「ジョン・フルシアンテ」の版間の差分
→略歴: 内容修正 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
|||
167行目: | 167行目: | ||
{{Normdaten}} |
{{Normdaten}} |
||
{{DEFAULTSORT:ふるしあんて しよん}} |
{{DEFAULTSORT:ふるしあんて しよん}} |
||
[[Category:アメリカ合衆国のギタリスト]] |
[[Category:アメリカ合衆国のロック・ギタリスト]] |
||
[[Category:リードギタリスト]] |
[[Category:リードギタリスト]] |
||
[[Category:ニューヨーク市出身の人物]] |
[[Category:ニューヨーク市出身の人物]] |
2016年11月18日 (金) 07:23時点における版
この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
ジョン・フルシアンテ | |
---|---|
ジョン・フルシアンテ(2006年) | |
基本情報 | |
出生名 | John Anthony Frusciante |
生誕 |
1970年3月5日(54歳) アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク |
ジャンル |
オルタナティヴ・ロック インディー・ロック ファンク エクスペリメンタル エレクトロニカ |
職業 | ミュージシャン、シンガーソングライター、レコード・プロデューサー、映画プロデューサー |
担当楽器 | ギター、ボーカル、ピアノ、ベース、キーボード、マンドリン、バンジョー、クラリネット |
活動期間 | 1988年 – |
レーベル |
ワーナー・ミュージック Record Collection バードマン・レコーズ アメリカ・レコーディング |
共同作業者 |
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ アタクシア マーズ・ヴォルタ |
公式サイト | www.johnfrusciante.com |
著名使用楽器 | |
フェンダー・ストラトキャスター フェンダー・テレキャスター グレッチ・ホワイトファルコン フェンダー・ジャガー ギブソン・レスポール |
ジョン・アンソニー・フルシアンテ(John Anthony Frusciante、1970年3月5日 - )は、アメリカのミュージシャン。レッド・ホット・チリ・ペッパーズの元ギタリスト、ボーカリスト。2012年現在はソロとして活動している。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第18位、2011年の改訂版では第72位。
略歴
ニューヨークのクイーンズ生まれ。12歳の頃にカリフォルニア州に引っ越している。両親は共にミュージシャンであった。母のゲイルはレッド・ホット・チリ・ペッパーズの曲「アンダー・ザ・ブリッジ」で歌声を披露している。
15歳の時に観たチリ・ペッパーズのライブに魅了され、ギターとベース・歌詞をすべて暗記するほどのめり込む。1988年12月、オリジナル・メンバーのギタリスト、ヒレル・スロヴァクが死去し、代役ギタリストも早々にバンドを去っていたチリ・ペッパーズに加入する。当時18歳のジョンにとって、これが実質的に初のバンド活動であった。加入後は『母乳』、『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』、『ホワッツ・ヒッツ!?』(キャピトル時代のベストアルバム)の各作品に参加している。
1992年の来日公演中に脱退。一時期は半ば隠遁生活を送り、ヘロイン中毒とうつ病に苦しんだ。
1999年、病と薬物中毒を克服してチリ・ペッパーズに復帰。以後は、バンドサウンドの核として活躍。『カリフォルニケイション』、『バイ・ザ・ウェイ』、『グレイティスト・ヒッツ』(ワーナー音源のベストアルバム)、『ライブ・イン・ハイド・パーク』(2004年6月19・20・25日にロンドンにあるハイド・パークで行われたライブの音源化)、『ステイディアム・アーケイディアム』で演奏している。
この間にギタリストとしての評価が高まり、2004年6月から2005年2月までのソロ・アルバム6作品の連続リリースという実績、薬物中毒から復帰後のアルバムで見せた「枯れたギター」と呼ばれる独特で才能溢れるサウンドにより、「白いジミヘン」と称されるまでになった。 そして、ローリング・ストーン誌の2007年2月号(7日発売)では、ジョン・メイヤー、デレク・トラックスと共に「現代の三大ギタリスト」(The New Guitar Gods)に選出され、名実共に世界最高のギタリストとなった。
2009年12月16日、自身のオフィシャルサイトで「自身の音楽を探求したい」との理由で、チリ・ペッパーズからの脱退を表明。最初の脱退時とは異なり、他のメンバーもジョンの意思を尊重しており、円満な脱退となった。
人物
非常に芸術家肌な人物で、興味の無い話題にはそっけない応答だが、ギターや音楽、芸術関係の話題になると、饒舌になることで有名。インタビューは基本的に「事前に概要を知らされて」「それでいて納得のいくもの」しか受けたがらないが、一度喋り始めると、インタビュアーの出す話題を遮ってまで話を続けることも多々ある(SPIN誌付)。アルバムのエディターレビューにあるように、長髪を次の日には丸坊主にするなど、突発的な行動が目立つ。絵を描くなど、芸術全般にも関心があり、これはチリ・ペッパーズ初代ギタリストのヒレル・スロヴァクとの共通点である。
フリーは「ジョンの音楽への意欲は尽きることが無い」とベスト盤のメンバーズレビューで賞賛しており、同アルバムのレビューで、CDを買う金の無い小さい頃は、ラジオで流れる曲をテープで録音して聴いていたことも書かれている。薬物中毒から復帰した現在では「若い頃、髪型や服装、女の尻に気を使う暇があったらもっと違う創造的なことを注視するべきだった。悉く時間を無駄にしていた。」(クロスビート誌)などの発言も残している。数え切れないほどのCD、無数のLP盤を所持しており、来日した際には、レコード店のCDをダンボール箱一杯に買っていったほど。自宅にはレコーディング機器もあり、ソロ作品はその機器で録音された。「1年間にソロアルバム6作品リリース」など、異常ともとれるその創造性は、他のミュージシャンと一線を画す。バイセクシャルと解釈できる発言もいくつか残しているが、真意は定かではない。
他のアーティストとの交友
フリーやマーズ・ヴォルタ、フガジのメンバーなど、様々な友人ミュージシャンと音源を残さない急造バンドを作って活動することも多い[† 1]。 チリ・ペッパーズのメンバー、フリーとは、特に仲が良い。チリ・ペッパーズの活動以外にも、即席バンドでの活動やソロアルバムでの客演など、双方の音楽活動において切っても切れない関係を構築している。薬物中毒期に何度もジョンの自宅を訪問し、バンドへの復帰をアンソニー・キーディスに打診したのも、フリーである。ちなみに、バンドへの加入当初は、アンソニーとほぼ毎日行動を共にし、毎日電話を掛け合うなど、とても仲が良かった。それが原因で、当時の彼女と別れている。
2002年以降は、バイシクル・シーフのジョシュ・クリングホッファーと共に音楽制作を行うことが多い。ジョシュも、2006年以降のチリ・ペッパーズのツアーにおいてサポート・メンバーとして同行しており、ジョン脱退後の現在は、チリペッパーズの正規ギタリストとして活動している。また、マーズ・ヴォルタやフガジとも交友は深く、その人脈から、USインディーレーベル・アンダーグラウンドのアーティストと共に活動をすることもある。
その他、ビョークやウータン・クラン[† 2]、レディオヘッドのトム・ヨーク[† 3]、元ナイン・インチ・ネイルズのチャーリー・クロウザー[† 4]など、交友のあるアーティストは数多い。
プレイスタイル
- チリ・ペッパーズ加入初期
少年期から、練習の虫となって高度な技巧を身につけていたこともあり[† 5]、チリ・ペッパーズ加入初期はテクニカルなプレイを得意としていた。当初は、前任ギタリストのヒレル・スロヴァクの代役的な立ち位置であったため、この頃はさほどオリジナリティあるプレイはみせていない[誰?]。チリ・ペッパーズのメンバーとしては、『母乳』のレコーディングが初参加であるが、プロデューサーであったマイケル・ベインホーンが、これまでレコーディングの経験がないジョン当人の嗜好や方向性にそぐわない形で作業を押し進めてきたことから、レコーディング中常に2人は険悪な関係にあった。当時のメインギターは常時アームを取り付けたサンバーストのストラトキャスターだが、これは後年薬物中毒に陥った際に生活費と麻薬のために売り払ってしまっている。
ヒレルの代役から脱却し、ハードコア・パンクから泥臭いファンク、カントリーなど、豊富な音楽的バックグラウンドを元に幅広いプレイを指向。特に、ジミ・ヘンドリックスからの影響が色濃く、サイケデリックなコードを多用した楽曲やソロが多く見られる。エフェクター類は、基本的に歪み系とワウをメインにした、シンプルなセッティングだった[† 6]。これは、近年のテクノロジー指向のジョンのスタイルとは正反対であり、「限られたテクニックの中でも、シンセサイザーを応用したり誰も考えつかないようなサウンドを出すギタリストのほうが好きになった」など、近年は様々な媒体[要出典]でその心境の変化を語っている。
ドラッグ中毒に陥り、2年以上ギターを弾いていなかったブランクからか、以前のようなテクニカルなプレイは鳴りを潜める。代わりに、クリーム時代のエリック・クラプトンに代表されるような、いわゆる泣き系のクラシックなロックギタリストの影響が色濃いながらも、独特の演奏を聴かせるようになった。ローリング・ストーン誌などでも、その独特のサウンドは「枯れたギター」と表現された。
2011年現在では、エフェクティブなサウンドも駆使し、さらにプレイに幅が出た[† 7]。復帰以降のチリ・ペッパーズの作品でも、その影響は顕著だが、それら実験的ギターサウンドの多くは、ソロ・アルバムの楽曲で用いられる事が多い。テクニック的にも、以前のような技巧プレイの復活が見られる。ジョンのギター・ソロが『ステイディアム・アーケイディアム』のほぼ全ての楽曲に織り込まれているが、「現代の三大ギタリスト」(The New Guitar Gods)としてローリング・ストーン誌に選出された際、「ダニー・カリフォルニア - Dani California」と「メイク・ユー・フィール・ベター - Make You Feel Better」のソロは譜面に起こしてレコーディングに臨んだが、他の曲のソロはアドリブであることを明かした。
使用機材
- フェンダー・ストラトキャスター
- 2011年現在のメインは、62年製のもの。
- ストラトキャスターを数多く所持しており、1番のお気に入りは62年製のスリートーンサンバースト、2番目は55年製のツートーンサンバースト、3番目は62年製のフェスタレッド、とのこと。
- フェンダー・テレキャスター(後にジョシュ・クリングホッファーに譲った)
- フェンダー・ジャガー(ジョンが最も長く所持しているギター)
- グレッチ・ホワイトファルコン
- ギブソン・レスポール・カスタム
- ヤマハ・SG2000(2011年以降はストラトはほとんど使わなくなり本機がメインギターの座に収まっている)
- ヤマハ・SG1500
- マーティン・Martin & CO. 00-15
メイン・ギターのほとんどがフェンダー製である。メインピックアップは、フロント。ステッカーなどの装飾はほとんどしない。
ソロ活動
作品一覧
- チリ・ペッパーズ脱退直前-脱退期(1992年-1999年)
- レコーディング自体は、チリ・ペッパーズ在籍の最後の1年になされている。
- このアルバムは、「Niandra Lades」と「Usually Just A T-shirt」を1つにまとめたものである。
- 4トラックのレコーダーで録音されているため、アナログな雰囲気。掻き鳴らされるアコースティックギター、金切り声・大絶叫・絞り出すような声のボーカルは凄まじく、狂気すら感じられる。
- その一方で、魅力的なメロディーがあり、脱退前・再加入後のライブで演奏される(た)こともある。
- スマイル・フロム・ザ・ストリーツ・ユー・ホールド - Smile From The Streets You Hold - (1997年8月26日)
- 前作のアウトテイクを基礎として製作される。このアルバムについて、以前までジョンは「ドラッグを買う金がほしくて作った」や「発表したことを後悔している」などとコメントしている。
- これらの作品は、ジョンがヘロインにのめり込んでいた、いわゆる暗黒時代のものである。
- チリ・ペッパーズ復帰後(1999年-2004年)
- トゥ・レコード・オンリー・ウォーター・フォー・テン・デイズ - To Record Only Water for Ten Days - (2001年2月13日)
- 作風は前作とは打って変わり、メロディーは温かみを感じさせ、歌詞の内容は自分の生について真摯に見つめたもので、「ジョン・フルシアンテの復活」を強く感じさせる。
- ここまでの3作品のほとんどの曲のリズムは、リズムマシーンでの打ち込みに頼っている。
- From the Sounds Inside - From the Sounds Inside - (2001年)
- インターネットのみで無料で公開。
- シャドウズ・コライド・ウィズ・ピープル - Shadows Collide With People - (2004年2月24日)
- ソロ初のスタジオ録音されたアルバム。
- 今までは、宅録的にリズムマシーンなどを使い、ジョン1人でレコーディングされていたが、今作では、チャド・スミスやフリー、チャーリー・クロウザー(元ナイン・インチ・ネイルズ)、オマー・ロドリゲス・ロペス(マーズ・ヴォルタ)と、様々なアーティストが参加。
- チリ・ペッパーズと比べても遜色のない現代的なマスタリングで録音され、曲数も豊富な作品。
- 2004-2005年のソロ6連作(すべてインディーレーベル(Record Collection)からのリリース)
- ザ・ウィル・トゥ・デス - The Will To Death - (2004年6月22日)
- 6作連続リリース最初のアルバム。前作と同じく、バンド・サウンドで録音され、美しいメロディーが印象的だが、よりシンプルで研ぎ澄まされた作品となった。
- オートマティック・ライティング - Automatic Writing - (2004年8月10日)
- これはソロではなく、新バンドアタクシアの名義で発表され、ジョー・ラリー(フガジのベーシスト)とジョシュ・クリングホッファー(バイシクル・シーフ)とのセッション作品。
- ジョンの関わった作品の中でも特に前衛性の強い、オルタナティヴな作風に仕上がった。ジョンは、この作品に関してパブリック・イメージ・リミテッドなどからの影響を公言している。
- なお、アタクシアは、2007年に第2弾作品(エー・ダブリュー・ツー)を少数プレスながらリリースしている。
- ディーシー・イーピー - DC EP - (2004年9月14日)
- イアン・マッケイ(フガジ)のプロデュース、ジェリー・プレッシャー(フガジ)がサポート・ドラマー。ジョンは、フガジを大好きなバンドと公言していて、ジェリーを「世界で一番好きなドラマーの一人」に挙げている。
- 意図的に、USアンダーグラウンドのような雰囲気を狙った、良い意味でチープな録音環境で作られたアルバム。
- インサイド・オブ・エンプティネス - Inside of Emptiness - (2004年10月26日)
- ジョンは、この時点でこのアルバムを「一番気に入っているアルバム」としている。
- ジョシュ・クリングホッファーがベース、ドラムなどを担当。50~60年代のガレージ・ロックにチャレンジした作品で、これもマスタリングと録音環境はインディー的でチープ。
- ア・スフィアー・イン・ ザ・ハート・オブ・サイレンス - A Sphere in The Heart of Silence - (2004年11月23日)
- ジョシュ・クリングホッファーとの共作名義であり、クリングホッファーはボーカルも担当している。エレクトロニカ・テクノの影響が見られる、ソロの中では異色のアルバム。
- 6作連続リリース最後のアルバム。8トラックのレコーダーを使って宅録。アコースティックギターの美しい旋律で構成されたアルバムで、ソロ作の中でも一際メロディーが立った作風となった。
- 2009年
- ザ・エンピリアン - The Empyrean - (2009年1月14日(日本先行発売)、20日)
- フリー、ジョシュといったお馴染みの友人の他、元ザ・スミス、元ザ・クリブスのジョニー・マーも制作に参加。
- 今回は、楽曲にストーリー性を持たせている。エレクトロニクスを中心に、ギター以外の楽器も多用している音響的な作品。ティム・バックリィのカバーも収録。
- チリ・ペッパーズ再脱退後(2012年-)
- レター・レファー - Letur-Lefr - (2012年7月4日(日本先行発売)、17日)
- ピー・ビー・エックス・ファニキュラー・インタグリオ・ゾーン - PBX Funicular Intaglio Zone - (2012年9月12日(日本先行発売)、25日)
- Enclosure - (2014年4月8日)[1]
参加作品
- 「Shaky Ground」Fishbone
- 「Anytime At All」Banyan
- 「Rev」Perry Farrell
- 「De-Loused in the Comatorium」The Mars Volta
- 「Frances The Mute」The Mars Volta
- 「Amputechture」The Mars Volta
- 「The ID」メイシー・グレイ
- 「プロウバック」トリッキー
- 「ブラウンバニー」ブラウンバニーサウンドトラック
- 「8 DIAGRAMS」ウータン・クラン
参照文書
- recommuni ジョン・フルシアンテ特集 [リンク切れ]
- クロスビート『File Vol.1 RED HOT CHILI PEPPERS』
- 各アルバムのエディターレビュー
脚注
注
- ^ 唯一、ジョシュ・クリングホッファーらと組んだアタクシアのみ、ソロの一環として作品を残している。
- ^ 作品にジョンが友情出演。
- ^ ジョンは、ソロライブでレディオヘッドの楽曲をカヴァー、トムもイン・レインボウズの楽曲においてジョンからのインスパイアを認める。
- ^ ジョンのソロに参加。
- ^ その腕前は、15歳でフランク・ザッパのメンバー・オーディションのファイナリストになるほどだった。
- ^ 「ビンテージのストラトキャスターをアンプに繋ぐだけで、色とりどりの世界を構築できるのに」「テクノロジーなどはくだらない」という趣旨の発言を、ローリング・ストーン誌などのインタビューに残している。
- ^ バイ・ザ・ウェイツアー以降、エフェクターボードのエフェクターの数は3倍以上に膨れあがっている。これは、モーグ・シンセサイザー社製のギター用シンセエフェクターの導入が大きい。
出典
- ^ ジョン・フルシアンテ、4/8にソロAL『Enclosure』発売 - ro69 - 2014年9月7日閲覧