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防御力についても蒼龍、飛龍より強化され、弾火薬庫部分は800kg爆弾の水平爆撃および20cm砲弾の直撃に、機関部などの重要区画は250kg爆弾の爆撃および[[巡洋艦]]の砲撃に耐えるよう考慮されている。しかし、格納庫および飛行甲板には一切装甲が施されていなかった。2万5000t級空母に防御を施したところで急降下爆撃に耐えられるとは限らず、また重防御を施すと艦が大型化して予算を圧迫する、重量バランスが悪くなる、そのために格納庫が狭くなり搭載機数が減る、等のデメリットを考慮した為である<ref name="川崎戦歴42"/>。その一方、翔鶴型の建造中には日本海軍で初めて飛行甲板に装甲を施した重防御の空母[[大鳳 (空母)|大鳳]]が計画されている。翔鶴型を含めた空母全般の脆弱さ、被弾時の危険性は完成前から日本海軍も問題視しており、翔鶴型の防御力で満足していたわけではない<ref>川崎まなぶ『日本海軍の航空母艦』46頁</ref>。 |
防御力についても蒼龍、飛龍より強化され、弾火薬庫部分は800kg爆弾の水平爆撃および20cm砲弾の直撃に、機関部などの重要区画は250kg爆弾の爆撃および[[巡洋艦]]の砲撃に耐えるよう考慮されている。しかし、格納庫および飛行甲板には一切装甲が施されていなかった。2万5000t級空母に防御を施したところで急降下爆撃に耐えられるとは限らず、また重防御を施すと艦が大型化して予算を圧迫する、重量バランスが悪くなる、そのために格納庫が狭くなり搭載機数が減る、等のデメリットを考慮した為である<ref name="川崎戦歴42"/>。その一方、翔鶴型の建造中には日本海軍で初めて飛行甲板に装甲を施した重防御の空母[[大鳳 (空母)|大鳳]]が計画されている。翔鶴型を含めた空母全般の脆弱さ、被弾時の危険性は完成前から日本海軍も問題視しており、翔鶴型の防御力で満足していたわけではない<ref>川崎まなぶ『日本海軍の航空母艦』46頁</ref>。 |
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翔鶴型の防御思想は、搭載艦上戦闘機と対空砲火で敵攻撃機を被弾する前に撃退しようというものだった<ref name="川崎戦歴42"/>。だが敵急降下爆撃機に狙われやすい艦首・艦尾に機銃座がなく、甘さが残った<ref name="川崎戦歴43"/>。被弾時の対策も考慮されていた。格納庫の壁は簡易なもので、戦闘での被弾時にそれが爆風で吹き飛び、爆風を外に逃がすことができるように設計されている<ref>川崎まなぶ『日本海軍の航空母艦』44頁</ref>。しかし、実際には思い通りにはいかず、[[珊瑚海海戦]]で翔鶴が被弾した際、格納庫の壁が吹き飛ばされなかったことで飛行甲板が爆風の影響を受けて損傷を受けた。延焼対策として、従来の液化炭酸ガス噴射式に加えて<ref name="rekishishoukaku">翔鶴型空母―帝国海軍初の艦隊型大型航空母艦翔鶴、瑞鶴のすべて (〈歴史群像〉太平洋戦史シリーズ (13)) ISBN |
翔鶴型の防御思想は、搭載艦上戦闘機と対空砲火で敵攻撃機を被弾する前に撃退しようというものだった<ref name="川崎戦歴42"/>。だが敵急降下爆撃機に狙われやすい艦首・艦尾に機銃座がなく、甘さが残った<ref name="川崎戦歴43"/>。被弾時の対策も考慮されていた。格納庫の壁は簡易なもので、戦闘での被弾時にそれが爆風で吹き飛び、爆風を外に逃がすことができるように設計されている<ref>川崎まなぶ『日本海軍の航空母艦』44頁</ref>。しかし、実際には思い通りにはいかず、[[珊瑚海海戦]]で翔鶴が被弾した際、格納庫の壁が吹き飛ばされなかったことで飛行甲板が爆風の影響を受けて損傷を受けた。延焼対策として、従来の液化炭酸ガス噴射式に加えて<ref name="rekishishoukaku">翔鶴型空母―帝国海軍初の艦隊型大型航空母艦翔鶴、瑞鶴のすべて (〈歴史群像〉太平洋戦史シリーズ (13)) ISBN 978-4056014266</ref>、粉沫式消火設備を装備している<ref>「軍艦翔鶴消化装置概要」第3画像等</ref>。また、艦内の前部・中部・後部の三箇所に注排水指揮所を設置していた<ref name="rekishishoukaku"/>。 |
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=== 艦橋 === |
=== 艦橋 === |
2016年11月15日 (火) 19:30時点における版
翔鶴型航空母艦 | |
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瑞鶴(1941年9月25日)[1] | |
基本情報 | |
種別 | 航空母艦 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
建造期間 | 1937-1941 |
就役期間 | 1941-1944 |
同型艦 | 翔鶴・瑞鶴 |
前級 | 飛龍 |
次級 | 大鳳 |
要目 (計画) | |
基準排水量 | 25,675英トン[2] |
公試排水量 | 29,800トン[2] |
満載排水量 | 32,105.1トン[3] |
全長 | 257.50m[2] |
水線長 | 250.00m[2] |
垂線間長 | 238.00m[2] |
水線幅 | 26.00m[2] |
深さ | 23.00m(飛行甲板まで)[2] |
吃水 |
公試平均 8.87m[2] 満載平均 9.32m[2] |
飛行甲板 |
全長:242.2m x 幅:29.0m[5] エレベーター3基[11] |
ボイラー | ロ号艦本式缶(空気余熱器付[5])8基[6] |
主機 | 艦本式タービン(高中低圧[5])4基[6] |
推進器 | 4軸 x 300rpm、直径4.200m[6] |
出力 | 160,000hp[2] |
速力 | 計画 34.0ノット[2] |
航続距離 | 9,700カイリ / 18ノット[2][7] |
燃料 | 重油 5,000トン[2] |
搭載能力 |
九一式魚雷 45本[9] 爆弾 800kg90個、250kg306個、60kg540個[10] 飛行機用軽質油 745トン[3] |
乗員 | 計画乗員 1,660名[8] |
兵装 |
40口径12.7cm連装高角砲8基[12] 25mm3連装機銃12基[12] 爆雷6個[9] |
装甲 |
計画[4] 機関室舷側 46mmCNC鋼 同甲板 65mmCNC鋼、25mmDS鋼 弾火薬庫舷側165mmNVNC鋼、50DS鋼 同甲板132mmNVNC鋼、25mmDS鋼、 |
搭載機 |
計画(常用+補用)[10] 零式艦上戦闘機18+2機 九九式艦上爆撃機27+5機 九七式艦上攻撃機27+5機 計 常用72機、補用12機 |
搭載艇 | 12m内火艇3隻、12m内火ランチ3隻、8m内火ランチ1隻、9m救助挺2隻、6m通船1隻、13m特型運貨船2隻[11] |
ソナー | 仮称九一式四号探信儀1組(後日装備)[13] |
その他 | カタパルト1基(計画のみ)[10] |
翔鶴型航空母艦(しょうかくがたこうくうぼかん)は、大日本帝国海軍の航空母艦。
翔鶴と瑞鶴の2隻が建造され、太平洋戦争全般に於いて、日本海軍の主要戦力として活躍した。翔鶴の名前は、天城型巡洋戦艦天城、赤城が空母に艦種変更された余波で建造中止となった空母翔鶴を復活させたものである[14]。
計画
翔鶴型は第三次海軍軍備充実計画(通称マル3計画)で建造された大型攻撃空母であり、マル2計画で建造された空母蒼龍・飛龍の拡大発展型である。機動航空部隊に属し、艦隊決戦の際には敵空母に対して先制攻撃をかけることを第一の任務としたのは蒼龍・飛龍と同様である。当初は1940年末に18,000t級空母2隻の完成を目指していたが、航空機用弾薬を増やした結果、3万t級に大型化している[15]。ロンドン海軍軍縮条約を破棄してから建造されたことから、排水量の制限を受けなかったため、空母加賀の運用実績、蒼龍、飛龍の建造実績を取り入れた、バランスの取れた空母として設計された。
設計の特徴
航空艤装
艦の大型化による格納庫の拡大と航空艤装の洗練により、搭載機数は蒼龍、飛龍より約30%多くなっている。これは、日本海軍の保有する全空母の中でも、戦艦を改装した加賀に次ぐものである。飛行甲板も蒼龍、飛龍より10%以上長い242.2m、幅29mとなっている。しかし、艦尾・艦首の幅は最大幅より小さい「瓶型」形状であり、航空本部からは不満が残る結果となった[15]。また、翔鶴型の飛行甲板は艦の長さより15m以上短く、他の空母と比べて著しく短かった(赤城、蒼龍、飛龍の飛行甲板は艦体より約10m短く、加賀の飛行甲板は艦体より約1m長い)。この点については、完成直後の翔鶴を訪れた第一航空艦隊司令部から、後述の艦橋と共に大きな欠陥であると指摘されている[16]。建造時計画されていた発艦カタパルトは実用化されなかったため、搭載されていない。
速力・航続力
機関については、同時期に建造された大和型戦艦と同形式のロ号艦本式重油専焼水管罐を高温高圧化改修させた8機のボイラーを搭載し、日本海軍の艦艇で最大となる160,000馬力を発揮している(大和型は12基のボイラーで150,000馬力)。これにより、要求された34ktという高速を達成しただけではなく、不足気味だった蒼龍、飛龍より30%以上長い航続距離も達成している。また、バルバス・バウを採用した日本海軍の軍艦の中では最初に竣工した艦型である。
防御力
防御力についても蒼龍、飛龍より強化され、弾火薬庫部分は800kg爆弾の水平爆撃および20cm砲弾の直撃に、機関部などの重要区画は250kg爆弾の爆撃および巡洋艦の砲撃に耐えるよう考慮されている。しかし、格納庫および飛行甲板には一切装甲が施されていなかった。2万5000t級空母に防御を施したところで急降下爆撃に耐えられるとは限らず、また重防御を施すと艦が大型化して予算を圧迫する、重量バランスが悪くなる、そのために格納庫が狭くなり搭載機数が減る、等のデメリットを考慮した為である[15]。その一方、翔鶴型の建造中には日本海軍で初めて飛行甲板に装甲を施した重防御の空母大鳳が計画されている。翔鶴型を含めた空母全般の脆弱さ、被弾時の危険性は完成前から日本海軍も問題視しており、翔鶴型の防御力で満足していたわけではない[17]。
翔鶴型の防御思想は、搭載艦上戦闘機と対空砲火で敵攻撃機を被弾する前に撃退しようというものだった[15]。だが敵急降下爆撃機に狙われやすい艦首・艦尾に機銃座がなく、甘さが残った[16]。被弾時の対策も考慮されていた。格納庫の壁は簡易なもので、戦闘での被弾時にそれが爆風で吹き飛び、爆風を外に逃がすことができるように設計されている[18]。しかし、実際には思い通りにはいかず、珊瑚海海戦で翔鶴が被弾した際、格納庫の壁が吹き飛ばされなかったことで飛行甲板が爆風の影響を受けて損傷を受けた。延焼対策として、従来の液化炭酸ガス噴射式に加えて[19]、粉沫式消火設備を装備している[20]。また、艦内の前部・中部・後部の三箇所に注排水指揮所を設置していた[19]。
艦橋
当初、翔鶴の艦橋は赤城や飛龍と同様に航空戦隊の旗艦になる艦は左艦橋の通例に倣い左舷側中央部に設置する予定だったが、両艦の運用実績が悪く、建造途中で翔鶴は右舷側前寄りに当初より右舷艦橋であった瑞鶴も艦橋を前寄りへ変更している[16]。この改修及び設計変更のため翔鶴型は共に竣工が6ヶ月遅れる予定であったが[16]1939年(昭和14年)9月14日、高松宮宣仁親王が神戸艦船工場を訪れ、瑞鶴の工期を半年繰り上がらないかと発言[21]。それを受けて3ヶ月の工期短縮が決定され、この結果として瑞鶴は真珠湾攻撃への参加が可能となった[22]。建造途中で艦橋配置を大幅に改造した一番艦翔鶴と、建造前に前方へ設計変更された二番艦瑞鶴とでは、艦橋基部や格納庫等の内部構造に若干の違いがあったと思われる。また翔鶴型以前の日本空母の艦橋は、飛行甲板の外側に張り出す形で設置されていたが、翔鶴型では飛行甲板に食い込むかたちで艦橋が設置された。飛行甲板の外側に張り出すように設置されていればさらにバラスト重量を増やさなければならなかった。このため艦橋付近の飛行甲板の幅が狭くなり、艦上機の運用に不便、と見学に訪れた第一航空艦隊司令部から指摘されている[16]。翔鶴は完成と共に第一航空戦隊に編入され第一航空艦隊旗艦となるはずだったが取りやめとなり、旗艦は赤城のままだった[16]。
実戦
翔鶴型2隻は共に太平洋戦争開戦直前に竣工・就役して第五航空戦隊を形成、第一航空艦隊に編入された。開戦直後の真珠湾攻撃を皮切りに、セイロン沖海戦などで活躍したが、珊瑚海海戦で搭載航空隊が消耗したため、ミッドウェー海戦には参加できなかった。その後、第五航空戦隊は第三艦隊第一航空戦隊として再編され、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、ろ号作戦、マリアナ沖海戦、エンガノ岬沖海戦といった主要な海戦に日本海軍機動部隊の中核として参加した。
なお、上空からでは外見だけでの両者の判別が困難であるため、飛行甲板前端に対空識別記号として、それぞれ翔鶴には「シ」、瑞鶴には「ス」の文字を記入した(さらにその記入位置は若干ずらされている)。ただし、この対空識別記号は日本空母のすべての艦で確認できるものではなく、翔鶴に関しては、南太平洋海戦損傷修理後も引き続き対空識別記号を記入したのか、確認可能な写真は見当たらない。
戦中の軍事機密と終戦時の機密文書処分のため、正確な艦型や艤装など全容において不明な部分が多い。
同型艦
- 翔鶴 - 1937年(昭和12年)12月起工。1941年(昭和16年)8月竣工。1944年(昭和19年)6月、マリアナ沖海戦に参加。その際に米潜水艦カヴァラの雷撃で沈没。
- 瑞鶴 - 1938年(昭和13年)5月起工。1941年9月竣工。1944年10月、エンガノ岬沖海戦にて、米艦載機の空襲により沈没。
脚注
- ^ #海軍艦艇史3p.155
- ^ a b c d e f g h i j k l m 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.2
- ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.49
- ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.37
- ^ a b c #昭和造船史1pp.780-781
- ^ a b c 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.33
- ^ 12ノットで15,500マイルとの書籍(豊田穣『空母瑞鶴の生涯』)もある
- ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.40
- ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.12
- ^ a b c 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.29
- ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.44
- ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.6
- ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.25
- ^ 「軍艦加賀を航空母艦に改造する件」pp.5
- ^ a b c d 川崎まなぶ『日本海軍の航空母艦』42頁
- ^ a b c d e f 川崎まなぶ『日本海軍の航空母艦』43頁
- ^ 川崎まなぶ『日本海軍の航空母艦』46頁
- ^ 川崎まなぶ『日本海軍の航空母艦』44頁
- ^ a b 翔鶴型空母―帝国海軍初の艦隊型大型航空母艦翔鶴、瑞鶴のすべて (〈歴史群像〉太平洋戦史シリーズ (13)) ISBN 978-4056014266
- ^ 「軍艦翔鶴消化装置概要」第3画像等
- ^ 勇者の海、35ページ
- ^ 勇者の海、43-44ページ
参考文献
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- Ref.C04016182200「軍艦加賀を航空母艦に改造する件」
- Ref.A03032113400「軍艦翔鶴消化装置概要」(国立公文書館)
- 遠藤昭『日本軍艦発達史』歴史群像太平洋戦史シリーズVol.48 日本軍艦発達史,学習研究社,2005年,p95-181,ISBN 4-05-603756-6
- 川崎まなぶ『日本海軍の航空母艦 その生い立ちと戦歴』(大日本絵画、2009) ISBN 978-4-499-23003-2
- (社)日本造船学会/編 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2。
- 福井静夫『海軍艦艇史 3 航空母艦、水上機母艦、水雷・潜水母艦』KKベストセラーズ、1982年4月。ISBN 4-584-17023-1。
- 歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.13『翔鶴型空母』学習研究社、1996年 ISBN 4-05-601426-4
- 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」