルネイ}} [[ブルネイ|ブルネイ・ダルサラーム国]]([[ブルネイの国王|国王]]{{efn|国王が首相を兼任し、閣僚、裁判官、[[立法評議会 (ブルネイ)|立法評議会]]議員の任免も国王が掌握しているなど、事実上の絶対君主制にある |
* {{flagicon|ブルネイ}} [[ブルネイ|ブルネイ・ダルサラーム国]]([[ブルネイの国王|国王]]{{efn|国王が首相を兼任し、閣僚、裁判官、[[立法評議会 (ブルネイ)|立法評議会]]議員の任免も国王が掌握しているなど、事実上の[[絶対君主制]]にある。}}) |
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* {{flagicon|マレーシア}} [[マレーシア]]([[マレーシアの国王|国王]]{{efn|[[マレーシア]]の国王は正式にはアゴンと呼ばれ、各州 |
* {{flagicon|マレーシア}} [[マレーシア]]([[マレーシアの国王|国王]]{{efn|[[マレーシア]]の国王は正式にはアゴンと呼ばれ、各州の君主による輪番制である。象徴的存在であり実権を有さない。[[象徴元首]]も参照。}}) |
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* {{flagicon|ヨルダン}} [[ヨルダン|ヨルダン・ハシミテ王国]]([[ヨルダン王の一覧|国王]]) |
* {{flagicon|ヨルダン}} [[ヨルダン|ヨルダン・ハシミテ王国]]([[ヨルダン王の一覧|国王]]) |
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* {{flagicon|カタール}} [[カタール|カタール国]](首長) |
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==== 過去に存在した立憲君主国 ==== |
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* {{flagicon| |
* {{flagicon|クウェート}} [[クウェート|クウェート国]](首長) |
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{{div col end}} |
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=== オセアニア === |
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* {{flagicon|サモア}} [[サモア|サモア独立国]]([[オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー]]{{efn|[[サモア|サモア独立国]]の国家元首(大首長または[[オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー]])は世襲の4つの大首長家から選出されることが慣例となっており敬称も[[殿下]]であるなど[[君主制]]の性格を有している一方で、その選出は議会が行い、任期(5年)が定められているなど[[共和制]]の性格も有しており、国によっては同国を共和国とみなしている場合がある{{要出典|date=2017-04}}。なお日本の外務省は同国を立憲君主国として取り扱っている{{要出典|date=2017-04}}。}}) |
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* {{flagicon|トンガ}} [[トンガ|トンガ王国]]([[トンガ#国王の一覧|国王]]) |
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=== ヨーロッパ === |
=== ヨーロッパ === |
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{{div col|cols=8}} |
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* {{flagicon|アンドラ}} [[アンドラ|アンドラ公国]](共同大公{{efn|[[アンドラ|アンドラ公国]]は、「公国」と冠しているものの世襲の君主は存在せず、実態は[[フランス]]元首([[共和国大統領 (フランス)|大統領]])とウルヘル司教の2名の共同大公を戴く議会制である{{要出典|date=2017-04}}。憲法で[[国民主権]]が明記され、また元首の職務も大公使の接受、法律・条約の認証など儀礼的であり、実際の外交権は内閣が、条約の締結は国会が行使する{{要出典|date=2017-04}}。}}) |
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* {{flagicon|バチカン}} [[バチカン市国]]([[教皇]]) |
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* {{flagicon|オランダ}} [[オランダ王国]]([[オラニエ=ナッサウ家|国王]]) |
* {{flagicon|オランダ}} [[オランダ王国]]([[オラニエ=ナッサウ家|国王]]) |
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* {{flagicon|スウェーデン}} [[スウェーデン|スウェーデン王国]]([[スウェーデン君主一覧|国王]]) |
* {{flagicon|スウェーデン}} [[スウェーデン|スウェーデン王国]]([[スウェーデン君主一覧|国王]]{{efn|儀礼的な行為も含め全ての政治的権限を失い、称号のみ存在する形のスウェーデンの立憲君主制は「象徴君主制」とも評される。}}) |
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* {{flagicon|スペイン}} [[スペイン|スペイン王国]]([[スペイン君主一覧|国王]]) |
* {{flagicon|スペイン}} [[スペイン|スペイン王国]]([[スペイン君主一覧|国王]]) |
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* {{flagicon|デンマーク}} [[デンマーク王国]]([[デンマーク君主一覧| |
* {{flagicon|デンマーク}} [[デンマーク王国]]([[デンマーク君主一覧|国王]]) |
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* {{flagicon|ノルウェー}} [[ノルウェー|ノルウェー王国]]([[ノルウェー君主一覧|国王]]) |
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* {{flagicon|バチカン}} [[バチカン市国]] ([[教皇]]) |
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* {{flagicon|ベルギー}} [[ベルギー|ベルギー王国]]([[ベルギーの国王|国王]]) |
* {{flagicon|ベルギー}} [[ベルギー|ベルギー王国]]([[ベルギーの国王|国王]]) |
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* {{flagicon|モナコ}} [[モナコ|モナコ公国]]([[モナコ統治者の一覧|公]]) |
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* {{flagicon|リヒテンシュタイン}} [[リヒテンシュタイン|リヒテンシュタイン公国]]([[リヒテンシュタイン家|公]]){{efn|同国ではリヒテンシュタイン家による国政運営のため、[[絶対君主制]]としての性格も持つ{{要出典|date=2017-04}}。}} |
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* {{flagicon|ルクセンブルク}} [[ルクセンブルク|ルクセンブルク大公国]]([[ルクセンブルク大公|大公]]) |
* {{flagicon|ルクセンブルク}} [[ルクセンブルク|ルクセンブルク大公国]]([[ルクセンブルク大公|大公]]) |
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* {{flagicon|アンドラ}} [[アンドラ|アンドラ公国]]([[アンドラ君主一覧|共同大公]]{{efn|[[アンドラ|アンドラ公国]]は、「公国」と冠しているものの世襲の君主は存在せず、実態は[[フランス]]元首([[共和国大統領 (フランス)|大統領]])とウルヘル司教の2名の共同大公を戴く議会制である。憲法で[[国民主権]]が明記され、また元首の職務も大公使の接受、法律・条約の認証など儀礼的であり、実際の外交権は内閣が、条約の締結は国会が行使する}}) |
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* {{flagicon|モナコ}} [[モナコ|モナコ公国]]([[モナコ統治者の一覧|公]]) |
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* {{flagicon|リヒテンシュタイン}} [[リヒテンシュタイン|リヒテンシュタイン侯国]]([[リヒテンシュタイン家|侯]]) |
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=== オセアニア === |
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* {{flagicon|トンガ}} [[トンガ|トンガ王国]]([[トンガ#国王の一覧|国王]]) |
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* {{flagicon|サモア}} [[サモア|サモア独立国]]([[オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー]]{{efn|[[サモア|サモア独立国]]の国家元首(大首長または[[オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー]])は世襲の4人の[[大首長]]から選出されることが慣例となっており敬称も[[殿下]]であるなど[[君主制]]の性格を有している一方で、その選出は議会が行い、任期(5年)が定められているなど[[共和制]]の性格も有しており、国によっては同国を共和国とみなしている場合がある。なお日本の外務省は同国の政体は「選挙により国家元首を選ぶ制度」としている。}}) |
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=== アフリカ === |
=== アフリカ === |
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* {{flagicon|モロッコ}} [[モロッコ|モロッコ王国]]([[モロッコの君主一覧|国王]]{{efn|君主号は、1957年に「スルターン」(Sultan) から「国王」(King) に変更された{{要出典|date=2017-04}}。}}) |
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* {{flagicon|スワジランド}} [[エスワティニ|エスワティニ王国]]([[エスワティニの国王一覧|国王]]) |
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* {{flagicon|モロッコ}} [[モロッコ|モロッコ王国]]([[モロッコの君主一覧|国王]]{{efn|君主号は、1957年に「スルターン」(Sultan) から「国王」(King) に変更された。}}) |
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* {{flagicon|レソト}} [[レソト|レソト王国]]([[レソトの国王一覧|国王]]) |
* {{flagicon|レソト}} [[レソト|レソト王国]]([[レソトの国王一覧|国王]]) |
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* {{flagicon|スワジランド}} [[スワジランド|スワジランド王国]]([[スワジランドの国王一覧|国王]]) |
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=== 英連邦王国 === |
=== 英連邦王国 === |
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{{See also|イギリスの君主}} |
{{See also|イギリスの君主}} |
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[[英連邦王国]]の諸国は同一の国 |
[[英連邦王国]]の諸国は同一の国王を君主とする。イギリス以外の国では各国[[政府]]の[[助言]]に基づいて国王により形式的に任命された[[総督]]が[[大権]]を執行する。また、性質上は単なる象徴元首の扱いであるため、各国の国政運営は[[政府の長]]たる[[首相]]率いる[[内閣]](行政府)にて継続して行われている。 |
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また、性質上は単なる象徴元首の扱いであるため、各国の国政運営は[[政府の長]]たる[[首相]]率いる[[内閣]](行政府)にて継続して行われている。 |
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* {{flag|アンティグア・バーブーダ}} |
* {{flag|アンティグア・バーブーダ}} |
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* {{flag|イギリス}}([[イギリスの君主| |
* {{flag|イギリス}}([[イギリスの君主|国王]]) |
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* {{flagicon|オーストラリア}} [[オーストラリア|オーストラリア連邦]]([[オーストラリア国王]]) |
* {{flagicon|オーストラリア}} [[オーストラリア|オーストラリア連邦]]([[オーストラリア国王]]) |
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* {{flag|カナダ}}([[カナダ国王]]) |
* {{flag|カナダ}}([[カナダ国王]]) |
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* {{flag|ソロモン諸島}} |
* {{flag|ソロモン諸島}} |
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* {{flag|ツバル}} |
* {{flag|ツバル}} |
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* [[ニュージーランド王国]]([[ニュージーランド国王]]) |
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** {{flag|ニュージーランド}} |
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**{{flag|ニウエ}} |
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* {{flagicon|バハマ}} [[バハマ|バハマ国]] |
* {{flagicon|バハマ}} [[バハマ|バハマ国]] |
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* {{flagicon|パプアニューギニア}} [[パプアニューギニア|パプアニューギニア独立国]] |
* {{flagicon|パプアニューギニア}} [[パプアニューギニア|パプアニューギニア独立国]] |
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* {{flag|バルバドス}} |
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* {{flag|ベリーズ}} |
* {{flag|ベリーズ}} |
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== 各国の立憲君主制 == |
== 各国の立憲君主制 == |
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{{複数の問題|section = 1|出典の明記= 2017年4月|一次資料=2017年4月}} |
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=== アジア === |
=== アジア === |
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バーレーン国は2002年に立憲君主制に移行して、「バーレーン王国」に国名変更した。ブータン王国も2008年3月までに上下両院の普通選挙を完了し、同年7月18日に新たな成文憲法典を成立させ、立憲君主制への移行を完了した。 |
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==== 日本 ==== |
==== 日本 ==== |
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{{main|天皇制# |
{{main|天皇制#制度|天皇機関説|象徴天皇制|尾高・宮沢論争}} |
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===== 大日本帝国憲法 ===== |
===== 大日本帝国憲法 ===== |
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{{Wikisource|大日本帝國憲法}} |
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法学者[[芦部信喜]]によれば「明治憲法は、[[立憲主義]]憲法とは言うものの、[[神権主義]]的な[[君主制]]の色彩がきわめて強い憲法であった。{{Interp|中略}}まず、[[主権]]が天皇に存することを基本原理とし、この天皇の地位は、天皇の祖先である[[神]]の[[意志]]に基づくものとされた。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(一条)とは、この天皇主権の原理を明示したものである。また、天皇は、神の子孫として神格を有するとされ、「神聖ニシテ侵スヘカラス」(三条)と定められた。さらに、天皇は、「国ノ[[元首]]ニシテ統治権を総覧」(四条)する者、すなわち、[[立法]]・[[司法]]・[[行政]]などすべての国の作用を究極的に掌握し統括する権能を有する者とされた{{sfn|芦部信喜|2016|p=19}}。{{Interp|中略}} |
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{{単一の出典|date=2022-01|section=1}} |
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政治評論家の[[竹田恒泰]]によれば、[[大日本帝国憲法]]において、国家統治の権限は天皇による[[統治権]]([[天皇大権]])として定められた。その行使にあたっては国務大臣、統帥部、宮内大臣らの[[輔弼]]を絶対要件として必要とし{{Sfn|竹田|p=91}}、その行使に伴って生じる結果責任を天皇に代わって引き受ける輔弼者が存在して初めて行使されうるよう運用された。 |
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竹田によると、この天皇大権の根拠としては、日本建国以来の歴代の天皇が実際に大権を保持し、主体的に行使してきたという歴史的事実自体に求めたという{{Sfn|竹田|p=202}}。竹田によれば、日本の歴史としては建国以前に[[日本神話|記紀神話]]が連続して続いているが、この神話的出来事は、[[井上毅]]ら帝国憲法の起草者によって立憲の議論からは除外された。天皇に関わる法的な議論に神話的出来事を持ち込むことにより、宗教や哲学を巡る議論が起き、それに天皇や政府が巻き込まれることを避けたためであるという{{Sfn|竹田|pp=203-208}}。 |
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このような神権主義的な色彩のきわめて濃い立憲君主制を基本とする明治憲法をできるだけ[[自由主義]]的に解釈しようとした立憲主義的な[[学説]]の影響や、[[政党]]の発達とともに、[[大正]]から[[昭和]]のはじめにかけていわゆる「[[大正デモクラシー]]」が高揚し、政党政治が実現した。{{Interp|中略}}しかし、その後、軍部の勢力が増大し[[ファシズム]]化が進展して、[[天皇機関説事件]]などが起こり、明治憲法の立憲主義的な側面は大きく後退してしまった」{{sfn|芦部信喜|2016|p=21}}。 |
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その後、1935年の[[天皇機関説事件]]を契機といて、野党や軍部、右翼団体が天皇機関説の排撃運動を活発化させる。1935年8月3日、[[岡田内閣]]は天皇の統治権の根拠として[[天照大神]]による[[天壌無窮の神勅]]による、と公式に発表し([[国体明徴声明]])、この時点で初めて、天皇大権の根拠に神話を持ち込む[[神権主義]]的解釈が生まれた。 |
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歴史学者[[伊藤之雄]]の『昭和天皇と立憲君主制の崩壊』は、大日本帝国に起きた「立憲君主制の崩壊」を研究している{{sfn|伊藤之雄|2005|p=1}}。同書によると「一面では[[大正天皇]]が心身ともに弱かったということで、大隈や原というカリスマ的[[政党]]指導者らの力もあって、日本への[[デモクラシー]]潮流の流入や、立憲君主制([[政党政治]])への道が開け易くなった。しかし他面では、[[明治天皇]]の慎重な[[政治]]手法の[[伝統]]が[[昭和天皇]]や天皇を支える牧野ら[[宮中]]側近に正しく伝わらなかったことで、立憲君主制を危うくすることになった」{{sfn|伊藤之雄|2005|p=572}}。しかし「[[軍部]]のコントロールに失敗し立憲君主制が崩壊した責任を、昭和天皇や牧野[[内大臣]]ら宮中側近にすべて帰するのは、正当な評価とはいえない」{{sfn|伊藤之雄|2005|p=572}}。まず大日本帝国憲法には、「天皇の[[統治権]]を[[輔弼]]する最高[[責任]]者が誰であるかがあいまいであるという大きな欠陥」があった{{sfn|伊藤之雄|2005|p=572}}。また[[日本経済]]が[[1920年代]]には[[停滞]]しており、[[1930年]]に[[世界恐慌]](始まりは[[1929年]]10月)が直撃したことも「立憲君主制崩壊の重要な背景」とされる{{sfn|伊藤之雄|2005|p=572}}。 |
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竹田によると、この10年余り後に憲法は改正され、神権主義的解釈がなされたのはこの短期間に過ぎなかったが、これ以降の憲法に関する言論では、帝国憲法の施行されていた全期間において、神権主義的体制下にあった、という誤った認識が広く行き渡ることになったとされる{{Sfn|竹田|pp=212-215}}。 |
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日本国憲法における天皇については、『日本大百科全書』で[[安田浩]](歴史学者)は「象徴天皇には、通常の[[立憲君主]]のもっている政治上の外形的[[権限]]およびそれに基づく[[危機]]に際しての介入権限も与えられておらず、その点では[[君主]]とも[[元首]]ともいいえない[[存在]]となった」と述べている{{sfn|安田浩|2016|p=「天皇制」}}。『国史大辞典』では、[[法律制度]]上、象徴天皇は君主でも元首でもなく、[[神]]の[[子孫]]としての神聖な[[権威]]は消滅したとされている{{sfn|家永三郎|2015|p=「天皇」}}。『法律用語辞典(第4版)』は、象徴天皇と元首天皇は異なるとしている{{sfn|法令用語研究会|2015|p=「天皇」}}。 |
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===== 日本国憲法 ===== |
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[[内閣法制局]]による[[日本国政府|政府]]見解では日本国憲法下の日本を「立憲君主制と言っても差し支えないであろう」としている{{信頼性要検証|date=2017-04}}<ref>[[1973年]](昭和48年)[[6月28日]] [[参議院]]内閣委員会、政府委員・[[吉國一郎]][[内閣法制局]]長官答弁{{信頼性要検証|date=2017-04}}</ref><ref>1988年(昭和63年)10月11日 参議院内閣委員会、[[大出峻郎]]内閣法制局第一部長答弁{{信頼性要検証|date=2017-04}}</ref>。<!-- |
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{{Wikisource|日本國憲法}} |
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{{要出典範囲|[[大日本帝国憲法]]で天皇の地位と権限が明記されているため、憲法作成の参考とした[[プロイセン王国]]と同様に、「立憲君主制」とする見解が多い。しかし[[皇室典範 (1889年)|旧皇室典範]]は憲法と同格とされ、天皇は「神聖不可侵の統治者」と定められ[[大日本帝国陸軍]]・[[大日本帝国海軍]]の[[統帥権]]や[[日本の勅令の一覧|勅令]]などの強力な権限を持っていたため「[[絶対君主制]]」とする見解もある。これへの反論には、天皇の権限には「[[内閣 (日本)|内閣]]の[[輔弼]]」が必要で、これが事実上の承認であった上、実際[[天皇]]自ら国政へ介入することは稀であったため、「絶対君主制」とは言えないとする見解である。 |
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また[[美濃部達吉]]による『[[天皇機関説]]』では「[[君主]]である[[天皇]]も[[日本の国家機関|国家機関]]の一つ」とみなされるが、これは[[主権]]や[[主権者]]の解釈にも関連する。|date=2016年9月}} |
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{{要出典範囲|学説では「日本国憲法(第1章)下の天皇が[[君主]]であるか」については多数の見解がある。しかし、諸外国からは象徴・儀礼的存在の[[君主]]・[[元首|国家元首]]に相当すると扱われ、式典などの[[儀礼]]ではそのような待遇でもてなされる。|date=2016年8月}}--> |
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{{main|象徴天皇制#「君主」に関する議論}} |
{{main|象徴天皇制#「君主」に関する議論}} |
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[[日本国憲法]]は[[日本国憲法第1条|第1条]]で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定めた([[象徴天皇制]])。憲法および他の法令には「立憲君主制」や「君主」に対する直接的な記述はなく、日本政府の見解としては立憲君主制とみなしても差し支えないとしている一方で、学説として議論がある。 |
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=== オセアニア === |
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トンガ王国は立憲君主制である。だが、実際は国王の強力な大権によって国政が行われている。議会は貴族の代表と平民の代表で構成される。 |
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====== 制定経緯 ====== |
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サモア独立国は立憲君主制である。首相は議会の多数派により選ばれる。そして、元首の大首長によって任命される。 |
|||
日本国憲法は[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]が提示したマッカーサー三原則<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/072shoshi.html | title = マッカーサー三原則 |accessdate=2020-06-27}}</ref>を原則としたGHQ草案<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076shoshi.html | title = GHQ草案 |accessdate=2019-09-04}}</ref>に基づいているが、マッカーサー三原則には天皇の地位についての規定があり、以下の3つである<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/072/072tx.html | title = マッカーサー三原則 原文 |accessdate=2020-06-27}}</ref>。 |
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{{quotation| |
|||
Emperor is at the head of the state. |
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His succession is dynastic. |
|||
His duties and powers will be exercised in accordance with the Constitution and responsive to the basic will of the people as provided therein. |
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}} |
|||
上記を原則としてGHQ草案が作成されるにあたり、天皇の項目を担当したのはGHQの内部組織である民政局のリチャード・A・プール<ref>{{Cite web| url = https://ndlsearch.ndl.go.jp/rnavi/occupation/mma_28 | title = Richard A. Poole |accessdate=2019-09-04}}</ref>であった。いわゆる「象徴天皇制」はマッカーサー三原則における「Emperor is at the head of the state.」をリチャードがGHQ草案において「the symbol of the State」と表現したことがその起源であり、2000年の参議院憲法調査会の際に説明している<ref name=リチャード>{{Cite web|和書| url = https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=114714184X00720000502¤t=1 | title = 第147回国会 参議院 憲法調査会 第7号 平成12年5月2日 |accessdate=2020-06-27}}</ref>。また、同調査会において立憲君主制について以下のように述べている<ref name=リチャード/>。 |
|||
{{quotation| |
|||
制度として正式に記載するのは、主権在民であり、基本的人権であり、真の民主主義であり、政治的権限を持たない立憲君主制であり、戦争の放棄であり、またこれらの原則がいかなる理由によっても縮小されたり停止されたりしてはならないということだったのです。 |
|||
我々が目指したのは立憲君主制で、そこでは天皇は統治権を持たず、国家及び主権者である国民統合の象徴としての役割を果たすものでした。しかし、天皇には、儀礼的な行事を行う以外に、内閣の承認を条件に数多くの役目を付すことで、ある程度の意義ある役割が与えられたのです。|[[2000年]](平成12年)[[5月2日]] 参考人 元連合国最高司令官総司令部民政局海軍 リチャード・A・プール答弁<ref name=リチャード/> |
|||
}} |
|||
====== 政府見解 ====== |
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国会答弁における政府見解には以下がある。 |
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{{quotation| |
|||
国家の形態を[[君主制]]と[[共和制]]とに分けまして、わが国がそのいずれに属するかということがまず問題になるわけでございますが、公選による大統領その他の元首を持つことが共和制の顕著な特質であるということが一般の学説でございまするので、わが国は共和制でないことはまず明らかであろうと思います。 |
|||
それでは、君主制をさらに[[専制君主制]]と立憲君主制に分けるといたしますならば、わが国は近代的な意味の憲法を持っておりますし、その憲法に従って政治を行なう国家でございます以上、立憲君主制と言っても差しつかえないであろうと思います。もっとも、明治憲法下におきまするような統治権の総攬者としての天皇をいただくという意味での立憲君主制でないことは、これまた明らかでございます。|[[1973年]](昭和48年)[[6月28日]] [[参議院]][[内閣委員会]]、政府委員・[[吉國一郎]][[内閣法制局長官]]答弁<ref>{{Cite web|和書| url = https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=107114889X01619730628¤t=9 | title = 第71回国会 参議院 内閣委員会 第16号 昭和48年6月28日 |accessdate=2020-06-27}}</ref> |
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}} |
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===== 学説 ===== |
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学説としては、以下のようなものがある。 |
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憲法学者[[清宮四郎]]の『憲法Ⅰ』(第三版)によると、天皇が君主か否かについては、否定説と肯定説とがある{{Sfn|清宮|1979|p=184}}。君主制の歴史的変遷を見ると、[[専主制]](autocracy)の理想に最も近い[[絶対君主制]]から、君主の権能が制限された[[制限君主制]]、立憲君主制へと「進化」している{{Sfn|清宮|1979|p=185}}。しかし[[19世紀]]から[[20世紀]]にかけて、[[民主政治]]・[[議会政治]]が一層発達するに連れ、君主制国家は次第に減少し、実権は君主の手から離れて他の[[機関]]に移った{{Sfn|清宮|1979|p=185}}。そして[[イギリス国王]]のような「君臨するも統治しない」君主が生まれるに至り、[[ベルギー]]や[[オランダ]]等の君主もこれに近い{{Sfn|清宮|1979|p=185}}。これらを「議会制君主制(parliamentary monarchy)」という{{Sfn|清宮|1979|p=185}}。議会制君主制と天皇は、次のように対比されている{{Sfn|清宮|1979|p=185}}。 |
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{{Quotation|わが現行憲法における天皇は {{Interp|…|中略}} 歴史的にみて、これを君主といっても、あえて誤りというべきほどのものではない。ただし、この場合、君主と名づけるとしても、現在のイギリスの国王の型よりもさらに君主的色彩の薄らいだ型を示すものであることは、注意しなければならない。{{Sfn|清宮|1979|p=185}}}} |
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憲法学者の[[佐藤功]]の『憲法(上)』(新版)によると、「日本国憲法は明瞭に[[主権]]を[[国民]]に属せしめている以上、日本国は[[共和制]]であると見るべき」とする{{Sfn|佐藤|2001|p=35}}。しかし君主制には、「みずからを[[近代化]]・[[民主化]]しつつ存続しえた」という面もある{{Sfn|佐藤|2001|p=36}}。日本の国家型態は、「かつての絶対君主制や立憲君主制のような[[伝統]]的・典型的な君主制には属さないことは明らかである」とされる{{Sfn|佐藤|2001|pp=36-37}}。 |
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{{Quotation|要するに、この憲法下の日本国は伝統的・典型的な君主制には属さないが、同時に伝統的・典型的な共和制にも属さない。その意味では「中間的な国家型態」であるともいえようが、そのような位置づけはなお伝統的な君主制と共和制との区別の基準に基づいた位置づけであり、むしろ新たな君主制の基準に基づいて「[[国民主権]]下の君主制」とよぶことが適当であろう。{{Sfn|佐藤|2001|p=37}}}} |
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憲法学者の[[百地章]]の雑誌「改革者」平成12年5月号の寄稿によると、第二次世界大戦後、君主の権限は一般に縮小されたり形式的、名目的なものにとされる傾向にあり、もし従来の定義に固執した場合もはや君主らしい君主はほとんど見当たらないことになるとしたうえで、スウェーデン国王などの場合、象徴天皇よりもはるかに政治的権能は制限されていると述べている。また、世襲の原則(憲法二条)に基づき、日本国および日本国民統合の象徴(同一条)とされ、内閣総理大臣や最高裁長官の任命権ほか、栄誉の授与等の国事行為を行う(同六条七条)天皇は、まぎれもなく君主であると述べている。同時に、昭和48年参議院内閣委員会における内閣法制局長官の吉国一郎の答弁を引用し、事実、わが国政府の公式見解は、天皇を君主、わが国を立憲君主制とするものであるとする<ref>平成12年「改革者」5月号 2000年 p10-11</ref>。 |
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憲法学者の[[安田浩 (歴史学者)|安田浩]]は『日本大百科全書』にて「象徴天皇には、通常の[[立憲君主]]のもっている政治上の外形的[[権限]]およびそれに基づく[[危機]]に際しての介入権限も与えられておらず、その点では[[君主]]とも[[元首]]ともいいえない[[存在]]となった」と述べている{{sfn|安田浩|2016|p=「天皇制」}}。『国史大辞典』では、[[法律制度]]上、象徴天皇は君主でも元首でもなく、[[神]]の[[子孫]]としての神聖な[[権威]]は消滅したとされている{{sfn|家永三郎|2015|p=「天皇」}}。 |
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憲法学者の下條芳明は、日本やスウェーデンを[[象徴君主制]](広義の立憲君主制に含まれるが、狭義の立憲君主制ではない)に分類する<ref>下條芳明『象徴君主制憲法の20世紀的展開 - 日本とスウェーデンとの比較研究』(東信堂、2005年)</ref>。 |
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===== 国外の見解 ===== |
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外国政府では天皇を外交儀礼上の君主として扱っている。[[近代オリンピック|オリンピック]]の[[オリンピックの式典|開会宣言]]は[[国家元首]]が行うこととなっているが、日本では総理大臣ではなく天皇が行う。 |
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[[中央情報局|アメリカ中央情報局]]の『[[ザ・ワールド・ファクトブック]]』では、日本の「Government type(政府・統治のタイプ)」を「parliamentary constitutional monarchy<ref name=":0">{{Cite web|title=Japan - The World Factbook|url=https://www.cia.gov/the-world-factbook/countries/japan/|website=www.cia.gov|accessdate=2021-08-02}}</ref>」とし、「chief of state(君主)」を「[[徳仁|Emperor NARUHITO]] (since 1 May 2019); note - succeeds [[明仁|his father]] who abdicated on 30 April 2019」としている<ref name=":0" />。 |
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====タイ==== |
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[[立憲革命 (タイ)|立憲革命]]によりそれまでの[[専制君主制]]を廃した[[タイ王国]]は、当時有効であった[[大日本帝国|日本]]の[[大日本帝国憲法]]の制度をほぼそのまま導入し、国王大権など君主制の根幹に関する条項については、明治憲法の制度が21世紀の現在に至るまで基本的に維持されている。しかし、ドイツ第二帝国や明治憲法下の日本ほどではないが「国王は規定に基づき主権を行使できる」とされており、非常時には三権ないし[[タイ王国軍|軍]]に介入できるなど、実権を保持する。 |
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{{see also|タイの政治#国家元首|タイ王国#立憲君主制移行|大日本帝国憲法第3条#この条文の背景}} |
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====カンボジア==== |
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[[カンプチア人民共和国]]が[[1993年]]に消滅し、同年9月に立憲君主制の[[カンボジア|カンボジア王国]]が成立した。 |
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====バーレーン==== |
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バーレーン国は[[2002年]]に立憲君主制に移行して、「[[バーレーン王国]]」に国名変更した。 |
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====ブータン王国==== |
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[[ブータン王国]]も[[2008年]]3月までに上下両院の普通選挙を完了し、同年[[7月18日]]に新たな成文憲法典を成立させ、立憲君主制への移行を完了した。 |
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=== オセアニア === |
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====トンガ王国==== |
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[[トンガ王国]]は立憲君主制である。だが、実際は国王の強力な大権によって国政が行われている。議会は貴族の代表と平民の代表で構成される。 |
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====サモア独立国==== |
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[[サモア独立国]]の政体については選挙立憲君主制とみるか、共和制とみるかで争いがある。[[オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー|サモアの元首]]は形式上は議会で選出されるが、世襲の大首長家から選ばれることが当然とみなされている。 |
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=== ヨーロッパ === |
=== ヨーロッパ === |
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南欧では、1975年に[[王政復古]]したスペインを除いて、イタリア、バルカン諸国などで[[ファシスト党|ファシスト政権]]を歓迎したため、第二次世界大戦後、次々に追放され共和制と |
南欧では、[[1975年]]に[[王政復古]]した[[スペイン]]を除いて、[[イタリア]]、バルカン諸国などで[[ファシスト党|ファシスト政権]]を歓迎したため、[[第二次世界大戦]]後、次々に追放され[[共和制]]へと移行している。 |
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政治的な権限 |
政治的な権限を有さない君主は、[[デンマーク]]、[[スウェーデン]]、[[ノルウェー]]といった北欧諸国や[[オランダ]]、[[スペイン]]などヨーロッパの他の立憲君主国でも普通に見られる。ただし、オランダ(閣僚の任命についての43条など)やスペイン(首相の推薦又は任命についての99条など)は、政治慣行等を抜きにして条文上では君主の意思が介在できるイギリスと似た「一般的な立憲君主制」タイプであり、それが介在できないほど君主権力が制限・剥奪された「君主権力がより消極的な立憲君主制」とは異なる。スウェーデン国王は首相任命権などの形式的な国事行為すら憲法上認められておらず、政治から完全に分離され国の対外的代表としての地位しかないため、[[象徴君主制]]という新たな区分で説明されることがある。 |
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なお、[[リヒテンシュタイン公国]]は立憲君主制とされているが、議院内閣制でありながら、[[リヒテンシュタイン家]]の当主であるリヒテンシュタイン公が強大な政治的権限を有している<ref name="one theme">小林章夫 『女王、エリザベスの治世 先進国の王政記』 角川oneテーマ21 2012年5月 P3以下</ref>。これはリヒテンシュタイン家が膨大な資産を有しており国庫からの歳費収入に依存する必要がないためとされている<ref name="one theme" />。そのためリヒテンシュタイン公国はほぼ絶対君主制といえる政体であるといわれる<ref name="one theme" />。 |
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その一方で、[[リヒテンシュタイン家]]は、象徴・儀礼的存在にとどまらず強大な政治的権限を有している。そのため、ヨーロッパ最後の絶対君主制と言われる。 |
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=== アフリカ === |
=== アフリカ === |
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====モロッコ==== |
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モロッコ国王は情報統制など強権的な政治を行っている。その一方で民主化政策が進められている。[[ハサン2世 (モロッコ王)|ハサン2世]]の統治時代、1996年に憲法改正がなされた。この改正で二院制を導入、総選挙を実施した。 |
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[[モロッコ]][[モロッコの君主一覧|国王]]は情報統制など強権的な政治を行っている。その一方で[[民主化]]政策が進められている。[[ハサン2世 (モロッコ王)|ハサン2世]]の統治時代、[[1996年]]に憲法改正がなされた。この改正で[[二院制]]を導入、総選挙を実施した。 |
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さらに{{仮リンク|2011年モロッコ憲法改正国民投票|en|2011 Moroccan constitutional referendum}}によって首相・議会への権限委譲などなどを含む民主化改革が行われた。 |
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====レソト==== |
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レソト国王は国民統合の象徴的地位で、実権は首相にあり、政治的権力を有さない。逆に、当項には記されていないが、憲法典は持つものの条文内で国王による絶対的な支配権が保障されている[[スワジランド]]は[[絶対君主制|絶対王政]]に分類されており、世襲制の[[スワジランドの国王一覧|国王]]のもとで強権的な政権運営がなされている。 |
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[[レソト]]国王は国民統合の象徴的地位で、実権は首相にあり、政治的権力を有さない。 |
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====エスワティニ==== |
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[[エスワティニ]]は[[絶対君主制|絶対王政]]に分類されており、世襲制の[[スワジランドの国王一覧|国王]]のもとで強権的な政権運営がなされている。 |
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=== イギリス連邦 === |
=== イギリス連邦 === |
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[[イギリス連邦]]加盟国には、イギリスと |
[[イギリス連邦]]加盟国には、イギリスと同一の国王を戴く[[英連邦王国]]、独自の立憲君主国、共和国の類型がある。イギリス国王は英連邦の首長 (Head of the Commonwealth) の地位にある。 |
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==== 英連邦王国 ==== |
==== 英連邦王国 ==== |
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英連邦王国では、国王が主権者 (Sovereign) であり、国王の名が国家を意味する語として用いられる([[国王 (法人)]]も参照のこと)。すなわち「[[内閣 (イギリス)| |
英連邦王国では、国王が主権者 (Sovereign) であり、国王の名が国家を意味する語として用いられる([[国王 (法人)]]も参照のこと)。すなわち「国(女)王陛下の[[内閣 (イギリス)|内閣]]」「[[カナダ海軍|王立カナダ海軍]]」といった修辞が行われ、[[行政訴訟]]では国王が名義上の[[被告]]となる。国王の[[大権]]は国政の主要決定のほぼ全てにわたるが、その行使は憲法的法規もしくは憲法的慣行によって強く制約され、多くは[[普通選挙]]で議員が選出された[[下院]]に対して責任を有する[[首相]]の[[助言]]に基づいてなされる。 |
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イギリス以外の英連邦王国では国王が通常不在であるため、[[総督]]が君主の代理となる。現在では当該国の首相の助言に基づいて国王が総督を任命する。また、連邦制の[[カナダ]]と[[オーストラリア]]では、国王は各州の君主でもあり、副総督によって代行される。 |
イギリス以外の英連邦王国では国王が通常不在であるため、[[総督]]が君主の代理となる。現在では当該国の首相の助言に基づいて国王が総督を任命する。また、連邦制の[[カナダ]]と[[オーストラリア]]では、国王は各州の君主でもあり、副総督によって代行される。オーストラリアでは総督が、1975年には議会の膠着状態を解消するため、現職首相を罷免して野党党首を首相に任命したことがあり、政治的権限を行使する例が無いわけではない<ref>{{Cite web |title=「国王陛下の代理人」 オーストラリア第28代連邦総督が宣誓就任 – 世界・オーストラリアニュース {{!}} 日豪プレス - オーストラリアの生活情報サイト (NICHIGO PRESS) |url=https://nichigopress.jp/news-item/122560/#:~:text=%E9%80%A3%E9%82%A6%E7%B7%8F%E7%9D%A3%E3%81%AF%E5%9B%BD%E5%86%85%E3%81%A7,%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%81%AE%E5%9F%B7%E5%8B%99%E3%82%92%E8%A1%8C%E3%81%86%E3%80%82 |website=NICHIGO PRESS |access-date=2024-10-09 |language=ja}}</ref>。 |
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内閣が下院の信任を必要とする議院内閣制であるが、議会での首相指名選挙は行われず、国王または総督等が[[ウェストミンスター・システム]]の憲法的慣行に従って下院多数党派のリーダーを首相に任命する。そして内閣の方針を国王または総督等が議会で読み上げ([[国王演説]])、それに対し下院が信任投票を行う。 |
内閣が下院の信任を必要とする議院内閣制であるが、議会での首相指名選挙は行われず、国王または総督等が[[ウェストミンスター・システム]]の憲法的慣行に従って下院多数党派のリーダーを首相に任命する。そして内閣の方針を国王または総督等が議会で読み上げ([[国王演説]])、それに対し下院が信任投票を行う。 |
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== 賛否 == |
== 賛否 == |
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「立憲君主制(制限君主制)は政府の正統性を担保し、また政権首脳に権威が集中することを抑制する効果がある」として、一旦君主制を廃止したものの政情不安のある国では[[王政復古]]が模索されることがある。 |
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立憲君主制(制限君主制)は政府の正統性を担保し、また政権首脳に権威が集中することを抑制する効果があるとして、一旦君主制を廃止したものの政情不安のある国では[[王政復古]]が模索されることがある。またかつてのヨーロッパやラテンアメリカでは、新国家を創設する際に他国の王族・貴族を新たに名目上の君主として擁立する例も少なくなかった。一方で、[[戦間期]]には国王自らが[[クーデター]]を起こして独裁体制を敷いた例が多発している。また、世襲を原則とする君主制は[[法の下の平等|平等権]]とは異質な制度であり、また王族自身の[[人権]]に特別な制限が加えられることも多いため、立憲君主制国家において[[君主制廃止論]]もある。 |
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また、かつての[[ヨーロッパ]]や[[ラテンアメリカ]]では、新国家を創設する際に他国の王族・貴族を新たに名目上の君主として擁立する例も少なくなかった。 |
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== 注釈 == |
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一方で、[[戦間期]]には国王自らが[[クーデター]]を起こして独裁体制を敷いた例が多発している。 |
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== 出典 == |
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また、世襲を原則とする君主制は[[法の下の平等|平等権]]とは異質な制度であり、また王族自身の[[人権]]に特別な制限が加えられることも多いため、立憲君主制国家において「[[君主制廃止論]]」もある。しかし、世襲であることは政権首脳が権威を掌握する隙を与えず、尚且つ権威者たる君主が生涯にわたり権力を掌握できないようにすることを可能にするため、権威と権力の分立という観点からは、寧ろ高度な民主主義体系の維持に役立つという側面もある。君主やその一族の人権が制約されることは、公務員がその業務の特性上、「私」よりも「公僕」としての立場を要求されるために一部人権の制約を受けることに準じるとされ、間接的ではあるが、国民に対し公権力を行使するという立場から一部人権制約を受けるのは前項における民主主義を維持するために必要な措置であると考えられている。 |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite book|和書|author=芦部信喜 |authorlink=芦部信喜|year=2016 |title=憲法 |edition=第六版第三刷|publisher=[[岩波書店]] |isbn=978-4-00-022799-5|ref=harv}} |
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* [[山内敏弘]]編『新現代憲法入門』法律文化社、2004年 |
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* {{Cite book|和書|author=家永三郎|year=2015|chapter=天皇|title=国史大辞典|publisher=JapanKnowledge|ref=harv}} |
* {{Cite book|和書|author=家永三郎|year=2015|chapter=天皇|title=国史大辞典|publisher=JapanKnowledge|ref=harv}} |
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* {{Cite book|和書|author=伊藤之雄|title=昭和天皇と立憲君主制の崩壊:睦仁・嘉仁から裕仁へ|publisher=名古屋大学出版会|year=2005|isbn=978-4815805142|ref=harv}} |
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* {{Cite book|和書|author=清宮四郎|authorlink=清宮四郎|year=1979|title=憲法Ⅰ:統治の機構|edition=第三版第1刷|volume=法律学全集3|publisher=[[有斐閣]]|isbn=4-641-00703-9|ref=harv}} |
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|和書 |
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|last = 樹神 |
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|title = 憲法の歴史的位置と憲法裁判の意義 ―1993年ロシア連邦憲法第80条と憲法裁判所裁判官― |
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* {{Cite book|和書|author=佐藤功|authorlink=佐藤功|year=2001|title=憲法|edition=新版(オンデマンド版)|volume=(上)|series=ポケット注釈全書|publisher=有斐閣|isbn=4-641-90182-1|ref=harv}} |
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*{{Cite book|和書|author=竹田恒泰|authorlink=竹田恒泰|title=天皇は本当にただの象徴に堕ちたのか|publisher=PHP研究所|series=[[PHP新書]]|date=2018-01-05|isbn=978-4-569-83728-4|ref={{SfnRef|竹田}}}} |
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* {{Cite book|和書|author=法令用語研究会|year=2015|chapter=天皇|title=法律用語辞典|edition=第4版|publisher=JapanKnowledge|ref=harv}} |
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* {{Cite book|和書|last =田中|first=浩|authorlink=田中浩_(政治学者)|title=日本大百科全書(ニッポニカ)|work=「立憲君主制」|url=https://kotobank.jp/word/%E7%AB%8B%E6%86%B2%E5%90%9B%E4%B8%BB%E5%88%B6-148943#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29|publisher=Kotobank|year=2022|ref=harv}} |
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* {{Cite journal |
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|和書 |
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|title = 象徴天皇制の君主制形態をめぐる研究整理と一考察 : 国法学的方法論と「君主制の歴史的・社会的機能」論の視角から |
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* {{Cite book|和書|author=安田浩|chapter=天皇制|title=日本大百科全書(ニッポニカ)|publisher=Kotobank|year=2016|url=https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%88%B6-102684#%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%88%B6|ref=harv}} |
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* [[山内敏弘]]編『新現代憲法入門』法律文化社、2004年 |
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* {{Cite book|和書|author=芦部信喜 |year=2016 |title=憲法 |edition=第六版第三刷|publisher=[[岩波書店]] |isbn=978-4-00-022799-5|ref=harv}} |
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* {{Cite book|和書|author=伊藤之雄|title=昭和天皇と立憲君主制の崩壊:睦仁・嘉仁から裕仁へ|publisher=名古屋大学出版会|year=2005|isbn=978-4815805142|ref=harv}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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** [[ドミナートゥス|専制君主制(ドミナートゥス)]] |
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** [[絶対君主制]] |
** [[絶対君主制]] |
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** [[象徴君主制]] |
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** [[天皇制]] |
** [[天皇制]] |
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*** [[象徴天皇制]] |
*** [[象徴天皇制]] |
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* [[議会主権]] |
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* [[徳治主義]] |
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* [[尾高・宮沢論争]](日本国憲法下における主権の所在に関する論争) |
* [[尾高・宮沢論争]](日本国憲法下における主権の所在に関する論争) |
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* [[憲法学会]] - [[日本学術会議協力学術研究団体]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* [ |
* {{PDFlink|[https://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/shukenshi013.pdf/$File/shukenshi013.pdf 衆議院憲法調査会 象徴天皇制に関する基礎的資料]}} - 天皇は元首・君主かどうかについての議論。 |
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[[hu:Monarchia#Alkotmányos monarchia]] |
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君主主義 |
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政治シリーズ記事からの派生 |
政治体制 |
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政治体制の分類と対立軸 |
カテゴリ |
立憲君主制(りっけんくんしゅせい、英: constitutional monarchy)とは、君主制における君主の権力が憲法によって規制されている政体[1]。制限君主制(せいげんくんしゅせい)ともいう[2]。立憲君主制には法的分類があり、憲法下で議会が権力を持ち君主権は名目であるイギリス型と、憲法下でも実際は君主権が制限されないドイツ帝国型とがある[3]。
現代の君主制のほとんどは、イギリス型の立憲君主制とされる[4]。一方、立憲君主制が歴史的に発展した型を指す用語として「(人民主権下の)議会君主制」があり[5]、それは現代のイギリス、日本、スウェーデン、スペイン[6]、ベルギーなどに見られる[7]。
概要
[編集]君主(称号としては「天子」、「王」、「皇帝」、「帝王」[8]、「きみ」などがある[9]。)とは、「伝統的には,国家において特定の1人が主権を保持する場合のその主権者」である[10]。君主制とは、ある政治共同体において世襲の君主が主権を持つ政治形態[11]であるが、その君主制の分類として、憲法に従って君主の権力が一定の制約を受ける政治体制を立憲君主制と呼ぶ[2]。絶対君主が市民階級の台頭により妥協し生まれた[2]。
立憲君主制が確立していくと共に君主の権能は制限されていく傾向があり、「君主は君臨すれども統治せず」という表現はイギリス君主のような「名目化」、「象徴化」を表している[10]。この原理は日本国憲法下の天皇やベルギー憲法下の国王にも共通すると言われるが、「両憲法は国民主権に立脚するもので,君主の名目化,象徴化が最も進んでおり,もはや『君臨する』といえるかどうかさえ疑問である」とされている[10][注釈 1]。
君主の有する権力の総体を君主主権といい、絶対王政はこれに支えられていたが、フランス革命は「あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する」(人権宣言3条)として君主主権の原理を否定し、国民主権原理を確立した[12]。
『法律用語辞典(第4版)』によると立憲君主制は二種類、すなわち、実際の権力は議会に与えられ君主権は名目上にすぎないイギリス型と、憲法は存在しても実際には君主権が制限されないドイツ帝国型に分類される[3]。大日本帝国憲法下の日本は、ドイツ型の立憲君主制とされる[3]。
歴史
[編集]この節のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2021年6月) |
政治学者の田中浩が言うには立憲君主制は、絶対君主を打倒して近代国家を形成した17世紀のイギリスにおいて最初に確立された[4][13]。
元々、イギリスでは13世紀末以来、君主権は議会の制定した法律や決定に制限されるという権力制限的思考が強かった[4][13]。
しかし17世紀、君主がその権限の拡大強化を図り絶対君主の道を追求し始めたため、市民革命が起こった[4][13]。
名誉革命後のイギリスでは、立法権を有する議会が行政権を持つ国王に優位するという政治思想が確立された[4][13]。さらに18世紀中期以降は行政権を事実上内閣が掌握し、19世紀に政党政治が確立される中、議院内閣制が政治運営上の基本原則となり、イギリスは世界における民主主義国家のモデルとなった[4][13]。
イギリス国王は今日においてもイギリスの元首であり、形式的には行政権の長であるが、1931年のウェストミンスター憲章によってイギリス国王は連合王国の象徴としての地位に就いた[4][13]。イギリスは立憲君主制の国ではあるが、政治の実態はアメリカ合衆国や今日のフランス、旧西ドイツ等の共和制国家と「同じもの」だと言える[4][13]。
他方、第一次世界大戦前のドイツ帝国や戦前の日本でも憲法は存在したが、そこでは君主や天皇が行政権を掌握し、数々の強大な大権を有し、議会の権限は極めて弱く、外見的立憲主義だったと田中は述べている[4][13]。対してイギリスのような立憲君主制は、議会主義的君主制と呼ばれる[4][13]。
第二次世界大戦後も君主制を擁する国々は十数ヶ国存在するが、ほとんどはイギリス型の立憲君主制を取っており、ベルギーやルクセンブルクなど憲法上で国民主権を明記している国もある[13]。田中は次の通り締めくくっている[4][13]。
榎原猛による定義・分類
[編集]憲法学者榎原猛は、その著書『君主制の比較憲法学的研究』(1959年、有信堂)において、「立憲君主制度」を、「制限君主制度」(主権者たる君主が国権を発動するに際し、独立機関を設け、この独立機関を通じて国権を発動することを本則とする制度)の一類型である「立憲政体を採用する君主国の制度」と定義したうえで、立憲君主制度の国を以下のように分類している[注釈 3]。
- 君主主義的立憲君主制度 - 国王と国会との相互関係のうえで、国王が優位の立憲君主制度
- 国会主義的立憲君主制度 - 国王と国会との相互関係のうえで、国会が優位の立憲君主制度
なお榎原は、「国会主義」の君主制という観点から、
- 国会主義的立憲君主制度(君主制国家でありながら、憲法的習律により、議院内閣制を採用し、国会主義を実現している制度)
- 国会制的間接君主制度(君主主権を定めながら、憲法の明文により議院内閣制を採用し、国会主義を実現している制度)
- 共和国における君主制(憲法上で国民主権を定めながら、君主制を採用している制度)
の分類も用いている[14]。
ウォルター・バジョットによる立憲君主制での君主の権利
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
ウォルター・バジョットによれば、立憲君主制における君主は以下の3つの権利を保持しているとされる。
- 諮問に対し意見を述べる権利
- 奨励する権利
- 警告する権利
また君主が優れた感覚や英知を有するのであれば、このほかに必要とするものはないとした[15]。
現在の立憲君主国一覧
[編集]現在の君主国は、以下の43ヶ国。
イギリス連邦構成諸国は本節最下部に別記する。
アジア
[編集]ヨーロッパ
[編集]オセアニア
[編集]アフリカ
[編集]英連邦王国
[編集]英連邦王国の諸国は同一の国王を君主とする。イギリス以外の国では各国政府の助言に基づいて国王により形式的に任命された総督が大権を執行する。また、性質上は単なる象徴元首の扱いであるため、各国の国政運営は政府の長たる首相率いる内閣(行政府)にて継続して行われている。
各国の立憲君主制
[編集]アジア
[編集]日本
[編集]大日本帝国憲法
[編集]この節のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2022年1月) |
政治評論家の竹田恒泰によれば、大日本帝国憲法において、国家統治の権限は天皇による統治権(天皇大権)として定められた。その行使にあたっては国務大臣、統帥部、宮内大臣らの輔弼を絶対要件として必要とし[16]、その行使に伴って生じる結果責任を天皇に代わって引き受ける輔弼者が存在して初めて行使されうるよう運用された。
竹田によると、この天皇大権の根拠としては、日本建国以来の歴代の天皇が実際に大権を保持し、主体的に行使してきたという歴史的事実自体に求めたという[17]。竹田によれば、日本の歴史としては建国以前に記紀神話が連続して続いているが、この神話的出来事は、井上毅ら帝国憲法の起草者によって立憲の議論からは除外された。天皇に関わる法的な議論に神話的出来事を持ち込むことにより、宗教や哲学を巡る議論が起き、それに天皇や政府が巻き込まれることを避けたためであるという[18]。
その後、1935年の天皇機関説事件を契機といて、野党や軍部、右翼団体が天皇機関説の排撃運動を活発化させる。1935年8月3日、岡田内閣は天皇の統治権の根拠として天照大神による天壌無窮の神勅による、と公式に発表し(国体明徴声明)、この時点で初めて、天皇大権の根拠に神話を持ち込む神権主義的解釈が生まれた。
竹田によると、この10年余り後に憲法は改正され、神権主義的解釈がなされたのはこの短期間に過ぎなかったが、これ以降の憲法に関する言論では、帝国憲法の施行されていた全期間において、神権主義的体制下にあった、という誤った認識が広く行き渡ることになったとされる[19]。
日本国憲法
[編集]日本国憲法は第1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定めた(象徴天皇制)。憲法および他の法令には「立憲君主制」や「君主」に対する直接的な記述はなく、日本政府の見解としては立憲君主制とみなしても差し支えないとしている一方で、学説として議論がある。
制定経緯
[編集]日本国憲法はマッカーサーが提示したマッカーサー三原則[20]を原則としたGHQ草案[21]に基づいているが、マッカーサー三原則には天皇の地位についての規定があり、以下の3つである[22]。
Emperor is at the head of the state.
His succession is dynastic.
His duties and powers will be exercised in accordance with the Constitution and responsive to the basic will of the people as provided therein.
上記を原則としてGHQ草案が作成されるにあたり、天皇の項目を担当したのはGHQの内部組織である民政局のリチャード・A・プール[23]であった。いわゆる「象徴天皇制」はマッカーサー三原則における「Emperor is at the head of the state.」をリチャードがGHQ草案において「the symbol of the State」と表現したことがその起源であり、2000年の参議院憲法調査会の際に説明している[24]。また、同調査会において立憲君主制について以下のように述べている[24]。
制度として正式に記載するのは、主権在民であり、基本的人権であり、真の民主主義であり、政治的権限を持たない立憲君主制であり、戦争の放棄であり、またこれらの原則がいかなる理由によっても縮小されたり停止されたりしてはならないということだったのです。
我々が目指したのは立憲君主制で、そこでは天皇は統治権を持たず、国家及び主権者である国民統合の象徴としての役割を果たすものでした。しかし、天皇には、儀礼的な行事を行う以外に、内閣の承認を条件に数多くの役目を付すことで、ある程度の意義ある役割が与えられたのです。 — 2000年(平成12年)5月2日 参考人 元連合国最高司令官総司令部民政局海軍 リチャード・A・プール答弁[24]
政府見解
[編集]国会答弁における政府見解には以下がある。
国家の形態を君主制と共和制とに分けまして、わが国がそのいずれに属するかということがまず問題になるわけでございますが、公選による大統領その他の元首を持つことが共和制の顕著な特質であるということが一般の学説でございまするので、わが国は共和制でないことはまず明らかであろうと思います。
それでは、君主制をさらに専制君主制と立憲君主制に分けるといたしますならば、わが国は近代的な意味の憲法を持っておりますし、その憲法に従って政治を行なう国家でございます以上、立憲君主制と言っても差しつかえないであろうと思います。もっとも、明治憲法下におきまするような統治権の総攬者としての天皇をいただくという意味での立憲君主制でないことは、これまた明らかでございます。 — 1973年(昭和48年)6月28日 参議院内閣委員会、政府委員・吉國一郎内閣法制局長官答弁[25]
学説
[編集]学説としては、以下のようなものがある。
憲法学者清宮四郎の『憲法Ⅰ』(第三版)によると、天皇が君主か否かについては、否定説と肯定説とがある[26]。君主制の歴史的変遷を見ると、専主制(autocracy)の理想に最も近い絶対君主制から、君主の権能が制限された制限君主制、立憲君主制へと「進化」している[27]。しかし19世紀から20世紀にかけて、民主政治・議会政治が一層発達するに連れ、君主制国家は次第に減少し、実権は君主の手から離れて他の機関に移った[27]。そしてイギリス国王のような「君臨するも統治しない」君主が生まれるに至り、ベルギーやオランダ等の君主もこれに近い[27]。これらを「議会制君主制(parliamentary monarchy)」という[27]。議会制君主制と天皇は、次のように対比されている[27]。
わが現行憲法における天皇は […] 歴史的にみて、これを君主といっても、あえて誤りというべきほどのものではない。ただし、この場合、君主と名づけるとしても、現在のイギリスの国王の型よりもさらに君主的色彩の薄らいだ型を示すものであることは、注意しなければならない。[27]
憲法学者の佐藤功の『憲法(上)』(新版)によると、「日本国憲法は明瞭に主権を国民に属せしめている以上、日本国は共和制であると見るべき」とする[28]。しかし君主制には、「みずからを近代化・民主化しつつ存続しえた」という面もある[29]。日本の国家型態は、「かつての絶対君主制や立憲君主制のような伝統的・典型的な君主制には属さないことは明らかである」とされる[30]。
憲法学者の百地章の雑誌「改革者」平成12年5月号の寄稿によると、第二次世界大戦後、君主の権限は一般に縮小されたり形式的、名目的なものにとされる傾向にあり、もし従来の定義に固執した場合もはや君主らしい君主はほとんど見当たらないことになるとしたうえで、スウェーデン国王などの場合、象徴天皇よりもはるかに政治的権能は制限されていると述べている。また、世襲の原則(憲法二条)に基づき、日本国および日本国民統合の象徴(同一条)とされ、内閣総理大臣や最高裁長官の任命権ほか、栄誉の授与等の国事行為を行う(同六条七条)天皇は、まぎれもなく君主であると述べている。同時に、昭和48年参議院内閣委員会における内閣法制局長官の吉国一郎の答弁を引用し、事実、わが国政府の公式見解は、天皇を君主、わが国を立憲君主制とするものであるとする[32]。
憲法学者の安田浩は『日本大百科全書』にて「象徴天皇には、通常の立憲君主のもっている政治上の外形的権限およびそれに基づく危機に際しての介入権限も与えられておらず、その点では君主とも元首ともいいえない存在となった」と述べている[33]。『国史大辞典』では、法律制度上、象徴天皇は君主でも元首でもなく、神の子孫としての神聖な権威は消滅したとされている[34]。
憲法学者の下條芳明は、日本やスウェーデンを象徴君主制(広義の立憲君主制に含まれるが、狭義の立憲君主制ではない)に分類する[35]。
国外の見解
[編集]外国政府では天皇を外交儀礼上の君主として扱っている。オリンピックの開会宣言は国家元首が行うこととなっているが、日本では総理大臣ではなく天皇が行う。
アメリカ中央情報局の『ザ・ワールド・ファクトブック』では、日本の「Government type(政府・統治のタイプ)」を「parliamentary constitutional monarchy[36]」とし、「chief of state(君主)」を「Emperor NARUHITO (since 1 May 2019); note - succeeds his father who abdicated on 30 April 2019」としている[36]。
タイ
[編集]立憲革命によりそれまでの専制君主制を廃したタイ王国は、当時有効であった日本の大日本帝国憲法の制度をほぼそのまま導入し、国王大権など君主制の根幹に関する条項については、明治憲法の制度が21世紀の現在に至るまで基本的に維持されている。しかし、ドイツ第二帝国や明治憲法下の日本ほどではないが「国王は規定に基づき主権を行使できる」とされており、非常時には三権ないし軍に介入できるなど、実権を保持する。
カンボジア
[編集]カンプチア人民共和国が1993年に消滅し、同年9月に立憲君主制のカンボジア王国が成立した。
バーレーン
[編集]バーレーン国は2002年に立憲君主制に移行して、「バーレーン王国」に国名変更した。
ブータン王国
[編集]ブータン王国も2008年3月までに上下両院の普通選挙を完了し、同年7月18日に新たな成文憲法典を成立させ、立憲君主制への移行を完了した。
オセアニア
[編集]トンガ王国
[編集]トンガ王国は立憲君主制である。だが、実際は国王の強力な大権によって国政が行われている。議会は貴族の代表と平民の代表で構成される。
サモア独立国
[編集]サモア独立国の政体については選挙立憲君主制とみるか、共和制とみるかで争いがある。サモアの元首は形式上は議会で選出されるが、世襲の大首長家から選ばれることが当然とみなされている。
ヨーロッパ
[編集]南欧では、1975年に王政復古したスペインを除いて、イタリア、バルカン諸国などでファシスト政権を歓迎したため、第二次世界大戦後、次々に追放され共和制へと移行している。
政治的な権限を有さない君主は、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーといった北欧諸国やオランダ、スペインなどヨーロッパの他の立憲君主国でも普通に見られる。ただし、オランダ(閣僚の任命についての43条など)やスペイン(首相の推薦又は任命についての99条など)は、政治慣行等を抜きにして条文上では君主の意思が介在できるイギリスと似た「一般的な立憲君主制」タイプであり、それが介在できないほど君主権力が制限・剥奪された「君主権力がより消極的な立憲君主制」とは異なる。スウェーデン国王は首相任命権などの形式的な国事行為すら憲法上認められておらず、政治から完全に分離され国の対外的代表としての地位しかないため、象徴君主制という新たな区分で説明されることがある。
なお、リヒテンシュタイン公国は立憲君主制とされているが、議院内閣制でありながら、リヒテンシュタイン家の当主であるリヒテンシュタイン公が強大な政治的権限を有している[37]。これはリヒテンシュタイン家が膨大な資産を有しており国庫からの歳費収入に依存する必要がないためとされている[37]。そのためリヒテンシュタイン公国はほぼ絶対君主制といえる政体であるといわれる[37]。
アフリカ
[編集]モロッコ
[編集]モロッコ国王は情報統制など強権的な政治を行っている。その一方で民主化政策が進められている。ハサン2世の統治時代、1996年に憲法改正がなされた。この改正で二院制を導入、総選挙を実施した。 さらに2011年モロッコ憲法改正国民投票によって首相・議会への権限委譲などなどを含む民主化改革が行われた。
レソト
[編集]レソト国王は国民統合の象徴的地位で、実権は首相にあり、政治的権力を有さない。
エスワティニ
[編集]エスワティニは絶対王政に分類されており、世襲制の国王のもとで強権的な政権運営がなされている。
イギリス連邦
[編集]イギリス連邦加盟国には、イギリスと同一の国王を戴く英連邦王国、独自の立憲君主国、共和国の類型がある。イギリス国王は英連邦の首長 (Head of the Commonwealth) の地位にある。
英連邦王国
[編集]英連邦王国では、国王が主権者 (Sovereign) であり、国王の名が国家を意味する語として用いられる(国王 (法人)も参照のこと)。すなわち「国(女)王陛下の内閣」「王立カナダ海軍」といった修辞が行われ、行政訴訟では国王が名義上の被告となる。国王の大権は国政の主要決定のほぼ全てにわたるが、その行使は憲法的法規もしくは憲法的慣行によって強く制約され、多くは普通選挙で議員が選出された下院に対して責任を有する首相の助言に基づいてなされる。
イギリス以外の英連邦王国では国王が通常不在であるため、総督が君主の代理となる。現在では当該国の首相の助言に基づいて国王が総督を任命する。また、連邦制のカナダとオーストラリアでは、国王は各州の君主でもあり、副総督によって代行される。オーストラリアでは総督が、1975年には議会の膠着状態を解消するため、現職首相を罷免して野党党首を首相に任命したことがあり、政治的権限を行使する例が無いわけではない[38]。
内閣が下院の信任を必要とする議院内閣制であるが、議会での首相指名選挙は行われず、国王または総督等がウェストミンスター・システムの憲法的慣行に従って下院多数党派のリーダーを首相に任命する。そして内閣の方針を国王または総督等が議会で読み上げ(国王演説)、それに対し下院が信任投票を行う。
議会を通過した法案に対する拒否権や、下院の信任を失っていない首相の解任なども君主大権に含まれるが、基本的には行使してはならないとされる。総督等が首相の助言なしにこのような大権を行使し問題となること(憲法危機)が幾度かあったが、その際も総督の解任権をもつ女王エリザベス2世は、当該国内で解決すべき問題であるとし不介入を貫いている。
賛否
[編集]「立憲君主制(制限君主制)は政府の正統性を担保し、また政権首脳に権威が集中することを抑制する効果がある」として、一旦君主制を廃止したものの政情不安のある国では王政復古が模索されることがある。
また、かつてのヨーロッパやラテンアメリカでは、新国家を創設する際に他国の王族・貴族を新たに名目上の君主として擁立する例も少なくなかった。
一方で、戦間期には国王自らがクーデターを起こして独裁体制を敷いた例が多発している。
また、世襲を原則とする君主制は平等権とは異質な制度であり、また王族自身の人権に特別な制限が加えられることも多いため、立憲君主制国家において「君主制廃止論」もある。しかし、世襲であることは政権首脳が権威を掌握する隙を与えず、尚且つ権威者たる君主が生涯にわたり権力を掌握できないようにすることを可能にするため、権威と権力の分立という観点からは、寧ろ高度な民主主義体系の維持に役立つという側面もある。君主やその一族の人権が制約されることは、公務員がその業務の特性上、「私」よりも「公僕」としての立場を要求されるために一部人権の制約を受けることに準じるとされ、間接的ではあるが、国民に対し公権力を行使するという立場から一部人権制約を受けるのは前項における民主主義を維持するために必要な措置であると考えられている。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』「君主」の原文:
- ^ 『日本大百科全書』「立憲君主制」の原文:第一次世界大戦前のドイツや戦前の日本でも憲法は存在したが、そこでは、君主や天皇が行政権を掌握し、数々の強大な大権を有し、議会の権限はきわめて弱かったから、立憲君主制といってもそれは名ばかりで、とうていこれらの国々は民主主義国家とはいえなかった。このような立憲君主制は外見的立憲主義とよばれ、イギリスのような立憲君主制は議会主義的君主制とよばれる。
第二次世界大戦後も君主を擁する国々――その数はいまや十数か国にすぎない――が存在するが、そのほとんどはイギリス型の立憲君主制をとっており、ベルギー、ルクセンブルクなどのように憲法上、国民主権主義を明記している国もある。戦後日本では、憲法上、国民主権主義を明確化し、天皇主権主義を廃止し、天皇は政治的権限をもたない象徴的地位についた。この意味で戦後の日本は、事実上、国民主権主義をとる民主国家と規定できよう。[4][13] - ^ 榎原猛『君主制の比較憲法学的研究』有信堂、1969年、46頁以下。ただし榎原の分類においては、君主主義的立憲君主制度と専制君主制度(主権者たる君主が国権を発動するに際し、独立機関を通じず直接行使すること)との区分が、やや明白ではないように思われる。榎原は、1960年代のサウジアラビア、ネパールを「専制君主制度」とし、同年代のモナコ、エチオピアを君主主義的立憲君主制度としている。しかしネパールについては、一応は憲法典が存在したのであり、「外見的立憲君主制度」の君主主義的立憲君主制度の国と分類できなくはないはずである。また榎原自身、モナコは「専制君主国に数えることも法理的に無理ではないであろう」(同書125頁)とし、エチオピアは「われわれをして、『立憲君主制度』といいきることに、若干のためらい与える」(同書147頁)として、分類に迷いが見られる。
- ^ 憲法および他の法令には「立憲君主制」や「君主」に対する直接的な記述はなく、日本政府の見解としては立憲君主制とみなしても差し支えないとしている一方で、学説として議論がある。なお明治以降、大正・昭和・平成・令和期現在に至る天皇の地位の解釈及び学説は#日本を参照。また、象徴天皇制及び日本国憲法第1条も参照。
- ^ 国王が首相を兼任し、閣僚、裁判官、立法評議会議員の任免も国王が掌握しているなど、事実上の絶対君主制にある。
- ^ マレーシアの国王は正式にはアゴンと呼ばれ、各州の君主による輪番制である。象徴的存在であり実権を有さない。象徴元首も参照。
- ^ 儀礼的な行為も含め全ての政治的権限を失い、称号のみ存在する形のスウェーデンの立憲君主制は「象徴君主制」とも評される。
- ^ アンドラ公国は、「公国」と冠しているものの世襲の君主は存在せず、実態はフランス元首(大統領)とウルヘル司教の2名の共同大公を戴く議会制である。憲法で国民主権が明記され、また元首の職務も大公使の接受、法律・条約の認証など儀礼的であり、実際の外交権は内閣が、条約の締結は国会が行使する
- ^ サモア独立国の国家元首(大首長またはオ・レ・アオ・オ・レ・マーロー)は世襲の4人の大首長から選出されることが慣例となっており敬称も殿下であるなど君主制の性格を有している一方で、その選出は議会が行い、任期(5年)が定められているなど共和制の性格も有しており、国によっては同国を共和国とみなしている場合がある。なお日本の外務省は同国の政体は「選挙により国家元首を選ぶ制度」としている。
- ^ 君主号は、1957年に「スルターン」(Sultan) から「国王」(King) に変更された。
出典
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参考文献
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- 樹神, 成「憲法の歴史的位置と憲法裁判の意義 ―1993年ロシア連邦憲法第80条と憲法裁判所裁判官―」『三重大学法経論叢』第36巻第1号、三重大学法律経済学会、2018年10月、23-52頁、ISSN 0289-7156。
- 佐藤功『憲法』 (上)(新版(オンデマンド版))、有斐閣〈ポケット注釈全書〉、2001年。ISBN 4-641-90182-1。
- 竹田恒泰『天皇は本当にただの象徴に堕ちたのか』PHP研究所〈PHP新書〉、2018年1月5日。ISBN 978-4-569-83728-4。
- 法令用語研究会「天皇」『法律用語辞典』(第4版)JapanKnowledge、2015年。
- 田中, 浩『日本大百科全書(ニッポニカ)』Kotobank、2022年 。
- 茶谷, 誠一「象徴天皇制の君主制形態をめぐる研究整理と一考察 : 国法学的方法論と「君主制の歴史的・社会的機能」論の視角から」『成蹊大学文学部紀要(Bulletin of the Faculty of Humanities, Seikei University)』第47巻、成蹊大学文学部学会、2012年3月、39-54頁、doi:10.15018/00000455、ISSN 0586-7797。
- 安田浩「天皇制」『日本大百科全書(ニッポニカ)』Kotobank、2016年 。
- 山内敏弘編『新現代憲法入門』法律文化社、2004年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 衆議院憲法調査会 象徴天皇制に関する基礎的資料 (PDF) - 天皇は元首・君主かどうかについての議論。