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|備考= 元[[中国放送]]アナウンサー |
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'''煙石 博'''(えんせき ひろし、[[1946年]][[11月2日]] - )は、日本の[[アナウンサー]]、[[ラジオパーソナリティ]]。元[[中国放送]][[アナウンサー]]。 |
'''煙石 博'''(えんせき ひろし、[[1946年]][[11月2日]]<ref name="アナ本P185">『RCCアナ本』 185ページ</ref> - )は、日本の[[アナウンサー]]、[[ラジオパーソナリティ]]。元[[中国放送]][[アナウンサー]]。 |
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== 人物 == |
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[[広島県]][[広島市]]出身。 |
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1985年頃放送された『世の中土曜日うきうきワイド』を担当するまでは主に1人でのトーク番組を担当<ref name="アナ本P106">『RCCアナ本』 106ページ</ref>。その後、同局で28年間にわたり放送されたラジオ番組『[[なんでもジョッキー]]』では[[1985年]](昭和60年)から[[2003年]](平成15年)まで18年にわたりパーソナリティーを務めた。在職中にCM部門で[[アノンシスト賞]]を受賞している<ref name="アナ本P185"/>。 |
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[[2003年]]には期間限定で[[広島電鉄]][[路面電車]]の車内アナウンステープの吹き込みを広島弁で行った。 |
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また、覆面執筆者'''がんす頑次郎'''として、『月刊レジャー広島』{{Refnest|group=補足|執筆開始から[[1987年]](昭和62年)までは『映画手帖』<ref name="ヒロシママガジンP115">『ヒロシママガジン』 - 115ページ</ref>。}}に連載を続けた<ref name="月刊レジャー広島2002年12月号">『月刊レジャー広島』 - 2002年12月号 62ページ</ref>。 |
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2003年(平成15年)には、広島県人権啓発活動ネットワーク協議会にメッセージを寄せている<ref name="広島県人権啓発活動ネットワーク協議会">[http://www.moj.go.jp/jinkennet/hiroshima/hiroshima_p2-8.html 煙石 博さん(中国放送アナウンサー)] - 広島県人権啓発活動ネットワーク協議会</ref>。また同年、期間限定で[[広島電鉄]][[路面電車]]の車内アナウンステープの吹き込みを広島弁で行った。 |
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⚫ | [[2007年]](平成19年)3月31日、37年6か月間勤務した中国放送を定年退職。最後に担当した番組は、定年の日に放送された『土曜はドドーンと満員御礼』だった<ref name="満員御礼">[http://web.archive.org/web/20100721104028/http://www.1350.jp/manin/ 土曜はドドーンと満員御礼(Internet Archiveより)] - 中国放送</ref>。煙石と同様に定年まで中国放送に勤務した[[上野隆紘]]・[[世良洋子]]・[[山原玲子]]のように定年後に中国放送のレギュラー番組を持っていないが、後述の事件まで地元・広島市周辺でのイベントへのゲスト出演や講演活動等で時折公の場に出ることがあった。 |
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[[2014年]]12月11日、控訴棄却、現在上告中。 |
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以下の記述は、後に最高裁で'''無罪'''が確定した事件である。 |
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⚫ | [[2012年]](平成24年)[[10月11日]]、同年9月24日午前9時20分頃、広島市[[南区 (広島市)|南区]]内の銀行支店で、記帳台に女性会社員が置き忘れた6万6600円入りの封筒を盗んだ疑いにより、[[広島県警察|広島県警察本部]][[広島南警察署]]に逮捕された<ref>[http://www.daily.co.jp/gossip/2012/10/12/0005444363.shtml 中国放送元アナ 置き引きで逮捕] デイリースポーツ 2012年10月12日閲覧</ref>。同年11月1日起訴<ref name="中国新聞20170311_P31">『「荷物やっと降ろせる」 煙石さん 友人ら署名9564筆』 - 中国新聞 2017年3月11日 31ページ</ref>。警察の取調べに対しては容疑を否認していた<ref name="中国新聞20170311_P31"/>。 |
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[[2017年]]2月17日、最高裁で弁論。判決が見直される可能性が高い。 |
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一部マスコミでは冤罪の疑いが指摘されており、被告人を支援する団体もある<ref>[http://enzaifile.com/publist/shosai/new.html 「事件」無き冤罪! 広島元アナウンサー「銀行置き引き」事件!]冤罪File No.21</ref>。 |
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[[2014年]](平成26年)12月11日、広島高等裁判所控訴審の判決は控訴棄却。即日上告<ref name="中国新聞20170311_P31"/>。 |
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[[2017年]]3月10日、上告審判決で、最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)にて、有罪となった一、二審判決を破棄し'''『逆転無罪』'''を言い渡した。 |
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[[2016年]](平成28年)12月15日、最高裁で弁論を開く事を決定<ref name="時事通信20161215">[http://www.jiji.com/jc/article?k=2016121500830&g=soc 「銀行で窃盗」無罪か=広島の男性、2月弁論-最高裁] - 時事通信 2016年12月15日</ref>。最高裁では事実認定を行うことが余りないので、最高裁で弁論を開く事は異例のことであった<ref name="時事通信20161215"/>。[[2017年]](2017年)2月17日、最高裁で弁論が行われた<ref name="中国新聞20170311_P31"/><ref name="朝日新聞20170217">[http://www.asahi.com/articles/ASK2K4214K2KUTIL01H.html 元アナ弁護側、最高裁で窃盗無罪主張 有罪見直されるか] - 朝日新聞 2017年2月27日</ref>。同年3月10日、上告審判決で、最高裁第2小法廷([[鬼丸かおる]]裁判長)は、一、二審判決を破棄し無罪を言い渡した<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASK3B4FT0K3BUTIL018.html 窃盗罪問われた元中国放送アナに逆転無罪判決 最高裁] - 朝日新聞 2017年3月10日</ref><ref>[http://www.sankei.com/entertainments/news/170310/ent1703100020-n1.html 窃盗罪に問われた元アナウンサーに無罪 最高裁「重大な事実誤認」] - 産経ニュース 2017年3月10日</ref><ref name="中国新聞20170311_P33">『煙石さん逆転無罪 最高裁判決 「重大な事実誤認」』 - 中国新聞 2017年3月11日 33ページ</ref>。担当した4人の裁判官の内3人が無罪を支持した<ref name="中国新聞20170311_P33"/>。 |
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この冤罪事件は裁判中から、一部マスコミでは冤罪の疑いが指摘され<ref>[http://enzaifile.com/publist/shosai/21.html 「事件」無き冤罪! 広島元アナウンサー「銀行置き引き」事件!] - 冤罪File No.21</ref><ref>[http://enzaifile.com/publist/shosai/22.html 大いなる疑問! そもそも封筒にお金は入っていたのか? 広島元アナウンサー銀行置き引き事件「続報」] - 冤罪File No.22</ref><ref>[http://tocana.jp/2015/11/post_8070_entry.html 【必読】読者よ、あなたの審判を! 広島の元アナウンサー「窃盗」事件に冤罪疑惑] - トカナ 2015年11月26日</ref>、友人たちが作った支援組織が最高裁判決までに9500を超える署名を集めた<ref>[http://www.sankei.com/affairs/news/170310/afr1703100040-n1.html 窃盗罪の元アナウンサーに逆転無罪判決 「重い荷物、やっとおろした」 無罪の煙石博さん] - 産経ニュース 2017年3月10日</ref>。 |
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== 担当番組 == |
== 担当番組 == |
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===ラジオ=== |
===ラジオ=== |
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* ヤングポップス(1970年 - 1978年)<ref name="アナ本P184"/> - 毎週金曜日深夜に放送された若者向けラジオ番組<ref name="アナ本P184"/> |
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* 土曜はドドーンと満員御礼 |
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* おはようラジオ<ref name="広島県人権啓発活動ネットワーク協議会"/>(1973年頃) - 朝ワイド番組。放送開始当初に担当していた。 |
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* トラッドでいこう |
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* 世の中土曜日うきうきワイド(1985年頃)<ref name="アナ本P106"/> - 土曜14時から15時55分まで放送された番組<ref name="アナ本P106"/>。 |
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* [[なんでもジョッキー]] |
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* [[なんでもジョッキー]](1985年 - 2003年) - 平日昼のワイド番組。時期により曜日、放送時間、パートナーが変わっている。 |
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* 世の中土曜日うきうきワイド |
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* [[三菱ダイヤモンドハイウェイ]] |
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* トラッドでいこう( - 2007年3月) - 日曜日17時から放送された番組。[[山陽放送]]および[[静岡放送]]でも放送された<ref name="RCC煙石博">[http://web.archive.org/web/20100721121408/http://www.rcc.co.jp/announcer/enseki.htm RCCアナウンサーROOM 〜煙石博〜(Internet Archiveより)] - 中国放送</ref>。 |
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* 土曜はドドーンと満員御礼(2003年4月 - 2007年3月)<ref name="満員御礼"/> - 土曜13時から15時まで放送された番組<ref name="満員御礼"/>。 |
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== 連載 == |
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* 『がんす頑次郎』 - 『映画手帖』→『月刊レジャー広島』連載 |
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::前任者の覆面投稿者'''がんす頑太郎'''{{Refnest|group=補足|正体は'''浜崎左髪子'''。画家で、浜本工芸や酔心のロゴなども作成していた<ref name="ヒロシママガジンP97-P100">『ヒロシママガジン』 - 97 - 100ページ</ref>。1989年<ref>[http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/274470 広島夕景 文化遺産オンライン]</ref><ref>[http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00417410 浜崎, 左髪子, 1912-1989 - Web NDL Authorities (国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)]</ref>11月21日死去<ref name="レジャー広島1990年1月">『月刊レジャー広島』 - 1990年1月号 111ページ</ref>。生前からの約束通り没後、レジャー広島にて正体を公表した<ref name="レジャー広島1990年1月"/>。}}の病気により1982年1月号を最後に休載したことに伴い、代役の形で1982年3月から執筆を開始<ref name="がんす頑次郎P2-3">『がんす頑次郎』 - 2-3ページ</ref>。執筆当初は連載の形は取っていなかった<ref name="がんす頑次郎P2-3"/>。[[1983年]](昭和58年)1月号から正式に連載を開始した<ref name="ヒロシママガジンP140-P145">『ヒロシママガジン』 - 140 - 145ページ</ref>。前任者に倣い覆面投稿者として執筆<ref name="ヒロシママガジンP140-P145"/>。頑太郎の文体を真似る形で、がんす言葉(広島弁)で書かれた<ref name="がんす頑次郎P2-3"/>{{Refnest|group=補足|読者から、がんす言葉の間違いについて指摘の投書も寄せられたこともある<ref name="がんす頑次郎P234-235">『がんす頑次郎』 - 234-235ページ</ref>}}。レジャー広島が廃刊となる2002年(平成14年)12月号まで、240回連載を続けた<ref name="月刊レジャー広島2002年12月号"/>{{Refnest|group=補足|連載で無かった1982年(昭和57年)3月から12月分を加えると250回になる。}}。レジャー広島廃刊時に行われた、がらくた市で行われたサイン会で、正体が煙石であることを明らかにした<ref name="ヒロシママガジンP166-P170">『ヒロシママガジン』 - 166 - 170ページ</ref>。 |
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== 出版書籍 == |
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* 『がんす頑次郎』(広島映画手帖社、がんす頑次郎、1996年) |
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::『月刊レジャー広島』での連載を書籍化。1982年(昭和58年)3月号から1996年(平成8年)7月号までに掲載された868編の内、488編を選び掲載した<ref name="がんす頑次郎P2-3"/>{{Refnest|group=補足|『ヒロシママガジン』に1983年(昭和58年)1月号からの連載<ref name="ヒロシママガジンP140-P145"/>とあるが間違い。}}。販売後、[[紀伊國屋書店]]広島店での売り上げ上位に入り、3版まで重版された<ref name="ヒロシママガジンP140-P145"/>。本書籍内に、煙石の名で特別寄稿文「使おうやあ広島弁・・・」を寄せている<ref name="ヒロシママガジンP140-P145"/>。 |
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== 作詞 == |
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* 『恋みれん』<ref name="RCC煙石博"/>{{Refnest|group=補足|name=jasrac|JASRACの[http://www2.jasrac.or.jp/eJwid/ 作品データベース検索サービス]で確認出来ず。}} |
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* 『恋待岬』<ref name="RCC煙石博"/><ref name="jasrac" group="補足"/> |
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* 『比治山慕情』<ref name="RCC煙石博"/>(作曲 : 佐伯金次郎、歌 : 新宅未奈子)<ref>[http://www2.jasrac.or.jp/eJwid/ 作品データベース検索サービス]にて確認</ref> |
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== 参考文献 == |
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* 『RCCアナ本 アナウンサー24人によるエッセイBOOK!』([[ザメディアジョン]]、2004年) ISBN 4-902024-15-2 |
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* 『ヒロシママガジン―「映画手帖」「月刊レジャー広島」日本最長寿タウン誌の軌跡』(ザメディアジョン、久村敬夫、2003年) ISBN 978-4902024081 |
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* 『がんす頑次郎』(広島映画手帖社、がんす頑次郎、1996年) |
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* 『月刊レジャー広島』(広島映画手帖社) 各バックナンバー |
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== 脚注 == |
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2017年3月14日 (火) 12:03時点における版
えんせき ひろし 煙石 博 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本 広島県広島市 |
生年月日 | 1946年11月2日(78歳) |
活動期間 | 1969年 - 2007年 |
ジャンル | ラジオ番組 |
出演番組・活動 | |
出演経歴 | なんでもジョッキー等 |
備考 元中国放送アナウンサー |
煙石 博(えんせき ひろし、1946年11月2日[1] - )は、日本のアナウンサー、ラジオパーソナリティ。元中国放送アナウンサー。
人物
広島県広島市出身[1]。広島商科大学短期大学部卒業[1]後、1969年(昭和44年)中国放送へ入社[2][3][補足 1]。広島弁での語り口はラジオリスナーの心を掴んでいた。入社早々の1970年(昭和45年)から担当した『ヤングポップス』では「仏のえんちゃん」と呼ばれ[4]、また「えんちゃん」の愛称で親しまれた。
1985年頃放送された『世の中土曜日うきうきワイド』を担当するまでは主に1人でのトーク番組を担当[5]。その後、同局で28年間にわたり放送されたラジオ番組『なんでもジョッキー』では1985年(昭和60年)から2003年(平成15年)まで18年にわたりパーソナリティーを務めた。在職中にCM部門でアノンシスト賞を受賞している[1]。
俳句と作詞を趣味にしており、日本作詞家協会の会員(会員No428)[1]でもある。
また、覆面執筆者がんす頑次郎として、『月刊レジャー広島』[補足 2]に連載を続けた[7]。
2003年(平成15年)には、広島県人権啓発活動ネットワーク協議会にメッセージを寄せている[8]。また同年、期間限定で広島電鉄路面電車の車内アナウンステープの吹き込みを広島弁で行った。
2007年(平成19年)3月31日、37年6か月間勤務した中国放送を定年退職。最後に担当した番組は、定年の日に放送された『土曜はドドーンと満員御礼』だった[9]。煙石と同様に定年まで中国放送に勤務した上野隆紘・世良洋子・山原玲子のように定年後に中国放送のレギュラー番組を持っていないが、後述の事件まで地元・広島市周辺でのイベントへのゲスト出演や講演活動等で時折公の場に出ることがあった。
冤罪事件
以下の記述は、後に最高裁で無罪が確定した事件である。
2012年(平成24年)10月11日、同年9月24日午前9時20分頃、広島市南区内の銀行支店で、記帳台に女性会社員が置き忘れた6万6600円入りの封筒を盗んだ疑いにより、広島県警察本部広島南警察署に逮捕された[10]。同年11月1日起訴[11]。警察の取調べに対しては容疑を否認していた[11]。
2013年(平成25年)11月27日、広島地方裁判所は、「客観的なビデオカメラの映像から、被告人以外の者が犯人とはいえない」「被告人の供述は信用できない」として、窃盗罪が成立するとし、執行猶予付きの有罪判決を言い渡した。即日控訴[11]。
2014年(平成26年)12月11日、広島高等裁判所控訴審の判決は控訴棄却。即日上告[11]。
2016年(平成28年)12月15日、最高裁で弁論を開く事を決定[12]。最高裁では事実認定を行うことが余りないので、最高裁で弁論を開く事は異例のことであった[12]。2017年(2017年)2月17日、最高裁で弁論が行われた[11][13]。同年3月10日、上告審判決で、最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)は、一、二審判決を破棄し無罪を言い渡した[14][15][16]。担当した4人の裁判官の内3人が無罪を支持した[16]。
この冤罪事件は裁判中から、一部マスコミでは冤罪の疑いが指摘され[17][18][19]、友人たちが作った支援組織が最高裁判決までに9500を超える署名を集めた[20]。
担当番組
ラジオ
- ヤングポップス(1970年 - 1978年)[4] - 毎週金曜日深夜に放送された若者向けラジオ番組[4]
- おはようラジオ[8](1973年頃) - 朝ワイド番組。放送開始当初に担当していた。
- 世の中土曜日うきうきワイド(1985年頃)[5] - 土曜14時から15時55分まで放送された番組[5]。
- なんでもジョッキー(1985年 - 2003年) - 平日昼のワイド番組。時期により曜日、放送時間、パートナーが変わっている。
- 三菱ダイヤモンドハイウェイ
- トラッドでいこう( - 2007年3月) - 日曜日17時から放送された番組。山陽放送および静岡放送でも放送された[21]。
- 土曜はドドーンと満員御礼(2003年4月 - 2007年3月)[9] - 土曜13時から15時まで放送された番組[9]。
連載
- 『がんす頑次郎』 - 『映画手帖』→『月刊レジャー広島』連載
出版書籍
- 『がんす頑次郎』(広島映画手帖社、がんす頑次郎、1996年)
作詞
参考文献
- 『RCCアナ本 アナウンサー24人によるエッセイBOOK!』(ザメディアジョン、2004年) ISBN 4-902024-15-2
- 『ヒロシママガジン―「映画手帖」「月刊レジャー広島」日本最長寿タウン誌の軌跡』(ザメディアジョン、久村敬夫、2003年) ISBN 978-4902024081
- 『がんす頑次郎』(広島映画手帖社、がんす頑次郎、1996年)
- 『月刊レジャー広島』(広島映画手帖社) 各バックナンバー
脚注
補足
- ^ 2004年(平成16年)発行の『RCCアナ本』185ページには社歴35年とある[1]。
- ^ 執筆開始から1987年(昭和62年)までは『映画手帖』[6]。
- ^ 正体は浜崎左髪子。画家で、浜本工芸や酔心のロゴなども作成していた[22]。1989年[23][24]11月21日死去[25]。生前からの約束通り没後、レジャー広島にて正体を公表した[25]。
- ^ 読者から、がんす言葉の間違いについて指摘の投書も寄せられたこともある[28]
- ^ 連載で無かった1982年(昭和57年)3月から12月分を加えると250回になる。
- ^ 『ヒロシママガジン』に1983年(昭和58年)1月号からの連載[27]とあるが間違い。
- ^ a b JASRACの作品データベース検索サービスで確認出来ず。
出典
- ^ a b c d e f 『RCCアナ本』 185ページ
- ^ 『がんす頑次郎』 - 219ページ
- ^ 『がんす頑次郎』 - 221ページ
- ^ a b c 『RCCアナ本』 184ページ
- ^ a b c 『RCCアナ本』 106ページ
- ^ 『ヒロシママガジン』 - 115ページ
- ^ a b 『月刊レジャー広島』 - 2002年12月号 62ページ
- ^ a b 煙石 博さん(中国放送アナウンサー) - 広島県人権啓発活動ネットワーク協議会
- ^ a b c 土曜はドドーンと満員御礼(Internet Archiveより) - 中国放送
- ^ 中国放送元アナ 置き引きで逮捕 デイリースポーツ 2012年10月12日閲覧
- ^ a b c d e 『「荷物やっと降ろせる」 煙石さん 友人ら署名9564筆』 - 中国新聞 2017年3月11日 31ページ
- ^ a b 「銀行で窃盗」無罪か=広島の男性、2月弁論-最高裁 - 時事通信 2016年12月15日
- ^ 元アナ弁護側、最高裁で窃盗無罪主張 有罪見直されるか - 朝日新聞 2017年2月27日
- ^ 窃盗罪問われた元中国放送アナに逆転無罪判決 最高裁 - 朝日新聞 2017年3月10日
- ^ 窃盗罪に問われた元アナウンサーに無罪 最高裁「重大な事実誤認」 - 産経ニュース 2017年3月10日
- ^ a b 『煙石さん逆転無罪 最高裁判決 「重大な事実誤認」』 - 中国新聞 2017年3月11日 33ページ
- ^ 「事件」無き冤罪! 広島元アナウンサー「銀行置き引き」事件! - 冤罪File No.21
- ^ 大いなる疑問! そもそも封筒にお金は入っていたのか? 広島元アナウンサー銀行置き引き事件「続報」 - 冤罪File No.22
- ^ 【必読】読者よ、あなたの審判を! 広島の元アナウンサー「窃盗」事件に冤罪疑惑 - トカナ 2015年11月26日
- ^ 窃盗罪の元アナウンサーに逆転無罪判決 「重い荷物、やっとおろした」 無罪の煙石博さん - 産経ニュース 2017年3月10日
- ^ a b c d RCCアナウンサーROOM 〜煙石博〜(Internet Archiveより) - 中国放送
- ^ 『ヒロシママガジン』 - 97 - 100ページ
- ^ 広島夕景 文化遺産オンライン
- ^ 浜崎, 左髪子, 1912-1989 - Web NDL Authorities (国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)
- ^ a b 『月刊レジャー広島』 - 1990年1月号 111ページ
- ^ a b c d 『がんす頑次郎』 - 2-3ページ
- ^ a b c d e 『ヒロシママガジン』 - 140 - 145ページ
- ^ 『がんす頑次郎』 - 234-235ページ
- ^ 『ヒロシママガジン』 - 166 - 170ページ
- ^ 作品データベース検索サービスにて確認