「日光例幣使街道」の版間の差分
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2016年11月29日 (火) 00:36時点における版
地図外部リンク | |
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日光例幣使街道・旧道地図 | |
全体図 江戸時代末期の旧道筋の地図。明治初期に作成された陸軍迅速側図が存在する範囲は、迅速図に基づいて作成。当該図が存在しない佐野周辺および合戦場宿以北は「五街道ウォーク事務局」の『例幣使壬生道完全踏査街道マップ』などを参考にして作成。 | |
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日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)は、江戸時代の脇街道の一つで、徳川家康の没後、東照宮に幣帛を奉献するための勅使(日光例幣使)が通った道である。中山道の倉賀野宿を起点として、楡木(にれぎ)宿にて壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る。
なお、楡木より今市(栃木県日光市)までは壬生通り(日光西街道)と共通である。
現在、栃木県日光市から鹿沼市、栃木市、佐野市、足利市、群馬県太田市、伊勢崎市、高崎市に至る路線が「日光例幣使街道」または「例幣使街道」と呼ばれている。特に日光市から鹿沼市にかけての区間には日光杉並木が現存する。
宿場
- 倉賀野宿(群馬県高崎市)
- 玉村宿(群馬県佐波郡玉村町)
- 五料(ごりょう)宿・五料関(群馬県佐波郡玉村町)
- 柴宿(群馬県伊勢崎市)
- 境宿(群馬県伊勢崎市)
- 木崎宿(群馬県太田市)
- 太田宿(群馬県太田市)
- 八木宿(栃木県足利市)
- 梁田宿(栃木県足利市)
- 天明宿(栃木県佐野市)
- 犬伏宿(栃木県佐野市)
- 富田宿(栃木県栃木市)
- 栃木宿(栃木県栃木市)
- 合戦場(かっせんば)宿(栃木県栃木市)
- 金崎宿(栃木県栃木市)
- 楡木宿(栃木県鹿沼市)
- 奈佐原宿(栃木県鹿沼市)
- 鹿沼宿(栃木県鹿沼市)
- 文挟(ふばさみ)宿(栃木県日光市)
- 板橋宿(栃木県日光市)
- 今市宿(栃木県日光市)
現在の日光例幣使街道
現在、以下の栃木県日光市今市から群馬県高崎市倉賀野間の路線が「日光例幣使街道」ないし「例幣使街道」と呼ばれている。
- 国道121号(栃木県日光市今市 - 鹿沼市下材木町)
- 国道293号(鹿沼市下材木町 - 栃木市西方町金崎)
- 栃木県道131号金崎停車場線(栃木市西方町金崎)
- 栃木市道(栃木市西方町金崎 - 栃木市都賀町家中)
- 栃木県道3号宇都宮亀和田栃木線(栃木市都賀町家中 - 栃木市万町)
- 栃木県道11号栃木藤岡線(栃木市万町 - 栃木市岩舟町和泉)
- 群馬県道・栃木県道67号桐生岩舟線(栃木市岩舟町和泉 - 足利市寺岡町)
- 足利市道・佐野市道(足利市寺岡町 - 佐野市新高田橋西)
- 栃木県道・群馬県道128号佐野太田線(佐野市新高田橋西 - 群馬県太田市熊野町)
- 群馬県道・埼玉県道341号太田熊谷線(太田市熊野町 - 太田市東本町十字路)
- 群馬県道2号前橋館林線(太田市東本町十字路 - 太田市大島町)
- 群馬県道312号太田境東線(太田市大島町 - 伊勢崎市境栄)
- 群馬県道142号綿貫篠塚線(伊勢崎市境栄 - 高崎市綿貫町)
- 群馬県道136号綿貫倉賀野停車場線(高崎市綿貫町 - 高崎市倉賀野)